2018年12月11日火曜日

伊藤羊一『1分で話せ』

プレゼンテーションというと映像制作会社の場合、広告会社のクリエイティブが広告主に企画のアイデアを説明して、承認を得る儀式みたいなものと考えられている。
制作会社のスタッフはその資料を夜遅くまでかけてつくる。つくってはチェックを受け、修正し、再度チェック…みたいな作業を何度かくり返す。プレゼンテーションに関与するのはその程度のことで自ら壇上に立って、スティーブ・ジョブスのように発言することなど、まずない。
というわけで映像制作会社(言葉はよくないが、下請け会社)のプレゼンテーションに対する意識は低い。「私らプレゼンできませんから」みたいなことを平気で言う。所詮は他人ごとなのである。プロデューサーと呼ばれるリーダー的立場にあってさえ、である。一概には言えないが、映像制作のスキルや意識が低いところほどその傾向は強い。プレゼンテーションとは誰かがやってくれるもの、そのためにお手伝いするものでしかない。
プレゼンテーションがコミュニケーションの相手(受け手)を自分たちが動かしたい方向に動かすことであるという基本的な考えを持ち合わせていないケースが多い。プレゼンテーションというだけでなにやら儀式的な、形式的なシーンを思い描きがちだが、人生だって仕事だって、あらゆるコミュニケーションがプレゼンテーションだ。
相手は誰かを掌握し、まず結論を述べる。そしてその根拠を示す。さらに具体的に、わかりやすく「たとえば」を提示する。相手を動かすためには相手にとってのメリットを語らなければならない。自分たちの努力を語っても人は動かない。この本にはこうしたことが書かれている。他にもどんな資料が有効か、話し方は、など事細かなアドバイスまで詳述されたプレゼンテーションの指南書となっている。題名の『1分で話せ』もみごとな「超一言」になっている。
この本は売れていると聞く。少しは日本もあんしんだと思う。

2018年12月6日木曜日

金子勤『東京23区の地名の由来』

木にちなんだ殿様が6人いたから六本木とか、一色さんの屋敷が2軒あったから錦町とか、王子8人いたから八王子…。
えっと思える地名の由来は多い。そもそも地名はその地域の共通認識のうえに成り立つものだから、単純明快でわかりやすい、おぼえやすいことが必要だ。けっして難しい本ではあるまいと思っていた。
難しい本どころか、おもしろい本だった。
おもしろいというのは興味をそそられるという意味ではなく、笑えるという点でだ。
題名にあるような由来らしい由来が述べられているわけではないのである(もちろん由来らしいことが書かれているところもあるにはあるが)。
千代田区外神田は、「従来の神田地域に対して「外」であることから名付けられた俗称である」らしい。神田の由来については語られていない。
文京区湯島の由来は、「1 昔、温泉が出たから 2 確証がないので断ずることはできない 3 湯島天神付近から湯が湧いて「湯島」と呼ばれたという説」と列挙したうえで「はっきりしない」と断言する。由来になっていない。
田園調布は「大正七年以降、渋沢栄一らによって都市開発されたので「田園調布」と名付けられた」とある。意味がわからない。同じく大田区城南島は「江戸城の一番南の方に大田区があるのでそういう」としたうえで、もちろんこれだけでもじゅうぶんよくわからないのであるが、さらに「城南信用金庫もこの辺から神奈川県などをテリトリーとしている」とある。信用金庫に関して記述があるのはここだけで、小松川や巣鴨、滝野川に関しては言及されていない。なぜここにだけ城南信用金庫が登場するのか。謎は深まるばかりである。
中野区の由来も中野町と野方町の合併によって「中」と「野」が合成されたとある。これもおかしな話で中方区とか野々区ならば合成地名とわかるのだが、なんとも説得力がない。
ツッコミどころが満載すぎる。時間があったら精読して、さらにツッコミに磨きをかけたい一冊である。

2018年12月3日月曜日

小林紀晴『写真で愉しむ東京「水流」地形散歩』

下町探検隊のK隊長と神田川を歩く。
神田川といっても全長25キロメートル近くある。神田川散策といったらやはり高田馬場から江戸川橋あたりをイメージされる方が多いのではないだろうか。南こうせつとかぐや姫のヒット曲「神田川」によって東京ローカルのこの河川は一躍全国的な知名度を得る。貧しい学生時代の思い出を綴った歌であるが、その舞台が高田馬場界隈といわれている。
神田川の源流は井の頭公園である。中野富士見町あたりで善福寺川と合流し、西武新宿線の下落合あたりで妙正寺川と合流する(だから地名が落合というらしい)。上流から中流にかけては坂道が多く、この川が大地を侵食した様子がよくわかる。
とはいうものの、日没もはやい初冬の散歩ということで河口からスタート。行けるところまで遡上しようということになった。
出発は柳橋。
隅田川とは目と鼻の先である。両国橋が見えている。古くは成瀬巳喜男監督の…、幸田文原作の…、芸者置屋の…と映画は思い出せるのだが、題名が出てこない。歳も歳だし、こういうことはときどきある。そのうち思い出すだろうとあまり気に止めないようにするが、気になりだすと気になって仕方がない。主演は田中絹代。高峰秀子も杉村春子も出ていた。K隊長はといえば、柳橋といったら大林宣彦監督「天国にいちばん近い島」でしょう、みたいな顔をして歩いている。
柳橋から浅草橋、左衛門橋を過ぎて、和泉橋の手間でようやく思い出す。「流れる」だ。
その後、神田ふれあい橋、万世橋、昌平橋をわたり、聖橋までたどり着いたところで恒例の反省会と相成った。
著者はいつしか東京の地形に興味を抱き、川の写真を撮りはじめたという。神田川(とその支流)、渋谷川(古川)、石神井川と実際に流れている川のほか、日暮里や国分寺の崖線、四谷の谷底など、まさにかゆいところに手が届くような場所を選んで写真と文を寄せている。
誠にありがたい一冊である。

