2020年1月30日木曜日

奥田英朗『東京物語』

2020年。オリンピックイヤーである。
昨年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」の最終回、開会式で聖火が灯されるシーンを視て、ああ今ごろこの聖火台の下で島崎国男がダイナマイトを抱えて逃走しているのだと思った人も多いだろう(そんなことはないか)。
奥田英朗の『オリンピックの身代金』は、人にすすめられて読んだ。人がすすめる本というのはたいてい、まあそんなものかくらいにしか思わないのだけれど、この本は抜群におもしろかった。読み終えたあと、主人公島崎がダイナマイトを入手した六郷土手や本郷、弥生の東京大学の周辺、下宿していた西片町、現金の受け渡しに失敗した上野などを歩き回った記憶がある。著者もおそらく東京じゅうをくまなく歩いていたであろうことがこの本を読むとわかる。
奥田英朗は、1978年に高校を卒業して、上京している。僕とまったくの同世代である。この本は、上京当時の著者が主人公である比較的初期の作品だ。
キャンディーズの解散コンサート(東京ドームはまだなく、会場は後楽園球場だった)やそのときどきのヒット曲、流行・風俗が顔を覗かせる。映画「未知との遭遇」が公開され、中日ドラゴンズの新人小松辰夫に大きな期待が寄せられていた。そんな時代もあったねと中島みゆきみたいに思い出す。ごく普通に東京で生まれ育った僕らに見えなかった景色を地方からやってきた青年が克明に描き出す。
主人公久雄は、上京初日に東京芸術大学にすすんだ平野という友人を訪ねる。文京区西片町に下宿していた。水道橋駅から都営地下鉄6号線(三田線と呼ばれるようになったのはその年の7月だ)に乗って、白山駅で下車する。東大大学院生だった島崎国男のプロトタイプかもしれない。
上京した人が描く東京は、目新しいテーマではないだろうけれど、この時代の東京を描いてくれたことはたいへんうれしい。
1978年は、1978年の匂いを持っているのだ。

2020年1月24日金曜日

獅子文六『やっさもっさ』

子どもの頃、磯子に住む親戚を訪ねた。帰り途、父の運転するクルマで丘陵地を抜けた。西日を浴びた緑色の路面電車が繁華街を走っていた。伊勢佐木町辺りだっただろうか。記憶に残る数少ない横浜の風景である。
大学生の頃の指導教官が横浜に住んでいた。1982年だったか、新年会を催すとのことで、卒論指導を受けていた学生や院生、卒業生らが集まった。中区山元町。横浜駅ないしは桜木町駅から根岸方面へバスの便があると聞いていたが、地図を頼りに石川町駅から歩いた。川沿いを歩いて、地蔵坂を登る。坂道はやがて山手本通りに合流し、そのまままっすぐ400メートルほどでめざす先生の家に着く。
ところが現実はそうはいかない。坂道の途中には道幅の狭い脇道があり、石段があったりする。魅惑的な小道についつい引き込まれる。七転八倒、余計なまわり道の末、ようやく山元町にたどり着いた。
山元町と隣接した大平町、その交差点近くに曹洞宗の寺がある。義母の実家の菩提寺である。墓所は根岸の共同墓地で、米軍住宅に隣接している。根岸の競馬場跡が見える。葬儀や法事で何度か訪れている。その度に石川町駅から山元町まで歩いた冬の日を思い出す。
山元町から横浜駅根岸通をさらに進んだ辺り、競馬場跡と米軍キャンプの跡地が公園になっている。高台にあって見晴らしがいい。海が見える。本牧辺りだろうか。
根岸を起点にして、元町や関内、伊勢佐木町などを歩いてみるのもおもしろそうだ。山手に住んでいた山本周五郎が根岸の山を越えて、横浜橋で蕎麦を食べていたと何かの本で読んだ。横浜には横浜の歴史があり、東京の下町とは少し違うけれど、魅力に富んでいる。
澁谷實監督「やっさもっさ」を昨年観て、原作も読んでみたくなった。C書房の川口洋次郎に問い合せたところ、12月刊行予定と聞いた。崎陽軒とタイアップした限定版の装丁なども含め、話題の一冊となった。
この本を片手に横浜散策するのも悪くない。

2020年1月20日月曜日

瀬尾まいこ『図書館の神様』

2020年の全日本卓球選手権男女シングルスは、東京オリンピック代表が相次いで敗れた。
男子決勝では一昨年の覇者張本智和が、3連覇をねらう伊藤美誠が女子準決勝で敗退。女子はここ数年、伊藤、平野美宇、今回優勝の早田ひななど実力が拮抗した若手が台頭している。男子は水谷隼が06年から18年までに10回優勝(準優勝3回)しており、絶対王者の感があった。
かつて、男子では斎藤清がシングルスで8度優勝を飾ったことがある。80年代も絶対王者の時代だった。一昨年、当時14歳の張本智和が決勝で水谷を退け、しばらくは張本時代が続くものと思っていた。卓球界はいよいよ戦国時代に突入したのかもしれない。男子優勝の宇田幸矢もさることながら、準決勝で張本に敗れた戸上隼輔(インターハイ2連覇)は、これまでにないパワーの持ち主で、打倒中国に向けて新戦力登場といった印象だ。
50~60年代、卓球日本として世界にその名をとどろかせていた時代、荻村伊智朗が日本のエースだった。荻村は国際卓球連盟会長として卓球による親善外交や競技の普及、イメージアップに尽力した人としても知られているが、男子シングルスで世界選手権を2度、団体で5度制覇している。ところが全日本卓球選手権大会男子シングルスにおいて荻村は一度しか優勝していない。これは荻村伊智朗が国内の選手に弱かったということではなく、当時の日本卓球がハイレベルだったことを物語ってはいないだろうか。高いレベルで切磋琢磨していた時代といってもいいだろう。
絶対王者の時代から群雄割拠の時代へ。テレビで男女シングルスの試合を見て、日本の卓球に希望が持ててきた。
はじめて読む作家である。どろどろしてそうでいてピュアな空気が漂う。静かな映画を観ているような気分。今風の清々しい小説だ。
ところで、ここしばらく卓球の神様は、中国に居ついているが、そろそろに日本にもやってくるかもしれない。