2022年10月30日日曜日

宮台真司、福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』

このあいだ杉並区内には3つの川が流れていると書いた。その昔はもっと小さな河川がたくさんあった。そのひとつが桃園川。
桃園川は杉並区天沼の弁天池を源流とし、さらに上流の西側から流れる用水などと合流して東進する。もちろん今は暗渠になっている。流れは弁天池から西南に向かい、JR阿佐ヶ谷駅近くで線路を越える。ちょうどそのあたりから桃園川緑道と呼ばれる遊歩道が整備されている。遊歩道はほぼ東進するかたちで高円寺駅前の先で環状七号線を渡り、しばらくすると中野区に入る。中野区内では中野川と呼ばれていたそうだが、暗渠化されたのが昭和40年くらいのことだから、おぼえている人も少ないに違いない。大久保通りと平行して東進を続け、東中野駅南側の末広橋で神田川と合流する。
先日緑道を歩いてみた。東中野駅から、合流地点をめざし、そこから川上へ遡上した。思ったより蛇行が少ない。渋谷川などもそうだが、都会の川はのびのびしている。
ラジオにときどき出演する宮台真司という社会学者がいる。ちょっと強いことばを選んで、鋭い批判や論評をくり広げる。社会学者、東京都立大教授と紹介されていたが、広範かつ深い知識を持ち合わせているようである。社会学の範疇に留まらない幅広いマトリックスを持っている。それでいてわかりやすい。腑に落ちる。著作も多いようである。読んでみることにする。
この本は民主党が政権交代を果たした2009年に上梓された。同党参議院議員福山哲郎との対談形式。宮台真司の主張はきちん理論武装されていて、わかりやすいが、ときどき難しい。くり返し読んでイメージする。ああ、ここのところ今度ラジオでわかりやすく話してください、とお願いしたいところである。まあ読み慣れていないということもあるだろう。これから少しずつ読んでいって、著者の主義主張を学んでいくしかない。
阿佐ヶ谷駅までたどり着き、いつもの蕎麦屋で鴨せいろを食べた。

2022年10月25日火曜日

夏目漱石『坊っちゃん』

高校バレーボール部のOB会が3年ぶりに開催された。コロナの影響で見送られてきたのである。
それまでは母校の体育館を借りて、現役とOB、OGとの親睦試合を昼間に行い、夜は近くのホテル宴会場に移動して立食パーティーだった。今年は着席ビュッフェ形式で、アクリル板のパーテーションが設けられていた。ビールは注ぎ合うのは禁止で大先輩だろうがみな手酌。この3年間で天地がひっくり返ったような変わり様である。
大先輩といえば今回参加された最年長者は御年90歳だった。母校は大正時代に創立した東京市の中学校である。戦後東京都立の中学校になり、学制改革の際、東京都立の高等学校になった。現在は千代田区立の中高一貫校である。
母校の体育館を借りるというのがこれまた高いハードルになっている。例年7月に使わせてもらっていたが、コロナ以降、学校側の了解が得られないでいる。アフターコロナ時代にバレーボールで懇親というのは難しいのかもしれない。まあOB、OGだけ集まるのなら校外施設の体育館(宿泊もできる)もあるのだけれど。
『坊っちゃん』を読んだのは小学生の頃だ。小学生向けのものを読んだのだろう。ちゃんとした『坊っちゃん』を読むのははじめて。大人向けの『坊っちゃん』はそれなりに大人向けになっているというか、大人の事情が垣間見える。そしてちょっとだけ艶っぽくもある。
それにしてもこの一作で小学生にまでその名を知らしめた夏目漱石という小説家は偉大だ。文豪と呼ぶにふさわしい。その後漱石を読んだのは『こころ』である。おそらくは教科書に載っていたのだろう。自らすすんで読んだ夏目漱石は『三四郎』だと思う。漱石に突如興味を抱いたのではなく、鉄道旅の書籍に触発されたと思われる。川本三郎とか、関川夏央とか。
最近は少し大人になったいうか、ものごとをわきまえるようになったというか、漱石の著作を読んでいる。自分で自分をほめてあげたいと思う。

