2013年1月26日土曜日

村上春樹『アンダーグラウンド』

地下鉄サリン事件のあった1995年3月20日、僕はどこで何をしていたのか。

3月20日(晴)
連休の谷間だったが、今朝地下鉄内にサリンが仕掛けられ、その猛毒で大勢の乗客が死傷するという事件があった。テロリストによる無差別殺人事件と見られている。
今日もKは会社に来なかった。Kが会社に来ない度にSさんから小言をいただく。弱ったものだ。

当時はこまめに日記をつけていた。
その前日は日曜日で近所にできるマンションのオープンルームを見、その後光が丘に買い物に行ったこと、マクドナルドでダブルチーズバーガーを食べたことが記されている。そんな大事件が翌朝起きるなんて思いもしないで。
文中に登場するKは僕の隣席に座っていたコピーライターで当時から演劇の世界では少し名の知れた男だった。当時は仕事が合わないのか、芝居の方が忙しかったのか、よく無断で欠勤していた。そのたびに顧問であるSさんから、おまえがしっかり管理しろと怒られたのだ。
その翌日は春分の日だった。僕は秋葉原まで修理に出していたマッキントッシュパワーブックを取りに行ったらしい(らしい、というのもまったく記憶がないのだから仕方ない)。その後、姪の誕生日が近いこともあり、本屋でジュニア朝日年鑑を買い、手紙を添えて姉に送ったり、家でシュウマイをつくったり、知合いのプロデューサーにもらったチケットで映画「マスク」を観たり、1995年3月の終わりは、よくある会社の年度末のように忙しく、あいまいな時間のなかであいまいに過ぎ去っていった。
地下鉄サリン事件がこれほどまでに大きな後遺症を残していったことなど知る由もなかった。

2013年1月15日火曜日

高村薫『マークスの山』


正月休みのあいだに、平山秀幸監督「レディ・ジョーカー」を観た。
原作は高村薫。市井の薬局店主、町工場の職人、トラック運転手から大企業の経営陣、警察、検察、マスコミと、社会のいくつものレイヤーが微妙にリンクしながら完全犯罪を織り込んでいく大作だ。この複雑、巨大なフィクションをどう映画化しているのか、尽きない興味を持って観てみたのだ。
脚本が上手い、と言うのもおこがましい話なんだけど、よくぞここまで集約して、しかも味のある物語にまとめ上げられたなというのが率直な感想だ。渡哲也が演じる物井清三がいい。合田雄一郎のキャスティングはこれでよかったのか、などと言ったらきりがないのでそれはやめておこう。
さて『マークスの山』であるが、こちらは「血と骨」の崔洋一監督が映画化している。事件が残虐なだけにさぞかし暴力的な描写になっているのではないかとまだ見ぬ段階で想像している。
一方で『レディ・ジョーカー』同様、緻密な取材の上で書き上げられたと思われるこの作品の舞台をたどってみるのも大きな楽しみのひとつだ。あいにく山登りの趣味はないので、北岳山頂を訪ねよう気力も体力もないが、京成町屋、足立小台、旧都立大周辺の八雲、王子、赤羽など歩いてみたい町がまた増えた。『レディ・ジョーカー』が主として品川区~大田区の京浜急行沿線を主な舞台にしていたのに対し、『マークスの山』は都内を縦横に走りまわる印象だ。小説の舞台を歩いてみるのは読んでいるときの興奮が呼びさまされるのがなんとも楽しい。
『マークスの山』を越え、次なるターゲットは『照柿』だ。どうやら拝島あたりから物語がはじまるらしい。さらに『太陽を曳く馬』を経て、はやいところ『冷血』にたどり着きたいと思っている。

2013年1月11日金曜日

稲田修一『ビッグデータがビジネスを変える』


昔、本を読み終わると見返しあたりに日付を書いていた。ところが読み終えてから再読するなどしない限り、そんなものは忘れてしまう。ということで何年何月に読み終えたかくらいは別途ノートに記しておこうと思った(たぶん)。そのノートが先日見つかった。
最初の記録は《1978-7 勝田守一編 『現代教育学入門』》とある。大学入学以降、そんなことをはじめたことがわかる。というか、中学から高校にかけてはほとんど本を読まなかった。小学校の頃は人並みに伝記や怪盗アルセーヌ・ルパン、宝島、十五少年漂流記くらいは読んでいたが、それ以降大学生になるまでおそらくは夏休みの課題図書以外に本を読んだ記憶がない(課題図書ですら読んだかどうか)。そういった点からすると大学入学以降取りはじめた記録はほぼ生涯の読書記録の原点であるともいえる。と同時に、これだけ読書と無縁の人間をすんなり受け容れた当時の高等教育機関もたいした度胸だったと言わざるをえない。
ノートのままスキャンして保存しておこうかとも思ったんだけど、誤記もあるかもしれないのでキーボードを叩いてテキストデータにすることにした。記録してあるのは年月と著者名、題名だけだ。あやふな書き方をしているものもおそらくあるだろうし、今ならグーグルなどで検索すれば正確なことが簡単にわかる。
はじまりは1978年7月だが(大学に入って1冊も本を読まずに3カ月、僕は何をしていたんだろう)、最後は《1986-11 カート・ヴォネガットJr 『ガラパゴスの箱舟』》となっている。新宿御苑にほど近いテレビコマーシャル制作会社にもぐり込んだのが1986年だから、一応働き出してからもそれなりに記録を残していたのだ(たしかにその年から読書量が激減している)。
書き写していておもしろいと思うのは当時目茶苦茶に読んでいたつもりなのに、流れで見てみるとそれなりに自分の中でブームがあったんだということがわかることだ。大江健三郎ばかり読んでいたころがあったり、ルソーとロマン・ロランだけ読んでいた2ヵ月があったり。きっと小学生のころからずっと記録していたらちょっとした自分精神史になったかもしれない。これは一個人のスモールデータに過ぎないのだが、僕自身にとってはビッグデータといえるのではないだろうか。
この本でいうところのビッグデータとはちょっと違うんだけど。
読書記録はその後1992年に読書感想文を書こうと思い立って復活した(もちろんすべてではなく、書けたものだけ記録に残っている)。以後ブログや最近ではソーシャルメディアに記録を残している。最近の読書記録は振り返ってみてもおもしろくない。ソーシャルという枠組みがおもしろくないのか、読んでいる本がおもしろくないのか、はたまたまだまだ熟成が足りないのか。 

