2019年2月25日月曜日

飯田泰之『新版 ダメな議論』

大井町にカメラの森商会というDPEの店がある。
DPEといってもデジタルカメラ全盛となったこの時代にあって知らない方も多いだろう。フィルムカメラで撮影したフィルムを現像し、プリントをしてくれるお店は20年くらい前ならどの町にも2~3軒はあった(というか、カメラにフィルムという言葉をつけて書くところがもう悲しい)。デジタル化がすすんだ今、かつてのDPEショップの多くはデジタルカメラのストレージやスマートフォンで撮影した写真データをプリントアウトする店に変わっている。カメラの森商会もそういったタイプのデジタル対応したDPEショップである。
古くから営んでいるカメラ店で古い町並みの写真を見かけることがある。当時のカメラ屋に最高級のカメラを自ら駆使して店頭に飾る写真を撮る店主は多かったはずだ。恵比寿駅に近い大沢カメラも昔の店舗や駅周辺の写真を展示している。カメラの森商会も同じように古い写真を飾っている。恵比寿のカメラ店と違うのは、その町並みが僕が生まれ育った大井町であるということだ。
カメラの森商会は、昨年だったか大井町駅を下りて、三ツ又商店街でも久しぶりに歩いてみようかと思い、通りかかったときに見つけた。昭和30年代から40年代、50年代の駅前の風景が所狭しと飾られている。圧巻のなつかしさである。何度か通りすがりに眺めていたのだが、あるとき気がついてお店の人に訊ねてみた。「表に飾ってある写真をプリントしてお分けしていただくことはできますか」と。
飯田泰之という著者は知らなかったが、題名に惹かれてこの本を読んでみた。
ネットやSNSの急速な普及で本当なのかどうかわからないニュースや情報に接さざるを得ないことが多い。たとえば用語の定義は明確かといったことなど、きちんとした議論かどうかを見きわめる、読みきわめるスキルが今大切なのだ。
題名からして、もっと軽い本かと思っていたが、期待はいい方に裏切られた。

2019年2月21日木曜日

博報堂買物研究所『なぜ「それ」が買われるのか? 情報爆発時代に「選ばれる」商品の法則』

眼鏡を新しくした。今回は「新しいフレームは以後買わない」くらいの強い気持ちで購入にのぞんだ。
なるべく普通で何年たっても普通のデザインであることを基本に据えた。普通であるということはカタチとしてはウェリントンということになる。間違ってもエルトン・ジョンやミシェル・ポルナレフのサングラスではないということだ。黒縁、太めのセルフレームで当然のことだが高価ではないこと。以上が選定の条件である。値段も2万~3万円とする。少々高めの設定だが、これが最後のフレームだという覚悟なのだから仕方あるまい。
ネットで検索してみる。そこで絞り込んで、お店に行ってかけてみる。そんな作戦にした。絞り込んだのは、オリバーピープルズ、白山眼鏡店、エフェクター。トム・フォード、フォーナインズ、金子眼鏡店、増永眼鏡は少し高いので除外。高価な眼鏡はお店でかけるだけで肩が凝る。それまでまったく知識のなかったメーカーやブランドに少しは詳しくなった。
最近の人たちは買物が楽しくないという。商品はもちろんのこと情報も溢れかえっている。そんな洪水状態のなかから適切なものをひとつ選ぶ行為が面倒らしい。商品が欲しいという欲が希薄になったのではないけれど「モノ=商品」が実現してくれる「コト=商品体験」の方が重要視される時代になっているせいもある。
ひとつの商品に味だの色だの香りだといったバリエーションがある。バリエーションが多ければ多いほどいろんな人の好みに対応できると考えるのがその商品の送り手の立場かも知れないが、実験によると24のバリエーションより6つ程度の方が手が伸びるというのだ。選びたいのはやまやまだが、選ぶことを苦痛にしたくないということか。
で、これからは売る方もお客さんに選んでもらいやすい「枠」をつくっていくことがたいせつだとそういったことがこの本には書かれている。
欲しい眼鏡をあらかじめ絞り込んことは成功だった。

