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2024年7月13日土曜日

三島邦彦『言葉からの自由』

三島邦彦の著書を読む。
これまで多くのコピーライターの本を読んできた。そのなかで谷山雅計『広告コピーってこう書くんだ読本!』(この本は最近増補新版が出ている)と小霜和也『ここらで広告コピーの本当の話をします。』の二冊が印象に残っている。
三島のこの著書は理路整然と系統立てた構成を持っているように見えない(もちろん徒然なるままに書かれた本が刊行されることは滅多にないのだが)。コピーについて、言葉について思いついたまま書き連ねていったような印象を受ける。
「書くことは思い出すことに似ている」という。人は文章を書くとき、自らの人生に積み重ねてきた記憶を掘り起こす(文章じゃなくたって、区役所の書類だって、氏名、住所、生年月日を思い出しながら書いている)。


「記憶の中に散乱する言葉を丁寧に拾い集めるようにしてコピーは書かれる」


的確な指摘である。
またコピーを書く上でつくった自分なりの原則を紹介している。


「12歳までの言葉で書くことだ」


コピー年鑑に掲載されているコピーを眺めて気づいたという。この世の美しいものも大切なものもすべて小学生までの漢字で表現できる。
さらにはスキーマにふれる。
スキーマとはひとつの言語の、それぞれの状況で瞬時に身体が反応するような、身体に埋め込まれた意味のシステムである。seeかlookか、hearかlistenが英語を母語とする人は頭で考えることなく無意識に使い分けている。違和感なく聴きとることができる。このようなスキーマは広告コピーにもあるのではないかと三島は言う。そして広告コピーのスキーマを身につけるにはコピーライターの書いた本を読んだり、養成講座などでプロのコピーライターの生の声を聴くことが必要だ。
本書はいつも身近に置いておいて、ときどき拾い読みするといい。コピーライターを目指す者はまず過去のコピー年鑑を頭の中に叩き込み、次のこの本を叩き込むべきだと思う。

2024年6月16日日曜日

勝浦雅彦『ひと言でまとめる技術』

近い将来、広告の仕事からリタイアする。それでも広告の本はときどき読むようにしている。コピーやデザイン、映像、コミュニケーションに関するものである。
以前はすぐれたコピーはどうすれば書けるかみたいな内容を自らの経験を踏まえて語られる本が多かった。広告制作のプロフェッショナルがその分野の初心者や志望者に向けて書いていた。最近はコピーを書くためというより、コミュニケーション能力を向上させるための指南書といった趣の本が増えている(ような気がする)。プロのコピーライターが若いコピーライターに向けて、というよりもっと幅広く学生や若いビジネスマンに役立つスキルを提供している。
プレゼンテーションというと広告関係の仕事をしている人にとってはクライアントのコミュニケーション課題にどのような基本的な考え方(ストラテジー)を持って、どう具体的に解決をはかっていくか(表現)を提案する場である。絵コンテやカンプを提示して広告主の理解と納得を得ることが最終的なイメージである。これは広告業界のプレゼンテーションの一例に過ぎず、世の中のどんな業種であれ、依頼主の課題解決のための提案作業は存在する。これら世に数多いるプレゼンターはすぐれたプレゼンターではあるもののプレゼンテーションそのものを語る専門家ではない。もちろんスティーブ・ジョブズのようなクリエイティブな人間もいるにはいるが。
その点、広告クリエイティブを生業としてきた者は「わかりやすく伝える」プロフェッショナルでもある。
著者勝浦雅彦は広告会社の営業からキャリアをスタートさせた。その後クリエイティブの世界に身を投じ、幾多のプレゼンテーションを通して、言語化力、伝達力の重要性を学んできた。それらの経験をとりまとめて後世に遺しておくことは広告制作のプロフェッショナルが果たさなければならない社会貢献なのではないだろうか。
そんなことを思わせる一冊である。

2023年7月18日火曜日

小藥元『なまえデザイン 「価値」を一言で伝える』

欧米ではどんな小さな道にも必ず名前が付いていて、その道の何番目かという数字が住所になると聞いたことがある。すべてがそうとは限らないだろうが、なんとかストリート、なんとかアベニューの何番という住所はよく見かける。日本の場合はある一定の区画に町名を付けて、さらに何丁目と区分していることが多い。道が境界線になっている。道一本隔てただけで○○町は、東○○町になったり、本○○町になったりする。
運動不足解消のために時間を見ては近隣を歩く。もっとも気温が40度近くになる猛暑日は避ける。ここ一週間くらいはほとんど歩いていない。道を歩きながら思うのは、その道の名前だ。幹線道路やバス通りでもない限り、普通の道に名前はない。都心に行けば、たとえば番町文人通りとか赤レンガ通りといった名前を持つ道を見かけるようになる。昭和通りと並行する道はいつしか平成通りと呼ばれている。
ウォーキング中はラジオを聴いていることもあるが特にすることもないので今歩いている道はどこにつながっているんだっけなどと地図を頭に描きながら歩く。この先には○○小学校があるから、○○通りと呼ぼうとか、小さな教会があるから教会通りと呼ぼうなどと勝手に命名している。不思議なことに道に名前が付くことで少しあんしんした気分になる。自分がどこを歩いているのかがわかるってだいじなことなんじゃないかと思うのである。
著者は大手広告会社でコピーライタとして経験を積んだ。とりわけネーミングといって名前を付ける仕事を得意としている方らしい。それまでなんでもなかったできごとなどに名前が付けられることで新たな発見が生まれ、人々のかかわり方が変わる。結果として新しい価値を生む。どうやらそういうことがたいせつらしい。
ただ名前を付けるだけじゃなくて、名前を付けることで世界を変えていく一連の仕事を著者は「なまえデザイン」と呼んでいる。なかなか楽しそうな仕事ではないか。

