2016年7月24日日曜日

岸本 佐知子,三浦 しをん,吉田 篤弘,吉田 浩美『『罪と罰』を読まない』

本との出会いは偶然によるところが大きいと思う。
どんな名著だって、それを読むきっかけや機会が得られなければ、永遠に読まないことになるだろう。『オッデュセイア』だって『神曲』だって『失われた時を求めて』だって、チャンスに恵まれた人が読み切ったのだ。そして僕はそうした機会に出会うことがなかった。
ドストエフスキーもおそらく、ほとんど興味関心のない小説家だった。そもそもロシア文学に興味がなかった。さらに「そもそも」を繰り返せば、ロシアに関心がなかった。特に若い頃はフランスとアメリカにしか興味がなかった。
村上春樹が人生で巡り会った重要な三冊というのがある。『グレート・ギャツビー』、『カラマーゾフの兄弟』、『ロング・グッドバイ』だ。やれやれ、ロシア文学が入っているじゃないか。
そう思っていた矢先、光文社の古典新訳シリーズという文庫で『罪と罰』が出ていることを知る。これまでの重厚な翻訳と異なり、読みやすいという(亀山郁夫訳の古典新訳に関しては賛否両論であくまで重厚古典的翻訳を重んじる人は多いそうだけど)。もちろん『カラマーゾフ』から読むという選択肢もあったけど、少しでも短いほうがいいかと思ったので読んでみることにした。
これが僕と『罪と罰』との出会いだった。
この名著と出会えなかった4人が集まって、いったいどんな物語なのかをいい加減に推測しながら対談するというのがこの本である。その企画だけでじゅうぶんおもしろい。でもさすがに皆さん作家だけあって、あまり極端に的外れなことは言わない。ちょっとずれてたりする。それがおかしい。
それにしても文学少女、文学青年であった4人がドストエフスキーを読んでいなかったというのがなんといっても『罪と罰』に対する敷居を低くしてくれる。この大作にチャレンジしたくなる、そんなきっかけを与えてくれる一冊だ。読むきっかけや機会が得られなかった作家たちを通じて、今回チャンスを得た読者もきっと多いことだろう。

2016年7月21日木曜日

横山秀夫『64』

7月。ふたたび長崎波佐見町を訪れる。
水神宮に奉納される天井画の落成式が行われる。その様子を撮影しに行ったのである。
天井画そのものは6月、銀座アートホールというギャラリーで公開された。今回、天井画の創作にあたった画柳会という同人が毎年この時期、展覧会をひらく。中央に男神、女神の大きな2枚の絵。そのまわりを思い思いに描かれた48枚の天井画が飾る。なかなか勇壮である。
この展示を終えて、天井画は長崎に送られた。波佐見町では地元の総代で大工の里山一郎さんが待っている。一週間かけて、一枚一枚をはめ込んでいく。最後の一枚を落成式前日、つまり僕たちが到着した後、はめ込んでもらう予定だと聞いていた。作業風景を撮影させてもらうためだ。ところが空港からレンタカーで水神宮に駆けつけると、天井画は一枚の漏れもなくはめ込まれていた。人づてに聞いた予定なんて、まったく当てにできない。完成した天井画を撮影して、明日の落成式でどこから撮影するか、カメラの置き場所や段取りを打ち合わせして撤収。ありあまった午後の時間は波佐見町の風景を撮ることに費やした。
以前から見てみたかった鬼木郷の棚田や4月にじゅうぶんに見ることができなかった中尾山の窯元などを見てまわり、旧波佐見町立中央小学校の講堂兼公会堂を見に行く。この建物は昭和12年旧波佐見高等尋常小学校の講堂として建てられ、平成22年に国の登録有形文化財に指定された。内部も改装され、きれいなホールになっているらしいが、あいにくその日は見ることができなかった。小学校は移設されているが、この跡地には卒業生たちがつくった陶磁器の絵や校歌を記した碑など長年にわたって積み重ねられてきた思い出が随所に見られる。まさに小学校の遺跡だ。
横山秀夫は以前『クライマーズハイ』を読んだが、『64』もいいと聞いて、読んでみた。映画化もされ、小説とは違ったおもしろさがあるという。今度観てみようかな。

2016年7月13日水曜日

吉村昭『ニコライ遭難』


4月、長崎県東彼杵郡波佐見町を訪ねた。考えてみると沖縄には行ったことがあるが、九州に行ったのははじめてである。
波佐見町はひろく海に面した長崎県にあって唯一海岸線を持たない町だという。内陸に位置し、お隣佐賀県の有田市にも近い。そして有田同様やきものの町である。有田焼、伊万里焼ほどの知名度はないかもしれないが、この町の特産は波佐見焼という陶磁器だ。
やきものの中心地は中尾山(なかおやま)という地域。古くから窯が多く、煉瓦造りの煙突がところどころ残っている。ろくろや絵付けなど陶芸体験を楽しみにやってくる観光客も多いという。
中尾山から川棚川の流れに沿うように西に向かうと長野郷という郷にたどり着く。川沿いからさらに西へ上っていくと小さな社がある。水神宮という。その名のとおり、水の神様を祀っている。
社殿に天井画を奉納するという。聞けば、宮司の親戚の同級生で仏教画家の中田恭子さんが九州の復興や子どもたちの未来のために祈りを込めて描いた絵を後世に遺したいということで同人である画柳会のメンバーとこの取組みに参加したのだそうだ。
4月の時点でもちろん天井画は完成していない。それぞれの画家たちが趣向を凝らして、その準備に追われていた。ちょっと興味深く思えたので東京に戻ったら、天井画を描かれている方々にお会いしてみたいと思った。
往復の飛行機のなかで吉村昭の『ニコライ遭難』を読みはじめた。いわゆる大津事件を題材にした力作である。
ニコライ二世が長崎に到着したのが1891年4月。正式に訪日する以外にもお忍びで上陸し、長崎の町を楽しんだという。まったくもってうらやましい話だ(その点僕は2日間の長崎滞在で市内にいたのはほんの2時間ばかり)。
皇太子は有田焼の花瓶や茶器が気に入って出島で買いこんだらしい。どうせなら波佐見にも来ればよかったのに。波佐見焼もさることながら、風景だってとってもいいんだから。