2018年11月30日金曜日

今尾恵介『日本全国駅名めぐり』

かれこれ20年以上前のこと。
ロケハン(ロケーションハンティング:撮影場所の下見)と称してプロデューサーのH君と盛岡まで東北新幹線に乗った。当時はまだ盛岡から先は開通しておらず、そこは新幹線最果ての駅だった。
新聞でも買いますかと言われたが、売店でJTBの時刻表を一冊買った。盛岡までの500キロ余りの距離と時間を埋めるにはうってつけと思ったからだ。車中はずっとそれをながめて過ごした。かつてたどった道のりを追体験したり、東京駅から日帰りでどこまで行けるか、その際、同じ経路は通らないで、みたいなシミュレーションをしていたら、あっという間に終着駅に着いた。
同行のH君が言う。ずっと時刻表見てましたね、鉄道っておもしろいもんですか、僕には信じられないなあ、と。3時間ずっと『GUN』という鉄砲の雑誌を読んでいたH君に言われる筋合いはない。
山手線の品川駅と田町駅の間に新しい駅ができるという。
果たしてなんという駅名になるか。下馬評では(もちろんこんなものは何のあてにもならないのだが)高輪、泉岳寺、芝浦、新品川などが有力視されているそうだ。いっそ、京浜急行から北品川という駅名を買い取ってはどうかと思う(駅名が売買されるかどうかは別として)。品川駅でさえ港区なのに、さらに品川の領土を拡張することもないと思うが。
先日、田町駅から歩いて新駅のできるあたりを散策した。第一京浜(国道15号線)に沿って山手線は走っている。位置的には都営地下鉄泉岳寺駅に近く、周辺には高輪という地名もある。ところが国道が町を東西に二分している。山手線側と高輪側をむすぶ横断歩道も少ない。もちろん歩道橋や地下通路なども整備されるのだろうが、どうも新駅は山手線の海側、すなわち東側のための駅ではないかという気がする。と考えると「芝浦」がいいんじゃないかと思う。
どうでもいいことかも知れないが、駅名というのはおもしろいものだ。

2018年11月28日水曜日

トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』(再読)

11月は忙しい。
まず初旬に自分の誕生日がある。気圧配置が冬型になり、冷たい北風がその年はじめて吹く、そんな季節だ。誕生日ないしはその前後の休日は好き勝手に過ごす。野球を観に行く。町歩きをする。写真を撮る。ビールを飲む。もっと若い頃は自分へのプレゼントとしてレコードを一枚買ったりしたものだ。
中旬になると明治神宮野球大会がはじまる。ここ何年かは仕事を休んで平日も観戦している。学生野球の締めくくりの大会である。最後の試合、大学の部の決勝戦が終わるとネット裏のアマチュア野球ファンたちが「よいお年を」とか「センバツ(甲子園)で会いましょう」などとあいさつをして帰路につく。野球の大晦日みたいな大会だ。
長女の誕生日や母の誕生日もある(もう大騒ぎをすることもないけれど)。それ以外にも飲み会など集まりも多い(今年は高校のクラス会があった)。ただでさえあわただしい12月より11月の方がゆっくり話ができそうな気がするからだろうか。
その間に来年の準備もはじまる。仕事場の先輩の年賀状はもう十年以上も前からつくっている。ちょっとした絵を描いたり、タイポグラフィーをデザインしたり。仕事場の年賀状も任されている。干支にちなんだビジュアルを考える。毎年のことだがどのみちたいしたデザインではない。
トルーマン・カポーティの『誕生日の子どもたち』を再読する(「無頭の鷹」「誕生日の子どもたち」「感謝祭のお客」は川本三郎訳でも読んでいるので再々読になる)。
少年時代のカポーティ(バディ)も11月にはミス・スックと感謝祭の準備をしたり、フルーツケーキやクリスマスツリー、そしてプレゼントにする凧をつくるなど忙しかったことがうかがえる。
来年も、再来年も、そろそろツイードのジャケットに袖を通そうか思う11月になったらこの本を読もう。そのうちミス・スックとバディからフルーツケーキが届くかもしれない。

