2019年5月21日火曜日

向田邦子『夜中の薔薇』

数独というパズルにときどきトライしている。
レベルの設定が何段階かあり、初級から中級はさほど難しくないけれど、上級となると何十分もかかることがあるし、エキスパートとなると手も足も出ない。じっとながめているだけで時が過ぎてゆく。
毎日新聞の夕刊に載っている。平日は初級だけれど土曜日は中級。少々手ごわいがやりがいもある。まったく関係のない話だが、平日の夕刊にくらべて土曜の夕刊は長閑な気分が味わえるから好きだ。
数独の本も出ている。電車のなかで鉛筆を片手に解いている人を見かける。相当好きなんだろう。そういう僕もこのあいだスマホに数独のアプリを入れた。これで寝る前とか電車の中で楽しめるようになった。手軽にできるようになったことは悪いことではない。ただ、紙と鉛筆で挑む数独と電子的な数独は少し違う。
アプリの場合、間違いに対して寛容じゃない。紙であれば仮に正答でなかったとしても、書き入れることは自由だ。最後の最後でつじつまが合わなくなってどこで間違えたかわからなくなる。そのときの失望感、無力感、やるせなさこそ数独のきびしさである。アプリでは誤った数字を入れると間違いですよとおしえてくれる。ありがたいといえばありがたいが、間違えに気がつかないまま最後の最後でほら間違ってたでしょみたいな意地の悪さがない。それでいいのかわるいのか、どちらとも言い難い。
もうひとつは論理に裏付けされていない適当な数字もアプリは受け容れてくれる。ここは2か5か、まだ確定できる裏付けのない段階でどちらかを入れればその正誤はわかってしまう。これもまた数独アプリの物足りないところである。ああ、ちくしょうと思いながら消しゴムでいったん全部消してやりなおす。これこそが数独の醍醐味であると信じてやまない。
6年くらい前に読み終えた向田邦子最後のエッセー。手袋の話がよく知られているが、忘れてしまった。あらためて読み直してみよう。

2019年5月14日火曜日

村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』

ちょっと頼まれて1980年代のことを調べている。
80年代といえば、年齢でいうと20代の頃である。少しばかり勤勉な大学生なら医者になってもおかしくないくらい長いこと大学にいて、ろくすっぽ就職もせず、そのうちにテレビコマーシャルの制作会社にアルバイトでもぐり込んだ楽しくも忌まわしき20代の頃である(親にさんざん迷惑をかけていたことを思うと胸が痛い)。とはいうものの、その後の30代、40代と後になればなるほど記憶は薄れていく。
その頃、世の中はどうだったか。宇宙からE.T.がやってきてエリオットの家に寄宿する。ニューヨークには幽霊がたくさんあらわれ、冴えない博士が退治に躍起になる。そしてカリフォルニア州ビルバレーの高校生マーフィーは親友の科学者ドクと30年前にタイムスリップする。
僕はといえばすでに高校生ではなく、大学生とは名ばかりでやることなすことうまくいかない80年代だった。週に何日か、中学生や高校生に勉強を教え(それだって僕が見る勉強なんてたかが知れている)、神田鍛冶町のとんかつ屋でポテトサラダをつくっていた80年代、世界は不思議で愉快なできごとに満ち溢れていた(映画の世界とはいえ)。
この本が刊行されたのが87年の2月。文藝春秋の『Sports Graphic Number』の連載をまとめたものだ。時期的には『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を執筆していた頃か。アメリカから取り寄せた新聞や雑誌のなかからおもしろそうな、気になった記事やコラムを紹介している。ありがちな企画かもしれないが、村上春樹が紹介するところが他にはない魅力になっているのだろう。
後ろの見返しに「870509」と書かれている。最初に読んだ日付だ。しゃべれるかしゃべれないかはともかく、雑誌の短い記事を読めるくらい英語を勉強しておけばよかった。
なにをどう思おうと勝手だが、今となっては大概のことは後の祭りである。

2019年5月7日火曜日

村上春樹『騎士団長殺し』

平成から令和に変わり、ふたつの時代をまたぐように大きな連休があった。どこへ行くともなく10日間が過ぎていった。
水餃子を食べに出かけた。横浜中華街で簡単な食事をして、伊勢佐木町あたりにあったであろう中華の店を散策しながらさがしてみようと思った。
この時期はまだ完全な春にはならない日が多い。気象予報士なら上空に強い寒気が流れ込み、大気の状態が不安定なると言うところだろうが、一般人の立ち位置からすると要するにまだ冬の名残の残っている春なんだと無理矢理納得するしかない。お店を出たところで雲行きがあやしくなる。雨がぱらつき、やがて稲光とともにヒョウが降ってきた。
一時間ほど雨宿りしているうちに小やみになり、陽が差してきた。関内から伊勢佐木町、横浜橋あたりを歩く。以前からさがしていた中華料理店のあったあたり。その店は近くに移転したのち、取り壊されて更地になっていた。
中華一番本店。今のところ考えられる店はここだけだが、今となってはたしかめるすべがない。もしかしたらここではなかったかもしれない。ここだったかもしれない。さがしていた店は結局おぼろげな記憶のなかにおぼろげなままとどまるのだろう。
帰りは𠮷田町、野毛を歩いて桜木町に出る。暖かかった午前中とは比べ物にならないくらい肌寒い夜になった。
大型連休のあいだに読もうと思っていた村上春樹の新作(といってもすでに文庫化されている)を平成のうちに読み終えてしまった。休みがどことなく手持無沙汰なのはそのせいもある。
村上春樹の物語も少しずつ変化している。主人公は妻帯者で(『ねじまき鳥』もそうだったが)、今回はきょうだいが登場する。職業はあいかわらず社会から隔離されているのとロールプレイングゲームのようなストーリー展開は変わらないけれど。
というわけで連休はリヒャルト・シュトラウスやセロニアス・モンク、ブルース・スプリングスティーンを聴いて過ごすことにした。

