2019年4月11日木曜日

山本一力『芝浜』

寝る前に落語を聴くようになった。
以前は読みかけの本を読んでいたが、もう寝るというのに目を酷使するのもいかがなものかと年相応なことを考えるようなった。YouTubeにはたくさんの演目がアップロードされている。タブレット端末にイヤホンを差して聴く。ところが本を読むのも落語も聴くのもさほど変わりはない。すぐにうとうとしてくる。気がつけば画面は真っ暗。最後がさっぱりわからない。落ちていたのは自分だった。
古今亭志ん生の「らくだ」は最後まで聴くのに一週間もかかった。ヘミングウェイは「誰がために鐘は鳴る」を5回観たという。イングリッド・バーグマンがそんなに気に入ってくれたのかと訊くと、がまんできずにすぐ映画館を出てしまうので全部観るのに5回かかったという。志ん生のらくだがつまらないわけではない。ついつい睡魔に負けてしまうのである。
五代目古今亭志ん生は、NHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でビートたけしと森山未來が演じている。ドラマのナビゲーター役でもある。次男が高級ふりかけ錦松梅のテレビコマーシャルでおなじみだった三代目古今亭志ん朝だ(縁あっていちどお目にかかったことがある)。志ん生は1973年に他界している。リアルタイムで聴いたことはない。
志ん生の落語は聴く側を身構えさせない。自然体で聴くことができる。これが立川談志のようにたたみかけてくるとそうはいかない。聴かなくちゃという思いが強くなる。ついつい最後まで聴いてしまう(もちろんそれでいいに決まっているのだが)。そもそも眠るために落語を聴くという行為自体がおかしいのだが「もう寝よう、でも落語を聴きたい」という相矛盾する願いをかなえてくれるあたりがやはり志ん生の名人たる所以なのかもしれない。
立川談志の「芝浜」はいい話だ。落語は芸術なんだと思い知らされる。ただし寝るとき聴くのはよくない。夢になってしまうからだ。

2019年4月10日水曜日

ダグ・スティーブンス『小売再生 ―リアル店舗はメディアになる』

仕事のために読む本がある。読まなければならない本とでも言おうか。読まなければならないということもない。読んでおいた方がいい、くらいの本である。
たとえばほとんど知らない業種の動画シナリオを頼まれたりする。ネットで基本的な情報やニュース記事を集めて読んでも身に入らないことがある。そんなときに当該業界を扱った話題の本を読んでみる。ネットの記事や動画を見てもピンと来なかったものがうすぼんやりではあるけれどカタチになってくる。そういうことがたまにある。
とはいうものの、「仕事で読まなければならない本」という概念がかっこわるい。やらされている仕事、やる気のしない宿題みたいな感じがする。そこに自主性が欠けている。好きでもないものに、興味のかけらもないものに費やす時間が嫌いなのだ。その一方で、不本意な仕事でもよろこんでこなすことが大人である。いやだいやだと言いながら一日中本を読んでいる。いつまでたっても大人になれない。それもまたかっこわるい。
正直に言って、リアル店舗がネット通販に凌駕されようが、壊滅させられようがどっちでもいいと思っている。さしたる興味はない。先日読んだ『リアル店舗の逆襲』は最新のテクノロジーを駆使してお店を再生させようという、どちらかといえばテクニカルな内容の本だった。今回読んだこの本は違う。ネット通販の圧倒的な破壊力をきちんと分析した上でリアル店舗のネクストを切り拓こうとしている。
いまだに活気のある商店街が東京にもいく箇所か残されている。足を運んでする買い物の楽しさがある。そんな町を歩くと少しばかり元気になる。昔ながらの商店街がいきなりメディアになることは難しいだろうが、人を寄せつける力のある限り、リアル店舗は可能性を秘めている。
というようなことを思い描きながら読みすすめる。仕事で読まなければいけない本の中身がいつしか自分ごと化してくる。
少し大人になったような気がしてくる。

2019年4月7日日曜日

リテールAI研究会『リアル店舗の逆襲』

目黒川の桜がきれいだというので目黒駅で下車。西側が斜面になっている。夕陽がまぶしい。
初老の、といっても僕より十かそこら歳上と思われる上品な紳士と目が合う。道を訊ねたかったのだろう。
「すみません、アマゾン川がこの近くにあると聞いたのですが」
とっさに目黒川の桜を見にきた人だろうと思い、アマゾン川ではありません、目黒川です、今日あたり満開できれいですよ、この坂道を下ったところです、などと返答する。ちょうど僕も川沿いを歩こうと思っていたので、いっしょに歩くことにした。
「さがしてる本がありましてね」
聞けば、古書を探して早朝の高速バスで北関東のとある都市から東京に出てきたという。神田神保町に向かい、目ぼしい古書店を見てまわったが、お目当は見つからない。都内かその近県に娘さんが住んでいて、電話をしたらしい。
「アマゾンならあるっていうんですよ。それで交番で訊ねたら、目黒だというんで地下鉄でここまで来たんです」
それからしばらくアマゾンのことを話した。
そのうち、どこかでビールでもいかがですかと誘われた。僕のスマートフォンで検索し、駅前のコーヒーショップでご所望の本が見つかる。
「よかった。そこのアマゾンで買えるのですね」
この画面に出てくる商品はすべて通信販売で売られているものなんですとあらためて説明する。大きく肩で息を吐き、「そうですか」という。
結局、僕が購入して送ることにした。代金はその場でいただいた。送料もお支払いしますと言ってくれたが、ビール代でじゅうぶんですとおことわりした。
最初に彼が訊ねたのは、この近くにアマゾンはありませんかだったのだ。目黒川をめざしていた僕がそれをアマゾン川と聞きまちがえたのだ。
リアル店舗はオートメーション化をはかることでネット販売に対抗している。要するにそんな内容の本である。
ここに記したことはつくり話であるけれど、彼のもとにちゃんと本が届いたかどうか気になっている。

2019年4月5日金曜日

半村良『小説浅草案内』

元号が平成になったばかりの頃、浅草の仲見世でテレビコマーシャルを撮影した。もう30年も前のこと。
昭和の初期以前に生まれた方にとって、浅草は日本を代表する歓楽街だったと思われる。東京に来たら、まずは浅草、そして銀座、だったのではないだろうか。小津安二郎監督「東京物語」で上京した父と母(笠智衆と東山千栄子)を戦死した次男の嫁原節子が観光に連れて行く。浅草の空が画面いっぱいに映し出される。
浅草に遊びに行く世代でなかった僕が言うのもおかしな話だが、当時の浅草は今でいう東京ディズニーリゾートのような存在だったのではないだろうか。エンターテインメントあり、グルメあり、遊園地あり、およそ娯楽と呼ばれるジャンルのものはひととおりそろっていた。誰もが憧れる全国区の観光地だった。
しかし、時代とともに新宿、渋谷、池袋、お台場とターミナル駅を中心に人の集まる町が増えていく。それに合わせて浅草も少しずつ廃れていく。往時の輝きをずっと保持していたら、浅草はきっと世界遺産に選ばれていたことだろう。
浅草を舞台にした小説としては川端康成や高見順が知られている。もちろん時代小説も多い。半村良と聞くと『戦国自衛隊』がすぐに連想されるが、以前『葛飾物語』という作品に出会い、SF作家だけではなかったことを知る。
本所、深川を皮切りに方々移り住んだ著者が浅草にたどり着く。浅草の町を歩き、浅草の人をながめ、川本三郎のように路地や横丁に姿をくらます(それでも下駄の音でわかってしまうと思うが)。ひたすら庶民であり続けようとする。かなり素敵だ。
浅草というと浅草寺のある浅草公園の周辺、雷門や仲見世、公園六区のあたりと限定しがちだが、東京15区時代の旧浅草区が、南は神田川の北岸、西は合羽橋、北は三ノ輪や南千住と接するあたりまであったように思いのほか広い。半村良と出会った粋で素朴な浅草っ子たちがこの小説の主人公といえる。

2019年3月28日木曜日

中川寛子『東京格差』

機能が限られた町は脆いという。
閑静な住宅街も商店街もオフィス街もそれだけである限り、時代の変化の波にのまれてしまう。たとえば高齢化の波とか。郊外のロードサイドに大型店舗が集まることでそれまで繁華街だった駅前商店街がシャッター商店街と化す。町の出入り口が鉄道の駅でそこに外から内から大勢の人が集まってきた時代の常識では考えられなかった変化だ。
そうならないためのキーワードが多様性であるという。何かの機能に特化したまちではなく、さまざまな機能を持ち、幅広い年齢層を受け容れる複合的な町づくりが、今必要とされている。タワーマンションを建てるなら、ファミリー層だけを受け容れるのではなく、若年層も高齢者も取り込む。コンビニがあり、保育施設があり、介護や医療のための施設がある。さらに複合化をすすめて商業施設やオフィスを誘致する。さまざまな世代、家族、職業が出入りする建物になる。こうしたことが寂れない町づくりの一歩だという。
1895(明治25)年に築造された中央区月島は深川からの相生橋が架かるまで渡船でしか行き来できない町だった。工場労働者や魚河岸で働く人々が主な住人だった。
勝鬨橋が架けられ、路面電車が縦断する。商店も増え、利便性が増す。ところが昭和30~40年代までにぎわっていた町に高齢化が押し寄せる。商店は貸店舗になり、いつしかもんじゃストリートと呼ばれるようになる。そしていつの頃からか再開発が進む。
昔ながらの町並みや風情が好きだという人も多いだろうが、月島は(佃、石川島、勝どきも含め)大きく変わろうとしている(というかかなり変わってしまっている)。タワーマンションに都内近郊や地方から多くの人が移り住み(それもさまざまな年齢層や家族構成で)、そこで働き、買い物をし、日々暮らしていくことが月島という町を生きながらえさせる手段であるとするならば、それはそれでけっこうなことだと思うほかない。

