2018年7月13日金曜日

吉村昭『暁の旅人』

少し前のことだけれどカタカナ表記、とりわけ外来語の表記は難しいといったことを書いた。それとは別の話になるが、ローマ字というのも厄介なものだ最近(というかずいぶん前から)思っている。
くわしくはわからないがローマ字にはなんとか式といった流派というか宗派みたいなものがあるようだ。いろいろあるようなのでくわしくわかろうとしていない。例えば石原さんという人がいる。名前を裕次郎としよう。
Yujiro Ishiharaと表記することが多いように思う。たいていの人がこれでユウジロウと読んでくれる。だが違った書き方の流派もある。Yuujirouと書いても間違いではない。
アン、ウン、エン、オンが難しいのはフランス語とローマ字であるが、不思議と小泉純一郎をコイズミジュニチローと読んだり、田園調布をデネンチョウフと読む人も少ない。日本人はローマ字に対しても識字率が高い。
ハ行はHaHIFuHeHoになることが多い。フだけが特別扱いされる。タ行もTaChiTsuTeToだったりする。チョがChoだったり、リョがRyoだったりする。めんどくさいが、そうなっているから仕方ない。立教大学はRIKKYOと表記されているが野球部のユニフォームにはRIKKIOと縫い付けられている。
行った先々でルールが生まれる。時代とともに変化する。それはそれでいいことだ。
幕末を舞台にした小説にときどきあらわれる医師松本良順は、長崎でオランダ医学を学び、幕府のお抱え医師として激動の時代を生きた。戊辰戦争では幕府陸軍、奥羽列藩同盟軍の軍医として帯同した。日本史のいちばんおいしいところを目の前で見てきたわけだ。交友関係も近藤勇や榎本武揚などがいる。ちょっと人に自慢したくなるような一生だったにちがいない。
それはともかくとして昔の日本人はどうやって外国語をマスターしたのだろうか。たいへんだったんだろうな。想像しただけで眠くなってくる。

2018年7月9日月曜日

打川和男『図解入門ビジネス最新ISO27001 2013の仕組みがよ~くわかる本 』

今年の夏の高校野球(選手権大会)は100回記念ということで出場校が多い。埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡が2地区にわかれる。
東京でも予選がはじまった。野球部出身ではないが、ほぼ毎年母校の試合を観ている。これはちょっとした癖みたいなもので観ないとどうにも落ち着かない。東東京大会であるが、東京の東西を比較すると球場の数は圧倒的に西東京に多い。東東京で試合会場になるのは、神宮、神宮第二、大田、江戸川、駒沢だが、今年は駒沢球場、大田スタジアムが改修工事となっている。かわって府中市の明大球場が東東京大会一二回戦の会場として割り当てられている。三回戦以降は神宮、神宮第二、江戸川の三球場でまわすようだ。
先月仕事場のプライバシーマーク更新審査を終えて、少しだけ気持ちにゆとりができたのかも知れない、将来的にISMSの認証を取得できたらいいなと思った。そういうときは多少読むのがつらいとしてもこの手の本を読む。そしてたいてい後悔する。
この本も例外ではなかった。そもそも「よ~くわかる」なんていう工夫のかけらもないタイトルの本でよ~くわかるはずはないのである。この本はISMS認証の取得を考えている人に手ほどきしてくれる参考書ではなく、すでに認証を取得しているが2013年の規程の改訂にともなってどう今後対応したらいいかの、いわばチェックリストの域を出ない。プライバシーマーク認証取得のときもこうした書籍に目は通したけれど、これからどうしたらいいのか雲をつかむような読者を想定してわかりやすく次のアクションに導いてくれるものはほとんどない。第三者認証取得物語的な小説で想像力にはたらきかけてくれたらもっとたくさんの人を魅了するだろうにと思う。
明大球場で行われた初戦はみごとなコールド勝ちだった。
今年のチームは何年かぶりに春に都大会まで駒を進めているので、少しだけ期待している。もちろん少しだけである。

