2009年6月27日土曜日

田家秀樹『いつも見ていた広島』

3つ上の姉が高校受験で夜遅くまで勉強していた頃、ラジオでよしだたくろうのパックインミュージックを聴いていて、そのすごさをよく聞かされた。
よしだたくろうはテレビに出ないという。それだけですごいと思った。「人間なんて」という曲をコンサートで何時間も歌い続けるという。これもすごい。「イメージの詩」という曲があって、6分くらいの長さだという。これまたすごい。古い水夫は古い船を動かせないかもしれないが、新しい海の怖さをちゃんと知っているのだという。六文銭のメンバーと結婚する。それで「結婚しようよ」などという曲をヒットさせた。コンサートでは「帰れコール」を浴びせられる…。まあ、何から何まですごいことずくめのシンガーソングライターだった、ぼくにとって。
その吉田拓郎もついに最後のコンサートツアーに旅立った。

この本は広島でバンドをやっていた頃の二十歳前後の、フォークの貴公子と呼ばれる前の吉田拓郎が主人公。小説となっているのである程度脚色されたところもあるだろうけれども、拓郎の青春時代を垣間見られる貴重な資料だ。フォークのたくろうがこうやって生まれたんだなと思わせる叙述が随所に見られる。
田家秀樹は毎日新聞の夕刊にも現在連載を持っているが、日本の音楽シーンのちょっとした歴史家だ。ぼくのような団塊世代の12周遅れの人間にも懇切丁寧に史実を語り継いでくれる先生だ。

2009年6月24日水曜日

テスト

テストテストテスト!



2009年6月22日月曜日

泉麻人『東京の青春地図』

卓球の日本リーグが今ひとつ盛り上がっていないような気がする。
ひとつには先の世界選手権で活躍した日本勢の若年化があげられる。男子単ベスト8の吉田海偉(現在はフリー)、男子複の岸川聖也をのぞくとほとんどが大学生、高校生だ。もちろん韓陽や福岡春菜など世界ランカーも参戦しているのだけれども。
それとリーグ内で格差が大きすぎる。男子でいえば協和発酵キリン、東京アート、シチズンが強すぎる。この3チームだけでリーグ戦をやればいいんじゃないかとも思う。
あと、まあこれはどうでもいいことだが、東京大会の場合、場所が遠すぎる。別に綾瀬が辺鄙な場所だとか東京の田舎だと言っているわけではない。代々木とか、駒沢とか、千駄ヶ谷とかさらに盛り上がる会場もあるんじゃないかって気がするのだ。しかも土足厳禁。入口でスリッパに履きかえるそうじゃないか。スリッパの嫌いな人は上履きを持参するそうだ。
重ねて言うけど綾瀬が辺鄙な場所だとは思っていない。そのうち、そう、泉麻人あたりが散歩をして、雑誌のコラムに気の利いたことを書いてくれるだろう。

子どもの頃、従兄弟と六本木の釣り堀に行った記憶がある。六本木かどうかは定かじゃないんだけど、従兄弟が六本木に住んでいて、退屈だからといって、三河台公園のあたりからタクシーに乗って釣りに行ったのだ、小学生の分際で。なんとなく、おぼろげな記憶では東洋英和の近くかなあと思っていたんだが、何年か前、一緒に仕事をしている広告会社のS君が幼少の頃六本木に住んでいたというので釣り堀のことを話したら、「ああ、ああ、ありましたよね、釣り堀。昔のテレ朝のほうじゃなかったでしたっけ」という。それからしばらく釣り堀のことは忘れいていた。
先日、本屋で立ち読みをしていたら、その釣り堀のことが書いてあった。それだけうれしくて買ってしまった。
場所は南麻布。本村小学校のすぐ近くに、今もその釣り堀はあるようだ。
そういえば最初に就職した会社に泉麻人同様、付属から慶應に上ったKくんというのがいた。やはり広告研究のサークルに所属していたそうで泉麻人のことを朝井さんと本名で呼んでいた。そんなこともあって、ぼくも泉麻人を心の中では朝井さん、と呼んでいる。

