2019年4月30日火曜日

土田美登世『やきとりと日本人 屋台から星付きまで』

横浜の、とある中華料理店をさがしていた。
根岸に妻の母方の墓がある。菩提寺は墓所に近い西有寺、曹洞宗の寺院である。法事があると地下鉄元町中華街駅で下りてタクシーに乗る(以前は東横線桜木町駅からタクシーに乗った)。最寄駅はJRの石川町だ。大学時代の先生が山元町に住んでいて、何度か歩いたことがある。西有寺は山元町の商店街の先にある。
法事が終わると中華料理を食べる。横浜らしい法事だ。記憶にあるのは2軒、ひとつは野毛にあった泰華楼。何年か前にカラオケボックスになってしまった。JRの桜木町駅と京浜急行の日の出町駅のちょうど真ん中あたり。すぐ近くに少女時代の美空ひばりが燕尾服とシルクハットで歌っている、もちろん銅像で。
もう一軒の記憶がない。おぼろげなイメージからすると伊勢佐木町から横浜橋あたりではないか。店は古いつくりで木製の階段で2階に上がると廊下があって座敷がある。この部屋で中華料理を食べた。店の前は比較的大きな通りで上下車線の間に分離帯があり、木が植えられている。この店で食事をしようと決めたのは妻の伯父でタクシーの運転手らに人気のある店であるらしい。
妻がいとこたちに聞いている。これといった手がかりは少かったが、地下鉄の伊勢佐木長者町駅に近かったという。おぼろげなイメージもあながち間違えではなさそうだ。
ネットで調べてみる。グーグルの地図でそれらしい大通りを何度となく往復する。グルメ関係のサイトで片っ端から中華料理店を調べる。見つからない。今は亡き伯父を呼び出しに八戸のイタコに会いに行こうかとも思う。ものはためしと思い、ツイッターでこんな中華のお店ありませんでしたかとつぶやいてみる。
返信してくれた人がいた。
中華一番本店というその店は近くに移転してしまったようだが、移転前の写真がネット上に残されていた。これに違いない。
それはともかく以前訪ねた野毛の末広。ここの焼き鳥はうまかった。
※写真はネットから転載しました。不都合ある場合はご連絡ください。

2019年4月21日日曜日

吉村昭『東京の下町』

日暮里に一由そばという立ち食いそばの店がある。
立ち食いそば店を路麺店などとマニアは呼ぶが、この店はいつ行っても客が数人いて、早朝など出勤前の時間帯から行列ができると聞いている。トッピングは各種天ぷらのほか、コロッケ、山菜、季節によって牡蠣天やホタルイカ天など豊富であるうえに玉ねぎ天、春菊天など‘半分’にも対応、そばも小盛り、大盛りがあって小腹の減った客も気軽に立ち寄ることができる。
立ち食いそばというと最近は生麺を都度茹でして供する店が増えているが、こちらは昔ながらの茹で麺(生麺をあらかじめ茹でてアルファー化したもの)である。時間を短縮し、そのぶんつゆや揚げ物に力を注ごうという考えの店であることがわかる。
日暮里は、吉村昭が生まれた町だ。太平洋戦争開戦後はじめて米軍機が本土を襲ったドーリットル空襲やその後の空襲時に跨線橋を渡って谷中墓地に避難した話などは再三書かれているが、幼少の頃の町や遊びなど当時の日暮里が克明に描かれていて興味をそそる。
昭和2年生まれということはものごころついた少年時代が昭和の初期。川本三郎だったか関川夏央だったか忘れてしまったけれど、戦前の昭和は決して暗い時代ではなく、明治から大正を経てようやく人々の生活習慣や考え方が変わって、今でいう家族というスタイルが確立した時代であるという。そういった点からすると吉村昭の少年時代は、戦後の復興を経て高度経済成長期に差しかかる時代、ようやく本来の昭和を取り戻した30年代に生きた僕たちの少年時代に相通じるものがあるかも知れない。父親の世代といってもいい著者の子ども時代が妙になつかしく思える。
西日暮里駅から地蔵坂を上って諏方神社に向かう。谷中墓地を通って芋坂を下り、跨線橋を越える。善性寺という寺の裏手あたりに吉村昭の生家はあった。
一由そばでげそ天そばを食べながら、様変わりした都会の深層に潜んでいる遠い時代の日暮里に思いを馳せた。

