2010年3月29日月曜日

シドニー・ガブリエル・コレット『シェリ』

昨日、法事があって、特急新宿さざなみ号に乗って房総半島の千倉まで出かけた。
祖父の27回忌、祖母の13回忌を子どもたちが元気なうちにということで父の兄弟がほぼ勢ぞろいした。1928年生まれの父を筆頭に7人兄弟が全員元気でいるなんてなんとも長寿な家系だ。
祖母は家事全般が苦手な人であったそうだが、学校の勉強はよくできて、とりわけ作文が、当時は綴り方といったのだろうが、得意だったという。子どもたち(つまりは叔父叔母たち)の作文も幾度となく代筆していたという。ぼくは母方に建築設計師や元広告会社のアートディレクターがいて、その人たちの影響を大きく受けてきたと思っていたが、小学校時代よく先生に作文をほめられたりしたのは実はこの祖母の血なのかもしれない。
コレットは以前、『青い麦』というのを読んだ。
そのときは、これっといった感想は持たなかった。つまらない駄洒落を書いてしまった。
カポーティの『叶えられた祈り』にコレットがたしか登場していた。もうかなりの歳だったと思うが。それで読んでみたのかもしれない。
ゾラの『ナナ』もそうだが、どうも高級娼婦というのが当時どんな存在だったのだか、今ひとつぴんとこないのである。『罪と罰』のソーニャくらいだといそうな気がするのだが。まあ、この時代の本をあまり読んでないせいかもしれない。


2010年3月24日水曜日

池波正太郎『むかしの味』

母方の伯父が建築設計師だった。
家は赤坂の丹後町にあり、主に飲食店の設計をしていた。昭和初期に生まれた人の気質なのか、ふだん温和な人なのだが、短気をおこすともう取りつく島のない人だった。
子どもの頃、いとこたちと六本木の交差点に程近い、伯父の設計した中華料理店に行った。お店の人からすれば伯父は“先生”であり、ぼくたちも丁重にもてなされたのだが、その日はおそらく混んでいたのだろう、いつにもまして料理の出るのが遅かった。子どもたちはさぞお腹を空かしているのだろうと思っていた伯父は突然、「まだなのか!」と今の言葉でいう“キレた”状態になって、しまいには店を出るという。お店の人がなんども詫びを入れたが、そんなものには見向きもせず、ぼくたちはその店を出た。
ここまではよく思い出すのだが、実はそれから後のことをまったく憶えていない。別の店に行ったのか、あるいはやはり店を出るのをやめて(伯母さんかぼくの母が思いとどまらせて)、そこで鶏煮込みそばを食べたのか。伯父の剣幕におされて、記憶喪失になったかのようである。
池波正太郎の食べ物エッセー。
この手の本を読むとすぐに煉瓦亭とか新富鮨とかいっちゃう人がいるんだよね。そういう目的意識をもって「わざわざ食べに行く」という行為はあまり好きではない。なにかのついでにとか、近くまで来たのでたまたま思い出して立ち寄るというのがよい。この本は著者の思い出を食べ物に絡めているからおもしろいのであって、そこで紹介されているものを食べればよいというものでもあるまい。
自分にとっての名店にいかに自らの思い出をつなぎとめるかがだいじなわけでこの本はそういった指南書ではないかと思っている。
ぼくにとっての鶏煮込みそばは忘れらない“むかしの味”である。

2010年3月20日土曜日

筒井康隆『アホの壁』

スーパージェッターの時計以降はプレゼントというプレゼントははずれまくった。
当時いちばん欲しかったのはグリコアーモンドチョコレートで当たるおしゃべり九官鳥だろう。そもそもグリコアーモンドチョコレートでさえ高価なお菓子で滅多矢鱈と買ってはもらえない身分の子どもにそんなものが当たろうはずがない。明治チョコレートでもらえるゴリラも魅力的な景品だった。それと毎週少年誌で大々的にページを割かれる懸賞の数々。わが少年時代は懸賞的には不遇の時代だった。
大人になって少しは状況が変わる。
缶ビールに貼ってあるシールをはがして送る。案外当たるものなのだ、Tシャツとか。これまでの戦利品としては
サッカーのTシャツ4枚、同じくサッカーのビステ(プラクティスシャツっていうのかな)1着、JAPANのオリンピックウェア(ウォームアップシャツ)1着。あとはミネラルウォーターのキャンペーンでオリジナルの(adidas社製だが)トートバッグ。最近ではスポーツドリンクのポイントでゲットした北島康介と石川遼のイラストレーションがプリントされているスポーツタオル。
たいしたものが当たったわけではないけれど、子どもの頃よりかはましだ。
そうそう、スーパージェッターといえば筒井康隆も眉村卓、半村良、豊田有恒らと並んで脚本執筆陣に名を連ねている。今では“アホの壁”で話題の人であるが。
本書は筒井康隆流の人間論と銘打たれているが、抱腹絶倒というよりかはけっこうまともな内容だと思った。

