2012年12月31日月曜日

今年の3冊2012


昨年に比べて今年はそれなりに読んだと思うのだけれど、如何せん無精でこのブログに書き起こせていない本が数多ある。
それらは来年に繰り越しということでいつの日かひのめを見るときをお待ちいただきたい。
読書メーターには今年の20冊をまとめているが、ここはあくまでこのブログ上でのベスト3を揚げる。

佐々木俊尚『「当事者」の時代』
幸田文『おとうと』
川端幹人『タブーの正体』

佐々木俊尚は立ち行かなくなった現代マスコミの言論分析からマス、ネットを含めた広い意味でのメディア空間の先行きに光を当てている。幸田文は隅田川沿いを歩きながら、ふと読んでみたいと思い立った。『タブーの正体』はおそらくこれからの日本の報道の方向性が示唆されている一冊だと思われる。
2012年も暮れを迎えている。来年はもう少し読み、もう少し書き、ほんのわずかでもいいから何かを残していきたい。

2012年12月15日土曜日

村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 』


その人と会うともやもやした気分を忘れて、すっかり頭が冴えてくる、そんな友人がひとりいたら人生は幸せだと思う。
かつてそんな友人がいた。過去形でいうのもおかしな話だが、いまは遠くに住んでいて、おいそれとは会えないので便宜上過去形にしただけだ。仕事でいくつも宿題を抱えているときでもその人と会って、散歩したり、お酒を飲んだりするだけで気分がやすらぐ、嫌なことを忘れられる、頭の中がリセットされて、そのあとからいろんなアイデアが湧いてくる。そんな友人だ。
今年の夏は比較的プレッシャーのかかる仕事を任されて、辛い日々を送った。持ち前の、どんなときも達観するゆとりが失われた。こんなとき、あの人に会いたいと思うのだ。
小説家のなかで比較的だけどそんな友人の代わりになってくれるのが村上春樹だ。『1Q84』以降はそれほど読んでいなかったので(おそらく『雑文集』、『やがて哀しき外国語』、『走ることについて…』、『神の子どもたちは…』くらいじゃないか)、打ちのめされた日々から復興するためにまた読んでみようと思った。
実をいえば、インタビューとか対談は好きじゃない。耳で聴けばいいのになんで活字を追わなきゃいけないんだ。それにどんなインタビュアーだって村上春樹に訊くことといえばおおよそ見当はつく。それでも手に取ってみたのには理由がある。
これまで大概の小説は読んできたつもりでいたが、読み残している作品もある。それがどの本か、もうわからなくなってきている。いわば、忘れてしまった読み忘れを思い出すために読んでみたのだ。もし読み忘れがなかったら、次にどの本を再読しようかという見当をつけるため。まあ、そんな思いで読んでみた。
結論をいうと、『アフターダーク』をまだ読んでいないことが判明した。小説以外の作品はあまり積極的に読もうとは思っていなかったが、『アンダーグラウンド』はぜひ読みたいと思った。
このインタビューを読んで、気分がすっきりしたわけではない。やはりあの人に会いたいなという気持ちのほうが大きい。それはともかく次に読むのは『アンダーグラウンド』と決めた。

2012年12月1日土曜日

守屋英一『フェイスブックが危ない』


駒込の西尾中華そばを食べに行こうと思ったんだ。
霜降商店街という豊島区駒込から北区西ヶ原につらなる長い長い商店街の入口にそのラーメン屋はあった(商店街は霜降銀座、染井銀座、西ヶ原銀座、ふれあい通り商店街と微妙に名前が変わる)。
その先は滝野川で都電の停留所がある。いずれにせよ散歩というのは暇だからするわけなので、この豊島区と北区の境目が気になって歩いてしまった。車も通れないような路地が区境になっていたりして、なかなか興味深い。駒込駅の南側は文京区で住所も本駒込となる。むしろこちらの方が駒込で豊島区の方が新駒込なのではないかなどとコマゴメしたことを考えてしまう。
西ヶ原まで来るとつい王子まで歩いてみたくなる(欲をいえば、十条か赤羽まで)。滝野川一丁目から都電の専用軌道に沿って飛鳥山まで歩いた。その先は堀江敏幸が『いつか王子駅で』の中で絶賛した、東北新幹線の高架下まで公道との併用軌道になる。堀江敏幸に言わせるとこの下り坂がもたらす「原初の快楽を満喫できるのは、あの由緒正しい花屋敷のジェットコースターを除いてほかにない」らしい。
この本(もちろん、『いつか王子駅で』ではなく、『フェイスブックが危ない』のほうだ)の筆者はIBMでセキュリティの専門家として活躍されているほか、行政機関などが主催するセミナーで講演を行っている。手慣れた言葉で慎重に対処する、そんな姿勢が感じられる。ややもすれば慎重すぎるきらいがないではない。そんなこといちいち気にしていられるかよとも思う。しかしながら情報セキュリティに取り組む姿勢としてはそれくらいのほうがいい。本書を読んで、おもしろそうだからなどという動機でうかつにアプリを許可しなくなった。
そういえば西尾中華そばはどこかに移転したとか移転するとかで霜降銀座にもう店はなかった。王子まで歩いて都電に乗り、早稲田に出た。ようやくラーメンを食べに来たのだと思い出し、メルシーで400円のラーメンを食べた。

2012年11月24日土曜日

パウロ・コエーリョ『アルケミスト』


8時ちょうどに新宿駅を発車する特急あずさ2号はもうない。
1978年10月のダイヤ改正の際、下り列車の号数には奇数を、上り列車には偶数をと割り当てられるようになったからだ。
狩人のデビュー曲「あずさ2号」がヒットしたのが1977年。「8時ちょうどのあずさ2号で」という歌詞が成り立つにはぎりぎりだったといえる。
あずさ2号で思い出すのは友人Oだ。Oには高校入学時にひと目ぼれした同級生がいて、その後クラスは別になったもののずっと思いを寄せていたという。3年生になり、1学期の期末試験が終わって、家でのんびりラジオを聴いていたときのこと、スピーカーからノイズに混じって聴こえてきたのがその女子の名前だった。話を聞いてみると当時そのラジオ番組で狩人とあずさ2号に乗って白馬に行こう、みたいな企画があり、彼女ははずれてもともと、ひやかし半分で応募した。Oがたまたまラジオを聴いていたときがちょうど当選者発表の日でその名が読み上げられたらしいのだ。
Oに言わせると、いつもはその時間帯は他局の番組を聴いていたのだが、その日さほどおもしろくもなかったので隣局に周波数を合わせてみた。もちろん同姓同名ということもあるし、半分信じて半分信じていなかったという。ところがそれから何週間かたって、Oのもとに一通の絵はがきが届いた。青空に映える白馬岳の写真だった。
この本は世界中で愛されている名著であると実は最近知った。夢を信じて、心の声に耳を傾けて生きていくことのたいせつさを教えてくれる。
白馬の青空に恥じない生き方をOはいまでもしているだろうか。

2012年11月23日金曜日

北真也『クラウド「超」活用術』


大井町線のガード下はずいぶん趣きが変わった。
かつて飲食店や食料品の店が並んだ細い商店街が区画整理され、広い通りになっていた。ガード下にはスナックや居酒屋、定食屋の名残は残ってはいたが、向かい側の店はすっかり道路になってしまったのだ。まるでダムのなかに沈められた集落みたいだ。そしていまやガード下の店も住人も立ち退きを要求されているらしい。すでに解体がはじめられているところもあれば、窓際に抗議の横断幕を提げている家もある。店はどこもベニヤ板でふさがれていた。いまどんな事態になっているのかはここで語る立場ではないが、なつかしいこの町の風景がこれ以上なくなってしまうのは如何ともしがたい思いだ。
このガード下をさらに進むと下神明駅がある。かつて、なかにし礼が住んでいた品川区豊町という町がある。