2019年4月11日木曜日

山本一力『芝浜』

寝る前に落語を聴くようになった。
以前は読みかけの本を読んでいたが、もう寝るというのに目を酷使するのもいかがなものかと年相応なことを考えるようなった。YouTubeにはたくさんの演目がアップロードされている。タブレット端末にイヤホンを差して聴く。ところが本を読むのも落語も聴くのもさほど変わりはない。すぐにうとうとしてくる。気がつけば画面は真っ暗。最後がさっぱりわからない。落ちていたのは自分だった。
古今亭志ん生の「らくだ」は最後まで聴くのに一週間もかかった。ヘミングウェイは「誰がために鐘は鳴る」を5回観たという。イングリッド・バーグマンがそんなに気に入ってくれたのかと訊くと、がまんできずにすぐ映画館を出てしまうので全部観るのに5回かかったという。志ん生のらくだがつまらないわけではない。ついつい睡魔に負けてしまうのである。
五代目古今亭志ん生は、NHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でビートたけしと森山未來が演じている。ドラマのナビゲーター役でもある。次男が高級ふりかけ錦松梅のテレビコマーシャルでおなじみだった三代目古今亭志ん朝だ(縁あっていちどお目にかかったことがある)。志ん生は1973年に他界している。リアルタイムで聴いたことはない。
志ん生の落語は聴く側を身構えさせない。自然体で聴くことができる。これが立川談志のようにたたみかけてくるとそうはいかない。聴かなくちゃという思いが強くなる。ついつい最後まで聴いてしまう(もちろんそれでいいに決まっているのだが)。そもそも眠るために落語を聴くという行為自体がおかしいのだが「もう寝よう、でも落語を聴きたい」という相矛盾する願いをかなえてくれるあたりがやはり志ん生の名人たる所以なのかもしれない。
立川談志の「芝浜」はいい話だ。落語は芸術なんだと思い知らされる。ただし寝るとき聴くのはよくない。夢になってしまうからだ。

2019年4月10日水曜日

ダグ・スティーブンス『小売再生 ―リアル店舗はメディアになる』

仕事のために読む本がある。読まなければならない本とでも言おうか。読まなければならないということもない。読んでおいた方がいい、くらいの本である。
たとえばほとんど知らない業種の動画シナリオを頼まれたりする。ネットで基本的な情報やニュース記事を集めて読んでも身に入らないことがある。そんなときに当該業界を扱った話題の本を読んでみる。ネットの記事や動画を見てもピンと来なかったものがうすぼんやりではあるけれどカタチになってくる。そういうことがたまにある。
とはいうものの、「仕事で読まなければならない本」という概念がかっこわるい。やらされている仕事、やる気のしない宿題みたいな感じがする。そこに自主性が欠けている。好きでもないものに、興味のかけらもないものに費やす時間が嫌いなのだ。その一方で、不本意な仕事でもよろこんでこなすことが大人である。いやだいやだと言いながら一日中本を読んでいる。いつまでたっても大人になれない。それもまたかっこわるい。
正直に言って、リアル店舗がネット通販に凌駕されようが、壊滅させられようがどっちでもいいと思っている。さしたる興味はない。先日読んだ『リアル店舗の逆襲』は最新のテクノロジーを駆使してお店を再生させようという、どちらかといえばテクニカルな内容の本だった。今回読んだこの本は違う。ネット通販の圧倒的な破壊力をきちんと分析した上でリアル店舗のネクストを切り拓こうとしている。
いまだに活気のある商店街が東京にもいく箇所か残されている。足を運んでする買い物の楽しさがある。そんな町を歩くと少しばかり元気になる。昔ながらの商店街がいきなりメディアになることは難しいだろうが、人を寄せつける力のある限り、リアル店舗は可能性を秘めている。
というようなことを思い描きながら読みすすめる。仕事で読まなければいけない本の中身がいつしか自分ごと化してくる。
少し大人になったような気がしてくる。