2023年5月21日日曜日

東京コピーライターズクラブ、鈴木隆祐『コピーライターほぼ全史』

1980年代にコピーライターブームがあった。僕は当時、小さな出版社にでも潜りこんで編集者になろうと思っていた。
大手広告会社でグラフィックデザイナーを経て、やはり大手の出版社でエディトリアルデザイナーでもあった叔父からコピーライターをめざせとアドバイスをもらった。そこで通いはじめたコピーライター養成講座。思っていたほどコピーは書けなかった。出される課題は橋にも棒にもかからない。唯一、たまに佳作として選ばれるのはラジオCMの原稿だった。話しことばより書き言葉の方が得意だと思っていたのに。
電波媒体の広告制作を仕事とするようになったのにはそんな経緯がある。
かつて広告制作に携わる人はアートディレクターと呼ばれていた。アートもだいじだけど、メッセージもたいせつだよねってことで昭和30年代、それまでの広告文案家はアメリカから輸入されたコピーライターという単語で呼ばれるようになった。コピー十日会を前身とする東京コピーライターズクラブが誕生したのもこの頃である。
この本の最初の方に登場してくる方々は、僕が30歳くらいの頃の上司の上司である(僕の上司もTCCクラブ賞をかつて受賞している)。それから若い世代が台頭してきて、スターがあらわれ、名作コピーの数々が誕生した。商品の差別化が難しくなってきて、広告も少しずつ変わってきた。その変化をいちはやく捉えてヒットCMをつくりだす若きコピーライターまでこの本は網羅している。
磯島拓矢の項に「北海道国際空港(現AIR DO)」とあった。おそらく校正漏れだろう。著者はジャーナリストであるという。致し方ないところであるが、コピーライターなら広告主名はまず間違えることはない。タイトルにある「ほぼ」とは、こうした不完全なところがありますよ、ということか。
まあ、別に目くじら立てて非難するわけではもちろんない。完璧な文章は完璧な絶望と同じくらい存在しないのだから。

2023年5月9日火曜日

中山淳雄『エンタメビジネス全史 「IP先進国ニッポン」の誕生と構造』

先月、フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律案)が成立した。コロナ禍で菅義偉前首相がエンタメ業界はフリーターが多く関与していて、その処遇を改善したいと語っていたことを思い出す。もちろんこれはフリーランスの言い間違いだろう。
今いる会社はテレビCMをはじめとした映像を制作している。ここのところ訳あって、その歴史を調べている。過去を振りかえるといろんな業種で賞を受賞している。CMの世界にはすぐれたCMを評価するコンクールが昔からあったのだ。
入賞作品を見てみると、食品、電機や精密機械のメーカー、男性用かつら、保険・銀行など金融関係、エステティックサロンなど幅広い。小さい会社ながら、かつては自動車でも入賞作品がある。
賞とはあまり縁がないが、ここ20数年でゲームの仕事が増えている。ゲーム好きのプロデューサーがいるせいもあるだろう(どの制作会社にもいるのだろうが)。僕自身はゲームとは無縁の生活を送っているので仕事にかかわることはほとんどない。近年の制作台帳を見てみるとドラゴンクエスト、バイオハザード、モンスターハンターなどゲームのことをまったく知らない僕でも聞いたことのあるタイトルが並ぶ。
少しはエンタメビジネスを知ろうとこの本を手にとってみた。ここで対象となるエンタメは「興行」「映画」「音楽」「出版」「マンガ」「テレビ」「アニメ」「ゲーム」「スポーツ」の9つの分野。大別するとコンテンツ市場、スポーツ市場、ライブ市場に分けられる。とりわけ興味を持って読んだのは「ゲーム」であるが、一時衰退したと思われる「音楽」「映画」「テレビ」などが思いのほか健闘している、成長している。
エンタメ世界はこれからの日本を支えていく産業になるのだろうか。ちなみに世界のゲーム市場は2025年に30兆円規模になると予想されているそうである。ゲームを知らない僕にはまったく想像しがたい。

