2019年9月2日月曜日

山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』

高校野球では投手の球数(投球数)制限が話題になっている。
甲子園の頂点をめざす才能豊かな好投手らが肩や肘に故障を生じ、将来の活躍の場が失われることに対する危惧である。ひと試合100球までとか具体的な案も出されている。野球はルールに関してはおおらかなスポーツで大会ごとに規定を変えてもいいので(たとえば甲子園で行われる大会には点差の開いた際のコールドゲームの規定がない)こうしたアイデアが生まれてくる。
日本ではプロ野球が発達しているので一試合100球、中5~6日の休養などといった慣習が目安とされやすいが、トーナメント方式で連戦を余儀なくされるアマチュア野球を同じ尺度で考えるのもどうかと思う。
ひとり100球などといったルールができたら、相手投手に多く投げさせる作戦もできてくるにちがいない。先日都内某所。隣の席で高校野球を観戦されていた方が球数問題はルールではなくあくまで各チームで自主的に取り組む問題であるという主旨のことを話していた。
もちろん怪物と呼ばれる投手がひとりで決勝戦まで投げぬく姿に多くの野球ファンは魅了されてきたのはたしかであるが。
世の中は急速に変化を遂げている。不安定、不確定、複雑、曖昧な世界で論理的思考=正解を出す技術だけにとらわれているとみな同じ答にしかたどり着けない。そこで注目されているのが「美意識を鍛える」こと。美意識やアートとはクリエイティブな世界に限られたものではなく、「真・善・美」といった普遍的な普遍的な価値観をあらわしていて、今日的状況にあって明確な判断基準になりうる。
論理や理性を重んじてきた日本の企業がコンプライアンス問題で不祥事を起こしたり、海外の企業におされているのは数値目標やアカウンタビリティといったサイエンスに偏った経営に原因があるともいわれ、その打開策として見直されているのが「アート」の力なのだそうだ。
高校野球には新たな美意識が必要なのかもしれない。

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