2019年9月30日月曜日

田中泰延『読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術』

著者は大手広告会社で24年間コピーライターとして活躍していたという。広告に関しては最近不勉強なもので、彼がどんなコピーを書いていたか、どんな広告キャンペーンに携わっていたか知らない(調べればわかるのだろうが、その辺が不勉強なのである)。
有名無名を問わずコピーライターをはじめとしたクリエイティブ経験者による文章指南、コミュニケーション指南の書籍は多いが、この本は違う。他社の味噌とタケヤみそくらい違う。ネスカフェゴールドブレンドを飲んでいる人にしかわからないが違う。
どこがどう違うか具体的に指摘してみろと言われたら困るのだが、野球のバッティングに例えるとフォームができている、しっかりしている。タイミングをくるわされても下半身がくずれない、身体が開かない(専門的なことはわからないが)。なぜバッティングフォームに例えたかというと、彼は誰かに依頼されない限り文章を書かない。ピッチャーが真剣に投げ込んだボールを打ち返してヒットにする、ホームランにする。そんなイメージを持ったからだ。
わかりにくい例えだが、文章とは何か、何のために文章を書くのかといった哲学がしっかりしているということだと思う。ただそんなことを生真面目に書き綴ったら、自分自身照れくさい。こそばゆい。だから随所にふざけてみせる。それが著者にとっての「読みたいこと」なのだ。文章に対するフォームがぶれていないから、調べることにも読書に関してもその姿勢は真摯だ。
合間合間に挿入されるコラムで実用的な文章術が展開されている。文章を書く書かないは別にして若い世代の読者には有効な読み物になっている。これだけでもこの本を読んだ価値はある。それにもまして読みすすめていくうちに見えてくる著者の文章への思いには好感が持てる。いやむしろ圧倒される。
時間をあけて、もういちど読んでみたい。その際には著者の言うように同じ本をもう一冊買うことにしよう。

2019年9月22日日曜日

獅子文六『娘と私』

子どもがまだ小さかった頃を思い出す。
幼稚園に通うようになった頃やその少し前。手もかかったし、仕事だって忙しかった時代。時間があれば公園に連れて行ったり、絵本を読んだり、お風呂に入れたりもしたけれど、子育てらしい子育ては妻に任せきりだった。その当時ふと想像したことがある。もし今万が一妻に先立たれるようなことになったら俺はどうしたらいいのだろうと。
あくまでも仮定の話ではあるにもかかわらず、もしそんなことになったら仕事場の近くに部屋を借りて引越しして、仕事の合間合間に幼稚園の送り迎えをしたり、ごはんを食べさせたりしなくちゃいけないとか、出張のときは親や姉に預けるようにしなくちゃならないとかかなり具体的に想像力をはたらかせた記憶がある。そもそも父親ひとりで子育てができるのだろうかと目の前が真っ暗になった。幸いこれは想像だけで終わり、妻は今でも健康で子どもたちもそのうちすくすく育ってもう大学も卒業している。
鹿島茂『パリの日本人』に若き日にパリに学んだ獅子文六のエピソードが紹介されている。そして『娘と私』、『父の乳』の2作品が例外的な自伝的作品であると知る。留学先で出会ったフランス人の妻を亡くし、ひとり娘をどう育てていこうかという苦悩に満ちた日々を描いているこの『娘と私』を読んで、わが子の幼少時を思い出した。
獅子文六は、1925年から25年間(先妻が亡くなり、二番目の妻が亡くなるまで)中野、千駄ヶ谷、愛媛、駿河台と移り住む。『てんやわんや』の舞台がどうして宇和島で主人公が戦犯容疑を恐れていたのか、『自由学校』でお茶の水橋下の住居がなぜ登場するのか、『箱根山』に登場する青年乙夫をドイツ人と日本人のハーフにしたのか、この本を読むとわかってくる。
おもしろおかしい娯楽作品の印象が強かっただけにこの作品の特異さが強く印象に残った。獅子文六の作品で目頭が熱くなったのははじめてのことだ。

