2021年1月30日土曜日

角田光代『私はあなたの記憶のなかに』

天気のいい午後、荻窪駅からバスに乗る。
芦花公園駅に行く関東バスである。千歳烏山まで行くのもあれば、さらにその先の北野行きもある。なんどか乗ったことがある。たいていはバス停から数分の世田谷文学館に行くときに利用する。おぼえているのは坂本九の時代の展示、たしか上を向いて歩こう展というタイトル(だったか)、和田誠展にも行ったことがある。他にも行ったと思うけれどおぼえていない。
今回は「あしたのために あしたのジョー!展」である。少年マガジンに連載された人気漫画「あしたのジョー」には夢中になった。厳密にいえば、その後テレビアニメーションになってからだと思う。四方田犬彦が1968年を検証するような書物を書いていたと思うが、子どもではあったけれど、すごい時代だった。
その傑作漫画のストーリーを、ちばてつやが描いた原画などを通して概観する。手描きの漫画原稿のなんと味わい深いことか。スミベタの筆のタッチなんか感動的だ。
タイトルの「あしたのために」は、この漫画のキーワードだった。その時代のキーワードといってもいいかもしれない。僕たちは「左ひじをわきの下からはなさぬ心がまえでやや内角をえぐりこむように打つべし、打つべし!」したものだ。誰もがみんな矢吹丈だった。
角田光代の小説をひさしぶりに読んでみる。短編集である。
そのなかの一編「おかえりなさい」を読んで、学生時代に高校の先輩に頼まれたアルバイトを思い出す。住宅街に行って、アンケート用紙をくばり、後日回収するというものだった。まずはアンケート用紙を受け取ってもらえない。回収に行っても不在であったり、まともな回答はほとんど得られなかった。結局どうしたか。ご想像におまかせするしかない。
記憶の彼方の、遠い遠い記憶であるが、もしかしたら当時歩きまわった住宅街は世田谷のこのあたりだったのではなかっただろうか。
頭のなかでジャブを連打しながらふと思い出した。

2021年1月27日水曜日

アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』

S信用金庫に入金をしなくてはならなかった。
信用金庫は都内に多くあるけれど、地域性があるのでたとえば港区を拠点にした信金と大田区を拠点にした信金とでは支店の分布が異なる。それでも信金同士のネットワークがあり、わざわざ目的の信金の支店まで出向かなくても、近くにある信金のATMで出入金や通帳の記帳が可能である。
と、思っていたのとは少し違って、信用金庫には信用金庫のグループ(派閥だろうか?)があるようで便利なのは同じグループ内に限られる。自宅からいちばん近い信用金庫ではS信金の通帳を取り扱えなかった。あまり調べもしなかった方が悪いのだが、40分ほど歩いた私鉄駅の駅前にある支店まで出向いたことがある。
先日も同じ用件で近くの提携関係のある信金をさがした。徒歩20数分のところにあるらしい。さっそく歩いて行ってみる。途中寄り道をしながら30分ほど歩く。ATMに通帳をすべり込ませる。取扱いができませんというアラートとともに吐き出される。提携していると思ったのは勘違いだった。S信用金庫とJ信用金庫が提携していないわけがないと勝手に思い込んでしまったのである。
仕方なく、スマホで近くの信金をさがす。1キロほど南に歩くと一軒ある。S信用金庫との提携関係もある。ふたたび歩きはじめる。中央線沿線なのに下町風情のある商店街を抜けると目的の信金が見つかった。そして自動ドアのガラスに貼り紙。「長らくご愛顧いただきました…」閉店している。もういちどスマホでさがす。さらに南に行って大きな街道沿いにあった。へとへとになってたどり着き、無事用件を済ます。
スマホが脳をハックしているのだという。スマホによって脳はたくさんのドーパミンを発するのだという。特に若者に与える影響が大きい。よかった、もう若者ではなくて。
スマホに依存しながら、5.67キロメートルを1時間18分ほどで歩いた。身体を動かしたせいか、その晩はよく眠れた。