2010年3月16日火曜日

江國香織『がらくた』

卓球の東京選手権が行われた。
ご近所の卓球ショップのコーチたちもこぞって参加し、そこそこに勝ち進んで応援に来た教え子の(といってもたぶんそれなりのお歳の方々ではあろうが…)大声援と喝采を浴びたという。
男子シングルスで前年優勝の丹羽孝希がベスト8目前で韓陽に破れ、8強は野邑、上田、坪口、徳増、塩野、町、張。中学生から社会人までバラエティに富んだメンバーだが、大学生はおそらく学生最後の試合であろう徳増のみ。早稲田の笠原はどうやら棄権したようだ。結果は張一博。これは順当といっていいだろう。
女子も平野が全日本のリベンジ。安定した強さで優勝した。
江國香織を読むのは久しぶり(たぶん)。微妙な色合いの折り紙をちぎってばらまいたような文章は相変わらずきれいだ。ストーリーとしては、まあ、もういいかなって感じかな。でも新刊の出るたび(文庫だけど)手にとらせる不思議な力を持った作家だ。

2010年3月11日木曜日

関川夏央『新潮文庫 20世紀の100冊』

子どもの頃、丸美屋のふりかけの袋のマークを切り取ってプレゼントに応募したところ、当時人気のテレビアニメーション「スーパージェッター」の時計が当たった。時計といってももちろんおもちゃで劇中主人公が流星号と呼ばれる専用の乗り物を呼んだり、コントロールするための腕時計型の通信端末のレプリカのようなものだ。この時計にはもうひとつ優れた機能があって(もちろんアニメーションの話だが)、主人公がピンチに陥ったとき、わずかな時間ではあるが時の進行を止めることができる。後に矢沢永吉でさえ渇望した時間を止めるという荒業をやってのけ、その間に自らは俊敏に動いて、窮地に陥った人を救ったり、爆破寸前の爆弾を無効にしたりと大活躍するのである。
が、当たったのはあくまでおもちゃである。もしそれが本物だったら、今頃ぼくはどんな大人になっていただろう。
ふりかけの袋を集めるように、ぼくは新潮文庫のカバーのはしっこを切って、台紙に貼り、最近パンダの人形やらブックカバーをもらった。それはくれるからもらうだけであって、必ずしも景品つきで本を買わせようという新潮社のやり方に賛同しているわけではない。
毎年各社で文庫100選的な打ち出し方をして青少年を中心に読書普及をはかるキャンペーンを展開しているが、新潮社のやり口は大人気ないとひそかに思っている。この本にしてもそうだ。
関川夏央が20世紀の100冊に対してコメントしているのだからおもしろくないわけがない。まさに最強のブックガイドといえる。そしてこれを販促の冊子ではなく新書として売るところに新潮社の最強の大人気なさが見てとれる。


2010年3月7日日曜日

江夏豊『左腕の誇り』

40年前に巨人ファンだった少年にとって、阪神戦ほどやきもきしたことはなかったはずだ。なにせ、村山、バッキー、江夏を打ち崩さなければ勝てないわけだから。
なかでも江夏は当時V9時代の初期の巨人にとって大きな障壁だった。まだ若手でありながら、ふてぶてしいマウンドさばき、度胸のよさ、うなる剛球。まさにセントラル・リーグ屈指の好投手だった。
当時の阪神はその後のバース、掛布、岡田といった重量級の猛虎打線とはほど遠く、遠井、カークランドら、たいして当てにならない中軸と藤田平、吉田義男ら小粒な野手が勝利に最低限必要な得点をあげて勝つストイックなチームだったという印象がある。まだまだ野球が数値化される以前の時代だ。
江夏豊の立ち位置は野球の歴史という年表的世界にはないように思う。その数奇な生い立ち、つくられたサウスポー(もともと右利きだった)、勝ち運にめぐまれなかった高校時代、そしてまさかのトレード劇など単なる一野球選手の生きざまをはるかに凌駕したドラマの数々がその野球人生にある。そしてぼくは江夏の数々のプレーを同時代に見てきた。今思うにこんなに幸せな野球ファン人生はない。
野球史に残る名投手をはるかに超えた“伝説の左腕”。それがぼくにとっての江夏豊なのである。


