2010年1月28日木曜日

なかにし礼『兄弟』

なかにし礼は以前は好きじゃなかったが、教育テレビのある番組以降好きになった。
この本は彼が作家デビューを果たした自伝的長編である。戦争体験を捨て切れずいつまでも世の中に浮遊しているだけの実兄と筆者の葛藤、義絶がリアルに描かれている。実際にテレビドラマ化されたせいもあって、ややもすればドラマのシナリオ的なストーリー展開ではあるけれども、作詩家として、ヒットメーカーとして名をなした作者の若さが垣間見える名作だと思う。
それにしてもあれだけの借金を返済したなかにし礼はやはりすごい才能の持主である。それだけ借金を重ねた兄の才覚、人格もそれに劣らずものすごい。この作品に描かれているのはどうしようもない兄を拒絶した弟の強さ、偉大さより、そんな兄を心の奥で許し続けてきた弟の愛なのではないか。そんな気がした。
かつて作者の住んでいた大井町や品川区豊町のあたりも最近ではすっかり様変わりした。大井町駅から西側に連なる商店街から東急大井町線の下神明駅に続くガード下の細い道も広い車道になって、以前多く見られた一杯飲み屋のような店も減った。ところどころに昭和の匂いのする木造住宅がなかにし礼の落し物のように点在するのみである。


2010年1月24日日曜日

内田樹『日本辺境論』

毎月第4土曜日は午前午後で区内の体育館をはしごする。たかが卓球と侮るなかれ。さすがに疲れる。
そういえば先週は日本選手権を観にいった。男子シングルスのベスト16までを生で観戦した。お目当ての選手は吉田海偉、韓陽などペンホルダーの選手たち。結果的には水谷圧勝の4連覇だったが、その水谷を破って少年時代、カデットという中学2年以下の大会でチャンピオンになった早稲田の笠原に今年は密かに期待していた。残念ながら5回戦で韓陽に破れ、ベスト32。スピードとテクニックでは学生ではトップレベルだと思うのだが。
さて、日本を論じた本は数多あるが、“辺境”とネーミングしたところにこの本の勝利がある。よく日本論としてキーワードとなる“島国”とも違うし、ヨーロッパ・非ヨーロッパを峻別する“中心と周縁”とも異なる。なんとも目新しい切り口である。著者も言っているように内容的に新しいことを述べているわけではないにもかかわらず。
うう、腰が痛い…。



2010年1月18日月曜日

大江健三郎『水死』

ときどき夢を見る。
昔から夢を見ることはあったが、たいていの夢は目が醒めるとすぐに忘れてしまうか、内容を表現できないことがほとんどだった。最近、夢が記憶に残っているのは同じような夢を何度も見ているせいでその蓄積を記憶しているのかもしれない。
旅に出る夢が多い。突然、出張を命じられてとか、思い立ってアメリカに行くことになり、スーツケースを下げて空港に行く。空港近くに遊園地があって、大きな観覧車がまわっている。空港に着くとスーツケースもろともダストシュートのようなトンネル内の斜面を滑らされ、気がつくと機内の人になっている。あるいはブルートレインでどこかに出かける用事ができる。どんな用事かはわからないけれど用事があるのだから“阿房”な旅ではない。乗るのはほとんどいつも3段式のB寝台の最上段で天井が迫っているぶんものすごく圧迫感がある。で、どこに着いたもわからぬうちに眠ってしまうか目が醒める。不思議なものだ。

大江健三郎は洪水の月夜にひとりボートを漕ぎ出して水死する父親の夢をよく見ていたそうだ。
『水死』は『万延元年のフットボール』や『洪水はわが魂に及び』などにつながる四国の谷が舞台。これまでの翻訳調の文体ではなく、短く平明な文章で語られているのが新鮮だった。
ぼくの母も大江健三郎とほぼ同じ世代で、ふたつの昭和を生きてきた。戦争の時代と復興・平和・繁栄の昭和と。かつて当たり前のようにいて、昭和という激動の時代を支えていた人たちも今となっては高齢化社会の主役として少数派になりつつあるのだなと思った。