2019年4月30日火曜日

土田美登世『やきとりと日本人 屋台から星付きまで』

横浜の、とある中華料理店をさがしていた。
根岸に妻の母方の墓がある。菩提寺は墓所に近い西有寺、曹洞宗の寺院である。法事があると地下鉄元町中華街駅で下りてタクシーに乗る(以前は東横線桜木町駅からタクシーに乗った)。最寄駅はJRの石川町だ。大学時代の先生が山元町に住んでいて、何度か歩いたことがある。西有寺は山元町の商店街の先にある。
法事が終わると中華料理を食べる。横浜らしい法事だ。記憶にあるのは2軒、ひとつは野毛にあった泰華楼。何年か前にカラオケボックスになってしまった。JRの桜木町駅と京浜急行の日の出町駅のちょうど真ん中あたり。すぐ近くに少女時代の美空ひばりが燕尾服とシルクハットで歌っている、もちろん銅像で。
もう一軒の記憶がない。おぼろげなイメージからすると伊勢佐木町から横浜橋あたりではないか。店は古いつくりで木製の階段で2階に上がると廊下があって座敷がある。この部屋で中華料理を食べた。店の前は比較的大きな通りで上下車線の間に分離帯があり、木が植えられている。この店で食事をしようと決めたのは妻の伯父でタクシーの運転手らに人気のある店であるらしい。
妻がいとこたちに聞いている。これといった手がかりは少かったが、地下鉄の伊勢佐木長者町駅に近かったという。おぼろげなイメージもあながち間違えではなさそうだ。
ネットで調べてみる。グーグルの地図でそれらしい大通りを何度となく往復する。グルメ関係のサイトで片っ端から中華料理店を調べる。見つからない。今は亡き伯父を呼び出しに八戸のイタコに会いに行こうかとも思う。ものはためしと思い、ツイッターでこんな中華のお店ありませんでしたかとつぶやいてみる。
返信してくれた人がいた。
中華一番本店というその店は近くに移転してしまったようだが、移転前の写真がネット上に残されていた。これに違いない。
それはともかく以前訪ねた野毛の末広。ここの焼き鳥はうまかった。
※写真はネットから転載しました。不都合ある場合はご連絡ください。

2019年4月21日日曜日

吉村昭『東京の下町』

日暮里に一由そばという立ち食いそばの店がある。
立ち食いそば店を路麺店などとマニアは呼ぶが、この店はいつ行っても客が数人いて、早朝など出勤前の時間帯から行列ができると聞いている。トッピングは各種天ぷらのほか、コロッケ、山菜、季節によって牡蠣天やホタルイカ天など豊富であるうえに玉ねぎ天、春菊天など‘半分’にも対応、そばも小盛り、大盛りがあって小腹の減った客も気軽に立ち寄ることができる。
立ち食いそばというと最近は生麺を都度茹でして供する店が増えているが、こちらは昔ながらの茹で麺(生麺をあらかじめ茹でてアルファー化したもの)である。時間を短縮し、そのぶんつゆや揚げ物に力を注ごうという考えの店であることがわかる。
日暮里は、吉村昭が生まれた町だ。太平洋戦争開戦後はじめて米軍機が本土を襲ったドーリットル空襲やその後の空襲時に跨線橋を渡って谷中墓地に避難した話などは再三書かれているが、幼少の頃の町や遊びなど当時の日暮里が克明に描かれていて興味をそそる。
昭和2年生まれということはものごころついた少年時代が昭和の初期。川本三郎だったか関川夏央だったか忘れてしまったけれど、戦前の昭和は決して暗い時代ではなく、明治から大正を経てようやく人々の生活習慣や考え方が変わって、今でいう家族というスタイルが確立した時代であるという。そういった点からすると吉村昭の少年時代は、戦後の復興を経て高度経済成長期に差しかかる時代、ようやく本来の昭和を取り戻した30年代に生きた僕たちの少年時代に相通じるものがあるかも知れない。父親の世代といってもいい著者の子ども時代が妙になつかしく思える。
西日暮里駅から地蔵坂を上って諏方神社に向かう。谷中墓地を通って芋坂を下り、跨線橋を越える。善性寺という寺の裏手あたりに吉村昭の生家はあった。
一由そばでげそ天そばを食べながら、様変わりした都会の深層に潜んでいる遠い時代の日暮里に思いを馳せた。

2019年4月11日木曜日

山本一力『芝浜』

寝る前に落語を聴くようになった。
以前は読みかけの本を読んでいたが、もう寝るというのに目を酷使するのもいかがなものかと年相応なことを考えるようなった。YouTubeにはたくさんの演目がアップロードされている。タブレット端末にイヤホンを差して聴く。ところが本を読むのも落語も聴くのもさほど変わりはない。すぐにうとうとしてくる。気がつけば画面は真っ暗。最後がさっぱりわからない。落ちていたのは自分だった。
古今亭志ん生の「らくだ」は最後まで聴くのに一週間もかかった。ヘミングウェイは「誰がために鐘は鳴る」を5回観たという。イングリッド・バーグマンがそんなに気に入ってくれたのかと訊くと、がまんできずにすぐ映画館を出てしまうので全部観るのに5回かかったという。志ん生のらくだがつまらないわけではない。ついつい睡魔に負けてしまうのである。
五代目古今亭志ん生は、NHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でビートたけしと森山未來が演じている。ドラマのナビゲーター役でもある。次男が高級ふりかけ錦松梅のテレビコマーシャルでおなじみだった三代目古今亭志ん朝だ(縁あっていちどお目にかかったことがある)。志ん生は1973年に他界している。リアルタイムで聴いたことはない。
志ん生の落語は聴く側を身構えさせない。自然体で聴くことができる。これが立川談志のようにたたみかけてくるとそうはいかない。聴かなくちゃという思いが強くなる。ついつい最後まで聴いてしまう(もちろんそれでいいに決まっているのだが)。そもそも眠るために落語を聴くという行為自体がおかしいのだが「もう寝よう、でも落語を聴きたい」という相矛盾する願いをかなえてくれるあたりがやはり志ん生の名人たる所以なのかもしれない。
立川談志の「芝浜」はいい話だ。落語は芸術なんだと思い知らされる。ただし寝るとき聴くのはよくない。夢になってしまうからだ。

2019年4月10日水曜日

ダグ・スティーブンス『小売再生 ―リアル店舗はメディアになる』

仕事のために読む本がある。読まなければならない本とでも言おうか。読まなければならないということもない。読んでおいた方がいい、くらいの本である。
たとえばほとんど知らない業種の動画シナリオを頼まれたりする。ネットで基本的な情報やニュース記事を集めて読んでも身に入らないことがある。そんなときに当該業界を扱った話題の本を読んでみる。ネットの記事や動画を見てもピンと来なかったものがうすぼんやりではあるけれどカタチになってくる。そういうことがたまにある。
とはいうものの、「仕事で読まなければならない本」という概念がかっこわるい。やらされている仕事、やる気のしない宿題みたいな感じがする。そこに自主性が欠けている。好きでもないものに、興味のかけらもないものに費やす時間が嫌いなのだ。その一方で、不本意な仕事でもよろこんでこなすことが大人である。いやだいやだと言いながら一日中本を読んでいる。いつまでたっても大人になれない。それもまたかっこわるい。
正直に言って、リアル店舗がネット通販に凌駕されようが、壊滅させられようがどっちでもいいと思っている。さしたる興味はない。先日読んだ『リアル店舗の逆襲』は最新のテクノロジーを駆使してお店を再生させようという、どちらかといえばテクニカルな内容の本だった。今回読んだこの本は違う。ネット通販の圧倒的な破壊力をきちんと分析した上でリアル店舗のネクストを切り拓こうとしている。
いまだに活気のある商店街が東京にもいく箇所か残されている。足を運んでする買い物の楽しさがある。そんな町を歩くと少しばかり元気になる。昔ながらの商店街がいきなりメディアになることは難しいだろうが、人を寄せつける力のある限り、リアル店舗は可能性を秘めている。
というようなことを思い描きながら読みすすめる。仕事で読まなければいけない本の中身がいつしか自分ごと化してくる。
少し大人になったような気がしてくる。