2021年1月25日月曜日

慎泰俊『ルポ児童相談所-一時保護所から考える子ども支援』

都立K高校の、郊外にあるグラウンドで星野先輩に会った。
前回も書いたけれど、その人が星野さんであるとどうしてわかったのか、よくわからない。気がつくと僕は先輩の前にいて、同じ中学校から来た者だと自己紹介していた。バレーボール部の一員として今日(体育祭の前日)の準備に参加したということも(たぶん)伝えた。
星野さんは笑みをたたえたまま、僕の身体をくんくんとしながら一周する。
「うん、四中の匂いがする。なつかしいなあ。星野です、よろしく」と言った。僕らの出身校は地元で四中と呼ばれていた。それから先は何を話したか記憶はない。時間にすれば10分にも満たないような邂逅だった。
星野さんは大学進学時に社会福祉を志したと聞いている。どういうわけで福祉を学ぼうとしたのか、どうしてそのことが印象に残っているのか。たぶん当時(1970年代半ば)の若者の多くは福祉になんて関心がなかったと思うのだ。翳りを見せはじめたとはいえ、経済は成長していた。多少不景気な年があっても、まだまだそのうちなんとかなるだろうと誰もが思っていた時代である。社会福祉を学ぶ大学もそう多くなかったと記憶する。
児童養護に特に関心があるわけでもなかった。たまたま児童福祉に関する仕事があって、少しは勉強したくなっただけである。広告の仕事を長くしていると妙に広告の専門家になったような気がしてくる。それはそれで結構なことだが、むしろ広告の仕事のおもしろさは未知の領域に(素人なりに)接点を持てることだと思っている。かっこいいことを言ってみたが、せっかく出会えた分野だから、ついでに多少の知識を得ておこうという実はケチな考えなのだ。
福祉の領域は広い。高齢者、障害者、困窮者など弱者と向き合っている。児童福祉の、児童相談所の仕事もたいへんなことがこの本でわかる。
40数年前に出会った星野先輩が僕の知らなかった世界にめぐり合わせてくれた、そんな気がしている。

2021年1月23日土曜日

近藤克則編『住民主体の楽しい「通いの場」づくり 「地域づくりによる介護予防」進め方ガイド』

星野さんという先輩がいた。
高校受験が終わって、都立のK高校に決まりましたと職員室に進学先を報告に行った。当時の都立高校の受験システムは受験する時点で志望校を決めることができず、合格発表時に受験した学校群(たいてい2校か3校)のうちいずれか1校に決まる。どうしてそんなことになったのかはわからないし、わかったところで説明するのもたぶん面倒なのでしない。とにかく合格発表を見に行って、K高校に合格した(発表の場がH高校だというのも不思議なのだが、これもまた話が長くなりそうなのでしない)。
職員室では「K高か、陸上部の星野が行ったところだ」という話で少し盛り上がった。星野さんは僕の三学年上の先輩でやはり同じ中学校から都立K高校にすすんだという。「星野はどうしたんだっけ?」「福祉をやりたいとか言ってましたね、たしか上智をめざしてるって聞いてますけど」そんな話が飛び交う。三学年違うということは、入学したとき卒業した先輩である。中学時代に星野先輩に会ったことはない。
その二か月後。
都立K高校は多摩川の河川敷近くに合宿所をもっていた。野球、サッカーのグラウンド、バレーボールのコート、テニスコートと宿泊用の寮があった。体育祭はこのグラウンドを利用していた(翌年から都内の狭い校庭で行われるようになり、郊外のグラウンドで体育祭を経験したのは僕たちが最後の世代となる)。前日には運動系のクラブ部員やそのOBたちが集まってグラウンド整備を行う。何をやったか今となってはおぼえていない。草むしりとかラインマーカーで線を引く、みたいなことをしたのだろう。
どういうわけで、そこにいた陸上部の先輩が星野さんであるとたしかめられたのかはわからない。「ほ、星野先輩ですか?」気がつくと僕は今までいちども会ったことのなかった星野先輩と対面していた。
最近、仕事の関係で福祉や介護の本を読むことが多く、そのたびに星野さんを思い出す。