2018年7月2日月曜日

林芙美子『戦線』

林芙美子は新聞社の特派員として中国戦争、太平洋戦争に従軍し、提灯記事を書いていた。そのことで軍国主義政府のおかかえ作家と非難を浴びていたという。この本を読むとそのことがよくわかる。
いくら侵略戦争を推し進めることが時代の趨勢だったにせよ、帝国陸軍が中国大陸の奥深くまで進軍し連戦連勝を続ける時代だったにせよ、文筆を生業とする知性の持ち主がここまで戦争を賞賛し美化するだろうか。
今さら林芙美子を擁護しても仕方ないのだが、記者として戦地に赴いたというのは彼女が作家として当時いかに人気があったかの証左でもある。時あたかも朝日新聞・大阪朝日新聞と大阪毎日新聞・東京日日新聞が発行部数においてしのぎを削っていた。武漢作戦に同道し、林芙美子自身が陥落後の漢口に乗り込んだことで朝日陣営がついに逆転に果たす。まさに時代の真ん中にいた作家だからこそなしえた技といえる。
林芙美子の根幹にあるのは貧しい生い立ちである。売文業に活路を見出した彼女にとっては提灯記事を書くこともお抱え小説家と非難されることもまったく苦にならなかったのだろうと思う。お金になるなら、糊口をしのげるならなんだって書く。そのバイタリティが彼女の持ち味だ。そしてもうひとつの持ち味が放浪の作家であることだ。
林芙美子の作品は旅とともにあった。放浪が人生のベースにある。旅先の苦労など厭うことなく旅情をゆさぶる紀行を多く遺した。
ふるさとを持たず、行商が人生だったというようなことを関川夏央が書いていた。自らの立ち位置を定めないところが林芙美子の真骨頂だ。行きたいところへ出かけ、食べたいものを食べ、戦意高揚を歌えと言われたら、どこまでも声高らかに歌い上げる。そこには固執すべき自分はなく、主義も信条もない。彼女の紀行文のすばらしさは旅の空に浮かんでいる浮雲のような彼女自身から生み出される。
「戦線」に比べ、満州を旅した記録「凍れる大地」のなんと素敵なことか。

2018年6月30日土曜日

近藤勝重『13歳から身につける一生ものの文章術』

以前読んだ大野晋の『日本語の教室』(岩波新書)に、本を読ませて感想文を書かせたり、営業上必要な報告論文や商業用の手紙を書かせる研修をある企業で行ったところ業績が格段にアップしたというようなことが書かれていた。社員の知識不足や言語能力の欠乏には言語を中心とした訓練がふさわしいという。
世の中の問題は大概の場合、言葉の問題だ。そのためには読書と作文は欠かすことはできない。反論の余地はない。
でも僕は思うのだ、そうは言っても、と。
たしかに言語の力は何ものにも代えがたいけれど、人間には向き不向きがある。本を読めと言って読める人間とそうでない人間がいる。それも訓練だといえばそれまでだが。作文に関しても同様。絵が描ける人と描けない人がいるように文章が書ける人と書けない人がいる。どちらもまったくかけない人はいないだろうが、大人だってもらったメールに返信をするのが苦痛な人は多いはずだ。
僕はかろうじて本を読む習慣と人並み程度の作文が書ける能力にめぐまれた(ついでに言えばろくでもない絵だって描ける)。そのせいでこれまで本を読めなかったり、作文が書けない人のことを考えたことがなかった。どうしてこの人はものごとを知らないのだろう、口では立派なことをしゃべるのに拙い日本語しか書けないのだろう、そういう人に少なからず出会ってきた。本を読まなくたって、文章が書けなくたって、映画やドラマや演劇を人一倍観て、自身に刺激を与え続けている人もいるし、作文以外にも自分を表現する手段を持っている人もいる。たいせつなのは人それぞれが自分の生き方を持っていることであり、そのことをちゃんと認めてあげることだ。
ときどき日本語に関する本を読む。
13歳はとっくに過ぎてしまったけれど、作文の基礎を教わった。この本で作文が書けるようになっても書けない友だちの気持ちがちゃんとわかる子どもになってくれたらいいと思いながら。

2018年6月20日水曜日

山本周五郎『栄花物語』

ずいぶん昔、ショパンのCDを買った。CD=コンパクトディスクの時代だから、レコードしかなかった学生時代ではない。1980年代の半ば以降だろう。
マット・ディロンがサントリーのテレビコマーシャルに出演していた。シルキーというウイスキーだった。ディロンがウイスキーを飲んでいるとどこからともなくピンクの象がやって来る。
ナレーションは「時代なんか、パッと変わる。サントリーリザーブシルキー、新発売」である。不思議な空気に包まれたCMだったが、とりわけバックに流れる音楽が印象に残った。コピーライターは秋山晶で氏の作品集にクレジットが掲載されている。使用されている楽曲はショパン作曲マズルカ第38番作品番号59-3。
というわけでCDを購入したのである。ピアノはウラディミール・アシュケナージ。マズルカはポーランドの民族舞踏の形式のひとつで基本は4分の3拍子。ということは後日知る。ルービンシュタインの音源もある。これもまたずっと後日に知る。
高校時代の日本史だったか、大学での一般教養の講義だったか思い出せないけれど、江戸時代に田沼意次という政治家がいて、大商人と手を組んだ腐敗政治の人で後に失脚し、松平定信が登場したみたいな話を聞く。当時の若者にわかりやすくたとえると田沼意次が田中角栄で松平定信はその後を受けた“クリーン”三木武夫だということだった。
昭和の成長期を支える多くの立法にたずさわった田中角栄は時代を読み解く知を持ち、民衆の心をよく理解していた(最近田中角栄の本が多く上梓されている)。商業の発展が幕政を圧迫するであろう先々を見越していた田沼意次と重なり合うところがたしかにある。歴史の授業では通り一遍に悪の政治家で終わってしまうことが多いようだが、実は有能でかつ質素な生活をしていた人なのだ。
本当のところはどうだがわからない。が、山本周五郎がそう書いているのだから、おそらく間違いないだろうと思っている。