2022年10月23日日曜日

石井光太『ルポ 誰が国語力を殺すのか』

杉並区内には3つの川が流れている。
昔はもっとたくさんの中小河川があった。埋め立てられたか暗渠になって、今ではそのほとんどが遊歩道などになっている。3つの川は北から妙正寺川、善福寺川、神田川。いずれもおおざっぱに言えば西から東に流れている。善福寺川は中野富士見町あたりで神田川に合流し、妙正寺川も落合で神田川に文字通り落ち合う。
善福寺川沿いを歩いてみる。大きく蛇行をくり返しているところがこの川の魅力だ。杉並区の中心部に多くの緑地や広場、公園、運動場があるのもこの川が流れているからである。妙正寺川も蛇行しているが、大きく蛇行をはじめるのは中野区に入ってから。
今回歩いたのは環状八号線の南荻窪から善福寺池まで。下流に向かえば、前述のように豊かな緑がひろがるのであるが、その日は上流をめざした。この間、善福寺公園までは緑地や公園などない殺風景な道が続く。小さな蛇行に沿って歩く。川幅がだんだん狭くなっていく。
右岸を歩こうか、左岸を歩こうか、迷いながら行ったり来たりをくり返すうちに善福寺公園にたどり着く。善福寺川は下の池(善福寺池は上と下とふたつの池がある)から小さな滝のような段差を伝って流れていた。
文化放送大竹まことのゴールデンラジオを聴いていたら、この本の著者、ノンフィクション作家石井光太が紹介されていた。センセーショナルなタイトルの本でもあり、ついつい聴きいってしまった。
国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」という4つの力からなる能力と文部科学省では定義づけられているという。著者は、以下のように述べる。「私が思うに国語力とは、社会という荒波に向かって漕ぎ出すのに必要な「心の船」だ。語彙という名の燃料によって、情緒力、想像力、論理的思考力をフル回転させ、適切な方向にコントロールするからこそ大海を渡ることができる」と。
以前読んだ藤原正彦『祖国とは国語』を思い出した。

2022年10月16日日曜日

牟田都子『文にあたる』

毎日新聞朝刊一面の目立たないところに「毎日ことば」という連載がある。間違いやすい言葉や表記の仕方が複数ある言葉、あるいは本来の意味のとおりに使われていない言葉などを取り上げている。問いを投げかけ、答えは紙面のどこかにといったクイズ形式である。新聞社の校閲部が担当しているのだろうことはすぐにわかる。
校正は主に文字や文章の誤りを正す作業で校閲とは書かれている文章の内容や意味の誤りを正す作業ということらしい。多少の違いはあるもののどちらも原作者の書いた文章を100%の状態で世の中に晒すという点では同じ作業と言えなくもない。出版社などでは校正の担当者が校閲的な作業も受け持つという。この本の著者もそのようである。
広告の仕事を長くしてきた。文字校正(モジコウ)は日常的な作業だった。とはいえ映像媒体の校正と印刷媒体のそれとでは緊張感が全然違う。テレビCMで表示される文字量と新聞広告やカタログなどではくらべものにならない。印刷されて残るものと時間がたてば消えてなくなる(忘れられてしまう)のと違いは大きい(最近はユーチューブなどに長くアップされているCMも多いが)。
表現物の校正くらい消耗するのが広告主に提出する提案書の校正だ。誤字脱字はもちろんのこと、表記にも気を遣う。クライアントのホームページに掲載されている文章を参照する。そこで「子供」と書かれていたら、「子ども」や「こども」にしない。理系の会社のパンフレットなどによくあるのはJIS規格に則った表記である。「デジタル」が「ディジタル」、「ユーザー」が「ユーザ」だったりする。
校正には正解がないとも言われる。それでいて100%を求められる。そして校正紙が世に出ることはない。この本のおもしろさは校正のテクニカルではなく、校正者の毎日が描かれているところだ。
そうか、校正ってTVCMの絵コンテやグラフィックデザインのサムネイルみたいな仕事なんだ。