 下神明の駅から大井町まで電車のガード下の細い道をぶらぶら歩いた。
 いつまでもつづく緩やかな登りの坂道だった。
 電車でひと駅の距離であったが歩くと十分かかる。(なかにし礼『兄弟』)

さてクラウド本も次々に出ているので、できれば新しいものを読みたいとは思うのだが、正直いってどれを読めばいいのかなかなか判断がつかない。Webで達人たちの記事を拾い読みするという方法もあるんだろうけど、一冊通して読むほうがわかりやすい。そういう野暮な期待にこの本はじゅうぶん応えてくれているんじゃないか。

2012年11月22日木曜日

佐々木俊尚『仕事するのにオフィスはいらない』


JR大井町駅は出口が上と下にある。
一般にはどうとらえられているかわからないけれど、子どもの頃から大井町には東急大井町線との乗換改札のある上の出口と阪急百貨店とバスターミナルのある下の出口とがあり、地元の人たちは(少なくとも僕の母は)そう呼んでいた。下には阪急があり、上には商店街があった。右に行くと大井町線の線路の下が商店街になっており、左、つまりゼームス坂や仙台坂の方に向かっても商店街があった。
大井町線のガード下とその向かい側の商店街を母は権現町と呼んでいた。昔の町名で大井権現町。町の名前が変わってもその土地は昔からずっと権現町だったのだ。商店街は駅から西へなだらかに下るバス通りになっている。歩道には屋根が付いていて、子どもの頃はちょっとモダンな感じがした。坂を下りきって右に曲がると品川区役所。その先は大崎だ。左に行くと第二京浜国道。国道を渡れば荏原町、旗の台が近い。大井町線は左右の道の真ん中を、権現町から直進するように西に伸びる。
大井町線に沿うように細い道が下神明(大井町線の次の駅)に向かっている。きらびやかな権現町の商店街はここから飲食店が増え、生活臭が俄然増す。かつてこのガード下にあった魚屋で夏目雅子が買い物をしていた。もちろん映画「時代屋の女房」のワンカットとして、である。
佐々木俊尚のよさは強靭な説得力ではないかと思っている。そしてその強さは自身を律する強さであり、その強さこそがノマドというワークスタイル成功の秘訣なのだと思う。

戸田覚『仕事で差がつく! エバーノート「超」整理術』


野球シーズンもようやく終わる。
大学の新チームによる秋季オープン戦などは各校のグランドで行われるようだが、大阪の社会人選手権と東京の明治神宮大会で今年のアマチュア野球は終了だ。
というわけで今年も寒空のなか、神宮球場まで足を運んだ。観戦したのは高校の部の準決勝と決勝。
4強に残ったのは東北代表仙台育英と北海道代表北照。そして中国代表関西と北信越代表春江工。1、2回戦は接戦が多かった。安田学園も高知、浦和学院も僅差で敗れた。そんな中で打力が際立っていたのが仙台育英。北照のエース大串を2巡目でとらえ、あわやコールドゲームかというところまで点差を広げた。それも走者を貯めて、3ランと満塁ホームランで。
準決勝のもうひとゲーム、関西と春江工は四死球とエラーの多い大味な試合だった。結果は相手のミスにつけ込んだ関西がコールド勝ち。大差で勝った両校による決勝となった。
流れとしては仙台育英有利とふんでいた。ところが先制したのは関西で、これはおもしろい試合になりそうだと思った矢先の3回、仙台育英が7連打を含む10安打で9得点のビッグイニング。12−4と思わぬ大差で初優勝を飾った。
3試合を観た限りでは来春センバツで注目を集めそうな好投手は見当たらなかった。春は投手力とよく言われるけれど、この明治神宮大会からセンバツへのイメージをつかむのはちょっと難しかった。とはいえ、昨年に引き続いて東北代表が優勝したことでセンバツの枠がひとつ増えたことはよろこばしいことだ。
で、この本を読んだのは7月。ちょっと時間が空いてしまった。正直に言うとあまり内容を憶えていないんだけど、いまこうしてEVERNOTEを人なみに使っていけてるのだから、役に立っていると思っていいだろう。それにしても新書サイズで横書きは少々読みにくい。

2012年10月9日火曜日

角田光代『三面記事小説』


子どもの頃から毎年夏には南房総を訪れる。
今年も行ってきた。もう2ヵ月前の話になる。旅の思い出は熟成させるといいと村上春樹がなにかのインタビューで答えていたのでちょっと時間をあけてみた。
とはいえ、毎年訪ねる土地は何も変わりばえがしない。ここ2年で大きく変わったのはテレビが映らなくなったことくらいだ。父の実家はだれも住んでいない。住民票のある人間がいなければケーブルTVのサービスも自治体では手配してくれない。中継局からの電波が微妙に届きにくい集落なので、近隣ではケーブルにしている家が多いそうだ。
4日ほどの滞在なのだが、その間テレビとは隔絶される。ラジオを持ち込んで、高校野球の中継などを朝からずっと聴いて日を過ごす。それはそれで悪いことでもない。もちろん新聞もない。スマートフォンや携帯電話でニュースを知る以外に情報的には隔絶された地下の井戸のような場所なのだ。
久しぶりに角田光代を読んだ。実際にあった事件を想像力的にふくらませてフィクションにした短編集だ。この作家の創作手法としては新奇なものではない。そういった意味ではいつもの(以前よく読んでいた)角田光代を越えるものではない。事件の当事者とともに読み手を追い詰めていく手法だ。
千葉から戻って、滞在中4日間にどこに行ったか(外出はほとんど親戚まわりだけど)、何をしたかなどメモをつくった。あわせて、こんど行くときはこれを忘れずに持っていこうというものを書き出した。たとえば新しい石鹸とか、トイレットペーパーとか、掃除機とか。
最近、来年が来るのがはやく感じられるからだ。

2012年9月26日水曜日

常盤新平『池波正太郎の江戸・下町を歩く』


6月からはじまった案件がようやく納品に漕ぎ着いてひと段落した。
9月中旬というリミットがまえもって決められているなか、すったもんだがあって、まあなんとかなったわけだ。納期に追われ、途中のチェックでなんどもひっくり返され、文句を言われなどということは仕事をする上でよくあることではあるが、今回はやけに疲れた。
たぶんこの暑さのせいだろう。
気がついたら、オリンピックが終わり、甲子園が終わり、各地で新人戦が始まり、関東学生卓球リーグが終わり、東京六大学野球が始まり、いろんなものが始まって終わっていった。よく昔流行った歌をラジオで聴いたりすると当時をなつかしく思い出しては、ああ、こんな歌がぼくの中を通り過ぎていったんだなあなどと思うことがあるけれど、それは一面的な見方であって、その当時、その歌が流行っていた時代を無為に通り過ぎていったのは実はぼく自身なんだと思う。
そうして人は齢を重ねていくのだ。
東京に残る下町風情なるものもきっとそんな流行歌と変わるものではないだろう。多くの人が通り過ぎていった町はぼくが通り過ぎていった町でもある。
常盤新平は散歩好きな作家・翻訳家であるが、決してプロフェッショナルな散歩作家ではない。池波正太郎の登場人物の視点を借りて、自身と町の距離を巧みに縮めている。
散歩にいちばん必要なのは適度な水分補給と想像力だ。

