吉村昭の小説を読んでいるとときどき姿をあらわすのが高野長英である。いよいよ気になり出したので、『長英逃亡』を読んでみる。
『遠い日の戦争』を読んだときも感じたのだが、逃亡ものは読んでいてハラハラドキドキしてしまう。夜道を歩いていてもつい誰かに尾行されてはいまいかと気になったりもする。テレビ番組のバラエティでテーマパークなどのなかを一定時間逃げ切ると賞金がもらえるという企画をたまに見るが、長英の逃亡劇は全国を股にかけた壮大なドラマである。
もちろん江戸時代の話だから鉄道も車もなく、電話もパソコンも当然ない(むしろコミュニケーション手段があったほうが逃げづらいだろうけど)。ひたすら歩いていくのである。牢破りをした当初は仙台の親分とその子分米吉に助けられ、奥州水沢で母との再会も果たす。このあたりは息詰まる逃亡劇の中で心ふるわせる感動的なシーンだ。この時代から社会には表と裏があった。裏の道をたどることで張りめぐらされた追手たちの網を避けて通ることができたのだ(それでもハラハラドキドキはするんだけど)。
とにかく捕まったら極刑が待っている。逃亡に加担したものたちも重罪だ。長英の逃亡直後に彼を獄に送り込んだ鳥居耀蔵が失脚する。それまで釈放の望みは皆無だったが、情勢が一変する。何も死罪の危険を犯してまで破獄する必要があったのか。こうした運不運も逃亡の精神的環境に微妙に影響を与えているだろう。
名を変え、先進的な藩主伊達宗城の庇護を受けながら逃げ続けた長英であるが、時の経過とともに追跡者の手は緩んでくるように見える(米吉の工作により、長英は蝦夷に向かい、そこからロシアに逃げたとまことしやかにささやかれていたのだという)。大胆にも長英は江戸に戻る。薬品で顔を焼き、人相を変える。青山で生活のため医者をはじめる。
江戸で待っていたのは遠山金四郎だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