2007年12月10日月曜日

福岡伸一『生物と無生物のあいだ』

高校に入って最初の試験で生物はマイナス14点だった。変な先生で正解するとプラスになるだけの問題と間違えるとマイナスされる問題があって、そもそも授業なんて難解すぎてただでさえ聴いていないものだから、そういうしくみのテストだということさえ知らずに受けた。いきなりのマイナスにショックは受けたが、後で方々から聞いてみるとマイナス28点のやつがいて、少しほっとした思い出がある。
その先生は教科書はいっさい使わず、やれ光合成のメカニズムはどうだこうだとか細胞の中を物質はどう行き来するかということだけ毎週話していた(とはいえ、こちらもあまり聴いていなかったから正確なところはわからない)。翌年、郊外にできた新設の都立高に転勤したが、赴任先でもおなじような授業をやっていたらしい。十数年後、その学校の卒業生と知り合いになって、そんな話題になった。
この本がおもしろいと思ったのは文章や構成のうまさのせいだろうと思う。野口英世は忘れられた存在であるとか、次節への持っていきかたなど絶えず読み手との距離を保っている。もちろんタンパク質がどうのこうのしてというのはぼくなんぞには難しくてわからないことも多いが、多少突き放されても、また文章に引き込んでくれるので苦になる本ではない。テストをされてもマイナスにはならない自信はある。

2007年8月20日月曜日

辻啓一『フランスの「美しい村」を訪ねて』

NHKのラジオフランス語講座のテキストの巻頭に続・「フランスのちょっと気になる町・寄ってみたい村」というカラーページが連載されている。旅行ガイドではなかなか取り上げられないような「渋い」地方の集落が毎号紹介されているのだが、これがなんとも旅情をそそる。たいていは旅行者にとって不便なところにあって、ぼくみたいに車で25メートルも走れない者にはどうやってたどり着いたらいいのか皆目見当の着かない町や村なのだ。前回南仏を訪れたときもそれなりに小さな町をまわったつもりだが、著者の紹介する美しい村は、その比じゃないように思える。
著者は一橋を出て、日本企業の駐在員として渡仏し、そのまま居着いてしまったようだが、「ぼく」を「ボク」と表記するのはいかがなものかとは思うものの、文章も簡潔にして流麗で、美しい村のシズルを巧みに伝えている。
もともとは『マリ・クレール・ジャポン』に連載されたもので、ラ・ロッシュ・ギヨン、ジェルブロワ、リヨンス・ラ・フォレ、リックヴィール、ミッテルベルカイム、サン・キラン、ノワイエール・シュル・スラン、ヴェズレー、シャトーヌフ、ペム、シャルー、ゴルド、ラ・ガルド・アデマール、ペルージュ、モンブラン・レ・バン、セギュレ、ミルマンド、コロンジュ・ラ・ルージュ、カレンナック、ラカペル・マリヴァル、モンパジエ、モンフランカン、オーヴィラー、ソーヴテール・ドゥ・ルエルグ、コンク、サレールの計26の村が紹介されている。そしてこれらの村は『フランスの最も美しい村々 Les Plus Beaux Villages de France 』というアソシエーションの厳しい条件をクリアしているという。どこかの美しい国とは全然違うわけだ。
この美しい村々は2003年時点で144あるそうだ。中には鉄道とバスで行けるところもあるに違いない。

2007年8月18日土曜日

昭和の広告展

アド・ミュージアム東京で開催されている昭和の広告展を見る。
一連の構造改革で格差社会の到来といわれ、その是正が政治的なテーマになっている。そんな目線で昭和初期の広告をながめていると広告は、消費を刺激し、商業を活発化するだけではなく、都市文化を地方に伝えていく、拡げていくという貴重な役割を負っていたことが実によくわかる。やがて戦争を迎え、広告も冬の時代を迎えるのだが、その復興とともに、新たな表現技術を身につけていく広告コミュニケーションの生命力をも俯瞰して見ることができるのがこの企画展の素晴らしいところだ。
よく広告は時代を映す鏡だといわれるが、たしかにその通り。昭和モダンの時代には豊かさと繁栄を誇示し、戦時体制では時の権力にひれ伏し、復興期には希望を与える。広告はリモコンで動くロボットのようなもので、その作り手、受け手に応じて変幻自在に姿かたちを変える。
実はそれが広告制作の難しいところでぼくたちは日頃どうやって今という時代を、あるいはほんの少しだけ先の生活を描いていこうかと四苦八苦しているわけだ。そういった意味からすれば、昭和の広告も平成の広告もその生まれいずるエネルギーは同一のものなのであり、歴史を振り返って見るとき、そこには何がしかの原点ともいうべき基礎を垣間見ることができるのだと考える。


2007年8月10日金曜日

関根眞一『となりのクレーマー』

梅雨明けとともに猛暑がやってきた。
先週は日本情報処理開発協会主催の個人情報保護のための管理者養成研修に行った。まる二日間講義を聴き、最後にテストがある。75点以上とらないと修了証がもらえないということで少なからず緊張した。
関根眞一著『となりのクレーマー』を読む。某新聞で売れてる新書として取り上げられていたのと、その記事中に横手拓治編集長という高校の同級生の名前を見つけたのが読因である。
まあ、なんてことない実務時代の経験まとめました本というところで、それが苦情ではなくクレームで切り取ったところにおもしろさがあるんだろう。著者自ら冒頭で「クレームは宝の山」と称しているように接客業に携わってきた者にとってクレームは自分たちだけでは気づかない世界を気づかせてくれる貴重な意見なのだ。
それでもちょっと実例が多すぎ。実例は多いほうがいいんだけど、第2章の「苦情社会がやってきた」というところでもっと「苦情学」と呼べるくらいの深い洞察が欲しかったなと思う。で、結局最後はクレーム対応のテクニックだもんね。クレームから見た現代、クレームから見た戦後史、クレームから見た人類史と今後さらにクレームと人間社会との接点をえぐって欲しいものだ。
でもって、研修の修了証は昨日無事届いた。