2019年9月18日水曜日

川上徹也『川上から始めよ 成功は一行のコピーで決まる』

台風15号の被害状況を見てきた。
南房総市白浜町の父の実家は瓦が何枚か飛び、窓ガラスが割れた。瓦は、以前リフォームしたとき葺き替えてくれた職人さんがなおしてくれたという。誠にありがたいことである。断水はまだ続いていたが、電気は復旧していた(水道はその翌日復旧した)。散らかった室内を掃除し、割れた窓には前日ようやく入手できたブルーシートをかぶせてきた。
向かいの2軒、そして少し離れた隣の郵便局の屋根の損傷が酷い。うちの被害はまだましな方である。高速バスの往き帰りに見た南房総市冨浦、館山市布良あたりの損壊も著しい。屋根全面に覆われたブルーシートや手つかずのままの屋根が痛々しい。停電や断水が続いている地域も多く、固定電話も携帯電話もつながりにくいところがまだある。白浜コミュニティセンターでは自衛隊が風呂を設営していた。鋸南町あたりには大勢のボランティアが集まって、屋根にブルーシートをかけていったという。大規模な災害ではあるが、こうした話を聞くとほっとする。
川上コピーがだいじだという。
この本でいう川上とはPDCAサイクルでいうP(計画)の根幹になる方針にあたると考えていいだろう。経営なり、商品開発などのプロジェクトで欠かせない方針や目標をいかにたくみに言語化し、社内、社外関係者はもちろん世の中と共有していくことの必要性、重要性が語られる。その言語化された指針が川上コピーというわけである。
アメリカの主要IT企業GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)の事例が紹介されている。わかりやすい(日本の企業のスローガンなども紹介されている。言いたいことが明確でなく、レトリックだけにとどまっているものも多く、すべてが適切な例とは思われない)。
今回千葉県の台風被害に関しては報道の遅れなどがTwitterで指摘されていた。災害からの復旧にはなによりも初動=川上がたいせつだと思った。

2019年9月11日水曜日

鹿島茂『パリの日本人』

9月9日早朝千葉県に上陸した台風15号による被害が凄まじい。
南房総市にある父の実家では瓦が4枚飛んで、大きな窓ガラスが3枚割れたという。近くに住む叔母から連絡をもらった。Twitterで情報を収集してみると千葉県の大半は停電が続いており、断水している地域も多いという。固定電話も携帯電話もつながらない状況で、今日(11日)も場所によっては復旧の見込みが立っていない。
状況がわからない9日朝叔母に電話をかけた。つながらない。隣の集落にいるもうひとりの叔母にもつかながらない。とりあえずメールで訊ねたところ、夕方になって被害の状況を知らせる返信があった。携帯の回線はときどきつながるのだろう。奇跡的に返信をもらった。
取り急ぎ状況確認に駆けつけたいのであるが、鉄道も高速バスも止まっている。今日の時点で高速バスは東京~館山間のみ運行、JRは木更津~安房鴨川間が運休。館山までバスで行ってもそこから先の路線バスが止まっている。
台風の通過後、猛暑がやってきた。停電したまま3日目を迎えている。地域のコミュニティセンターには電源が確保されていて、スマートフォンの充電もできるという(回線はつながっていないけれど)。叔母らの不便を考えるといてもたってもいられない。もちろん行ったところで何ができるわけでもないのだが。
Twitterでは千葉県の南の方の被害があまり報道されていないという声があがっている。そんな中、熱中症による犠牲者も報道されていた。叔母やいとこたちだけでなく、父のいとこや遠い親戚などに高齢者もいて、気がかりだ。
この本は明治以降、パリに憧れ、訪れ、学び、遊んだ人々の貴重な記録だ。パリが古くから多くの日本人を魅了してきた町であることがうかがえる。タイトルはヴィンセント・ミネリ監督の「巴里のアメリカ人」をもじったものだろう。しゃれている。
たいへん興味深い内容だったのだが、今日はこの辺でとどめておく。

