2011年2月27日日曜日

遠藤諭『ソーシャルネイティブの時代』


鯵を味噌とねぎをまぜてたたいた房総半島の料理、なめろう。
ここのところずっと食べたくて仕方ない。川本三郎の銚子を訪ねた記述が脳裏に焼きついているのだろうか。
子どものころ、南房総千倉町出身である母は鯵と味噌とねぎをたたいたなめろう状のものをフライパンでこんがり焼いてよく夕食のおかずにした。ちょっとしたおさかなハンバーグとでもいったらいいだろうか。当時比較的安価な食材で子どもたちのよろこぶメニューを考えるにあたり、自分の幼少から食べていたなめろうをヒントに加工したのかもしれない。
正直、なめろうハンバーグはさほどおいしいとは思わなかった。ハンバーグは肉じゃなければいけないと思っていた。
40年以上もたって、なめろうが恋しくて仕方ないのは、そんな母の手づくり料理に対するノスタルジアか。
ところでこの本の157-159頁はおもしろかった。
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携帯端末としてのiphoneに比べ、ipadは画面が大きく、書籍や新聞に変わるデバイスとして、実は40代が利用率でピークであるという。それでいて
<<ネットに書かれたユーザーの声を見ていると「もうお父さん、トイレにipadを持って入るのはやめてください」なんてジョークまである。>>
などという一節を書いている。
紙に代わるデバイス、ゆえにトイレに持って入る。笑えた。ipadを紙として使う、なんて贅沢なんだろう。
データとその読み込みが中心である本書の中でここだけが一服の清涼剤だった。

2011年2月23日水曜日

斉藤徹『新ソーシャルメディア完全読本』


3色ボールペンは便利でよく使うのだが、特定の色のインクだけが先になくなってしまうので困る。
おそらく今の時代だから、替え芯があるのだろう。それにしても3色ボールペンはふつうのボールペンに比べて内部構造が複雑で、一見すると替え芯を受け付けないんじゃないかと思えるときもある。
たとえば、斎藤孝の3色ボールペンを活用する読書は最重要部分に赤線を、重要部分に青線を、自分でおもしろいと思った部分に緑線をひくというものだが、たぶん赤インクの消費量は少ないのではないかと考える。たしかにクレヨンにしたって、色鉛筆にしたって何色あろうが、好きな色とか汎用性のあるベーシックな色からなくなっていくものだ。
もちろんふだんはできるだけそんなことは考えないようにしている。インクの減りが偏るから、今日は赤を使おうとか、だいじなメモだけど最近赤が少ないから黒にしておこう、などと考え出したら、書いた気がしないではないか。そんなわけで3色ボールペンを使うときは心のおもむくままにインクを使い分けよう、けちな考えは起こさないようにしようと日ごろ心がけている。その点、4色ボールペンだともうどうでもいいやという気持ちになりやすく、気兼ねなく使えていい。
先日、ファイルストレージサービスを使って、資料を送ったら、相手先からダウンロードできないとクレームがあった。その時点で原因はわからず、こちらに落ち度があったのかなかったのかさえわからなかったが、ツイッターでそのサービス名を検索したら、サーバが落ちて困っている人が多数いることがわかった。ああ、ソーシャルなんだな、時代は。
ツイッターだフェイスブックだとソーシャルメディアがうねっている。なんとか時代に取り残されないようにこんな本を読んでいる。
その時点でなんとなく“負け”てるなと感じる。

2011年2月20日日曜日

村上春樹『村上春樹雑文集』


庭にツグミがいた。
ツグミを見るのは空き地や農閑期の畑などだだっ広いところが多いので、猫の額のような庭にいるのがなんとも不似合いである。ツグミもそれとすぐに気づいたのか、またたく間に飛び去って行った。ツグミの凛として、背筋の伸びたその姿勢が嫌いではない。
今住んでいる場所に引っ越してくる前は駅まで30分ほどかけて歩いていて、そのときさまざまな野鳥に出会った。さまざまといっても東京の住宅街で見かける野鳥といえば、ヒヨドリ、ムクドリ、メジロ、ハクセキレイ、くらいのものであるが。夏のツバメ、冬のツグミはやはり季節を感じることができてうれしい鳥たちだ。
この本は“雑文集”ということでレコードのライナーノートや文学賞の受賞のあいさつ、翻訳版刊行の序文など、さまざまなジャンルの雑文からなる。雑文といっても駄文ではない。ひとつひとつがウィットに富んでいる。ぼくはジャズなどほとんどわからないし、彼が翻訳紹介した作家の本もすべて読んでいるわけではない。チャンドラーでさえ読んでいない。それでも楽しく読めたのが不思議だ。
長編小説が村上春樹にとってのメインストリートだとするとちょっとした路地裏や横丁集といった色合いの本とでもいえるだろうか。
もともとユーモアの感覚に富む人だから、カジュアルな文章は読んでいて楽しいし、またある意味偏屈な人でもあるので小説のことを語らせると奥が深い。まじめな人なんだなと思う。
ちょっとした町歩きのつもりで読んでいたら、いとこの名前が出てきた。裏道でばったり出くわしたみたいな感じだ。