2007年7月19日木曜日

第60回広告電通賞展

汐留アドミュージアム東京。

アド・ミュージアム東京で開催されている第60回広告電通賞展に行く。
今年の総合広告電通賞は角瓶の新聞広告、響のポスターで広告電通賞、オールドのラジオCM、TVCMで最優秀賞を獲得したサントリー。優秀賞にも名を連ねた缶コーヒーBOSSや黒烏龍茶も含め、トータルで資生堂や松下電器産業を上回った形だ。
電通賞は古い歴史を持つだけでなく、新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、セールスプロモーションはもちろんのことインターネット部門や公共広告部門、地域部門と広告表現のあらゆる側面からこの1年を見渡せる貴重な賞である。広告制作に携わる人が審査にあたる広告賞とちがって、表現技術だけにかたよらない姿勢が思わぬ発見をさせてくれることもある。
たとえばテレビ部門の広告電通賞はリクルートのリクナビ、山田悠子の就職活動篇で、これはTCC賞にも選ばれているCMであるのだが、他の、エステWAMやコナミのウィンイングイレブン、高橋酒造白岳のような国際的にも評価を受けたCMを凌いで受賞している。もちろんややもすればサントリー、資生堂、松下など大広告主に高い評価を与える傾向は否めないものの、広告表現や企画力だけでなく、表現の送り手である媒体関係者や受け手である消費者の視点、さらには広告の社会的な役割などについて総合的に評価を下しているのがこの広告賞の素晴らしい点で、広告の可能性、広告表現の可能性をきわめて良心的に評価していく場なのだと思う。

去年も天候に恵まれ、いい広告がたくさんできました、みんなでひとつひとつ見て、明日のぼくたちの糧としましょうというメッセージが会場から伝わってくる日本で唯一の広告賞といっても過言ではないだろう。


2007年7月13日金曜日

恩田陸『図書室の海』

今日は仕事で早朝の新幹線で神戸に行った。神戸には1979年クラブカップ優勝大会というバレーボールの試合でいちど訪れたことがある。新神戸駅に降りるのはそれ以来。

南仏に行くときの話。
フランクフルト経由でニースまで。13時間以上の旅。ところが前日になって飛行機の中で読む本がない。どうしようかと思ってたら、長女がおすすめと称して何冊か文庫本を持ってきた。そのなかの一冊が恩田陸の『図書室の海』。
ミステリアスな短編が脈絡なく続き、ふだんこの手の本を読みなれないせいかなかなか先に進まず、それはそれで時間つぶしになってよかったんだが、聞くところによると著者の長編を読んでいるとおもしろいらしい。たとえば「図書室の海」は『六番目の小夜子』の番外編、「ピクニックの準備」は『夜のピクニック』の予告編なんだそうだ。
これらを読んだらもう一度読んでみるとするか。

というわけで新幹線の中でようやく読み終えたわけです。


2007年7月10日火曜日

6月24日フランクフルト経由成田へ

今回の旅は大きくいえばプロバンスの世界遺産めぐり。広告祭にかこつけて思う存分歩きまわるつもりだったんだけど、現実はなかなかそうもいきません。適度に観光、適度に視察といったよくいえばバランスのとれた旅、悪くいえば中途半端な旅。それでもまずまず楽しめたと思います。
欲をいえばきりがありませんが、それはまた次の機会にということで。今度はニーム、ポン・ドュ・ガール、リヨンあたりまで足をのばしてみたいし、今回行きたかったけれど行けなかったヴァンス、サンポール、エズなど行きたいところは山ほどあります。次回はツアーではなく、個人旅行で訪れたいとも思いますし。
そんなことを考えながら、フランクフルトを経由して無事成田までたどりつきました。

6月23日カンヌ国際広告祭


夕方から表彰式がはじまりました。グランプリはUNILEVER,DOVE SELF ESTEEM FUNDの
EVOLUTIONというフィルム。

近頃のお化粧ってどうよっていうメッセージ。ちょっと頭のいいコミュニケーションだなって感じです。




表彰式終了後はビーチでパーティ。ものすごい混雑ぶりです。明朝のフライトがはやいので本日ははやめに退散。ホテルに帰って荷づくりです。

6月22日カンヌ国際広告祭


さてカンヌ国際広告祭ですが、フィルム部門(テレビCM)のショートリスト(予選通過作品)が発表になり、まる1日かけて全作品を観ました。さすがに1日中会場にいると効きすぎた冷房に体調を崩す人もいるようです。
街ではリゾート客にまじって世界の広告制作者が明日最終日に発表されるフィルム部門のグランプリについてあれこれ議論しています。もちろん何を話しているかなんて聞き取れませんが、たぶんそんな話をしてるんじゃないかと思うわけです。

6月21日ヴァロリス

カンヌ駅前のバスターミナルから20分ほどの場所にあるヴァロリスに行ってきました。

晩年ピカソが訪れ、ここで陶芸に目覚めたといわれています。バス停近くの小さな広場にはピカソのつくったブロンズ像があり、ピカソ美術館もあります。バスから見えるカンヌの街や地中海の風景もなかなかです。
午後はふたたびニースに向かいました。これは主におみやげの買出しです。駅前のスポーツ用品店でサッカーフランス1部リーグマルセイユのレプリカユニフォームを買いました。

2007年7月9日月曜日

6月20日グラース

二日間遠出をしたこともあり、今日は近場でのんびり過ごすことにします。カンヌの国鉄駅のすぐ横にバスターミナルがあります。グラース行きのバスは頻繁に出ているようで、それに乗って香水の街グラースを訪れました。

グラースは皮なめしのさかんな街だったようでその匂い消しのために香水がつくられたといわれています。カンヌからバスで40分くらいでしょうか。山の斜面にある街なので陽射がカンヌやニースとはひと味違う印象です。街並みもただの石づくりというより多少黄色がかった感じでコントラストが強く感じられます。

坂道を降りたり、登ったりして、旧市街の広場やステンドグラスがきれいなノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂教会、香水工場を見て、お昼を食べて帰ってきました。カンヌから離れると多少物価も安いみたいです。

6月19日アルル~フォンヴィエイユ~マルセイユ(2)

アルル発13時48分マルセイユ行き。
この列車を逃すと今回の旅でマルセイユに立ち寄ることはできません。やはり14時~16時という時間帯は列車の本数が著しく少なくなるのです。次に来る列車は17時。マルセイユで乗り換えて、カンヌに20時過ぎに着くほぼ最終列車です。
駅に着いて次の列車の時刻を確認しようと思ったら、なんとマルセイユ行きが30分遅れ。助かりました。この旅、思いのほかついています。
列車は30分以上遅れてアルル駅に到着。40分ほどでマルセイユに到着しました。

夜9時過ぎても明るい南仏は15時から17時くらいの西日がいちばん暑く感じられます。マルセイユに到着したのがちょうどその灼熱の時間帯。方々歩き回った疲れもあって、軽く散策するにとどめることにしました。
まずはどこに行ってもお決まりの駅舎の撮影。着いたらすぐに駅の写真を撮っておくと後で写真を整理するときに便利です。マルセイユ駅は少し小高い場所にあるので、まずその見晴らしにびっくりします。そして遠くにノートルダム・ド・ラ・ギャルド大聖堂が見えます。これが今回の旅の最後の世界遺産です。

