2010年12月28日火曜日

今年の3冊2010


先週、川崎という町を訪ねた。
川崎は「街」というより「町」な感じがする。その熱狂振りはカワーニョさんのブログに紹介されているのでそちらを参考にしてほしい。丸大ホールで熱燗をのんで、つまむ、というより、ガッツリ食べた。草食系でもなく、肉食系でもなく、定食系の忘年会だった。
さて、世にある評論家のごとく今年の3冊などと生意気なことを許していただくとして、心に残った本を別記事で記しておこうと思う。

安岡章太郎『僕の昭和史』
大正末に生まれ、昭和とともに歩いてきたぐーたら作家の代表格による独自の昭和史。戦争を庶民の目線でとらえた貴重な資料だと思う。すでに新潮文庫のリストからはずされているが、神保町の三省堂書店で手に入ったのも幸運だった。

高村薫『レディ・ジョーカー』
ビール会社に限らず大企業、それも出世をめざす人、警察官をめざす人、そしてジャーナリストをめざす人は絶対読むべき本だ。大森山王から海岸側の産業通り、さらには糀谷、萩中、羽田あたりの風情を味わう散策ガイドとしてもすぐれている。

関川夏央『家族の昭和』
ぼくの関川体験は『砂のように眠る』からである。ここのところ昭和探索を続けているが、その原点はこの本にあるといえる。その関川夏央がまた新たな切り口で昭和を見せてくれた。向田邦子、幸田文などここからインスパイアされる本は数知れず。

そんなわけで2010年のブログはこれでおしまい。
一年間立ち寄ってくださった皆さんに感謝します。
よいお年をお迎えください。

2010年12月24日金曜日

永井荷風『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』


このあいだの日曜日、卓球仲間の忘年会があった。
いつしか体育館で知り合い、毎週日曜日(場合によっては祝祭日、土曜日)に集まっては練習をするようになった。中学・高校時代に部活経験のある人もいるので、毎回ただ漠然と打ち合うのではなく、それなりにシステマティックな練習も採り入れている。そんな仲間たちと酒をのんだというわけだ。
のんで話し出せばきりがない。卓球の話はもちろんのこと、他のスポーツの話、各自の出身のこととか、食べ物の話などなど。年齢的にも40~60台だから共通する話題もあれば、かみあわない話もある。で、話は結局、卓球のことに戻るわけだ。
生ビールをのんで、焼酎をのんで。それから後のことはあまり憶えていない。翌日は立派な二日酔いになっていた。
永井荷風は『ふらんす物語』以来だ。
一般にこの小説は東京向島の往時を偲ぶ名作と評されている。ごたぶんにもれず、ぼくもそのような視点から読んでいる。グーグルマップで東向島駅周辺を表示し、あ、これはこの界隈だな、などとひとりごちながら読んだのである。
青梅街道の荻窪辺りに天沼陸橋というJR中央線をまたぐ橋がある。天気のいい日にはここから遠くスカイツリーを見渡せる。ふむふむ、あの辺が向島だな、などと思いながら、休日に散歩する。スカイツリーができあがってしまえば、おそらく街の風景はもちろん、その空気みたいなものも変わってしまうだろう。浅草から曳舟、千住。さらに荒川を渡って立石。いったいこの辺りはどうなってしまうのだろう。
大きな変貌をとげる前に東向島(当時の名前でいえば玉の井)を散歩してみたいものだ。