2019年3月27日水曜日

三浦しをん『星間商事株式会社社史編纂室』

かれこれ70年近く昔の話。
母は、佃の叔父(僕にとっては大叔父)の家に寄宿して、明石町の洋裁学校に通っていた。そのころ佃大橋はまだ架けられておらず、住吉神社にほど近い渡船場からポンポン蒸気で隅田川を渡っていた時代のことである。
東京に出てきて右も左もわからなかった母であったが、しばらくして声をかけあったり、話をするような友人もできたという。なにぶん80も半ばにさしかかった母の記憶であるからあやふやなところも多いのだが、そのなかに歌舞伎座の裏の肉屋から通ってきている友だちがいたという。どうしてそんなことを憶えていたのだろう。歌舞伎座の裏の精肉店がさほど珍しかった時代でもあるまい。聞けばその友人は、両親が千葉県銚子の出身で(母は南房総の千倉町出身である)、洋裁学校に来るのにコロッケをたくさん持ってきて、おすそ分けしてくれたという。
歌舞伎座の裏、肉屋、銚子、コロッケ。それはもしかしたら(もしかしなくても)チョウシ屋ではあるまいか。コロッケパンでおなじみのチョウシ屋に娘さんがいて、母と同じ明石町の洋裁学校に通っていた。
以前、三浦しをんの辞書を編纂する小説を読んだ。こんどは社史をつくる話だ。人間だろうが会社だろうが、歴史をたどる仕事は楽しそうだ。辞書のときと同様、いろんな意味で濃いキャラクターがそろっている。現実にはこんな会社はないだろうが、ドラマだったらあり得る。そう思うと普通の小説かも知れない。
チョウシ屋のコロッケパン、メンチパンは築地界隈の編集スタジオなどで仕事をしているときにおやつとしてよく食べた。今でも昼どきにお店の前を通りかかるとけっこうな行列ができている。お昼に並んで買って食べるコロッケパンは揚げたてでうまい。
70年前、母はどんな思いでこのコロッケを食べたのだろう。こんどチョウシ屋に行ったら、むかし明石町の洋裁学校に通っていたその人の消息を聞いてみようと思う。

2019年3月26日火曜日

ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』

ずっと常識だと思っていたことがいつの間かそうでなくなっている。
高校生の頃、もう40年以上前のことだが、部活動の練習中に水を飲むとバテやすくなるだとかそんな理由で水分補給ができなかった(戦争中の考え方の名残りという考えもあるらしい)。今、運動時水分補給法みたいな法律が施行されたら当時の指導者たちはこぞって有罪判決を受けることだろう。
歯磨きの仕方だってそうだ。これは50年以上前。歯ブラシを上下に動かして磨くように教わった。それも保健の先生が朝礼台の上で両手じゃなきゃ持てないような巨大な歯ブラシを使い、音楽に合わせてパフォーマンスしていた。もっと昔だと蒸気機関車が走ると畑の作物が育たなくなるなど、こんなことを挙げていたらきりがない。
今風のかっこいい経営者や若者に支持されるオピニオンリーダー的な人が常識を覆せなどと言うが、何も無理して覆さなくても時が経てば勝手に覆されていく。もちろん覆された常識がいつまで常識という地位にとどまるのか知れたものじゃない。
とりあえず思い浮かぶ身のまわりのことでさえ変わっていくのだ。地球とか世界とかグローバルな視点で見たら、もっと目を見張る変化があっておかしくない。そんな気づかなさに気づかせてくれる考え方、ものの見方がファクトフルネスという発想である。
東南アジアやアフリカ、南アメリカが発展途上国で場所によっては未開民族が住んでいて、風土に根づいた不治の病が蔓延しているという印象を50年前以上に僕たちは植え付けられた(もちろん正確にそう教わったわけではなく、あくまで印象としてであるが)。事実=ファクト=客観的統計はそうではない。50年の間にかつての途上国は平均的な豊かさを獲得している。よほどの紛争や天変地異がない限り「健康で文化的な最低限度の」生活を送っている。
長年にわたってそんなことに気づきさえしなかったわれわれの方がよほど未開な民族だ。

2019年3月19日火曜日

チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』

3月はやはりあわただしい。
少し落ち着いたので先週の土日は野球を観に行った。4月からはじまる東京都春季高校野球大会の一次予選である。本大会には96校(全出場校が約270校だからざっくり言って1/3)が出場できる。昨年の秋季大会に出場した48校とこの予選を勝ち抜いた48校である。昔は(昔といってもいつごろからだったか憶えていないが)秋の本大会に進んだチームしか出場できなかったこの大会にいつしか一次予選が設けられ、秋の予選で敗退した学校にも復活のチャンスが与えられた。
高校野球には秋、春、夏と大会があるのだが、この春の大会だけが甲子園に直結しない。関東大会であるとか近畿大会といった地区大会で完結する。ただし都道府県大会で上位に進出したチーム(東京なら16強)には夏の大会でシード権が与えられる。そういった意味ではこの大会は直接甲子園には行けないけれど甲子園にはつながっている大会といえる。
それはともかくとして3月のこの時期はまだまだ寒い。気温が多少高くても2時間近く座って試合を観ていると心底身体が冷えて凍えてくる。ときどき立ち上がって足踏みしたり、首や肩をまわす。
読書に計画性はほぼなく、(仕事で必要でない限り)読みたいと思った本を好き勝手読んでいる。ときどき新聞の書評をながめたり、SNSで話題になっている本も読んでみる。こんなことを言っては失礼かもしれないが、SNSで煽っている本ほど疑わしいものはない。やはり読む本は自分の嗅覚で見つけるべきだと思う。
この本もネットでずいぶん話題になっているようだ。誠に不勉強で申し訳ないのだが、お隣韓国の事情がわからないので特に感想もない。韓国はそういう社会だったのですねと思うしかない。
さて、土日に府中の明大球場で行われた試合。わが母校はなんと連勝。昨年に続いて本大会に進めることになった。勝てば勝ったで寒かったことなど忘れてしまう。
春ってそんなものだ。

2019年3月15日金曜日

中条省平『世界一簡単なフランス語の本』

フランス語を勉強しようと思った。19か20歳か、多分そのくらいの頃。
大学ではドイツ語を第二外国語として履修していた。どうしてフランス語を学ぼうとしたのか今となっては定かでない。フランス映画を観たいとか、そんな動機だったかも知れない(当時映画は年に一本観るか観ないかだったけれど)。
御茶ノ水のフランス語学校に通うことにした。アルバイトで稼いだお金の使い途もなかった頃のこと。入門コース、初級コースを経て、中級コースで一気に難しくなり、バイト代も尽きて挫折した。それでもフランス映画を観るくらいのことはできるようになった、もちろん日本語字幕付きならば。
フランス語はある意味簡単で、ある意味難しい。綴りに対して発音が規則づけられているから、文字を読むことが容易。動詞の活用も不規則な例外があるものの、ひどく混乱させるようなこともない。難しいコミュニケーションをしなければ難しい言語ではない。フランス映画の日本語字幕を自在に読める僕が言うのだ。間違いない。ただフランス語を喋る人は難しいことを好む。「もし君が猿だったら、首に紐をつけて芸をさせるのに(君は人間だからそんな真似はけっしてさせない)」みたいな言い方をする。これは文法的にも高度だ。
せっかく勉強したフランス語だからとたまにはシャンソンを聴いたり、初歩の読本を眺めたりする。貧乏くさいとは思うが、そういう性分なんだから仕方ない。
この本はフランス語の簡単なところだけを巧みにひろっている。ああ、こうやって大学などでおそわったらもう少し身についたかもしれない、と思わせる。もちろんテレビ(Eテレ)の講座もなるべくわかりやすくわかりやすく構成されているが、わかりやす過ぎて達成感に乏しい気がする。
小難しい文法にまで引きずり込む続編が出たら、この本は100パーセント完璧だ。サンプルソン、パルフェ!である。
いずれにしてもたいして身につかなかった僕の感想だから説得力はない。

2019年2月25日月曜日

飯田泰之『新版 ダメな議論』

大井町にカメラの森商会というDPEの店がある。
DPEといってもデジタルカメラ全盛となったこの時代にあって知らない方も多いだろう。フィルムカメラで撮影したフィルムを現像し、プリントをしてくれるお店は20年くらい前ならどの町にも2~3軒はあった(というか、カメラにフィルムという言葉をつけて書くところがもう悲しい)。デジタル化がすすんだ今、かつてのDPEショップの多くはデジタルカメラのストレージやスマートフォンで撮影した写真データをプリントアウトする店に変わっている。カメラの森商会もそういったタイプのデジタル対応したDPEショップである。
古くから営んでいるカメラ店で古い町並みの写真を見かけることがある。当時のカメラ屋に最高級のカメラを自ら駆使して店頭に飾る写真を撮る店主は多かったはずだ。恵比寿駅に近い大沢カメラも昔の店舗や駅周辺の写真を展示している。カメラの森商会も同じように古い写真を飾っている。恵比寿のカメラ店と違うのは、その町並みが僕が生まれ育った大井町であるということだ。
カメラの森商会は、昨年だったか大井町駅を下りて、三ツ又商店街でも久しぶりに歩いてみようかと思い、通りかかったときに見つけた。昭和30年代から40年代、50年代の駅前の風景が所狭しと飾られている。圧巻のなつかしさである。何度か通りすがりに眺めていたのだが、あるとき気がついてお店の人に訊ねてみた。「表に飾ってある写真をプリントしてお分けしていただくことはできますか」と。
飯田泰之という著者は知らなかったが、題名に惹かれてこの本を読んでみた。
ネットやSNSの急速な普及で本当なのかどうかわからないニュースや情報に接さざるを得ないことが多い。たとえば用語の定義は明確かといったことなど、きちんとした議論かどうかを見きわめる、読みきわめるスキルが今大切なのだ。
題名からして、もっと軽い本かと思っていたが、期待はいい方に裏切られた。