とにかく暑いので旧港あたりを歩いて、石鹸のお店を見たりするも力尽き、凱旋門を見て再び駅に戻り、ビール休憩。
帰りの列車は18時1分発。自動販売機で切符を買って待っていたら、またもや30分遅れの表示。どうやら後で聞いた話ではモナコでストライキがはじまって、その影響もあったとか。ビールを飲みながらぼんやり切符をながめているとどこかおかしい。カンヌからアビニョンTGVまでひとり40ユーロくらいだったのに、帰りのマルセイユ~カンヌが3人で30ユーロちょっと。よくよく見るとクーポンを持っている人用の切符らしい。一応ちゃんとした切符に変えてもらおうと切符売り場に並ぶも長蛇の列がなかなか前に進まない。そうこうするうちに遅れた列車がやってきたのでそのまま乗ることに。
検札が来たら、罰金とられるかもと思うと憂鬱で、しかもフランス語であれこれわからないことを言われるのも面倒なので、フォンヴィエイユのタクシーのときみたく、またまた仏作文します。《J'ai achete ce billet avec un coupon freqence. Mais je n'ai pas de coupon. Je voudrais demender l'addition, s'il vous plait. 》
念のため仏文科出身のYK氏に見せると「だけどぼくにはクーポンがない…、泣かせますねこのフレーズ」と爆笑されました。
かくしてマルセイユからカンヌまで2時間少々の旅。結局検札はあらわれず、名作文は日の目を浴びることはありませんでした。


2007年7月8日日曜日

6月19日アルル~フォンヴィエイユ~マルセイユ(1)

世界遺産の旅二日目。
前日スーパーで買い込んだパンとハムとコーヒーで朝食をすませ、駅に向かいます。めざすはアルル。案内表示通りのホームで待っていたら、どこからか列車がやってきて、ずっと止まっています。が、行き先がマルセイユ行きではありません。マルセイユ行きはいつ来るのかとどきどきしながら待っていたら、発車直前にホームの表示が変わって、マルセイユ行きに。はやく来て待っていたわりにはあわてて乗り込んで、冷や冷やものです。
アルル駅には40分ほどで到着。駅を降りて歩き出すとすぐに石造りの建造物が見え隠れし、世界遺産のにおいがぷんぷんします。

まずはお目当ての円形闘技場へ。ここも古くて大きくて石です。今でも闘牛が行われているそうです。客席のいちばん高いところから見渡すプロバンスの街並みと山並みは圧巻です。その下をローヌ川が静かに流れています。

続いて古代劇場、市庁舎、サントロフィーム教会と見て、ゴッホの絵でおなじみのカフェ・ヴァン・ゴッホへ。一応お決まりのアングルで写真を撮りました。あと共同浴場を見て、モノプリでビールを買って駅に戻りました。アルルは観光名所がまとまっているため、非常に効率よく見てまわることができます。9時過ぎに着いて、1時間半ほどの散策でした。

11時10分にフォンヴィエイユに行くバスが来ます。フォンヴィエイユにはドーデの『風車小屋だより』の舞台となった風車があります。早起きしたご褒美にとバスに乗り込みました。バスに乗って30分ほどでフォンヴィエイユに到着。降りるときに近くに座っていた老夫婦が風車小屋に行くには右に行くんだよと教えてくれました。厳密にいうとそんなに明瞭に聴きとれたわけではなく、<ムーラン>と<ドロワット>が聴きとれたのでたぶんそう言っているんだろうと推測しただけです。

バス停から歩くこと15分ほどで赤い屋根の風車小屋が見えてきました。まわりには何もありません。あるのは風車小屋だけです。圧倒される何もなさです。のどか過ぎる光景です。20分ほどぼんやり過ごして、バス停に戻りました。
さてアルルで時刻表を見たときには13時10分発のバスがあって、これに乗れば13時48分のマルセイユ行きに乗れると思っていたのですが、帰りのバス停で時刻を見ると次は14時10分となっています。ちょっとショックです。とりあえずお昼でも食べて、そのお店でタクシーを呼んでもらおうと考えました。下手にしゃべってわからなくなるより、紙に書こうということになって、《Appelez nous le taxi pour Arle, SNCF.》とメモ用紙に書いて店員に見せたら、どうやら通じたようす。後で考えると《le taxi》ではなく《un taxi》ですね。とはいえ、お昼時のせいかタクシーはなかなか来なくて、13時半ころようやく到着。チップを多めに払って店を出、タクシーでアルルに向かいました。
が、しかしアルル駅に着いたのは13時50分過ぎ。アルル駅は閑散としていました。

6月18日オランジュ~アビニョン(2)

オランジュはアビニョンサントル駅から20分ほどのところにあります。駅は小さく、また駅前も静かな佇まいです。めざすはローマ時代の古代劇場。

駅前の道を15分ほど歩くとすぐに見えてきました。巨大な石のかたまりです。35ミリのレンズでは引き尻が足りません。劇場の客席側がサントゥロップの丘と呼ばれる小高い丘になっていて、さっそく登ってみました。オランジュの街が一望できます。もちろん古代劇場も眼下に見えます。舞台の壁面にある像はアウグストゥスです。ローマの征服者たちはこうした劇場や闘技場を次々につくっていったんですね。
市庁舎や広場を見て、駅に戻ります。オランジュには古い凱旋門もあって、やはり世界遺産に登録されているのですが、ちょっと遠いこともあり、午後の残りの時間をアビニョンの観光にあてることにしたのです。
ところが駅に行く途中、時刻表を見てみると1時間半以上待たされることになります。アビニョンで泊まるホテルもさがさなければなりません。どうしたものかとしばし考え、長距離バスターミナルに向かうことにしました。もしかしたらアビニョン行きのバスがあるんじゃないかと思って。
来た道を引き返して地図を頼りにバスターミナルへ行くとアビニョン行きのバスが止まっていました。ちょうど出発するところだったのです。なんとかすべりこんで40分ほどのバスの旅。無事アビニョンに戻ることができました。

アビニョンに着いてホテル探しです。KK氏のおすすめは駅から近いホテルモンクラール。親切な日本人のスタッフがいてアパルトマンタイプの部屋を見せてくれました。キッチン付き、シャワー付きで1泊90ユーロ。3人で泊まるなら安いもんです。で、即決。部屋で少し休んで、アビニョン観光に出発しました。

まずは法王庁宮殿を見て、サン・ベネゼ橋を見て、オペラ座や市庁舎も見て…とお決まりのコース。この一帯がアビニョン歴史保存地区と呼ばれる世界遺産であります。とりわけ法王庁はその巨大さと壁面の質感に圧倒されます。