2010年1月13日水曜日

内田百閒『第二阿房列車』

先月、ラバーを換えた。
卓球のラケットに貼るラバーのことである。
自覚はしているのだが、フォアハンドがぼくの場合、弱い(じゃあ、バックハンドは強いのかといえばそうではなく、ただ卓球の基本技術としてのフォア打ちがまだまだしっかりできていないということなのだが)。そのことを近所の酒屋のご主人にして全日本選手権にも出場したことのあるTさんに相談したら、できるだけ弾まないラケットとラバーでしっかり振り切る練習をすればいいと言われた。そこで先月から弾まないラバーを使っている。
弾まないラバーは卓球用品の分類でいうと“コントロール系ラバー”と呼ばれ、今世界のトップ選手が使っている“ハイテンションラバー”とかかつて一世風靡した“高弾性高摩擦ラバー”とは区別される地味な商品群である。たいていお店ですすめられるのは上級者ならハイテンション、初心者でも高弾性高摩擦で、店員のフレーズとしては「こっちの方が“のび”が違います」だの「ドライブがよくかかります」だのだったりする。
まあ、それでも弾まないラバーで練習した方がいいと言われたのだから、そんなよさげなラバーには見向きもせず、やや旧式とも思えるコントロール系にしたのである。
で、肝心のフォア打ちはどうなったかというと、ラバーが弾まなくなったのは打っていてわかるが、うまくなったかどうかまではわからない。たぶん、たいしてうまくなってはいないのだろう。

『第一阿房列車』がおもしろかったものだから、ついつい『第二阿房列車』にも乗ってしまった。
こんどはいずれもけっこうな長旅である。用事が無いわりにはたくさん飲んで、たまに温泉に浸かって、記録的な豪雨とニアミスするなど相変わらずのくそおやじぶりを発揮している。

>早からず遅からず、丁度いい工合に出て来ると云うのは中中六ずかしいが、
>遅過ぎて乗り遅れたら萬事休する。早過ぎて、居所がない方が安全である。
>しかしこう云う来方を、利口な人は余りしないと云う事を知っている。汽車に
>乗り遅れる方の側に、利口な人が多い。

と、まあなかなか真理をついていて、楽しい旅である。
ここまでいっしょに旅をするともう一冊付き合いたくなる。同乗者はヒマラヤ山系氏だけではない。


2010年1月8日金曜日

寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』

冬のスポーツといえば、サッカー、ラグビー、駅伝、もちろんスキー、スケートなどウィンタースポーツもそうだ。
以前、某名門大学ラグビー部のグランド近くに住んでいて、練習試合をよく観にいった。コートサイドで観るラグビーはどこまでも広く、逆サイドで行われているプレーがよくわからない。レフェリーのアクションだけが頼りである。もちろん目の前でのスクラムやタックル、ラックなどは迫力はじゅうぶんなのだが、トータルでいえば、ラグビーはテレビで観戦するのが“ちょうどいい”。

寺山修司はぼくたちの世代にはちょっと古い。
というか、ぼくたちが1960年代の青く熱い日本を知らないということだけなのだが。
著者は日本の日陰部分を掘り起こす天才である、というのが読後の第一印象。高度成長期とは裏を返せば、未成熟な社会ということ。そんな若き日の日本が生んだ強いコントラストの、その影の部分を思い切りのいい言葉で紡いでいる本だと思った。

それにしても東福岡は強かった。桐蔭も高校ラグビーとしてはかなり水準の高いチームと思うが、決定力の差はいかんともしがたかったようだ。


2010年1月4日月曜日

大江健三郎「空の怪物アグイー」

謹賀新年。

今日3日は区の体育館が無料開放されるということで午前中ラケットを振ってきた。年が変われば多少はましになるかとも思ったが、相変わらずのものは相変わらずだ。年が明けだけで上達するのなら、ご高齢の方々はもっと上手くなっているはずだ。
体育館全面に卓球台を配置して、クロスで4人で打ち合ったり、ダブルスのゲーム練習をしたりしていてもなお人が余るという盛況ぶりで、この体育館を見る限り、わが国はまだまだ卓球王国なのだと思う。
今年最初に読んだのは大江健三郎の比較的初期の短編。
先日買った『水死』という小説を読むにあたり、なにせ久しぶりの大江健三郎なので少し肩慣らしのつもりでなにか読もうと思っていたところ、娘が学校で使用している現代文のテキストに全文が取り上げられているということでわざわざ書棚の奥から新潮社版の全作品を引っ張り出すことなく(といってもたいした手間ではないのであるが)読むことができた。
へえ、こんな話だったっけ。30年以上前に読んだ本がいかに記憶にとどまっていないかがよくわかった。ところどころ村上春樹的な比喩を用いる人だったのだ、この作家は、とも思った。逆だ。村上春樹が大江健三郎的なのだ、順番としては。
最後の交通事故の場所は晴海通りと新大橋通りの交差点だろうか。場内の幸軒でラーメンが食べたくなった。茶碗カレーかシューマイ2個を添えて。

今年もよろしくお願いいたします。