2010年2月27日土曜日

阿久悠『歌謡曲の時代』

冬季オリンピック。
あとわずかで閉幕であるが、回を重ねるごとに新奇な競技が増えていくようだ。複数で競争するアルペンスキーはスピードスケートのショートトラックよりも見ていて危険な感じがする。またいつのまにやら複合とか団体とかスプリントだとか種目内の細分化が進んでいるように思う。その昔ジャンプの団体戦が行われると聞いたとき、いっぺんに全員で飛ぶのか、そのときは横並びなのか縦並びなのかと疑問に思ったことがある。
これだけ競技が増えるのなら、いっそのこと野球とソフトボールも次期冬季大会で採用されればいいのにと思う。
さて。
“阿久悠”は一発で変換できなかった。
なかにし礼を読んだときも思ったのだが、阿久悠もぼくの今思っていることに近い存在だ。それはベクトルの方向が昭和を向いていること。
昭和から平成になって、“歌謡曲”がなくなった。時代を映す歌がなくなった。流行の歌は個人の主張でしかなくなったという。それはもう20年以上も前、“中心から周縁”、“ヨーロッパから非ヨーロッパ”、“大衆から分衆”へなどというキーワードで語られていた。もちろん難しい話をする気はない。ただ個人の嗜好としてぼくは昭和が好きなのだ。そういった意味では阿久悠の詩にぼくは幼少の頃からずっと寄り添ってきた。いわばぼくにとって昭和のわらべ歌のようなものだ。
阿久悠となかにし礼を比較するのは愚の骨頂だろう。シャンソンの訳詩から出発した都会派の詩人なかにしと広告ビジネスに身を投じ、人に届く言葉(コピー)を怜悧な刃物で切り分けてきた阿久悠とはそのよって立つ土壌が異なる。おそらく、あくまで私見でしかないが、なかにし礼に「ピンポンパン体操」はかけなかったと思うし、ピンクレディをはじめとするアイドルたちをプロデュースする視点で作詞はできなかったように思う。
広告クリエーティブの世界になぞらえるならば、なかにしはあくまで個的経験を中心に悠久の世界観を紡ぎだす秋山晶であり、阿久悠はどこまでもストイックに言葉を捜し続ける仲畑貴志ではあるまいか。
まあ、そんなことはどうでもいい。ぼくは“昭和”と“昭和を愛する人”が好きなのだ。

この本の中で取り上げられた阿久悠の作品はごく限られたものであるが、備忘録としてぼくの阿久悠ベスト10を記しておこう。

1.「時代おくれ」/作曲 森田公一/編曲 チト河内、福井峻
2.「乙女のワルツ」/作曲・編曲 三木たかし
3.「熱き心に」/作曲 大瀧泳一/編曲 大瀧泳一、前田憲男
4.「あの鐘を鳴らすのはあなた」/作曲・編曲 森田公一
5.「青春時代」/作曲・編曲 森田公一
6.「白いサンゴ礁」/作曲・編曲 村井邦彦
7.「ブルースカイブルー」/作曲・編曲 馬飼野康二
8.「さよならをいう気もない」/作曲 大野克夫/編曲 船山基紀
9.「素敵にシンデレラ・コンプレックス」/作曲 鈴木康博
10.「契り(ちぎり)」/作曲 五木ひろし/編曲 京建輔