2018年11月15日木曜日

ウィリアム・フォークナー『八月の光』

高校のクラス会があった。
3年から5年くらいの周期で開催されている。以前はあまり顔を出していなかった(部活の先輩後輩たちとの集まりと日程的にかぶることが多かった)が、最近は出席するようにしている。
教室にいつもいて、同級生たちと話し込むというタイプでもなかったし、目立つ方でもなかったので卒業してからはじめて話をしたという者も少なくない。そのせいか「今、なにをやってるの?」「学校の先生になったんじゃなかったの?」と訊かれる。会うたびに訊かれる。何年か前にもそんな話したよね、みたいな話をくりかえされる。卒業して10年かそこいらだったら、進学した大学と就いた仕事にギャップがあればそんな疑問も持たれるだろうが、もう40年も過ぎてなんでそんなことを訊ねるのだろう。
はじめのうちは広告会社でデザイナーをしている親戚がいて…などとそれなりにきちんと話していたのだが、最近ではまともに答えるのもつまらないだろうと思い、うちの家訓はこうだからとか、大学4年のとき枕辺に宇宙人があらわれてだとか適当に答えるようにしている。
どうせまた次回会ったときに訊かれるんだから。
フォークナーを何冊かまとめて読んだ時期があった。『怒りと響き』『サンクチュアリ』そして『八月の光』だ。残されているメモによると(ご丁寧にも読んだ本の著者名題名はノートに書いてあった)30数年前になる。
今年の5月に光文社の古典新訳文庫で刊行された。当初8月に読もうと思っていたのだが、『跳ぶが如く』や『西郷どん』を読んでいたせいで遅れた。
読んでも読んでも昔読んだ記憶が呼びさまされない。立ち止まって思い出そうと思っても、よみがえってこない。もしかしたら今回初読なのか。それならそれでかまわないのだが。たしかにスタインベックやヘミングウェイらとくらべるとフォークナーは少し複雑で難解だ。
20代半ばの若造の記憶にはなにも残していかなかったのである。

2018年11月14日水曜日

芝木好子『京の小袖』

明治神宮野球大会が閉幕し、今年も野球の季節が終わった。
高校の部。
夏から始動した新チームの頂点に立ったのは北海道地区代表札幌大谷。初の全国大会で今夏のメンバーを多く残す北信越地区代表星稜(今大会優勝争いの大本命だったといえるかもしれない)を降した。北海道地区代表としては2005年、当時田中将大がいた駒大苫小牧以来二度目の優勝となる。
北海道のチームというとダークホース的な印象が強いが、今回の札幌大谷は2年前のリトルシニア日本選手権にも出場していて(初戦敗退ではあったが)、今回の主力メンバーは中学生時代に神宮を経験している。力はあると見ていい。ただ明治神宮大会の優勝チームは春のセンバツ大会では苦戦している。過去優勝した44チームのうち、秋春連覇したのは松坂大輔のいた横浜(1997)と報徳学園(2001)だけだ。果たして札幌大谷はセンバツを勝ち抜けるのか。
敗れた星稜はエース奥川が春以降も注目を集めるだろう。150km/h近い速球とおそらく高校生レベルでは当てることさえ難しいスライダー、そしてフォークボールと現時点での完成度は高校ナンバーワンといっていい。1992年のセンバツで優勝した帝京は前年の明治神宮大会では準優勝だった(このときの優勝は松井秀喜を擁した星稜)。いずれにしても春が楽しみである。
大学の部は東京六大学リーグ代表の法政大が早々に敗退。混戦の東都大学リーグを生き残った立正大が二度目の優勝を飾った。三番小郷、四番伊藤祐とふたりの中軸打者がドラフト会議で指名を受けているハイレベルなチームだった。
大学野球は六大学か東都か、あるいは関西か首都大学リーグかという時代が長かったけれど、最近は九州や東北・北海道、中国・四国と強いチームが増えている。いい選手が分散しているのかも知れない。
この本はずいぶん前に読んだ。
忘れてしまわないうちにもういちど読んでおきたい短編集である。

2018年11月9日金曜日

濱田研吾『脇役本』

万年橋という交差点がある。
東京の銀座を北西から南東に貫く晴海通りという道があり、日比谷の交差点からJRの高架をくぐって、数寄屋橋、銀座四丁目、三原橋と3つの大きな交差点を過ぎると首都高速の上に橋が架かっている。もちろん昔は川だった。銀座と築地の境界である。
道を訊ねられた、橋の上で。「都営地下鉄の東銀座駅はどちらでしょう」と。たしかに目の前に地下鉄の入口はある。もぐればすぐに改札口だが、東京メトロ日比谷線の改札だ。入口にも都営地下鉄という表記はない。少し銀座側にすすんで歌舞伎座脇の入口から降りた方がいい。
「ありがとうございました」の背中を呼び止める。都営地下鉄に乗ってどちらまで行くのですかと今度はこっちが訊ねかえす。行先は浅草だという。であるならば歌舞伎座脇の入口よりその先の方がいい。押上方面は反対側のホームだ。地下に潜ってさらにその下の通路を通らなければならない。歌舞伎座の先の大きな交差点を渡ると地下鉄の入口がある。そっちのほうが便利だと伝える。
はじめからそう教えればよかった。二度もお礼を言わせてしまった。
脇役本というのは映画や芝居でいつも脇をかためる役者が遺した書籍ということらしい。造詣の深い著者がカテゴライズしたジャンルといえる。
名前だけ見ても知らない役者が多い。ひとつには年代的に古いからであり、もうひとつは映画やドラマでは知ってはいてもその役者の名前までは知らないということもある。目次をながめてすぐにピンとくるのは加東大介、志村喬、有島一郎、芦田伸介、加藤嘉…、おそらく半分にも満たない。それでも吉田義夫のように「悪魔くん」のメフィストの人か!といった具合に読んでいて思い出せる役者もいる。
編集担当は映画好きな人だとC書房にいる友人に聞いた。
しばらくたって今度は新大橋通りの築地本願寺前でナミヨケシュラインはどうやって行くのかと訪日外国人に訊ねられた。
うまく教えられたかどうか…。