2019年4月7日日曜日

リテールAI研究会『リアル店舗の逆襲』

目黒川の桜がきれいだというので目黒駅で下車。西側が斜面になっている。夕陽がまぶしい。
初老の、といっても僕より十かそこら歳上と思われる上品な紳士と目が合う。道を訊ねたかったのだろう。
「すみません、アマゾン川がこの近くにあると聞いたのですが」
とっさに目黒川の桜を見にきた人だろうと思い、アマゾン川ではありません、目黒川です、今日あたり満開できれいですよ、この坂道を下ったところです、などと返答する。ちょうど僕も川沿いを歩こうと思っていたので、いっしょに歩くことにした。
「さがしてる本がありましてね」
聞けば、古書を探して早朝の高速バスで北関東のとある都市から東京に出てきたという。神田神保町に向かい、目ぼしい古書店を見てまわったが、お目当は見つからない。都内かその近県に娘さんが住んでいて、電話をしたらしい。
「アマゾンならあるっていうんですよ。それで交番で訊ねたら、目黒だというんで地下鉄でここまで来たんです」
それからしばらくアマゾンのことを話した。
そのうち、どこかでビールでもいかがですかと誘われた。僕のスマートフォンで検索し、駅前のコーヒーショップでご所望の本が見つかる。
「よかった。そこのアマゾンで買えるのですね」
この画面に出てくる商品はすべて通信販売で売られているものなんですとあらためて説明する。大きく肩で息を吐き、「そうですか」という。
結局、僕が購入して送ることにした。代金はその場でいただいた。送料もお支払いしますと言ってくれたが、ビール代でじゅうぶんですとおことわりした。
最初に彼が訊ねたのは、この近くにアマゾンはありませんかだったのだ。目黒川をめざしていた僕がそれをアマゾン川と聞きまちがえたのだ。
リアル店舗はオートメーション化をはかることでネット販売に対抗している。要するにそんな内容の本である。
ここに記したことはつくり話であるけれど、彼のもとにちゃんと本が届いたかどうか気になっている。

2019年4月5日金曜日

半村良『小説浅草案内』

元号が平成になったばかりの頃、浅草の仲見世でテレビコマーシャルを撮影した。もう30年も前のこと。
昭和の初期以前に生まれた方にとって、浅草は日本を代表する歓楽街だったと思われる。東京に来たら、まずは浅草、そして銀座、だったのではないだろうか。小津安二郎監督「東京物語」で上京した父と母(笠智衆と東山千栄子)を戦死した次男の嫁原節子が観光に連れて行く。浅草の空が画面いっぱいに映し出される。
浅草に遊びに行く世代でなかった僕が言うのもおかしな話だが、当時の浅草は今でいう東京ディズニーリゾートのような存在だったのではないだろうか。エンターテインメントあり、グルメあり、遊園地あり、およそ娯楽と呼ばれるジャンルのものはひととおりそろっていた。誰もが憧れる全国区の観光地だった。
しかし、時代とともに新宿、渋谷、池袋、お台場とターミナル駅を中心に人の集まる町が増えていく。それに合わせて浅草も少しずつ廃れていく。往時の輝きをずっと保持していたら、浅草はきっと世界遺産に選ばれていたことだろう。
浅草を舞台にした小説としては川端康成や高見順が知られている。もちろん時代小説も多い。半村良と聞くと『戦国自衛隊』がすぐに連想されるが、以前『葛飾物語』という作品に出会い、SF作家だけではなかったことを知る。
本所、深川を皮切りに方々移り住んだ著者が浅草にたどり着く。浅草の町を歩き、浅草の人をながめ、川本三郎のように路地や横丁に姿をくらます(それでも下駄の音でわかってしまうと思うが)。ひたすら庶民であり続けようとする。かなり素敵だ。
浅草というと浅草寺のある浅草公園の周辺、雷門や仲見世、公園六区のあたりと限定しがちだが、東京15区時代の旧浅草区が、南は神田川の北岸、西は合羽橋、北は三ノ輪や南千住と接するあたりまであったように思いのほか広い。半村良と出会った粋で素朴な浅草っ子たちがこの小説の主人公といえる。

2019年3月28日木曜日

中川寛子『東京格差』

機能が限られた町は脆いという。
閑静な住宅街も商店街もオフィス街もそれだけである限り、時代の変化の波にのまれてしまう。たとえば高齢化の波とか。郊外のロードサイドに大型店舗が集まることでそれまで繁華街だった駅前商店街がシャッター商店街と化す。町の出入り口が鉄道の駅でそこに外から内から大勢の人が集まってきた時代の常識では考えられなかった変化だ。
そうならないためのキーワードが多様性であるという。何かの機能に特化したまちではなく、さまざまな機能を持ち、幅広い年齢層を受け容れる複合的な町づくりが、今必要とされている。タワーマンションを建てるなら、ファミリー層だけを受け容れるのではなく、若年層も高齢者も取り込む。コンビニがあり、保育施設があり、介護や医療のための施設がある。さらに複合化をすすめて商業施設やオフィスを誘致する。さまざまな世代、家族、職業が出入りする建物になる。こうしたことが寂れない町づくりの一歩だという。
1895(明治25)年に築造された中央区月島は深川からの相生橋が架かるまで渡船でしか行き来できない町だった。工場労働者や魚河岸で働く人々が主な住人だった。
勝鬨橋が架けられ、路面電車が縦断する。商店も増え、利便性が増す。ところが昭和30~40年代までにぎわっていた町に高齢化が押し寄せる。商店は貸店舗になり、いつしかもんじゃストリートと呼ばれるようになる。そしていつの頃からか再開発が進む。
昔ながらの町並みや風情が好きだという人も多いだろうが、月島は(佃、石川島、勝どきも含め)大きく変わろうとしている(というかかなり変わってしまっている)。タワーマンションに都内近郊や地方から多くの人が移り住み(それもさまざまな年齢層や家族構成で)、そこで働き、買い物をし、日々暮らしていくことが月島という町を生きながらえさせる手段であるとするならば、それはそれでけっこうなことだと思うほかない。