2019年2月18日月曜日

博報堂ブランド・イノベーションデザイン局『博報堂のすごい打ち合わせ』

博報堂はユニークな立ち位置を貫いている広告会社のひとつだ。
大学卒業後、数年間電通に勤務した叔父が広告をつくるのなら博報堂に行きたかったと言っていた。彼は将来絵を描く仕事に就きたいという夢があり、元博報堂より元電通の方がつぶしがきくという理由で電通を選んだという。たしかにその後イラストレーターになったのだけれど、その真偽は今となってはわからない。
それはともかく、独自の生活者発想で研究を重ねたり、自社のビジネススキルをまとめて書籍化するなど、博報堂の生き方は素敵だ。ためになる。
ずいぶん昔のことだが、博報堂で1時から打ち合わせだというので田町あたりでお昼を食べてから指定の会議室に向かった。誰もいなかった。中止になったのかと思った(携帯電話はまだ普及していなかった)。後で聞いたら13時ではなく、夜中の1時からだった。
博報堂の打ち合わせはすごいと思った。
今でも印象に残るのはI田さんというクリエイティブディレクターと組んだテレビコマーシャルの企画提案作業である。本書でも書かれているが、I田さんも雑談が得意だった。はじめて顔を合わせたときからよくしゃべっていた。
最初にもらった宿題は、今回の提案(プレゼンテーション)に名前をつけようという課題だった。ひとり100案考えてこようということになった。博報堂では何百というアイデアを紙に書き出して、壁に貼るという話を以前から聞いてはいたが、本当にそんなことをするんだとびっくりした。
働き方をどうたらこうたらしなくてはいけない時代になっている。夜中に集まって打ち合わせをすることも少なくなっているのではないだろうか。雑談なんかに時間を使っていないで要点だけポンポンとまとめて、じゃ次回、みたいな味気ない打ち合わせも増えているかもしれない。
今どきの、効率のいい打ち合わせもあるだろうが、ほぼ無駄になるようなアイデアをかき集めてのぞむ打ち合わせも楽しい。いい経験をさせてもらった。

2019年2月14日木曜日

カート・ヴォネガット『ジェイルバード』

昔読んだ本をもういちど読んでみる。
本は同じでも読み手の環境が変わっている。まったく違う印象を得ることもある。それも読書の醍醐味か。
この本は10代のうちに読んでおくべきだ、中学生のうちに読むべきだ、みたいな本がある。少年少女向きであったとしても大人が読んでいけないこともない。むしろ年を取ってから読んだ方が響くことが多いかもしれない。書物は万人に開かれている。
『ジェイルバード』はたしか20代のなかばにいちど読んでいる。四半世紀をとっくに超えての再読になる。
ジェイルバードとは囚人という意味である。ロバート・フェンダーという朝鮮戦争中に反逆罪に問われた終身刑の男が登場する。主人公ではなく、単なる脇役である。支給室(受刑者の私服の受渡しをする部屋)で係員をつとめている。一日中エディット・ピアフのレコードをかけることを許されている。長年聴きつづけたので物悲しい調子のフランス語を流暢にあやつる。
30年前の僕がエディット・ピアフを知っていただろうか。レコードプレイヤーから流れる《ノン、ジュ・ヌ・ルグレット・リアン》を口ずさむことができただろうか。30年前に受け流した一節がぜんぜん違う風景に見えてくる。これを主人公ウォルター・F・スターバックの台詞を借りていえば「長生きは勉強になる」である。
エディット・ピアフを聴くようになったのはいつ頃からだろうか。
2007年にオリヴィエ・ダアン監督「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」を観た。マリオン・コティヤールがエディット・ピアフになりきっていたのが印象に残る。エンディングで流れる曲が《ノン、ジュ・ヌ・ルグレット・リアン》、邦題は「水に流して」である。おそらくこの頃、CDを買って、くり返し聴いていたのだと思う。
この一冊を通じて、僕はエディット・ピアフを知らなかった頃の僕に出会うことができた。これからも似たようなことがあるかもしれない。
しばらく再読はやめられない。

2019年2月8日金曜日

カート・ヴォネガット『母なる夜』

ここのところ、電子書籍で読むことが多くなった。
もちろん紙でしかない本もあるから、電子版ばかり読んでいるわけではない。しおりを挟んだりする必要がないのはたしかに楽だ。夜、そのまま眠ってしまっても翌朝そのページを憶えていてくれる。ありがたい。
最近、昔読んだ本を再読する機会が増えた。ときどき書棚をのぞいてみる。文庫本はかなり処分したけれど、いずれもういちど読もうと思っていた単行本はそのまま残されている。
白水Uブックスという新書サイズの本がある。今はデザインが変わったけれど、昔はブルーとグレーのツートーンの装幀でよくデザインされていた。
デザインのいい本に弱い。つい手が出てしまう。読んでいるだけなのにちょっとセンスがよくなったような錯覚を与えるのである(それは暗示にかかりやすいという個人的資質にもよるのだろうが)。
さほど多くはないけれど、何冊か読んでいる。ジョン・アップダイク『走れウサギ』、J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』、ジョン・ファイルズ『コレクター』など。カート・ヴォネガットの『母なる夜』もそのひとつだ。
カート・ヴォネガットというとSF作家という印象が強いけれど、この作品はそうではない(宇宙へ行ったり、時空間を行き来したりしない)。幼少の頃、アメリカからドイツに渡り、売れっ子の劇作家となるハワード・W・キャンベル・ジュニアはナチの広報員となる一方でアメリカのスパイとして活動する。ラジオパーソナリティとして人気を博しながら、本人がそれと把握することなくアメリカ本国へ暗号を送る。もうこれだけで複雑な物語の様相を呈する。
ハワードが実在の人物であったかどうかはわからない。モデルとなる人がいたのではないかと思う。それくらいリアルに構成されている。
本の見返しに「870208」と記されている。32年前の今日、読み終わったということか。
残念ながら記憶はほぼ消滅している。