昔はきっと、こんなじゃなかったけど歳をとってかえっていい曲を好きになれたと思う。


2010年2月21日日曜日

エミール・ゾラ『ナナ』

わたがしをつくるあの機械を“わたがし機”というそうだ。
だからなんなんだという感じだが、子どもの頃家の近くの文房具屋の前に10円か20円でわたがしがつくれる、まあいわゆるわたがし機があった。割り箸がおいてあって、お金を入れて各自ご自由におつくりくださいってわけだ。
ぼくは昔から不器用さにかけては群を抜いていたのでせいぜい片手でつかめるくらいの大きさにしかできない。それに比べると3歳上の姉は手先が器用というか、それ以前につまらないことに注ぎ込む集中力がすばらしく発達していて、縁日の夜店で売っているようなプロ顔負けのわたがしをつくってくるのだ。そのうちぼくがなけなしのこづかいをもってわたがしをつくりにいくと姉がついてきて手取り足取り指南するようになり、そうこうするうち手も足もとらずに割り箸をひったくってあの夜店で売っているまるまると肥えたわたがしをこしらえるのであった。
このあいだJR恵比寿駅から天現寺まで歩く途中でわたがし機を見つけて、そんなことを思い出した。
このブログの向かって右側に最近の10の書き込みがリストされている。
そこを眺めていたら最近海外の小説を全然読んでいないことに気づき、よりによってゾラの長編小説を読みはじめてしまった。
『ナナ』は平たくいうと『居酒屋』の続編といっていい作品。主人公ナナがジェルヴェーズの娘にあたるということでは続編であるが、ひたむきに生きながらも貧困と堕落に喘ぐ母親に対して、ナナは高級娼婦として奔放の限りを尽くす。この母娘の生きた時代背景を加味しながら、読み比べてみるのもおもしろそうだ。

2010年2月17日水曜日

森絵都『風に舞いあがるビニールシート』

以前ときどき顔を出していた南青山のバーが一昨年閉店し、それ以来外で飲む機会も減ってきたように思う。
先日そのバーのバーテンダーだったKさんから手紙をもらって、西麻布で新たにバーをはじめることになったと知らされた。開店に先立って、今まで懇意にしてきた人を招いてプレオープンをするという。
新しい店はもともとバーだったようで以前の南青山の店のように木のカウンターではなくてちょっと風情にかけるが、椅子席もあって、3,4人で来てもゆっくりできそうである。

仕事場で隣の席のI君のデスクに置かれていた一冊。
森絵都。
はじめて読んでみたが、仏像のことにしても若者の会話にしても、さらには難民問題にしてもよく調べている。好感の持てる作家のひとりだと思う。


2010年2月13日土曜日

内田百閒『第三阿房列車』

阿房列車の旅もいよいよ三冊目にたどり着いた。
今のところ続きがないので、読み進めるのが惜しい。

ここでぼくの阿房列車履歴をふりかえってみよう。
・1988年 北斗星に乗りたいと思っただけの北海道阿房列車
(上野~札幌~釧路~根室~帯広~札幌~上野)
・1989年 西高東低冬型の気圧配置の日に寝台列車で行く兼六園阿房列車
(上野~金沢~上野)
・1989年 こげ茶色の省線電車で行く鶴見線前線走破阿房列車
(鶴見~鶴見線各駅)
・年代不明 気動車に乗りたい!だけの八高線阿房列車
(高崎~八王子)
上記以外は青梅線、五日市線、御殿場線くらいで考えてみると純粋に列車に乗りに行くという経験がいかに少ないかがよくわかる。阿房列車は偉大だ。
で、このさき暇があったら走らせたいぼくの阿房列車は、房総半島縦断阿房列車(五井~大原)、身延線全線走破阿房列車(富士~甲府)。あと日帰りは困難だろうが飯田線で豊橋から辰野まで遡上してみたいとか、上野から仙台まで東北本線、水戸線、水郡線、磐越東線、常磐線で仙台まで行くとか、小山まで高崎から両毛線で行ってもいいし、さらに高崎までは八王子から八高線でというのもおもしろそうだ。
とにかくこうしてはいられない。時刻表を開こう。


2010年2月9日火曜日

池波正太郎『食卓の情景』

最寄り駅の近くに卓球ショップができて(もともと同じ区内にあったものが引っ越してきたのだが)、月木土の午前中に初級者向けに教室を開いている。店内には5台の卓球台があり、ラケットやラバーも売っている。こんな近所にこれだけの施設があるのに、行かないなんてもったいない。てなことでこないだの土曜日、はじめて参加してみた。2時間半で2000円。
30名ほどの参加者を5つのグループに分けて、5人のコーチがそれぞれテーマを設定して、指導してくれる。フォアのドライブ、バックのドライブ、ストップから攻撃、フォア・バックの切換し、ダブルスのサービス。ぼくが参加したその日はそんなメニューだった。基本は多球練習(次から次へと球出しをされ、それを打ち返す)で子どもの頃少しは卓球に親しんだとはいえ、こんな本格的な練習スタイルは初体験だったのでずいぶん緊張してしまった。足は動かないし、ミスは連発するし。ぼくの経験からすると卓球の練習というよりバレーボールのそれに近い。
それでもここのコーチの方々は皆一様に親切で短い時間内に適切なアドバイスをくれる。まずは金額に見合ったレッスンだったのではなかろうか。