2019年3月27日水曜日

三浦しをん『星間商事株式会社社史編纂室』

かれこれ70年近く昔の話。
母は、佃の叔父(僕にとっては大叔父)の家に寄宿して、明石町の洋裁学校に通っていた。そのころ佃大橋はまだ架けられておらず、住吉神社にほど近い渡船場からポンポン蒸気で隅田川を渡っていた時代のことである。
東京に出てきて右も左もわからなかった母であったが、しばらくして声をかけあったり、話をするような友人もできたという。なにぶん80も半ばにさしかかった母の記憶であるからあやふやなところも多いのだが、そのなかに歌舞伎座の裏の肉屋から通ってきている友だちがいたという。どうしてそんなことを憶えていたのだろう。歌舞伎座の裏の精肉店がさほど珍しかった時代でもあるまい。聞けばその友人は、両親が千葉県銚子の出身で(母は南房総の千倉町出身である)、洋裁学校に来るのにコロッケをたくさん持ってきて、おすそ分けしてくれたという。
歌舞伎座の裏、肉屋、銚子、コロッケ。それはもしかしたら(もしかしなくても)チョウシ屋ではあるまいか。コロッケパンでおなじみのチョウシ屋に娘さんがいて、母と同じ明石町の洋裁学校に通っていた。
以前、三浦しをんの辞書を編纂する小説を読んだ。こんどは社史をつくる話だ。人間だろうが会社だろうが、歴史をたどる仕事は楽しそうだ。辞書のときと同様、いろんな意味で濃いキャラクターがそろっている。現実にはこんな会社はないだろうが、ドラマだったらあり得る。そう思うと普通の小説かも知れない。
チョウシ屋のコロッケパン、メンチパンは築地界隈の編集スタジオなどで仕事をしているときにおやつとしてよく食べた。今でも昼どきにお店の前を通りかかるとけっこうな行列ができている。お昼に並んで買って食べるコロッケパンは揚げたてでうまい。
70年前、母はどんな思いでこのコロッケを食べたのだろう。こんどチョウシ屋に行ったら、むかし明石町の洋裁学校に通っていたその人の消息を聞いてみようと思う。

2019年3月26日火曜日

ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』

ずっと常識だと思っていたことがいつの間かそうでなくなっている。
高校生の頃、もう40年以上前のことだが、部活動の練習中に水を飲むとバテやすくなるだとかそんな理由で水分補給ができなかった(戦争中の考え方の名残りという考えもあるらしい)。今、運動時水分補給法みたいな法律が施行されたら当時の指導者たちはこぞって有罪判決を受けることだろう。
歯磨きの仕方だってそうだ。これは50年以上前。歯ブラシを上下に動かして磨くように教わった。それも保健の先生が朝礼台の上で両手じゃなきゃ持てないような巨大な歯ブラシを使い、音楽に合わせてパフォーマンスしていた。もっと昔だと蒸気機関車が走ると畑の作物が育たなくなるなど、こんなことを挙げていたらきりがない。
今風のかっこいい経営者や若者に支持されるオピニオンリーダー的な人が常識を覆せなどと言うが、何も無理して覆さなくても時が経てば勝手に覆されていく。もちろん覆された常識がいつまで常識という地位にとどまるのか知れたものじゃない。
とりあえず思い浮かぶ身のまわりのことでさえ変わっていくのだ。地球とか世界とかグローバルな視点で見たら、もっと目を見張る変化があっておかしくない。そんな気づかなさに気づかせてくれる考え方、ものの見方がファクトフルネスという発想である。
東南アジアやアフリカ、南アメリカが発展途上国で場所によっては未開民族が住んでいて、風土に根づいた不治の病が蔓延しているという印象を50年前以上に僕たちは植え付けられた(もちろん正確にそう教わったわけではなく、あくまで印象としてであるが)。事実=ファクト=客観的統計はそうではない。50年の間にかつての途上国は平均的な豊かさを獲得している。よほどの紛争や天変地異がない限り「健康で文化的な最低限度の」生活を送っている。
長年にわたってそんなことに気づきさえしなかったわれわれの方がよほど未開な民族だ。

2019年3月19日火曜日

チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』

3月はやはりあわただしい。
少し落ち着いたので先週の土日は野球を観に行った。4月からはじまる東京都春季高校野球大会の一次予選である。本大会には112校(全出場校が約270校だからざっくり言って約4割)が出場できる。昨年の秋季大会に出場した48校とこの予選を勝ち抜いた48校である。昔は(昔といってもいつごろからだったか憶えていないが)秋の本大会に進んだチームしか出場できなかったこの大会にいつしか一次予選が設けられ、秋の予選で敗退した学校にも復活のチャンスが与えられた。
高校野球には秋、春、夏と大会があるのだが、この春の大会だけが甲子園に直結しない。関東大会であるとか近畿大会といった地区大会で完結する。ただし都道府県大会で上位に進出したチーム(東京なら16強)には夏の大会でシード権が与えられる。そういった意味ではこの大会は直接甲子園には行けないけれど甲子園にはつながっている大会といえる。
それはともかくとして3月のこの時期はまだまだ寒い。気温が多少高くても2時間近く座って試合を観ていると心底身体が冷えて凍えてくる。ときどき立ち上がって足踏みしたり、首や肩をまわす。
読書に計画性はほぼなく、(仕事で必要でない限り)読みたいと思った本を好き勝手読んでいる。ときどき新聞の書評をながめたり、SNSで話題になっている本も読んでみる。こんなことを言っては失礼かもしれないが、SNSで煽っている本ほど疑わしいものはない。やはり読む本は自分の嗅覚で見つけるべきだと思う。
この本もネットでずいぶん話題になっているようだ。誠に不勉強で申し訳ないのだが、お隣韓国の事情がわからないので特に感想もない。韓国はそういう社会だったのですねと思うしかない。
さて、土日に府中の明大球場で行われた試合。わが母校はなんと連勝。昨年に続いて本大会に進めることになった。勝てば勝ったで寒かったことなど忘れてしまう。
春ってそんなものだ。

