2010年8月29日日曜日

角川歴彦『クラウド時代と〈クール革命〉』

そうそう。最近の体育館の話。
区内にいくつか体育館があるのだが、そのうち古いものをのぞくと空調設備があって、実に快適なのである。たいして必死に卓球に取組んでいるわけではないのでそう汗をかくこともないのだが、空調はあるにこしたことはない。もちろん空調の設備のない体育館もないわけではない。夏は暑く、冬は寒いのである(そんなことは当たり前のことだが)。そういう体育館ではぼくのようなへなちょこ卓球でもそれなりに汗をかく。昨今ではスポーツ中はこまめに水分補給などということが奨励されているので、お言葉に甘えて、アクエリアスだのポカリスエットだのを大量に摂取する。高校時代には考えられなかった夢のような世界だ。
思い出した。体育館の話じゃなくて、Tシャツの話だ。
昨年から、スポーツするのに適したTシャツ、とりわけ夏場に着心地のいいTシャツはどこのメーカーのものかをそれとなく調査していた。最近のTシャツは昔のような綿100%のものではなく、ポリエステル製の、乾きがはやく熱を放出しやすいタイプのものが主流である。とはいえ、各メーカーのものを着くらべてみると微妙に着心地がちがう。
今、いちばんしっくりくるのはmizuno製で、軽く、やわらかく、風合いもいい。さすがは全日本チームのユニフォームをまかされているだけある。asics製も悪くない。ただちょっと厚手な感じがする。卓球用品メーカーのTシャツの中ではButterfly製とNittaku製のTシャツを着るが、後者はちょっと厚くて重くて、冬場はいいが夏だときつい。前者はまずまず合格点であるが、デザインがいまひとつだったりする。まあ、へなちょこ卓球のぼくに言われる筋合いもないだろうけど。
出版業界を代表する論客が熱く語るネット社会の未来像。その意欲は終章に“提言”というかたちで述べられている。日本の将来を支える日の丸クラウド。クラウドコンピューティングがめざす社会がいつしか単なるネット社会の一般論になって、どこがどうクラウドなのかよくわからなかったし、時折主語を端折られて読みにくいところもあるにはあるが、その熱意にだけは感心させられた。ユーチューブやグーグルを黒船にたとえる人が語る未来ってなんとなくおもしろい。
案外夏場活躍するのはunderarmerとかmizunoのBIO GEARといったアンダーシャツだ。これらはちょっとお高いけれど、着ていて暑くない。それでいてTシャツ一枚のときのようにびしょぬれになる感じがなくていい。ぼくにとってはちょっとしたクラウドコンピューティングのようなシャツだ(って意味がわからない)。


2010年8月26日木曜日

内田百閒『百鬼園随筆』

高校時代は炎天下でバレーボールの練習をしていた。
昔の話ではあるが、けっして大昔のことではない。バレーボールは屋内スポーツで公式戦は体育館で行われていた。もちろん6人制が主であった。
ぼくの通っていた高校は都心の真ん中にあったが、広さという点では恵まれておらず、体育館も小さかった。なんとか月に一度とか、週に一度とか体育館を使える日もあったが、基本は校庭に石灰でラインを引き、ネットを張って練習した。
敷地の狭いぶん、郊外の多摩川べりに合宿所があって、野球グランド、サッカーグランド、テニスコート、そしてバレーボールのコートがあった。もちろん屋外に、である。夏休みに行われる合宿練習では、ここに寝泊りして一週間朝から晩まで練習に明け暮れる。ぼくの在学中は幸か不幸か、天候に恵まれ、連日猛暑の中、楽しく練習させていただいた。諸先輩方に話を伺うとやはり合宿期間中は天候にすこぶる恵まれていたそうだ。
今では母校はなくなって新しい学校になってしまったが、広い体育館があり(バレーボールのコートが2面とれる体育館をぼくは“広い体育館”と呼んでいる)、多摩川の土手近くにある合宿所も以前に比べて縮小したようだが、そこにも体育館が(もうかなり以前に)つくられ、生徒諸君は幸か不幸か快適な合宿練習を行えると聞いている。
何の話をしようとしてたんだっけ?昔のことを思い出しているうちに忘れてしまった。
この夏はちょっと不慣れな仕事をした。主に電波媒体の広告の仕事をしているので印刷媒体の仕事というのは不慣れなのである。不慣れな仕事というのは疲れるものである。そうした疲れを癒すには、なんといっても人間くさい書物がいちばんである。
内田百閒は『阿房列車』でもお世話になったが、偏屈を通り越して、ぼくには真っ当な人に思える。なるほどと思える。もちろん借金ばかりしようなどとは思わないが、不思議なリスペクトを感じさせる心地いい作家のひとりである。