2013年1月7日月曜日

鈴木琢磨『今夜も赤ちょうちん』


Yさんとはじめて会ったのは、たしか1986年の3月だったと思う。
その昔、といっても母の生まれた昭和の初期の頃だからずいぶん昔の話だが、母の叔母が四谷荒木町の油問屋に女中奉公をしていた。その油屋の娘が長唄をやっており、そんな関係もあってその後、僕の姉も小学生のころから習いに行くようになる。長唄の師匠を僕らはみんな“おっしょさん”と呼んでいた。当時、稽古に通っていたの大半は大学生で姉が長唄研究会で有名な江古田の大学に進んだのもわからないでもない話だ。
話は長くなるのだが、この話をどこでどう端折っていいかもわからない。おっしょさんの妹もやはり長唄の稽古をいっしょにしていて、やはり大学生だった。学生結婚して相手は大阪出身の映画青年だった。卒業後映画監督を志して東映に入社し、映画からテレビへ時代が移り変わるころ、東映のCM制作会社に移籍し、しばらくして独立。会社を起こした。その元映画青年がYさんだ。
「君は何をやりたいんだ」と多少関西風のイントネーションで訊ねられた僕は咄嗟に
「ラジオCMの原稿を書いてみたいんです」と答えた。
Yさんはおもむろに受話器を取り上げ、どこかへ電話をかけた。
「ああ、Yだけど。今、ラジオCM書きたいという青年がひとり俺んとこ訪ねてきてるんだけどさ…。うんうん。そっか。じゃあ、また」
学生時代の友人か同業の知人にでも電話をしたのだろう。ものの一分ほどで会話は終わり、Yさんは僕に向かって口を開いた。
「ラジオやってる知り合いに聞いてみたんだが、間に合ってるんだそうだ。なんなら明日からうちでバイトしてみるか」
こうして僕のキャリアが新宿御苑にほど近いマンションの一室からはじまった。
そして赤ちょうちんな生活もおそらく、この頃からはじまった。

2013年1月5日土曜日

岩下明裕『北方領土問題』


荒川区の町屋を歩いてみた。
高村薫の『マークスの山』に町屋が登場する。水沢裕之が働いていた豆腐屋が町屋なのだ。
町屋には以前来たことがある。厳密に言えば、東尾久という町に、である。
Kは高校時代バレーボール部でいっしょだった。無口で武骨な男だった。特に何か気が合うとか、共通する趣味、嗜好があるとかいうわけではないが、部活動以外でも行動をともにすることが多かった。高校からほど近い神田の中学校を出たKは駿河台下や神保町あたりの飲食店をよく知っていて、練習の帰りに時間をつぶしたものだった。
高校卒業後、Kは北海道の大学に進み、会える機会も少なくなったが、それでも夏休み、冬休みに帰ってくるとさほど積もる話もなかったにもかかわらず、よく酒を飲んだ。ある夏の日、飯田橋から、御茶ノ水、上野と飲み歩き、最終電車もなくなった。タクシーに乗ったのか、歩いたのか当時でさえ記憶があやふやだったのに、今思い出すことなどできるわけがないのだが、その夜は町屋のKの家にたどり着いた。そこでさらに飲んだのかももちろん憶えていない。
朝、都電の走行音で目をさました。Kの母親のつくった朝食をごちそうになり、都電の専用軌道に沿って町屋駅まで歩いた。太陽はすでに高く、真夏の日差しが荒川の町を焼いていた。
仕事の関係で不勉強なジャンルである領土問題の本を読んでみた。
領土問題というと根源からして混沌とした話で、つい精神論的なナショナリズムの高揚次第ということと思われがちだが、この本はその点、やけに冷静で、たとえばロシアと中国の国境画定の経緯などを範として(もちろんそれが日本とロシアの国境問題に直結するとは限らないのだけれど)わかりやすく説いている。勉強になる。
というわけで、2013年もブログ続けます。
今年もよろしくお願い申し上げます。