2018年11月4日日曜日

寺本潔/澤達大編著『観光教育への招待』

もう30年近く前、タヒチに行った。
青い海とスコールがあるだけで何もない島で一週間ほど何もしないで過ごした。喉が乾いたのでどこかでビールでも飲もうということになった。妻と並んでカウンターに座ってビールを注文する。“ドゥービエール、シルヴプレ”とかなんとか言ったのだろう。ヒナノビール(タヒチで醸造されているビール)が瓶で2本置かれた。
フランス語は少し齧ったことがあった。少し齧ったところで歯ぐきから血が出たのでやめた。それはともかくカウンターの隣に腰かけているおそらく西洋人であろう男性が背の高いグラスに注がれた生ビールを飲んでいる。常夏の島である。気分としては瓶ビールより生ビールだ。妻も生ビールが飲みたいという。やれやれ、どう言ったらいいのだろうと思った瞬間、ふと記憶が呼びさまされた。
生ビールは“アンプレシオン”だ。男性名詞だ。
そこでこんどは“ドゥープレシオン、シルヴプレ”と言うとカウンターの中の男は(おそらくは“ダコ”とかなんとか言ったのだろう)背の高いグラスにサーバからビールを注ぎはじめた。2杯の生ビールが並べられた。
つくづく記憶というのは不思議なものだ。学生の頃、暇にまかせて聴いていたNHKのラジオ講座で生ビールを注文する場面があった。それを思い出したのである、奇跡的に。
日本は観光立国をめざしている。
どこに行っても訪日外国人であふれている。彼らのなかにも日本語の勉強を齧った者もいるだろう。そして歯ぐきから血が出て挫折した者も。そういう観光客たちにおいしい生ビールを注いであげることこそ観光教育のねらいである。
というのは冗談で、自分たちの暮らす地域にある観光資源の魅力や課題を見出していく、そして観光客の立場に立って、観光マップやポスター、ガイドなどをつくり、発表する実践が観光教育であるという。そう考えると普通の社会科や地理よりもたのしい授業になりそうな気がしてくる。

2018年10月31日水曜日

デービッド・アトキンソン『新・観光立国論』

日本も人口減少がはじまった。2040年代には毎年100万人以上のペースで減っていくという。一年ごとに仙台市や広島市、千葉市がなくなるというわけだ。
人口が減ってしまうと労働力が不足し、行政サービスが不十分になる。東京都内の鉄道は山手線以外はなくなるとも言われている。大都市が廃墟となる。
今から心配しても仕方がないが(そのときなればなったで何とかなるだろうという見方もあるはずだ)、どのみち人口が減っていいことはなさそうだ。国としても生まれてくる子どもを増やそうだのいろんな施策を考えているのだろうが、おいそれとは人口なんか増えはしないだろう。海外からの労働者を受け容れるという選択肢もある。移民である。ヨーロッパやアメリカでは一般的なことになっている。もちろんそれにともなう社会問題も後を絶たないが。移民は必要だろうが、百数十年前まで鎖国をしていた島国で果たして根付くだろうか。日本人の国民性からして移民政策は馴染めないと思う。
と、そこで著者が提案するのが「短期移民」という考え。つまりは観光客を増やして外貨を落としていってもらおうということだ。
最近訪日外国人旅行者が増えている。どこに行っても外国人でいっぱいだ。鉄道の乗換案内や切符売場には日本語・英語・中国語・韓国語で表記されている。年々増える一方で2020年には4,000万人に上ると言われている。
ところがだ。2017年に前年比20%近く増え、3,000万人近く海外からの旅行者が訪れた日本はまだまだ観光後進国であるという。海外からの旅行者の多いフランス、スペインは8,000万人以上、アメリカは7,500万人超。日本は世界ランキングは12位。ベスト10にも入っておらず、アジアの中でも香港、台湾を含めた中国やタイに大きく後れを取っている。
だからこそ観光産業に力を注いで、観光立国しなさい、というのがデービッド・アトキンソンの提言なのである。