2019年2月4日月曜日

安西水丸『青山へかえる夜』

時間ができると日比谷図書文化館の二階で雑誌を読んだり、東京関連の本を眺めて過ごす。
今のように千代田区立でもなく、図書文化館でもない都立日比谷図書館の時代(学習参考書を解読するしか楽しみがなかった高校生時代)からここには足を運んでいる。僕にとって気持ちが落ち着く空間である。現実から逃避できる不思議な居心地のよさがある。
イラストレーター安西水丸は生前お付き合いがあったので(というか縁あってさんざんお世話になっていたので)、ときどきその著書を開いてみる。今までに出会うことのなかった安西水丸がそのなかにいそうな気がして。
この本は1990年代なかば頃雑誌に連載されていた文章をまとめた単行本である。著者がいちばんいそがしかった時代ではないだろうか。適当に書いているといえばそれまでだが、ユーモアを通り越した悪ふざけのなかにも独自のペーソスが感じられる(ほんのわずかだけれど)。
安西水丸の著作のなかでは『手のひらのトークン』(新潮文庫1990年)が秀逸だ。大学卒業後勤めた大手広告会社を辞めてニューヨークにわたった青年の物語。創作と呼ぶには生々しい当時の「ぼく」の苦悩が描かれている。安西水丸になるずっと以前の渡辺昇(本名)がそこにいる。
当時、南青山にあったバーアルクールがなつかしい。重い扉の向こう側には現実と隔離された不思議な空間があった。僕より少し年上のKさん、少し年下のIくん。ふたりのバーテンダーがカウンターの中に立っていた。ワイルドターキーのライウイスキーをすすりながら、とりとめのない話ばかりしていた。安西水丸は夜中にふとあらわれて、「安い酒は飲まない方がいい、二日酔いになるから」と言い残して消えていった。
アルクールはその後西麻布に移転した。その後フェードアウトするように通わなくなってしまった。
安西水丸が他界してもうすぐ5年になる。近々、墓参りに行こう、近況報告をしよう。

2019年2月1日金曜日

堀江貴文・西野亮廣『バカとつき合うな』

そろそろ眼鏡を新しくしたい。
今使っている眼鏡はかれこれ7~8年になるだろうか、いつ頃からかけているのかさえも記憶にない。眼鏡店に行くと今度は大江健三郎みたいな丸眼鏡にしようといつも思うのだが、セルフレームのまん丸眼鏡は案外高価なのである。それにいつも行くお店ではさほど在庫も多くない。町を歩いていても、大江健三郎みたいな眼鏡をかけている人をほとんど見ない。需要がそんなにあるわけでもないのだろう。
駅ビルに店を持つ大きな眼鏡店で何度かまん丸のフレームを試したことがある。思っているほど似合っていない。結局、お店の人にすすめられるまま、ちょっと今風のフレームに落ち着く。それはそれで無難な選択である。
それでも眼鏡店を訪ねるたびにあれこれ試して悩む。なんという既視感。眼鏡ごときでと言ってはなんだが、デザインだの、似合う似合わないだの、流行っているとかいないとかにかかずらうのも疲れる。できればブルックスブラザースのネイビーブレザーみたいに未来永劫悩み無用のものがあればいい。
そもそもが眼鏡というものは視力の低下にともなって買い替えるものだが、視力に合ったレンズに交換してもらえばいい。クルマが壊れるたびに買い替えていてはたいへんなことになる(そういう人も世の中にはいるんだろうけれど)。古いクルマをきちんと整備して乗り続けている人もいるが、燃費だの安全性能が格段に進歩したせいで買い替えざるを得ない人もいる。昔の眼鏡のフレームだからCO2を多く排出するなんてことはない。いいフレームを長く使うのがいい。合わなくなったらレンズを替えればいい。
『バカとつき合うな』には世にあふれるさまざまなバカが登場する。いいバカもいれば、悪いバカもいる。切れるはさみと切れないはさみがあるのと同じことだ。
そういう観点からすると、この頃の僕はあれこれ理屈をこねまわして高価な眼鏡を購入する言い訳を考えているバカである。