2019年3月15日金曜日

中条省平『世界一簡単なフランス語の本』

フランス語を勉強しようと思った。19か20歳か、多分そのくらいの頃。
大学ではドイツ語を第二外国語として履修していた。どうしてフランス語を学ぼうとしたのか今となっては定かでない。フランス映画を観たいとか、そんな動機だったかも知れない(当時映画は年に一本観るか観ないかだったけれど)。
御茶ノ水のフランス語学校に通うことにした。アルバイトで稼いだお金の使い途もなかった頃のこと。入門コース、初級コースを経て、中級コースで一気に難しくなり、バイト代も尽きて挫折した。それでもフランス映画を観るくらいのことはできるようになった、もちろん日本語字幕付きならば。
フランス語はある意味簡単で、ある意味難しい。綴りに対して発音が規則づけられているから、文字を読むことが容易。動詞の活用も不規則な例外があるものの、ひどく混乱させるようなこともない。難しいコミュニケーションをしなければ難しい言語ではない。フランス映画の日本語字幕を自在に読める僕が言うのだ。間違いない。ただフランス語を喋る人は難しいことを好む。「もし君が猿だったら、首に紐をつけて芸をさせるのに(君は人間だからそんな真似はけっしてさせない)」みたいな言い方をする。これは文法的にも高度だ。
せっかく勉強したフランス語だからとたまにはシャンソンを聴いたり、初歩の読本を眺めたりする。貧乏くさいとは思うが、そういう性分なんだから仕方ない。
この本はフランス語の簡単なところだけを巧みにひろっている。ああ、こうやって大学などでおそわったらもう少し身についたかもしれない、と思わせる。もちろんテレビ(Eテレ)の講座もなるべくわかりやすくわかりやすく構成されているが、わかりやす過ぎて達成感に乏しい気がする。
小難しい文法にまで引きずり込む続編が出たら、この本は100パーセント完璧だ。サンプルソン、パルフェ!である。
いずれにしてもたいして身につかなかった僕の感想だから説得力はない。

2019年2月25日月曜日

飯田泰之『新版 ダメな議論』

大井町にカメラの森商会というDPEの店がある。
DPEといってもデジタルカメラ全盛となったこの時代にあって知らない方も多いだろう。フィルムカメラで撮影したフィルムを現像し、プリントをしてくれるお店は20年くらい前ならどの町にも2~3軒はあった(というか、カメラにフィルムという言葉をつけて書くところがもう悲しい)。デジタル化がすすんだ今、かつてのDPEショップの多くはデジタルカメラのストレージやスマートフォンで撮影した写真データをプリントアウトする店に変わっている。カメラの森商会もそういったタイプのデジタル対応したDPEショップである。
古くから営んでいるカメラ店で古い町並みの写真を見かけることがある。当時のカメラ屋に最高級のカメラを自ら駆使して店頭に飾る写真を撮る店主は多かったはずだ。恵比寿駅に近い大沢カメラも昔の店舗や駅周辺の写真を展示している。カメラの森商会も同じように古い写真を飾っている。恵比寿のカメラ店と違うのは、その町並みが僕が生まれ育った大井町であるということだ。
カメラの森商会は、昨年だったか大井町駅を下りて、三ツ又商店街でも久しぶりに歩いてみようかと思い、通りかかったときに見つけた。昭和30年代から40年代、50年代の駅前の風景が所狭しと飾られている。圧巻のなつかしさである。何度か通りすがりに眺めていたのだが、あるとき気がついてお店の人に訊ねてみた。「表に飾ってある写真をプリントしてお分けしていただくことはできますか」と。
飯田泰之という著者は知らなかったが、題名に惹かれてこの本を読んでみた。
ネットやSNSの急速な普及で本当なのかどうかわからないニュースや情報に接さざるを得ないことが多い。たとえば用語の定義は明確かといったことなど、きちんとした議論かどうかを見きわめる、読みきわめるスキルが今大切なのだ。
題名からして、もっと軽い本かと思っていたが、期待はいい方に裏切られた。

2019年2月21日木曜日

博報堂買物研究所『なぜ「それ」が買われるのか? 情報爆発時代に「選ばれる」商品の法則』

眼鏡を新しくした。今回は「新しいフレームは以後買わない」くらいの強い気持ちで購入にのぞんだ。
なるべく普通で何年たっても普通のデザインであることを基本に据えた。普通であるということはカタチとしてはウェリントンということになる。間違ってもエルトン・ジョンやミシェル・ポルナレフのサングラスではないということだ。黒縁、太めのセルフレームで当然のことだが高価ではないこと。以上が選定の条件である。値段も2万~3万円とする。少々高めの設定だが、これが最後のフレームだという覚悟なのだから仕方あるまい。
ネットで検索してみる。そこで絞り込んで、お店に行ってかけてみる。そんな作戦にした。絞り込んだのは、オリバーピープルズ、白山眼鏡店、エフェクター。トム・フォード、フォーナインズ、金子眼鏡店、増永眼鏡は少し高いので除外。高価な眼鏡はお店でかけるだけで肩が凝る。それまでまったく知識のなかったメーカーやブランドに少しは詳しくなった。
最近の人たちは買物が楽しくないという。商品はもちろんのこと情報も溢れかえっている。そんな洪水状態のなかから適切なものをひとつ選ぶ行為が面倒らしい。商品が欲しいという欲が希薄になったのではないけれど「モノ=商品」が実現してくれる「コト=商品体験」の方が重要視される時代になっているせいもある。
ひとつの商品に味だの色だの香りだといったバリエーションがある。バリエーションが多ければ多いほどいろんな人の好みに対応できると考えるのがその商品の送り手の立場かも知れないが、実験によると24のバリエーションより6つ程度の方が手が伸びるというのだ。選びたいのはやまやまだが、選ぶことを苦痛にしたくないということか。
で、これからは売る方もお客さんに選んでもらいやすい「枠」をつくっていくことがたいせつだとそういったことがこの本には書かれている。
欲しい眼鏡をあらかじめ絞り込んことは成功だった。

2019年2月18日月曜日

博報堂ブランド・イノベーションデザイン局『博報堂のすごい打ち合わせ』

博報堂はユニークな立ち位置を貫いている広告会社のひとつだ。
大学卒業後、数年間電通に勤務した叔父が広告をつくるのなら博報堂に行きたかったと言っていた。彼は将来絵を描く仕事に就きたいという夢があり、元博報堂より元電通の方がつぶしがきくという理由で電通を選んだという。たしかにその後イラストレーターになったのだけれど、その真偽は今となってはわからない。
それはともかく、独自の生活者発想で研究を重ねたり、自社のビジネススキルをまとめて書籍化するなど、博報堂の生き方は素敵だ。ためになる。
ずいぶん昔のことだが、博報堂で1時から打ち合わせだというので田町あたりでお昼を食べてから指定の会議室に向かった。誰もいなかった。中止になったのかと思った(携帯電話はまだ普及していなかった)。後で聞いたら13時ではなく、夜中の1時からだった。
博報堂の打ち合わせはすごいと思った。
今でも印象に残るのはI田さんというクリエイティブディレクターと組んだテレビコマーシャルの企画提案作業である。本書でも書かれているが、I田さんも雑談が得意だった。はじめて顔を合わせたときからよくしゃべっていた。
最初にもらった宿題は、今回の提案(プレゼンテーション)に名前をつけようという課題だった。ひとり100案考えてこようということになった。博報堂では何百というアイデアを紙に書き出して、壁に貼るという話を以前から聞いてはいたが、本当にそんなことをするんだとびっくりした。
働き方をどうたらこうたらしなくてはいけない時代になっている。夜中に集まって打ち合わせをすることも少なくなっているのではないだろうか。雑談なんかに時間を使っていないで要点だけポンポンとまとめて、じゃ次回、みたいな味気ない打ち合わせも増えているかもしれない。
今どきの、効率のいい打ち合わせもあるだろうが、ほぼ無駄になるようなアイデアをかき集めてのぞむ打ち合わせも楽しい。いい経験をさせてもらった。