2018年10月30日火曜日

箕輪厚介『死ぬこと以外かすり傷』

野球の季節もそろそろ大詰めである。
高校野球は夏以降始動した新チームによる地区大会がほぼ終わり、来月の明治神宮野球大会を迎える。大学野球は4年生が出場する最終の大会となる。社会人野球日本選手権もまもなくはじまる。
今年はドラフト会議で高校生の有力選手複数に指名が重なった。全体的にレベルの高い世代だったかもしれない。甲子園で春夏連覇した大阪桐蔭からはなんと4人も指名を受けた。昨年の主力の多くが東京六大学など進学する者が多かったことを考えるとやはり今年の方がいい選手がそろっていたのだろう(それでも今年のエース柿木連より昨年の徳山壮磨の方が上だと個人的には思っているが)。
根尾昴と報徳学園の小園海斗は4球団から入札があった。小園と3球団から入札があった藤原恭大は将来的にどんな選手になるかイメージしやすい。たとえば巨人の坂本みたいな遊撃手になるだろとか瞬足強肩強打の外野手になるだろうことは想像できる(実際は厳しいプロの世界だからそう簡単にはいかないだろうが)。わからないのが根尾だ。外野もできる内野もできる投手もできるということではやくも二刀流かなどと騒がれているが、身体能力の高さを活かすのなら遊撃手ではないかと思っている。それも吉田義男や藤田平、石毛宏典のような華麗な守備を見せる巧打者ではなく、高橋慶彦や松井稼頭央のような野性味あふれる選手になりそうな気がしている。それだけ計り知れないものを持っているように思えるのだ。もしかしたら長嶋茂雄をも超えるのではないかなどと大それた期待すら持っている。
箕輪厚介という人物は知らなかったが、ベストセラーを次々に世に出す敏腕編集者だという。編集という仕事に携わっている知人は何人かいるが、その職種がどういうものかもわからない。
こうした武勇伝で若者たちを煽る時代でもないだろうと思うが、逆に考えると語気荒くけしかけなければ世の中におもしろいものが生まれなくなった時代なのかも知れない。

2018年10月26日金曜日

鷹匠裕『帝王の誤算』

仕事場が麹町から築地に移ってもうすぐ3年になる。
今さら築地?とも思ったけれど、地下鉄都営浅草線に乗れば京成沿線に出られるし、東京メトロ日比谷線に乗れば、入谷や千住、さらには東武沿線も近い。下町好きにはかなりいい立地だ。少し歩いて隅田川を渡れば、佃や月島もすぐそこだ。麹町みたいな山の手特有のアップダウンはないけれど、それもまた東東京の楽しみでもある。
広告制作に長いこと携わってきた。築地は広告業の遺跡が遺されている。
電通は1967年、提灯行列を連ねて銀座からこの地に移ってきた。現在は本社ビルを汐留に構えているが、長いこと築地を拠点としてきた。本社ビルはまだ解体されることなく遺されている。建築家丹下健三の設計だと聞いている。周辺の建物を見ても、これだけ個性的なビルはあまり見ない。本社ビル移転後も電通は成長を続け、第2ビル、第3ビル…と複数のビルで業務を行っていた。計り知れない猛烈な勢いで成長を遂げていった広告会社であることがそれだけでも察することができる。
この小説は電通の話ではない。フィクションである。舞台は「連広」という広告会社だ。
連広の社員は連広社員手帳(通称連帳)を持っている。RENNOTE(レンノート)ではない。第4代社長押田英世の残した「十の掟」が記載されている。主要広告主はトモダ自動車である。自動車業界第2位のニッシン自動車の扱いもあったが、ライバル会社弘朋社に奪われる。その昔どこかで聞いたような噂話が次から次へと登場する。読んでいてハラハラする。知らない人からすればまったくのフィクションだけれど、少し知っている(それは真実かどうかは別として)人にとっては、である。
登場人物はそれなりの地位の方々である。会ったことはないけれど、名前くらいは知っている。いやいや、これはフィクションだから、架空の人物である。知っているはずがない。それはじゅうじゅうわかっている。
わかってはいるんだけどね。

2018年9月26日水曜日

西村まさゆき『ふしぎな県境』

横須賀線の西大井駅とその周辺はもともとあった三菱重工の工場跡地を再開発した地域である。その東側にやはり三菱系の日本光学(現ニコン)の工場があり、今では暗渠となっている立会川に沿って大きな工場が並んでいた。
立会川の北側は住所でいうと品川区二葉二丁目、南側は同じく西大井一丁目である(町名が改正される以前の昭和31年の地図によると二葉四丁目、大井森下町となっている)。この境界は古く東京35区時代の品川区と荏原区の区境だった。警察や消防の管轄も北は荏原、南は大井である。
ところが地図をよく見てみると、西大井駅付近のかつて立会川が流れていた流路を越えて、その北側に西大井一丁目が張り出しているところがある。マンションと小さな工場が並んでいるのだが、右と左で町名が変わるのである。
長いこと不思議に思っていた。三菱重工が境界もろとも川を越境して工場の施設をつくったためではないかと想像していたが、そもそもこの工場ができたのが昭和初期。地名はそれよりももっと前からあったはずである。そう考えると立会川の流路が以前は蛇行していたと考える方が妥当か。
こうしたどうでもいいことが気になるようになって、東京23区の区境に興味を持つようになった。それもできれば住居表示板があってひと目でわかる区境に。
もちろん都県境や県境にも興味はある。
この本を読む限り、県境や都県境をめぐるにはそれなりの体力が必要だと思う(青島幸雄的に言うと手間もかかるし元手もいる)。それでいて一枚の写真で境界がわかりにくい。ここから何県、ここから何県という明確でドラマティックな記号がほとんどない。著者は心の眼で見よというが、それは旅する個人で楽しむ分には大いに結構なのだが、ソーシャルネットワークの時代にあってひと目で共有できる楽しみがないというのはいかがなものかと考える。
そういうわけで僕は細々と東京23区区境の旅に勤しんでいるのである。

