2019年6月20日木曜日

三遊亭圓朝「名人長二」

名人という呼び方は特定分野ですぐれた技芸を持つ人を指す。
囲碁や将棋の世界では最高の地位であり、称号とされているが、落語の大家にも呼ばれる。競馬騎手武豊の父、武邦彦がその昔、名人と称されていた。名人より多くの勝ち鞍を上げた騎手もいるけれど、武邦の容姿や騎乗スタイルなどが名人然としていたことによるのかもしれない。
名人というのはある分野で秀でた技芸を持つ人のことだから、総合的に高い能力などには使われないのだろう。政治家に名人はいないし、俳優や作家にもいない(たぶん)。スポーツの世界で、たとえば体操競技は個人総合と種目別にわかれている。鉄棒とかつり輪、あん馬など特定の種目に圧倒的に高い力量を発揮する選手をときどき見かけるが、名人とは呼ばず、スペシャリストと普通の呼び方をされる。名人には和の雰囲気が感じられる。競馬のジョッキーを名人と呼ぶのに多少の違和感を感じるのはそのせいかもしれない。騎手を名人と呼ぶのがいけないと言ってるわけじゃない。よくぞ武邦彦を名人と呼んだものだと当時のマスコミに感心しているのである。
「抜け雀」という落語にも名人が登場する。さんざん呑んで、払えぬ宿代のかわりに絵を描いて帰る。その絵が評判を呼ぶ。そんな噺。左甚五郎の「竹の水仙」もそうだが、名人(というよりこの場合は名工といった方がいいか)の噺は多く、興味深い。
古今亭志ん生の動画がYouTubeにあって、通しで聴いてみた。全部で2時間以上ある。落語というより、芸術だ。書きものがあると聞いてさがしてみたら、青空文庫になっていた。
名人の仕事は後世に遺る。「素人には分からねえから宜いと云って拙いのを隠して売付けるのは素人の目を盗むのだから盗人も同様だ、手前盗人しても銭が欲しいのか、己ア仔様んな職人だが卑しい事ア大嫌いだ」と言ってつくった書棚を打毀す長二。
長二の生き様を通じて、名人ということばが響く。意気でいなせでいざぎよい。

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