城壁の外を歩いて遠くからサン・ベネゼ橋を見てみたいと思ったのですが、あいにくの雨。城壁内をくまなく散策して、はやめの夕食をとって、本日の行程は終了としました。


6月18日オランジュ~アビニョン(1)


今回の旅行でいちばん行きたかったのが、アルルやアビニョンなどプロバンス地方の世界遺産めぐり。トーマスクックの時刻表や観光ガイドを駆使して入念に計画を立てて望んだつもりなんですが…。
アビニョンTGV行きの列車を前日のうちに購入。7時過ぎにカンヌ駅に着いてホームへ。列車を待っているとどうやら番線が変更したようす。みんなぞろぞろと移動をはじめる。遅れまいとぼくとYK氏、KK氏も移動すると、やってきました、TGV。でも待っていた列車よりも編成が長い。とりあえず乗り込んで座席指定の場所に移動しようとするもどっちにいけば何号車なのかさっぱりわかりません。そうこうするうちまあ空いてる席に座って乗務員が来るのを待つことに。で、車内のアナウンスを聞いてみるとどうやらパリ行きだと言ってます。列車番号も違う。カンヌ駅で列車を待つ緊張が徐々に解けてきて、少しはリスニング能力が高まってきたようです。
ぼくらが乗りたかったのは7時34分発のリヨン行き、列車番号は6854。でも乗っている列車はどうやらパリ行き。時刻表を見るとカンヌ発7時39分、列車番号6172。どうやら後から来るはずのパリ行きが先に来てしまったようです。あるいはカンヌで番線が変更になったのはパリ行きだけで、リヨン行きは予定通りのホームに到着したのかもしれません。
こんなことは海外旅行にはつきものだし、どうやらパリ行きのほうが、マルセイユに停車せずにTGV専用線に入るため、リヨン行きより20分はやくアビニョンTGVに着くようです。そう思って、そのまま乗っていようと思ったのですが、ツーロンで大勢乗って来そうなのでいったん降りて、次に来るはずのリヨン行きに乗り換えることにしました。ところがどういうわけかリヨン行きはもう隣のホームに停車していて、駅員の指示であわてて乗り換えるはめになりました。なぜカンヌで後から出たTGVがツーロンに到着していたのかは謎だ。
いきなりいろんなことがありましたが、10時半に無事アビニョンTGV駅に到着。途中エクサンプロバンスを過ぎたあたりで車窓からサンビクトワール山が見えました。セザンヌの絵で名高い山です。


アビニョンはTGV専用線の駅と在来線の駅が離れています。市街は在来線の駅アビニョンサントル駅の間近にあり、TGV駅で降りるとシャトルバスで移動となります。
アビニョンは周囲をぐるりと城壁で囲まれた街です。シャトルバスを降りて、ぼくたちがまず向かったのが、長距離バスターミナル。ポン・デュ・ガールというローマ時代の水道橋を見に行くためのバスをさがしに行ったのです。ところがポン・デュ・ガールへ行くバスは一日数本しかなく、午後のバスに乗ったら、半日をそこで過ごさなければなりません。
ということでものわかりよくあきらめ、お昼を食べて国鉄でオランジュに向かいしました。


2007年7月6日金曜日

6月17日カーニュ・シュル・メール~アンティーブ

カンヌ三日目。
日曜日は休む店が多く、比較的街は静かです。
今日はまた列車に乗って、カーニュ・シュル・メールという街を訪れました。フランスには方々に鷲巣村と呼ばれる山岳都市があります。山の上に城塞を築き、その中に街をつくっています。ニース近郊ではエズやサン・ポールが有名ですが、カンヌから近くて列車で行ける手ごろな鷲巣村がカーニュ・シュル・メールから程近いオー・ドゥ・カーニュです。

国鉄駅は高速道路沿いの寂しい場所にありますが、歩いていくとすぐに商店が連なって、日曜にもかかわらずちょっとした賑わいを見せます。まずはひたすら歩いてルノワール美術館をめざします。市街地を越え、少し小高くなった丘の中腹あたりにあり、けっこう息が切れました。ここは晩年のルノワールが家族と住んだ家だったそうで往時のアトリエなどがそのまま残されています。
隣接するお土産店で絵の具のチューブから絵の具がはみ出ている、長さにして3センチくらいのアクセサリを見つけました。色数も30色くらいあるでしょうか。いくつか選んでリングにぶらさげるようです。チューブが1個5ユーロ。子どもたちのお土産はこれかなと思ったんですけど、何色か選んでセットにするとかなり高価。絵の具ひとつづつでもいいかなとは思ったり、あれこれ迷って結局やめた(ちょっと後悔もしてる。今回の旅行で悔いが残るとすればやっぱりこれかな)。

ルノワール美術館を後にしてオー・ドゥ・カーニュへ。急な坂道を息を切らしながら登ること20分ほど。石畳の道の両脇にレストランやホテルがあります。こんなホテルに泊まったらとても健康的です。ようやくたどり着いた頂上には大きな城、グリマルディ城があって、その前が広場と展望台。レストランやお土産店もありました。
帰りは路地を歩いてみました。狭い路地が迷路のように入り組んでいて、昔宮崎アニメで見たような気がする不思議さです。しかもひとつひとつの路地にもちゃんとなんとか通りと名前が付いています。フランスってどんな道にも必ず名前が付いているって聞いたことがあります。通りの名前と数字が住所になるらしいんです。

急坂を転がり降りるようにして駅に戻りました。このあたりから少し雲行きが怪しくなってきました。後でわかったことですが、駅前からオー・ドゥ・カーニュまでは無料のバスが往復しているそうです。どうりで山頂のレストランにも大勢の観光客がいたわけです。さてカーニュ・シュル・メール駅からカンヌ行きの列車に乗って次なる目的地アンティーブに向かいます。アンティーブは3年前にも訪れた街ですが、駅に着いたときにはどしゃ降り。コートダジュールで見るはじめての本格的な雨です。

小一時間ほど駅前のカフェでサンドウィッチを食べながら雨宿りしてから、駅の北にあるフォル・カレという城塞に向かいました。16世紀につくられた巨大な城塞で周囲をまわって、写真を撮り、続いて旧市街に。日曜にもかかわらず観光客も多く、また飲食店や食料品などの店も多く開いていてまずまずの賑わいです。市場を見て、改修工事中のピカソ美術館を見て、城壁の上を歩きました。