美食家では決してないのだが、まあ生きてるうちはうまいものを食べたい。
最近ではインターネットでグルメ情報なるものがいやというほどあるけれど、うまいものの話は年寄りに訊くに限る。
池波正太郎の作品はひとつも読んだことはないのだが、なにかの本で神田まつやのカレー蕎麦を好んで食したという話を読んで悪い印象はない。
食べ物とはかくもたいせつなものなのである。

2010年2月6日土曜日

長嶋茂雄『野球は人生そのものだ』

日経新聞連載の「私の履歴書」はなかなか重厚でおもしろい企画だと思う。もちろん各新聞社でこうした連載は多いのだが、日経の場合、読み手をビジネスマンに絞っているせいか、他一般紙にない明快なおもしろさを感じる。
ぼくたちの世代、つまりものごころついたときから、ジャイアンツが常勝球団だった子どもたちにとってONは特別な存在だった。野球のプレイヤーを超越したスターだった。とりわけ地道な努力人である王貞治よりもエンターテインメントがあって、華がある長嶋茂雄は美空ひばり、石原裕次郎とともにぼくのなかでは三大昭和スターである。
20年ほど前に長嶋茂雄を起用するある不動産会社の広告コピーをまかされた。業界でもビッグで歴史もあるその企業の商品にぼくは「鍛え抜かれた先進の土地活用システム」というショルダーコピーを書いた。長嶋茂雄は天才肌では決してなく、努力の人だという意識があったのだろう。「鍛える」より「鍛え抜く」という言葉がすんなり出てきた。
思い返せば、昭和40年代に小学生としてプロ野球に熱中したぼくたちにとって、王貞治と長嶋茂雄は人気を二分する存在だった(それほどまでに王人気が高まりつつあった)。勝負強さで長嶋、数字的には王。
新聞販売店でもらった後楽園の外野席招待券でまず席が埋まるのはホームランを叩き込むであろう右翼スタンドだった。それだけ王の力は認められていた。40年代の長嶋はどちらかといえば選手として晩年を迎えつつあり、三割を打てない年もあった。それでも長嶋はぼくたち少年ファンに6度目の首位打者の姿を見せてくれた。苦しみながらもそんな素振を一切見せずにスターの座に君臨している長嶋は間違いなくスターだった。
本書で長嶋は自らの野球人生を振り返っている。猛練習の日々が多少誇張されているのではないかと思ったりもする。しかしながら昭和に生きたものなら誰もが夢中で何かに取り組むという所作を信じることができるのだ。
だからぼくにとって長嶋茂雄は自らを鍛え抜いた天才なのである。


2010年2月2日火曜日

川辺秀美『22歳からの国語力』

春の選抜高校野球の出場校が決まった。
たいてい秋の地区大会(新人戦)の優勝校ないしは上位校から選出されるのだが、各地区のレベルの見極めが難しいため、地区優勝校の10チーム以外の選抜は毎年たいへんだと思う。昨年の明治神宮大会では東海地区の大垣日大が優勝、関東地区の東海大相模が準優勝だった。目安として考えれば、この2地区はレベルが高いといえるだろう。当然ぼくは神奈川から2校、ないしは関東地区から5校が選ばれると思っていた。
ところが蓋を開けたら東京から2校、関東から4校。なんと都大会ベスト4どまりの日大三が選ばれていた。これは勝手な憶測だが、すでに東京は2枠ということで帝京、東海大菅生で決まっていたところ、諸事情で東海大菅生を出場させるわけにはいかなくなり、さりとて今から関東枠を増やすわけにも行かなくなり…。なんて台所事情があったのやも知れぬ。ぼくはだったら神奈川の桐蔭を出すべきじゃないかって思うけどね。
さて、本書。
まあ、これといって目新しいこともなく読み終わった一冊。実用書のレベルで教養書ではないかな。いまどきの22歳にはいいのかもしれないけど。