リンクアップ『今すぐ使えるかんたんmini Dropbox基本&便利技』

新宿駅を出た湘南新宿ラインは山手線と沿うように大崎駅まで行く。大崎を出ると東海道新幹線と横須賀線のガードをくぐって、大きく右手にカーブしていく。それまで並行していた山手線は左に曲がって品川駅をめざす。湘南新宿ラインの左車窓から見えるのがJR東京総合車両センター。かつては国鉄大井工場と呼ばれていた。
しばらくすると湘南新宿ラインは東急大井町線下神明駅付近で先ほどくぐった横須賀線と合流する(ほぼ垂直に交差した線路がすぐ合流することに違和感を感じるのだが)。そこにポイントがあるのだ。住所でいえば品川区西品川一丁目。
今の横須賀線は品鶴線という貨物線だった。文字通り、品川と横浜の鶴見を結んでいた。昼夜を問わずEF15とかEH10など武骨な電気機関車が牽引する貨物列車がガタゴトと走っていたのだ。モータリゼーションの波にのまれ、鉄道貨物が衰退するまでは。
下神明にあるポイントは常磐、千葉方面からやってくる列車と東北、上信越方面からの列車を合流させて関西方面に送り出す役割を果たしてきた。逆向きに考えれば、九州や西日本からやってくる貨物列車を汐留、越中島、亀戸方面と新宿、赤羽方面へと荷分けするポイントでもあったのだ。
昨今クラウドコンピューティングの話題が多い。乗り遅れないよう、いちおう基礎的な知識はインプットしておかなくちゃと思うのでこういう本も読む。横書きの本は読みにくいし、図版の多い本は文章と図を往復するのに疲れる。クラウドの力でもっと簡単に読めないかとも思う。
Dropboxはなかなか使い勝手のいいオンラインストレージで、ドキュメントや写真、資料動画などを保存している。この手の本やネット上の記事を丹念に読んでいる人はもっと便利に使っているにちがいない。まあ、焦らず、使えるところから使っていこう、くらいのゆるい態度で接しているが。
山手線と並行する貨物線は埼京線となり、品鶴線は横須賀線になった。貨物列車は遠い記憶に中で今も走り続けている。


2012年8月20日月曜日

佐々木俊尚『2011年新聞・テレビ消滅』


甲子園はベスト8が出そろった。
今年は比較的組合せ抽選の際、有力校がばらけたとはいえ、2季連続準優勝の光星学院と昨秋、今春の九州王者神村学園が2戦目で当たるなどくじ運も重要な要素となる大会であることに変わりはない。
8強の顔ぶれを見るとやはり強いチームが勝ち残っている。予想外だったのは激戦区である東海地区の愛工大名電と県岐阜商が初戦で姿を消したくらいか。前評判の高かった聖光学院、神村学園といった地方で勝ち続けている学校が早々と甲子園を去ったのはやはり勝ちにつながる負けを経験していなかったこともあったのではないか。その点光星や大阪桐蔭は敗戦を通じて成長してきたチームといえそうだ。浦和学院も春の県大会での敗戦があったからこその16強ではないだろうか。そういった意味では連覇に挑んだ日大三にも淡い期待を持つことができたが、如何せん初戦の相手が強すぎた。秋からの新チームに期待したい。
それにしても神奈川桐光学園の快進撃はすばらしい。神奈川県勢は選抜でかろうじて横浜が選ばれたが、昨秋、今春ともに関東大会で不振だっただけに予想外の健闘だ。やはりマンモス予選が代表校を着実にレベルアップさせるのだろう。明日の準々決勝が今から楽しみだ。
『「当事者」の時代』を読んで、佐々木俊尚をもっと読んでみたくなった。とりあえずはこの話題作から。すっかり読んだつもりでいたが、まだ読んでいなかったのだ。残念ながらと言おうか、幸か不幸かと言おうか2011年に新聞もテレビも消滅はしなかった。
ただ変化は着実にしのび寄っている。消滅しなかったのは、消滅させない力がかろうじて働いているだけだ。

倉下忠憲『EVERNOTE「超」知的生産術』

今回のオリンピックはあまり観なかった。
柔道と卓球の団体戦くらいだろうか、ライブで観戦したのは。
卓球男子単は世界選手権に続いて張継科が優勝。王皓は3大会連続の銀メダルに終わった。王皓という選手はペンホルダーの裏側にラバーを貼って、そこからも強打を繰り出す、いわゆる裏面打ちペンホルダーの選手。中国はもちろん、日本でもこのタイプのプレーヤーは少しづつだが、増えている。
ペンの弱点であるバックハンド側に来た下回転のボールをドライブ打ちするために考えられた裏面打法自体はそれなりに歴史があって、中国では名選手を生み出しているが、王皓のそれはちょっと違う。それまでの裏面打法の選手は守備的なショートはフォア面を使い、下回転に対するドライブやチャンスのときの強打にのみ裏面を使ってきた。馬琳や韓陽がそうだ。それに対し、王皓はショートも含め裏面を多用する。つっつきも裏面を使うことがある。そういった意味では王皓はニュータイプの裏面ペンホルダーのプレイヤーなのだ。
王皓は前々回の世界選手権でようやく優勝したものの、その後の若手の台頭に苦戦が続いていた。そして今回のオリンピック。3大会連続の銀メダルは3大会連続で決勝で敗れるという屈辱ではなく、3大会にわたってオリンピック男子シングルスの出場枠を勝ちとった結果であり、長年にわたってニュータイプの裏面ペンホルダーというパイオニアでありつづけた結果でもある。
いずれ王皓をプロトタイプとしたすぐれた選手が出てくるだろう。王皓が真に評価されるのはそのときだと思っている。
今回読んだのはEVERNOTEに関する本。この記事の下書きもEVERNOTEを使って書いてみた。

2012年7月7日土曜日

小倉広『自分でやった方が早い病』


都内の地図を見ていると気になる場所がいくつかある。
気になるというのは行ってみたい、歩いてみたい思える場所のこと。そのひとつが港区、渋谷区、品川区、目黒区が複雑に入り組んでいるあたり。住所でいうと港区白金台五丁目、渋谷区恵比寿三丁目、品川区上大崎二丁目、目黒区三田一丁目。実際に歩いているとめまぐるしく住所が変わる。たいていの区境は道とか河川で線引きされていると思っていたが、案外そうでもなく、目黒区のアパートの隣のマンションが品川区だったりするのだ。区境には区境たるなんらかの理由があるはずで、そんなことを考えながら歩くのもわるくない。
以前、港区の二本榎という地名の名残をさがしに高輪の商店街を歩いた際、少し足を延ばして都営地下鉄の高輪台駅から港区品川区の区境を歩いたことがあった。北側が白金台二丁目、三丁目。南側が東五反田四丁目、上大崎一丁目。やや入り組んだこの区境はちょっと神秘的な道のりだった。港区はかつての東京市の南端で品川区は市下郡部北のはずれ。まさに東京市のエッジだった。
『自分でやった方が早い病』とはなかなか耳の痛いタイトルである。
組織のリーダーたりうるものは部下に任せてることで己を成長させていかなければならないというわけだ。新書ということもあって深くつっこんだ内容にはなっていないが、くわしくは『任せる技術』を読んでくださいってことかも知れない。読んでいて中竹竜二の“フォロワーシップ”にも似た内容であると感じた。なんとか病などと病気呼ばわりするよりも(もちろんその方が目立つし、売れるだろうが)フォロワーシップの方がスマートでいい。
そういえば恵比寿という地名は比較的新しいもので恵比寿麦酒の工場から駅名が恵比寿となり、そのうちに町の名前まで恵比寿にされてしまった。古い地図を見ると山下町、新橋町、豊沢町、景丘町、伊達町となっている。なかなか風情があるではないか。

