2014年11月30日日曜日

谷川彰英『地名に隠された「東京津波」』

向島界隈は下町でありながら、戦災を免れた地域がある。
東武、京成の曳舟駅に近い東向島、京島あたりがそうらしい。古い写真で一面焦土と化した墨田区のようすを見る限り、これは奇跡的といってもいいのではないだろうか。
先日DVDを借りて、山田洋次監督「下町の太陽」を観た。倍賞千恵子が荒川土手を歌いながら歩いていた。おそらく八広、四つ木あたりだろう。八広駅はつい最近まで荒川という名の駅だった。映画の中で京成電車の荒川駅や曳舟駅が登場する。当時の駅は地上にあった。今では高架化がすすんでいて、東武線の曳舟駅下りホームだけが取り残されたように地上に置かれている。
荒川土手下にはそのあたりが海抜0メートル以下であることが表示されている。今の地図で見るとずいぶん内陸のように思えるが、隅田川、荒川にはさまれたこの地域はまさに下町である。
先日読んだおもしろい本を思い出した。
もし東京に巨大津波が押し寄せたら、という被害想定をシミュレーションし、地名に表出されるその地形に答があるという話である。
日比谷は標高2~3メートルで津波が東京湾を北上してくると真っ先にやられるだの、有楽町は堀端で海面水位と同じだから高潮が来たら容易に水に浸かるだの、新橋は全滅するだのと断定的に語られる。
10メートルの津波が東京を襲った場合、危険な町はどこかという防災的なテーマと、その危険性は地名にすでにあらわれているという歴史的なテーマとがごちゃごちゃに紹介されていてる。そりゃあ誰だって安全な町に住みたいとは思うが、ここは「やられる」、ここは「水の恐怖はまったくない」といった評定だけでは人は住まないという気もする。とにかく思い入れが先行する書き手なのだろう。そういうところがたまらなくおもしろい。
いざとなったら契約したビルに逃げ込むとか、スーパー堤防をつくるという対策案を提示している。10メートルの津波の実験かなんかをどこかで見ちゃったのかもしれない。
防災の本と地形地名の本の高度に融合された一冊であった。

2014年11月27日木曜日

小川明子『文化のための追及権』

師走に向かう実感は大相撲九州場所の千秋楽とともに訪れる。 
このあと、ラグビーの早慶戦、早明戦と福岡国際マラソンが拍車をかける。 
白鵬が大鵬の優勝回数の記録32に今場所ついに並んだ。大相撲を見るようになったのは昭和45年くらいから。大鵬の最後の優勝も記憶に残っている。当時は北の富士と玉乃海が横綱に同時昇進して、北玉時代の到来などとマスコミが騒いでいた。栃若、柏鵬に続く新たな時代の幕開けだった。この新勢力の台頭で無敵の大鵬の力に陰りが見えはじめていた、そんな時代だ。 
子どもの頃、強烈な記憶に残っているのは大鵬の引退と玉の海の急死だ。新進気鋭の人気力士貴ノ花に敗れた大鵬が突然引退を表明した。巨人大鵬卵焼きではないけれど、横綱大鵬の時代は“永久に不滅”だと信じていた。大関時代何度か綱とりを惜しいところで逃していた玉の海(大関時代は玉乃嶋)は横綱になって強くなった。精進を重ねた結果だろうと子ども心に感心して見ていた。ある日急性盲腸炎で急死というニュースが流れた。それからしばらくライバルであった北の富士が低迷したような記憶がある。 
大相撲も一時期にくらべて人気を取り戻しているようである。遠藤、逸ノ城など経験は少ないがこれからを期待できる力士があらわれたことが大きい。アマチュア相撲で実績を上げてきたこの両者はさすがに幕内クラスの力を持っている。問題はこれからだ。やはり幕内に定着し、大関、横綱をめざすにはこれからの努力が不可欠だろう。これまでも鳴り物入りで角界入りしたアマチュアのホープは多数いたけれど大成した力士は思いのほか少ない。 
著作物に関して「追及権」という権利があることはまったく知らなかった。著作物(主に美術作品)が転売され、販売額が上がっても、そのうちの何%かを制作者が受け取ることができる権利であるらしい。ヨーロッパや米国では明文化されているんだそうだ。 
知らなかったことが多いなあと思う11月なのであった。 