2011年2月17日木曜日

井伏鱒二『駅前旅館』


『駅前旅館』と聞くと往年のシリーズ映画を思い出す。
森繁久弥、伴淳三郎、フランキー堺に淡島千景、淡路恵子、池内淳子といずれも芸達者なキャストである。
その映画の原作となった井伏鱒二『駅前旅館』のおもしろさは、日常接することがあまりできない“裏側”を覗き見るところにある。幸田文の『流れる』の主人公梨花が“くろと”の世界を覗いたように。
以前仕事で結婚式場の舞台裏を見せてもらったことがある。厨房から披露宴会場に通じる秘密の通路を歩いてみた。風景は立ち位置が変わるとがらりと一変する。卒業した学校に久しぶりに訪ね、もうその生徒じゃない目で教室や校庭を眺めてみるときにも似たような感覚をおぼえる。
ぼくの母は若い頃銀座のデパートに勤めていた。客商売というのは客前で言えない言葉が多くあって、隠語によるコミュニケーションをする。マスコミや広告業界の人たちも“シーメー”とか“ヒーコー”とか業界用語を駆使する。当然、旅館にもある。主人公生野次平が随所に紹介してくれる。
旅館やデパートに限らず、どんな業界にも表と裏があるのだと思う。そして白昼のもとに曝された裏側は間違いなくおもしろい。それだけでこの本は有無を言わさずおもしろい小説なのである。
それにもましてこの本がいっそう読者を駆り立てるのは単なる裏側暴露にとどまらない人間観察に基づくものだからだ。駅前旅館という東京の都心ではまず見かけなくなった場所の、番頭という職業は今の時代に通用するビジネスヒントや接客の基本をその経験から数多く身に付けている。そういったちょっと大人の視点で読んでみるのも悪くない一冊だ。

2011年2月13日日曜日

向田邦子『男どき女どき』


向田邦子はラジオ、そしてテレビの脚本を書いていた。放送作家と呼ばれるジャンルの物書きだった。彼女は単なる文章家ではなく、時間という制約の中で書いていた。そのことが読んでいてよくわかる。無駄がないのだ。
広告の文案づくりも似たところがあって、同じ単語をなんども使わないようすぐれたコピーライターは訓練されている。いちど状況を説いたら、それ以上深入りはしない、反復もしない。それが放送作家出身である向田邦子の明快さだ。
この本、『男どき女どき』は『思い出トランプ』の続編として連載開始された創作短編だった。残念ながら連載が完結する前に向田邦子は飛行機事故で世を去っている。ちなみにこのブログでは簡単にカテゴリー分けをしている。本書後半のエッセーもたいへん魅力的で捨てがたいのであるが、ここでは“日本の小説”に分類させてもらう。この本を刊行した人がつけたタイトルを尊重したかたちだ。
昭和の戦前、戦中は一般には暗い過去として脚光を浴びる時代とはいえない。向田邦子のよさは多くの人が避けるようにしてきた昭和的な生活に光をあて、そのなかにきわめて日本人的な生活様式や家族観なるものを書き残している点にあるといえる。関川夏央は「少女時代から転校を繰り返していた向田邦子は、土地に愛着しなかった。いわゆる古里を持たなかった。そのかわり失われた、昭和戦前という時代とその家族像に深く愛着した」といっている(『家族の昭和』)。
それはともかく、「鮒」、「ビリケン」をはじめとして短編は秀逸。一見寄せ集め的に並べられたエッセーの数々も小気味いい向田節で、読むものの心に響く。

