2016年3月19日土曜日

加東大介『南の島に雪が降る』

お彼岸ということで春の南房総を訪ねた。
内房線に乗って館山、乗り換えて千倉。路線バスで乙浜という集落で降りる。
父の墓のまわりの草取りをし、線香を手向ける。花は前日近くに住む叔母が供えてくれていた。叔母の家にお礼を言いに立ち寄る。
隣の集落は白間津という。南房総の花摘みで知られた町だ。乙浜は白浜町だが、白間津は千倉町になる。海岸通りを歩いて、写真を撮りながら白間津の寺に向かう。母方の墓がある。
彼岸のこの時期、町はひっそりとしている。花摘みの観光客が少しいるが、最盛期はもっと寒い1~2月だ。地元に住む叔母(白間津にも父の妹が住んでいる)の話ではこのあたりは夏のお盆時期ほどお彼岸は重視されていないという。秋も春も畑仕事が忙しくなるからだろう。
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。TシャツにGジャンで日中はじゅうぶんなあたたかさだった。
映画に残された昭和の町並みを見たくて、古い映画をよく観る。成瀬巳喜男とか小津安二郎とか。決して主役ではないが、味のある脇をかためる名優がいる。
加東大介だ。
生真面目でもてない男の役だったり、たまに羽振りがよくてもてていたりすると詐欺だったりする。芝居的には難しいであろう役どころが多い。
兄は澤村國太郎、姉に澤村貞子、甥に長門博之、津川雅彦という役者一家の出だ。戦前は市川莚司という名で歌舞伎役者として活躍していた。
この本はニューギニアに出征していた当時、現地で兵隊たちを鼓舞する劇団をつくっていた頃の記録だ。ぽっかりと戦争から取り残された不思議な空間が舞台である。そこには抱腹絶倒かつ涙ぐましい劇団員の努力が描かれている。
昭和30年代半ばに書かれたこの本は映画化されたり、舞台化されたりしているが、最近になってちくま文庫から出版され、ようやく読むことができた。
南房総ではキンセンカや菜の花に混じってソラマメの花が咲いていた。もうひと月くらいで豆を抱いたさやが空に向かってのびることだろう。

2016年3月18日金曜日

司馬遼太郎『峠』

歴史というものは学校で教わるだけじゃないんだとつくづく思う。
というよりも学校で歴史の授業にたいして身を入れてなかったからかもしれないが、これまで知らないことが多すぎた。
幕末から明治にかけて興味を持ったのは吉村昭を読むようになってからで、その吉村昭も江戸時代を舞台にしたものはあまり関心が持てずに避けていたように思う。ちょっとしたきっかけで(そのきっかけも憶えていないのだが)『長英逃亡』と『ふぉん・しいほるとの娘』を読んで江戸末期に多少近づくことができた。
幕末~明治をもっと読んでみたいと人に相談したところ、司馬遼太郎を読めという。まずは『竜馬がゆく』、『燃えよ剣』だという。さっそく読んだところ世の中には司馬遼太郎ファンというのは大勢いるもので友人知人から次は『花神』、『世に棲む日日』、『峠』を読めと指示が飛んでくる。それを読み終わったら、『関ヶ原』だ、いや『坂の上の雲』だと大河ドラマのように話がふくらんでいく。
なかでも『峠』は高校時代バレーボール部のK先輩が特に推す。聞いてみるとKさんがアメリカに留学していた頃、日本から持ち込んだ数少ない本であったらしく、なんどもくりかえし読んだという。
薩長同盟が官軍となって幕府軍を駆逐した鳥羽伏見の戦いから江戸開城あたりまでが徳川から明治への大筋であり、その先多く語られることはあまりない。東北、北海道へ逃げ延びた幕府軍が敗れ、明治政府が日本を掌握したということになっている(少なくともそう習った記憶がある)。
そうしたあまり日の当たらない歴史のなかでも白虎隊のようなサブストーリーは多少知ってはいたが、越後長岡にスイスのような永世中立国をつくろうとした男がいたなどとはこの本を読まない限り知りようがなかったと思う。
歴史というのは大きな事件の羅列ではなく、小さなできごとが絡み合ってつみかさなっていくものなのだと今さらのように感じるのだ。歴史は教わるよりも学ぶ方が断然おもしろい。