2019年8月30日金曜日

獅子文六『青春怪談』

「木綿のハンカチーフ」は、男女の対話型の歌詞が新鮮でヒットした名曲である。
松本隆は以後、このスタイルで次々にヒット曲を生む。吉田拓郎の「外は白い雪の夜」もそう。
この曲に登場する恋人同士はどこに住んでいたのだろう。ときどき疑問に思う。
東へと向かう列車に乗って男は旅立つわけで、めざしたのが東京だとするとそれより西の地方ということになる。そこがどこかをいつか突きとめたいと思っている。今のところ、静岡あたりではないかと想像しているのは、関西だったら「せやけど木枯らしのビル街からだに気いつけてや」にならなければおかしいと思うからだ。名古屋であれば「涙拭く木綿のハンカチーフくだせぇ」になるはずだ。もっと遠くの可能性もある。中国、四国、九州…。だとしたら東に向かうのは列車ではなく飛行機だろう。
というわけで静岡あたりがあやしいと思っているのだが、それも男の方がおいそれとは帰れないだけの(というか文通するような)距離があるのだから、かなり西側ではないかと想像している。それも豊橋から飯田線に乗り継いでかなり山間部に入ったあたりではないだろうか。東京より西といっても三島、沼津、甲府あたりではないんじゃないかと。
どうでもいいことを考えてしまった。
獅子文六はすでに何作か読んできた。
少しずつその手の内がわかってきたように思う。というか、その奇想天外に目が慣れてきたとでもいおうか。舞台は湘南と都内の新橋、四谷、青山、渋谷あたりを往復する。どこがどう奇妙奇天烈かをここに記してしまうとまだ読んでいない方に申し訳ないので書かないし、もちろん批評したり、批判したりするつもりもない。獅子文六は作品を待ち焦がれる読者の期待を裏切らないような娯楽作品を書き、受け容れられてきたのだから。
それにしても松本隆の詞はいい。「都会の絵の具に」とか「いいえ星のダイヤも海に眠る真珠も」など、実にいい歌詞だなあと思う。

2019年8月25日日曜日

大岡昇平『野火』

高校1年か2年の夏休みだったと思う。現代国語で読書感想文を書く宿題があった。
小学生の頃まではよく本を読んでいたけれど、中学に上がってから読書量は激減した。活字嫌いだったわけではない。就学前から毎月少年漫画雑誌を買ってもらい、字が読めるようになる以前から活字に親しんできたのだから。
高校に入ると部活の練習やら、日々の勉強に追われ(といっても大半は居眠りをしていたが)本など読む時間はない。通学の電車は唯一ぼんやりできる時間であり、もったいなくて本など読む気がしない。
そもそもが宿題という権威的な制度のなかで特定の一冊を強要されるのがなにより嫌だった。生徒全員に同じ本を読ませ、同じような感想文を書かせて、それを読まなければならない国語の教師のことを慮るとますます読む気がしなくなる。それでも出された課題に応えていく従順さを身につけることが戦後教育の最大の美点だった時代だ。とりあえず課題の文庫を購入し、読みはじめることにする。
夏休みといってもほぼ毎日部活の練習がある。午前中か午後か炎天下でたいした水分補給もできないまま運動をする。行きと帰りの電車の中でその気になれば少しづつではあるけれど読みすすめることはできる、と思っていた。当時都内を走る電車は今のようにすべてが冷房されているわけではなかった。おそらく冷房化率は50%に満たなかったと思う。昨今続く猛暑日ほどではなかっただろうが、40数年前も夏は暑かった。そうした状況下で読みはじめた課題図書はページをめくっただけで熱風が顔面に吹きつけてくるような暑苦しい本だった。
結局30ページほど読んではみたが、夏休み中に読み終えることはできなかった。読了したという友人におおまかなあらすじを聞いて(僕の周囲には読んだ者の方が圧倒的に少なかったのだが)いい加減に原稿用紙のマスを埋めた。
大岡昇平『野火』を読み終える。この本には夏休みの苦い思い出がある。