明日はちょっと遠出するので今日は早めに切り上げ、カンヌに戻りました。

6月16日ニース

カンヌ二日目。
本日午前中はニース観光にあてました。国鉄カンヌ駅からニース・ヴィル駅までは列車で40分ほど。
ニースはカンヌよりもさらに巨大なリゾート都市で、広大なビーチはもちろん、美術館や歴史遺産にも富んでいます。お店もお土産店からスーパー、デパートまでたくさんありますし、観光地ならではのブティックはもちろん旧市街には市場もあります。純粋にリゾートを楽しむということであれば、やはり拠点として定める街だと思います。
ぼくは前回もニースは訪れているので今回は初ニースとなるYK氏、KK氏の案内役としてマセナ広場から海岸沿いを歩いて展望台に向かいました。古い城跡が展望台になっています。
昼食はたまたま長距離バスターミナルの近くですませたので、そのままバスでどこかに行ってもよかったのですが、長旅の疲れもあり、早めに退散となりました。
カンヌにもどって国際広告祭のエントリー手続きをしました。IDカードをもらい、これで会場への出入りが自由にできるようになりました。


6月15日カンヌ到着

南仏カンヌで毎年6月国際広告祭が開催されます。3年前(2004年)にも視察に行っているのですが、今年も視察ツアーに参加しました。
6月15日早朝に成田に集合。午前中のルフトハンザ便でフランクフルトを経由してニースに向かいました。人数的にはかなり大きなツアーで現地で泊まるホテルごとにニース行きの便が異なります。ぼくの乗ったニース行きはフランクフルト着後1時間半後に出発する過密スケジュール便。ただでさえヨーロッパでいちばん大きいといわれるフランクフルト空港で道に迷いそうになりながら、なんとか入国審査、手荷物チェックを受け、ぎりぎりセーフでした。
ニース空港に着いたのが現地時間で17時半。日の長いこの時期のヨーロッパでは夕方というより、日本でいえばいちばん暑い時間帯です。原色の光の中、一路バスでカンヌのホテルに向かいました。


ホテルはSNCFカンヌ駅にも国際広告祭の会場であるパレフェステバルにもどちらも程近い距離にあるホテルグレイダブリオン(フランス語っぽくいえばオテルグレダブリオンってとこでしょうか)。星は四つでなかなか大きなホテルです。

ゆっくりする間もなくさっそく買い出しに出かけました。ホテルからモノプリというスーパーマーケットまでは歩いて5分ほど。とりあえず必要な水やビール、そして<51>というラベルのパスティスを1本買いました。ミネラルウォーターはどこででも買えますし、駅には自動販売機もありますが、やっぱりスーパーで買った方が安いですし、硬水より軟水のほうがいいなどといった好みがある場合、選択肢も広いです。

続々とツアー団がカンヌ入りして、レストランにも大勢の日本人が見られます。本日は竹園飯店という中華レストランで餃子と焼きそばというまるで南仏コートダジュールっぽくないディナーでした。

2007年6月15日金曜日

坂崎幸之助『坂崎幸之助のJ-POPスクール』

2002年にザ・フォーク・クルセダーズが再結成され、そこに坂崎幸之助が加わった。その頃オンエアされていたラジオ番組をベースに書かれたのが本書でそれまでのぼくの坂崎観は一変した。
アルフィーの坂崎幸之助は実のところあまり好きではなかった。小生意気な文化部的風貌、アイドルフォークという中途半端なポジション。音楽も見た目も苦手なタイプだった。
本書を読みすすめるうちに、彼がフォークソングをこよなく愛する少年だったことがよくわかる。その多感な彼の青春時代、ぼくはといえばまだ小学生だったが、姉の影響で吉田拓郎や赤い鳥を聴いていた。多少の年齢差を度外視すれば同時代を生きていたということになる。
この本は題名のとおり、講義形式でザ・フォーク・クルセダーズ、岡林信康、五つの赤い風船、吉田拓郎、ガロ、古井戸、はっぴいえんど…と続いていく。その講義の合間にアルフィー誕生にいたる坂崎自身の半生が語られる。日本の音楽シーンでフォークソングからニューミュージック、J-POPに至るまでの変遷をたどると、コピーフォークの時代から作家主導の日本的フォークを経てシンガーソングライターの時代へと形が変わってくる。楽曲は70年をピークに反戦ソング、メッセージソングが栄え、72年の吉田拓郎以降大衆化に向かうといった流れが、坂崎の視点で語られるのがなんともわかりやすい。
実はこの本を読んだのは発行された2003年。本棚を整理していたら出てきたのでもういちど読んでみた。フォークはやっぱり、いい。



2007年6月14日木曜日

アドフェスト2007展

汐留アドミュージアム東京。

アドフェストがはじまって10年。その爆発的なクリエーティブがカンヌなど西欧の舞台でも評価され、いまやクリオ賞と並ぶプレカンヌの様相を呈してきた。
今年も3月タイのパタヤで開催され、その入賞作品がアド・ミュージアム東京で紹介された。
TVCMのグランプリにあたるTHE BEST OF TV LOTUSはトヨタ自動車の企業広告Humanity。これは昨年のカンヌでも高い評価を得たので多くを語る必要はないだろう。
今年際立ったのはインドのHappydent Whiteという歯を白くするガムのCM。アイデアとしてはありがちかもしれない、歯の輝きで暗闇をも照らすというもの。ゴールドを受賞した。おそらくはそのスケール感とかばかばかしさが評価されたのだろうが、ぼくは階級差別的な後味の悪さが気になった。神経質になりすぎているだろうか。
毎年突飛なアイデアで驚かせてくれるタイのCMではShera Flexy Boardという天井材がシルバー、小銭も払えるSmart PurseというショッピングカードのCM、そしてさがしものはYellow PagesでというCMが同じくシルバーだった。昨年のグランプリSmoothEも残念ながらシルバー。昨年一昨年ほどのパワーはなかったという印象だが、着実に上位入賞作品の常連になっている。
トヨタ、Happydent Whiteともうひとつのゴールドがオーストラリアの公共広告。子どもは大人を見ていて、その真似をしますよというCMでキャッチはChildren See,Children Doという恐怖訴求もの。
日本からの出品では高橋酒造の白岳15秒が12本シルバーに輝いた。15秒のシリーズはいかにも日本的だ。もうひとつソニーマーケティングのウォークマン/ネットジュークがTHE BEST OF EDITINGを獲得している。
今年は昨年のワールドカップに連動したNIKEのCMなどオーストラリアの躍進が目立ち、アジア的な広告と欧米的な広告が競い合うかたちになったように見える。アジアの広告が今後さらに世界の広告としのぎを削るためには、あまり欧米に引きずられることなくアジア独自のスタイルを突き進んでいくことが大切だと思う。