2019年2月21日木曜日

博報堂買物研究所『なぜ「それ」が買われるのか? 情報爆発時代に「選ばれる」商品の法則』

眼鏡を新しくした。今回は「新しいフレームは以後買わない」くらいの強い気持ちで購入にのぞんだ。
なるべく普通で何年たっても普通のデザインであることを基本に据えた。普通であるということはカタチとしてはウェリントンということになる。間違ってもエルトン・ジョンやミシェル・ポルナレフのサングラスではないということだ。黒縁、太めのセルフレームで当然のことだが高価ではないこと。以上が選定の条件である。値段も2万~3万円とする。少々高めの設定だが、これが最後のフレームだという覚悟なのだから仕方あるまい。
ネットで検索してみる。そこで絞り込んで、お店に行ってかけてみる。そんな作戦にした。絞り込んだのは、オリバーピープルズ、白山眼鏡店、エフェクター。トム・フォード、フォーナインズ、金子眼鏡店、増永眼鏡は少し高いので除外。高価な眼鏡はお店でかけるだけで肩が凝る。それまでまったく知識のなかったメーカーやブランドに少しは詳しくなった。
最近の人たちは買物が楽しくないという。商品はもちろんのこと情報も溢れかえっている。そんな洪水状態のなかから適切なものをひとつ選ぶ行為が面倒らしい。商品が欲しいという欲が希薄になったのではないけれど「モノ=商品」が実現してくれる「コト=商品体験」の方が重要視される時代になっているせいもある。
ひとつの商品に味だの色だの香りだといったバリエーションがある。バリエーションが多ければ多いほどいろんな人の好みに対応できると考えるのがその商品の送り手の立場かも知れないが、実験によると24のバリエーションより6つ程度の方が手が伸びるというのだ。選びたいのはやまやまだが、選ぶことを苦痛にしたくないということか。
で、これからは売る方もお客さんに選んでもらいやすい「枠」をつくっていくことがたいせつだとそういったことがこの本には書かれている。
欲しい眼鏡をあらかじめ絞り込んことは成功だった。

2019年2月18日月曜日

博報堂ブランド・イノベーションデザイン局『博報堂のすごい打ち合わせ』

博報堂はユニークな立ち位置を貫いている広告会社のひとつだ。
大学卒業後、数年間電通に勤務した叔父が広告をつくるのなら博報堂に行きたかったと言っていた。彼は将来絵を描く仕事に就きたいという夢があり、元博報堂より元電通の方がつぶしがきくという理由で電通を選んだという。たしかにその後イラストレーターになったのだけれど、その真偽は今となってはわからない。
それはともかく、独自の生活者発想で研究を重ねたり、自社のビジネススキルをまとめて書籍化するなど、博報堂の生き方は素敵だ。ためになる。
ずいぶん昔のことだが、博報堂で1時から打ち合わせだというので田町あたりでお昼を食べてから指定の会議室に向かった。誰もいなかった。中止になったのかと思った(携帯電話はまだ普及していなかった)。後で聞いたら13時ではなく、夜中の1時からだった。
博報堂の打ち合わせはすごいと思った。
今でも印象に残るのはI田さんというクリエイティブディレクターと組んだテレビコマーシャルの企画提案作業である。本書でも書かれているが、I田さんも雑談が得意だった。はじめて顔を合わせたときからよくしゃべっていた。
最初にもらった宿題は、今回の提案(プレゼンテーション)に名前をつけようという課題だった。ひとり100案考えてこようということになった。博報堂では何百というアイデアを紙に書き出して、壁に貼るという話を以前から聞いてはいたが、本当にそんなことをするんだとびっくりした。
働き方をどうたらこうたらしなくてはいけない時代になっている。夜中に集まって打ち合わせをすることも少なくなっているのではないだろうか。雑談なんかに時間を使っていないで要点だけポンポンとまとめて、じゃ次回、みたいな味気ない打ち合わせも増えているかもしれない。
今どきの、効率のいい打ち合わせもあるだろうが、ほぼ無駄になるようなアイデアをかき集めてのぞむ打ち合わせも楽しい。いい経験をさせてもらった。

2019年2月14日木曜日

カート・ヴォネガット『ジェイルバード』

昔読んだ本をもういちど読んでみる。
本は同じでも読み手の環境が変わっている。まったく違う印象を得ることもある。それも読書の醍醐味か。
この本は10代のうちに読んでおくべきだ、中学生のうちに読むべきだ、みたいな本がある。少年少女向きであったとしても大人が読んでいけないこともない。むしろ年を取ってから読んだ方が響くことが多いかもしれない。書物は万人に開かれている。
『ジェイルバード』はたしか20代のなかばにいちど読んでいる。四半世紀をとっくに超えての再読になる。
ジェイルバードとは囚人という意味である。ロバート・フェンダーという朝鮮戦争中に反逆罪に問われた終身刑の男が登場する。主人公ではなく、単なる脇役である。支給室(受刑者の私服の受渡しをする部屋)で係員をつとめている。一日中エディット・ピアフのレコードをかけることを許されている。長年聴きつづけたので物悲しい調子のフランス語を流暢にあやつる。
30年前の僕がエディット・ピアフを知っていただろうか。レコードプレイヤーから流れる《ノン、ジュ・ヌ・ルグレット・リアン》を口ずさむことができただろうか。30年前に受け流した一節がぜんぜん違う風景に見えてくる。これを主人公ウォルター・F・スターバックの台詞を借りていえば「長生きは勉強になる」である。
エディット・ピアフを聴くようになったのはいつ頃からだろうか。
2007年にオリヴィエ・ダアン監督「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」を観た。マリオン・コティヤールがエディット・ピアフになりきっていたのが印象に残る。エンディングで流れる曲が《ノン、ジュ・ヌ・ルグレット・リアン》、邦題は「水に流して」である。おそらくこの頃、CDを買って、くり返し聴いていたのだと思う。
この一冊を通じて、僕はエディット・ピアフを知らなかった頃の僕に出会うことができた。これからも似たようなことがあるかもしれない。
しばらく再読はやめられない。

2019年2月8日金曜日

カート・ヴォネガット『母なる夜』

ここのところ、電子書籍で読むことが多くなった。
もちろん紙でしかない本もあるから、電子版ばかり読んでいるわけではない。しおりを挟んだりする必要がないのはたしかに楽だ。夜、そのまま眠ってしまっても翌朝そのページを憶えていてくれる。ありがたい。
最近、昔読んだ本を再読する機会が増えた。ときどき書棚をのぞいてみる。文庫本はかなり処分したけれど、いずれもういちど読もうと思っていた単行本はそのまま残されている。
白水Uブックスという新書サイズの本がある。今はデザインが変わったけれど、昔はブルーとグレーのツートーンの装幀でよくデザインされていた。
デザインのいい本に弱い。つい手が出てしまう。読んでいるだけなのにちょっとセンスがよくなったような錯覚を与えるのである(それは暗示にかかりやすいという個人的資質にもよるのだろうが)。
さほど多くはないけれど、何冊か読んでいる。ジョン・アップダイク『走れウサギ』、J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』、ジョン・ファイルズ『コレクター』など。カート・ヴォネガットの『母なる夜』もそのひとつだ。
カート・ヴォネガットというとSF作家という印象が強いけれど、この作品はそうではない(宇宙へ行ったり、時空間を行き来したりしない)。幼少の頃、アメリカからドイツに渡り、売れっ子の劇作家となるハワード・W・キャンベル・ジュニアはナチの広報員となる一方でアメリカのスパイとして活動する。ラジオパーソナリティとして人気を博しながら、本人がそれと把握することなくアメリカ本国へ暗号を送る。もうこれだけで複雑な物語の様相を呈する。
ハワードが実在の人物であったかどうかはわからない。モデルとなる人がいたのではないかと思う。それくらいリアルに構成されている。
本の見返しに「870208」と記されている。32年前の今日、読み終わったということか。
残念ながら記憶はほぼ消滅している。

2019年2月4日月曜日

安西水丸『青山へかえる夜』

時間ができると日比谷図書文化館の二階で雑誌を読んだり、東京関連の本を眺めて過ごす。
今のように千代田区立でもなく、図書文化館でもない都立日比谷図書館の時代(学習参考書を解読するしか楽しみがなかった高校生時代)からここには足を運んでいる。僕にとって気持ちが落ち着く空間である。現実から逃避できる不思議な居心地のよさがある。
イラストレーター安西水丸は生前お付き合いがあったので(というか縁あってさんざんお世話になっていたので)、ときどきその著書を開いてみる。今までに出会うことのなかった安西水丸がそのなかにいそうな気がして。
この本は1990年代なかば頃雑誌に連載されていた文章をまとめた単行本である。著者がいちばんいそがしかった時代ではないだろうか。適当に書いているといえばそれまでだが、ユーモアを通り越した悪ふざけのなかにも独自のペーソスが感じられる(ほんのわずかだけれど)。
安西水丸の著作のなかでは『手のひらのトークン』(新潮文庫1990年)が秀逸だ。大学卒業後勤めた大手広告会社を辞めてニューヨークにわたった青年の物語。創作と呼ぶには生々しい当時の「ぼく」の苦悩が描かれている。安西水丸になるずっと以前の渡辺昇(本名)がそこにいる。
当時、南青山にあったバーアルクールがなつかしい。重い扉の向こう側には現実と隔離された不思議な空間があった。僕より少し年上のKさん、少し年下のIくん。ふたりのバーテンダーがカウンターの中に立っていた。ワイルドターキーのライウイスキーをすすりながら、とりとめのない話ばかりしていた。安西水丸は夜中にふとあらわれて、「安い酒は飲まない方がいい、二日酔いになるから」と言い残して消えていった。
アルクールはその後西麻布に移転した。その後フェードアウトするように通わなくなってしまった。
安西水丸が他界してもうすぐ5年になる。近々、墓参りに行こう、近況報告をしよう。