2023年3月13日月曜日

小幡章『CM制作ハンドブック』

1980年代後半まで、テレビコマーシャルはCFと呼ばれ、文字通りフィルムで撮影され、フィルムで仕上げられていた。その後、撮影はフィルム、編集以降仕上げの工程はビデオで行われるようになる。今ではデジタルカメラで撮影し、デジタルデータを加工するプロセスになっている。フィルムで制作されていた時代はほぼ映画製作の現場と変わらなかったのではないか。
もっと探せばあるのだろうけれど、フィルムでTVCMをつくっていた頃の資料は多くない。制作技法は進歩している。昔の制作方法を記述した書物が有用だとも思えないし、映画関係の文献もテクニカルなことより、コンテンツを主題にした方が断然有意義であるし需要も多いだろう。
そんななかでこの本を見つけた。1990年に発行されている。ちょうどフィルム撮影ビデオ仕上げが一般的になってきた時代である。撮影したフィルムはその日のうちに現像所に運び込まれ、翌日現像し、ポジにプリントされたラッシュを試写する。そんな工程も書かれている。なつかしい。ラッシュはOKカットを選び出した後、「パタパタと通称される」編集機でつながれる。ムビオラ35ミリフィルムビューワーのことだ(僕はムビオラをパタパタと呼んだ記憶はないが)。ムビオラの他にも長編映画の編集で使用されるスタインベックという編集機もあった。
0号チェックにもふれらている。0号チェックとは初号プリントをあげる前の段階として編集されたネガフィルムをそのままポジに焼き付けたプリントをベースに色補正を行う作業である。ねらい通りの色調に仕上がっているか、各カットごとの整合性はとれているかといった視点からカメラマンが中心になって以後プリントする際の注意事項、指示事項を決めていく。初号納品前日の厳かな儀式のようだった。
TVCMの世界にも映画の世界にもこうしたプロセスを記憶する人はやがていなくなることだろう。月日の流れとはそういうことだ。

2023年2月25日土曜日

宣伝会議編、阿部正吉監修『CM制作の基礎知識 プランニングからオンエアまで』

テレビコマーシャルのプロデューサーというと弁が立って、行動力のある人が多い。僕の周囲にいたプロデューサーだけなのかもしれないが。
広告会社のクリエイティブの方で発想法やヒット広告づくりのヒントになるような本を書く人はいるが、CM制作の現場の人間はなかなか実体験を書いたりしない。TVCM制作の、理論ではなく実際に関する書物が少なかったのはひとつには書き手がいなかったからではないだろうか。
この本が発行されたのは1996年。80年代半ばまでTVCMは35ミリフィルムで撮影され、ラッシュを編集し、オプチカル(光学処理)作業を経て完成し、16ミリフィルムにプリントされていた。そのうちに撮影後現像されたネガフィルムをビデオテープに転写して、編集や録音をするようになる。90年代半ばくらいまではこうした手法でつくられていた。90年代半ばくらいになるとコンピューターが身近なものになる。データ化された映像はハードディスクに記録され、編集も録音もデジタルデータとしてスピーディーに加工されていく。著者がこの本を書いたのはちょうどその頃だ。
以降、TVCM制作はデジタルベースで行われる。デジタル主流ということは日進月歩の波に吞み込まれていくことを意味する。新たな技術が生まれ、定着し、コモディティ化されると次なる技術が定着してくる。HDで収録されていた動画も今では4Kがスタンダードである。4Kの膨大なデータを収録できる大容量のストレージが一般的になったことが背景にある。
近年、現場レベルで描かれたTVCM制作の本がほとんどないのはテクノロジーの進歩と無関係ではないだろう。記録しているうちにそれまでのスタンダードはどんどん刷新されていく。そういった意味からすればこの本は1990年代半ばまでのTVCM制作の実際を記した貴重な資料であると言える。欲を言えば、もう少し丁寧な校正が必要だったとは思うけれど。

※この本は2001年、2003年、2006年に改訂新版が発行されている。

2022年11月11日金曜日

高野光平『発掘! 歴史に埋もれたテレビCM 見たことのない昭和30年代』

一般財団法人ACCが日本広告主協会、日本民間放送連盟、日本広告業協会によって組織されたのが1960年。テレビコマーシャルのすぐれた作品を表彰するACC賞(ACC CMフェスティバル)はその翌61年からはじまった。それまでアニメーションによるCMが多数を占めるなか、実写 CMが増えてきたのが昭和30年代後半である。テレビCMがより身近なものになって、その質が意識されるようになった時代なのかもしれない。
以前、ある広告大手のクリエイティブディレクターが「忘れらてしまうメディアでどう忘れさせないようにするかがCM制作のいちばんのポイント」というようなことを語っていた。印刷媒体の広告と電波媒体のそれの大きな違いはここにある。
著者は茨城大学人文社会学部教授。昭和草創期のテレビコマーシャルに関する著書も多い。昭和30年代のテレビCMはそのほとんどが現存していない。まさに「忘れられて」しまった広告なのである。それでも方々探しまわってアーカイブを見つける。ほとんどが日本最古のCM制作会社といってもいいであろうTCJ(Television Corporation of Japan)に保管されていたというのだ。京都の大学でアニメーションの研究資料として貸与契約を交わしてデジタル化したらしい。
昭和30年代半ばに生まれた僕には本書で紹介されているCMはまったく憶えがない。ただ自分が生まれて物心がつく前、大人たちはこんな暮らしをしていたんだなと思うだけである。
著者は言う。昭和30年代の硬直化した歴史イメージをときほぐし、忘れられた消費生活のプロトタイプ=昭和30年代の多様性とディテールを重視するために歴史に埋もれたテレビCMを掘り起こしているのだと。
誰の記憶にも遺されていないテレビCMたちから時代を読み解くという作業は興味深い反面、途方もない仕事である。テレビCMの考古学といってもいいだろう。