2021年1月15日金曜日

伊坂幸太郎『あるキング』

昨年はいちども野球を観戦しなかった。少なくともここ20年、いや30年、40年でも例のないことだ。
野球を観るもなにも試合が行われなかったのだから観に行きようもなかったし、開催された試合の多く(観たい試合の多く)は無観客で行われた。
東京六大学野球春のリーグ戦は8月に開催された。一回戦総当たり、観客は3,000人までだった。秋のリーグ戦は二回戦までで勝ち点ではなくポイント制で行われた。観客の上限は5,000人。行こうと思えば行けた神宮ではあるが、どちらかというと土日よりも勝ち点をかけた三回戦の月曜日に仕事をさぼって観るのが好きなので結局出かけることはなかった。
高校野球はセンバツも選手権も中止になり、独自大会と呼ばれる東西東京大会が開催された。春季大会も中止になったので、昨秋デビューした球児たちはいきなりの引退試合となった。秋季大会は予定通り開催されたけれどブロック予選から無観客試合になった。予選は当番校のグラウンドで行われるのだが、これも無観客。これまで多くのグラウンドを見てきた。特に西東京の郊外にある私立高校のグラウンドでのんびり観戦するのが好きだった。
無観客の大会に限らずテレビで中継される試合は大がかりな応援などもなく、打球音と拍手だけのシンプルな構成である。これはこれで野球の楽しみが感じられていい。
伊坂幸太郎は人気のある作家のようだが、これまで読んだことはなかった。例の、角田光代のおすすめとしてページをめくってみた。
架空の地方都市の架空のプロ野球チームという想定である。よく少年漫画などではありそうな設定ではあるが、小説となるとなかなか難しいものがある。書き手の力量が問われるテーマだ。まあ、架空の野球選手の話なので、打てばホームランということでもけっこうなのだが、あまりにも突拍子もない選手の出現がまるでおとぎ話のようである。
さて、現実の、今年の野球ははたしてどうなるのか。

2021年1月5日火曜日

安西水丸『東京エレジー』

正月は例年通り、何をすることもなく過ごした。
2日、テレビでドラマを視ていたら、毎年夏訪れる南房総の風景が映っていた。TBSで放映された『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』いわゆる「逃げ恥」である。
子どもが生まれ、新型コロナウイルス感染拡大のため両親の住む館山に疎開したみくり(新垣結衣)が散歩している。バックに海がひろがり、遠くに家満喜(やまき)冷凍工場が見える。家満喜さんは白浜町乙浜の大きな魚屋で、以前は木村浅廣さんが営んでいた。父の同級生で親友だった。その手前に見えるのはアヴェイル白浜というリゾートマンションだ。その裏手に父の実家がある。みくりが子どもを連れてやってきた公園は塩浦海岸沿いにある。毎年夏休みになると祖父に連れられて泳ぎに行った浜だ。今では標準語っぽく「しおうら」と呼んでいるが、地元に行くと「しょーら」という。だからテレビを視ていて、「あ、しょーらの浜だ、ここ」と思ったわけである。
次にみくりと平匡(星野源)が電話で会話するシーンがある。白浜町と隣接した千倉町の白間津である。みくりは南房千倉大橋という比較的最近できた橋の上にいる(1989年に開通しているが、少なくとも僕の子ども時代にはなかった)。平匡は橋の北側、白間津漁港あたりに車を停めている。千倉大橋の歩道には、ここ白間津で少年時代を過ごしたイラストレーター安西水丸が描いたタイル絵が埋め込まれている。
この本は1982年に青林堂から出ている。その2年前に出版された『青の時代』が千倉時代の回想であるとすれば、本書は中学卒業後上京した時代が舞台になっている。具体的な場所はわかりにくくなっているが、赤坂、護国寺、荒木町、井草、井の頭あたりか。千倉で過ごした少年時代はなりをひそめ、東京人としての安西水丸がこのあたりからはじまる。どことなくよそよそしい目で東京をながめている感じがいい。