2018年6月10日日曜日

吉村昭『漂流記の魅力』

FacebookやTwitterなど、読書に限ったことではないけれど今では有力な情報源になっている。
ちょっと興味を惹く記事が表示される。読んでみようとタップする。何行かさわりだけ書かれていて、続きを読みたければ「いいね!」してくださいという。この時点で興味が失せる。ニュースの発信元が「いいね」か「いいね」じゃないかなんて読んでみなければわからないじゃないか。
youtubeにアップした動画をシェアしてくれたら、TwitterやInstagramでこのアカウントをフォローしてくれたらプレゼントを差し上げますというのもいかがなものかと思う。フォロワーが増えないとかページビューが稼げないというなら、まず取り組むべき課題は発信する情報そのものを魅力的にしていくことなんじゃないだろうか。SNSをキャンペーンの応募はがき替わりとでも考えているのだろう。これがまたひそかに応援している企業だったりするとかなしい気持ちになってくる。
傍から何か言うのは簡単なことだ。自分が企業のソーシャルメディア担当者だったら、やはりエサでフォロワーやRTを釣るような愚行をきっとするのだろうとも思う。企業やブランドを好きになってもらうSNS施策のハードルは相当高い。
ソーシャルの友だちと本の話で盛り上がることが多いのは司馬遼太郎、山本周五郎、吉村昭、あたりだ。
僕はずいぶん後になってから読みはじめたのでさほど多くの著作に触れたわけではないけれど、これらの本を多少でも読んでみてよかったと思っている。去年も『闇を裂く道』や『高熱隧道』を読んで、やはり吉村昭ファンの友だちと盛り上がった。
吉村作品で好きなのは“歴史もの”、“第一次産業もの”だったが、ついに“トンネルもの”デビューを果たしたのである。あまり読んでいないジャンルに“漂流もの”がある。たしか『アメリカ彦蔵』くらいしか読んでいない。
そこでこの本を手にとってみたのである。

2018年6月8日金曜日

菅野仁『友だち幻想:人と人の“つながり”を考える』

こんなはずじゃなかったと思うことがいくらでもあった。
他人から見れば大人に違いないだろうが、どうしてこんな大人になってしまったんだろうか。少なからず誰しもそう思うときがあるんじゃなかろうか。
人が成長していくなかでなにが難しいかといえば、自分の力の見きわめと人間関係ではないかと思っている。「彼を知り己を知れば」という故事があるが、自分を知るということは人生最大の難問である。たいてい人は自己を過大評価している。できないこともできると思い込んで生きている。それならそれで前向きでけっこうなのだが、同時に過小評価もしている。俺はそこまでの人物ではないと思っている。過大と過小のあいだを行ったり来たりしているだけで最適化された自分を見出すことがない。面倒くさいのだ、人間は。
人間どうしの関係もやっかいなものだ。自分で自分のことすらわからないでいるわけだから、ましてや他人様のことなどわかるわけがない。その他者だって誰ひとりとして自分の理解者であるわけがない(だからごくまれにわかってくれる人と出会うとうれしくてたまらなくなるのだろう)。
何を考えているかわからない人たちのあいだで、誰もわかっちゃくれないんだよなあと思っているうちに人は歳を重ねていくのだ。
10年前に出版された本がまた売れ出しているらしい。もともと売れてはいたそうだが、昨年あたりから3倍くらい売れ出したという。
そういうわけで興味を持った。
著者は宮城教育大副学長だった菅野仁。東北は仙台出身の社会学者である。人間関係、まさに“人のつながり”を長年研究してきた人なのだろう。
想定している読者は高校生くらいか。これから直面するであろう世の中のしくみを丁寧に説いている。もちろん大人が読んでも学ぶべき点が多い。「大人になるためにかならず必要なことなのだけれど、学校では教えないことが二つあります」なんて御意としかこたえようがない。
もっとはやく気づけばよかった。

2018年6月1日金曜日

吉村昭『大本営が震えた日』

2年にいちどのプライバシーマーク更新審査が終わる。
最初に認証を取得したのが2006年だから、今回で7回目の更新になる。3月に申請書を提出し、文書審査を経て、先月現地審査が行われた。不適合と指摘された事項に対し、改善報告書の作成提出、今はひと段落している。
日頃はどうやっておもしろい広告をつくろうかということしか頭にない。規格だ、手順だ、規程書だなどというのはまったくの門外漢である。それにしても見よう見まねでよくここまでやってきたものだ。
審査では毎度のことであるが、映像コンテンツの制作工程とそれにかかわる個人情報の流れを説明する。舞台裏を聞いた審査員は「CMってこうやってつくられるのですね」と感心してくれる。おそらく彼らが審査員になってこの会社を訪ねなければ知りえなかった話に違いない。はじめて映像コンテンツをつくる広告主の担当者のように目を輝かせる。僕たちがコンプライアンスという不慣れな作業に戸惑うように彼らのなかにも今まで知らなかった世界がインプットされる。
広告の仕事をしてきてよかったと思うのはさまざまな業種、商品、サービスに出会えたことだ。あるときはお菓子をつくる人、またあるときは不動産を販売する人と案件ごとにその担当者の立ち位置に身を置いてみる。できるだけ相手の立場でものを見て、考える。これが楽しい。広告屋だから広告のことだけ考えていればいいという考え方もあるだろうが、へんに専門家ぶるのはどうかと思う。
太平洋戦争にいたるまで、幾多の工作があり、漏えいの許されない情報管理があった。現実に危機的状況にもさらされた。そして吉村昭の手によって掘り起こされた。
プライバシーマークの審査の際は審査員の方たちもたいへんだろうなとか、もっとちゃんとした会社のコンプライアンス担当の方はどんな気持ちでこの日を迎えるのだろうなどと想像してみる。もちろんたいしたことを思い描けるわけではない。