2007年6月6日水曜日

コピー07TCC広告賞展

汐留アドミュージアム東京。

今年のTCC(東京コピーライターズクラブ)グランプリはサントリーBOSSの宇宙人ジョーンズ。このCMは缶コーヒーというカテゴリーの中だけでなく、広く広告表現として新しさを感じた。宇宙人ジョーンズさえいなければなんてことない日常。その舞台が広告のビジュアルとして新鮮に見せられたことが勝因だろう。
TCC賞の中ではやはりサントリーの黒烏龍茶(ポスター)。「中性脂肪に告ぐ」というシンプルなコピーが王道的な食シーンと相俟って、商品を一気に定番化したように思える。
それとリクルートのリクナビ、山田悠子の就職活動篇(TVCM)。就職活動の当事者ではとっくにないのに、やたらと共感できてしまう。
審査委員長賞のニューバランスジャパン「たいていは、抜かれる。ときどき、誰かを抜く。景色のいい場所では、歩くこともある」、リクルート商品オープン告知「知名度だけは一流の会社で働くより、知名度だけが二流の会社で働きたい」、アースデイ・エブリデイeco japan cup 2006「エコロジーで大儲けする人がいないと、環境問題なんて解決しない」はいずれも秀逸なコピーで審査委員長のチョイスを評価したい。
最高新人賞はユニロードという作業着屋のポスター。「作業着で定食屋に入ったら、ごはんを大盛りにしてくれた」、「作業着で覚えた仕事は、忘れない」などコピーの背後にある企画(ストーリー)がしっかりしている。新人賞は「国の名前は、だいたいスポーツで覚える」とか「46歳じゃない。高校31年生と呼んでくれ」などやはり企画がしっかりしていてこそのコピーが多かった。
多様なメディアを駆使する広告が増えている。表現媒体にとらわれないベースとなる企画の重要性があらためて認識された結果が今年のTCC賞ではないだろうか。


2007年6月5日火曜日

伊藤真『会社コンプライアンス-内部統制の条件』

東京六大学野球がいつにない盛り上がりを見せ、終了した。
今季は斎藤祐樹の活躍もさることながら、後半復調した慶應加藤、3本塁打の佐藤翔など将来楽しみな選手が相応の活躍をした。首位打者は田中幸が逃げ切るかと思ったが、早慶戦の連打で細山田が逆転。1年春からレギュラーの上本も久々に3割をマーク。なんとか高田繁の安打数記録に迫ってほしいものだ。
とまあ野球はともかく、今やコンプライアンスの時代。会社勤めするものとしては少しでも学んでおいたほうがよかろう。というわけで本書。
著者は憲法に造詣の深い方と見えて、コンプライアンスの基本は憲法の精神、みたいなことを頻繁におっしゃる。
それはそれでけっこうなことなのだが、ちょっと難しく感じてもしまうのだ。
とはいえ、アメリカでつくられたサーベンス・オックスレー法(SOX法)がベースになって日本で新会社法やJSOX法がつくられて…みたいな話はそうした知識がなさすぎるものにはじーんと骨身に染み入るのだ。
さて著者も述べているが、日本はヨーロッパ的社会民主主義的な社会とアメリカ型の新自由主義的、自由競争型社会の両方の影響を受けたといわれるが、ここのところ日本は後者の勢力が強くて、なんとも住みづらい世の中になっているような気がする。そういえばフランスの新大統領もアメリカ型をめざしているとか。日本的ななあなあさは決してほめられるものではないけれど、かといって杓子定規な緊張関係もいかがなものかと思うのだ。


2007年5月19日土曜日

藤井青銅『ラジオな日々-80's RADIO DAYS』

たぶん今まででいちばんラジオを聴いていた時期は中学生の頃で、ニッポン放送の『大入りダイヤルまだ宵の口』を欠かすことはまずなかった。メインパーソナリティは秀武改め高嶋ヒゲ武で、その後くり万太郎に交代するころから、徐々に聴取時間は深夜になっていく。
住んでいた場所のせいでニッポン放送はよく入った。TBSはちょっとノイズが多かったが、まあなんとか快適に聴こえた。土曜日の『ヤングタウン東京』を毎週楽しみにしていた。文化放送になるとかなり聴き取りにくく、夜間だとむしろ名古屋のCBCやモスクワ放送の方が感度は良好だった。谷村新司の『セイヤング』を聴くのは必死の作業だった。
正確には思い出せないけれど、ちょうどその頃が70年代なかば。著者藤井青銅がラジオドラマをきっかけに放送作家になるのが79年だから(つくり手と聴き手の関係で言うのも恐縮だが)、ぼくが卒業した頃、著者はラジオの世界に入学してきた言わば「入れ違い」ということかもしれない。70年代の終わりに大学生になって、部屋でずっとラジオを聴くことも少なくなった。
この本の舞台は80年代前半。こうして読んでみるといろんなことがあったんだなと思う。ぼくはただひたすらぼんやり過ごしていた。


2007年5月13日日曜日

浅田次郎『月島慕情』

銀座2丁目でサラリーマンをしていた時期があり、昼時の蕎麦といえば、昭和通りを渡って、長寿庵の鴨せいろ、晴海通りを越えて、よし田のおかわりつき天せいろがメインだった。仕事場からいちばん近いのは利久庵で店内は蕎麦屋というより、往年のモダンな食堂といった味わいがあって、それはそれでよかったんだが、なにぶんここは出前をしてくれるので、時間がないとき、手が離せないときはもりとおにぎりを持ってきてもらう。そういうわけでわざわざ蕎麦屋に行くなら、少し遠くでも長寿庵、よし田となってしまうわけだ。
今年のはじめ、夕方小腹が空いたので、たまたま通りがかった利久庵でもりそばを食べた。どちらかというと好きではない更科系の白い蕎麦なのだが、やはり長年培われたうまさがある。汁も濃く、強い。
これが利久庵最後の蕎麦だったと知ったのはその後。3月で店を閉めたのだそうだ。

利久庵の程近く、かつて尾張町と呼ばれた交差点から晴海通りをまっすぐ東に向かい勝鬨橋を渡るとそこが月島だ。

浅田次郎の『月島慕情』にこんなくだりがある。

「深川から相生橋が一本じゃ、不便には不便だがね。築地へは渡しのポンポン蒸気しかないけど、近いうちに銀座の尾張町からまっつぐ延びる道に橋を架けて、ぐるりと市電も通すそうだよ。そしたらあんた、銀座も浅草もちょいの間で、東京で一等便利なとこになる」

今でこそ月島は銀座にいちばん近い下町だが、かつては東京湾の埋め立て地の中でもいちばん不便な場所だったわけだ。
まあそれはともかく、浅田次郎を読むのは『鉄道員』以来。
佐藤乙松の

