2020年10月31日土曜日

安西水丸『手のひらのトークン』(再読)

イラストレーター安西水丸が電通を辞め、ニューヨークに渡ったのは1970年。50年前のことである。
僕は1992年にニューヨークを訪れている。これももう30年近く昔のことだ。
その日、セントラルパークを散策してサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に登場する回転木馬を眺めたあと、79ストリートから103ストリートまで地下鉄に乗った。地上に出て西へ。途中、道が狭くなっている。ウエストエンドまでつながっているか不安になったので105ストリートに出て迂回する。コロンブスアベニュー、アムステルダムアベニュー、ブロードウェイ、ウエストエンドアベニューを横切った次の通りがリバーサイドドライブ。そこを左折して2ブロック目に煉瓦づくりのビルがあり、エントランスに”RIVERSIDE MUSIUM"と記されている。パンナム機でホノルルとロスアンゼルスを経由してニューヨークにたどり着いた安西水丸が最初に住んだアパートである。
リバーサイドパークのベンチで休む。ハドソン川の向こうにニュージャージーが見えた。
地下鉄に戻り、86ストリートに出て、92ストリート行きのバスに乗る。セントラルパーク、5番街、マジソンアベニュー、パークアベニューを横切って、バスはヨークアベニューを左折する。下車して、83ストリートを東へ向かう。
(3B)518 East 83ST。
1970年8月。安西水丸はリバーサイドドライブのアパートからアッパーイーストエンドのアパートに引っ越した。さらに東へ進むとイーストエンドアベニューに突きあたり、その先はイーストリバーである。
川沿いにカールシュルツ公園(小説ではカーツシュッツ公園と記されている)がある。ヨーロッパ人が多い地域らしく、きれいな公園だったと記憶している。ベンチに腰かけ、川に浮かぶルーズベルト島をぼんやり眺めたことを思い出す。
この本を読むのは30年ぶりである。

2020年10月28日水曜日

浅田次郎『帰郷』

在宅で仕事をしていると時間に追われる緊迫感がなく(それは在宅のせいではなく、性格の問題かもしれないが)、ついつい効率が悪くなる。効率がどうのこうのじゃなくて、手が遅いだけなのだが。たまにはとっとと仕事を終わらせて、映画を観に行くとかすればいいものをなかなか時間がやりくりできないでいた。
先日、ようやく時間がとれたので武蔵野美術大学の美術館まで足を運んだ。流行りの言葉でいえば「GO TO 美術館」である。
武蔵野美術大学にはなんどか行ったことがある。国分寺から単線の私鉄で行く道のりはのどかで好きなのだが、最寄り駅から大学までが遠い。玉川上水沿いの、森のなかみたいな道はなんともすがすがしいのではあるが、とにかく遠い。なんども行っているのに一向に近くならない。
上水沿いの道をはなれて、ようやく正門までたどり着く。時節柄、守衛室の前で名前を書かされる。お訪ね先はと訊かれる。行先きは美術館だけですねと念を押される。ついでに世界堂によってクロッキー帳を買おうと思っていたが、言いそびれた。
美術館では「イラストレーションがあれば、」と題される展示(10/24終了)が行われていた。日本のグラフィックデザインの勃興期ともいえる1960年代以降のポスターや雑誌の表紙になったイラストレーションが多く展示されていた。
浅田次郎はひさしぶりに読む。というかそれほど多くを読んでいるわけではない。戦争から帰還した男たちの物語である。これは僕だけの印象かもしれないが、この作者は短編より長編の方が味わいが出るような気がする。同じようなテーマの長編小説はないものだろうか。
で、帰りは単線電車の旅をあきらめて、大学の前から国分寺駅行きのバスに乗った。
国分寺駅は崖に沿ってつくられている。北口が崖の上で、南口が崖下。かつて国分寺駅の北口駅舎は木造だったような気もするが、そんな風景ももうすでに遠い遠い記憶のかなたである。