2018年5月29日火曜日

吉村昭『落日の宴』

立ち食いそばではあるのだが(差別する意識はまったく持っていない)、スマートフォンで写真を撮ってソーシャルメディアにアップなどすることがある。
するてえと、やはり立ち食いそば好きな何人かが「いいね」してくれる。では彼らはどんなそばを食べているのだろうとタイムラインを見にいく。そこで今まで知らなかったお店の情報を得ることができる。「#立ち食いそば」とか「#路麺」などというハッシュタグが付けられている。それらを手がかりにまた新しい店を見つける。世の中はすこぶる便利になっている。
昔ながらの立ち食いそばが好きなせいか、茹で麺で汁の濃いそばを食べることが多くなった。真っ黒い汁を路麺ファンは「暗黒汁」などと呼んでいる。末広町や神田須田町などに店を構える六文そば、秋葉原から少し歩いた台東区台東にある野むら、神田岩本町の味じまんなどが茹で麺+暗黒汁の店として知られている。そして彼らが愛好する種物はゲソ天だったりする。今までは立ち食いそばならかき揚げを注文しておけばいいだろうと安易に考えていたが、それは京都に行って寺社仏閣めぐりをしただけで鉄道博物館を訪ねなかったに等しい。
年明けだったか、大衆そばの本を読み、参考にしながら食べ歩いている。まだまだ行ってみたい店も多い上にSNSからおいしい情報が飛び込んでくる。しばらくは立ちそば放浪の旅を楽しもう。
川路聖謨を主人公にしたこの本は3年ほど前に読んだ。プチャーチンが長崎にやってきたとき交渉にあたった人物である。ロシア側の受けもよかったようであるが、さすがに3年も前に読んだ本だとつぶさに思い出すことができない。
吉村昭の著作は一時乱読したことがあり、これまでにも読みっ放しのものが何冊かある。思い出してはここに記しておこうと思うのだけれど、困ったことになかなか思い出せないでいる。
そういえば出久根達郎も川路聖謨の本を書いていた。これも題名を失念している。

2018年5月25日金曜日

安野光雅、藤原正彦『世にも美しい日本語入門』

ハコネノ ヤマハ テンカノケン
カンコクカンモ モノナラズ
小学5年生のときだったか、夏休みの林間学校で訪れた箱根。観光バスに同乗していたタノヨシマサ校長(字は思い出せないが、頭の禿げ上がった筋肉質の先生だったとうっすら記憶している)が「箱根八里」を歌いはじめた。
校長はこの古めかしい歌を歌ったあと、函谷関とは、萬丈の山、千仞の谷とは、羊腸の小径とは、と解説を加えていった。当時わからないこともあっただろうけれど見事に記憶に残っている。
そして皆で歌った。見たことはないけれど往時の武士(もののふ)が脳裏をかすめた。
日本人の教育ってこういうことなんだとこの本を読んで思う。
以前観た篠田正浩監督の「少年時代」では少年たちがガキ大将を先頭に軍歌を歌いながら登校する。歌(歌詞は、あるいは言葉はと言い換えてもいいかもしれない)は日本人に身近だったことがわかる。そして日本語も日本人としての考え方も矜持も植え付けられていく(もちろん軍歌がいいと言っているわけではない)。
『国家の品格』でおなじみの藤原正彦は作家新田次郎のご子息であり、母親は『流れる星は生きている』の藤原ていである。さらには小学校時代の図画工作の先生が安野光雅であったと知って驚いた。
近年、学校でも国語の授業がどんどん減らされているという。美しい日本語との接点が失われていく。戦後、「赤とんぼ」の三番の歌詞が歌われなくなった。民法上婚姻は16歳以上であること、ねえやが職業蔑視という理由からだという。「春の小川」も「さらさらながる」という歌詞が「さらさらいくよ」に「書き換え」が行われている。美しい文語文は路面電車のように忌み嫌われていたのだろうか。
それはともかく、この本で美しい日本語に触れるたびに、日本人に生まれてよかったと思う。どうせならもっとちゃんと勉強しておけばよかった。
あの頃の校長先生のように語り継ぐべき素晴らしい日本語を僕は身につけているだろうか。