2012年7月4日水曜日

高峰秀子『にんげんのおへそ』


神経質でも几帳面でもない。
たいてい出したものは出しっぱなし。そこらに置いたものが積みかさなって、そのうちさがしものをはじめる。そういう人間であるにもかかわらず、妙に気になることもある。
たとえば文章がそうだ。書類などでいったん「あんしん」と書いたら、最後まで「あんしん」じゃないと安心できない。と、こういうことが気になって仕方ないのだ。ここは「あんしんできない」だろうと思うのである。別に誤字脱字ではない。意味も通じる。たださっき開いてたのに、なんで後になって漢字になっているのか、そこだけ漢字で表記するのは何か深い意味でもあるのだろうか。そんなことを考えてしまうのである。実にくだらない考えである。
それと“「」”や“『』”の使い分けなども悩む。本のタイトルは“『』”を使う。映画や歌の題名、小説でも短編は“「」”を使う。
広告の企画などでは商品名に“[ ] ”を使うこともある。“【】”も表題の内容をあらわすのに使う。たとえば【ねらい】とか【参考資料】のように。“《》”はたまに使うが、“<>”はあまり使わない。ひらがなの“く”とごっちゃになるおそれがあるからだ。と、ここでひらがなは“ひらがな”か“平仮名”かで、ちょっと悩む。
学校にも通うことなく、ひたすら女優として生きてきたために教養面でコンプレックスを持っているという高峰秀子だが、文章の着眼点や率直な語り口など、文筆家としてもすぐれた才能を発揮している。昭和という時代に思いを馳せるとき、彼女の小文はなつかしくて新しかったその時代を巧みに描きだしている。
ここで“巧みに”を漢字にするか、ひらがなにするかまた思い悩むのだが、常日頃そんなことばかり考えているのかいえばそうではなく、たまたま今(実は“今”と“いま”はいつも悩みながら混在させることが多いのだが)、思いついただけでたぶん1時間後くらいには忘れている。神経質でも几帳面でもないのだ。

2012年7月3日火曜日

三浦しをん『舟を編む』


仕事場のアシスタントプロデューサーNとの会話。
「三浦しをん、読んだことあります?」
「三浦朱門?読んだことないな。曾野綾子もない」
と、はなっから噛みあっていない。
「三浦しをん、ご存じないですか?『舟を編む』って本、いま売れてるんですけど」
と、そこまで言われて、書店に平積みされているその本を思い浮かべた。
「へえ、おもしろいの?どんな話?」と訊ねる。
「辞書をつくる話なんですよ」と、N。
「そういえば、ち、ち、地図をつくりたいって男が『ノルウェイの森』に出てきたよね。突撃隊だっけ?」
「わたしは『ノルウェイの森』読んでいないのでわかりません」
と、噛みあわぬまま話が途切れてしまった。ただ『舟を編む』という題名がおもしろそうだったので機会があれば読んでみようと思った。
考えてみれば、仕事で作成する資料や書類だって、表記誤たず、できるかぎり正確にこちらの意図を伝えることが難しいのに、一冊の書物ならともかく、辞書をつくるなんて気の遠くなるような話だ。もちろん玄武書房の『大渡海』も十数年の歳月をかけて上梓される。ちょっとした辞書編纂年代記である。
言葉は生き物だ。時代とともに意味や使い方が変化してくる。生きている言葉と対峙する人間の姿がおもしろい。松本先生にしろ、荒木にしろ、馬締(まじめ)にしろ、どう考えても生き生きした生身の人間ではない。辞書に取りつかれた変人たちだ(彼らをいっそう変人たるべく設定された“ふつう”の若者たちが西岡であり、岸辺であろう)。こうしたむしろ、真っ当に生きていない人間たちが徐々に辞書に生かされていく、生を吹き込まれていく、人間を取りもどしていく。まさにそんな物語だ。
会話は噛みあわなかったものの、Nから聞いた「辞書をつくる話」に対して、当初難解でストイックな純文学的世界を想像していたわけだが、読んでみるときわめて明るく楽しい現代ドラマでほっとした。最近の作家はややもすれば重苦しい題材を実にたくみに料理するものだと思った。

2012年6月9日土曜日

フョードル・ドストエフスキー『悪霊』


ブログを書くのがだんだん億劫になっている。
本を読んでいないわけではない。インプットはあるんだが、アウトプットするのが面倒になってきている。時間がないということではない。本を読んで気になったことは抜書きしたり、読み終わった本をクラウドの読書サイトに登録したりしている。ソーシャルメディアに簡単にアウトプットすることでブログにさくエネルギーを消耗しているのかもしれない。
いずれにしても肩に力を入れすぎず、気長に続けていこうとは思っている。
光文社古典新訳文庫から『悪霊』が出たのが一昨年の秋。一気に読んではみたものの、第2巻が出たのが翌年4月。そして第3巻が昨年12月。
半年以上もあいだをあけられるとさすがに記憶力の弱ってきた身にはつらいものがある。しかもこの本は『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』のような明快なドラマでもない。抽象的な思想劇とでもいおうか。そして随所にドストエフスキーならではのメタファーに満ちている。
まあ、ただこの手の本は研究対象(プロ、アマを問わず)として読むのかストーリーを表面的に楽しめばいいのか、読み手の立ち位置を明快にして付き合えばいいのだ。より深く、この思想世界に踏み込みたければ再読するなり、研究書を紐解けばいい。読み物として、いずれストーリーを忘れてもそのときに身に迫るイメージを得られたならそれはそれでけっこうなことだ。おそらく訳者もそんな「軽い読み方」も想定していると思う。もちろん『罪と罰』、『カラマーゾフ』のときと同様、今回も後者の読み方をした。
ただ、もし30年以上前にドストエフスキーを知ったならば、もう少し深く読んでみていたかもしれない。あくまで「もし」の話であるが。

ピーター・シムズ『小さく賭けろ』


東京六大学野球がまた盛上がりそうだ。
昨年甲子園で優勝した日大三のエース吉永が早稲田、4番の横尾が慶應、そして主将畦上が法政、高山が明治、捕手の鈴木が立教と主力がそろって進学した。いきなり春からレギュラーで活躍するどころの騒ぎではなく、高山があわや首位打者、吉永は最優秀防御率、最多勝でふたりがベストナインに選ばれた。桐蔭出身早稲田の茂木もベストナインとなり、1年生が3人選出されたのは史上初ということだ。畦上はさほど出番にめぐまれなかったが、横尾は中軸をまかされ、打率2割に満たなかったものの早慶戦でホームランを放ち、長打力のあるところを見せつけた。たしかに斎藤佑樹ら世代にも注目選手は多かったが、今年の1年生は史上最強かもしれない。
先々の話を今からしても仕方がないが、明治の高山は今季20安打だった。このペースならいまだ破られていない先輩高田繁の通算127安打越えも夢ではあるまい。またベストナインの最多選出も高田繁で7回。今季選ばれた1年生3人はこの記録を更新する資格を得たということだ。
つい野球の話が長くなってしまったが、この本は過去の大きな成功体験から得るものよりも小さな失敗からすばやい学習を繰り返すことで導かれた成功をスターバックスやアマゾンなどの豊富な実例で紹介している。企業が陥りがちな硬直化をいかに回避して成長を続けるか、そんな柔らかい視点をくれる本である。