2020年10月26日月曜日

中村禎『最も伝わる言葉を選び抜くコピーライターの思考法』

ずいぶん昔のことだが、ある上司から、コピーライターというのは研ぎ澄まされた言語感覚がなければならない、君はその点でコピーライターには向いていない、というようなことを指摘された。指摘として間違っていなかったので、ひどく納得したおぼえがある。
それからしばらくして、コピーライターという職業は文章を巧みに書くことではなく、広告を見る人にいちばん伝わりやすい言葉を見つける人だと認識をあらためた。複雑なこと、難しいこと、都合のいいのことを恰好を付けて言い換えたって、誰の心にも届かないのである。そこに「ああ、そういうことか」という気づきが与えられなければならない。もういちど言う。「コピーライターの仕事は書くことではなく、発見することだ」と。
コピーライター仲畑貴志が書いた広告コピー「おしりだって、洗ってほしい。」も「顔は、ハダカ。」もいまだに強い印象を感じるのは、その文章や言葉がいいのではなく、そこに多くの人が気付かなかった発見があるからだ。
著者の中村禎は外資の広告会社でそのキャリアをスタートしてのち、広告制作会社サン・アドに移って仲畑貴志に師事する。大きな広告賞の受賞経験が豊富な方ではあるが、僕が不勉強なせいもあり、これといった代表作が思い浮かばない。宣伝会議という出版社が主催するコピーライター養成講座の講師を長く続けていて、その教え子たちたち(中村組というらしい)にも活躍している者が多いと聞く。
中村禎はコピーライターとして天賦の才能があった人ではないと思う。たいていのコピーライターがそうであるように、地道に、愚直に努力を積み重ねてきたタイプである。それはこの本を読んでみるとよくわかる。ここに記されたことは、彼の経験から見出されたコピーライター作法ではなく、彼自らがひとつひとつ実践してきたことだ。誠実さと説得力を感じるのはそのせいだと思う。

2020年10月24日土曜日

ニコ・ニコルソン/佐藤眞一『マンガ認知症』

歳相応にもの忘れをする。
俳優の名前が出てこない。同じように出てこない名前をよく僕に訊ねる妻に訊く。○○というドラマに出ていた、こんな役をやった、結婚した相手は□□という映画に出ていた、などと周辺情報ばかり集まる。肝心の名前は出てこない。ネットの世の中は便利なもので、関連情報で検索すればすぐにほしい情報に手が届く。しかし、できることならそれは避けたい。意地でも思い出したい。緊急を要する作業ではないからだ。
まだ20代の頃、高校時代の友人の古原誠一と酒を飲んでいた。自分と同級だった男の話題になったが、名前が思い出せないという。僕はたしか、か行ではじまる名前だったような気がすると言ったら、古原は「かあ、かい、かう、かえ…」と「か」に続けて、50音順に読み上げはじめた。そしてついに「こま…」、「こまざわ!」と答にたどり着いた。古原はたしかに努力を厭わない勤勉な友人だったが、こいつみたいなやつが自転車のチェーンキーを勝手に開錠して盗むんだろうなと思った。
思い出せないのは単なる老化であるという。認知症というのはおぼえられないことらしい。たしかに認知機能が低下するわけだから、海馬の奥の方に眠った記憶を呼び覚ますことと、何か新しいことをおぼえることとは違う。なにがしかの経験をする、たとえばごはんを食べるとか、話をするとか。そのことをおぼえられないから、数分後、ごはんは食べたかと訊ねたり、さっき話したことを何度も話す。
先日(といっても猛暑の頃だから真夏のこと)、仕事で認知症と診断された方に会った。今年で78歳になられる。別にどうってことないですよ、とあっけらかんとして人生を楽しんでいるようにみえた。
認知症についてまだまだ知らないことが多い。忘れてしまわないうちに一冊読んでおこうと思った。ともに認知症の家族を持った経験のある漫画家と心理学者の掛け合いのような内容でわかりやすく、切実だ。