2018年5月16日水曜日

新村出『広辞苑先生、語源をさぐる』

自分で書き間違えをするのに自分では気が付かない。だから誤記が多いわけだが、そのくせ人の間違いにはよく気が付く。狭量な人間なんだと思う。
広告の仕事をしている。広告主名や商品・サービス名は絶対に間違ってはいけない。本業である表現のことより、誰かが書いた誤記が気になることもある。キヤノンを平気でキャノンと書く人がいる。キューピーマヨネーズなどと書く人もいる。富士フイルムであり、フィルムではない。ナカグロが入るのか入らないのか気になる社名もある。そんなことは世の中的にはどうでもいいようなことなのだが、広告をつくる人としては気遣いが必要だろうと常日頃思っている。
キヤノンがキャノンにしなかったのはロゴをつくる際、「ャ」が小さいとバランスが悪かったからだ聞いたことがあるが、本当のところは知らない。
ロゴマークと英文表記をごっちゃにしている人も時折見かける。ソニーはSONYと表記してはいけない。Sonyである。ホンダもHondaだ。もちろんこれもまたどうでもいいことかもしれないが、少なくとも広告の仕事をしている人としてはできれば間違えたくないところだ。
かく言う自分ももう30年近く前、広告主であるとあるシャッターメーカーを〇〇シャッターとやってしまったことがある。正しくはシヤッターである。この「ヤ」もキヤノンと同様デザイン的な見地から決められたのだろうか。
新村出といえばおそらく日本人では知らない人はいないであろう広辞苑の著者である。
辞書をつくるというのはどういう仕事なのか。以前読んだ三浦しおんの『舟を編む』以上の想像ができない。
小学校の頃だったか、語源辞典なるものがあってたいそうおもしろいと聞いたことがある。そもそも、「そもそも」はおもしろいと思う。長年言葉の専門家であり続けた新村先生は小難しいことを避ける。さらりと語源に触れ、それにまつわる話を聞かせてくれる。
巨人とはこういう人のことを言うに違いない。

2018年5月13日日曜日

今尾恵介『路面電車』

大都市から路面電車が姿を消した最大の原因はモータリゼーションの進展にあるといわれている。
路面電車という時代遅れの交通システムが都市部の混雑、渋滞を惹き起こしていたというのだ。当時の日本人の考え方からすれば、経済効率と利便性が最優先。本格的に普及していったクルマは最も愛されるべき乗り物だった。
東京をはじめとする大都市では路面電車はこぞって廃止され、バスに代わり、さらに高速交通網として地下鉄道が建設される。クルマが最優先されたのはそこらで見かける歩道橋を見てもわかる。自動車の走行の邪魔にならないよう歩行者を安全に迂回させるルートだ。日本人は誰もが成長していたから、足の不自由な人や小さな子どもを連れたファミリーやお年寄りのことなど考えることもなかったのだろう。「時代の考え」はそうだった。
明治の頃、さかんに鉄道が敷設されていったが、鉄道が通ると農作物が育たないという「時代の考え」があった。鉄道駅から離れたところに市街地をもつ地方都市にはそんな考えが蔓延していたのではないか。
なんでもかんでも新しくすることが日本的なものの考え方ではある。路面電車は古いから新しくする、地下鉄にする。これは日本という国の伝統的美点なのかもしれないが、そうのうちなんとかなるだろうからつくってしまえという発想は戦費もないのにロシアと戦争をはじめた時代から連綿と続いている。
ヨーロッパを旅すると古い建物を多く見る。石造りであったり、レンガ造りであったりする。古い町の景観と同じように路面電車も大切に有効に乗り継がれている。都心部へのクルマを制限して、郊外電車とつなぐという発想が素晴らしい。穴を掘るでもなく、高架線をつくるわけでもないからたいしてお金もかからない。
夢や未来を語るのは自由だけれど、人々にとって必要な交通手段を人間的な視点からきちんと考えて結果を出している。それがLRTという昔からあって新しい乗り物だと思う。

2018年5月7日月曜日

今尾恵介『地図で読む昭和の日本』

実家に古い地図がある。
古いといっても江戸切絵図とか明治時代の古地図ではない。おそらく昭和50年頃の東京23区の区分地図である。昭和時代の地図も1964年のオリンピック大会以前の地図であれば、町名が昔のままだったり、都電が走っていたり、川が流れていたりして、現在と地図と見比べると一目瞭然のおもしろさがある。1970年以降、都電が廃止され、首都高速など現代のベースができあがってからさほど大きな差は見られなくなった。それでも目を凝らしてみると都内各地で再開発が進み、昔あったものがなくなっている。いや、今なくなってしまったものが地図に残っている。
手はじめに新橋あたりを見てみよう。ゆりかもめはまだ走っていない。汐留貨物駅があり、そこから築地市場へ引き込み線が伸びている。新大橋通りに踏切があったのをおぼえている。貨物駅はこのほか、飯田橋貨物駅や小名木貨物駅、隅田川駅があった。今では隅田川駅が半分だけ遺されている。それぞれオフィスビルや商業施設、高層住宅に姿を変えている。
新宿駅西口には京王プラザホテルを筆頭に高層ビルが建ち並ぼうとしている。品川駅の港南口(東口)は今よりずっと東側にあった。大崎駅の周辺は明電舎や日本精工の工場があった。
昔から変わらない町並みや景観もあるだろうが、40年もあればたいがいの町は変り果てる。歳を重ねるとついこないだのように思えるけれど、客観的に見れば町は変貌を遂げて当然なのかもしれない。
この本は地図という尺度をもとに定点観測した町の変わりようを追いかけている。
今あるものが昔からあったわけではなく、今あるからといって未来永劫あるわけでもない。40年前のジャイアンツファンがタイムスリップして今の世の中にやってきたとしても彼は後楽園スタジアムにたどり着けないのである。
おもしろい本だった。町の風景はまるで人生のように無常だ。
おもしろいと同時に、さびしさもおぼえた。