2019年2月1日金曜日

堀江貴文・西野亮廣『バカとつき合うな』

そろそろ眼鏡を新しくしたい。
今使っている眼鏡はかれこれ7~8年になるだろうか、いつ頃からかけているのかさえも記憶にない。眼鏡店に行くと今度は大江健三郎みたいな丸眼鏡にしようといつも思うのだが、セルフレームのまん丸眼鏡は案外高価なのである。それにいつも行くお店ではさほど在庫も多くない。町を歩いていても、大江健三郎みたいな眼鏡をかけている人をほとんど見ない。需要がそんなにあるわけでもないのだろう。
駅ビルに店を持つ大きな眼鏡店で何度かまん丸のフレームを試したことがある。思っているほど似合っていない。結局、お店の人にすすめられるまま、ちょっと今風のフレームに落ち着く。それはそれで無難な選択である。
それでも眼鏡店を訪ねるたびにあれこれ試して悩む。なんという既視感。眼鏡ごときでと言ってはなんだが、デザインだの、似合う似合わないだの、流行っているとかいないとかにかかずらうのも疲れる。できればブルックスブラザースのネイビーブレザーみたいに未来永劫悩み無用のものがあればいい。
そもそもが眼鏡というものは視力の低下にともなって買い替えるものだが、視力に合ったレンズに交換してもらえばいい。クルマが壊れるたびに買い替えていてはたいへんなことになる(そういう人も世の中にはいるんだろうけれど)。古いクルマをきちんと整備して乗り続けている人もいるが、燃費だの安全性能が格段に進歩したせいで買い替えざるを得ない人もいる。昔の眼鏡のフレームだからCO2を多く排出するなんてことはない。いいフレームを長く使うのがいい。合わなくなったらレンズを替えればいい。
『バカとつき合うな』には世にあふれるさまざまなバカが登場する。いいバカもいれば、悪いバカもいる。切れるはさみと切れないはさみがあるのと同じことだ。
そういう観点からすると、この頃の僕はあれこれ理屈をこねまわして高価な眼鏡を購入する言い訳を考えているバカである。

2019年1月30日水曜日

カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』

「あの日にかえりたい」という荒井由実の名曲がある。
「青春の うしろ姿を 人はみな 忘れてしまう あの頃の わたしに戻って あなたに 会いたい」という歌詞をおぼえておられる方も多いことと思う。青春のうしろ姿を忘れてしまうことはない。ただ不正確におぼえているだけだ。人間の記憶力というものはそんなものである。それに人は本当にあの頃に戻りたいと思うのだろうか。仮にこの歌の「わたし」があの日に戻れたとしても、結局泣きながら写真をちぎって、手のひらの上でもういちどつなげてみるだけなのではないか。もういちど同じ目に会うくらいなら、戻れたとしても戻らない方がいい。
とはいうものの長いことブログを続けていると書くこともなくなってくるので、昔話が多くなる。ついついあやふやな記憶をほじくりかえしては適当に再構築する。正確不正確はともかくとして、それはそれで楽しい。ちょっとした時間の旅でもあるのだ。
カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』は、第二次世界大戦に従軍した検眼医ビリー・ピリグリムの時間旅行を描いた小説。ヴォネガットファンの多くがおすすめする名作のひとつである。1945年のドレスデン、架空の惑星トラルファマドール星、ニューヨーク、ニューシカゴ…。転々と時間を飛びまわる。
1945年2月、連合国軍によって行われたドレスデン無差別爆撃は東京大空襲を上まわる被害をもたらしたというが、戦後しばらくその状況は秘匿されていたという。当時捕虜としてドレスデン爆撃を経験したカート・ヴォネガットは貴重な証言者のひとりである。
この小説は「スティング」や「明日に向かって撃て」でおなじみのジョージ・ロイ・ヒルの手によって映画化もされている。まだ観ていないが、たぶん難解な映画になっているのではいだろうか。タイムスリップものはたいてい難しい。
今年は1980年代後半によく読んだカート・ヴォネガットを再読しようと思っている。

2019年1月28日月曜日

三浦しをん『まほろ駅前番外地』

はやいもので春の選抜高校野球大会の出場校が決まった。
予選なしの選抜という方法ではあるけれど、前年の秋に開催された全国10の地区大会での上位校が選ばれる。都道府県の代表を決める夏の大会とちがうところは優勝することが出場の条件ではないところ。地区の出場枠がひとつしかない北海道をのぞけば(今年は明治神宮大会優勝校の地区に与えられる神宮枠がひと枠が与えられる)、地区大会の決勝まで駒をすすめれば当確といえる。
選出にあたって議論されるのは、関東・東京、近畿、そして中国・四国。近畿は6枠なので4強はすんなり決まり、残り2校は準々決勝で敗退した4チームのなかから選ばれる。中国・四国もトータルで5枠なのでどちらかから3校が選ばれる。
毎年注目を集めるのが関東・東京(6枠)で関東4東京2のときもあれば、関東5東京1のときもある。関東大会8強の敗退校4校と東京準優勝校をはかりにかける。今回でいえば佐野日大、東海大甲府、前橋育英、横浜と東海大菅生。優勝した桐蔭に敗れた佐野日大と東海大菅生が最後の1枠を争うかと思っていたところ、なんと横浜が選ばれた。
関東大会の結果だけを見れば、「?」と思えるが、たしかに激戦の神奈川県予選で東海大相模、慶應義塾を降して、桐蔭に圧勝しているところも考慮すれば納得いく選考だったかもしれない。
甲子園での本大会では同地区同都道府県のチームがはやい段階で対戦しないよう組合せ抽選時に配慮されるという。それでいて明治神宮大会の決勝戦の再戦を初戦に組んだりもするのだが、桐蔭と横浜はぜひ一回戦で対戦して、どちらが神奈川の雄か決めてもらいたいものだ。
三浦しをんのまほろ駅前シリーズは映画やドラマになっているがまだ観たことがない。読み終わった直後は町田あたりを散策するのもおもしろかろうと思ったけれど、読後しばらくたって、すっかりそんなことも忘れてしまっている。
町田は案外遠いのだ。

2019年1月25日金曜日

カート・ヴォネガット『タイムクエイク』

海の見える駅というサイトがある。
東京近郊では鶴見線の海芝浦駅が海沿いの駅として知られている。京浜工業地帯にプラットホームがぽっかり浮かんでいるような駅である。東京都内にもゆりかもめ(東京臨海新交通臨海線)の青海駅と市場前駅が紹介されている。海というより運河の延長のように見える。少しさびしい。
現時点で紹介されているのは152駅。四方を海に囲まれたこの国でそれしかないのかとも思うがまだまだ発掘途上なのかもしれない。駅のホームからは見えないけれど内房線の館山駅などは駅舎から北条海岸を眺めることができる。夕陽の照りかえしが美しい。
東京駅から東海道本線で1時間半ほど、小田原駅の次の次が根府川駅。この駅は相模湾をのぞむ崖の上に駅舎があり、少し下にプラットホームがある。さらに崖下に国道が走っている。海の見える駅としてはほぼ完璧といえる立地にある。
根府川駅といえば大正12年に列車転落事故があった。関東大震災による土石流が駅舎もホームも機関車も客車も海中に沈めてしまったのである。丹那トンネルの大工事を追った吉村昭の『闇を裂く道』でこの事故を知った。駅舎内や駅を出て北側の県道沿いには慰霊の碑や五輪塔などが建っている。おだやかに見える目の前の海に沈んでいる機関車や客車に思いを馳せる。
カート・ヴォネガットの作品は『ガラパゴスの箱舟』以降の新作は読んでいなかったので、遅ればせながら久々の新作ということになる。
タイムクエイクとは時空連続体に発生した異常で人間も事物も10年前に逆戻りし、人々はもういちど過去をくり返すというもの。そして10年後、突如「自由意思」で行動できるようになる。そのときとてつもない混乱が起きる。
だいたいこんな話なのだが、ぼーっと生きてきた僕のような読者にはカート・ヴォネガットはハードルが高い。そのユーモアに追いついていけないのである。
まだまだ修行が足りないなと思う。

2019年1月24日木曜日

橋本治『ちゃんと話すための敬語の本』

古い西部劇を観た。
ジョン・スタージェス監督「OK牧場の決斗」とジョージ・スティーヴンス監督「シェーン」の2本。NHKBSで放送されたものを録画した。同世代以上の多くの人がいちどは観ている映画すら観ていないものが多い。前向きに解釈すれば、まだまだ未知の映画がたくさんあるということだ。
西部劇のいいところはアメリカらしさにあふれているところだろう。馬を下りて、店のカウンターに立ち、ショットグラスに注がれたウイスキーを一気にあおる。実にアメリカ的な光景である。ちょっとしたいざこざが起きる。だが、大事には至らない。チンピラが絡む程度である。本当の事件はここからはじまる。
なんといってもアメリカ的な存在はヒーローだ。悪と対峙するヒーローという図式がアメリカ映画の真骨頂である。近年ではコンピュータグラフィックスなど映像技術のめまぐるしい進化によってより高度で複雑なエンターテインメント映画が増える一方だが、悪いやつ(ら)をやっつける正義の味方という関係性が何にもましてわかりやすいアメリカ映画の方程式だ。
1950年代、60年代の西部劇にはヒーロー映画の原型がある。ドキドキハラハラしながらも、最後は敵をやっつけてすっきりする。これがアメリカ映画だ、と胸をなでおろす。
ちくまプリマー新書のターゲットは高校生あたりか。興味深いテーマが多く、内容的にも平易でわかりやすい。読みやすいから読んでいるだけではなく、会社の若い人たち、特にふだんあまり活字に触れる機会が少ない者たちにもすすめやすいからという理由でときどき読む。今さら敬語でもないだろうけれど、こういう本も読んでおかなければいけない。歳をとるというのはめんどくさいことなのだ。
この本は敬語の本というより、人間関係の本とでも言おうか。人との距離を縮めたいのか、維持したいのかでことばは変わる。「敬語って何なんだろう」を考えさせる本である。