2010年8月22日日曜日

中村計『甲子園が割れた日』

高校野球も終わった。
去年の秋、大垣日大がまず明治神宮大会を勝ち、春選抜は興南、そして夏も見事に連覇した。夏の上位校は大方の予想通りだったのではあるまいか。報徳学園、興南、東海大相模は前評判どおり。千葉の成田が強いていえばよく検討したということになるだろう。ぼくが期待していたのは聖光学院、北大津、開星。残念ながら今一歩だった。不運な敗戦もあれば、幸運な勝利もあったが、スポーツは練習よりも試合が選手を強くする感がある。勝ち進んだチームは勝ち進んだぶんだけ着実に強くなっている。練習は嘘をつかないとよくいうが、勝利も嘘はつかないと思う。
また1年を通してチームのレベルを保ち続けること、さらにはチーム力を強化していくことはたいへん難しいことだと、毎年のことだが、思い知らされる。秋からコンスタントに全国レベルの力を保持し続けたのは興南、東海大相模であり、この両校が決勝を争ったのは不思議ではない。選抜をわかせた日大三や帝京は夏の大舞台にすら立つことができなかった。一方でこの春から力をつけてきた学校も多い。激戦区兵庫を勝ち、近畿大会を制した報徳や春の東北大会を勝った聖光学院、近畿大会で報徳には敗れたものの昨秋から飛躍的に強くなった履正社などがそれにあたるだろう。
松井秀樹が甲子園で5敬遠された試合はテレビで観ていた。当時はずいぶんなことをしやがるもんだなあと思っていたし、純粋に松井のバッティングを見たいと思ったものだ。今はどうかというと、野球に限らずスポーツでは勝つことが重要性であるとの思いが強い。作戦として当然のことだったと思えるようになっている。そういった意味では、この本は今さらな感じではあるのだが、かつて明徳義塾の野球に苛立ちを感じていた頃の熱い自分が懐かしく思えた。
東京の秋季大会一次予選は来月中旬からだという。来年の夏はもうはじまっている。

2010年8月19日木曜日

川端康成『雪国』

“上”とつくものに多少の抵抗感がある。
上天丼とか上カルビとかにだ。なかには“特上”なるものもあって、仮に経費でまかなえるとしても分不相応な気がする。ただ、特上があるメニューの上は比較的頼みやすい。
ときどき大阪風のうなぎが食べたくなって、銀座のひょうたん屋(6丁目と1丁目に店がある)に行くことがある。6丁目の店は松・梅・竹と昼時だけの丼があり、1丁目は上・中・並で並はお昼だけとなっている。もちろんいちばんリーズナブルなランクを注文する。それでも1,000円を超えるわけだから、贅沢な昼食だ。
ごくごくまれに豊かな気持ちになりたくなって、上のランクのメニューを頼むことがある。それでも松や上は頼めない。それを注文する人は人格高潔にして聖人君子のような人でなければいけない(と、勝手に思っている)。金さえ払えば何を食ってもいいかというとけっしてそうではない(はずだ)。客としてじゅうぶん鍛え上げられた客だけが特上の資格を得るのである。
子どもを連れて行く焼肉屋で特上ばかり注文する父親はだいじな教育の機会を失っている。特上もあるけれども、今日は上カルビにしておこう。特上はいつか、しかるべき時までだいじにとっておこう。こう言うのが教育である。
言い訳がましいが、そう思っている。
鉄道ファンの書いた本や旅行記に引用される率が非常に高い川端康成の『雪国』であるが、もちろん鉄道の本でもなく、旅の話でもない。上越地方が舞台なので吉幾三の“雪國”とも関係はないようだ。
精緻な描写力が生んだきわめて映画的な作品であると思う。かつて映画には岩下志麻が駒子役を演じたらしい。島村役の木村功もあわせて見事なキャスティングだ。