2018年9月25日火曜日

吉村昭『鯨の絵巻』

南房総に乙浜という集落がある。房総半島最南端の漁港があることで知られている。父が生まれたのは、その乙浜である。
吉村昭の長編小説『ふぉん・しいほるとの娘』に乙浜村が登場する。幕末に近い天保の時代、各地で漂流民となり外国船に助けられた船乗りたちが守谷(今の勝浦市)や乙浜に上陸したという記述が残っているそうだ。
1935(昭和10)年10月30日。乙浜港の氷貯蔵庫で火災が発生する。隣接する七浦村(後の千倉町)の消防団も駆けつけ、出火から一時間半後の21時半ころ下火になる。が、そのとき焼け落ちた倉庫が大爆発を起こす。逃れるすべもなく消防団員他15名が落命する。
七浦村の消防団団長を務めていたのが僕の祖父渡辺福次郎であった。
爆発事故を聞き、必死の思いで走ってきた祖母センは土砂の中から突き出た脚を見つけ、助けを求める。掘り出され、館山の病院に搬送された祖父は一命をとりとめた。
倉庫の中には圧縮酸素とダイナマイトが格納されていた。1907(明治40)年3月。房総沖で座礁した米大型商船ダコタ号の引き上げと解体に使用される資材だったという。
祖父と祖母の五番めの子として母が生まれたのが昭和9年11月。もしこの事故で祖父が殉職していたら、母に続く叔母、叔父はいなかった。
乙浜といえば捕鯨でも知られていた。今でも千倉町の隣、和田町に捕鯨基地があるが、1972(昭和47)年まで乙浜にも捕鯨基地があった。今では跡地にリゾートマンションが建ち、隣接する公園には明治初期に建てられたという鯨塚が遺されている。
南房総はカジキの突棒(つきんぼ)漁がさかんだった。鯨もカジキ漁の延長線上にあったのかもしれない。
第一次産業をあつかった吉村昭の小説は思わず息を呑んでしまう。どんな仕事もいのち懸けにはちがいなだろうが、各編に生命と生命の壮絶な戦いがある。人間だろうと動物だろうと軽んじていい生命はない。

2018年9月8日土曜日

林真理子『西郷どん!』

NHKの大河ドラマはたまにしか視ない。というかほとんど視ていない。
最初に全部視たのは「新・平家物語」だったと思う。次いで「新選組!」、そして「花燃ゆ」と通しで視たのは自慢じゃないがこの三本。
C書房に高校時代の友人がいる。文学少年、文学青年を経て出版社に勤務しているだけあって、「樅の木は残った」も「花神」も視ていたという。1970年といったら「巨人の星」と「あしたのジョー」くらいしか僕はテレビを視ていなかった(少なくとも記憶にあるのはその程度である)というのに恐ろしい友である。
大河ドラマというのは大河ドラマというだけあって、キャストもたいへんである。今回の「西郷どん!」は大河ドラマ初登場の鈴木亮平が西郷吉之助役だが、大久保一蔵役の瑛太は「篤姫」では小松帯刀だった。そのときの西郷は小澤征悦。「花燃ゆ」では宅間孝行。そんなことを言ったら今回の坂本龍馬は小栗旬だが、「龍馬伝」では福山雅治、「篤姫」では玉木宏、古く「竜馬がゆく」では北大路欣也だった。
きりがないのでこの辺でやめる。
小説の世界も似たようなものかもしれない。西郷吉之助を主人公にした作品はこれまでいくつもあった。歴史小説を書き続けてきたわけでもない作者が幕末維新の英雄伝を書くにはそれなりの覚悟もあっただろう。
先述のとおり大河ドラマはほとんど視ていないが、林真理子の本も一冊も読んだことがない。読んでみたいと思う作品は何冊かあったにはあったけれど手にとって目を通すまで至らなかった。今回はじめて読む作家である。
読みにくくないというのが第一印象である。読みやすい作家もいれば読みにくい作家もいる。読みやすい人だとするする読めて、後味がわからないこともある。むしろ読みにくい方がちゃんと読むから少しは何かが残るのだが、やはり読みにくいものは読みにくい。
その点読みにくくない本はありがたい。
ドラマではずいぶん脚色されているが、原作はすっきりしている。それもよかった。

