2012年4月28日土曜日

吉岡秀子『コンビニだけが、なぜ強い?』


この本を読んで、コンビニエンスストアの棚に少し興味を持った。
コンビニエンスストアというのもちょっとまどろっこしいので、コンビニと呼ぶことにしよう(ぼくは融通が利かないタイプでアニメーションとかイラストレーションとフルで言わないと気分がよくないのだ)、今回は。
2年ほど前、セブンイレブンが高齢者向けの広告を打ちはじめたことは知っていたが、最近注意してみるとどのコンビニも小ぶりな総菜が充実している。魚の煮付けや煮物、ポテトサラダなど単なる単身者ねらいのラインナップではない。陳列棚から顔をあげてまわりを見てみるとたしかにいるのだ、中高年のお客さんが。
コンビニも変わったなあと思うのだが、そうじゃない。世の中が変わったのだ。コンビニは世の中をきちんと鏡のように映し出しているだけだ。それもセブン、ファミマ、ローソンと三社三様、それぞれのやり方で。この本はちょっとしたコンビニ評論家の著者が各社の成長の秘密を取材して、まとめたものだ。結論的には変化にいかにすばやく対応するかということ。
コンビニのシステムはクラウドに似ていると思った。生産、配送といった上流部分を超集中し、店舗を立地条件などに合わせて超分散させていく。先行き不透明な時代にあって、生き残る可能性を極限にまで高めたビジネスモデルなのかもしれない。
もし今からコンビニを経営するとするなら、この三社のうちどれを選べばいいだろうか。店は住宅地がいいのか、ビジネス街がいいのか。理想的には大きなアパートが近くにあって、企業も多く集まっていて、しかも土日に遊びに来る人も多い、そんな場所がいいと思う。セブンイレブンの南青山二丁目店のような。
ところで先日、麹町のセブンに立ち寄って、なんとなく品ぞろえを眺めていたら、なんとVHSテープが置いてあった。コンビニにあるってことは需要があるってことだ。どんなお客さんが今さらVHSを買って行くのだろう。

2012年4月24日火曜日

酒とつまみ編集部『酔客万来』

野球の季節がはじまった。
東都大学野球では亜細亜大東浜がプロの注目を一身に集めて、最終学年を迎えた。一方で昨年甲子園を沸かせた日大三の主力が東京六大学に進み、早稲田の吉永が初勝利を上げるなど、はやくも神宮に旋風を巻き起こしている。
プロ野球に関して言えば、今までジャイアンツファンであったが、今年からやめることにした。開幕から波に乗れないからではない。もう昨年オフに決めたことだ。新聞の集金員に外野席招待券をばらまかせ、外野自由席を埋め尽くしたファンにONがホームランを叩き込むという旧来のビジネスモデルから脱皮できないことを伝統と言いくるめる手法に嫌気がさしたのだ。
では今後はどのチームを応援しようか。
これが思案のしどころで、やはり地元球団ということで東京ヤクルトが浮上してくるのだが、どうも自分がビニール傘を突き上げて応援しているイメージがわかない。DeNAはどうかといえば、たしかに松本啓二朗、須田、細山田、筒香に、山本省吾も加わって、応援しがいのあるチームになったものの、どうしても応援したくない人も加わってしまったので、これもパス。
中日、阪神はまわりに熱狂的ファンが多すぎて、今さら仲間に入れてもらうのも忍びない。
ということで現在、暫定的に広島ファンとなっている。福井、野村を応援しながら、土生のスタメン出場を待ちに待っている。
「酒とつまみ」という雑誌の存在はテレビ朝日の「タモリ倶楽部」で知った。
酒を呑みながらインタビュー。なんともシンプルすぎて、おもしろすぎる企画だ。人選もすばらしい。ついでに言えば、軟便話も参考になった。
はやいうちにパ・リーグもひいきチームを決めたいと思っている。

2012年4月18日水曜日

佐々木俊尚『「当事者」の時代』

世の中に絶対といえる尺度はない。
ありとあらゆるものが相対的でしかない。ユークリッド幾何学もニュートン物理学もすべて人為的に生み出された想像の産物だった。学校で教わった世界史は西洋史だった。歴史というものは支配者の歴史だった。こういうことをおぼろげながら感じはじめたのはクロード・レヴィ=ストロースを読んでからだと思う。
マスメディアと権力の関わりはこのあいだ読んだ『タブーの正体』で知った。
警視庁に詰める事件記者のイメージは『レディー・ジョーカー』で見事なまでに描写されていた。
アウトサイダーとなってプロの革命家をめざす男の姿を『オリンピックの身代金』で垣間見た。
大江健三郎は『水死』で戦中と戦後のふたつのイデオロギーの中で生まれ育った世代として晩年ようやく自覚できたようだ。自らの立ち位置を変える「被害者=加害者」という視点がそこにはあるように思える。
この本を読みながら、これまで読んできたわずかばかりの本たちが脳裏をよぎった。これほどさまざまなことを思い出させてくれる本も珍しい。惜しむらくは、もっと一冊一冊を丁寧に読んでおけばよかった。
「ハイコンテキスト」、「マイノリティ憑依」、「サバルタン」、そして「当事者」とこの本からこれまで知らなかった言葉たちとも出会うことができた。
佐々木俊尚はよく研がれた刃物で時代を切りとり、意外性に富んだ骨太な論考が読むものを楽しませてくれる。がっつりと読み応えのある一冊だ。さすがは元事件記者だけあって、その情報収集力と読み手を動かす展開力には舌を巻く。旧作も含めて、ちょっと読み漁ってみようかと思う。