2010年12月21日火曜日

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』

Ticket
今月のはじめにACC(全日本シーエム放送連盟)の主催するコマーシャル博覧会というイベントに行ってきた。
コンテンツは著名なクリエーターによる講演や今年のCMフェスティバルの入選作品、日本の名作CM選、海外クリエーターのドキュメントフィルムなどの上映である。
ぼくはそのなかで「杉山登志作品集」と「もう一度みたい日本のCM50年」、そして映画「Art&Copy」を観た。杉山登志はかつて資生堂のCMなどでコマーシャルの世界を席巻した天才CMディレクターであり、今の時代からみればその映像の見た目はそれなりに古びてきてはいるが、随所に当時としては大胆な手法を取り入れてきたその手腕に感心させられる。「Art&Copy」はここ何年かで世界的に注目を浴びたCMの制作者にスポットをあてたドキュメンタリー。すぐれたクリエーターというものはすぐれた言葉を吐くものだ。
で、実はいちばん楽しみにしていたのが「もう一度みたい日本のCM50年」だった。
結論からいうとこれはぼくの期待に応えていなかった。それはかつてACCで表彰された秀作のリールであり、この業界にいるものなら誰も知っている、見たことのあるお手本集だった。そうじゃないんだ、ぼくが観たかったのはぼくが子どもの頃なんども視て、記憶にとどめていた昭和の普段着のCMなのだ。「ほほいのほいでもう一杯ワタナベのジュースの素ですもう一杯」とか「ハヤシもあるでよ」とか「うれしいとめがねが落ちるんですよ」なのだ。
『君たちはどう生きるか』、これも関川夏央からインスパイアされた一冊。
もともと健全な青少年を育成するタイプの本だけに今さら読むのはどうだかなあと思っていたんだが、これはむしろうす汚れてしまった大人こそが読むべき本であろう。デジタル化されて、斜に構えた今どきの子どもたちになんか読んでほしくない。
世の中に、人生にくたびれ果てたおじさんたちにさわやかな一陣の風を送り込む、そんな本である。


2010年12月17日金曜日

小林信彦『昭和の東京、平成の東京』


12月になって、暖かい日があり、寒い日もある。寒いといっても今のところ超一級の寒波の到来はなく、気圧配置が冬型になると北西風が強くなり、空気が乾くが、それも一時のことで気温は平年並みだったりする。
ついこのあいだまで暑くて暑くてどうしようもなかったのが信じられないくらいだ。特に休日の体育館でそのことを痛感する。少しラリーをするだけでじゅうぶん汗をかけた夏場と違って、この時期はなかなか身体があたたまらない。準備運動も夏場より入念に行う必要がある。休憩するにしても上着を着るとか、トレーニングパンツをはくなどしないとあっという間に冷え切ってしまう。
ここのところ3球目攻撃、5球目攻撃、7球目攻撃といったパターン練習を繰り返している。基本練習であり、実戦的な練習でもある。もっと新しいパターンを試してみてもいいと思うのだが、新しいことより、今やっている基本練習の精度を上げていくほうが大切な気がしている。一応、それなりに緊張感を保ちながら、反復しようと心がけてはいる。
筆者小林信彦の生まれた現在でいう東日本橋あたりはかつて両国と呼ばれていたそうだ。
両国というとぼくのように両親が房総半島の出身だったりすると両国駅をすぐに連想する。かつて房総の玄関であった両国駅である。そんなわけで隅田川の西側が両国というのは少々違和感があるのだが、隅田川をはさむ地名、ゆえに両国なのだという。その後、川の向こう側だけが両国と呼ばれるようになったらしい。
浅草橋駅の近く、神田川が隅田川に合流するところに柳橋という緑色に塗られた小さな橋がかかっているが、それを渡ると住所は東日本橋となる。大きな通りに出ると左手に両国橋が見える。
昭和から平成へ。下町に生まれた筆者の思慕を随所に読みとれるすぐれた随想である。

2010年12月15日水曜日

朝倉かすみ『田村はまだか』


このブログに対して、いろいろアドバイスをいただくことが少なからずある。
たとえば、もっと写真とか画像を入れてみたらどうかとか、文章量を減らしたり、行間をあけたりして読みやすくしてはどうかとか、著者名、書名だけでなく出版社とか発行年とかも入れてくださいとか。ぼくも映画評論をするイラストレーターよろしく、名場面を絵にしたらどうかと考えたこともある。絵を描くことはある意味ぼくの職業でもあるのだが、絵を描くだけが仕事ではないのでちょっと負荷がかかりすぎる。まあたまにならいいかもしれないけど。
まことにありがたいサジェスチョンの数々ではあります。そのうちにいくつかは実現していきたいと思っています。
あと、もっと本のことを書いてください、なんて方もいるんですけど、まあこのブログはぼくの個人的な備忘録的な意味合いもあり(それがほぼすべて?)、もちろん読みやすく、読む人すべてにわかりやすく、ためになることをめざしたいとは思うのですが、今は自分のことだけで精一杯なのです。
それでもこのブログを読んで、同じ本を読みました、なんて言われるとちょっとうれしかったりする。
この本はイラストレーター井筒啓之の装丁が気に入って読んでみた。最近文庫化されたようだが、ぼくはたまたま図書館で単行本を見かけたのでそちらのほうを読んだ(たぶん内容的に異なるところはないはずだ)。
後半にやってくる事件がちょっと劇的すぎると思うが、こんなストーリーを映画化したらそこそこヒットするんじゃないかな。アラフォーには受けるかも。
キャストを考えるだけでもちょっと楽しい。