2019年1月21日月曜日

三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』

大相撲を熱心に見ていたのは小学校の頃。北の富士と玉乃島が横綱になり(玉乃島は玉の海になった)、大鵬とあわせて横綱が3人になった。
大関は琴櫻、清國、大麒麟、前の山(時代考証はかなりいい加減だが、僕が大相撲ファンになったのはこんな時代だ)。新進気鋭の貴ノ花が大鵬を破り、引退に追いこんだ。今でも玉の海の急死と大鵬の引退は、僕の、私的大相撲史の二大ニュースである。
先にあげた4大関のうち、猛牛と異名をとった琴櫻だけが横綱に昇進した。後に佐渡ヶ嶽親方。秋田県出身の清國は見た目が端正な力士でいちばん贔屓にしていたのだが、優勝は一回。残念ながらその雄姿の記憶はない。前の山は(当時は知らなかったが)けがで泣かされた力士で大関としては短命だった。豪快な突っ張りの印象が残っている。いちばん強いと思っていた大麒麟は、大一番に弱く、結局一度も優勝していない。
横綱稀勢の里の引退はなんとも残念である。
出処進退は自ら決めるというのが第一人者のあるべき姿だが、稀勢の里は、果たしてそうだったか。身を引いたというより、引退を余儀なくされた感が強い。横綱審議委員会の激励勧告、マスコミの論調、日本相撲協会の立場。横綱になるまで15年もかかったのだ。大怪我を克服して復活するには10年かかるだろう。そう思っていた。手術するなり、静養するなり1年でも2年でも休場させてよかったんじゃないか。中途半端な回復具合で中途半端な土俵をつとめることを誰が望んでいたのだろう。稀勢の里だって納得いく形で相撲をとっていたわけではないだろう。
引退会見で「一片の悔いもない」と語ったそうだが、そんなはずはない。けがが治らない状態で相撲をとらされ、横綱としての責任をとらされ、悔いが残らない方がどうかしている。
三浦しをんのこの本をずいぶん前に読んだ。
おもしろかったが、その内容はもう忘れてしまった。というわけで今回は相撲の話にしてみた。

2019年1月17日木曜日

カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』

今年の正月休みは長かったせいもあり、録りためた映画を観たりしてのんびり過ごした。暮れにiPadを購入して、絵の練習などもずいぶんした。何を言わんとしているかというと本を読まなかった正月の言い訳をしているのである。
昨年の忘年会でヴォネガットファンのUさんに会う。Uさんは原書でSFを読む筋金入りの読書家である。年明けはカート・ヴォネガットを読もうと決めた。
僕が主に早川書房の翻訳ものを読むようになったのは、1980年代のなかばくらい。書店で見かけた和田誠の装丁が気に入って読みはじめた。SF好きでも現代アメリカ文学にこれといって深い興味があるわけでもなかった。和田誠の装丁や表紙のイラストレーションはいつも僕に「この本おもしろいから」と呼びかけていた。
『猫のゆりかご』はおそらく再読になると思う。早川書房から出版されている小説は片っ端から読んでいた。1986年、当時の最新作だった『ガラパゴスの箱舟』の翻訳が出るやいちはやく読み、それを最後にヴォネガットは読んでいない。
と、思ったら1993年10月に『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』を読んでいる。7年ぶりに読んだと当時のメモが残っている。和田誠の装丁やイラストレーション、レタリングが好きで読むようになったことも記されている。
やれやれ。
猫のゆりかご=CAT'S CRADLEとはあやとりのこと。読んでいるとわかるのだが、和田誠はちゃんと表紙に描いている。著者のセンスが絵になっている。おそるべしである。
日本に原子爆弾が投下された日がこの物語の端緒。はるかかなた、遠くにあるSFの世界ではなく、するっと入りこめる。
1993年の『スラップスティック』以後、著者名であるカート・ヴォネガット・ジュニアの名からジュニアが消える。このことはつい最近ウィキペディアで知った。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

2018年12月24日月曜日

中野翠『あのころ、早稲田で』

中学生の頃、S先生は体育大学を出たばかり。おそらく2~3年くらいのキャリアだったと思う。とてもきれいな女性だった(僕が入学する少し前に結婚して、T先生からS先生に変わったという)。
中学を出て、高校生になり、大学に進んだあともときどき職員室に遊びに行った(とりわけ大学進学後はS先生を訪ね、家庭教師の口を紹介してもらったものだ)。あるとき、先生のお相手の話になった。どちらでお知り合いになられたのですか、みたいなことを訊いたと思う。
「安田講堂で火炎びん投げてたのよ。それで知り合ったの」
東大安田講堂事件は1969年、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠した全共闘(くわしいことはわからない)の学生らと大学側に封鎖解除を依頼された警視庁との攻防戦である。小学生だった僕にはなにがなんだかわからないけれど連日テレビのニュースで報道されていたことだけをおぼえている。1960年代はそこらじゅうが闘争だらけだった。
ありとあらゆる爆発的なエネルギーが鎮静化した1970年代。僕たちは、こんな熱い世代を教壇に立たせて、のほほんと思春期を過ごしていた。
S先生のご主人は東大教育学部の学生でその後大学院に進んだという。おそらくS先生が一家の生計を支えていたのだろう。
高校のバレーボール部の先輩から話を聞いたことがある。60年代後半は高校生も学園紛争のようなことをしていたそうで、授業がないだの卒業式がなかっただの、そんな時代だったという。
中野翠の早稲田大学時代は1964~68年。さぞやむさくるしい時期だったと思う。考えようによっては僕たち世代みたいに何もなく、風も吹かなかった時代を生きてきたよりかは目まぐるしい時代のうねりにさらされた青春時代のほうがおもしろかったんじゃないかという気がする。
僕は早稲田に住んだことがあるが、早稲田大学とは縁がない。60~70年代を早稲田で過ごした者たちにはなつかしい本なのではなかろうか。

2018年12月21日金曜日

安西水丸『東京美女散歩』

日比谷公園内の千代田区立日比谷図書文化館はもともと都立日比谷図書館だった。そのせいだろう、二階に東京コーナーがあり、東京関連の書籍が多くある。
青山界隈を拠点にしていたイラストレーター安西水丸は「青山」「東京」と題する著作が多い。そのせいだろうか、このコーナーの書架に何冊か並べられている。
美女をさがす散歩の本といった趣旨であるが、美女とは思い出のメタファーかも知れない。訪ねる町ごとになつかしい時代への思いが語られる。八神純子じゃないけれど、思い出は美しすぎるものなのだ。
あるとき深川門前仲町から佃、月島を歩く。佃島に住む大工の安田さんのことが書かれている。安田さんの住まいは佃や月島に見られる典型的な長屋で二階には別の世帯が住んでいた(昔は二階貸しと呼んでいた)。少年時代の安西水丸は、よく遊びに行っては仕事から帰った安田さんと銭湯に出かけ、西仲通りで少年雑誌を買ってもらったり、子どものいない安田夫婦に可愛がってもらったらしい。
深川から相生橋をわたったあたりにたかさごという肉屋がある。その裏手の長屋に僕の大叔父(母の叔父)が住んでいてた(小さい頃は佃のおじちゃんだったが、その後月島に引っ越した)。月島のおじちゃんと銭湯に行き、西仲の本屋で本を買ってもらった思い出がある。おじちゃん、おばちゃんには子どもがなくて、母もそうだが、僕もずいぶん可愛がってもらった。そういえば月島のおじちゃんも大工だったっけ。
偶然ではあるけれど、少年時代の安西水丸と同じような経験を僕もしていたんだなと思うと少しうれしくなる。もしかしたら安田さんは僕の親戚だったのではないかとも思う。だとしたら、月島のおじちゃん、おばちゃんは遠い日の安西水丸に出会っていたことになる。すごいことだと思うけれど、やはり安田さん夫婦と月島のおじちゃん、おばちゃんとは別の人のような気もする。
いずれにせよ、もうみんな他界していてたしかめようもない。

2018年12月18日火曜日

朝倉かすみ他『泥酔懺悔』

お酒を少し飲み過ぎて、電車を乗り過ごすことが歳をとるほど多くなってきた。もっとも若い頃からときどきやらかしてはいたが。
ふだん電車に乗っていても滅多なことでは眠くなどならない。眠いときも電車のなかだと眠れない。飲酒後の自分になにがしか、自己制御できない力が働いているとしか考えられない。実に不思議なことである。
たとえば、であるが、僕は日ごろから各駅停車の列車にゆられて、どこか遠くの知らない町を旅してみたいと思っている。このことは意識的にそう思っているだけでなく、もっと深いところに根づいている思いなのかもしれない。お酒を飲むことによって深層心理というか潜在意識が呼びさまされるということか。
しこたま飲んで電車に乗る。空席があれば座る。酔っぱらっているから本を読んだり、ゲームをしたりしない。ぼんやり社内吊りの広告や車窓から夜の町を眺めている。しばらくすると身体の奥底から旅情に似た気分がふつふつと沸き起こってくる。どこからともなくジェリー藤尾の歌声が聴こえてくる。
「♪知らない町を歩いてみたい どこか遠くに行きたい」
気がつくと乗り過ごしている。国分寺だったり、立川だったりする(不思議なことに高尾まで行ったことはない)。そこはけっして知らない町ではないが、各駅停車に乗って三鷹で折り返し、夢からさめたら稲毛だったということもある。地下鉄東西線で東葉勝田台という駅にたどり着いたこともある。これは間違いなく「知らない町」であり「どこか遠く」である。
題名からして、著名な女性文筆家たちもけっこう「やらかしている」のだろうと思って頁をめくってみたが、案外そうでもない。お酒にまつわるエッセー、思い出くらいのお話でちょっと誇大広告的なタイトルだと思った。
通勤で使っている地下鉄では終点駅を利用している。夜、降りるときに座席で寝ている人をときどき見かける。近くを通り過ぎるとき、かすかにジェリー藤尾の声が聴こえる。