2010年3月5日金曜日

富澤一誠『あの素晴らしい曲をもう一度』

商いを営んでいた父親の影響のせいか、子どもの頃から“商業”的なものがあまり好きじゃなかった。
母方の、南房総は千倉町で生まれ育って死んでいった明治生まれの祖母も「商人(あきんど)は人をだまして金儲けをする」からきらいだとよく言っていた。世の中でいちばんいい職業は発明する人だというのが持論の人だった。
そんなわけで高校時代進路を決めるにあたっても商業的なものを極力排除してきたような気がする。経済とか政治とか法律だとかまったく興味がなかった。文学部か教育学部か選択肢はそれくらい。結果的には教育学部にすすんで西洋教育思想のようなものを専攻した。
著者の富澤一誠はJポップの歴史をふりかえるはじめての試みと謳っているが、古くは坂崎幸之助の『J-POPハイスクール』なる本も出ているのでまあこの手のフォーク史、ミュージック史はいろんな形で著されているのだろう。
とにかく音楽評論というのは難しいと思う。感じ方とか残り方が人それぞれだから。結局史実を忠実に語っていくしかないのだろう。坂崎のJ-POP史と本書の相違はアーティストと評論家との温度差なのかもしれない。
巻末の名曲ガイド50は“視聴率アップねらい”の巧妙な仕掛けだと思うが、ややもすると蛇足の感がある。
今は広告をつくることを生業としている。いつ頃から商業的なものに首をつっこむようになったのかまったくもって不思議である。


2010年3月1日月曜日

国広哲弥『新編日本語誤用・慣用小辞典』

区内の体育館での卓球。
おなじみ、スポーツアドバイザーのTさんも全日本出場経験のある凄腕なのだが、そのお孫さんのCちゃんもこれまたすごい。まだ小学6年生なのだが、都内の強豪校に進学することになったという。とにかく区内の大会で中学生相手で敵なし、一般の部でもベスト8という腕前。先日も体育館に行ったものの相手がいなくて素振りをしていたら、Tさんが今孫を呼んだから、相手してやってよという。とにかくスピードが段違い。丹羽孝希とフォア打ちをしているみたいだ(とかいって丹羽孝希と打ち合ったことはないのだが)。どこかのおじさんが「○○区の福原愛ちゃん」と呼んでいたが、サウスポーのCちゃんをつかまえて、愛ちゃんは失礼だろう。石川佳純のほうがたとえて適切であろう。
卓球も難しいが、日本語も難しい。この手の誤用をあつかった書籍のなんと多いことか。
それに最近では誤変換なるものもいい味をだしている。仕事場のMは“第1稿”とするところを“弟1稿”などと誤変換にしては手の込んだまねをする。
なにしろ抜き打ちの尿検査をしたら通常の10倍近い誤字脱字が見つかったくらいだ。本人は「この仕事好きだから…」などとわけのわからぬ言い訳をしていたが。このほかにも“ストップ”を“スットプ”、“しっかり”を“しっかり”、“オピニオン”を“オピニン”と想像を絶する才能の持ち主である。
さてCちゃん相手にしばしスマッシュ練習。もっと右脚にかけた体重を左脚に移動させてとか、もっと前に重心を移動させてとか、6年生から指導されるおれ。
ひと息ついて休むことになった。「だんだんうまくなってきた、はじめのころにくらべて打球が強くなった」だって。もうありがたいやら、情けないやら。
そのあとは、じいじとCちゃんに呼ばれているTさんと特訓。いつものスマッシュ練習に加えて、オール(なんでもありなりの試合形式の練習)までやってもうへとへとだ。
まあとにかくラケットを無心に振っている限り、浮世のごたごたは忘れられるし、下手は下手なりに楽しめる。さらにはこの次はこうしたい、という欲が出てくる。段階の世代からひと回りして、高度成長期に育ったぼくらにはこうした向上心という内発的な刺激が心地いい。