2022年8月21日日曜日

西武アキラ(絵)こざきゆう(文)矢野貴寿(企画・原案)『いえのなかのぼやき妖怪ずかん』

20年くらい前、外資の保険会社のテレビCMをつくっていた。
いつものCMプランナーが大阪から来たという若いコピーライターを紹介してくれた。彼の書いたナレーション原稿をもとに企画の打合せをし、いつしかその仕事は終わっていた。手頃な保険料、手厚い保障をタレントが一方的に語り、フリーダイヤルの番号に資料請求を促すCMだった。収録の現場で熱心にモニターを見入っていた(聴き入っていた)コピーライター氏を思い出す。
少し後で僕が主にテレビCMを担当していた製薬会社のラジオCM原稿を彼が書いていたことを知る。広告主の言いたいことを20秒にまとめさえすればいい。つくり手にとっておもしろくない仕事だ。若きコピーライター氏も会社員だし、こういう仕事もこなさなければならないのだろうなあと思っているうちに、彼が宣伝会議賞(というコピーライターの登竜門的な賞がある)を獲ったと聞く。やるなあ、と思っていたら、今度はTCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞を受賞する。そして大阪へ帰って行った。そのわずかな東京勤務時代に僕はこの本の原案を担当した矢野貴寿と出会ったのである。
その後も僕は矢野貴寿の仕事に注目していた。電通のコピーライターとしては当然なのかもしれないが、とにかく勉強熱心なのである。人一倍努力家である彼の書くコピーはけっして奇抜なものではない。人をよく観察していて、ああこれってあるよねといった身近なシーンを見い出しては静かに語る。すぐれた目と耳を持っていることはそのコピーを見ればわかる。
この絵本もそうだ。妖怪は非科学的存在。見えないものの見える化された存在だ。心のなかで何となくもやもやしていた気持ちをさりげなく顕在化する。これって「気づき」をたいせつにする矢野貴寿のコピーライティングの作法だ。
矢野貴寿のなかには企業の課題を見出し、コミュニケーションをなめらかにする妖怪がきっと、棲んでいる。

2022年5月25日水曜日

安藤元博『広告ビジネスは、変われるか? テクノロジー・マーケティング・メディアのこれから』

長く広告の仕事に携わってきたが、広告の未来は、などと訊ねられてもおいそれとは答えられない。僕が主として関わってきたのは広告表現の企画立案、所謂クリエイティブであって、実をいうとそれ以外のこと、メディアやマーケティングのことなどはまったくの素人同然である。
ここ10年ほどで広告やマーケティングの世界にもデジタルの波は押し寄せている。費用対効果の高いメディアを瞬時に選択し、効果的な表現をたえず見直し、スパイラルアップさせて、興味関心のある潜在的な顧客に有効な情報をタイミングよく刷り込んでいく、みたいなことが行われるようになってきている。
これまで主にテレビCMの企画を主にしてきた。ざっくり不特定多数に情報を届けるこのメディアはデジタルの真逆にあった。テレビCMが完成し、オンエアされる。クライアントからは話題になっているとか、注文が増えているとか、社内の評判がいいなどと言われる。それでいて半年後には再び複数の広告会社と競合プレゼンテーションの知らせが来る。広告、とりわけテレビCMに対する厳密な効果測定は、少なくとも僕たちの時代には行われ得なかった。よく伝わる表現があったとしても、しかるべき時間帯にある程度の出稿がなければ、それは届かない。大量に出稿される広告であっても、魅力のない表現、あるいは反感を買うような表現ならばマイナスの効果しか残さない。広告が効果的に迎え入れられるためにあらゆる要素を効果的に組み立てなければならないのだ。そうした意味からするとデジタル化された広告ビジネスは昔にくらべ、格段の進歩を遂げるだろう。効果が測られることによって、表現が萎縮しなければいいと思うし、クリエイティブに携わる人たちのモチベーションが下がらなければいいと思っている。
この本では統合マーケティングのプラットフォームが語られている。専門分化と統合という難しい課題に広告ビジネスはさらされている。

