2010年5月30日日曜日

酒井順子『都と京』

性懲りもなく東京六大学野球の話。
東大はこの春のリーグも10連敗。3季連続の10連敗で現在31連敗中という。今季は慶応竹内にノーヒットノーランを達成されるなど86失点。なんともコメントのしようがない。
もちろん甲子園には程遠い進学校から入学入部したメンバーたちだから、高校時代全国レベルで活躍した選手を相手に勝ちまくれというのは無理な相談だ。とはいえ、すべての試合が恥ずかしいかといえば、けっしてそうでもない。対早稲田一回戦では2-4で逆転負け。対立教二回線は6回まで6-5とリードしていたのだ。あとひとりでもふたりでもかわせる投手がいれば勝っていた試合だと思える。
最近では東都の中央に元ジャイアンツ他の投手だった高橋善正が監督として就任し、まずまずの結果を残している。慶応も同じく元ジャイアンツ他の江藤省三が監督になって注目を集めている。それぞれOB監督ではあるが、東大に今必要なのは勝てるチームづくりのできる監督・指導者なのではないか。この際、OBという枠組みにとらわれない野球人を抜擢してみてはどうだろう。学問のトップとして君臨する日本の頭脳がなぜ相も変わらず勝つことを知らない指導者の下で野球をやっているのか不思議でならない。いっそ野村克也でも監督に招いたら、東京六大学随一の頭脳が活き、観客動員もアップするに違いない。
さて。途中で読むのをやめたのは久々である。
東京がNGで京都がGOODという前提の本であるのはそういう主旨で書かれたのだから仕方ないとして、その論拠や表現が稚拙で付き合いきれなかった。まあ子どもの作文並みの筆致で描かれた性質の悪い京都観光案内といったところか。最後まで読んでいないからわからないけど。


2010年5月28日金曜日

外山滋比古『日本語の作法』

東京六大学野球春のリーグ戦は早慶対決となった。
斎藤、大石、福井とドラフト級をかかえる早稲田が有利に見えるが、附属から甲子園組がこぞって集まった慶應もあなどれない。今季の戦いぶりを見ていると慶応は長打をからめた集中打で競り勝つ試合が多く、早稲田は相変わらず貧打で得た得点を守り抜く試合が多いように思う。単純に図式化すれば打って慶応、守って早稲田といったところか。
とかく今年は早稲田投手陣にマスコミの関心は集まっているが、東都にも東洋の鹿沼、乾、中央の澤村ら好投手がそろっていてドラフトではどうなるか楽しみである。
来年のことをいうと鬼がどうのこうのというが、今の3年生にも好投手が多い。甲子園夏の大会で惜しくも決勝で敗れた広稜のエース野村祐輔。1年時から明治のマウンドをまかされ、この春(正直いって2勝どまりは期待はずれだったが)で通算勝ち星を14までのばした。3年春終了時点で斎藤祐樹は22勝だったが、今後の活躍しだいでは30勝も不可能ではあるまい。明治には大垣日大出身の森田や春日部共栄の難波ら次代エースの層が厚い。
で、この本は日本語のベテランがつづる言葉の作法。
手書き文字に対する入れ込みは時代錯誤かとも思われるが、日本語をこよなく愛する先達であり、その文章は脱帽せざるを得ない明快さを持っている。
こんないい加減な日本語で書いているのがちょっと恥ずかしい。


2010年5月27日木曜日

池波正太郎『江戸の味を食べたくなって』

子どもが大きくなって、小さかった頃のことが鮮明に思い出せない。
このあいだも次女が学校に提出する宿題に自分が小さかった頃の話を親から聞いて書く、みたいな課題があって訊ねられたのだが、いくつか思い出せる話はあるにはあるが、それが長女のことか次女のことかはっきり区別がつかない。それに子どもというのはたいていどこのうちの子でも同じようなことをして育つんではないだろうかとも思う。
たとえばうちの子はトランプにしても、ジグソーパズルにしてもすごろくのコマにしてもクレヨンにしてもなんでも小分けにしてあっちこっちにしまいこんでいた。だからパズルをやるにしてもまずあっちこっちをさがしまわってピースを全部集めなくてはならない。どこかへ出かけると持っていったポーチの中から用もないピースが見つかることもある。
ひとつにまとめておかなければいけないものをばらばらに分けるのにカラー粘土のようにまぜてしまってはいけないものは容赦なくまぜる。たいてい買ったその日のうちには色とりどりのカラー粘土は真っ黒いかたまりと化す。
当時、まぜないでちゃんと色分けしてしまうんだよとなんども言っていた親がそれをしたのが長女か次女かわからなくなっている。
まあこんなことはどこのうちで同じだろうと思う。
池波正太郎は“食”関連の本しか読んでいないが、そんなにパリや南仏に出向いた方だとはつゆほども知らなかった。