2012年4月10日火曜日

川端幹人『タブーの正体』


桜の季節だ。
多くの人に待ち望まれて、ぱっと咲いて散っていく。その潔さを人びとは愛でるのか、先週末は名所であるなしを問わず多くの人出があったようだ。FaceBookを眺めているだけでちょっとした写真集ができてしまうのではないかと思ったほどだ。
今年は青山霊園、四ツ谷、中野で桜を見た。
たいていの場合、桜の咲くのは4月。卒業シーズンではなく、入学式の風景となる。ごくまれに暖かい年があって3月の卒業式の頃咲いてしまうこともあるが、散ってしまう桜と別れの季節をだぶらせるのは哀しすぎる。桜はやはり出会いの季節によく似合う。
この本を書いたのは元「噂の真相」の副編集長だった川端幹人。マスメディアの世界にタブーを生み出す力は「暴力」「権力」「経済力」であるという。読みすすめていくと、なるほどこんな圧力があったのかなどとそれなりに感心はするが、今となってはマスメディアに多大な期待はかけられないだろうから、そんな時代もあったねと歌い飛ばしてしまおうと思う。
ただ著者をはじめとしたタブーに立ち向かっていったマスメディア人の姿勢と勇気には敬意を表したい。
で、また桜の話に戻るが、今年の桜はどことなく哀しい気がする。春の訪れとともに融けて流れる雪のような桜に、別れの予感がはらまれているように見えるのだ。
気のせいだったらそれでいいんだけど。

2012年4月1日日曜日

塚本昌則『フランス文学講義』


先々週のことになるが、胃カメラをのんだ。
胃カメラをのむ、などという言い方を最近はしないようである。胃の内視鏡検査というらしい。内視鏡検査なんてずいぶんドライでそっけない言い方だ。医学的過ぎる。それにひきかえ、胃カメラをのむという言い方はどことなく本人の意思というか精神的に立ち向かう感じがあっていい。スチュワーデスというとどこかロマンチックな感じがするのに対し、キャビンアテンダントというと業務的な感じがするのと似ている。似てないか。
父が1月に肺炎を起こして入院した。歳をとると食道と気管の振りわけがうまく機能しにくくなり、肺炎を起こしやすくなるのだという。父の「老い」を通して自分の「老い」に直面した。それからしばらく食道や胃のあたりが気になって気になって仕方なくなった。なんとなく食道や胃になにかがつっかえるような気分になるのだ。そんなこんなで一度ちゃんと診てもらったほうがいいと思ったわけだ。
フランス文学なるものからずいぶん遠ざかっている。
もともと遠ざかるほど接近した憶えもないので、正確にいえば、遠ざかったまま、だろう。
この本はジャン=ジャック・ルソーからマルセル・プルーストまで12の作品にスポットを当て、言葉とイメージのかかわりを追求しながら、文学を通じて読み手が見ているものは何かを探求している。概略的にいえばそういうことなのだが、なにせ基礎教養的な下積み(12の作品のうち読んだことがあるのはルソーとゾラだけだ)がないので新書といえどもこの手の書物は重い。ただその論説の巧拙はわからなかったものの、随所に発見があった。どこかと今いわれてもちょっと困るが。
それで胃のほうなんだが、まったくなんでもなく、ピロリ菌もいないということだった。やれやれ、である。

椎名誠『さらば国分寺書店のオババ』

この本が世に出て話題になった頃、ぼくは武蔵小金井駅からも国分寺駅からも歩いて遠い大学に通っていた。
新宿で中央線に乗り換えていたので下車駅は武蔵小金井だった。国分寺には滅多に行かず、ときどき国分寺駅周辺で飲み会なども行われていたが、わざわざ遠まわりしてまで参加することに疑問を感じていた。そんなわけで国分寺とは疎遠な関係のまま学生時代を終え、現在に至っている。
長女が国分寺から単線電車に乗り換えて行く大学に通うようになって、一昨年と昨年、大学祭なるものを見に行った。国分寺駅はかつての木造校舎のような駅ではなくなり(といってもそれすら記憶の彼方にあって定かではなく、なんとなくイメージしているだけなのかもしれないけれど)、いわゆる都会にありがちな無機質で殺風景な駅に変わっていた。
もともと国分寺とは疎遠な生活をしていた上に、当時椎名誠のようないわゆる昭和軽薄体なる書物に関心がなかったため実に30年以上もこの本を放置していた。今、こうして読んでみるとその頃は食わず嫌いだったなあとか、もっとこういう本もちゃんと読んでおけばよかたなあ、などという気持ちにはさらさらならなくて、ただただ当時の国分寺駅の木造駅舎っぽい匂いが漂ってきてなつかしくなるのである。それ以上でもそれ以下でもない。
昨年は国分寺駅から昔通った大学まで歩いてみた。さすがに国分寺からの道順は記憶になく、ずいぶん遠まわりをしてしまった。さりとて大学から武蔵小金井駅までの道を憶えていたかといえば、それもそうではなく、どこをどう歩いているかわからないうちに長崎屋の裏に出た。たぶんは道は合っていたのだろうけれど風景が変わっていたのだと思う。