2019年9月9日月曜日

阿川弘之『山本五十六』

いちどだけ長岡を訪ねたことがある。1983年ではなかったか。
大学時代の友人Uさんは新潟県新発田市の出身である。4年生のとき、東京都の教員採用試験に合格し、江戸川の小学校に勤務していた。新潟の採用試験には受からなかったが、いずれは郷里に戻って教鞭をとりたいと言っていた。ところが新卒採用のその年、力試しのつもりで受けた新潟県の採用試験に合格してしまった。その前年不合格になって、新潟大学に3度も落ちているし、よっぽど俺は新潟には縁がない男だと嘆いていたUさんが、である。東京の小学校を1年で辞めて、赴任した新潟の小学校は長岡市にあった。
その年の夏、越後湯沢に用事があったので事前に連絡をとってみた。夏休みだったUさんは買ったばかりのホンダシティで迎えに来てくれた。ドライブがてら、出雲崎から寺泊あたりをまわって、その日はUさんのアパートに泊まった。まるで大学時代のようにだらだらと過ごした僕の、長岡の思い出である。
長岡といえば、幕末の越後にスイスのような永世中立国を築こうとした河合継之助を思い起こす。この地に生まれた山本五十六の父高野貞吉は越後長岡藩士であったという。五十六は後に家名の途絶えていた山本家を相続するが、山本家は長岡藩の上席家老を世襲していた家柄だった。山本五十六は武士の時代を引きずって生きてきたように思われる。
山本五十六が戦争指導者的に見えていたのは実は僕のなかで勝手に膨らませてきたイメージだった。海軍軍人ではあったが軍国主義者ではない。合理的な考え方と世界を見る目を持っていた。戦意高揚、戦線拡大に向かう当時の情勢にあって最後まで冷静な判断力を保持していた人物と言える。下手な言い方かもしれないが、河合継之助のDNAが受け継がれている。
そういえば長岡市内には山本五十六記念館があり、河合継之助記念館もある(しかもものすごく近い)。どうして何にもしないでだらだら過ごしてしまったのだろう。

2019年9月2日月曜日

山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』

高校野球では投手の球数(投球数)制限が話題になっている。
甲子園の頂点をめざす才能豊かな好投手らが肩や肘に故障を生じ、将来の活躍の場が失われることに対する危惧である。ひと試合100球までとか具体的な案も出されている。野球はルールに関してはおおらかなスポーツで大会ごとに規定を変えてもいいので(たとえば甲子園で行われる大会には点差の開いた際のコールドゲームの規定がない)こうしたアイデアが生まれてくる。
日本ではプロ野球が発達しているので一試合100球、中5~6日の休養などといった慣習が目安とされやすいが、トーナメント方式で連戦を余儀なくされるアマチュア野球を同じ尺度で考えるのもどうかと思う。
ひとり100球などといったルールができたら、相手投手に多く投げさせる作戦もできてくるにちがいない。先日都内某所。隣の席で高校野球を観戦されていた方が球数問題はルールではなくあくまで各チームで自主的に取り組む問題であるという主旨のことを話していた。
もちろん怪物と呼ばれる投手がひとりで決勝戦まで投げぬく姿に多くの野球ファンは魅了されてきたのはたしかであるが。
世の中は急速に変化を遂げている。不安定、不確定、複雑、曖昧な世界で論理的思考=正解を出す技術だけにとらわれているとみな同じ答にしかたどり着けない。そこで注目されているのが「美意識を鍛える」こと。美意識やアートとはクリエイティブな世界に限られたものではなく、「真・善・美」といった普遍的な普遍的な価値観をあらわしていて、今日的状況にあって明確な判断基準になりうる。
論理や理性を重んじてきた日本の企業がコンプライアンス問題で不祥事を起こしたり、海外の企業におされているのは数値目標やアカウンタビリティといったサイエンスに偏った経営に原因があるともいわれ、その打開策として見直されているのが「アート」の力なのだそうだ。
高校野球には新たな美意識が必要なのかもしれない。