2018年4月28日土曜日

吉村昭『空白の戦記』


先月のJABAスポニチ大会から野球観戦をはじめている。
高校野球の大会もすでに観に行った。たまたまなんだが、母校の野球部も東京都春季大会の一次予選を勝ち上がった。2014年以来である。昔は32校しか出場できなかった大会だったが、その後64校、96校と増え、今では120校が出場できる。夏の選手権大会東東京と西東京を合わせて200校ほど参加することを考えると運がよければ出られる大会になっている。大学野球はまだ観ていない。
今年はいわゆる松坂世代が20年目を迎えている。現役選手では和田毅、杉内俊哉、藤川球児らがいる。進学したり、社会人を経由した選手もいるのでみんなが20年目というわけではないが。当の松坂大輔も中日ドラゴンズにテスト入団し、復活をめざしている。
昨年のドラフト会議では日本ハムに一位指名された清宮幸太郎を筆頭に広島の中村奨成、ロッテの安田尚憲など高校生が多く上位指名を受けた。もしかすると清宮世代と呼ばれることになるのだろうか。
甲子園で活躍した選手はプロばかりでなく、進学した者も多い。
東京六大学野球では大阪桐蔭の徳山壮磨、岩本久重のバッテリーが早稲田大、主将だった福井省吾が慶応大、履正社の竹田祐が明治大、若林将平が慶応大、秀岳館の川端健斗が立教大に進み、すでに活躍の場が与えられている選手も多い。4年後、彼ら清宮世代はどれほどドラフト会議を席巻するだろうか。
世の中は公文書の改ざんだの、首相案件だのセクハラだので大騒ぎをしているが、できることなら誰にも気づかれないまま歴史の彼方に葬り去ってほしい事案であったに違いない。むしろ改ざんなどしなければバレないですんだかも知れなかったんじゃないかとも思う。
何十年も経って見つかる重要文書もある。ちょっとどきどきする。歴史はあとで掘り起こしたほうが断然おもしろい。こうした史実を吉村昭が文学にするとそれはもうおもしろいものになる。

2018年4月27日金曜日

阿川弘之『お早く御乗車ねがいます』

駅のみどりの窓口以外で紙の時刻表を手に取ることもなくなった。
スマホやタブレット端末ですぐに検索できてしまうから、分厚い時刻表をめくる手間は要らなくなったのだ。東京駅何時何分発名古屋駅何時何分着、乗り換えに何分かかって目的地到着何時何分とあっという間に必要な情報が手に入る。手に入るというか手のひらの上に表示される。もちろんそれで事足りるわけだから何も文句はない。ただ事足りたとしても物足りない。
時刻表を見てみよう。ご丁寧にもどこの駅を通過するかまでちゃんと記されている。隣の駅に行くのでない限り、列車は必ずどこかの駅を経由する。飛行機とは違う。通過する駅があるということは乗車時間中に空間を移動するということで時刻表は列車の移動をちゃんと記している。列車の進行を追いかけていくと、東海道新幹線なら新丹那トンネルを抜けて三島駅を通過したぞ、そろそろ富士山が見えてくるぞと気持ちが高まってくる。スマホの検索結果にはそういったわくわく感がない。これは紙の時刻表の持つ最大の特徴といえる。具体的な車窓の景色が描かれているわけでもないのに列車移動の時空間が記されていることによって移動の醍醐味を味わうことができるのである。
それは東海道新幹線に乗って富士山を見たことがある人の言い分でしょうと言われるかもしれない。はじめて旅する景色だっていい、見たことのない風景でもいい。時刻表には車窓から眺められる移動感が記されていることに変わりはない。
先だって読んだ『鉄道エッセイコレクション』(ちくま文庫)で阿川弘之という作家が鉄道マニアであったことを知る。時代としては昭和30年前後、獅子文六が『七時間半』で描いた電車特急時代の少し前にあたるだろうか。
阿川弘之の作品はまったく読んでいない。『山本五十六』、『米内光政』など戦記物が多いようだ。せっかく鉄道が取り持ってくれたご縁なのでこんど読んでみることにする。