2020年10月22日木曜日

中野信子『サイコパス』

テレビコマーシャルの演出家、いわゆるCMディレクターには少し変わった人が多かった。
多かったというとCMディレクターの半数以上が変な人のように思われるかもしれないが、誤解を避けるために言っておくと、ごく稀にそういう方がいらっしゃったということだ。ただ、印象としてそういう方の記憶が強く残るから、思い出すことといえば少し変わった人のことばかりになる。
コマーシャルの撮影は、屋内外を問わずしかるべき撮影場所を借りて行うロケーション撮影と撮影スタジオに美術セットを組むスタジオ撮影に大きくわけられる。スタジオ撮影の場合、前日に美術スタッフがセットを組む。建込みという。演出家とカメラマンも立ち会って、カメラ位置を決める。それだけ決まると照明スタッフはライトを設置して、ほぼほぼ撮影準備が整う。これだけの作業をすませておけば、翌日は朝から撮影ができる。
ところが世の常として、ことはそう順調に運ばない。翌朝スタジオにやってきた演出家が「これ、違いますよ!」などと大声をあげる。セットの壁の色が違う、カメラのアングルが違う、と。だってあなた昨日の夜見てるでしょ、いいですねえとか言ってましたよねとみんなが思うのだが、相手は激怒している、触らぬ神に祟りなしなのである。急遽、美術スタッフは壁を塗り替え、カメラマンは別のアングルをさぐる、それにともなって照明スタッフもライトの位置を変えはじめる。
終わってみれば、たいした違いでもないのだが、演出家は満足げに仕事をすすめる。午前の時間を無駄に使ってしまったから、当然撮影終了は深夜である。
スタジオを後にするCMディレクターがカメラマンと美術デザイナーに上機嫌で声をかける。「今日は遅くなっちゃいましたけど、こんど飲みにいきましょうよ」と。カメラマンもデザイナーも無理に笑顔をつくって「誰が行くか!」ということばを飲みこむ。
サイコパスって絶対身近にいそうな気がする。

2020年10月16日金曜日

波田浩之『新版広告の基本』

広告制作会社に長く籍を置いている。
新入社員の研修を依頼されると、広告会社のしくみを話すようにしている。現場のスタッフはロケハンのすすめ方や弁当の手配の仕方などを教授しているらしい。仕事のほとんどが広告会社経由なので広告会社とはどんな仕事をしているのかを知らない手はない。もちろんアドビのソフトで絵コンテをつくることだって重要なことである。
イラストレーターだった安西水丸は、広告会社のアートディレクターとしてそのキャリアをスタートさせている。いずれイラストレーターになるのだから、イラストレーションの仕事を発注する立場を経験したいと思ったそうだ。彼はのちに出版社でエディトリアルデザイナーになる。いずれにしてもイラストレーターという職業を視野に置いて会社員生活を送った。
多くの人、特に広告制作会社のスタッフは、発注者側の視点に乏しいように思う。広告主は何を求めているのか、そのために広告会社の制作部門の専門職は何をめざすべきで、誰に何をどう発注するのか。制作会社にいるとなかなかそこまで気がまわらない。そうじゃない人もいるが、凡庸なスタッフはただ日々追われるだけである。
広告会社の話を頼まれるのは、わずかな期間だったが広告会社に籍を置いていたせいもある。少なくとも僕は、「代理店経験者」なのである(広告会社と呼ぶか広告代理店と呼ぶかは人によってまちまちだが)。制作セクションしか経験はないけれど、営業がいて、媒体部門があって、という最低限のしくみは知っている。
とはいえ、それももう四半世紀も前のこと。デジタルなんて言葉が二本の針ではなく、数字で表示される時計のことくらいしか意味しなかった時代の話だ。というわけでもういい歳なのに、『基本』に立ち返ることにした。
すぐれた教科書である。新入社員に広告会社って何をしてるんですかと訊ねられて答えられない制作会社の人すべてに読んでもらいたい本である。