2012年5月23日水曜日

嵐山光三郎『東京旅行記』


昨日は金環日食ということで太平洋側各地で盛り上がった。今日はあいにくの雨だが、昨日が今日じゃなくて本当によかった。
今日は今日で降りしきる雨のなか、東京スカイツリーのオープンの日なのだそうだが、まあそれは日食に比べれば小さい話だ。
最近すっかり下町や山の手方面の町歩きから遠ざかっている。そのかわりといってはなんだが、父の見舞がてら大井町を歩く。実家は厳密にいうと大井町ではなく、大井町という大きな区画と境を接する別の村だったと思われる地域であるけれども最寄駅が大井町だったので生まれ育った場所は大井町と自分で決めている。
実家からいまは暗渠と化した立会川を渡ったところが大井町である。川の向こうのなだらかな坂を上ったあたりがかつての大井森前町。現在西大井駅になったあたりに三菱重工があった。その東側に日本光学。こちらはいまも健在だ。立会川の向こう側は小学校の区域がちがう。そのせいかいまでも歩くたびにちょっとどきどきする。
森前町からさらに馬込方面に行くと大井原町。原小学校という校名にその地名が残っていた(いまとなってはその小学校も統合されてなくなった)。原町の東には大井滝王子町。滝王子神社があるあたり。その北側が大井山中町。山中小学校にその地名を残している。
このあたり一帯が素気ない大井とか西大井といった町名に変わったのが昭和39年。自分ではほとんどこれらの町名の記憶はなく、学校名や、商店街名、交番名などでうかがい知るのみである。ただひとつ、東急大井町線のガード下からいまの広町の一帯を権現町といったが、それはよく母親が「ゴンゲンチョウ」とよく呼んでいたのでそのあたりは古い町名と実際の町とが一致する。
東京歩きできないぶんを嵐山光三郎の旅行記で補てんする。

2012年4月28日土曜日

吉岡秀子『コンビニだけが、なぜ強い?』


この本を読んで、コンビニエンスストアの棚に少し興味を持った。
コンビニエンスストアというのもちょっとまどろっこしいので、コンビニと呼ぶことにしよう(ぼくは融通が利かないタイプでアニメーションとかイラストレーションとフルで言わないと気分がよくないのだ)、今回は。
2年ほど前、セブンイレブンが高齢者向けの広告を打ちはじめたことは知っていたが、最近注意してみるとどのコンビニも小ぶりな総菜が充実している。魚の煮付けや煮物、ポテトサラダなど単なる単身者ねらいのラインナップではない。陳列棚から顔をあげてまわりを見てみるとたしかにいるのだ、中高年のお客さんが。
コンビニも変わったなあと思うのだが、そうじゃない。世の中が変わったのだ。コンビニは世の中をきちんと鏡のように映し出しているだけだ。それもセブン、ファミマ、ローソンと三社三様、それぞれのやり方で。この本はちょっとしたコンビニ評論家の著者が各社の成長の秘密を取材して、まとめたものだ。結論的には変化にいかにすばやく対応するかということ。
コンビニのシステムはクラウドに似ていると思った。生産、配送といった上流部分を超集中し、店舗を立地条件などに合わせて超分散させていく。先行き不透明な時代にあって、生き残る可能性を極限にまで高めたビジネスモデルなのかもしれない。
もし今からコンビニを経営するとするなら、この三社のうちどれを選べばいいだろうか。店は住宅地がいいのか、ビジネス街がいいのか。理想的には大きなアパートが近くにあって、企業も多く集まっていて、しかも土日に遊びに来る人も多い、そんな場所がいいと思う。セブンイレブンの南青山二丁目店のような。
ところで先日、麹町のセブンに立ち寄って、なんとなく品ぞろえを眺めていたら、なんとVHSテープが置いてあった。コンビニにあるってことは需要があるってことだ。どんなお客さんが今さらVHSを買って行くのだろう。

2012年4月24日火曜日

酒とつまみ編集部『酔客万来』

野球の季節がはじまった。
東都大学野球では亜細亜大東浜がプロの注目を一身に集めて、最終学年を迎えた。一方で昨年甲子園を沸かせた日大三の主力が東京六大学に進み、早稲田の吉永が初勝利を上げるなど、はやくも神宮に旋風を巻き起こしている。
プロ野球に関して言えば、今までジャイアンツファンであったが、今年からやめることにした。開幕から波に乗れないからではない。もう昨年オフに決めたことだ。新聞の集金員に外野席招待券をばらまかせ、外野自由席を埋め尽くしたファンにONがホームランを叩き込むという旧来のビジネスモデルから脱皮できないことを伝統と言いくるめる手法に嫌気がさしたのだ。
では今後はどのチームを応援しようか。
これが思案のしどころで、やはり地元球団ということで東京ヤクルトが浮上してくるのだが、どうも自分がビニール傘を突き上げて応援しているイメージがわかない。DeNAはどうかといえば、たしかに松本啓二朗、須田、細山田、筒香に、山本省吾も加わって、応援しがいのあるチームになったものの、どうしても応援したくない人も加わってしまったので、これもパス。
中日、阪神はまわりに熱狂的ファンが多すぎて、今さら仲間に入れてもらうのも忍びない。
ということで現在、暫定的に広島ファンとなっている。福井、野村を応援しながら、土生のスタメン出場を待ちに待っている。
「酒とつまみ」という雑誌の存在はテレビ朝日の「タモリ倶楽部」で知った。
酒を呑みながらインタビュー。なんともシンプルすぎて、おもしろすぎる企画だ。人選もすばらしい。ついでに言えば、軟便話も参考になった。
はやいうちにパ・リーグもひいきチームを決めたいと思っている。

2012年4月18日水曜日

佐々木俊尚『「当事者」の時代』

世の中に絶対といえる尺度はない。
ありとあらゆるものが相対的でしかない。ユークリッド幾何学もニュートン物理学もすべて人為的に生み出された想像の産物だった。学校で教わった世界史は西洋史だった。歴史というものは支配者の歴史だった。こういうことをおぼろげながら感じはじめたのはクロード・レヴィ=ストロースを読んでからだと思う。
マスメディアと権力の関わりはこのあいだ読んだ『タブーの正体』で知った。
警視庁に詰める事件記者のイメージは『レディー・ジョーカー』で見事なまでに描写されていた。
アウトサイダーとなってプロの革命家をめざす男の姿を『オリンピックの身代金』で垣間見た。
大江健三郎は『水死』で戦中と戦後のふたつのイデオロギーの中で生まれ育った世代として晩年ようやく自覚できたようだ。自らの立ち位置を変える「被害者=加害者」という視点がそこにはあるように思える。
この本を読みながら、これまで読んできたわずかばかりの本たちが脳裏をよぎった。これほどさまざまなことを思い出させてくれる本も珍しい。惜しむらくは、もっと一冊一冊を丁寧に読んでおけばよかった。
「ハイコンテキスト」、「マイノリティ憑依」、「サバルタン」、そして「当事者」とこの本からこれまで知らなかった言葉たちとも出会うことができた。
佐々木俊尚はよく研がれた刃物で時代を切りとり、意外性に富んだ骨太な論考が読むものを楽しませてくれる。がっつりと読み応えのある一冊だ。さすがは元事件記者だけあって、その情報収集力と読み手を動かす展開力には舌を巻く。旧作も含めて、ちょっと読み漁ってみようかと思う。


