2019年11月6日水曜日

ロバート・ホワイティング『野茂英雄 日米の野球をどう変えたか』

名もない弱小野球チームに磨けば光るだろうが、磨かれる機会のないままプレーを続ける隠れた逸材があり、ひょんなことから覚醒し、つられてメンバーもレベルアップ、多少の艱難辛苦はありながら、ついには全国制覇を成し遂げる…。そんなお話は少年漫画の世界であって、実際にはほぼありえない。野球に限った話ではないが、大概のスポーツはその競技の世界(ある種のシステム、あるいはヒエラルキーのような世界)がちゃんとつくられていて、その内側で頭角をあらわし、評価されたものが次のステージへステップアップしていく。
野球でいえば、リトルリーグ、シニアリトルから甲子園常連の強豪校に進学するとか、中学生の大会で実績をつくって、といった進路がパターンとしては多い。たとえ甲子園に出場することができなくても大学に進学し、体育会で続けたり、社会人として、あるいはクラブチームで活躍の機会を得るということもある。現在プロ野球で活躍している選手のキャリアを紐解くとほとんどそれなりのステップを踏んでいる。次のステージにすすめるということはなにがしかの注目を集めるだけの選手であるということだ。
野茂英雄には輝かしい球歴はなかった。大阪府大会ではベスト16どまり。プロから誘いを受けたらしいが、社会人野球に進む。都市対抗野球に出場し、日本代表としてソウルオリンピックに出場、銀メダルを獲得する。一躍アマチュアナンバーワン投手としてドラフト1位指名を受け、近鉄バファローズに入団する。1989年のことである。
独特な投球フォームといい、そのキャリアといい、突然変異的に野球のヒエラルキーに飛び込んできた野茂英雄は、日本的精神論的献身的野球に無縁な存在であり、周囲に惑わされることのない孤高のエースだった。メジャーリーグに挑戦したことも野茂の野球人生においては至極当然のことだったのではないだろうか。もちろん野茂は何も答えてくれないだろうが。

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