2014年11月25日火曜日

山本周五郎『ながい坂』

下町探検隊という仲間で集まって、ときどき歩く。
先日は浦安青べか探検と称して、浦安を歩いてきた。
東京メトロ東西線の浦安駅で集合し、旧江戸川に浮かぶ23区内唯一の島といわれる妙見島に上陸。旧江戸川沿いに釣り宿を見て、境川沿いを進む。七五三でにぎわう清瀧神社、旧宇田川家、旧大塚家を見学して、浦安市郷土博物館へ。思い思いに写真を撮ったり、せんべいを買い食いしたりしながら日が暮れるまで散策。
実は以前、『青べか物語』読了後、ひとりでふらっと浦安を歩いたことがある。その話を聞いた探検隊のKさんがぜひ行ってみたいということで再び訪れることになったのである。『青べか』に出会わなければ、浦安を歩いてみようなんてきっと思わなかったし、それが気に入らなかったら再訪することもなかったにちがいない。
不思議なことにはじめて訪ねた際に気がつかなかったことが二度目になると気がつくということがある。こんなところに銭湯があったっけ、みたいなことだ。最初の訪問より、二度目の方が精神的に町に入りこんでいるということか。
都内には戦災で被害を受けなかったとか再開発の波にのみ込まれなかったという稀有な町並みがいくつか残っている。浦安は、ところどころに古い町の面影がわずかに残されているものの、やはり都心に近くて便利な住宅地に変貌している。こうした失われていった町の記憶をとどめてくれたのは山本周五郎の業績としか言いようがない。
まだまだ山本周五郎を読みつくしたわけではなく、周五郎ファンだと自認するには若輩者であるが、少しづつ読み重ねていきたいと思っている。そのステップとして『ながい坂』を読んでみる。主人公の小三郎があるきっかけから学問や武芸に励み、立身出世を果たしていく物語である。紆余曲折はあるが、ひとりの武士としてまっすぐに生き抜いていく姿はおもしろいといえばおもしろいし、ありきたりだといえばありきたりだ。ただ悪役も含めて脇がいい。まだまだ読み切れていないのはこれが一回目だからだろう。町歩きのように重ねて読みたい周五郎の一冊だ。
読み終わったときの印象はディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』に近かった。

2014年11月23日日曜日

ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』

とりとりじゃんというじゃんけんがあった。
小学校の頃、たとえば野球(それは後にハンドベースと呼ばれるようになった手打ち野球やゴムボールとテニスのラケットを使ったラケット打ち野球が主だったが)のチーム分けをする。クラスのなかでもうまい者がふたり自然発生的に選ばれ、ふたりでじゃんけんをする。勝った者がそれ以外の者を指名し、チームに引き入れる。プロ野球でいうドラフト会議の子ども版みたいなものだ。当然のことながら実力的に上位の者が順番に選ばれる。その際、人格的にすぐれているとか、金持ちの息子であるとかはまったく考慮されない。
ひどいときは奇数人いるときだ。残ったひとりをめぐって最後のじゃんけんをする。そいつが足手まといになるようなら、勝った方は容赦なく「いらない」という。子どもって残酷な生き物だったんだなと、当時を回想するが、子どもだから許される世界でもある。もちろん当時、僕らの少年時代にだって平等が善で差別が悪みたいな教育思潮はあったにもかかわらず、である。
当時よく読んでいたのは伝記ものが多かったが、小学校の高学年頃からは冒険ものが多くなった。スティーヴンソンの『宝島』、スウィフトの『ガリバー旅行記』、そしてヴェルヌの『十五少年漂流記』など。子どもの頃だったから「荒城の月」の土井晩翠がスティーヴンソンを捩って付けられた名前だったとか、ガリバーが社会風刺の本だなんてことはぜんぜん知らなかった。
ヴェルヌの『十五少年』は何度も読みかえした一冊で他にも『海底二万哩』など空想科学的な作品も読んだと思う。ドストエフスキーの新訳で話題になった光文社の古典新訳シリーズに『八十日間世界一周』が出版されているのを知って、もう大人なのに手にとってみた。
期待通りに奇想天外な物語だが、よくぞこれだけの世界事情を調べ上げたものだと感心した。子どもの頃読んだとしても、きっとそんなことまで気がつかなかっただろう。
沢木耕太郎『深夜特急』と続けて読んで時代を超えた世界一周半も悪くないと思った。

2014年11月22日土曜日

吉村昭『生麦事件』

秋、学生野球最後の公式戦、明治神宮野球大会も無事終了。
去年まで決勝は高校の部と大学の部が同日で第2試合である大学の部はたいてい点灯試合となり、極寒の神宮球場での観戦となる。まさに寒戦である。それでも熱心な野球ファンがネット裏で試合終了まで見届け、それぞれのファンがよいお年をとか、来年もよろしくとか、選抜で会いましょうなどと挨拶をかわして帰途につく。
今年は最終日が大学の部決勝一試合のみ。その前日に高校の部決勝と大学の部準決勝という日程だった。寒さはある程度しのげたのではないだろうか。
高校の部は仙台育英が浦和学院をやぶって2年ぶり2度目の優勝。大学の部は13年ぶりに駒沢が明治を倒して優勝。明治の高山が昨年に続いて、高校大学通じての明治神宮大会制覇に挑んだが、残念な結果に終わった。夏の甲子園も優勝している当時の日大三は法政の畔上、慶應の横尾、早稲田の吉永、立教の鈴木と主力を多く東京六大学野球リーグに送り込んでいるので快挙のチャンスはまだ来年も残されている。
ここのところ吉村昭を読んでいる。吉村昭の作品を自分なりに、事件ドキュメンタリー、第一次産業もの、近現代もの、時代ものと分類しているが時代ものはさして興味はなかった。そもそもが時代小説はまったくといっていいほど読んでいなかった。
『アメリカ彦蔵』を読んで海に囲まれた日本には漂流民が多くいた現実、そしてその時代背景としての江戸時代後半から明治時代に興味を持った、遅ればせながら。薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件に端を発する生麦事件に関してもこうした興味から読んでみた。
名前は忘れたが、中学校のときナマムギに引越した同級生がいた。卒業まで通っていたかは覚えていないが、しばらく京浜急行の生麦から東急大井町線の戸越公園まで通学していた。どういう経路をたどって来ていたのだろう。
生麦という地名はそのときはじめて知った。