2022年5月23日月曜日

指南役『黄金の6年間 1978-1983 素晴らしきエンタメ青春時代』

今年は沖縄返還50年にあたる。NHK朝の連続ドラマも沖縄を舞台にしてはじまった。
先日の新聞に石垣出身の元ボクシング世界チャンピオン具志堅用高のインタビュー記事が載っていた。沖縄が日本に復帰した年、インターハイに出場するため具志堅は本土に渡る。パスポートはもう要らなかった。
その4年後、1976年10月10日。高校の文化祭が終わった夜、僕はひとり飯田橋でラーメンを食べていた。店内のテレビはボクシングの試合を中継していた。テレビから沸き起こる歓声に加えて、店にいた多くの客たちもどよめく。WBA世界ライトフライ級チャンピオン具志堅用高誕生の瞬間だった。
JR飯田橋駅から九段に向かって歩く途中に「ひろかわ」というとんかつ屋があった。後で知ったことだが、石垣島から上京した具志堅はこの店でアルバイトをしていたという(僕も駅前で何度か見かけたことがあった)。その日歓声を上げたラーメン屋のお客さんは地元で働く具志堅をずっと応援していた人たちだったに違いない。
著者の指南役によれば、「黄金の6年間」とは1978年から83年までの6年間をさす。東京が最も面白く、猥雑でエキサイティングだった時代、音楽や映画、小説、テレビ、広告、雑誌などメディアを横断してさまざまな分野のクロスオーバー化が進み、新たな才能が生み出された時代であるという。TBSテレビで「ザ・ベストテン」や「3年B組金八先生」がはじまり、村上春樹が小説を書きはじめた時代だ。
こういった時代区分は恣意的なものが多いと思われるが、事例が多く積み重ねられることによって不思議と説得力が生まれてくる。それと同時にこの6年間の前後の時代にも光が射し込んでくる。とりわけ黄金時代の夜明け前は興味深い。
どういうわけか、この本を読み終えて、具志堅用高の世界王座奪取を思い出した。それから1年と2ヶ月。黄金の6年間がはじまる。そして4月に僕は大学生になった。

2022年4月15日金曜日

斎藤太郎『非クリエイターのためのクリエイティブ課題解決術』

クリエイティブディレクター(CD)という呼び名はいつ頃生まれたのだろう。
小さなCM制作会社から小さな広告会社に移籍したときのCDは博報堂から電通に移籍した方で昔話をよくしてくれた。その頃、仕事のほとんどが新聞広告や雑誌広告だったから、文案家と意匠家で原稿をつくっていた。彼らにディレクションし、最終チェックをするのはアートディレクター(AD)の仕事だった。古い広告の本をながめると広告表現をつくるリーダーはADだった。杉浦非水も山名文夫も新井静一郎も向秀男もその肩書はアートディレクターだった(と記憶している)。
ADたちはいちはやく東京アートディレクターズクラブという会を起こす。文案家たちがコピーライターの会をつくったのはそれから数年後である。広告表現のなかでビジュアルに加えてメッセージの重要性が認識されはじめた頃かと思われる。意匠家はグラフィックデザイナーと呼ばれるようになって、ADの仕事を支えた。
おそらくそのような戦後広告の黎明期にクリエイティブディレクターという概念はつくられたに違いない。
CDになるためには、グラフィックデザイナー、コピーライター、CMプランナーという修行的立ち位置で何百案ものラフアイデアを書いて、何百というだめ出しをもらってたどり着く必要があった。今でもそういったキャリアアップの仕方はあるが、企業のコミュニケーション構築における広告クリエイティブの比重が大きくなったのか、広告ビジネスを支えるリーダーがCDとしてまさしくディレクションするケースが増えている。
著者の斎藤太郎は電通の営業局出身。(おそらく)コピーやサムネイルを一枚たりとも書いた経験はないだろうが、営業担当として、あるいはメディア担当として広告主と日々対峙してきた経験を持つ。具体的な表現づくりは表現を専門とするCDとともに動く。
広告主と夢を共有し、情熱と強い責任感をもった人ではないかと思う。

2022年3月19日土曜日

勝浦雅彦『つながるための言葉』

3月19日は叔父の命日である。
ちょうどお彼岸の頃でもあり、墓参りをするのを常としている。誰が供えたか、赤いチューリップが花立てに挿してあった。何年か前には黄色いチューリップが供えられていた。赤いチューリップも黄色いチューリップも叔父の仕事に所縁がある。生前をよく知る方が供えて行ってくれたのだろう。
広告の仕事をしているのだから、広告に関する本を最低でも月に一冊は読まなければいけない、30年くらい前に広告会社の大先輩にそう教えられた。最近はとんとご無沙汰である。去年は10冊ほどしか読んでいない。
広告の本といってもマーケティングやメディア、プロモーションなどなど幅が広い。主に読むのはクリエーティブに関するものだ。たいていの場合、著者はヒットCMやビッグキャンペーンを手がけた人で自身の方法論を披露している本が圧倒的に多い。ふむふむなるほどと思うものの、時間の経過とともに記憶は薄らいでいく。あの本はよかったなあと後になって思い出すこともさほどない。
筆者は学生の頃からコピーライターを志望していたという。いくつか広告会社を経験し(最初は営業だった)、現在は電通のコピーライター、クリエーティブディレクターである。若い頃から苦労をされた方なのではないかと思う。たくさんの本を読んでいて、それを血肉としている。少なくとも僕にはそう見える。コピーライターとしての仕事はほとんと知らなかったがTCC(東京コピーライターズクラブ)のサイトで見てみた。じんわりとしたいいコピーが並んでいた。言葉の一つひとつを丁寧に紡ぎ合わせているようだ。
筆者はあるときコピーライターをめざしたかもしれないが、本当に望んでいたのは言葉を通じて素敵な関係を構築することだったのではないか。「他者への敬意と愛情によって、つながる言葉をつくる」というのがこの本の大きなねらいだ。その願いはじゅうぶん叶えられていると思う。