2012年4月10日火曜日

川端幹人『タブーの正体』


桜の季節だ。
多くの人に待ち望まれて、ぱっと咲いて散っていく。その潔さを人びとは愛でるのか、先週末は名所であるなしを問わず多くの人出があったようだ。FaceBookを眺めているだけでちょっとした写真集ができてしまうのではないかと思ったほどだ。
今年は青山霊園、四ツ谷、中野で桜を見た。
たいていの場合、桜の咲くのは4月。卒業シーズンではなく、入学式の風景となる。ごくまれに暖かい年があって3月の卒業式の頃咲いてしまうこともあるが、散ってしまう桜と別れの季節をだぶらせるのは哀しすぎる。桜はやはり出会いの季節によく似合う。
この本を書いたのは元「噂の真相」の副編集長だった川端幹人。マスメディアの世界にタブーを生み出す力は「暴力」「権力」「経済力」であるという。読みすすめていくと、なるほどこんな圧力があったのかなどとそれなりに感心はするが、今となってはマスメディアに多大な期待はかけられないだろうから、そんな時代もあったねと歌い飛ばしてしまおうと思う。
ただ著者をはじめとしたタブーに立ち向かっていったマスメディア人の姿勢と勇気には敬意を表したい。
で、また桜の話に戻るが、今年の桜はどことなく哀しい気がする。春の訪れとともに融けて流れる雪のような桜に、別れの予感がはらまれているように見えるのだ。
気のせいだったらそれでいいんだけど。

2012年4月1日日曜日

塚本昌則『フランス文学講義』


先々週のことになるが、胃カメラをのんだ。
胃カメラをのむ、などという言い方を最近はしないようである。胃の内視鏡検査というらしい。内視鏡検査なんてずいぶんドライでそっけない言い方だ。医学的過ぎる。それにひきかえ、胃カメラをのむという言い方はどことなく本人の意思というか精神的に立ち向かう感じがあっていい。スチュワーデスというとどこかロマンチックな感じがするのに対し、キャビンアテンダントというと業務的な感じがするのと似ている。似てないか。
父が1月に肺炎を起こして入院した。歳をとると食道と気管の振りわけがうまく機能しにくくなり、肺炎を起こしやすくなるのだという。父の「老い」を通して自分の「老い」に直面した。それからしばらく食道や胃のあたりが気になって気になって仕方なくなった。なんとなく食道や胃になにかがつっかえるような気分になるのだ。そんなこんなで一度ちゃんと診てもらったほうがいいと思ったわけだ。
フランス文学なるものからずいぶん遠ざかっている。
もともと遠ざかるほど接近した憶えもないので、正確にいえば、遠ざかったまま、だろう。
この本はジャン=ジャック・ルソーからマルセル・プルーストまで12の作品にスポットを当て、言葉とイメージのかかわりを追求しながら、文学を通じて読み手が見ているものは何かを探求している。概略的にいえばそういうことなのだが、なにせ基礎教養的な下積み(12の作品のうち読んだことがあるのはルソーとゾラだけだ)がないので新書といえどもこの手の書物は重い。ただその論説の巧拙はわからなかったものの、随所に発見があった。どこかと今いわれてもちょっと困るが。
それで胃のほうなんだが、まったくなんでもなく、ピロリ菌もいないということだった。やれやれ、である。

椎名誠『さらば国分寺書店のオババ』

この本が世に出て話題になった頃、ぼくは武蔵小金井駅からも国分寺駅からも歩いて遠い大学に通っていた。
新宿で中央線に乗り換えていたので下車駅は武蔵小金井だった。国分寺には滅多に行かず、ときどき国分寺駅周辺で飲み会なども行われていたが、わざわざ遠まわりしてまで参加することに疑問を感じていた。そんなわけで国分寺とは疎遠な関係のまま学生時代を終え、現在に至っている。
長女が国分寺から単線電車に乗り換えて行く大学に通うようになって、一昨年と昨年、大学祭なるものを見に行った。国分寺駅はかつての木造校舎のような駅ではなくなり(といってもそれすら記憶の彼方にあって定かではなく、なんとなくイメージしているだけなのかもしれないけれど)、いわゆる都会にありがちな無機質で殺風景な駅に変わっていた。
もともと国分寺とは疎遠な生活をしていた上に、当時椎名誠のようないわゆる昭和軽薄体なる書物に関心がなかったため実に30年以上もこの本を放置していた。今、こうして読んでみるとその頃は食わず嫌いだったなあとか、もっとこういう本もちゃんと読んでおけばよかたなあ、などという気持ちにはさらさらならなくて、ただただ当時の国分寺駅の木造駅舎っぽい匂いが漂ってきてなつかしくなるのである。それ以上でもそれ以下でもない。
昨年は国分寺駅から昔通った大学まで歩いてみた。さすがに国分寺からの道順は記憶になく、ずいぶん遠まわりをしてしまった。さりとて大学から武蔵小金井駅までの道を憶えていたかといえば、それもそうではなく、どこをどう歩いているかわからないうちに長崎屋の裏に出た。たぶんは道は合っていたのだろうけれど風景が変わっていたのだと思う。

2012年3月23日金曜日

幸田文『おとうと』

暖かくなったり、寒くなったり。
今年の東京は例年になく寒かったと思う。昨年の今時分を思い起こしてみても(震災という時間的なランドマークがあったので思い出すのが容易だ)、もう少し暖かかったような気がする。自分のブログを振り返ってみると昨年の3月はやはり東京散歩ものの本ばかり読んでいたようだ。もちろんそればかりではないけれど大きくくくるとその手の本が多かった。一年たってどうかといえば、やはり大差なく、下町散歩ものが根強い。
幸田文の『おとうと』も隅田川沿いの下町が舞台である。この本は幾度か映画化されている。残念ながらいずれも観たことがない。
小学校に上がる頃、もともと身体の弱かった母親は病気がちで入院していた。かすかにそんな記憶がある。げん同様3歳年上の姉がぼくの身のまわりの世話をしてくれていた(これもまたかすかな記憶だ)。靴下の穴のあいたところを糸でぐるぐる巻きにし、ぼくに履かせていたという。このことに至ってはまったく記憶がなく、今でもときどき母が話してくれる笑い話のひとつである。小学校の3年生までは姉に手を引かれながら学校に通った。4年生になって姉が中学生になり、ようやくひとりで学校に通うようになった。ちょうどいい具合に登下校をともにする友だちもできた。
ぼくは自分ひとりではなにもできない人間である。小さい頃からとりわけ買い物が苦手でGパンひとつ買いに行くのさえ姉に付いてきてもらった。おそらく高校生くらいまで自分ひとりで買った服も靴もひとつとしてなかったと思う。姉は姉で着るものを見立てるのが三度の飯より好きだったのだ。今となっては「姉がよろこぶようにいいなりになっていたんだ、わざと」などと姪たちにはうそぶいている。
読み終わって思うのは死んでしまうのがげんじゃなくてよかったということだ。ただそれだけだ。

2012年3月19日月曜日

小池良次『クラウドの未来』


150円のペットボトル飲料を100円で販売している自動販売機がある。もっと安いところもたまにある。
人間は不思議と安いものが好きである。
ついつい遠まわりをしてでも安い飲み物を買いに行ったりする。その差額はたかが50円硬貨一枚だが、仮に3本買ったとすると300円。150円なら2本しか買えない計算である(そんなことは計算するまでもなくわかる)。こうしたお得感はなにものにも変えがたい魅力なのであるが、遠まわりして買ったその帰り道にあれこれどうでもいいことを考えてしまう(こともある)。
そもそもが150円という価格設定ゆえに商品開発から、製造、流通、広告などなどの費用がまかなえているはずの商品が50円も値引きされるということは誰かがその損をかぶっているのではないかと思えてくるのである。なんとなくどの人も均等にお値引きされているのであれば、それはそれでよしとしよう。だがもし生産から販売までの過程で極端に報酬が削られている人がいるとしたら、いくらお得であろうが、素直にそれをよろこべないではないか。50円も値引きして商品を買ったものの、そのせいで誰かが損をしている、損をしているは言い過ぎだとして、あきらかに少ない賃金しか得ていない人がいる。もしそれが古くからの友人だったり、実は身近な人だったなどと想像してみたまえ。やはり素直によろこべない。
クラウドコンピューティングを読み解くキーワードは「超集中」と「超分散」。
今後ありとあらゆることがクラウド化して行くのだそうだ。情報システムや生活の利便性がデータセンターに集約され、処理されていく。コンピュータが世界を飲みこんでいく。
ただただ便利になる未来を、諸手を挙げてよろこんでいるだけでいいのだろうか。
ペットボトルの話はまたあらためて。