2010年8月16日月曜日

小川浩・林信行『アップルvs.グーグル』

金曜土曜と房総なのはな号で千倉まで行く。都心に比べれば、もうこの時期になれば朝晩いくらか涼しくなるはずのこの辺りも蒸し暑い。
バスの旅は楽といえば楽であるが、昨日のように帰省ラッシュに巻き込まれたりなどすると余分に時間がかかって困る。まあ、それでものろのろ走ってくれたおかげで東京湾華火が見られたのはラッキーといえよう。
今日はかねてから約束のあった野球観戦に行く。午前中近所の体育館で軽く卓球をして(それでも激流のような汗をかく)、昼食を摂り、14時開始の巨人横浜戦になんとか間に合う。一塁側内野席でそれなりに盛り上がる席だったが、試合はあまり盛り上がることもなく、むしろ気になったのはラジオで聴いていた高校野球だったりして。
空調の効いた東京ドームで観る真夏の野球は快適至極であるが、その一方でこれが野球観戦の“ふつう”の姿なのかとも思う。やっぱり野球は炎天下でする、観るっていうのが正しいのではないか…。
ところが今世の中の人の多くが気になっているのはどうやらアップル対グーグルであるらしい。たぶんにiPhoneとアンドロイド携帯によるスマートフォン対決が街中を賑わせているからだろう。
ぼくも1990年代はMacintoshユーザだったのでAppleの製品とその思想には感嘆する者のひとりである。最近は残念ながらApple製品は使っていない。それは自らのITリテラシーを高めるために課している試練なのである。より率直に述べるならば、PCを買い換える原資に乏しいのである。
ぼく個人の経験と印象だけでアップルvs.グーグルを語らせてもらえば、グーグルのアプリケーションはまだまだ粗削りだし、デザインも含め操作性全般に“ゆきとどいたところ”がじゅうぶん見られない。その点でいえば、最近のアップル製品はきわめて完成度が高くなった気がする。とはいうものの昔のMacintoshだって、気が利かないIM(っていったっけ?かな漢字変換のプログラム)やすぐに起きるフリーズ、日本語を小馬鹿にしたようなフォントなど、いけてなかったよなあと思うのである。
だからぼくとしてはこの勝負、今のところ引き分けってことで勘弁してもらいたい。

2010年8月12日木曜日

吉村昭『羆嵐』

都心の電車が空いて、高速道路が渋滞する。盆暮れ正月とはよく言ったものだと思う。
どことなく、であるが東京は風通しがよくなったような気がする。あるいは日本海を進む台風のせいかもしれないが。
今週末は休みをとって、千葉の千倉に恒例の墓参りに行こうと思っている。宮脇俊三もたいして話題にしなかったなにもない房総半島の突端である。最近は東京駅八重洲口からバスの便もあり、東京湾に渡した橋を通る楽しみができた。かつてはフェリーで渡っていたところだ。
ここのところいっしょに仕事をしている某広告会社の営業T君が今まで読んだなかでいちばん怖い小説ってなんですかと訊く。
怖いといってもねえ。スリラーとかホラーとかあんまり読まないし、スティーブン・キングとかですかね。
などと話し込んでいたら、クリエーティブディレクターのHさんが怖いといったら、吉村昭の『羆嵐』だよ、怖いよう、と話の輪のなかに入ってきた。怖い話ときいて、そこであらすじを聞いてしまっては元も子もないので、そこから先は話題を換え、続きは読んでみることにした。
人間にとって“怖い”というのは、地震・雷じゃないけれど、超常現象とか凶悪犯などではなく自然現象なのだと思った。ふだんぼくたちはそうしたものに対する文明という備えを整えているから、恐怖を感じないだけであって、やはり無防備なまま自然そのものに立ち向かうというのは非常に恐ろしいことなのだ。
たとえば夏場に起きる水の事故などその最たるものといえよう。

2010年8月9日月曜日

宮脇俊三『最長片道切符の旅』

いつしか仕事場から時刻表がなくなっていた。
今、たいがいのものがネットで調べられる時代だ。時刻表を開かなくとも、どこそこへ何時着で行きたいか、なんてことはポータルサイトの“路線”で調べればいい。ただしそこには旅程をイマジネーションする楽しみはない。
ぼくが時刻表にのめり込んだのは、小学生の頃だと思う。1970年、本州から蒸気機関車がなくなった頃だ。考えてみれば地理も歴史も漢字も時刻表に学んだところが大きい。北海道の地名は特殊だとしても、その地方地方で独自の読み方をする地名をぼくは駅名から学んだ。東京からの距離感は巻頭の路線図と東京から、あるいは始発駅からのキロ数で学んだ。
3年前、南仏を訪れたときも、頼りにしたのはトーマスクックだった。時刻表というシステムは万国共通なのだ。
テレビコマーシャルの企画立案という仕事を最初に手ほどきしてくれたMさんはCMプランナーである以上にすぐれた画家だった。今でも横浜でご近所の奥様方に水彩画を教えておられる。そのMさんの座右の書であったのがこの『最長片道切符の旅』である。
宮脇俊三はもと雑誌編集者であったと聞くが、そのあたりのコミュニケーションのセンスはじゅうぶんにうかがえる。車窓から見える風景をだいじにし、しかも余計なことは書かない。あたかもいっしょに日本を縦断しているような錯覚に陥る。著者が小海線で小淵沢から小諸に向かうとき、車内放送の簡潔さを賞賛するくだりがある(賞賛は大げさかもしれないが)。事実だけを簡潔に述べ、ためになる。筆者の、この本に対する基本的な姿勢を垣間見ることができる貴重なシーンだ。
そもそも時刻表とはそういうものだ。余計なことはいくらでも付加できる。にもかかわらず、寡黙に情報を提供し、それから後のことは旅人にまかせる。この本はシステマティックに最長ルートを割り出し、ただ暇に任せて乗りつぶした人間の記録ではない。真に時刻表や鉄道という装置産業に敬意を表する人間にしか書くことできなかった稀有な旅行記である。
そういえばMさんの描く安曇野の水彩画は、まるで列車の車窓からながめる風景のようだった。


