2016年2月27日土曜日

杉浦日向子『合葬』


仕事で絵を描いている。
というとちょっとアーティスティックな印象を与えてしまうかもしれないが、そんなにたいそうなものを描いているわけではない。テレビコマーシャルとかWebムービーなど映像コンテンツの企画の仕事をしている。絵など描かずに文章だけでもじゅうぶん仕事はできるんだけど絵があるとイメージしやすく意図が伝わりやすい。絵を見せてもわからない人もいるが。
絵を描くのはその日の気分でサインペンやゲルインキのボールペンを使う。立派な画材を使うような絵は描けないのでもっぱら、安価な筆記具とコピー用紙を使う。最近は0.5ミリとか0.7ミリのシャープペンシルを使う。
シャープペンシルといえば昔からノックボタンの内側に消しゴムが付いていた。
いったい誰が考えついたんだろう。たしかにとっさの場合には便利な構造である。考えついた人の頭上に電球が煌々と輝いたにちがいない。
ところがそこに付いている消しゴムは今どきのよく消えるタイプ(プラスティックイレーサーというらしい)のものではない。昔ながらの、下手をすると紙を汚したり、破いたりしかねない消しゴムだ。正直言って実用性に乏しい。使うとすればどうしようもないときだ。
別の見方もある。華奢なシャープペンシル(昔はシャープペンシルといえば500~1,000円はしたであろう高価な文具だったが、今は100円くらいで買えるし、それ相応の身なりをしている)はノックボタンがはずれやすく、それによって中の芯がこぼれ落ちやすい。消しゴムはその落下防止のための中ブタなのではないか。
久しぶりに漫画を読んだ。昨年映画化された『合葬』だ。
先日、吉村昭の『彰義隊』を読んだが、同じ彰義隊の物語でありながら、こちらは事件の全体像より幕府側の若者にフォーカスしている。息絶えようとする江戸時代。はかないサムライの命がはかなく描かれていた。
杉浦日向子はシャープペンシルなんか使わないんだろうな。

2016年2月6日土曜日

スティーヴンスン『宝島』

実家近くにある区のセンターで水墨画の教室があるという。
母の知人も何人か通っているらしいが、聞くところによると昔、僕の母校(小学校)で教鞭をとっていた女性が隣の区から通われているという。母に言わせるとその先生が僕のことをよく覚えていてちょくちょく話題にしてるんだそうだ。
最初のうちは誰だろうと思っていたが、小学校の6年間で女の先生だったのは3~4年のときだけだからそのときの担任の先生にちがいない。隣の区から通っているって、田園調布の方かなと母に訊くとそんなことを言ってたという。まちがいない。当時担任のA先生ないしはY先生だ。
AとYでは大ちがいだが、たしかその頃結婚されて苗字が変わった。A先生からY先生になったのか、あるいはその逆か。そのあたりは思い出せない(以下、仮にY先生としよう)。
Y先生はあるとき体調をくずされて、ほぼひと月近く休んでいた。同級の誰かがある日お見舞いに行こうと言い出した。住所はわかる。最寄駅もわかる。ということで男子生徒有志で相手の迷惑もかえりみず、電車に乗って行ったのだ。
駅に着いてからがたいへんだった。はじめて降りる駅。地図はなく、所番地を記した紙切れ一枚だけ。街区表示板だけをたよりに延々とさがしまわった末、ようやくたどり着いた。突然十人くらいの男子生徒に押しかけられて先生もほとほと困ったことだろう。
お菓子をいただき、庭の芝生で遊ばせてもらった。記憶に残っているのはそのくらいだ。
この頃主に読んでいた本はポプラ社の伝記だった。
その後、冒険ものや怪盗ルパンが好きになる。そのなかでもしくりかえし読んだのは『宝島』だ。自分で模写した地図を手に読みすすめた。
光文社古典新訳シリーズにこの一冊があるのを知り、あらためて読んでみる。何十年ぶりだろう。地図も載っている。遠い記憶が呼びさまされる。ジム・ホーキンスに久しぶりに出会う。
冒険小説にめざめたのは、Y先生の家をさがしまわったあの日だったのかもしれない。