新井範子、橋爪 栄子、まさきさとこ『foursqareマーケティング』


先日、紀尾井坂を歩いていたら、坂下からスーツケースを引っ張りあげている女性とすれちがった。
キャスター付のスーツケースは便利なところでは便利だけれど、不便な場所では徹底的に不便だ。思わず押しましょうかと声をかけようと思ったが、変に怪しまれたりするのもなにかと思い、ただ無言ですれちがうにとどめた。こういうことって後になって自分という人間がなんて不親切で勇気のない男なんだろうなどと思え、ちょっとした自己嫌悪に陥るものだ。
昔だったら絶対そんなことはなかったろうと思う。子どもの頃はよく行商のおばさんがリヤカーを引いて歩いていたものだ。そんなとき友だち同士で声をかけあい、「おばさん押してあげるよ」なんて言ってはぐいぐい坂道を上って行っただろう。そしておばさんは荷物の中からりんごだの、飴玉などをくれる。子どもたちは子ども心に「かえってすまなかったね、おばさん」などと思う。昭和40年代にはまだそんな光景があった。
公共広告機構のコマーシャルでお年寄りの手を引いて石段を上ってあげる高校生の映像があったけれども、どうも今の時代にそぐわないのである。見ていてありえないと思えてしまうのだ。自分の中でリヤカーを引く行商のおばさんの映像が浮かんだのはおそらく高度経済成長の影で貧しくとも、必死で生きていた人びとがお互いに支えあっていた、その時代の温度を思い出したからだろう。
ふたたびfoursquareの本。
紀尾井坂あたりには江戸城喰違門、近江彦根藩井伊家中屋敷、清水谷坂など素敵なべニューが多く、ときどきチェックインしている。
以前読んだfoursquareの本と比べると事例が多くて、これから導入を考えている人たちに期待を抱かせる内容になっている。もちろんジオメディアの導入がそれほど簡単なことじゃなく、どこまで効果が期待できるのかはまだ未知数だとしても。

2012年3月15日木曜日

竹内正浩『地図と愉しむ東京歴史散歩』


古い映画を観た。
佐藤武監督「チョコレートと兵隊」、1938年製作の東宝映画である。藤原釜足と沢村貞子が夫婦役。夫の勤める印刷所の娘が高峰秀子だ。昭和13年ということは高峰秀子が東宝に移籍して直後くらいの作品か。
この映画、実は近年アメリカでフィルムが発見されたという。アメリカが日本人の国民性の研究のため没収していたためともいわれている。国立近代美術館フィルムセンターに保管されているが、滅多なことでは上映の機会がないため、昨夜神保町シアターに出向いたというわけだ。
題名のチョコレートは明治チョコレートで、今でいうタイアップということか。質朴な地方の生活と戦意高揚と呼ぶにはややのどかな戦場シーンとが交錯する映画であるが、宣伝効果は抜群だったと思う。明治製菓に限らず、昭和の戦争時代、企業という企業はあまねく国策企業だったのだ。
ロケ地は北関東の渡良瀬川付近ではないかと思う。冒頭釣りを楽しむ親子のバックに鉄橋が見える。この風景は今どうなっているのか。
古い地図に興味がある。昭和40年代でも50年代でもいい。
実家に古い地図がある(古いといっても母親は普通に使っているが)。お台場が開発されていなかったり、北砂に広大な小名木駅がまだ残っているような地図である。江戸や明治の古地図もいいが、近過去の地図もなかなかいい。
ちょっとした「ブラタモリ」的な本に出会った。中公新書らしい掘り下げ方をしていた。

2012年3月3日土曜日

堀正岳『理系のためのクラウド知的生産術』


若い頃、技術で相手を圧倒できればスポーツは勝利できるものと信じていた。そのために来る日も来る日も練習に練習を重ねた。そんな時代もあった。
人なみに歳を重ね、それでもときどきスポーツのまねごとをしながらふと気づいたことがある。それはスポーツは技術じゃないということだ。都道府県大会でベスト8くらいまですすめる個人にしろチームにしろ、技術的には大きな差はないのではないか。三回戦くらいで負けるものと二回戦で負けるものの間もそうだ。ようやくそう思うようになった。
ほぼ同じ力量の選手同士、チーム同士が何度か試合をして、勝つか負けるかのその差は技術ではなく、試合に勝つ力の差なのだ。すべからく同じルールで同じような練習を積んできたもの同士の対戦に力量の差はほぼないはず。練習は嘘をつかないとよく言われるが、同じぶんだけ練習したものが競った場合、必ずどちらかが裏切られるわけで、練習のたいせつさはまったく否定はしないけれど、かといって練習したことだけを信じて戦いにのぞむのもいかがなものか。結局勝つか負けるかの境界線は勝つ方法を精神的身体的に身につけているかどうかだ。
そんなことをここ何年か野球を観たり、卓球の試合を観て思った。
Googleをはじめとしたクラウドコンピューティングの時代は理にかなっている部分が多く、便利である。ただそれだけでいいのかとも思うのだ。たしかに天災や事故に備え、バックアップにバックアップを重ねることの労力や投資を考えればクラウドは渡りに船だ。だからきっと味気ないなあなどと思っちゃいけないんだ。これが時代なんだ。なるべくそう思うようにしている。人生とか社会とかって数限りない無駄でできていて、それはそれで愛おしいとも思うのだが。

2012年2月22日水曜日

デレク・ウォール『緑の政治ガイドブック』

ツイッターで筑摩書房をフォローしている。
新刊の出る前あたりになるとあれやこれやとつぶやきはじめる。もともと興味のあるものを読み、ないものは読まないわけだから、はなから関心外のツイートは流している。それでも不思議なものでなんども取り上げられていたり、誰かのツイートにRTしていたりすると興味のないものにも興味が生まれてくる。そんなこともたまにある。
緑の政治とか緑の党なる、知らないでいれば単なるユートピアが実は20世紀後半から具体的なムーブメントとして萌芽しはじめていたことを本書で知る。先行きの見えなくなったグローバル資本主義の成熟に対し、緑の政治は経済成長本位の社会から脱却し、社会的公正を実現し、そしてあらゆる生命体と共生していくための気候変動に対する方策を具現化していく。
この本は緑の政治をめぐる地球各所での実践を網羅したまさにガイドブックだ。いわゆる概論的な内容で物足りない人には物足りない(だろう、たぶん)。とはいうものの世界の、地球の現況を憂え、しかもこの先不安をかかえたまま生きてゆかざるを得ない人びとにとってはまだかすかではあるが光明たり得る内容であるといっていい。
世界には人間の邪悪な部分がいくらでもあり、そうした邪な心が地球を滅ぼしているのではないかと思った。このガイドブックを読む限り、緑の政治を推し進める人たちは人間をあくまでも善なるものととらえているように見える。そういった人間観はなににもまして素晴らしいことだと思う反面、緑の世界を実現する上で大きな障壁として立ちはだかるのではないかと不安な気持ちにもなる。もちろんガイドブックに目を通しただけの初学者の杞憂なのかもしれない。今後さらに読み続けていきたいテーマである。
この本をひときわ魅力的にしているのは巻末に収められた鎌仲ひとみと中沢新一による対談だろう。世界各地でムーブメントとなっているこのテーマを見事に着地させている。