2022年10月10日月曜日

池田清彦『40歳からは自由に生きる 生物学的に人生を考察する』

井の頭自然文化園で「黒沼真由美展 レースで編む日本のいきもの」が開催されている。こちらで飼育されている日本在来種の動物たちを解剖学的な正確さでレース編みした作品が展示されている。
生物学などとは無縁の人生だったが、生物学者の著書を読んでみる。先月、「大竹まことのゴールデンラジオ」(文化放送)に著者池田清彦が出演していたのをたまたま聴いたのがきっかけである。『40歳からは自由に生きる』とタイトル通りの主張をくりひろげる著者は生物学者。なぜ40歳からかというと最近の研究で人類の自然寿命は38歳くらいなのだそうだ。だから40を過ぎた後の余分な人生は何ものにも縛られることなく、自分で決めた規範に則って生きるべきだと。ただの思いつきであったり、経験談ではない。生物学的な論拠を持っているところがおもしろい。
節制などしてストレスを溜めこむのはよくないだの、がん検診を受けるなだのといったメッセージを発信する。40歳を過ぎると固有名詞が出てこなくなる。このことも記憶のメカニズムに沿って解説してくれる。固有名詞が出てこないのは、さまざまな経験をしてきたことの証であり、経験の量が豊かさを生むとすればその人が豊かな人生を送ってきたがゆえなのである。
人間は前頭連合野の働きで自我が生まれ、未来を見通す能力を持つとしたうえで「昆虫と長年つきあってきた身としては、死の不安や恐怖を覚えることがむしろ幸いに感じられる」とまで言う。「私たちの人生が面白いのは、いつか死ぬことを知っているからであり、(中略)有限の命であればこそ、そして、そのことを知っていて、そのことに恐怖するからこそ、今日楽しくすごしたことが、意義のあるものとなるのだ」と締めくくる。
破天荒な内容にも思われるが、すとんと納得できてしまう不思議な一冊だった。
ひさしぶりに黒沼真由美のレース編みアートを観たあと、吉祥寺駅近くの蕎麦屋で鴨せいろをいただいた。

2022年10月3日月曜日

太宰治『きりぎりす』

軽井沢ではNさんという方が現地の案内をしてくれる。
7月はじめに訪ねたときは浅間山と離山が望める気持ちいい場所というリクエストに対して、見晴台(長野と群馬の県境にある)まで案内してくれた。そしておいしい蕎麦屋に連れて行ってくれた。僕が蕎麦好きであるという情報がどこからかインプットされていたのかもしれない。
7月末に行ったときには横川駅まで連れて行ってもらった。碓氷峠鉄道文化むらでたくさんの鉄道車両にかこまれて楽しいひとときを過ごした。碓井峠のめがね橋も見ることができた。そして信濃追分のおいしい蕎麦屋に案内してくれた。
鉄道車両や鉄道遺産が好きな人だと思ったのだろうか、9月のはじめ、三回目の訪問時には北軽井沢駅に行ってみませんかとNさんから提案される。昔、軽井沢と草津をつなぐ草軽電鉄という路線があった。その駅舎がまだ遺されているという。
木下恵介監督「カルメン故郷に帰る」を思い出す。日本初の総天然色映画である。
浅間山のふもとで育ち、東京に出てストリッパーになったリリィ・カルメンが帰郷してひと騒動を起こすといった娯楽映画。主演の高峰秀子が草軽電鉄で北軽井沢駅到着する。現存する駅舎には当時のおもかげが残る。Nさんはこんど機会があったら観てみたいと言っていたが、木下恵介監督、高峰秀子主演の映画を観るなら「喜びも悲しみも幾年月」「二十四の瞳」もおすすめだと伝えた。
新幹線のなかで太宰治の短編集を読む。中期の秀作短編集というところか。「姥捨」「畜犬談」「善蔵を思う」「佐渡」などなど。甲府で結婚し、やがて三鷹に落ち着く。この時期の太宰は生涯のなかでも安定した一時期だった思う。
北軽井沢に向かう途中、白糸の滝も見ていきませんかとNさんが言う。いわゆる観光名所には興味がなかったが、案内してもらってよかった。自然は偉大なアーティストだと思った。この日もNさんはおいしい蕎麦屋に案内してくれた。