2013年10月26日土曜日

吉川昌孝『「ものさし」のつくり方』


秋もまた野球のシーズンだ。
夏の選手権大会で3年生は引退し(国体というサービス残業的なイベントはあるにせよ)、2年生中心の新チームが始動する。今年の夏は特に2年生の好投手が多かった印象がある。新チームが楽しみだなと思っていた矢先、甲子園を沸かせたチームが秋季大会で苦戦を強いられ、早々に敗退したところも多い。
甲子園が終わると日本選抜チームが招集され、国際試合を行う。今年は18U世界選手権が台湾で行われた。センバツをめざす秋の大会前にできることなら2年生は選考の対象からはずせばいいのにと思う。済美の安樂、前橋育英の高橋がそれにあたる。いずれも県予選の初戦で敗退している。ただでさえ、甲子園に行った学校は新チーム始動のタイミングが遅れるわけだから、各都道府県の高野連も公平を期するならば代表チームの選考に新チームのメンバーをあてない、などの配慮が必要なのではないか。
先月、都のブロック予選がはじまった。武蔵境の岩倉グランドまで母校の応援に行ってきた。初戦、二回戦を突破し、強豪岩倉とブロック代表決定戦まで駒を進めた。序盤の失点を最小限に抑え、後半やってくるワンチャンスをものにできれば弱小公立校でも強豪私立に勝てる。前半の5失点は痛かったが、唯一のチャンスに得点ができ、敗れたとはいうものの来春につながる戦い方ができたと思う。
博報堂生活総合研究所はなんとなく気づいてはいるけれど明確には規定できない事象をいつも巧みに切り取ってカタチにしてくれる。生活者意識オリエンテッドな集団だ。
今回読んだのは過剰摂取してしまいがちな情報をいかに整理整頓してアイデアに加工していくかという本。もちろんこれを読んだからってそれほどアイデアなんか出てはこない。ただアイデアってのはたしかにこういう手順を踏んで湧き出るものかもしれないなあと妙に納得感がある。思いつきって案外そんなものかもしれない。
しつこいようだが、高校野球の日本代表チームに2年生を選ばないでもらいたい。

2013年10月23日水曜日

村上春樹『遠い太鼓』


海外で暮らすというのはどんな気分なのだろう。
前世紀の最後の年にアメリカのテキサスに3週間滞在した。コンピュータ・グラフィックスをサンアントニオの制作会社に発注し、その進捗状況をチェックする、そんな仕事だった(細かく言えばそれ以外にもたいへんな仕事はあったけど)。さすがに3週間もいると仕事以外の時間を持て余す。話すことといえば日本に帰ったらまず何を食べたいかなんてことばかりだ。
以前南仏を訪れたとき、SNCFの列車に乗って、アルル、アヴィニヨン、マルセイユ、ニースなどをまわった。そのなかでいちばん気に入った町はアンティーブ。町全体が静かで(まあコートダジュールの町はたいていそうなんだけど)、リゾート地ではあるのだろうが観光地らしくない。城壁に囲まれた旧市街が駅から近い。ビーチも近い。ああ、海外で永住するならこんな町がいい、と思ってしまったわけだ。
それから具体的に永住するにあたって、アパートの家賃はいくらくらいなのだろうとか、なにか仕事は見つかるだろうかとか、日本に残してきた両親の面倒はどうするんだろうかとか考えはじめた。で、永住する計画は考えないことにした。
母方の叔父が20代の終りに近い頃、それまで勤めていた広告会社を辞めて2年ほどニューヨークのデザインスタジオで働いていた。本人はもっといたかったらしいがビザの関係で帰国せざるを得なかったようだ。叔父から母宛てに何通か手紙が届いており、見せてもらったことがある。祖母(つまり母と叔父の母)が誰かに住所を代筆してもらって手紙を送ってくれた話なんかが書かれている。平和なうちに帰ってきなさいと書いてあったという。
村上春樹が南ヨーロッパで暮らした何年かを書き記したこの本はそんな叔父のニューヨーク便りにも似ておもしろい。具体的なことを具体的に考えなければ海外で生活するってのはやっぱり楽しいのだ。見知らぬ土地で見知らぬ国民性や風習に出会い、不思議な体験ができるのだ。ギリシャやローマに住んでみたいとはこれっぽっちも思わないけれど、この種の経験というものはしてみてけっして損はないだろう。
深い井戸に潜るには海外で生活するのがいちばん手っ取りばやいという気もするし。