2011年2月8日火曜日

山脇伸介『Facebook 世界を征するソーシャルプラットフォーム』


先週、南阿佐ヶ谷のバタフライ卓球道場へ山手四区親善卓球大会を観に行った。
回を重ねて55回。小規模な大会ではあるけれど伝統ある試合である。
新宿、杉並、世田谷、中野の各区から選抜された男女13選手による団体戦で、一般どうしの対戦と年齢別(30代~70代)で5ゲームマッチの試合を行う。例年だとかつて世界選手権や全日本で活躍したベテランも参戦するそうだが、今年は代々木第二体育館のジャパントップ12という大会と重なり、協会役員クラスのベテランはそちらに行ってしまったそうだ。
ゲームは接戦の連続で、さすがに各区の代表であり、東京選手権などハイクラスな大会の経験者やかつてインターハイや学生リーグ戦でならしたつわものが集まっただけはある。結果は杉並区が3戦全勝で優勝。卓球の師匠であり、監督であるTさんのいいはなむけとなった。
Tさんは長年営んでいた酒屋を辞め、来月長野へ転居する。その日は試合の打ち上げと新年会を兼ねて、送別会が行われたという。
facebookがどうもよくわからない。
わからないことがあると書物に頼る傾向があるので本屋をうろうろする。できれば新書でさらっと読めるものがいい。
というわけで読んでみた。まあ軽く概観してくれている。ツイッターとはこう違うのだね、となんとなくわかる。使いこなせるとすごいらしいが、使いこなし方はまた別の本が必要だと思った。

2011年2月5日土曜日

山口瞳『居酒屋兆治』


先日、JR中央線の国立駅で降りて、南武線の谷保駅まで歩いてみた。
国立は、道幅の広い大学通りが南に伸び、緑も豊かで(もちろん季節的には緑はないが)、空が高く見えるいい町だ。一橋大学には古い建物が残されている。堂々としたたたずまいである。歩道には駅から何百メートルと記された敷石がある。1,000メートルあたりになると駅前の人通りは絶え、静かな住宅地になる。
さらに歩いていくと商店が見えてくる。駅がある。駅前にロータリーがある。ここが南武線の谷保駅。『居酒屋兆治』のモデルとなった“やきとん文蔵”はこのあたりにあった。
1982年。この本が刊行された当時、ぼくは中央線武蔵小金井にある大学に通っていた。当時はそこから西へ行くことはほとんどなく、国立なる駅も意識になかった。
映画『居酒屋兆治』はテレビで観た。緒方拳演ずる河原の「じょうだんとふんどしはまたにしてくれ」という台詞だけが強烈に残っている。映画の舞台は函館だった。高倉健は北の空気と光がよく似合う。
国立は新しい町という印象が強い。国分寺と立川の間だから国立というその名の起こりからして新しい。作者の山口瞳はこの町に長く住んだという。おそらくはこの本を通してでなければ、国立が昔ながらのよき集落であったという認識は持たなかっただろう。
もっと若い頃読んでおけばよかったと思う気持ちと、いまこの歳になってはじめて読んだからよかったんだという思いが半々である。

2011年2月1日火曜日

長谷川裕行『Wordのイライラ根こそぎ解消術』


先週、阿佐ヶ谷ラピュタで小石栄一監督の『流れる星は生きている』を観た。
原作は言わずと知れた藤原てい。新田次郎夫人であり、数学者藤原正彦の母である。主演は三益愛子。川口松太郎夫人であり、川口浩の母である。
映画は原作のような引揚げシーンの連続ではなく、むしろ引揚げ後の夫を待つ引揚げ者の苦労が中心に描かれている。1949年に満州から朝鮮半島を経て、日本に還る行程など当然映像化できるものではあるまい。山崎豊子の『大地の子』がドラマ化されたが、おそらくそのくらい時をへだてていなければ、原作の世界は描けないだろう。
この映画は終戦のどさくさの中で助け合いながら強く生きるもの、利己的に小賢しく生きるものなどの対比が全体に染みわたっている。終戦の現実を描くことで、大陸生活者の、引揚げ者としての悲哀を描こうとしているかのようである。
パソコンを使いはじめてから、しばらく一太郎というワープロソフトを使っていた。Ver.3からVer.4くらいの頃。当時はワープロは一太郎、表計算はロータス、データベースはDB3が主力だったと思う。WordもExcelも使い勝手はよくなかった。その後、MSDOSからWindowsにオペレーティングシステムが移行するにつれ、Word、Excelが主役になってくる。それにしても国産品でないワープロソフトは実は微妙に使い難い。ワープロなんてマニュアルなしで使いこなせなければいけない標準ソフトなのに。
と思っていた矢先に出会った本がこれ。講談社のブルーバックスを読むのは何十年ぶりだろう。