2019年4月7日日曜日

リテールAI研究会『リアル店舗の逆襲』

目黒川の桜がきれいだというので目黒駅で下車。西側が斜面になっている。夕陽がまぶしい。
初老の、といっても僕より十かそこら歳上と思われる上品な紳士と目が合う。道を訊ねたかったのだろう。
「すみません、アマゾン川がこの近くにあると聞いたのですが」
とっさに目黒川の桜を見にきた人だろうと思い、アマゾン川ではありません、目黒川です、今日あたり満開できれいですよ、この坂道を下ったところです、などと返答する。ちょうど僕も川沿いを歩こうと思っていたので、いっしょに歩くことにした。
「さがしてる本がありましてね」
聞けば、古書を探して早朝の高速バスで北関東のとある都市から東京に出てきたという。神田神保町に向かい、目ぼしい古書店を見てまわったが、お目当は見つからない。都内かその近県に娘さんが住んでいて、電話をしたらしい。
「アマゾンならあるっていうんですよ。それで交番で訊ねたら、目黒だというんで地下鉄でここまで来たんです」
それからしばらくアマゾンのことを話した。
そのうち、どこかでビールでもいかがですかと誘われた。僕のスマートフォンで検索し、駅前のコーヒーショップでご所望の本が見つかる。
「よかった。そこのアマゾンで買えるのですね」
この画面に出てくる商品はすべて通信販売で売られているものなんですとあらためて説明する。大きく肩で息を吐き、「そうですか」という。
結局、僕が購入して送ることにした。代金はその場でいただいた。送料もお支払いしますと言ってくれたが、ビール代でじゅうぶんですとおことわりした。
最初に彼が訊ねたのは、この近くにアマゾンはありませんかだったのだ。目黒川をめざしていた僕がそれをアマゾン川と聞きまちがえたのだ。
リアル店舗はオートメーション化をはかることでネット販売に対抗している。要するにそんな内容の本である。
ここに記したことはつくり話であるけれど、彼のもとにちゃんと本が届いたかどうか気になっている。

2019年4月5日金曜日

半村良『小説浅草案内』

元号が平成になったばかりの頃、浅草の仲見世でテレビコマーシャルを撮影した。もう30年も前のこと。
昭和の初期以前に生まれた方にとって、浅草は日本を代表する歓楽街だったと思われる。東京に来たら、まずは浅草、そして銀座、だったのではないだろうか。小津安二郎監督「東京物語」で上京した父と母(笠智衆と東山千栄子)を戦死した次男の嫁原節子が観光に連れて行く。浅草の空が画面いっぱいに映し出される。
浅草に遊びに行く世代でなかった僕が言うのもおかしな話だが、当時の浅草は今でいう東京ディズニーリゾートのような存在だったのではないだろうか。エンターテインメントあり、グルメあり、遊園地あり、およそ娯楽と呼ばれるジャンルのものはひととおりそろっていた。誰もが憧れる全国区の観光地だった。
しかし、時代とともに新宿、渋谷、池袋、お台場とターミナル駅を中心に人の集まる町が増えていく。それに合わせて浅草も少しずつ廃れていく。往時の輝きをずっと保持していたら、浅草はきっと世界遺産に選ばれていたことだろう。
浅草を舞台にした小説としては川端康成や高見順が知られている。もちろん時代小説も多い。半村良と聞くと『戦国自衛隊』がすぐに連想されるが、以前『葛飾物語』という作品に出会い、SF作家だけではなかったことを知る。
本所、深川を皮切りに方々移り住んだ著者が浅草にたどり着く。浅草の町を歩き、浅草の人をながめ、川本三郎のように路地や横丁に姿をくらます(それでも下駄の音でわかってしまうと思うが)。ひたすら庶民であり続けようとする。かなり素敵だ。
浅草というと浅草寺のある浅草公園の周辺、雷門や仲見世、公園六区のあたりと限定しがちだが、東京15区時代の旧浅草区が、南は神田川の北岸、西は合羽橋、北は三ノ輪や南千住と接するあたりまであったように思いのほか広い。半村良と出会った粋で素朴な浅草っ子たちがこの小説の主人公といえる。