2012年2月13日月曜日

横関英一『続江戸の坂東京の坂』

先週JAC主催のCM上映研究会に参加した。
JACとは日本アド・コンテンツ制作社連盟の略で、テレビコマーシャルなどを制作するプロダクションから成り立っている。年に一度、テーマを決めてCMを上映する。経験豊かなプロデューサーやディレクターが進行役となり、多少のコメントを残す。
今回のテーマは「精密機器特集」で古くは1950年代のCMから最近のものまで100本弱のCMが上映された。興味深かったのは、CMそのもののアイデアとか表現手法以前にテレビを賑わせた精密機器の変遷だ。70年代まで主流だった商品は時計とカメラ、それも日本の技術の粋を集めた一眼レフカメラだ。
たとえば腕時計は当時青少年のあこがれのアイテムだった。中学や高校の入学祝いといえば万年筆か腕時計だった。カメラも当時としてはかなり高価な商品だったにもかかわらず、各メーカーがいいCMを放映した。そして時代がすすむにつれ、オートフォーカスのような高機能化や小型化がすすんでいく。
70年代後半からはコピー機や電卓が登場する。とりわけ電卓の価格破壊ぶりには目を見張る。そして80年代終わり頃から携帯電話やPCの時代となる。90年から2000年に近づくにつれ、よく見たCMが続いていく。
そんなこんなで2時間弱の上映会だったが、いいなと思ったのは76年ミノルタXEのCM。一眼レフを手に篠山紀信が語る。ワイドレンズをつけたら撮るときちょっと前に出る、望遠をつけたらカメラをしっかりかまえる…そんな話をする。写真撮影の普遍的なアドバイスを語るプロがちょっとかっこいい。
富士フィルム本社ホールを出て、笄坂を下り、大安寺の脇をまわって、北坂を上る。高樹町から表参道までちょっと遠回りしてみた。

2012年1月31日火曜日

高峰秀子『わたしの渡世日記』


仕事で静岡は清水にいる。
駅を降りると富士が見え、遠くに造船所らしき建物が見える。三保の松原もその辺りだろう。どのみち海の町だ。
高峰秀子の、人気女優としての全盛期を知らない。
昭和30年代に生まれた世代にとって人気女優といえば吉永小百合をはじめとした戦後世代だろう。
とはいうものの昨年あたりから(遅ればせながら)成瀬巳喜男や木下惠介の名作をDVDで観るようになった。去年観た映画のなかで個人的にはナンバーワンと思った「浮雲」、「流れる」はいずれも高峰秀子が出演していた。とりわけ「浮雲」には心打たれた。
木下恵介の本邦初のカラー作品「カルメン故郷に帰る」にも度肝を抜かれた。有吉佐和子原作の「恍惚の人」(ものごころついて以降公開された映画として)はぼくたちの世代にとっては高峰秀子を知る絶好の機会であり、それもかなりのインパクトを与えながらその存在感を示したといえるだろう。
松山善三、高峰秀子の家はまだ麻布にあるが(当初建てた家を建てなおし、こぶりになったそうだが)、彼女が生きてきた鴬谷、大森、成城、麻布今井町あたりには今でも昭和の面影が残っているような気がする。
さて、本書であるが最初の出版から文春文庫を経て、このたび新潮文庫から再デビューした。語り継がれ、読み継がれるべき名著だと思う。
学校教育に恵まれなかった高峰秀子は彼女の人生そのものから人生を学んだのだ。

2012年1月20日金曜日

横関英一『江戸の坂東京の坂』


坂道を意識すると町歩きは楽しくなる。
仕事場のある平河町から、たとえば信濃町まで歩くとすると、貝坂を上り、清水谷坂を下りて、紀尾井坂を上る。喰違門跡を抜け、紀乃国坂を四ツ谷方面に向かい、迎賓館前をまわり込んで、安鎮坂を下りる。鮫河橋あたりを右に折れて、JRのガードをくぐり、出羽坂を上るとじきに信濃町駅である。
出羽坂を上らず若葉町の商店街を進み、戒行寺坂、東福院坂、円通寺坂と魅力的な坂に出会いながら四谷三丁目に出るという選択肢もある。
とまあこんな具合に都心を少し歩くと坂、坂の連続なのである。とりわけ千代田区、港区、文京区、新宿区には坂が多い。都心をはなれると坂は少なくなる。杉並や練馬にも坂はあることはあるが、名前が付いていなかったりする。
そう、坂に名前があることが昔から人が多く住んでいた町の証ともいえるのだ。
そんなわけで以前から坂に興味はあったのだが、たまたま駅前の古書店でこの本を見つけた。著者は一流の坂ヲタクらしい。諸説を吟味検討し、坂名のいわれを根気よく解明していく。訪ねてみたい坂道がまた増えた。
手に入れたのは中公文庫版で『続江戸の坂東京の坂』もあわせて買った。あとで知ったのだが、2冊がまとまってちくま学芸文庫から出ていたそうだ。こんなにちくま通(?)なのに不覚をとってしまった。
さて今日は三べ坂を下りて、山王切通し坂経由で赤坂見附まで出てみようか。はたまた永井坂から袖摺坂、御厨谷坂を靖国神社まで歩いて、富士見坂経由で市ヶ谷に出ようか。いずれにしてもちょっと遠まわりだけれど。

2012年1月3日火曜日

飯田哲也『エネルギー進化論』


謹賀新年。

以前ル・モンド紙で再生可能エネルギーに関する記事を読んだ。
原子力発電に大きく依存しているフランスでは小規模で電力量の調整が利く発電設備が待たれていた。その主力は再生可能エネルギーによるものなのだが、バイオエタノールなど植物由来の燃料は食料危機を招くであるとか、風力発電は野鳥の生態系をこわすなど悲観的な論調だった。などと書くと日ごろル・モンドをよく読んでいる人に思われるかもしれないが、たまたま聴いたラジオフランス語講座で放送していただけだ。
たしかにかつては太陽光発電や風力、潮力、地熱などの発電力はたかが知れていた。秋葉原のパーツショップで見かける太陽光パネルはけっこうな大きさなのに電力量はたったこれだけなのか、と思った記憶がある。何基もの原子力発電所に変わる電力量を生産するなんてことは自然エネルギーでは不可能なのだ、という先入観を植えつけられていた。
ところがどうもそうじゃないらしい。なぜ菅直人が脱原発を唱えるのか、孫正義がエネルギー政策の転換を求めているのか。こうした動きにはそれなりの根拠があったということだ。ぼくたちはただ「知らなかった」のであり、よくない言い方をすれば「知らされなかった」のだ。
ただエネルギーの生産と消費の構造を変えていくことは単に電気のつくり方や流れを変えることではない。もっと根本的な日本のしくみを変えることでもある。そういった意味でこの本は多少数字が苦手だと思う人も電気のことに興味のない人も一読する価値はある。
筑摩書房の人がおすすめの本として紹介していたが、べつに筑摩書房の人じゃなくてもおすすめできる本ではないかと思う。
そうだろ、トヨシマ。

というわけで今年も細々とブログ続けます。よろしくお願いいたします。