2013年10月20日日曜日

本田創編著『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』


時間が許せば、ふらっと東京の町を歩く。
まだ行ったことのない土地の方が圧倒的に多い。できれば東京23区内を均等に訪れたいと思っているのだが。不思議なもので生まれも育ちも東京なものだから、フラットな視線で東京の町を眺めることができない。どうしても思い出や思い入れのある町が地図上で、あるいは脳裏に浮かんできて知らず知らずにそういう町ばかり歩いている。
たとえばずっと住んでいた大井町とか馬込とか戸越などいわゆる地元はよく歩く。不思議なことに馴れ親しんできたとこちらが一方的に思っているつもりでも案外知らなかった道や新たな発見が多い。へえ、この道はあの道につながっていたのか、とか実家と目と鼻の先にまったく通ったことのなかった道がある。
たとえば高校のあった飯田橋から、神田方面。あるいは麹町方面。毎日通っていたというのは実は過信に過ぎず、知ってるつもりになっているだけだったりする。みんながよく行く店だから、よく通る道だから自分も知っているつもりになっている。戒めなければいけない。
月島や佃島。ここは母が下宿していた大叔父の家があったので幼少の頃の思い出がある。
赤坂丹後町。伯父が家を買って、母も佃島から移り住んだ。
駒込西片町。父方の大叔父が住んでいた下町。記憶はないが、その町の名前は耳に残っている。
よく歩く町はこうした知っている町が多い。もっと本を読んだり、映画を観たり、自分自身とかかわりのない町に興味を持たなければいけないんじゃないかと思うのだ。
川の本を読んだ。
川といってもかつて川であった川の本だ。
子どもの頃近所の公園で手打ち野球(その後ハンドベースボールと呼ばれたらしいが最近の子どもたちはやるんだろうか、そんな遊び)をしていて、公園の外まで打球を飛ばせばホームラン。すぐ近くを流れる立会川に落すと一発でチェンジだった。立会川にボールが落ちると少年たちは靴と靴下を脱ぎながら走って一カ所だけあった梯子段を降りてボールを拾いにいったものだ(もちろんそこは立ち入り禁止だったけど)。ボールを拾った子はそこで声高に叫ぶ。
「チェンジ!」
立会川のその場所は今ではバス通りになっている。

2013年10月14日月曜日

西崎憲『飛行士と東京の雨の森』


文章を書くというのは面倒なことだ。
文で身を立てるような仕事はしていなのだが、文書をつくる作業は日常的にある。自分で書くこともあれば、誰かに書かせてチェックする場合もある。自分のことは棚に上げて、人の書いた文章はなんでこうも気になるのだろうと思う。
たとえば、ある部分では漢字だったのが、別のところでは平仮名になっている。気になる。
会社名が書かれている。それは正しい表記なのか。気になる。
ちなみに「キヤノン レンズ」で検索すると「キャノンではありませんか?」とアラートが出る。これは検索エンジンがわかってないんじゃなくて、圧倒的大多数が「キャノン」で検索するからだ。言葉は多数決の世界だからあながち間違いとは言えないけれど、人様の名前を誤記するのは憚られる。
地名が書いてある。四谷は四ツ谷か、四ッ谷か。御茶ノ水はお茶の水じゃなかったか。市ヶ谷は市谷じゃなかったか。気になる。どうでもいいようなことが気になる。
先日読んだちくま文庫『誤植読本』に校正のルールはきつくしないほうがいいというようなことが書いてあった。たとえば、漢字にするか、開くかは前後の文章から判断して読みやすい方を選べばいいし、それによって読みにくくなる改行、改頁が行われるのであれば無理に漢字で統一したり、仮名で統一したりしないほうがいい。たしかにそのとおりだ。少し気が楽になった。
とある雨の日。会社に行くのに遠まわりをしてみた。四ツ谷駅を出て、迎賓館の方に歩いた。昔の都電3系統が専用軌道に移って、喰違トンネルをくぐり、弁慶橋の方へ坂道を降りていく方向だ(というか都電3系統を出した時点でこの説明はまったくわかりにくくなっている)。今でいう紀之国坂交差点あたりがかつてトンネルのあったところで、上智大学グランド南端(そこに弓道場がある)から弁慶濠北端にかけてこんもりと木が生い茂っている。
ウェールズの少女ノーナが飛行士に出会った森だ。

2013年10月11日金曜日

高橋輝次編著『誤植読本』


十数年ぶりに四谷の焼鳥屋に行った。
十数年前、高校時代の親友とそのカウンター席に座った、そしてとりとめのない話をした焼鳥屋だ。そのときでさえ十数年ぶりに会ったわけだから、気が利かない幹事が仕切るクラス会のようなものだ。
高校時代のクラブ活動の先輩や同期、後輩とは毎年顔を合わせている。親しい先輩とは新年会だの忘年会だの年に何度か会っている。奥歯の付け根あたりが痛み出すと毎週のように会いに行く先輩もいる。ところが部活以外となると自慢じゃないが友だちと呼べるような人がからっきしいなくなる。せいぜい同じ広告の仕事をしているとかじゃない限り、部活でいっしょだった同期以外に会うことはまずない。そういった意味では四谷の焼鳥屋のカウンターというのは貴重な存在だ。
最近ではFacebookでおたがい近況はなんとなくわかる。
俺はあいかわらず酔っぱらっていて、神宮で野球を観て、カメラをぶらさげて町歩きしている。やつは合気道だか、空手だかをやっていて(実は正確なところは知らなかったりするのだが)、休みの日には落語ばかり聞いて、野球は阪神戦しか観ない。
と、この程度のことはわかるので何も直に会って、皮だの、ねぎまだの、つくねだのをかじりながら酒を飲むこともないのである。
いつだったか本屋でこの本を見かけた。『誤植読本』、おもしろそうじゃないか。
中身は見なかった。立ち読みする時間がなかったのだ。なんとなくではあるが、こういうことはあいつが詳しいんじゃないかと思って、焼鳥屋で十数年に一度会う友にFacebookで訊いてみた、「この本、おもしろいか?」と。
誤植は奥が深い。それは四谷の焼鳥屋のカウンターで頬張る炭火の焼鳥にも似た深さがある。
こうしてとりとめのない夜はとりとめもなく更けていくのであった。

