2008年12月20日土曜日

鹿島茂『フランス歳時記』

もうすぐ今年も終わろうとしている。
フランスではその昔一年のはじまりは春分の日に近いマリア受胎告知の日3月25日だったという。一週間かけて春分の行事を行ったあと4月1日にプレゼントを交換した。16世紀に1月1日が一年の始まりの日になった。それでも新時代に対応できない人たちは相変わらずプレゼントの交換を4月1日に行っていた。若者たちはこうした時代遅れな人たちをからかおうと贈り物と称して空の箱を贈ったり、架空のパーティーの招待状を出した。これがポワソン・ダヴリル、英語で言うところのエイプリル・フールのはじまりらしい。
以前にニースで日本の漫画をちりばめた「AGENDA日仏手帳」というノートを買った。ちょっとした予定表に日本の文化や習俗を紹介するコラムが載った手帳である。平日には1日1ページを当てており、ヘッドに大きく日付が記されていて太字の曜日と月の名前にはさまれている。たとえば11月11日なら“JEUDI 11NOVEMBRE”とされている。そして月名の下には小さく“Saint Martin”とある。
これはなんだろうと思っていたのだが、フランスでは1年365日が聖○○、聖女○○と呼ばれる守護聖人の祝祭日に充てられていて、11月11日木曜日(この手帳では2004年)は聖マルタンの祝祭日であるということをあらわしていたのだ。
この本にはフランス、主にパリの1年の移り変わりを日々の守護聖人のエピソードの主だったところにふれながら、旅行ガイドや滞在記とはひと味違った形で紹介してくれている。1月から順番に12の章で構成されているが、各月に生まれた、あるいは亡くなった文化人紹介のコーナーもあり、ヴォルテールやマリー・キュリー、モンテーニュなどご無沙汰している方々に久しぶりに会えた。クロード・シモンやマリー・タリオーニなど初めてお目にかかる人もいた。
もともとどこかで連載してあった小文をまとめた本なのであろう。簡潔に整理されていて、読みやすい。その反面、同じパターンが12回繰り返されるので単調な印象もあった。ところどころに書き下ろしのコラムなどを挿入してもよかったんじゃないかとも思う。


2008年12月14日日曜日

林芙美子『風琴と魚の町・清貧の書』

景気が悪い。
中小企業は、どこもそうとまでは言い切れないが、資金繰りがたいへんだろう。ボーナスがカットされたりしているところも多いはずだ。
川本三郎が解説の中で林芙美子は貧乏を楽しんだ作家と評していた。いかにどん底の生活で喘いでいおうと、ユーモラスを忘れず笑い飛ばしてしまうくらいの気概が彼女の作品を支えている。同じ貧困でも『居酒屋』のジェルヴェーズのように貧困の末、酒におぼれ身を滅ぼしていく凄惨さがない。貧乏の度合いはいずれも同じかもしれないが、日本的な奥床しさや情緒が貧困の芯の部分に隠されている美徳と上手に絡まりあって、作品としてあたたかさを醸し出しているような気がする。
日本の企業にも不景気を笑い飛ばすくらいの度量があればいいのだが、事態はかなり深刻のようだ。



2008年12月10日水曜日

山田篤美『黄金郷(エルドラド)伝説』

またしても中公新書。
中南米に関しては知識はないが、興味はある。国立科学博物館でナスカ展とか、インカマヤアステカ展などを見るとただただ圧倒される。そんな興味の延長線上にあらわれた本がこれ。ヨーロッパ人の探検はロマンなんかじゃなくて、帝国主義的侵略の一環であるという視点からとらえた中南米の歴史である。
主たる舞台はベネズエラ。先住民の営む水上生活を見て、小さなヴェネチアという意味のベネスエラと呼んだのが国名の由来だそうだ。故海老一染太郎の「土瓶が回ってドビンソンクルーソー」でおなじみの『ロビンソン・クルーソー』も18世紀大英帝国の南米植民推進をねらって書かれた物語だという侵略思想的解釈も新鮮だった。
本書はコロンブス上陸以降の真珠時代、オリノコ川からエルドラドへの遠征時代、イギリスによる植民地建設、拡大(そして挫折)の時代という流れに沿って、今日のベネズエラに至るまで構成されている。500年の間に実に興味深い出来事を垣間見ることができたが、中南米の歴史のさらにおもしろいところは、それ以前ではないかという気もしている。ということで次回は西欧化以前の中南米にスポットを当てた本を読んでみよう。


2008年12月5日金曜日

シャルル・ペロー『完訳ペロー童話集』

12月だ。
今年の仕事納めは12月26日だという。最終週には飛び石連休もあり、もし景気がよければ、とんでもなくひっちゃかめっちゃかな年末になるだろう。そうならないで欲しいとは思うが、ここのところの景気の低迷を考えると忙しいだけ忙しい方がとりあえずはいいのかも知れない。まあ、複雑なところだ。

神田神保町に信山社という書店があり、岩波書店の本を中心にした品揃えで以前はよく立ち寄ったものだった。最近ではそこそこの規模の本屋で岩波の文庫や新書は当たり前のように見られるが、昔はそうでもなく、ちょっとした大型書店か町の本屋でも店主にこだわりなり、しっかりした考え方があるような店構えのところにしか置いていなかった。いや、実際はそうじゃないかもしれない。たまたまぼくが足繁く通った本屋のうち何軒か限られたところにしか岩波の本がなかっただけ、だったのかも。まあかれこれ30年くらい前の話だけど。
岩波の文庫や新書で、大きめの書店に在庫のない本は信山社に行くとある、という記憶が頭の片隅に残っていたのかもしれない。ラフォンテーヌの寓話集をさがしに行って、ペローの童話集を買った。こういうことはそう珍しいことではない。
ところで信山社のブックカバーが以前と変わらなかったのがうれしかった。表紙側には湯川秀樹のコメント、裏表紙側には井上靖のコメントが力強く書かれている。
古くからヨーロッパに伝わる民間伝承を本にまとめたのがペローといわれている。ペローがいなかったら「眠れる森の美女」も「サンドリヨン(シンデレラ)」も形にならなくて、ディズニーランドもできなかったに違いない。でもペローがいなければ、誰か別の人が書物にしたかも知れないし…、などとあまり「たら」とか「れば」とかで頭の中を膨らませない方が精神衛生上はよろしいかと。
ああ、年末は暇だといいが、あまり暇すぎるのもいやだし…。