2010年5月26日水曜日

高村薫『レディー・ジョーカー』

テツさんはある広告会社のアートディレクターだった。
もうしばらく会っていないが、おそらくは引退されて悠々自適な日々を送っているのではないだろうか。
テツさんの若かりし頃の上司がその後ずいぶんたって子会社に出向し、ぼくの上司になった。そんな関係でテツさんはぼくの兄弟子的なポジションにいる人だった。
テツさんは角刈り頭の強面で、こう言ってはたいへん失礼ではあるけれど、アートディレクターっぽくない。どちらかといえばテレビドラマに出てくる刑事、それも主役の刑事ではなく、炎天下の山間の村々を汗だくになって聞き込みにまわる脇の刑事というイメージの人だった。
それでいて面倒見がいいというのか、その後ぼくが会社を辞めるにあたり、「やっていけるのか」とか「どこそこの代理店でクリエーティブを募集しているぞ」とか会うたびに声をかけてくれた。当時のぼくがよほど頼りなさげに見えたのだろう。
また定年間近な頃だったと思うが、ぷらっと遊びに行くとたいていデスクの前の小さなソファで夕刊をひろげていた。ぼくを見つけるとこっちへ来いと声をかけ、「いやあね、倅が新聞社に入りましてね、カメラマンなんですけど。最近写真が、ほら、たまに載るようになってね」と目を細めて、社会面の写真を指差す。たしかにそこにはテツさんのご子息の名前が印刷されている。【撮影・●●●●】と。
風貌といい、心根といい、あらゆる所作において人間味丸出しのいい先輩だった。
そのテツさんと最後に仕事をしたのが1998年。打合せの後、立ち寄った居酒屋で「最近本を読むのが楽しくなりましてね。『レディー・ジョーカー』読みましたか?最近読んだ本のなかではいちばんおもしろかったですよ。よく調べられていて…」とまるでご子息が本を書いたかのように微笑ましく話されていた。
それから10年以上たって、ぼくはようやく『レディー・ジョーカー』にたどりついた。
まるでノンフィクションを読んでいるような、ドキュメンタリーフィルムを見ているような精緻で客観的な描写についつい引き込まれてしまった。
テツさんが刑事になって出てくるかと思ったが、残念ながら会うことはできなかった。


2010年5月19日水曜日

ジャン・コクトー『恐るべき子供たち』

このあいだ少年誌の付録のことを思い出して書いてみたが、そういえば長女だか次女だか小さい頃、付録付きの雑誌を欲しがった。で、まあつくるのはぼくの役目なのだが、昔も今もこうした付録はついているのだなあと思うと同時に、近頃の付録は子どもがつくるものなのではなく、大人につくらせるようにできているのだなと思った。もちろんその雑誌自体が就学前の幼児を相手にしていたものだから、当然といえば当然なのだが。
それにしてもボール紙を切り分けて、組み立てて…というそんな付録を誰が考えつくのだろう。やはり専門の付録デザイナーとかプランナーとか一級付録設計士みたいな職種が世の中にはあるのだろうか。田宮模型の戦車のプラモデルのパッケージイラストレーションを小松崎茂という人がずっと描いていたみたいに。
"もの"があるということは、"ものをつくる人"がいるんだとついつい考えてしまう。それは街で見かける看板や毎朝新聞に折り込まれてくるチラシもそうだ。どんな人がこれをつくったのだろうと。
ヒマをもてあまさない性格なのだろう。

訳者もあとがきで書いていたが、コクトーは変幻自在なフランス語をあやつり、さらに論理の連鎖に空白があって日本語にするのはたいへんやっかいなんだそうだ。そこらへんは読んでいてわかるような気がした。