2018年12月15日土曜日

今尾恵介『鉄道ひとり旅入門』

iPadで絵を描くとは実際どんなものか。
ためしに仕事の帰り、銀座のアップルストアに寄ってみる。なるほどと思う。専用のペン(Apple Pencilというらしい)を使うと筆圧を感知してくれる。強く描けば線は太く、弱く描けば細くなる。線の種類も鉛筆やらクレヨンやら多数取り揃えられている。自画像みたいなさえない男の顔を描き、とりあえずは店を出る。
翌日。色をつけたり、レイヤーを重ねるにはどうしたらいいのか気になる。アップルストアに行こうと思ったが、「昨日の人がまた来てずっと絵を描いてますよ」などと思われるのも癪に障るので、有楽町のビックカメラに行く。インバウンドのお客さんがお目当てのiPadを取り囲んでいる。しばらく待ったが、明日にでも出直すことにした。
毎日猛烈な勢いで本を読んでいるわけではないけれど、読書に疲れるときがある。そんなときはふらっと列車に乗って、どこか知らない町に行ってみる。中央本線の各駅停車に乗って猿橋あたりまで行って桂川の鉄橋を渡ってみたい。東海道本線の各駅停車で根府川まで行ってみたい。駅から海を眺めてみたい。とはいえ、電車賃も案外高いから、旅に出た気分に浸る。鉄道旅行や町歩きの本が絶好の友となる。たとえばこの本みたいに。
iPadで絵を描くことに関しては不安もある。もしiPadで絵を描くようになったらもう紙の上に描けなくなるのではないか、みたいな不安が。便利なものに慣れ親しんでしまうと元には戻れない恐怖がある。洗浄装置の付いていないトイレのように(たとえがすでにかっこわるい)。
同じような理由でオートフォーカスのカメラ(というかレンズ)を使いたくない。持っているレンズのほとんどがマニュアルレンズ(つまりはオールドレンズ)である。カメラにピントを任せた時点でもうあと戻りできないんじゃないか。そんな恐怖に似ている。
I君に話したら、「何言ってるんですか、先輩」と軽く鼻であしらわれた。

2018年12月13日木曜日

山本高史『伝わるしくみ』

仕事場の後輩I君が絵コンテを描くのにiPadを使っている。
人のことは言えないけれど、I君はさほど絵が上手ではない。でもスタイラスペンでササッと液晶画面をトレースする姿はかっこいい。誤解なきよう申し上げておくが、I君はiPadで絵を描いていなくてもかっこいい。
以前からいいなあとは思っていた。「これ便利ですよ、資料とか写真とか下描きを取り込んで、その上のレイヤーにトレースすればいいんですから。先輩くらい絵が描ける人ならずいぶんはかどりますよ」などと言われるとテクニカルなことはよくわからないが、なんだかリスペクトされてるなあと少しいい気分になる。
たまにはクリエーティブの本でも、と手に取ってみる。これはクリエーティブディレクター、コピーライターとしての著者の知見をフルに発揮したコミュニケーションの本であり広告づくりの指南書ではなかった。「伝えること」の難しさを丁寧に説き明かしている。
コミュニケーションには「送り手」と「受け手」がいる。「送り手」は「受け手」を自分が望む方向に動かすために言葉を発する。ところがその意味を支配するのは「受け手」であり、「受け手がすべてを決め」てしまう。
それがコミュニケーションの難しいところ。
たとえば「お疲れさま。朝までかかったんだってね、大変だったね」という労いの一言も「受け手」によっては「すみませんでした、現場の仕切りがなってなくて…」と叱責と捉えられることある。
「送り手」が「受け手」という存在をよく理解したうえで「受け手」のベネフィットになることを伝えられれば、すなわち共有できれば、「受け手」は同意し、「送り手」の思う方向に動き出す。
かいつまんでいえば簡単なことだが、なかなかうまくいかないもの。そのうまくいかない原因をひとつひとつ取り除いていくための方法論がこの本で語られている。
iPadの件はどうしたかというと、いずれゆっくりお話したいと思っている。

2018年12月11日火曜日

伊藤羊一『1分で話せ』

プレゼンテーションというと映像制作会社の場合、広告会社のクリエイティブが広告主に企画のアイデアを説明して、承認を得る儀式みたいなものと考えられている。
制作会社のスタッフはその資料を夜遅くまでかけてつくる。つくってはチェックを受け、修正し、再度チェック…みたいな作業を何度かくり返す。プレゼンテーションに関与するのはその程度のことで自ら壇上に立って、スティーブ・ジョブスのように発言することなど、まずない。
というわけで映像制作会社(言葉はよくないが、下請け会社)のプレゼンテーションに対する意識は低い。「私らプレゼンできませんから」みたいなことを平気で言う。所詮は他人ごとなのである。プロデューサーと呼ばれるリーダー的立場にあってさえ、である。一概には言えないが、映像制作のスキルや意識が低いところほどその傾向は強い。プレゼンテーションとは誰かがやってくれるもの、そのためにお手伝いするものでしかない。
プレゼンテーションがコミュニケーションの相手(受け手)を自分たちが動かしたい方向に動かすことであるという基本的な考えを持ち合わせていないケースが多い。プレゼンテーションというだけでなにやら儀式的な、形式的なシーンを思い描きがちだが、人生だって仕事だって、あらゆるコミュニケーションがプレゼンテーションだ。
相手は誰かを掌握し、まず結論を述べる。そしてその根拠を示す。さらに具体的に、わかりやすく「たとえば」を提示する。相手を動かすためには相手にとってのメリットを語らなければならない。自分たちの努力を語っても人は動かない。この本にはこうしたことが書かれている。他にもどんな資料が有効か、話し方は、など事細かなアドバイスまで詳述されたプレゼンテーションの指南書となっている。題名の『1分で話せ』もみごとな「超一言」になっている。
この本は売れていると聞く。少しは日本もあんしんだと思う。

2018年12月6日木曜日

金子勤『東京23区の地名の由来』

木にちなんだ殿様が6人いたから六本木とか、一色さんの屋敷が2軒あったから錦町とか、王子8人いたから八王子…。
えっと思える地名の由来は多い。そもそも地名はその地域の共通認識のうえに成り立つものだから、単純明快でわかりやすい、おぼえやすいことが必要だ。けっして難しい本ではあるまいと思っていた。
難しい本どころか、おもしろい本だった。
おもしろいというのは興味をそそられるという意味ではなく、笑えるという点でだ。
題名にあるような由来らしい由来が述べられているわけではないのである(もちろん由来らしいことが書かれているところもあるにはあるが)。
千代田区外神田は、「従来の神田地域に対して「外」であることから名付けられた俗称である」らしい。神田の由来については語られていない。
文京区湯島の由来は、「1 昔、温泉が出たから 2 確証がないので断ずることはできない 3 湯島天神付近から湯が湧いて「湯島」と呼ばれたという説」と列挙したうえで「はっきりしない」と断言する。由来になっていない。
田園調布は「大正七年以降、渋沢栄一らによって都市開発されたので「田園調布」と名付けられた」とある。意味がわからない。同じく大田区城南島は「江戸城の一番南の方に大田区があるのでそういう」としたうえで、もちろんこれだけでもじゅうぶんよくわからないのであるが、さらに「城南信用金庫もこの辺から神奈川県などをテリトリーとしている」とある。信用金庫に関して記述があるのはここだけで、小松川や巣鴨、滝野川に関しては言及されていない。なぜここにだけ城南信用金庫が登場するのか。謎は深まるばかりである。
中野区の由来も中野町と野方町の合併によって「中」と「野」が合成されたとある。これもおかしな話で中方区とか野々区ならば合成地名とわかるのだが、なんとも説得力がない。
ツッコミどころが満載すぎる。時間があったら精読して、さらにツッコミに磨きをかけたい一冊である。

2018年12月3日月曜日

小林紀晴『写真で愉しむ東京「水流」地形散歩』

下町探検隊のK隊長と神田川を歩く。
神田川といっても全長25キロメートル近くある。神田川散策といったらやはり高田馬場から江戸川橋あたりをイメージされる方が多いのではないだろうか。南こうせつとかぐや姫のヒット曲「神田川」によって東京ローカルのこの河川は一躍全国的な知名度を得る。貧しい学生時代の思い出を綴った歌であるが、その舞台が高田馬場界隈といわれている。
神田川の源流は井の頭公園である。中野富士見町あたりで善福寺川と合流し、西武新宿線の下落合あたりで妙正寺川と合流する(だから地名が落合というらしい)。上流から中流にかけては坂道が多く、この川が大地を侵食した様子がよくわかる。
とはいうものの、日没もはやい初冬の散歩ということで河口からスタート。行けるところまで遡上しようということになった。
出発は柳橋。
隅田川とは目と鼻の先である。両国橋が見えている。古くは成瀬巳喜男監督の…、幸田文原作の…、芸者置屋の…と映画は思い出せるのだが、題名が出てこない。歳も歳だし、こういうことはときどきある。そのうち思い出すだろうとあまり気に止めないようにするが、気になりだすと気になって仕方がない。主演は田中絹代。高峰秀子も杉村春子も出ていた。K隊長はといえば、柳橋といったら大林宣彦監督「天国にいちばん近い島」でしょう、みたいな顔をして歩いている。
柳橋から浅草橋、左衛門橋を過ぎて、和泉橋の手間でようやく思い出す。「流れる」だ。
その後、神田ふれあい橋、万世橋、昌平橋をわたり、聖橋までたどり着いたところで恒例の反省会と相成った。
著者はいつしか東京の地形に興味を抱き、川の写真を撮りはじめたという。神田川(とその支流)、渋谷川(古川)、石神井川と実際に流れている川のほか、日暮里や国分寺の崖線、四谷の谷底など、まさにかゆいところに手が届くような場所を選んで写真と文を寄せている。
誠にありがたい一冊である。