2019年2月14日木曜日

カート・ヴォネガット『ジェイルバード』

昔読んだ本をもういちど読んでみる。
本は同じでも読み手の環境が変わっている。まったく違う印象を得ることもある。それも読書の醍醐味か。
この本は10代のうちに読んでおくべきだ、中学生のうちに読むべきだ、みたいな本がある。少年少女向きであったとしても大人が読んでいけないこともない。むしろ年を取ってから読んだ方が響くことが多いかもしれない。書物は万人に開かれている。
『ジェイルバード』はたしか20代のなかばにいちど読んでいる。四半世紀をとっくに超えての再読になる。
ジェイルバードとは囚人という意味である。ロバート・フェンダーという朝鮮戦争中に反逆罪に問われた終身刑の男が登場する。主人公ではなく、単なる脇役である。支給室(受刑者の私服の受渡しをする部屋)で係員をつとめている。一日中エディット・ピアフのレコードをかけることを許されている。長年聴きつづけたので物悲しい調子のフランス語を流暢にあやつる。
30年前の僕がエディット・ピアフを知っていただろうか。レコードプレイヤーから流れる《ノン、ジュ・ヌ・ルグレット・リアン》を口ずさむことができただろうか。30年前に受け流した一節がぜんぜん違う風景に見えてくる。これを主人公ウォルター・F・スターバックの台詞を借りていえば「長生きは勉強になる」である。
エディット・ピアフを聴くようになったのはいつ頃からだろうか。
2007年にオリヴィエ・ダアン監督「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」を観た。マリオン・コティヤールがエディット・ピアフになりきっていたのが印象に残る。エンディングで流れる曲が《ノン、ジュ・ヌ・ルグレット・リアン》、邦題は「水に流して」である。おそらくこの頃、CDを買って、くり返し聴いていたのだと思う。
この一冊を通じて、僕はエディット・ピアフを知らなかった頃の僕に出会うことができた。これからも似たようなことがあるかもしれない。
しばらく再読はやめられない。

2019年2月8日金曜日

カート・ヴォネガット『母なる夜』

ここのところ、電子書籍で読むことが多くなった。
もちろん紙でしかない本もあるから、電子版ばかり読んでいるわけではない。しおりを挟んだりする必要がないのはたしかに楽だ。夜、そのまま眠ってしまっても翌朝そのページを憶えていてくれる。ありがたい。
最近、昔読んだ本を再読する機会が増えた。ときどき書棚をのぞいてみる。文庫本はかなり処分したけれど、いずれもういちど読もうと思っていた単行本はそのまま残されている。
白水Uブックスという新書サイズの本がある。今はデザインが変わったけれど、昔はブルーとグレーのツートーンの装幀でよくデザインされていた。
デザインのいい本に弱い。つい手が出てしまう。読んでいるだけなのにちょっとセンスがよくなったような錯覚を与えるのである(それは暗示にかかりやすいという個人的資質にもよるのだろうが)。
さほど多くはないけれど、何冊か読んでいる。ジョン・アップダイク『走れウサギ』、J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』、ジョン・ファイルズ『コレクター』など。カート・ヴォネガットの『母なる夜』もそのひとつだ。
カート・ヴォネガットというとSF作家という印象が強いけれど、この作品はそうではない(宇宙へ行ったり、時空間を行き来したりしない)。幼少の頃、アメリカからドイツに渡り、売れっ子の劇作家となるハワード・W・キャンベル・ジュニアはナチの広報員となる一方でアメリカのスパイとして活動する。ラジオパーソナリティとして人気を博しながら、本人がそれと把握することなくアメリカ本国へ暗号を送る。もうこれだけで複雑な物語の様相を呈する。
ハワードが実在の人物であったかどうかはわからない。モデルとなる人がいたのではないかと思う。それくらいリアルに構成されている。
本の見返しに「870208」と記されている。32年前の今日、読み終わったということか。
残念ながら記憶はほぼ消滅している。

2019年2月4日月曜日

安西水丸『青山へかえる夜』

時間ができると日比谷図書文化館の二階で雑誌を読んだり、東京関連の本を眺めて過ごす。
今のように千代田区立でもなく、図書文化館でもない都立日比谷図書館の時代(学習参考書を解読するしか楽しみがなかった高校生時代)からここには足を運んでいる。僕にとって気持ちが落ち着く空間である。現実から逃避できる不思議な居心地のよさがある。
イラストレーター安西水丸は生前お付き合いがあったので(というか縁あってさんざんお世話になっていたので)、ときどきその著書を開いてみる。今までに出会うことのなかった安西水丸がそのなかにいそうな気がして。
この本は1990年代なかば頃雑誌に連載されていた文章をまとめた単行本である。著者がいちばんいそがしかった時代ではないだろうか。適当に書いているといえばそれまでだが、ユーモアを通り越した悪ふざけのなかにも独自のペーソスが感じられる(ほんのわずかだけれど)。
安西水丸の著作のなかでは『手のひらのトークン』(新潮文庫1990年)が秀逸だ。大学卒業後勤めた大手広告会社を辞めてニューヨークにわたった青年の物語。創作と呼ぶには生々しい当時の「ぼく」の苦悩が描かれている。安西水丸になるずっと以前の渡辺昇(本名)がそこにいる。
当時、南青山にあったバーアルクールがなつかしい。重い扉の向こう側には現実と隔離された不思議な空間があった。僕より少し年上のKさん、少し年下のIくん。ふたりのバーテンダーがカウンターの中に立っていた。ワイルドターキーのライウイスキーをすすりながら、とりとめのない話ばかりしていた。安西水丸は夜中にふとあらわれて、「安い酒は飲まない方がいい、二日酔いになるから」と言い残して消えていった。
アルクールはその後西麻布に移転した。その後フェードアウトするように通わなくなってしまった。
安西水丸が他界してもうすぐ5年になる。近々、墓参りに行こう、近況報告をしよう。