「--あんたより二つも三つもちっちえ子供らが、泣きながら村を出てくのさ。そったらとき、まさか俺が泣くわけいかんべや。気張ってけや、って子供らの肩たたいて笑わんならんのが辛くってなあ。ほいでホームの端っこに立って、汽車が見えなくなってもずっと汽笛の消えるまで敬礼しとったっけ」

という台詞には泣かされたなあ。
でもこの短篇集も相当いい。どれをとっても素晴らしい大人のおとぎ話だ。

2007年5月9日水曜日

山田真哉『食い逃げされてもバイトは雇うな』

大型連休最後の日曜日が雨で東京六大学野球の試合が順延になった。ひょっとすると早稲田の斎藤祐樹の先発もあるかと思い、打合せ前の空き時間に神宮に出向いた。慶應のバッティング練習のような第一試合が終わり、さて第二試合は立教対早稲田。ブルペンでは左腕の大前が投げていて、斎藤と福井がノックの手伝いをしていた。というわけで先発は大前。昨年春の早慶戦以来の登板(私の記憶が定かであれば…)。
今春はやたらと学生野球が取り沙汰されているが、斎藤だけでなくどこも新入生のレベルはまずまず高い。とりわけ早稲田は昨年2枚看板宮本、大谷が卒業したこともあって、若い投手陣が切磋琢磨している印象が強い。
で、本日読み終えたのは山田真哉の『食い逃げされてもバイトは雇うな』。『さおだけ屋』に続く会計の本である。前作同様世の中の不思議を会計という視点で読み解く本で、今回はさらに「数字にうまくなる」というキーワードで最終的には決算書の見方まで導いてくれる。
神宮には2時過ぎくらいまでしかいられなかったのだが、大前は3ランを打たれ、2番手の松下が勝ち投手。斎藤は8,9回をリリーフしたらしい。細山田のスクイズが決勝点だったそうだ。

2007年4月21日土曜日

秋山満『フランス鉄道の旅』

現役をリタイアしてから、ゆっくりと旅を楽しむという人は多いと思う。行き先はアメリカでもなく、アフリカでもなく、オーストラリアでもなく、ニューカレドニアでもなく、やっぱりヨーロッパだろう。まあ、ハワイという人もいるかもしれないが、少なくとも知的な人生をおくってきた人の定年後の旅先としてはちょっと軽い気がする(なんて言ったら失礼だが)。定住するなら話はちがうと思うけど。
たとえば夫婦でヨーロッパを旅する。ツアーでなく、列車やバスを乗り継ぎながら。そんな方がご近所にでも住んでいればなあ、と常々思っていた。
近所にはいなかったが、近所の図書館にはあった。
著者の秋山満は高校の地理の教員をしていて定年後、パッケージツアーではない個人旅行を楽しんでいるという。その旅の記録をまとめたものが本書というわけだ。
基本は個人旅行、しかも鉄道やバスを利用しての旅だから、おのずと訪問する地域はヨーロッパになるに違いない。交通機関や宿泊施設に関してはアメリカやアジアに比べて圧倒的な利便性を備えているからだ。
この本では3つの旅行がとりあげられている。ナント、レンヌ、サンマロからカンペール、ラロシェルなど大西洋岸の街をめぐるブルターニュの旅。コルシカ島からニースにわたり、プロヴァンス、ピレネー山麓をまわる南仏の旅。そしてアルザス・ロレーヌからシェルブールなどノルマンディ地方をめぐる東北仏の旅。いずれも定年後の先生夫妻によるエピソードに事欠かない道中記になっており、いつの日か鉄道でフランス周遊でもしてみたいと思っている者にとってためになる生きた参考書である。

2007年4月19日木曜日

第13回中国広告祭受賞作品展

汐留アドミュージアム東京。

中国広告祭は中国の中で最も権威と影響力のある国家レベルの広告祭。何年か前から日本でも紹介されるようになって、年々レベルアップしているのが手に取るようにわかる。以前はどちらかというと日本の学生デザインコンクールの上位入賞作品と遜色ないような気がしていたが、ここ1、2年はハッと目を見張る作品もあって、見に行くのが楽しみになってきた。
洗面台の排水口に抜け毛が今にも流されそうになっている。その抜け毛がパンダの絵に見え、「少なくなったものを、救いましょう」というキャッチ。これはもちろん、希少動物を救うキャンペーンではなく、髪の毛によい漢方薬の広告だ。
またこんな広告もある。シャツの胸ポケットに空き缶をゴミ箱に捨てるピクトが刺繍されている。これは公共広告で「文明というブランドを常に身につけよう。いつでも、どこでも文明ブランド」とコピーが書かれている。公共マナーについての広告だ。アイデアとしてはわかるが、案外訴求するテーマが非近代的であったりもする。お隣の国であり、経済発展の渦中にある国という意識もあり、ついつい日本との差は埋まっていると思うのだが、意外とそうでもなさそうだ。
TVCMで驚いたのは、やはり公共広告でタイトルは母の愛情。「一番優しい母だから、嘘を世の中で一番素晴らしい言葉に変えられる」というコピーがついている。母親が子どもたちを育てるために食べたいものも食べたくないといい、夜を徹して働くことを働くのが好きだからといい、炎天下にいても冷たい水を飲みたくないといい、病に伏せて苦しいときも苦しくないという。母親が貧しさに立ち向かって、子どもたちを立派に育て上げていくというとてもいい話で、きわめて儒教的道徳的なお国柄が見てとれる。一方でどうしていまさらこんなテーマで公共広告が成り立つのかとも思ってしまう。実は中国でも日本のようにだいじな何かが失われつつあるのだろうかという穿った見方もできなくもない。
グランプリは北京マラソンを題材にしたナイキのCM。ネズミが追われるように走るCMだ。これもネズミになんらかの意味合いがあるのだろうが、マラソンランナーをネズミにしちゃっていいのかと思ってしまう。
いずれにしても日本と中国。似て非なるこの両国は広告コミュニケーションにおいても大きな差異があるようだ。


2007年4月17日火曜日

川上弘美『真鶴』

今春の高校野球都大会はベスト8が出そろった。
帝京、関東一、堀越、八王子、修徳、日大三、東海大菅生、都文京。東西それぞれ4校づつ。都立勢はベスト16に4チーム。そのうち1校が準々決勝に進出した。
で、真鶴なんだが、15年ほど前に行ったことがある。
最初はロケハンと称する下見。その後が本番。
半島の中程に中川一政美術館というこじんまりと落ち着いた美術館がある。周辺には公園があって、そこで写真撮影をしたわけだ。当然のことながら、この界隈は魚がうまい。ロケハン時には鯵の茶漬けがおすすめと聞き、いただいたものだ。
さて子どもが大きくなっていく。手ばなれていく。高校生くらいになるととりたててお互いが関心を持ち合うようなことがらでない限り会話はなくなる。父親と娘だったりするとその傾向はますます顕著になる。失踪した夫って要するにそういう存在なのかなあと思ったりしたわけだ。
久しぶりに読んだ川上弘美。語彙がいっそう豊かになって文章に無駄がない。次々に押寄せてくる短い文章が心地いい。

