2019年6月6日木曜日

村上春樹編訳『セロニアス・モンクのいた風景』

2014年3月半ばの週末。安西水丸の仕事場に一本の電話がかかる。
村上春樹からだった。来週あたり久しぶりに青山でお昼でも食べましょう、食事でもしながら(その年の夏に刊行予定の単行本の)打ち合わせでもしましょう、という内容だった。もちろん本当かどうかはわからない。僕お得意のつくり話である。
その週末、安西水丸は鎌倉のアトリエで帰らぬ人となる。
事務所の女性と家族以外で安西水丸が最後に会話をしたのは村上春樹だったかもしれない。もちろんつくり話だけど。
1990年代の終わりか2000年代がはじまったばかりの頃か、南青山のバーのカウンターで村上春樹を見た。隣でパイプをくゆらせていたのは安西水丸ではなかったか。もしかしたらどこかの編集者だったかもしれない。バーの夜にしては比較的はやい時間に席をたち、その一行は帰って行った。その頃、彼が日本にいたかどうかも定かでない。村上春樹は小柄な中年男で顔が村上春樹でなかったらおそらく誰も気が付かなかったに違いない。店内にはいつものようにジャズのCDがかかっていた。
2016年、東京練馬のちひろ美術館で「村上春樹とイラストレーター」というイベントが開催された。村上春樹が安西水丸に装幀を依頼していた本がこの本だと遅ればせながら知る。その「あとがき」がパネル展示されていた。モンクにハイライトをねだられた安西水丸、その仕事を引き継いでくれた和田誠(ハイライトのパッケージをデザインしたのも和田誠だ)。そんなエピソードが書かれていた。
ふだん仕事をしながら音楽を聴くけれど、ジャズは苦手なジャンルだった。ジャズは用語が難しい。それでもいつかこの本をちゃんと読んで「あとがき」にたどり着かなくちゃと思っていた。
セロニアス・モンクのアルバムを聴きながら読み終えた。青山のバーでよく流れていたのはたぶんモンクだったに違いない。カウンターに並んでいた村上春樹と安西水丸が目に浮かぶ。

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