2019年3月28日木曜日

中川寛子『東京格差』

機能が限られた町は脆いという。
閑静な住宅街も商店街もオフィス街もそれだけである限り、時代の変化の波にのまれてしまう。たとえば高齢化の波とか。郊外のロードサイドに大型店舗が集まることでそれまで繁華街だった駅前商店街がシャッター商店街と化す。町の出入り口が鉄道の駅でそこに外から内から大勢の人が集まってきた時代の常識では考えられなかった変化だ。
そうならないためのキーワードが多様性であるという。何かの機能に特化したまちではなく、さまざまな機能を持ち、幅広い年齢層を受け容れる複合的な町づくりが、今必要とされている。タワーマンションを建てるなら、ファミリー層だけを受け容れるのではなく、若年層も高齢者も取り込む。コンビニがあり、保育施設があり、介護や医療のための施設がある。さらに複合化をすすめて商業施設やオフィスを誘致する。さまざまな世代、家族、職業が出入りする建物になる。こうしたことが寂れない町づくりの一歩だという。
1895(明治25)年に築造された中央区月島は深川からの相生橋が架かるまで渡船でしか行き来できない町だった。工場労働者や魚河岸で働く人々が主な住人だった。
勝鬨橋が架けられ、路面電車が縦断する。商店も増え、利便性が増す。ところが昭和30~40年代までにぎわっていた町に高齢化が押し寄せる。商店は貸店舗になり、いつしかもんじゃストリートと呼ばれるようになる。そしていつの頃からか再開発が進む。
昔ながらの町並みや風情が好きだという人も多いだろうが、月島は(佃、石川島、勝どきも含め)大きく変わろうとしている(というかかなり変わってしまっている)。タワーマンションに都内近郊や地方から多くの人が移り住み(それもさまざまな年齢層や家族構成で)、そこで働き、買い物をし、日々暮らしていくことが月島という町を生きながらえさせる手段であるとするならば、それはそれでけっこうなことだと思うほかない。

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