2014年11月9日日曜日

吉村昭『零式戦闘機』

イラストレーターだった叔父が亡くなって、あっという間に半年が過ぎ去った。先月から銀座で回顧展ともいうべき個展が開催されている。
銀座といっても新橋駅からほど近いところが会場なので母にも億劫がっていないで見に行ってきたらどうかと勧めているのだが、まだ行っていないようだ。億劫がっているのは母だけでなく、実は僕も同じで先週新橋に行く用事があってようやく見てきたばかりである。
叔父と母は8つ歳が違う。母のすぐ下の妹とも6つ違う。歳のはなれた末っ子だったのだ。これだけ歳がはなれればいろいろなこと、ものの見方や考え方も違うだろうし、共有できる記憶もそう多くもないだろう。たとえば叔父の記憶では父親(僕にとっての祖父)は昭和21年に他界したことになっている。母の記憶では自分は中学生で弟は小学校に入ったばかりだったという(父を亡くして高校進学を諦めたという話を僕は母から何度となく聞いている)。おそらく昭和23、4年ではないか。
展示物のなかにある雑誌に連載された絵と文があり、祖母、母と5人の姉にかこまれて育った少年時代といった内容だった。7人の女性の似顔絵(さして似ているとも思われない)があり、祖母何年生まれ、母何年生まれとルビがふられている。姉たちは1~5と番号がふられ、やはり生年が記されている。よくよく見ると4(これは母だ)は昭和8年生まれとなっている。5(これは叔母)は昭和10年となっている。正しくは昭和9年と11年である。もう80になる老女が昭和何年生まれかなんて世の中的にはどうでもいいことであろうが、やはり6つも8つも歳がはなれると実のきょうだいとはいえ、そんなことはどうでもよくなってしまうのだろう。
『戦艦武蔵』を読んだ後、次に読むのは『零式戦闘機』だと決めていた。
名古屋の三菱重工業の工場から試験飛行のためにぎゅうしゃで岐阜の各務原に牛車で引いて行く。宮崎駿監督「風立ちぬ」でもおなじみのシーンだ。この画期的な技術を発展的に継承できなかったことが誠に残念である。

2014年11月5日水曜日

高崎卓馬『表現の技術―グッとくる映像にはルールがある』

今季の東京六大学野球リーグは残り2週をのこして、立教、明治、早稲田、慶応が勝ち点3で並ぶ混戦だった。
まず有利だったのが立教で、最終の明治戦に連勝すれば優勝だった。初戦、エース澤田圭の好投で王手をかけたが、ここから明治が持ち前のねばりを発揮。2戦目を引き分けると3、4戦を連勝し、立教30季ぶりの夢を打ち砕く。明治は勝ち点を4として、早慶戦の結果に望みをつなぐ。どちらかが連勝すれば優勝は早慶いずれか。1勝1敗になった時点で明治の優勝。
結果的には早稲田が先勝し、翌2戦目に優勝をかけたが、慶應の反撃にあえなく敗戦。この時点で明治の44回目の優勝が決まった。
早慶戦前の時点で打率トップ争いは早稲田の小野田、重信とつづく。第2戦終了時でふたりが同率で並んでどうなるかと思っていたら、規定打席に満たなかったやはり早稲田の茂木が4打数4安打と大当たり。一気に首位打者賞を獲得した。最優秀防御率賞は明治の上原。こちらも規定投球回数ぎりぎりでの受賞だった。
ベストナインは立教の澤田圭らが選ばれたが、混戦だったのは三塁手の横尾(慶應)でおそらく茂木と票を分けあったのではあるまいか。外野手の重信も法政の畔上と接戦だったのではと思う。畔上が選ばれていたら、甲子園優勝当時の日大三のレギュラー3人が選出されたことになる。あと1年あるので早稲田吉永、立教鈴木らと5人まとめて選ばれてほしいものだ。
昔から仕事がらみの本はたまにしか読まなかった。後輩が、読み終わったので読んでみませんかとすすめてくれた。
ひとりよがりの方法論や経験談を披歴するだけの本が多いなかでこの本は真剣に読む人の立場になってくれている。きびしさもあり、やさしさもあり、こういう一冊に出会えた広告クリエーティブ志望の若者たちはどれほど勇気づけられることだろう。30年前に読みたかったよ。
さて、11月。野球シーズンのしめくくり、明治神宮野球大会ももうすぐだ。