2018年8月27日月曜日

司馬遼太郎『跳ぶが如く』

今年は明治150年という節目の年だ。
幕末から維新にかけての立役者は誰か、となれば意見のわかれるところだろう。坂本龍馬という人もいれば、桂小五郎、勝海舟を推す声もある。教科書どおりにさまざまな見解を集約すればやはり西郷なのだろう。NHKの大河ドラマでは「西郷どん!」が放映されている。それがなによりもの証といえる。ちなみに明治100年にあたる1968年は「竜馬がゆく」だった。
幕末維新は長い日本の歴史の中でも比較的新しい変革の時代であるにもかかわらず、史実だけを追っても解釈することが難しい。創造の手助けが必要になる。教科書では理解できなかった歴史が小説家の視点を通して、鮮明でリアルなものとなる。もちろん事実か否かというのは定かではないけれども、僕たちは厳密な真実だけを追い求めているわけではない、何ごとにおいてもそうだが。
幕末の世に思いを馳せるにあたって、吉村昭の長編小説は大いに力になってくれた。『長英逃亡』、『ふぉん・しいほるとの娘』、『桜田門外ノ変』、『生麦事件』など。忠実に資料をたどる吉村もさることながら(あるいはそう思わせるように書いているだけかもしれないが)、幕末維新の核心となる部分で司馬遼太郎の果たした役割は大きい。司馬にしても創作としての歴史をでっち上げたわけではなく、綿密に資料を読み込み、取材を重ねてドラマのディテールを構築している。遠くから歴史をながめる読者を刺激してやまない。
ご存知のとおり、『跳ぶが如く』は「西郷どん!」の原作ではない。舞台は維新後(征韓論から西南戦争)である。まず読むべきは林真理子の原作『西郷どん!』なのだろうが、司馬遼太郎から読まないとどことなく落ち着かない。というわけでまずはこの本からということになった次第である。
それにしても維新後の西郷吉之助に何が起こったのだろう。大河ドラマの西郷は幕末にあって維新に向かってまっしぐらに突き進んでいる。

2018年8月22日水曜日

坂崎仁紀『うまい!大衆そばの本』

高校野球では公立校を応援している。
公立出身だからといえばそれまでだが、甲子園に出場する都道府県立、市立の高校に肩入れする傾向がある。そういった点からすると今年は都立小山台が東東京大会で決勝進出し、甲子園の選手権大会でも秋田県立金足農が決勝に進んだ。両校とも最後の試合で涙をのんだわけであるが、よくやったと許してしまうのも公立ファンならではかも知れない。所詮は選び抜かれた野球エリートが集まる強豪私立にかなうわけがないのだという甘えがある。そういったゆるさは嫌いじゃない。
個人的に蕎麦屋を三種類にわけている。ひとつは「町蕎麦」と呼んでいる普通の蕎麦屋である。基本出前をしてくれる。その対極にあるのが「老舗蕎麦」であり、かんだやぶや室町砂場を筆頭に昔ながらの名店である。きちんと線引きできるかどうかは実は微妙なところで、たとえば神田のまつやは老舗でありながら、限りなく町蕎麦屋に近いと思っている。
もうひとつが「独立系」で主として老舗系で修業を積んで独立したり、脱サラして夢をかなえた蕎麦屋である。基本的に少しおしゃれで少し値の張る蕎麦屋であることが多い(僕があまり行かない蕎麦屋でもある)。
お昼からちゃんとつまんで、お酒を呑むなら迷わず老舗系を訪ねる。日常的に昼食ということであれば町蕎麦屋に入る。はじめて訪れた町で鄙びた蕎麦屋ののれんをくぐるときのわくわく感は何ものにもたとえようがない。
もうひとつの蕎麦屋を忘れていた。「立ち食い系」である。これまで立ち食いそばは町蕎麦屋の下に位置付けていたきらいがあった。だがここ半年以上、都内の立ち食いそばを食べ歩いてみて、立ち食いそばは町蕎麦の一ジャンルであると認識を改めた。
著者の坂崎仁紀の提唱する「大衆そば」はそれまでの僕の蕎麦に対する考え方に大きな変革をもたらしてくれたのである。
そして今日のお昼も迷うことなく、大衆そばだ。