2018年4月26日木曜日

芦原伸編『鉄道エッセイコレクション』

毎年のことだが、四月はいそがしい。
四月だけがいそがしくて後はずっと暇かというとそういうわけでもない。どうして四月がいそがしいのかと冷静に考えてみると、実はさほどいそがしくもないのだなと思うこともある。「しがつ」という音の響きやら、吹きわたる風が寒かったり暑かったりするせいでいそがしく感じられるだけかもしれない。
高校野球で春の都大会がはじまったり(今年はわが母校も予選を突破した)、東京六大学野球や東都大学野球の春季リーグがはじまるせいかもしれない。会社に新入社員が入ってくるように新チームに一年生が加入して戦力が刷新される。そういうことがそわそわ感を助長するのだろう。
春といえば靖国神社で奉納大相撲が開催される。三月場所を休場した白鵬や稀勢の里は出場するのだろうかなどとどうでもいいことを考えてまたそわそわする。
そわそわしたついでにどこか遠くまで出かけてみようかとも思う。電車に乗りたいと思うのもやはりこの季節のなせるわざか。仕事はたまっているが、一日くらいさぼって横浜の先まで京浜急行にゆられてみよう…。そんなろくでもない思いを断ち切るためには心静かに鉄道関連の書籍に目を落とすしかないのである。
先月ちくま文庫から刊行されたこの本はまさにかゆいところに手が届く本である。僕の高校時代の親友が筑摩書房にいるのでここではもちろん「ヨイショ」しながら書いている。
立松和平が、川本三郎が東海道本線や中央本線を各駅停車で旅をする。これ以上贅沢な旅があるだろうか。駅弁の旅もいい。百閒先生の阿呆列車の旅や宮脇俊三の名エッセイは以前読んでいたけれど、見事な再会を果たすことができた。
そして筋金入りの鉄道マニア阿川弘之。この人の作品はあらためてちゃんと読まなければなるまい。次に読むリストに入れておく(『お早く御乗車ねがいます』)。
列車旅はいいなあ。野球も相撲もいいけれど、春はやっぱり小旅行の季節だ。

2018年4月24日火曜日

佐藤良介『なぜ京急は愛されるのか』

京浜急行の本線は品川を起点として品川区大田区を縦断し、川崎、横浜そして湘南へと続く。
品川駅と都営地下鉄と連絡する泉岳寺駅は港区になるが、東京都民で京浜急行と接点があるのは上記二区だけである。品川区で生まれ育った僕とて実は京浜急行は身近な路線ではなかった。品川区も大田区も東急文化圏と京急文化圏にわけられているからだ。小学校中学校と最寄駅が東急だった関係で遠足などの校外活動はどうしても東急のテリトリーになる。当時海沿いにあった品川火力発電所や鈴ヶ森刑場跡など社会科見学で出向く際は貸切バスだ。電車を乗り継ぐことはない。そういうわけではじめて京急に乗ったのはかなり大きくなってからような気がしているが、はっきりとした記憶はない。
高校の頃、部活で足を捻挫した友人を送って平和島駅で下車した記憶が残っている。彼は本来大森駅を、僕は大井町駅を利用していた。どうして京急だったのか。もしかすると国鉄がずいぶん長いことストライキをしたことがあり、だとすると昭和50年の11月かも知れない(いわゆるスト権スト)。
いくら何でも品川区に住んでいて高校生になるまで京急に乗ったことなかったなんてありえないとも思うのだが、他に思い出せないのだから仕方がない。このときをMy first KQとしておこう(俺って相当オクテだったんだな)。
電車に乗ったり近所を走る貨物列車をながめたりするの好きだったわりには京浜急行の電車のフォルムや赤とクリームの色合いが好きになれなかった。今にして思うと乗る機会に恵まれなかったことによるやっかみなのではないかとも思う。
横浜に行くなら京急だ。東海道でも、東急でもなく、ましてや湘南新宿ラインでもない。北品川駅を過ぎ、高架になるのはちょっとどうなんだと思うけれど、右側に座って海側を見ようか、左側から台地をながめようかわくわくしている自分がいる。
いつの頃からかすっかり京急ファンになっていた。