2018年11月30日金曜日

今尾恵介『日本全国駅名めぐり』

かれこれ20年以上前のこと。
ロケハン(ロケーションハンティング:撮影場所の下見)と称してプロデューサーのH君と盛岡まで東北新幹線に乗った。当時はまだ盛岡から先は開通しておらず、そこは新幹線最果ての駅だった。
新聞でも買いますかと言われたが、売店でJTBの時刻表を一冊買った。盛岡までの500キロ余りの距離と時間を埋めるにはうってつけと思ったからだ。車中はずっとそれをながめて過ごした。かつてたどった道のりを追体験したり、東京駅から日帰りでどこまで行けるか、その際、同じ経路は通らないで、みたいなシミュレーションをしていたら、あっという間に終着駅に着いた。
同行のH君が言う。ずっと時刻表見てましたね、鉄道っておもしろいもんですか、僕には信じられないなあ、と。3時間ずっと『GUN』という鉄砲の雑誌を読んでいたH君に言われる筋合いはない。
山手線の品川駅と田町駅の間に新しい駅ができるという。
果たしてなんという駅名になるか。下馬評では(もちろんこんなものは何のあてにもならないのだが)高輪、泉岳寺、芝浦、新品川などが有力視されているそうだ。いっそ、京浜急行から北品川という駅名を買い取ってはどうかと思う(駅名が売買されるかどうかは別として)。品川駅でさえ港区なのに、さらに品川の領土を拡張することもないと思うが。
先日、田町駅から歩いて新駅のできるあたりを散策した。第一京浜(国道15号線)に沿って山手線は走っている。位置的には都営地下鉄泉岳寺駅に近く、周辺には高輪という地名もある。ところが国道が町を東西に二分している。山手線側と高輪側をむすぶ横断歩道も少ない。もちろん歩道橋や地下通路なども整備されるのだろうが、どうも新駅は山手線の海側、すなわち東側のための駅ではないかという気がする。と考えると「芝浦」がいいんじゃないかと思う。
どうでもいいことかも知れないが、駅名というのはおもしろいものだ。

2018年11月28日水曜日

トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』

11月は忙しい。
まず初旬に自分の誕生日がある。気圧配置が冬型になり、冷たい北風がその年はじめて吹く、そんな季節だ。誕生日ないしはその前後の休日は好き勝手に過ごす。野球を観に行く。町歩きをする。写真を撮る。ビールを飲む。もっと若い頃は自分へのプレゼントとしてレコードを一枚買ったりしたものだ。
中旬になると明治神宮野球大会がはじまる。ここ何年かは仕事を休んで平日も観戦している。学生野球の締めくくりの大会である。最後の試合、大学の部の決勝戦が終わるとネット裏のアマチュア野球ファンたちが「よいお年を」とか「センバツ(甲子園)で会いましょう」などとあいさつをして帰路につく。野球の大晦日みたいな大会だ。
長女の誕生日や母の誕生日もある(もう大騒ぎをすることもないけれど)。それ以外にも飲み会など集まりも多い(今年は高校のクラス会があった)。ただでさえあわただしい12月より11月の方がゆっくり話ができそうな気がするからだろうか。
その間に来年の準備もはじまる。仕事場の先輩の年賀状はもう十年以上も前からつくっている。ちょっとした絵を描いたり、タイポグラフィーをデザインしたり。仕事場の年賀状も任されている。干支にちなんだビジュアルを考える。毎年のことだがどのみちたいしたデザインではない。
トルーマン・カポーティの『誕生日の子どもたち』を再読する(「無頭の鷹」「誕生日の子どもたち」「感謝祭のお客」は川本三郎訳でも読んでいるので再々読になる)。
少年時代のカポーティ(バディ)も11月にはミス・スックと感謝祭の準備をしたり、フルーツケーキやクリスマスツリー、そしてプレゼントにする凧をつくるなど忙しかったことがうかがえる。
来年も、再来年も、そろそろツイードのジャケットに袖を通そうか思う11月になったらこの本を読もう。そのうちミス・スックとバディからフルーツケーキが届くかもしれない。

2018年11月15日木曜日

ウィリアム・フォークナー『八月の光』

高校のクラス会があった。
3年から5年くらいの周期で開催されている。以前はあまり顔を出していなかった(部活の先輩後輩たちとの集まりと日程的にかぶることが多かった)が、最近は出席するようにしている。
教室にいつもいて、同級生たちと話し込むというタイプでもなかったし、目立つ方でもなかったので卒業してからはじめて話をしたという者も少なくない。そのせいか「今、なにをやってるの?」「学校の先生になったんじゃなかったの?」と訊かれる。会うたびに訊かれる。何年か前にもそんな話したよね、みたいな話をくりかえされる。卒業して10年かそこいらだったら、進学した大学と就いた仕事にギャップがあればそんな疑問も持たれるだろうが、もう40年も過ぎてなんでそんなことを訊ねるのだろう。
はじめのうちは広告会社でデザイナーをしている親戚がいて…などとそれなりにきちんと話していたのだが、最近ではまともに答えるのもつまらないだろうと思い、うちの家訓はこうだからとか、大学4年のとき枕辺に宇宙人があらわれてだとか適当に答えるようにしている。
どうせまた次回会ったときに訊かれるんだから。
フォークナーを何冊かまとめて読んだ時期があった。『怒りと響き』『サンクチュアリ』そして『八月の光』だ。残されているメモによると(ご丁寧にも読んだ本の著者名題名はノートに書いてあった)30数年前になる。
今年の5月に光文社の古典新訳文庫で刊行された。当初8月に読もうと思っていたのだが、『跳ぶが如く』や『西郷どん』を読んでいたせいで遅れた。
読んでも読んでも昔読んだ記憶が呼びさまされない。立ち止まって思い出そうと思っても、よみがえってこない。もしかしたら今回初読なのか。それならそれでかまわないのだが。たしかにスタインベックやヘミングウェイらとくらべるとフォークナーは少し複雑で難解だ。
20代半ばの若造の記憶にはなにも残していかなかったのである。

2018年11月14日水曜日

芝木好子『京の小袖』

明治神宮野球大会が閉幕し、今年も野球の季節が終わった。
高校の部。
夏から始動した新チームの頂点に立ったのは北海道地区代表札幌大谷。初の全国大会で今夏のメンバーを多く残す北信越地区代表星稜(今大会優勝争いの大本命だったといえるかもしれない)を降した。北海道地区代表としては2005年、当時田中将大がいた駒大苫小牧以来二度目の優勝となる。
北海道のチームというとダークホース的な印象が強いが、今回の札幌大谷は2年前のリトルシニア日本選手権にも出場していて(初戦敗退ではあったが)、今回の主力メンバーは中学生時代に神宮を経験している。力はあると見ていい。ただ明治神宮大会の優勝チームは春のセンバツ大会では苦戦している。過去優勝した44チームのうち、秋春連覇したのは松坂大輔のいた横浜(1997)と報徳学園(2001)だけだ。果たして札幌大谷はセンバツを勝ち抜けるのか。
敗れた星稜はエース奥川が春以降も注目を集めるだろう。150km/h近い速球とおそらく高校生レベルでは当てることさえ難しいスライダー、そしてフォークボールと現時点での完成度は高校ナンバーワンといっていい。1992年のセンバツで優勝した帝京は前年の明治神宮大会では準優勝だった(このときの優勝は松井秀喜を擁した星稜)。いずれにしても春が楽しみである。
大学の部は東京六大学リーグ代表の法政大が早々に敗退。混戦の東都大学リーグを生き残った立正大が二度目の優勝を飾った。三番小郷、四番伊藤祐とふたりの中軸打者がドラフト会議で指名を受けているハイレベルなチームだった。
大学野球は六大学か東都か、あるいは関西か首都大学リーグかという時代が長かったけれど、最近は九州や東北・北海道、中国・四国と強いチームが増えている。いい選手が分散しているのかも知れない。
この本はずいぶん前に読んだ。
忘れてしまわないうちにもういちど読んでおきたい短編集である。

2018年11月9日金曜日

濱田研吾『脇役本』

万年橋という交差点がある。
東京の銀座を北西から南東に貫く晴海通りという道があり、日比谷の交差点からJRの高架をくぐって、数寄屋橋、銀座四丁目、三原橋と3つの大きな交差点を過ぎると首都高速の上に橋が架かっている。もちろん昔は川だった。銀座と築地の境界である。
道を訊ねられた、橋の上で。「都営地下鉄の東銀座駅はどちらでしょう」と。たしかに目の前に地下鉄の入口はある。もぐればすぐに改札口だが、東京メトロ日比谷線の改札だ。入口にも都営地下鉄という表記はない。少し銀座側にすすんで歌舞伎座脇の入口から降りた方がいい。
「ありがとうございました」の背中を呼び止める。都営地下鉄に乗ってどちらまで行くのですかと今度はこっちが訊ねかえす。行先は浅草だという。であるならば歌舞伎座脇の入口よりその先の方がいい。押上方面は反対側のホームだ。地下に潜ってさらにその下の通路を通らなければならない。歌舞伎座の先の大きな交差点を渡ると地下鉄の入口がある。そっちのほうが便利だと伝える。
はじめからそう教えればよかった。二度もお礼を言わせてしまった。
脇役本というのは映画や芝居でいつも脇をかためる役者が遺した書籍ということらしい。造詣の深い著者がカテゴライズしたジャンルといえる。
名前だけ見ても知らない役者が多い。ひとつには年代的に古いからであり、もうひとつは映画やドラマでは知ってはいてもその役者の名前までは知らないということもある。目次をながめてすぐにピンとくるのは加東大介、志村喬、有島一郎、芦田伸介、加藤嘉…、おそらく半分にも満たない。それでも吉田義夫のように「悪魔くん」のメフィストの人か!といった具合に読んでいて思い出せる役者もいる。
編集担当は映画好きな人だとC書房にいる友人に聞いた。
しばらくたって今度は新大橋通りの築地本願寺前でナミヨケシュラインはどうやって行くのかと訪日外国人に訊ねられた。
うまく教えられたかどうか…。