2010年5月15日土曜日

安岡章太郎『質屋の女房』

小学校一年か二年か、そのくらいの頃。
近所の商店街の縁日や祭りの夜店でぼくがよく買ったものといえば、金魚すくいの金魚でもなく、お好み焼きやラムネでもなく、まあまったくその手のものを買わなかったわけではないが、やはりメインの商品は当時月刊少年誌にたいてい付いていた付録だった。
ボール紙でできたパーツを切り取り、山折り、谷折りし、アルミニウムのようなやわらかい金属でできているピンやハトメで、あるいはのりやセロハンテープ、輪ゴムなどで固定し、連載漫画の主人公の持つ銃器やキャラクターたちの秘密基地みたいなものをつくりあげるのだ。
当時は毎月少年誌を一冊母から買ってもらっていたので月々の楽しみとしてそういうことはしていたのだが、別雑誌の付録やバックナンバーの付録は目新しくてついつい買ってしまうのだった。
そしてその翌日は近所の古書店をまわる。なぜなら付録は付録だけで売られていて、つくり方が載っている雑誌本体は別にさがさなければならないからだ。つくり方を読まずに組み立てられるほど昔の付録はヤワじゃなかった。
それと月刊少年誌の付録としては本体に連載されている漫画の続きが別冊として付録になっていた。これもまたついつい買い求めてしまうのだが、あくまで本体、付録で完結しているから、本体だけでは次号へのつながりがわからないし、別冊だけでは前月号本体からのつながりがわからない。当時の大人はよくもまあこんなビジネスを思いついたものだと感心する。
そんなわけで別冊を買うとその号の本体を古書店に買いにいく。場合によっては(こっちのほうが圧倒的に多いのだが)立ち読みですませる。今にして思えば、なんと時間的にぜいたくな遊びだったろう。
で、『質屋の女房』なのだが、安岡章太郎の青春小説ってところか。もちろんあくまで安岡章太郎の、だ。老成した青春小説だ。暗い時代を生きたからではないもって生まれた劣等感に貫かれた安岡ワールドだ。

2010年5月14日金曜日

村上春樹『1Q84 Book3』

両親の出身が千葉県の千倉なので、子どもの頃は毎夏祖父に連れられ、2週間近くを過ごした。今でも墓参りや法事などで足を運ぶことが多い。
内房線は君津あたりまでが複線化されているが、そこから先は単線区となり、俄然ローカル色が強くなる。そしてほとんどの特急が館山どまりであるように館山を過ぎるともうどこをどうみてもローカル色一色になり、ローカル色の人が歩いていてもまったく見分けが付かなくなる。
とはいえ父母の実家は千倉駅から安房白浜行きバスに長いこと揺られてようやくたどり着くようなところなので千倉の駅の周辺や駅の北側(安房鴨川方面)の印象はほとんどない。いわゆる千倉海岸と呼ばれている海水浴場はおそらく駅の北東側なのではあるまいか。
天吾の父親が亡くなった千倉の療養所がどの辺にあったのか(それはもちろんモデルが仮にあったとしての話だが)、そんなわけでまったくわからない。著者の想像の産物ではあるまいかという気もしている。なんでそんなことを考えるかというと天吾の父親が火葬される、そのシーンを読んでいるとぼくの曾祖母や祖父母が焼かれた火葬場とはあきらかに違うことがわかるのだ。たしかにぼくが子どもの頃の行った火葬場(地元では“やきば”という)はそう古くない昔に改築され、新しくなったが、それでもこの小説に出てくるほど都会的な雰囲気はない。
まあ、読んだ小説のなかに自分の知っている場所がでてきたからといって、そんなことで目くじら立てるほどのことでもあるまい。

2010年5月6日木曜日

スタンダール『赤と黒』

あっという間に大型連休は終わった。
こまごまとした仕事が多く、卓球にも読書にも身が入らない1週間だった。昨日はかつて卓球のやりすぎで腱鞘炎を起こし、さらには痔の手術でしばらく静養していた音楽プロデューサーのM君から近所の体育館で卓球をしませんかとお誘いを受けたのだが、残念ながら打ち合わせに出てしまうのでお断りせざるを得なかった。
年に一度、あるいは二度ほど、バカみたいに長い小説を読みたくなる。連休どきは長モノを読むにはちょうどいい。
『赤と黒』は読んだような気がする。
たぶん、30年ほど前に。ジュリヤン・ソレルという主人公の名は憶えている。が、これは読んでいようがいまいが『赤と黒』の主人公がジュリヤン・ソレルであることくらいはある程度の知識のある人なら知っている。だからその名前を憶えていることが読んだという証左にはならない。だが窓に梯子をかけて昇っていくシーンはなんとなく憶えている。結末はどうだったか、なんてぜんぜん憶えていない。
ならば読もうとぼくの中では評価の高い光文社の古典新訳シリーズを手に取った。はたして梯子を上るくだりはあった。読みすすめながら、以前読んだことをまったく思い出すこともなく読み終えた。ほんとうに昔読んだのだろうか。謎は深まるばかりである。
それはともかくとして終盤になってジュリヤンはそのキャラクターを変えるように思える。ずっとひ弱で陰湿な性格の彼が事件以降カラマーゾフの長男のような豪快な人柄になる。それがちょっと不思議だった。