2018年3月28日水曜日

大岡昇平『雲の肖像』

前回お話したアニメーションのつづき。
ひとりで撮影編集をしたけれど、さすがに音楽や効果音、ナレーションは自分ではできない。昔なじみの音効さん(音楽、効果音を専門とするスタッフ)に相談し、楽曲とSE(サウンドエフェクト)をつけてもらう。ナレーターも以前からよく知っている青年にお願いした。
広告会社のクリエーティブディレクターと前もって話をして、運動会っぽい曲がいいよねということになっていた。運動会らしい音楽と聞いて、ヘルマン・ネッケの「クシコスポスト」やルロイ・アンダーソンの「トランペット吹きの休日」を想起するのは中年以上の方と言っていい。いまどきの運動会ではそんな古典的楽曲は流れない。でもまあ、世の中の記号としてこういう曲があるのは助かる。手品でいうところの「オリーブの首飾り」、サーカスなら「美しき天然」である。
映像制作のフローで最終工程は音楽やナレーションなど、音のミックスである。レベルの高低、レイアウトなどを検討する作業である。ベストな結果が出るまで何度も何度も繰り返し聴いてはチェックする。この動画のためにつくってもらった「クシコスポスト」を何十回となく聴いたわけだ。
試写の結果、無事に広告主のOKが出て、長い長い制作作業は終了した。
ちょうどその頃読んでいたこの本は大岡昇平らしい緊迫感はあまり感じられず、獅子文六のドラマを少しシリアスにしたかな、くらいの印象が残っている。
翌日、仕事を休んで横浜の保土ヶ谷球場に野球を観に行った。
秋季関東高校野球大会の準決勝。この大会でここまで勝ち進んできたチームは春のセンバツ出場は当確といえる。試合は千葉の中央学院対神奈川の東海大相模。久しぶりに観る野球である。高校野球らしく応援席にはブラスバンドが陣どっている。
初回東海大相模のチャンス。三番バッター森下が打席に向かう。ブラスバンドが彼のための応援曲に切り換える。
「クシコスポスト」だった。

2018年3月26日月曜日

アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』

9月末から10月にかけてアニメーションの仕事をしていた。
1センチにも満たない小さなチョコレートが集まって、何らかのカタチになる。実際には最初につくったカタチを少しずつ崩していく。逆再生すればいい。
理屈は簡単だが、実際は難しい。ひとつひとつのチョコレート(ジグソーパズルみたいなカタチ)をピンセットや爪楊枝で少しずつ動かしていく。2~3ミリほど動かしたり回転させてはシャッターを切る。大きく動かさないほうがいい。小さく少しずつ動かすことで動きがスムースになる。さじ加減が難しい。
溶けにくい製法のチョコレートなのだが、ほおっておくとピンセットにくっついたりして微妙な動きを阻害する。気持ちが焦る。無理をして舞台にしているアクリル板を動かしてしまう。カメラを固定した三脚を蹴飛ばしてしまう。すべてがやり直しだ。
アニメーションというのは何かを動かすことだと思っていたが、むしろカメラや背景など動かしてはいけないものをどうやって動かさないかが大切だと知る。
1,000枚を超える写真を撮り、よさそうなものを選んで編集ソフトに貼り付けていく。実際に使用した写真は300枚くらいか。その都度再生し、動きをチェックする。
パズル型のチョコレートは水色、ピンク、黄色、チョコレート色の4色。そのうち水色とピンクの発色がよくないという。なんとかならないかと相談される。フォトショップというソフトで水色とピンクだけ切り抜いて、色を濃くすればいい。300枚という量だけが問題だ。
一枚一枚の写真に対峙してみると撮影時にはわからなかった小さなゴミだとか、数ミリの動きで生まれるパースの変化に気付く。カメラとレンズによって映し出された写真に奥行きがあることを今さらのように知る。
編集を終えて音をつけた。ナレーションと音楽と効果音。アニメーションがさらに楽しく仕上がった。
『老人と海』を読む。本のことはいずれ書くことにする。

2018年3月25日日曜日

レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』

目黒寄生虫館に隣接するギャラリーに黒沼真由美の個展「Arthropoda」を観に行く。
黒沼真由美はレース編みでサナダ虫を編んだり、競馬をモチーフにした油彩やドローイングなど個性的な作品を創作し、すでに何度か個展を開催している。サナダ虫をレースで編もうというインスピレーションは通いつめた目黒寄生虫館で得たという。
プラ板に精緻なダニなどの絵を描き、オーブントースターで焼いたものが今回の主作品である。甲を表面に描き、脚を裏面に描く。表と裏をシームレスに描きわけることで高低差が表現され、立体感が生まれる。会場には虫眼鏡が用意されていて、拡大して見るようになっている。顕微鏡世界の新しい表現を模索したという。
東京藝術大油絵科卒業、修士課程を修了した黒沼は、テレビコマーシャルの制作会社で企画の仕事にたずさわった。当時から突拍子もないアイデアをいくつも生み出した。ただ奇抜すぎた企画案が多かったせいか、世の中でこれといった代表作は残っていない。
あるとき、小豆、それも大納言小豆をぜいたくに使ったアイスバーのコマーシャルの企画を依頼された。彼女は小豆三納言というアイデアを考えた。大納言、中納言、少納言と三人の小豆キャラクターを描き、そのなかでアイスバーになることができるのは大納言だけ、その大納言を羨む中納言や少納言が「まろもまろも、アイスバーになりとうございます~」と地団駄踏むという抜群におもしろい企画だった。
アニメーションをつくる予算がなかったのかあるいは他の理由でカタチにはならなかったけれど、今でも鮮明に記憶にのこっている。
レイモンド・チャンドラーは『ロング・グッドバイ』『さよなら、愛しい人』に続き三冊目になる。この本は初期の作品だという。そう言われてみれば若さというか青臭さを感じる。
フリップ・マーロウの活躍を読みながら、「まろもまろも」という黒沼真由美のCM企画を思い出した。