2016年2月4日木曜日

吉村昭『彰義隊』

及川惣吉さんが亡くなられたと聞いた。
及川さんはわずか数年ではあったが、広告会社でサラリーマンだった時代の僕の上司であり、コピーライターだった。大学卒業後勤めはじめた会社が傾いて、博報堂に文案家として就職しなおし、それから間もなく電通にスカウトされて移籍した。ちょっと風変わりな経歴の持ち主である。昭和30年代半ばのスターだった。
及川さんのすごいところはずしりと響くそのコピーだけでなく、クリエーティブディレクターとして多くのコピーライターやアートディレクターを生み出したところにある。クリエーティブの才能や能力を継承していくのはまさに電通の得意とするところだ。
僕は30歳になる少し前に及川さんに出会った。及川さんは還暦のちょっと手前だった。もう少しはやくめぐり会えて、広告作法を直に学べていたら、僕ももう少しまともなクリエーティブになっていたかもしれない。それでも及川さんは時間さえあれば毎晩のように酒場に連れて行ってくれた。そして飄々と昔話やら友の話やらを聞かせてくれた。
及川さんは酔うとよく踊った。誰かがカラオケで歌いだしたりするとそこらにある棒っきれを手に(本人は刀のつもりらしい)踊りはじめる。店がせまいと路地に出て踊る。最初は呆気にとられるのだが、慣れてくるとカッコいい。男のダンディズムを感じる。阿久悠が作詩して沢田研二が歌った「カサブラン・カダンディ」という曲があった。「男がピカピカのキザでいられた」ハンフリー・ボガードの時代が歌われている。今さらおだてても仕方ないが、及川さんにはそんな粋でカッコいいところがあった。
彰義隊。
サムライの時代はほぼ終わっている。武家社会の栄光だけをたよりに失われた時代にすがりつく男たち。新たな時代の新たな勢力に屈することを拒絶した若者たちのドラマはちょっとした美学=ダンディズムだったのではないか。
2月生まれの及川さんはもうすぐ84歳だった。どうかあの世でもカッコいい踊りを披露してください。

2016年2月1日月曜日

ラズロ・ボック『ワーク・ルールズ!』

とあるCM制作会社の話。
その会社では作業があってお昼を食べに行けない社員のために蕎麦屋とか中華の店からほぼ毎日出前をとっていた。その際、社員の負担は少額の定額(たとえば一食300円とか)にして、給与から天引きしていた。また近くにおでん屋があった。夜は居酒屋みたいになるんだけど昼はランチがあり、そこでも会社名と名前を告げればお金を払わなくてよかった。同じように天引きされた。
食べるってだいじなことだ。
グーグルでは社内にマイクロキッチンと呼ばれる社員食堂やカフェテリアで無料の食事が提供されている。全世界で一日10万食におよぶという。
この制作会社の昼食は無料ではないけれど、外に出られない社員のことをよく考えていた制度だった。自由な発想とか工夫だとかはこうしたなんてこともないサポートから生まれたりする。
時間がない、昼飯どうしよう。今日ははやく帰って洗濯しなくちゃ、貯まっちゃってるからな。ずっと髪を切りたいと思っているんだけど休みがとれない、休日もやることがいっぱいで美容院に行けない。
実はこうした些細なことがイノベーションの障害になっている。グーグルのオフィスにはクリーニング屋がやってくる。移動美容室も訪れる。ちょっとした気がかりなことをちゃんと取りのぞくサービス、福利厚生がある。
この本はマイクロキッチンの本ではない。クリーニングサービスや移動美容室の話でもない。イノベーションを起こすためのクリエーティブなオフィスはどうあるべきか。その基本的な考え方から解き明かしている。グーグルの人事責任者が書いている。どんな人材をどうやって選んで採用するのかから語られる。
先のCM制作会社では経済環境、経営環境の変化から昼食補助制度はなくなってしまったようである。ああ、今日も昼飯抜きかなあ、コンビニで何か買って適当に済ませようかな、なんて思いが仕事にとってたいせつな発想を妨げてはいないだろうか。