2010年12月12日日曜日

佐藤達郎『教えて!カンヌ国際広告祭』

先日久しぶりに高田馬場から早稲田界隈を散策した。
ツイッターで知り合った下町探険隊に加わったのだ。探険隊のメンバーはすでに立石だの向島だの三ノ輪だの方々を歩いているつわものばかり。たまたまぼくが以前、20台の最後の歳から5年近く早稲田に住んでいたということで仲間入りしたわけだ。
夕刻高田馬場ビッグボックス前で待ち合わせして、早稲田松竹や今は廃屋となっている名曲喫茶らんぶるを見て、古書店街を歩き、早稲田大学構内へ。大隈講堂前で後発のメンバーと合流。隊長Kさんの母校であるなつかしの文学部校舎へ。Kさんは卒業以来だとしみじみした様子。
お腹も空いたので馬場下町のキッチンオトボケで思い思いの夕食。やはり一番人気はじゃんじゃん焼き定食。K隊長の説明によれば、ジンジャー焼き、要は生姜焼きがなまったものだろうとのこと。ビールを飲みながら時間をかけて完食した。とにかくみんなお腹がいっぱいなのでとりあえずどこかでお茶でも飲もうと喫茶店に入る。
ここからがまるで学生ノリ。尽きない話で盛り上がり気がつけば夜の10時。じゃ、そろそろってことで解散となった。学生街に迷い込んだ大人がすっかり学生気分になってしまったわけだ。K隊長いわく、「学生に戻りたいな。学生に戻れたら、こんどはちゃんと勉強するぞ」
佐藤達郎は2004年のカンヌ国際広告祭フィルム部門の日本代表審査員である。よくよく考えればこの年、ぼくはこの広告祭に参加しているのである。著者が審査会場で浴びるようにフィルムを観て、とめどない議論を積み重ねているとき、ぼくは会場をあちこちはしごしながらエントリー作品を観ていたのだ。
そういうこともあって妙になつかしい気分になった。筆者の思いは広告制作者たちに向けた新しい時代の広告の模索であるはずなのに。もちろんそれはそれで勉強になる一冊だ。
その一方でぼくはなつかしいものが好きなのだ。

2010年12月8日水曜日

小林信彦『怪物がめざめる夜』

先週また野毛に行ってしまった。
ぼくが十数年前に辞めた会社の後輩だったKに会ったのだ。Kはしばらく仙台にいて(ぼくがいた頃はまだ会社は小さく、その後合併して支社ができた)、今年になって横浜支社勤務を命ぜられた。
四日市出身で中学の頃上京。それ以降しばらく東京に落ち着いていた。もともと野球はドランゴンズ、ラグビーは明治、競馬は藤田伸二と一度決めたら応援し倒すタイプであるが、仙台時代は楽天も応援するようになり、東北の祭という祭も見てまわったという。頑固一徹ではない人なつっこさも持っている。
声の大きいやつに悪いやつはいないというらしいが、まさにそんなキャラクターだ。行った先、行った先でしっかり根を生やし、地元に親身に溶け込んできたことが話の端々にうかがえる。横浜はまだまだ初心者だと謙遜しているが、なかなかどうして、野毛や山手あたりのいい店にはかなり精通している感がある。
そんなわけで先週はたいへん混み合う焼鳥屋から都橋の風情のあるスナックをめぐり、最後は地元で人気の中華へ。サンマー麺、餃子、紹興酒が締めの3点セット!と高らかに声をあげるKはすっかりハマっ子のようである。
伊集院光が深夜ラジオで言及していたのがこの本。
ありえそうでありえない話より、ありえなさそうだけどありえるかもしれない話のほうが物語としては断然面白い。
この本はもちろん後者だ。20年近く昔に書かれた小説なのにきわめてありえそうな予感のする恐怖小説だ。もちろん10~20代の若者を虜にするカリスマというキャラクターが現代的かどうかというのは別として。