2021年10月26日火曜日

秋山具義『世界はデザインでできている』

先日、世田谷文学館でイラストレーター安西水丸展を観、今月は東京オペラシティアートギャラリーで和田誠展を観た。どちらも全国を巡回する国民的展示である。安西にはイラストレーターという肩書きが付いているが和田にはない。和田誠はアートディレクターであり、装丁家、絵本作家、アニメーション作家、映画監督、作曲家とまさにマルチな分野で活躍してきた。基本はイラストレーターに違いないけれど、彼の活動の数々を規定する言葉は見出しにくかったのだろう。
一線で活躍する以前の少年時代のスケッチや絵日記なども展示されていた。安西水丸もそうだったが、絵を描くことが本当に好きだったんだなということがよくわかる。子どもの頃から似顔絵が得意だったようだ。先生や友だちの似顔絵が多く遺されている。会ったことも人たちばかりなのに、どことなく似ているなと思えてしまう。
和田誠はライトパブリシティ時代の日々を『銀座界隈ドキドキの日々』という本に綴っている。映画を愛する彼は当時新宿にあった日活名画座のポスターを描き続けた(無償で)エピソードをそのなかで紹介している。青年和田誠の仕事が大きなパネル一面に展示されている。圧巻である。
ちくまプリマー新書は若い世代を対象に普遍的でベーシックなテーマを掘り下げるシリーズである(プリマーとは初歩読本、入門書という意味だ)。初学者や若者を対象にしているとはいえ、大人が読んでもためになる本も多い(菅野仁『友だち幻想』などは思わずうなってしまうほどの一冊だった)。
不勉強な僕は秋山具義という名前を知らなかった。知らなかったけれど読んでみるとデザインというひとことで語るには難解なテーマをやさしく説き明かしている。筑摩書房はなかなかいい人選をしたのではないかと思う。
若い人に限らず、たとえば広告やデザインの仕事をはじめたばかりの人たちにも秋山具義はわかりやすく声をかけてくれるに違いない。

2021年9月24日金曜日

岩嵜博諭、佐々木康裕『パーパス 「意義化」する経済とその先』

5月だったか6月だったか、とある企業のパーパスを認知させるための動画を企画した。
パーパスとは存在理由、存在意義のこと。企業が何をしているか、どうしているかではなく、なぜ企業として存在しているかを問うたメッセージである。ミッション(使命)やビジョン(めざす未来の姿)とは少し違う。これまで多くの企業が最上位概念としてビジョンを策定し、そのためのミッションを宣言し、経営計画、事業戦略を練ってきた。パーパスはさらにその上、ピラミッドの頂点に位置する。
そもそも何のためにビジネスを行うのかという視点が生まれた背景には消費者がモノを買うだけの消費者から社会をよりよくするために消費する市民に変化したことがあげられる。こうした変化を支えているのがミレニアル世代(1980~95年生まれ)、Z世代(1996~2015年生まれ)と呼ばれる若い世代である。彼らにとって企業の存在意義は株主価値最大化ではなく、社会をよりよい方向に進化させることであるという。地球環境、消費者の価値観、企業間の競争環境の変化のなかでパーパスは重視されてきている。
社会をよりよくしようという取り組みはすでに進められている。持続可能な資材を使った製品開発、使い捨てをやめて修理再生可能な製品やサービスの確立など、この本には多くの事例が紹介されている(ファッション関連が多い)。またパーパスを起点にして社会的な責任を果たす企業が従来の行政に代わって公的活動を提供することも予見されている。なかなかスケールの大きい話であるが、実現すれば世界は大きく変わっていくような気がする。
さて、パーパス動画の企画であるが、手さぐり状態であれこれ模索し、立案し提案した。残念ながら競合プレゼンテーションに敗れ、不採用だった。もう少し事前にパーパスのことを学んでおけばよかった。あまりにも不勉強であったことは否めない。
終わってみてわかることがよくある。