2018年11月4日日曜日

寺本潔/澤達大編著『観光教育への招待』

もう30年近く前、タヒチに行った。
青い海とスコールがあるだけで何もない島で一週間ほど何もしないで過ごした。喉が乾いたのでどこかでビールでも飲もうということになった。妻と並んでカウンターに座ってビールを注文する。“ドゥービエール、シルヴプレ”とかなんとか言ったのだろう。ヒナノビール(タヒチで醸造されているビール)が瓶で2本置かれた。
フランス語は少し齧ったことがあった。少し齧ったところで歯ぐきから血が出たのでやめた。それはともかくカウンターの隣に腰かけているおそらく西洋人であろう男性が背の高いグラスに注がれた生ビールを飲んでいる。常夏の島である。気分としては瓶ビールより生ビールだ。妻も生ビールが飲みたいという。やれやれ、どう言ったらいいのだろうと思った瞬間、ふと記憶が呼びさまされた。
生ビールは“アンプレシオン”だ。男性名詞だ。
そこでこんどは“ドゥープレシオン、シルヴプレ”と言うとカウンターの中の男は(おそらくは“ダコ”とかなんとか言ったのだろう)背の高いグラスにサーバからビールを注ぎはじめた。2杯の生ビールが並べられた。
つくづく記憶というのは不思議なものだ。学生の頃、暇にまかせて聴いていたNHKのラジオ講座で生ビールを注文する場面があった。それを思い出したのである、奇跡的に。
日本は観光立国をめざしている。
どこに行っても訪日外国人であふれている。彼らのなかにも日本語の勉強を齧った者もいるだろう。そして歯ぐきから血が出て挫折した者も。そういう観光客たちにおいしい生ビールを注いであげることこそ観光教育のねらいである。
というのは冗談で、自分たちの暮らす地域にある観光資源の魅力や課題を見出していく、そして観光客の立場に立って、観光マップやポスター、ガイドなどをつくり、発表する実践が観光教育であるという。そう考えると普通の社会科や地理よりもたのしい授業になりそうな気がしてくる。

2018年10月31日水曜日

デービッド・アトキンソン『新・観光立国論』

日本も人口減少がはじまった。2040年代には毎年100万人以上のペースで減っていくという。一年ごとに仙台市や広島市、千葉市がなくなるというわけだ。
人口が減ってしまうと労働力が不足し、行政サービスが不十分になる。東京都内の鉄道は山手線以外はなくなるとも言われている。大都市が廃墟となる。
今から心配しても仕方がないが(そのときなればなったで何とかなるだろうという見方もあるはずだ)、どのみち人口が減っていいことはなさそうだ。国としても生まれてくる子どもを増やそうだのいろんな施策を考えているのだろうが、おいそれとは人口なんか増えはしないだろう。海外からの労働者を受け容れるという選択肢もある。移民である。ヨーロッパやアメリカでは一般的なことになっている。もちろんそれにともなう社会問題も後を絶たないが。移民は必要だろうが、百数十年前まで鎖国をしていた島国で果たして根付くだろうか。日本人の国民性からして移民政策は馴染めないと思う。
と、そこで著者が提案するのが「短期移民」という考え。つまりは観光客を増やして外貨を落としていってもらおうということだ。
最近訪日外国人旅行者が増えている。どこに行っても外国人でいっぱいだ。鉄道の乗換案内や切符売場には日本語・英語・中国語・韓国語で表記されている。年々増える一方で2020年には4,000万人に上ると言われている。
ところがだ。2017年に前年比20%近く増え、3,000万人近く海外からの旅行者が訪れた日本はまだまだ観光後進国であるという。海外からの旅行者の多いフランス、スペインは8,000万人以上、アメリカは7,500万人超。日本は世界ランキングは12位。ベスト10にも入っておらず、アジアの中でも香港、台湾を含めた中国やタイに大きく後れを取っている。
だからこそ観光産業に力を注いで、観光立国しなさい、というのがデービッド・アトキンソンの提言なのである。

2018年10月30日火曜日

箕輪厚介『死ぬこと以外かすり傷』

野球の季節もそろそろ大詰めである。
高校野球は夏以降始動した新チームによる地区大会がほぼ終わり、来月の明治神宮野球大会を迎える。大学野球は4年生が出場する最終の大会となる。社会人野球日本選手権もまもなくはじまる。
今年はドラフト会議で高校生の有力選手複数に指名が重なった。全体的にレベルの高い世代だったかもしれない。甲子園で春夏連覇した大阪桐蔭からはなんと4人も指名を受けた。昨年の主力の多くが東京六大学など進学する者が多かったことを考えるとやはり今年の方がいい選手がそろっていたのだろう(それでも今年のエース柿木連より昨年の徳山壮磨の方が上だと個人的には思っているが)。
根尾昴と報徳学園の小園海斗は4球団から入札があった。小園と3球団から入札があった藤原恭大は将来的にどんな選手になるかイメージしやすい。たとえば巨人の坂本みたいな遊撃手になるだろとか瞬足強肩強打の外野手になるだろうことは想像できる(実際は厳しいプロの世界だからそう簡単にはいかないだろうが)。わからないのが根尾だ。外野もできる内野もできる投手もできるということではやくも二刀流かなどと騒がれているが、身体能力の高さを活かすのなら遊撃手ではないかと思っている。それも吉田義男や藤田平、石毛宏典のような華麗な守備を見せる巧打者ではなく、高橋慶彦や松井稼頭央のような野性味あふれる選手になりそうな気がしている。それだけ計り知れないものを持っているように思えるのだ。もしかしたら長嶋茂雄をも超えるのではないかなどと大それた期待すら持っている。
箕輪厚介という人物は知らなかったが、ベストセラーを次々に世に出す敏腕編集者だという。編集という仕事に携わっている知人は何人かいるが、その職種がどういうものかもわからない。
こうした武勇伝で若者たちを煽る時代でもないだろうと思うが、逆に考えると語気荒くけしかけなければ世の中におもしろいものが生まれなくなった時代なのかも知れない。

2018年10月26日金曜日

鷹匠裕『帝王の誤算』

仕事場が麹町から築地に移ってもうすぐ3年になる。
今さら築地?とも思ったけれど、地下鉄都営浅草線に乗れば京成沿線に出られるし、東京メトロ日比谷線に乗れば、入谷や千住、さらには東武沿線も近い。下町好きにはかなりいい立地だ。少し歩いて隅田川を渡れば、佃や月島もすぐそこだ。麹町みたいな山の手特有のアップダウンはないけれど、それもまた東東京の楽しみでもある。
広告制作に長いこと携わってきた。築地は広告業の遺跡が遺されている。
電通は1967年、提灯行列を連ねて銀座からこの地に移ってきた。現在は本社ビルを汐留に構えているが、長いこと築地を拠点としてきた。本社ビルはまだ解体されることなく遺されている。建築家丹下健三の設計だと聞いている。周辺の建物を見ても、これだけ個性的なビルはあまり見ない。本社ビル移転後も電通は成長を続け、第2ビル、第3ビル…と複数のビルで業務を行っていた。計り知れない猛烈な勢いで成長を遂げていった広告会社であることがそれだけでも察することができる。
この小説は電通の話ではない。フィクションである。舞台は「連広」という広告会社だ。
連広の社員は連広社員手帳(通称連帳)を持っている。RENNOTE(レンノート)ではない。第4代社長押田英世の残した「十の掟」が記載されている。主要広告主はトモダ自動車である。自動車業界第2位のニッシン自動車の扱いもあったが、ライバル会社弘朋社に奪われる。その昔どこかで聞いたような噂話が次から次へと登場する。読んでいてハラハラする。知らない人からすればまったくのフィクションだけれど、少し知っている(それは真実かどうかは別として)人にとっては、である。
登場人物はそれなりの地位の方々である。会ったことはないけれど、名前くらいは知っている。いやいや、これはフィクションだから、架空の人物である。知っているはずがない。それはじゅうじゅうわかっている。
わかってはいるんだけどね。

2018年9月26日水曜日

西村まさゆき『ふしぎな県境』

横須賀線の西大井駅とその周辺はもともとあった三菱重工の工場跡地を再開発した地域である。その東側にやはり三菱系の日本光学(現ニコン)の工場があり、今では暗渠となっている立会川に沿って大きな工場が並んでいた。
立会川の北側は住所でいうと品川区二葉二丁目、南側は同じく西大井一丁目である(町名が改正される以前の昭和31年の地図によると二葉四丁目、大井森下町となっている)。この境界は古く東京35区時代の品川区と荏原区の区境だった。警察や消防の管轄も北は荏原、南は大井である。
ところが地図をよく見てみると、西大井駅付近のかつて立会川が流れていた流路を越えて、その北側に西大井一丁目が張り出しているところがある。マンションと小さな工場が並んでいるのだが、右と左で町名が変わるのである。
長いこと不思議に思っていた。三菱重工が境界もろとも川を越境して工場の施設をつくったためではないかと想像していたが、そもそもこの工場ができたのが昭和初期。地名はそれよりももっと前からあったはずである。そう考えると立会川の流路が以前は蛇行していたと考える方が妥当か。
こうしたどうでもいいことが気になるようになって、東京23区の区境に興味を持つようになった。それもできれば住居表示板があってひと目でわかる区境に。
もちろん都県境や県境にも興味はある。
この本を読む限り、県境や都県境をめぐるにはそれなりの体力が必要だと思う(青島幸雄的に言うと手間もかかるし元手もいる)。それでいて一枚の写真で境界がわかりにくい。ここから何県、ここから何県という明確でドラマティックな記号がほとんどない。著者は心の眼で見よというが、それは旅する個人で楽しむ分には大いに結構なのだが、ソーシャルネットワークの時代にあってひと目で共有できる楽しみがないというのはいかがなものかと考える。
そういうわけで僕は細々と東京23区区境の旅に勤しんでいるのである。