2019年12月23日月曜日

太宰治『津軽』(再読)

先月、中学時代の同期会があった。
幹事の石羽紫史(もちろん仮名)から案内をもらって、出席するつもりでいたが、返信欄に書くかっこいい文章が思い浮かばず、ほったらかしにしていた。しばらくして彼女から催促のメッセージが届いていた。
数年前にもいちど同期会があり、たまたまその日石羽と会って半ば強引に連れていかれた。それ以来である。中学も小学校も入った年にいつも石羽紫史は隣の席だった。しっかり者の女子は苦手だが、好きだ、当時から。石羽に声をかけられると断りきれない。
高校は別々だったが、3年生になって(もう部活も引退し、人並みに受験勉強に明け暮れていた頃)、何度か大井町の駅の近くやその近くの図書館で石羽と出くわすことがあった。ちょっとときめいたりした。こんど会ったら初恋の人になってくれないかって告白してみようかなと思う。
大井町の居酒屋には20人くらいが集まった。見覚えのある人もいるし、名前を聞いて思い出す人、名前を聞いてもまったく思い出せない人もいる。小学校がいっしょだったりするとすぐに思い出せるが、中学の3年間でクラスも違って、部活でも接点がなかったりすると思い出しようもない。
どうしても思い出せない女子がいた。あの人だれ?とこっそり聞いてみる。佐伯先生よ、という。同級生ではなく、全共闘で安田講堂の屋上から火炎瓶を投げていた保健体育の佐伯英子先生だった。
太宰治でも読んでみようかと思ったとき、たまには別の本をと思いながら、いつも手にしてしまうのが『津軽』である。読むたびに最後、泣く。
石羽に誘われて二次会はカラオケ(やはり断りきれず)。深夜に終わって、終電もない。実家に泊まることにした。俺もそっちの方だから途中までいっしょに行こうぜと同期生のひとりに声をかけられる。小雨の降るなか歩き出す。たまにこうして集まるのもいいもんだな、なんてしゃべりながら。
が、やつの名前がいまだに思い出せないでいる。

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