2021年7月27日火曜日

斎藤三希子『パーパス・ブランディング 「何をやるか?」ではなく「なぜやるか?」から考える』

オリンピックの卓球で金メダルの可能性があるとすれば、混合ダブルスではないかと思っていた。
可能性があるといっても中国ペアの壁は厚くて高い。決勝はこてんぱんにやられるのではないか、0-4でしかもトータルで20得点も取れないのではないか、30分で試合が終わるのではないか、そんな思いで視ていた。
第一ゲーム、第二ゲーム。伊藤美誠が完璧に分析されている。中国選手になんどか勝ったことのある選手は徹底的にマークされる。似たタイプの選手をさがしてきて、いいところわるいところを洗い出し、弱いところを攻める。水谷が序盤つなぐことに徹していたこともあり、とりわけ伊藤を完璧に理解しているリウシーウェンが水谷から返される簡単なボールをとらえ、伊藤の弱点を徹底的に狙いうちした。
第三ゲームから流れが変わる。水谷が修正する。ナックルドライブ(水谷は回転をかけるフォームで回転をかけないボールを得意としている)で中国ペアをゆさぶる。フォアハンドにこだわり、台からはなれて強打をくりだすシュシンの裏をかく。強豪中国に一矢報いる方法論が見つかる。気持ちが前を向く。
これで常勝中国が浮足立てば、ミスも出てくる。案の定、スピード・パワー・回転に勝るシュシンもリウシーウェンも本来の卓球ができなくなっていく。
電通の佐々木康晴がここ数年、表現アイデアやクラフトではなくパーパスの戦いになっていると先月のカンヌライオンズ*のアワードの結果を受けて語っているように、広告クリエイティブの世界はパーパス=企業の存在理由の時代になりつつある。なにをやるか、どうやるかではなく、なぜやるのか?本音と建前が共存する日本でどこまで浸透するかわからないが、とても腑に落ちる考え方だと思う。
それはともかく、2006年の全日本優勝以来10年以上にわたって日本の卓球を支えてきた水谷隼に金メダル。卓球の神様もまだまだ捨てたものじゃないと思った。

*カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル
One Show、Clio Awardsとならぶ世界三大広告賞のひとつ。毎年6月フランスのカンヌで開催される。

2021年7月18日日曜日

原研哉『デザインのデザイン』

長いこと広告制作の仕事にたずさわっていながら、グラフィックデザインに関しては不勉強なままである。
広告コミュニケーションは人を動かすことがたいせつでその際いちばん重要なのはメッセージなのだとずっと考えてきた。デザインはそのなかの一パート=ビジュアルに過ぎない。そんな誤った歴史認識を持ち続けていた。誤った歴史認識というのは大げさな言い方ではあるが、そもそも広告の原点はデザイン=ノンバーバルなコミュニケーションだった。どのようにして伝わる広告をつくるかといった視点で広告をつくっていたのはグラフィックデザイナーであり、アートディレクターだった。アートディレクターという概念を日本に導入したのは新井静一郎と言われているが、くわしいことは忘れた。たしかに古い広告を見ると制作者は杉浦非水、山名文夫などグラフィックデザイナーである。
コピーライターが存在感を増してくるのは昭和でいえば30年なかばか。花王の上野壮夫、森永製菓の村瀬尚、資生堂の土屋耕一、電通の近藤朔らが東京コピーライターズクラブの前身であるコピー十日会を発足させたあたりである。この頃から広告制作の作家としてのコピーライターが意識されはじめた。
グラフィックデザインの世界では戦後間もない昭和26(1951)年に日本宣伝美術会(日宣美)が設立される。日宣美の作品公募は若いデザイナーたちの登竜門としてすぐれた人材発掘の場となった(残念ながら、20年にも満たないうちに公募は中止され、日宣美も解散してしまったが)。
著者原研哉は1958年生まれ。日宣美の時代のデザイナーではないが、若い頃から多くの巨匠と呼ばれるグラフィックデザイナーたちと同時代を生きてきたことが文章から感じられる。日本のグラフィックデザインの流れのなかにあって、きちんと歴史を見つめてきたグラフィックデザイナーのひとりであることがうかがえる。たいへん勉強になった。

2021年6月29日火曜日

岡本欣也『ステートメント宣言。』

コピーライター岩崎俊一が旅立って、もうすぐ7年になろうとしている。
前に書いたかもしれないが、すぐれた広告表現というものは発明ではなく、発見であると岩崎俊一は言っていた。何度か事務所で打合せをしたことがあるが、氏はひたすら資料を読み、広告会社の営業担当者の話に耳を傾けた。若いCMプランナーが考えたアイデアを吟味した。今回与えられた課題にみんなどう対応しているのかを。その間、鉛筆を手にとることはなかった。とにかく人の話を傾聴していた。
岩崎事務所の打合せスペースの端にデスクが置いてあり、そこには氏の弟子とおぼしき若い男がいつも座っていた。打合せに参加するでもなく、ひたすら何かを書くでもなく、じっと机に向かっていた。彼の書いたものを見たこともなければ、声すら聞いたことがなかった。書生のようでもあった。20年以上昔のことである。
それから何年かして、書生は独立した。日本たばこ産業(JT)のマナー広告「あなたが気づけばマナーは変わる。」が話題を呼ぶ。コピーライターは岩崎事務所の書生、岡本欣也だった。
この本は広告コピーの指南書という体裁をとりながら、著者の岩崎事務所時代が描かれている。彼は岩崎俊一から指導を受けた経験がほとんどないという。長いこと、打合せルームの隅に置かれた机に座り、岩崎俊一の声にじっと耳を傾けていたのだろう。毎日、毎日、岩崎氏のことばが彼の体内にうっすら積もってゆき、分厚い地層をつくった。その地層の下に蓄えられたエネルギーが自然発生的に噴出した。いつしか岩崎俊一同様、言葉を発見する術をおぼえたのだ。まさに「門前の小僧習わぬ経を読む」の世界である。
それにしても岡本欣也の岩崎俊一にそそぐまなざしがいい。もちろん僕はさほど岩崎大先生のことは知らないけれど、非常に難解な人であったことは容易に想像がつく。なにものにも代えがたい経験を積ませてもらった氏への感謝の気持ちにあふれている。