2007年4月1日日曜日

城 繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』

大阪で仕事があり、その帰りに甲子園に立ち寄る。今春注目のスラッガー大阪桐蔭の中田翔の長打を期待していたのだが、残念ながら不発。チームも破れ、ベスト8に終わる。
さて最近増えてるタイトルでつかむ新書。
中身は年功序列、終身雇用といった昭和的価値観の崩壊をテーマにしている。
少子化問題もそうなのだが、結局世の中ってやつは次世代にツケをまわすことでしか成り立たないらしい。そのいちばん顕著だった時代が高度経済成長を生んだ昭和というわけだ。
昭和を顧みるとき、子どもだったぼくらにとっては石原裕次郎や美空ひばり、長嶋茂雄らスターの時代だった。経済成長の陰の部分、負の部分を覆い隠して余りあるくらい輝ける時代だった。問題をどれほど先送りしようが、それ以上の夢だの希望だのといった抽象的な明るさが世の中を照らしていたんだろう。
年功序列だから希望が持てたのか、年功序列だから希望が見失われたのか。その辺に関しては決定打はないけれど、要するに世の中にはいろんなシステムのモデルがあって、時には時代の流れに乗って脚光を浴び、時には諸悪の根源として貶められるということではないのかと思う。若者の離職率もさることながら、少子化問題に対して子どもを増やす的な発想ではない新しい社会のシステムをつくらないことにはこの「閉塞感」はどうにもならないのではないか。

2007年3月24日土曜日

ラ・ロシュフコー『箴言集』

銀座のVTR編集スタジオがあり、仕事が立てこむと何日も徹夜したり朝帰りしたりする。運動不足になるし、たばこも吸いすぎるし、ろくなことはない。
先日も夜明け間近まで録音をしていた。そろそろ終わりそうな頃、トイレに立った。いつもなにげに使っているトイレに掃除用のブラシがおかれている。とそこまではよくある光景なのだが、よくよく見るとそのトイレブラシにおそらくはテプラかなにかで印字されたであろうシールが貼ってある。
「●●●●●・●」(スタジオの名前)と。
なんのためにそのようなものが貼ってあるのか、よくわからない。おそらくは盗難防止のため?しかし、こんなものに名前を貼って誰が盗むというのだろう。
しかもそのシールはブラシ本体にではなく、台座に貼られているのだ。盗むやつはきっとブラシを盗むだろう。間違っても台座だけ盗みはしない。
まあ、それはともかく、ラ・ロシュフコーの『箴言集』を読んでいる。なかなかウィットに富んだ、というかエスプリに富んだ名言の連続である。
ラ・ロシュフコーは17世紀の人なのだそうだ。ルイ13世、14世、リシュリュー、マザランらと時代をともにしている。てっきり、16世紀の、ラブレーやモンテーニュくらいの時代の人だとばっかり思ってた。


2007年2月20日火曜日

柴田三千雄『フランス史10講』

もし仕事や血縁、地縁などのしがらみがなければ(しがらみなんていったらお世話になっている皆様方には甚だ失礼であるが)、最終的に永住するのはフランスだという断固たる妄想を抱いている。なぜフランスかと問われても答に窮するのだけれど、学生の頃、フランス語の学校に短い期間ではあったものの、通っていた(もちろん初級で終わった)せいかもしれないし、やはりその頃、ジャン=ジャック・ルソーやフランソワ・ラブレーなんかをよく読んでいたせいかもしれない。が、決定的な理由は2年ほど前に南仏を旅した影響かとも思われる。
その旅はちょうどバカンス時期でカラッと暑い地中海沿岸の夏だったのだが、その気候とおそらくは中世の昔に建てられたのであろう古い建造物、そして整備された鉄道網に圧倒された記憶が生々しく残っている。というわけで妄想の対象としてはなかなかレベルが高いなあと我ながら感心してもいるのだが。
とはいうもののふりかえってみると、たぶん高校時代には世界史をちゃんと履修しているとは思うのだが、フランスという国についてあまりに無知な自分がいる。相手を知り、己を知れば百戦危うからず。誇大妄想にも立ち向かうにはそんな姿勢がたいせつだ。己を知るのはさりとて困難ではあるし、一生かけても無理かもしれない。となれば、せめてフランスのことをよく知ろうと思って読んでみたのがこの本だ。
正直いうともっと教科書みたいな本でよかった。歴史年表をたどってその因果関係が述べられているような本で。まあ岩波とはいえ新書だからその辺は適当に浅い教養書を期待して読んだのが間違いだった。単なる史実を綴っているわけじゃない。歴史としてどう史実を解釈するかというちゃんとした歴史学の本なのだ。もちろん新書的な素軽さで古代から現代まで話は進んでいくのだが、細かいひとつひとつの史実より、時代を象徴的に彩る事件、出来事にポイントを絞り込んでその解釈をめぐる議論などが紹介される。本格派の歴史書なのだ。
妄想を満たす程度の軽い気持ちで歴史を学ぼうとする輩にしっかりフランス史を学べと警鐘を鳴らした一冊なのかもしれない。

2007年2月16日金曜日

西成良成『「超」フランス語入門』

東京都美術館で開催されているオルセー美術館展に行く。
オルセー美術館は歴史は古くないが、もともと駅舎だった建物が使われていて、それだけでも行ってみたい美術館のひとつである。つらつらと絵をながめては見たものの、本当は絵画が見たかったんではなくて、オルセー美術館に行きたかったんだということがあらためてわかった。

さて、パリに行くならフランス語くらい多少はわからなくちゃならないと思って手にとったのが西永良成著『「超」フランス語入門』。著者は長年大学あるいはNHKのテレビフランス語講座で教えてきた方で、入門クラスのフランス語ならお手のものといった感じだ。するするっと読みながら、基本的な文法事項がのどをすべりおりていく。もちろんちゃんと覚えないことには元も子もないのだが、とりあえず読むだけで勉強した雰囲気は味わえる。
後半、「シャンソンで身につけるフランス語」、「諺・名句で心に残すフランス語」といった章は知っている曲や小説家のところで読むスピードが落ちる。せっかくだから丁寧に読む。
まあそんなこんなでフランス語教育にたずさわった人だからこそできる読み手を俯瞰した見事な一冊にのせられてしまったということにしておこう。