2015年11月4日水曜日

吉村昭『間宮林蔵』

日本史は嫌いじゃなかった。
そもそも歴史みたいに過去をひもといていく作業が好きだった。
幼少の頃、毎月母親に買ってもらっていた漫画雑誌は『少年』だった。その後『少年画報』に鞍替えした。『少年』時代はおそらく就学前で字もろくすっぽ読めなかった。「鉄人28号」と「鉄腕アトム」を眺めているうちに読めるようになった。たぶん、そうだ。
『少年画報』にしたのはチェリッシュの、白いギターに替えたのはなにかわけでもあるのでしょうかじゃないけれど、おそらく理由があったはずで、残念ながらまったく記憶がない。付録が豪華だったとかそんなことじゃないかと思っている。この鞍替え後、まずやったのは気に入った連載漫画のその前はどんな内容だったかをさぐることだった。
こうして古本屋めぐりがはじまった。9月号を見つけると次は8月号を見つけ、7月号を見つけ…と順番を逆にして読んでいったのだ。
ところが当時は本誌と小冊子の付録にわかれている連載がいくつかあり、本誌のバックナンバーを追いかけるだけでは過去をたどりきれない。それでも縁日やお祭りの夜店で付録冊子を見つけては、綿菓子や金魚なんぞはそっちのけで買い漁ったものだ。
それと歴史好きとはあまり関係はないのかもしれない。
間宮林蔵は間宮海峡を発見した人くらいの知識しかない。風雪流れ旅のような、南極物語のような過酷な冒険がそこにあったとは知る由もなかった。それとシーボルト事件とのかかわりも。
この本を読んでいたのは猛暑の続く8月中ごろ。一服の清涼剤どころか、汗をかきながら凍えるような心持だった。
読み終わって少したって、江東区塩浜に出かける用事があった。残暑の厳しい日、月島から相生橋を渡り、越中島を経て塩浜まで歩く。ふと、そういえば富岡八幡宮に間宮林蔵の銅像があったなと思い出し、その帰り途、門前仲町まで歩いた。
人間の記憶なんて、いい加減なものだなあ、間宮林蔵ではなく、伊能忠敬だった。