2021年5月22日土曜日

伊藤公一『なんだ、けっきょく最後は言葉じゃないか。』

戸越銀座商店街で吉岡以介にまたしてもばったり出くわした。
脳疾患で倒れた母親を郊外の施設に入所させたが、区の施設に空きがあって入所できることになり、その手続きのために戸越銀座に来たという。たいへんだなというと、特養(特別養護老人ホーム)の人たちはみんな親切で、仕事に誇りを持っている。母親も保護者も等しく大切にしてくれる。問題があるとすれば面倒な手続きを強いる行政だという。なにそれ、と訊ねると、実家のある区の施設に入るにあたり、転居届を出すといいと施設に言われて窓口に行ったのだが、本人ではないから委任状が必要だという。委任状が書けるくらいなら窓口まで連れてきますよ、書かせて書けないことはないだろうが何年かかるかわかりません、あなたたちの仕事は行政サービスをすることなんじゃないですか。区民の状況を理解してあげるスタンスはないんですか。
吉岡は窓口で食い下がったという。
向こうも折れて、備考欄に委任状が書けない旨をくわしく書いてくれという。吉岡は、母親の病気に至る経緯や現在の様子など書き連ねたという。で、その書類を渡すと代理人の本人確認が必要だという、免許証を見せる。するとさらに親子関係がわかる書類、たとえば戸籍謄本が必要だという。
吉岡はいつも持ち歩いている母親の医療介護関係の保険証やら銀行の通帳、印鑑を見せたらしい。母の名前のこれだけの書類を持ち歩いていても親子だとわからないんですかと訊く。
戸籍謄本が必要です。それが区役所の答だった。
コピーライティングの指南書は多い。
広告コミュニケーションのしくみを学ぶのであれば、小霜和也谷山雅計の本が役に立つと思う。この本は少し違う。著者の広告コピーに対する考え方、姿勢、哲学が語られている。コピーを書く人のための本ではなく、コピーとどう向き合っていくかを考えさせる高度な内容だ。
ある意味、理論的というより、感覚的な本に思えるのはそのせいかもしれない。

2021年4月30日金曜日

岩下智『「面白い!」のつくり方』

先日購入したラジオはなかなか優秀で海外からの電波もしっかりキャッチしてくれる。
ラジオの優秀さについてはくわしく知らない。通信型受信機だと何マイクロボルト以下などと仕様書に記載されているが、このラジオには数値表示はない。聴きたいと思った放送が聴きたい時間に聴くことができればそれでじゅうぶん優秀なのである。
よく聴くのは台湾国際放送。平日の夜20時から一時間、日本向けの放送がある。もちろん日本語である。このプログラムは翌日の夕17時から周波数を変えて再放送される。アジア諸国の日本向け放送はこのほか、中国国際放送、KBSワールドラジオ(韓国)、ベトナムの声放送、朝鮮の声放送(北朝鮮)、モンゴルの声放送などがある。時間帯が合わなかったりもするので聴いていない放送も多い。
以前に使っていた小型ラジオも短波帯を聴くことができたが、ロッドアンテナをいっぱいに伸ばしても、ちょっと物足りなかった記憶がある。外部アンテナ端子がなかったのでロッドアンテナにビニール線を巻きつけたりなどしたものだ。
台湾国際放送ではニュースや音楽番組などを聴く。新型コロナウイルスの新規感染者が一日にひとりであるとかふたりいたなどと報道されている。みごとに封じ込めた国なのだと思う。音楽番組では日本のヒット曲のカバーがときどき紹介される。中国語で聴く日本の流行歌。味わい深い。
コピーライターの書く広告本をたまに読む。この本の著者はアートディレクターである。若い頃、不勉強だった僕はアートディレクターはビジュアルのことだけを考える人だと思っていた。そもそもクリエイティブディレクターよりアートディレクターの方が歴史がある。
アートディレクターもコピーライターもコミュニケーションのアイデアを生み出すことにおいては同じように悩んでいる。とりわけ著者は「面白さ」というものときちんと向き合っている。真摯な姿勢と粘り強い考察に好感が持てる。