2009年6月17日水曜日

ビートたけし『漫才』

先週、近所の体育館で卓球をしていたら、いつもいっしょに練習しているMさんが具合が悪いといって、外で横になっている。体育館の館長も心配して、救急車を呼ぶことになった。誰か付き添いということで、ここ3、4ヶ月毎週のように顔を合わせているぼくが同乗することになった。もちろん救急車に乗るなんてはじめてのことだ。
近くの病院まで搬送され、待合室でしばらく待ってたら、先生と思しき方が来て、急性心筋梗塞の疑いという。そういえば救急車の中で胸が苦しいとか言ってたっけ、Mさん。その日は夜になって、ご親戚の方が病院に駆けつけて、ぼくは解放されたのだが、はやめの処置をしてほんとうによかった。
翌日、Mさんから留守電話にメッセージが残されていた。集中治療室を出て、一般病室に移ったという。それでも2週間ほど入院しなくちゃならないそうだ。
体育館ではじめのうち、昨日飲み過ぎちゃってとか言っていたので、なんだMさん二日酔いなんじゃないのとか笑っていたんだけど、笑ってる場合じゃなかった。
話変わって、ビートたけし。
毒舌は毒蝮三太夫をはじめ、話芸の1ジャンルとして確立されているが、ツービートの漫才は群を抜いて、おもしろかった。おもしろかっただけじゃなく、毒舌の基本である痛烈さをはるかに飛び越えてくだらない。この「くだらなさ」を極めるあたりがビートたけしの大物たるゆえんではないだろうか。
もちろん活字で読むツービートもそれなりのリズムやテンポがあってよいのだが、これを原作にぜひ、近い将来、映画化して欲しいものだ。



2009年6月13日土曜日

TCC広告賞展2009

高見山の東関親方が定年ということで、マスコミで連日のように取り上げられている。高見山といえばぼくたちの少年時代にはもっともアイドル的な力士だ。当時NHK解説者玉の海、神風らから再三のように腰高、下半身のもろさを指摘され、結局関脇止まりだったが、それでも大相撲の世界で果した貢献は大きい。
ニュースでは相撲人気を盛り上げた力士、曙、高見盛など育てた親方、それに何にも増して、遠く異国ハワイから単身高砂部屋に入門し、慣れない環境、ましてはどこよりも厳しい角界で、日本人以上に日本の心を育んだ先達として、外国人力士がこれほどまでに増えた現在の相撲界のパイオニアとして賞賛を浴びせている。
もちろんこれら東関親方の足跡は多大な評価を受けてしかるべきだが、ぼくが何よりも高見山に偉大さを感じるのは65歳の定年まで健康で相撲道を貫き通したことだと思っている。とかく、力士はその見かけに比べ、怪我や病気にもろい。高見山は現役時代から故障に強かった。休場もごくわずかだった。その力士時代に学んだものを親方になってからも自らに課し、大きな病にかかることもなく、定年まで寡黙に後進の指導にあたることができたのではないか。
以上はTCC広告賞展とはなんら関係のない話だ。
上記展示が13日までの開催と聞いて、あわてふためいて汐留のアドミュージアム東京に出かける。
昨年はオリンピックイヤーで広告的には盛り上がった1年だったと思うのだが、そのわりには表現的にはいまひとつだったような気がする。前回同会場で開催されていた『中国国際広告祭展』にも同じような印象を持った。
獲るべき作品が順当に受賞し、切磋琢磨がなかったんじゃないかと思えるほど、強い作品とそうでない作品ときちんと線引きされたみたいだ。広告表現の世界も格差社会なのか。
新人賞の作品で見た九州の質屋ぜに屋本店のTVCMが秀逸だった。彼女の誕生日を前に部屋の中の質草が思い思いに語り始めるというもの。ちょうど『罪と罰』を読んでいたせいもあるかもしれないが、妙に感慨深かった。最後の腕時計の台詞がいい。

2009年6月7日日曜日

島田雅彦『小説作法ABC』

先日夜中に録画しておいた『未来世紀ブラジル』を観る。はちゃめちゃな映画だが、なかなか愉快で飽きさせない。
今日は午後から近隣の体育館で卓球の一般開放がある。先週はどこの体育館も5週目の土日ということで開放の割り当てがなかった。中一週開いたので、多少混雑するかもしれない。
毎日新聞の夕刊に島田雅彦が法政大学で小説の書き方を講義していると紹介されていた。その講義をまとめたのがこの本。
実のところ、島田雅彦の本は読んだことがなかった。
小説作法云々というといわゆる教養書的な文章読本みたいなイメージをつい持ってしまうが、これは歴とした小説の教科書である。あいにく、今のところ小説家になる予定はないので、さらっと読み終えてしまったが、これから文学で身を立てんとする若者たちには心強い本なのではないか。
それでもああ、小説家ってたいへんなんだなあといまさらながらその苦労がわかっただけでも今後の読書の一助になるだろう。それに引用されている数々の作品は、これから読みたい本のリストをつくるのに役立つと思う。