2018年8月20日月曜日

吉村昭『魚影の群れ』

夏のお盆休みを南房総で過ごすようになってもう何年にもなる。
東京がどんなに猛暑でも南房総は朝晩には涼しい風が吹き、しのぎやすい、というのが例年のパターンだったのだが、今年は違う。まるで東京にいるように暑い。夕方陽が翳ってもすぐには涼しくならないし、朝は太陽が昇るとさっそく暑くなりはじめる。ここ何年かの猛暑化傾向は外房の海辺の町にまで押し寄せている。直射の日差しが痛いくらいだ。
昔からエアコンはなかった。あるのは商店くらいで昔ながらのつくりの家でエアコンを付けているところはほとんどない。必要がなかったといえばそれまでだが、最近の住宅は建材や断熱材の関係か熱がこもるらしく、取り付けている家も増えたと聞く。
隣町には母の生家があり、墓地もある。毎年墓参りに訪れる。従兄の家に立ち寄って線香をあげる。さすがに今年は暑いからといってエアコンを取り付けたという(取付工事までしばらく待たされたらしい)。アイスコーヒーをごちそうになり、久しぶりにエアコンの風を浴びた。
『魚影の群れ』は4年前に読んでいる。吉村昭の第一次産業もの(と自分で勝手に分類している)である。おさめられている短編の中では宇和島のネズミ騒動を題材にした「海の鼠」の印象が強かったが、今思い出されるのは表題作である。多分に相米信二監督の映画の影響が大きいかと思う。青森大間のマグロ漁師緒形拳もさることながら、当時新進気鋭の佐藤浩市、本格的な女優になりつつあった夏目雅子が今でも印象に残っている。
南房総で夏を過ごしていると親戚や近所の人からイセエビやアワビ、サザエなどをいただく。千葉のイセエビは豊漁が続いていて、本場三重県よりも漁獲高が高いという年もあるという。10分ほど塩茹でするだけでおいしく食べられる。
イセエビはえび網を仕掛けて獲るという。そこにはマグロを捕らえるのと同じようなドラマがあるのではないかなどと想像をたくましくしてみる。

2018年8月17日金曜日

山本周五郎『正雪記』

新しきは旧きを駆逐する。
映像の世界ではずいぶん前にフィルム(アナログ)がデジタルの波にのまれた。フィルムで撮影した映像にはそこはかとないニュアンスや味わいがあったけれども、今となってはフィルムを用いなくとも同等かそれ以上の質感を醸し出すことができるようになっている。そうこうするうちにフィルムカメラもフィルムを扱う熟練した技術者も、フィルムそのものも現像所の数も少なくなってしまった。
もっと身近なところでいえば、PCなどのデジタル機器がそうだ。いかにすぐれたスペックを持っていようと、5年前、10年前の機種は時代から取り残される。次から次へと生まれる新しい機能に対応できなくなる。
歴史をさかのぼってみても新たな時代のはじまりとともに、旧体制は不要なものとされ、駆逐されてしまう運命にある。明治維新後の士族が不平を膨らませて爆発した。同じようなことはすでに徳川幕府の初期にあり、新しい体制によって仕事を奪われた武士たちの多くが浪人となって、日本中そこかしこにあぶれてしまった。
この本は職を失った武士たちを救済すべく立ち上がった由比正雪の物語である。
いわゆる慶安の変(由比正雪の乱)は1651年のできごとである。同じ山本周五郎の名作『樅の木は残った』で語られる伊達藩取り潰しが画策される時代にほぼ近い。
江戸時代のはじめはまだまだ緊張感のみなぎる時代だった(たいして日本の歴史を勉強してこなかったけれど山本周五郎が素晴らしい小説にしてくれていてたいへん助かる)。新体制に立ち向かう旧体制という図式は(おそらく)今も変わらないだろうが、たいていの場合、旧い方が分が悪いと思う。アナログ陣営が反乱を起こしたって、どう考えてもデジタルには勝てそうにない。10年前のPCが何百台集まったところで最新スペックのデジタルデバイスの方が圧倒的に便利で駆逐されてしまうだろう。
残念なことではあるけれど、それが現実というものだ。

2018年7月13日金曜日

吉村昭『暁の旅人』

少し前のことだけれどカタカナ表記、とりわけ外来語の表記は難しいといったことを書いた。それとは別の話になるが、ローマ字というのも厄介なものだ最近(というかずいぶん前から)思っている。
くわしくはわからないがローマ字にはなんとか式といった流派というか宗派みたいなものがあるようだ。いろいろあるようなのでくわしくわかろうとしていない。例えば石原さんという人がいる。名前を裕次郎としよう。
Yujiro Ishiharaと表記することが多いように思う。たいていの人がこれでユウジロウと読んでくれる。だが違った書き方の流派もある。Yuujirouと書いても間違いではない。
アン、ウン、エン、オンが難しいのはフランス語とローマ字であるが、不思議と小泉純一郎をコイズミジュニチローと読んだり、田園調布をデネンチョウフと読む人も少ない。日本人はローマ字に対しても識字率が高い。
ハ行はHaHIFuHeHoになることが多い。フだけが特別扱いされる。タ行もTaChiTsuTeToだったりする。チョがChoだったり、リョがRyoだったりする。めんどくさいが、そうなっているから仕方ない。立教大学はRIKKYOと表記されているが野球部のユニフォームにはRIKKIOと縫い付けられている。
行った先々でルールが生まれる。時代とともに変化する。それはそれでいいことだ。
幕末を舞台にした小説にときどきあらわれる医師松本良順は、長崎でオランダ医学を学び、幕府のお抱え医師として激動の時代を生きた。戊辰戦争では幕府陸軍、奥羽列藩同盟軍の軍医として帯同した。日本史のいちばんおいしいところを目の前で見てきたわけだ。交友関係も近藤勇や榎本武揚などがいる。ちょっと人に自慢したくなるような一生だったにちがいない。
それはともかくとして昔の日本人はどうやって外国語をマスターしたのだろうか。たいへんだったんだろうな。想像しただけで眠くなってくる。