2020年10月13日火曜日

吉村昭『仮釈放』

幸いにして服役経験はない。人を殺めたこともない。自転車の無灯火はある。
友人知人にいるかといえば、やはりそれもない。小説や映画、ドラマでは人はすぐに殺され、犯人は逃走の上、海岸の岩場に追い詰められて白状させられる。毎週そんなことが行われているにもかかわらず、僕の身近に関係者はいない。
この小説は今村昌平監督「うなぎ」の原作である。その原作を鰻獲りの日々を描いた短編「闇にひらめく」だと思って映画を観たときはびっくりした。浮気をしていた妻がいきなり殺されるのだ。
無期懲役に処せられた主人公菊谷は16年の時を隔てて、仮釈放される。保護司に連れられて歩く。腕を振って足を高く上げて。刑務所内で歩くといえば、行進のように歩かなければならなかったからだ。もうその歩き方はしなくていいと保護司に諭される。町はずいぶん変わっていた。男ははじめて自動販売機で切符を買う。
郊外の養鶏場に職を得た男は、ある日ふと立ち寄った店で目高を買う。毎日餌を与え、水を換え、やがて目高は産卵までする。映画で床屋になった主人公役所広司が水槽に一匹の鰻を飼って丹精していたことを思い出す。ちなみにであるが、この養鶏場がどこにあるかははっきりしない。想像するに青梅線の小作駅西口から西東京バスに乗って10数分のところ、あきる野市あたりではないかと思っている。要するに以前訪ねた東海大菅生高校付近ではないかと思うのである。道中で牛舎を見かけた。東京にもこんなのどかな土地があるのかと思った。おそらくそのときの記憶が呼びさまされたに違いない(牛舎は養鶏場にすり替わっていたが)。
吉村昭の作品には、刑務官の人生を取り上げた『プリズンの満月』、脱獄囚を題材にした『破獄』などがあるが、一無期懲役囚の仮釈放を淡々と綴るこの小説に、非日常のなかで平凡な日々をかいま見るような、あるいは平凡な日々のなかに非日常を見るような、ある種の恐ろしさを感じる。

2020年10月5日月曜日

池井戸潤『イカロスの翼』

テレビドラマの半沢直樹シリーズが最終回を迎えた。帝国航空再建プロジェクトとそれに絡む政治家の汚職を扱っている。原作でいうと半沢直樹四部作の最終巻である本書がそれにあたる。
ドラマの視聴率は32.7%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)だったという。テレビの視聴形態は変化してきているから、この数字が大きいものなのか小さいものなのかよくわからない。多くの人が視たのだな程度の印象でしかない。それでもSNSなどで、まったく視なかったとか、原作もドラマもぜんぜん興味がないなどと発言する人もいて、世の中はいろいろなんだなと思う。そりゃあNHKの紅白歌合戦を視たことがないとか、大河ドラマや朝ドラをいちも視たことがないという人もいるだろう。世界は多様性に満ち溢れているのだ。
原作とドラマとでは内容は少し異なる。それは松本清張の『砂の器』だってそうだし、山崎豊子の『大地の子』だって映像化されるにあたって脚色されている。今村昌平監督「うなぎ」は吉村昭の短編「闇にひらめく」が原作で、うなぎ獲りの話かと思うとそうではなく、むしろ長編『仮釈放』をベースにした物語になっている。映画を観て、なんだこれ?と思った記憶がある。
東京中央銀行の大和田常務は原作では最初の話で半沢に「倍返し」されて失脚、姿を消すが、ドラマでは最終話まで重要な役を担っている。香川照之という稀代の役者がすぐにいなくなってしまうのはたしかにもったいない。徳川家康を主役としたドラマで豊臣秀吉がずっとライバルとして生き続けるようなものか(よくわからないたとえで恐縮である)。原作の全編を通じて登場するのは半沢と同期で親友の渡真利忍、頭取の中野渡謙、半沢の妻花。エピソードごとにゲストを招いて花を添えるとしても、上記レギュラーメンバーだけでは半沢の「倍返し」ばかり目立ってあまりおもしろくもなかっただろう。香川照之はなかなかいい役どころだった。