2013年10月10日木曜日

『村上春樹全作品 1979~1989〈3〉 短篇集〈1〉』

この夏、読書量が激減した。
読書量が減るということは単に本を読まなくなることではなくて、読みたい本がなくなることだとなんとなく思った。仕事を中心に日々を送っていると一日が仕事の部分とそうじゃない部分とに比較的単純に二分できる。そうじゃないとき、つまり仕事と非仕事に加えて第三、第四の用事だとか悩みだとかが勃発すると非仕事の時間が削られる。外界に対する興味が失われていく。結果、読みたい本がなくなる。おそらくはこういった図式なのではないかと勝手に思っている。
だからといって読書以外の私的な楽しみがことごとく奪われてしまったかといえばけっしてそんなわけでもなく、カメラを下げて町をぶらつくとか野球の試合を観に行くといったことはあいかわらず続けていた。
野球といえばこの夏東京を盛り上げてくれたのは何校かの都立校だろう。東東京大会では江戸川と城東がベスト8。西東京では都立日野高が次々と強豪を撃破して決勝戦までコマをすすめた。
準決勝対国士舘を延長戦で勝ち、その勢いを駆ってのぞんだ決勝。相手は常勝チーム日大三。公立校が甲子園常連校に勝つ方法はひとつ。序盤の失点を最小限にとどめて、後半必ずやってくるワンチャンスを活かすという戦い方だ。もしそうした試合運びができれば日野高は日大三に勝って西東京代表になるのは当然として、甲子園での勝利という夢にも近づくことができるだろうと思っていた。
特に読みたい本がないときは昔読んだ本を読みかえしてみたり、好きな作家のエッセーをめくることが多い。村上春樹の『全作品』を図書館で借りてきたのは、そこに収められている「中国行きのスロウ・ボート」が初期の短編集からかなり書きかえられていると知ったからだ。枕元に二冊をひろげて、一頁ごと比較対照しながら読んでみた。どうしてここは割愛したのか、描写を変えたのかなどなど考えながら読むとけっこう楽しいものだ。
それにしても日大三は強かった。日野高にめざす野球をさせなかった。

2013年10月1日火曜日

クリス・アンダーソン『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』

さて。
前回のつづきを書こうかどうしようかと思っているうちに3ヶ月近くたってしまった。
実はこの間いろんなことがあって、あまり本を読むこともなかった。まったく何も読まなかったわけではないんだけど、活字がするすると身体の中に入っていかない。蕎麦がのどにつかえるような、そんな日々が多かった。
週に2冊の本を読んで、週2回ブログに上げることを課題にしていた時期もあった。800字程度を目標に。インプットとアウトプットのバランスをとることは健康的でもあった。
最近はどうかというとあまり過度に自分を律することはしないでし自然の流れにまかせようと思っている。読みたいときに読む、書きたいときに書く。これがいい。
もちろん仕事もこんな感じかというとそうでもなく、頼まれたCMの企画やPR映像の構成などはそれなりにこなしてきたし、かたちになったものもある。やらされればやるのだ。
クリス・アンダーソンのこの本は昨年の秋に読んだ。
アトムの世界の革命をビットが支えていてる。ビットが構築した仮想現実より、アトムがかたちづくる現実世界のほうにものづくりのよろこびはあるというわけだ。レーザーカッター、3Dスキャナ、3Dプリンタなど、道具の進歩とマスカスタマイゼーション化されたモノを所有する満足感がこれからを支える。読んでいてわくわくしてくる。
特にこの3ヶ月読みたい本もなかったので積み上げられていた本の山の中から引き抜いてぱらぱらとページをめくってみた。
以前のように頻繁に更新することもないだろうが、とりあえずこのブログもここからリスタート。これまで読みためてしまった本もあるし、この先細々ながら読んでいく本もあるし。近郊の町を散策するように続けていけたらと思っている。
それにしても今年の夏は暑かった。暑い暑いと言っているうちに秋が来た。この間、南房総に三度行った。お盆と父の納骨と彼岸の墓参り。
海は夏の匂いを残しつつ、ゆるやかに秋に変わっていく。