2019年2月1日金曜日

堀江貴文・西野亮廣『バカとつき合うな』

そろそろ眼鏡を新しくしたい。
今使っている眼鏡はかれこれ7~8年になるだろうか、いつ頃からかけているのかさえも記憶にない。眼鏡店に行くと今度は大江健三郎みたいな丸眼鏡にしようといつも思うのだが、セルフレームのまん丸眼鏡は案外高価なのである。それにいつも行くお店ではさほど在庫も多くない。町を歩いていても、大江健三郎みたいな眼鏡をかけている人をほとんど見ない。需要がそんなにあるわけでもないのだろう。
駅ビルに店を持つ大きな眼鏡店で何度かまん丸のフレームを試したことがある。思っているほど似合っていない。結局、お店の人にすすめられるまま、ちょっと今風のフレームに落ち着く。それはそれで無難な選択である。
それでも眼鏡店を訪ねるたびにあれこれ試して悩む。なんという既視感。眼鏡ごときでと言ってはなんだが、デザインだの、似合う似合わないだの、流行っているとかいないとかにかかずらうのも疲れる。できればブルックスブラザースのネイビーブレザーみたいに未来永劫悩み無用のものがあればいい。
そもそもが眼鏡というものは視力の低下にともなって買い替えるものだが、視力に合ったレンズに交換してもらえばいい。クルマが壊れるたびに買い替えていてはたいへんなことになる(そういう人も世の中にはいるんだろうけれど)。古いクルマをきちんと整備して乗り続けている人もいるが、燃費だの安全性能が格段に進歩したせいで買い替えざるを得ない人もいる。昔の眼鏡のフレームだからCO2を多く排出するなんてことはない。いいフレームを長く使うのがいい。合わなくなったらレンズを替えればいい。
『バカとつき合うな』には世にあふれるさまざまなバカが登場する。いいバカもいれば、悪いバカもいる。切れるはさみと切れないはさみがあるのと同じことだ。
そういう観点からすると、この頃の僕はあれこれ理屈をこねまわして高価な眼鏡を購入する言い訳を考えているバカである。

2019年1月30日水曜日

カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』

「あの日にかえりたい」という荒井由実の名曲がある。
「青春の うしろ姿を 人はみな 忘れてしまう あの頃の わたしに戻って あなたに 会いたい」という歌詞をおぼえておられる方も多いことと思う。青春のうしろ姿を忘れてしまうことはない。ただ不正確におぼえているだけだ。人間の記憶力というものはそんなものである。それに人は本当にあの頃に戻りたいと思うのだろうか。仮にこの歌の「わたし」があの日に戻れたとしても、結局泣きながら写真をちぎって、手のひらの上でもういちどつなげてみるだけなのではないか。もういちど同じ目に会うくらいなら、戻れたとしても戻らない方がいい。
とはいうものの長いことブログを続けていると書くこともなくなってくるので、昔話が多くなる。ついついあやふやな記憶をほじくりかえしては適当に再構築する。正確不正確はともかくとして、それはそれで楽しい。ちょっとした時間の旅でもあるのだ。
カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』は、第二次世界大戦に従軍した検眼医ビリー・ピリグリムの時間旅行を描いた小説。ヴォネガットファンの多くがおすすめする名作のひとつである。1945年のドレスデン、架空の惑星トラルファマドール星、ニューヨーク、ニューシカゴ…。転々と時間を飛びまわる。
1945年2月、連合国軍によって行われたドレスデン無差別爆撃は東京大空襲を上まわる被害をもたらしたというが、戦後しばらくその状況は秘匿されていたという。当時捕虜としてドレスデン爆撃を経験したカート・ヴォネガットは貴重な証言者のひとりである。
この小説は「スティング」や「明日に向かって撃て」でおなじみのジョージ・ロイ・ヒルの手によって映画化もされている。まだ観ていないが、たぶん難解な映画になっているのではいだろうか。タイムスリップものはたいてい難しい。
今年は1980年代後半によく読んだカート・ヴォネガットを再読しようと思っている。

2019年1月28日月曜日

三浦しをん『まほろ駅前番外地』

はやいもので春の選抜高校野球大会の出場校が決まった。
予選なしの選抜という方法ではあるけれど、前年の秋に開催された全国10の地区大会での上位校が選ばれる。都道府県の代表を決める夏の大会とちがうところは優勝することが出場の条件ではないところ。地区の出場枠がひとつしかない北海道をのぞけば(今年は明治神宮大会優勝校の地区に与えられる神宮枠がひと枠が与えられる)、地区大会の決勝まで駒をすすめれば当確といえる。
選出にあたって議論されるのは、関東・東京、近畿、そして中国・四国。近畿は6枠なので4強はすんなり決まり、残り2校は準々決勝で敗退した4チームのなかから選ばれる。中国・四国もトータルで5枠なのでどちらかから3校が選ばれる。
毎年注目を集めるのが関東・東京(6枠)で関東4東京2のときもあれば、関東5東京1のときもある。関東大会8強の敗退校4校と東京準優勝校をはかりにかける。今回でいえば佐野日大、東海大甲府、前橋育英、横浜と東海大菅生。優勝した桐蔭に敗れた佐野日大と東海大菅生が最後の1枠を争うかと思っていたところ、なんと横浜が選ばれた。
関東大会の結果だけを見れば、「?」と思えるが、たしかに激戦の神奈川県予選で東海大相模、慶應義塾を降して、桐蔭に圧勝しているところも考慮すれば納得いく選考だったかもしれない。
甲子園での本大会では同地区同都道府県のチームがはやい段階で対戦しないよう組合せ抽選時に配慮されるという。それでいて明治神宮大会の決勝戦の再戦を初戦に組んだりもするのだが、桐蔭と横浜はぜひ一回戦で対戦して、どちらが神奈川の雄か決めてもらいたいものだ。
三浦しをんのまほろ駅前シリーズは映画やドラマになっているがまだ観たことがない。読み終わった直後は町田あたりを散策するのもおもしろかろうと思ったけれど、読後しばらくたって、すっかりそんなことも忘れてしまっている。
町田は案外遠いのだ。

2019年1月25日金曜日

カート・ヴォネガット『タイムクエイク』

海の見える駅というサイトがある。
東京近郊では鶴見線の海芝浦駅が海沿いの駅として知られている。京浜工業地帯にプラットホームがぽっかり浮かんでいるような駅である。東京都内にもゆりかもめ(東京臨海新交通臨海線)の青海駅と市場前駅が紹介されている。海というより運河の延長のように見える。少しさびしい。
現時点で紹介されているのは152駅。四方を海に囲まれたこの国でそれしかないのかとも思うがまだまだ発掘途上なのかもしれない。駅のホームからは見えないけれど内房線の館山駅などは駅舎から北条海岸を眺めることができる。夕陽の照りかえしが美しい。
東京駅から東海道本線で1時間半ほど、小田原駅の次の次が根府川駅。この駅は相模湾をのぞむ崖の上に駅舎があり、少し下にプラットホームがある。さらに崖下に国道が走っている。海の見える駅としてはほぼ完璧といえる立地にある。
根府川駅といえば大正12年に列車転落事故があった。関東大震災による土石流が駅舎もホームも機関車も客車も海中に沈めてしまったのである。丹那トンネルの大工事を追った吉村昭の『闇を裂く道』でこの事故を知った。駅舎内や駅を出て北側の県道沿いには慰霊の碑や五輪塔などが建っている。おだやかに見える目の前の海に沈んでいる機関車や客車に思いを馳せる。
カート・ヴォネガットの作品は『ガラパゴスの箱舟』以降の新作は読んでいなかったので、遅ればせながら久々の新作ということになる。
タイムクエイクとは時空連続体に発生した異常で人間も事物も10年前に逆戻りし、人々はもういちど過去をくり返すというもの。そして10年後、突如「自由意思」で行動できるようになる。そのときとてつもない混乱が起きる。
だいたいこんな話なのだが、ぼーっと生きてきた僕のような読者にはカート・ヴォネガットはハードルが高い。そのユーモアに追いついていけないのである。
まだまだ修行が足りないなと思う。