2010年12月5日日曜日

千尋『赤羽キャバレー物語』

キャバレーと呼ばれるところに行ったことがない。
以前勤めていた会社の近くに「白いばら」というキャバレーがあり、社長はよく通っていたという。行ったことがないので勝手なことしか言えないけれどホステスさんが大勢いて、ショウがあって、ダンスをしたりする昭和の社交場というイメージが浮かぶ。先の社長もダンスが大好きな人だった。
ぼくは近ごろ(今にはじまった話ではないのだが)、“昭和”に凝っている。古い居酒屋や情緒のあるスナック、さらにはこれらのお店が息づいている風情ある街を歩いてみたいと思っている。
毎日新聞の夕刊、たしか毎週土曜日だと思うが、東京すみずみ歩きという川本三郎のコラムがあり、古き良き東京に独自の視点を投げかけている。そこで紹介された赤羽の町がこの本を読むきっかけになった。記事では司修の『赤羽モンマルトル』とこの『赤羽キャバレー物語』が紹介されている。『赤羽モンマルトル』は現在捜索中である。
著者の千尋は紆余曲折の人生を経て(おそらくこの本に書かれている以上に紆余曲折があったんじゃないかと思う)、川口、赤羽でホステスとして生きる。この本は彼女のホステスの日々を率直に綴ったもので読みすすめればすすめるほどに味が出る。ホステスという職業が主役なのでなく、つまり接客業という狭義のエピソードではなく、人間対人間の、思いやりだとかコミュニケーションのあり方が語られているのだ。
ひとりの人間がひとつの職業を、生涯を通じて全うするためには単に資質だけではなく、日々努力研鑽する姿勢がなによりも大切なのだと大げさではなくそう思った。

2010年12月2日木曜日

村松友視『黒い花びら』

水原弘といえば、昭和40年代少年の世代には「ハイアース」のホーロー看板である。アクの強い視線を街中に投げかけながら、商品を手にうっすら笑っている和装の水原弘(にっこり笑っているバージョンもあったっけ)。今でもぼくの両親の実家がある千葉の白浜や千倉では目にすることができる。
新進気鋭の永六輔、中村八大と組んだデビュー曲「黒い花びら」は第一回の日本レコード大賞受賞曲。まさに一瞬にしてスターダムにのし上がった男だ。その後大ヒットから遠ざかり、酒におぼれ、借金をかかえ、博打に手を染め、破滅の道を歩んでいく。そして再起をかけ、川内康範、猪俣公章コンビによる「君こそわが命」で劇的なカムバックを遂げる。おそらくぼくらの世代がリアルに見た水原弘はこの曲からだろう。が、水原弘は多くの協力者たちを尻目にさらなる破滅の道を選んでいく。
それにしても村松友視という人はおかしなところに目を向ける作家である。トニー谷しかり、力道山しかり、大井町の骨董屋しかり。アウトローを追いかけているのではなく、一般人とアウトローの境界あたりにいる人を描くのが巧みだ。水原弘は世間一般の価値観である“昼の論理”で見てはいけないと筆者はいう。天文学的数字にまでふくれあがった借金をかかえ、破滅に向かって血を吐くまでステージに立ち続ける“夜の論理”に生きた男である。それでいて家族に向ける、不思議にやさしいまなざし。
フランス映画にあるような、貧困の時代からスターダムへのし上がり、そして放蕩から破滅に向かうヒロインが奇跡的なカムバックをとげたにもかかわらず、その後世間から敵視され、不遇な晩年、そして悲惨な死を遂げる、そんなドラマティックな生涯がぼくたちが少年時代に親しんだホーロー看板の向こう側にあったなんて。
なかなかの力作である。