2010年8月5日木曜日

共同通信社編『東京あの時ここで』

紙の手帳を使わなくなってもう10年になる。
携帯型の端末が好きであれこれ渡り歩いてきた。NECのモバイルギア、シャープのザウルス、ヒューレットパッカードのJORNADA。その後Palmに移行して、Visor、Clie。Clieは今も現役で使っている。
この間の“予定”はPCと同期を取りつつ、引き継いできたので、Clieのなかには2000年3月からの予定が保持されている。Clieももう5年ほど使っているだろうか。バッテリが弱くなってきたので、先日交換した。秋葉原にはフィギュアだけでなくこんなものもまだ売っているのだ。
さしあたりClieの延命措置はできたが、せっかくここまでためこんだデータだから役に立たないだろうが持っていたいと思うのは人情だろう。古いMacintoshの一体型やノート型を捨てられないのと同じだ。もちろんPCとはときどきシンクロナイズさせているのでOutlookには過去のスケジュールデータは残っている。ただ考えてみるとWindowsXPもPalmOSもいつまであるかわからない。
というわけでグーグルカレンダーに10年データを移行させることを思い立った。今はグーグルのアプリケーション(Google Calendar Sync)でなんてこともなくOutlookと同期がとれる。たいしたものだ。アドレス帳もCSVに書き出してグーグルにインポートした。ところがこれがいまひとつ。グーグルの住所録は番地、住所、郵便番号の順に表示されるアメリカンなもので、ちょっと気障ったらしい。わざとそうしているのか、グーグルという急成長する企業に担当スタッフが追いつけていないのか定かじゃないが。その点WindowsLiveのアドレス帳は郵便番号、住所、番地と普通に日本人ライクに表示される。なかなかよろしい。
急成長急発展をとげるクラウドコンピューティングの世界だが、戦後の日本もそうだったのではないか。その政治経済文化の中心を担ってきた昭和の東京には手さぐりで発展をとげてきた形跡がいくつも残されている。要するにこの本はそんな東京の足跡を追いかけている。


2010年8月1日日曜日

NHKスペシャル取材班『グーグル革命の衝撃』

PCのハードディスクがいっぱいで、残り何メガバイトという状態だった。
一般には(というか経験的には)ハードディスクの容量が一杯になるといろいろとトラブルに見舞われることが多い。ハードディスクの換装か、新しいPCの購入か(もう5年くらい使っているWindowsXPマシンだし)。2~3日悩んだのだが、あれよ?これってパーティションをかえればいいんじゃないのとさっきようやく気がついた。
もともと40Gしかないのだが、20+20でCドライブ、Dドライブに割り当てられていたのだ。Dドライブなんてそもそもデータの逃がし場所でしかないからほとんど使っていなかった。でもってPartitoin Wizardというソフトをダウンロードして、25+15に変更。
心なしか反応が速くなった気がする。少なくともそう感じることができるだけでも精神衛生上いい。
引き続き、グーグル本。
よくあるテレビのドキュメント番組のようにNHKスペシャル取材班は明快な結論を避けている。そんな印象の一冊。
検索から広告へつなげたこと、消費者と広告主のニーズをつなげたことがグーグル勝利の起点だ。広告というビジネスモデルと縁遠い存在であるNHKにはない発想がある種の戸惑いで終始させたのだろうか。あるいはそれは読み手の、下衆の勘ぐりか。
先に読んだ『グーグル時代の情報整理術』で筆者のメリルは手書きメモとデジタルデバイスの棲み分けを語っているが、要は結論的にはそういう共存形態なのではないか。検索まかせで図書館で文献を調べない若者が多いとか、多くなるとか、クラウドに記憶をゆだねて自ら思考を封鎖する人間が増えるとか、携帯端末で利便性を享受するだけの旅とか、ありえるとしてもさほど危惧すべきでもないような問題を針小棒大のごとく提起するテレビ番組の取材チームは視聴率を稼げても世の中にはなんら身のある提言をしていないに等しい。