2019年1月24日木曜日

橋本治『ちゃんと話すための敬語の本』

古い西部劇を観た。
ジョン・スタージェス監督「OK牧場の決斗」とジョージ・スティーヴンス監督「シェーン」の2本。NHKBSで放送されたものを録画した。同世代以上の多くの人がいちどは観ている映画すら観ていないものが多い。前向きに解釈すれば、まだまだ未知の映画がたくさんあるということだ。
西部劇のいいところはアメリカらしさにあふれているところだろう。馬を下りて、店のカウンターに立ち、ショットグラスに注がれたウイスキーを一気にあおる。実にアメリカ的な光景である。ちょっとしたいざこざが起きる。だが、大事には至らない。チンピラが絡む程度である。本当の事件はここからはじまる。
なんといってもアメリカ的な存在はヒーローだ。悪と対峙するヒーローという図式がアメリカ映画の真骨頂である。近年ではコンピュータグラフィックスなど映像技術のめまぐるしい進化によってより高度で複雑なエンターテインメント映画が増える一方だが、悪いやつ(ら)をやっつける正義の味方という関係性が何にもましてわかりやすいアメリカ映画の方程式だ。
1950年代、60年代の西部劇にはヒーロー映画の原型がある。ドキドキハラハラしながらも、最後は敵をやっつけてすっきりする。これがアメリカ映画だ、と胸をなでおろす。
ちくまプリマー新書のターゲットは高校生あたりか。興味深いテーマが多く、内容的にも平易でわかりやすい。読みやすいから読んでいるだけではなく、会社の若い人たち、特にふだんあまり活字に触れる機会が少ない者たちにもすすめやすいからという理由でときどき読む。今さら敬語でもないだろうけれど、こういう本も読んでおかなければいけない。歳をとるというのはめんどくさいことなのだ。
この本は敬語の本というより、人間関係の本とでも言おうか。人との距離を縮めたいのか、維持したいのかでことばは変わる。「敬語って何なんだろう」を考えさせる本である。

2019年1月21日月曜日

三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』

大相撲を熱心に見ていたのは小学校の頃。北の富士と玉乃島が横綱になり(玉乃島は玉の海になった)、大鵬とあわせて横綱が3人になった。
大関は琴櫻、清國、大麒麟、前の山(時代考証はかなりいい加減だが、僕が大相撲ファンになったのはこんな時代だ)。新進気鋭の貴ノ花が大鵬を破り、引退に追いこんだ。今でも玉の海の急死と大鵬の引退は、僕の、私的大相撲史の二大ニュースである。
先にあげた4大関のうち、猛牛と異名をとった琴櫻だけが横綱に昇進した。後に佐渡ヶ嶽親方。秋田県出身の清國は見た目が端正な力士でいちばん贔屓にしていたのだが、優勝は一回。残念ながらその雄姿の記憶はない。前の山は(当時は知らなかったが)けがで泣かされた力士で大関としては短命だった。豪快な突っ張りの印象が残っている。いちばん強いと思っていた大麒麟は、大一番に弱く、結局一度も優勝していない。
横綱稀勢の里の引退はなんとも残念である。
出処進退は自ら決めるというのが第一人者のあるべき姿だが、稀勢の里は、果たしてそうだったか。身を引いたというより、引退を余儀なくされた感が強い。横綱審議委員会の激励勧告、マスコミの論調、日本相撲協会の立場。横綱になるまで15年もかかったのだ。大怪我を克服して復活するには10年かかるだろう。そう思っていた。手術するなり、静養するなり1年でも2年でも休場させてよかったんじゃないか。中途半端な回復具合で中途半端な土俵をつとめることを誰が望んでいたのだろう。稀勢の里だって納得いく形で相撲をとっていたわけではないだろう。
引退会見で「一片の悔いもない」と語ったそうだが、そんなはずはない。けがが治らない状態で相撲をとらされ、横綱としての責任をとらされ、悔いが残らない方がどうかしている。
三浦しをんのこの本をずいぶん前に読んだ。
おもしろかったが、その内容はもう忘れてしまった。というわけで今回は相撲の話にしてみた。

2019年1月17日木曜日

カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』

今年の正月休みは長かったせいもあり、録りためた映画を観たりしてのんびり過ごした。暮れにiPadを購入して、絵の練習などもずいぶんした。何を言わんとしているかというと本を読まなかった正月の言い訳をしているのである。
昨年の忘年会でヴォネガットファンのUさんに会う。Uさんは原書でSFを読む筋金入りの読書家である。年明けはカート・ヴォネガットを読もうと決めた。
僕が主に早川書房の翻訳ものを読むようになったのは、1980年代のなかばくらい。書店で見かけた和田誠の装丁が気に入って読みはじめた。SF好きでも現代アメリカ文学にこれといって深い興味があるわけでもなかった。和田誠の装丁や表紙のイラストレーションはいつも僕に「この本おもしろいから」と呼びかけていた。
『猫のゆりかご』はおそらく再読になると思う。早川書房から出版されている小説は片っ端から読んでいた。1986年、当時の最新作だった『ガラパゴスの箱舟』の翻訳が出るやいちはやく読み、それを最後にヴォネガットは読んでいない。
と、思ったら1993年10月に『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』を読んでいる。7年ぶりに読んだと当時のメモが残っている。和田誠の装丁やイラストレーション、レタリングが好きで読むようになったことも記されている。
やれやれ。
猫のゆりかご=CAT'S CRADLEとはあやとりのこと。読んでいるとわかるのだが、和田誠はちゃんと表紙に描いている。著者のセンスが絵になっている。おそるべしである。
日本に原子爆弾が投下された日がこの物語の端緒。はるかかなた、遠くにあるSFの世界ではなく、するっと入りこめる。
1993年の『スラップスティック』以後、著者名であるカート・ヴォネガット・ジュニアの名からジュニアが消える。このことはつい最近ウィキペディアで知った。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。