子どもがまだ小さかった頃を思い出す。
幼稚園に通うようになった頃やその少し前。手もかかったし、仕事だって忙しかった時代。時間があれば公園に連れて行ったり、絵本を読んだり、お風呂に入れたりもしたけれど、子育てらしい子育ては妻に任せきりだった。その当時ふと想像したことがある。もし今万が一妻に先立たれるようなことになったら俺はどうしたらいいのだろうと。
あくまでも仮定の話ではあるにもかかわらず、もしそんなことになったら仕事場の近くに部屋を借りて引越しして、仕事の合間合間に幼稚園の送り迎えをしたり、ごはんを食べさせたりしなくちゃいけないとか、出張のときは親や姉に預けるようにしなくちゃならないとかかなり具体的に想像力をはたらかせた記憶がある。そもそも父親ひとりで子育てができるのだろうかと目の前が真っ暗になった。幸いこれは想像だけで終わり、妻は今でも健康で子どもたちもそのうちすくすく育ってもう大学も卒業している。
鹿島茂『パリの日本人』に若き日にパリに学んだ獅子文六のエピソードが紹介されている。そして『娘と私』、『父の乳』の2作品が例外的な自伝的作品であると知る。留学先で出会ったフランス人の妻を亡くし、ひとり娘をどう育てていこうかという苦悩に満ちた日々を描いているこの『娘と私』を読んで、わが子の幼少時を思い出した。
獅子文六は、1925年から25年間(先妻が亡くなり、二番目の妻が亡くなるまで)中野、千駄ヶ谷、愛媛、駿河台と移り住む。『てんやわんや』の舞台がどうして宇和島で主人公が戦犯容疑を恐れていたのか、『自由学校』でお茶の水橋下の住居がなぜ登場するのか、『箱根山』に登場する青年乙夫をドイツ人と日本人のハーフにしたのか、この本を読むとわかってくる。
おもしろおかしい娯楽作品の印象が強かっただけにこの作品の特異さが強く印象に残った。獅子文六の作品で目頭が熱くなったのははじめてのことだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