2019年8月23日金曜日

竹内薫『教養バカ わかりやすく説明できる人だけが生き残る』

今年も甲子園が終わった。
101回目の全国高等学校野球選手権大会は大阪代表履正社高校が初優勝を飾った。昨年に続いて大阪勢の連覇。レベルが高い。春センバツの一回戦で履正社は星稜の奥川恭伸投手に3安打17三振と手も足も出ず完敗する。その悔しさをバネにしての悲願の初優勝とニュースは伝えていた。
奥川のピッチングは昨秋の明治神宮野球大会で見ている。時速150キロの直球とスライダーのコントロールがすばらしく、打ち崩せる高校生はいないと思われた。実際にそれまでの公式戦で奥川が打たれて負けた試合は春センバツの対習志野戦だけだ(それにしても習志野戦後、星稜林監督の行った相手監督への抗議はいただけなかったな)。
さて、履正社との決勝戦。奥川は実は本調子ではなかったのかもしれない。あるいは高校最後の試合、甲子園の決勝ということで高ぶる気持ちを抑えられなかったのか、これまでにないプレッシャーを受けたのか。テレビで視ていて本来の投球ではないように思えた。昨年の決勝戦で大阪桐蔭の猛打を浴びた金足農吉田輝星投手も残念ながら本来のピッチングはできていなかった。微妙なコントロールを失っていた。決勝戦で実力を発揮するにはワンランク上のメンタルが必要ということか。昨年神宮球場で見た印象が強烈だっただけに(江川を超えるピッチャーがついにあらわれたと思ったし、今でも江川以上だと信じている)残念な決勝戦だった。
そういえば昨秋は打順がもっと上位だった奥川がセンバツ後の春の大会から8番に下がっている。投球に専念させるための配慮だったか、調子がよくなかったのかわからないが、バッティングでも活躍する姿を見たかった。
タイトルは『教養バカ』だが、教養に関する本ではなく、コミュニケーションのついて説いた本である。教養というのは突き詰めれば難しい問題だと思うが、そこらへんはさらっとかわしている。それはそれでいい判断だと思う。

2019年8月20日火曜日

大岡昇平『俘虜記』

南房総にある父の実家に兵士の遺影が飾られている。
軍服を着たその若い男は祖父の弟、父の叔父にあたる人で1945(昭和20)年6月、「ルソン島アリタオ東方10粁ビノンにて戦死」と戸籍には記載されている。僕たちは幼少の頃から彼を「兵隊さん」と呼んでいた。
祖父は9人きょうだい(うち男ふたりは幼い頃亡くなっている)の長男で戦死した大叔父は六男だった。父の叔父叔母たちのなかでいちばん若い1922(大正11)年生まれということもあり、6歳しか違わない大叔父は父にとって兄のような存在だったと聞いたことがあるが、若くして戦場に散った大叔父を知る人もほとんどいなくなった。
中学生くらいのころ、秋葉原で部品を買ってきてはラジオづくりや電子工作に凝っていた。アマチュア無線や海外短波放送を聴いていた。父は大叔父が通信兵だったから、少しは似ているのかも知れないと言ったことがある。「兵隊さん」に関する数少ない証言のひとつである。
太平洋戦争に関してはよく見積もっても教科書以上の知識を持っていない。
1944(昭和19)年にはサイパン、テニアン、グアムそしてレイテが陥落した。主戦場はルソン島に移り、翌3月にはマニラも陥落する。戦史をたどると以後南方で大きな戦いは記載されていない。マニラと小笠原硫黄島占領後の主戦場は沖縄に移り、本土空襲も激しさを増していく。補給を断たれた南方の日本軍は完全に孤立した状況だったに違いない。
大岡昇平は南方で日本軍が玉砕を続ける最中に暗号手としてマニラに赴き、米軍の捕虜となる。捕虜になるまでと捕虜となってからの収容所の生活や心情がこの作品では描かれている。
戦死した大叔父「兵隊さん」は武器も食糧もないジャングルでどんな生活を強いられていたのだろうか。米軍の掃討によってか、島民のゲリラ部隊に襲われたのか、あるいは重度の病に侵されて斃れていったのか。真実は南の島に葬られたままである。