2011年5月31日火曜日

川本三郎『日本映画を歩く』


日本ダービーはオルフェーブル号が制し、皐月賞に続いて二冠を達成した。
今年の競馬は先の震災の影響もあって、変則開催で皐月賞も日本ダービーも府中の東京競馬場での開催となった。古くはトウショウボーイ、ヤエノムテキの勝った皐月賞が東京開催だった。同じ競馬場で距離が400メートル延長されるだけだから、二冠も容易だろうと思われるのだが、天馬トウショウボーイでさえ伏兵クライムカイザーに敗れている。
というわけで1988年東京開催の皐月賞に範をとり、今回予想してみた。昭和最後のダービーを勝ったのはサクラチヨノオー号。皐月賞は一番人気で3着に敗れている。が、その前の、皐月賞トライアルともいうべき弥生賞で勝っている。似たパターンを今回の出走馬からさがしてみるとやはり人気で皐月賞に敗れたサダムパテック号が浮上する。弥生賞も勝っている。迷わず本命とする。
1951(昭和26)年、無敗で皐月賞馬とダービー馬となった伝説の名馬がいる。トキノミノル号である。馬主は大映社長の永田雅一。戦績10戦10勝。ダービー直後破傷風で急死してしまった。その後、1955年には「幻の馬」という映画となった(映画の中ではタケル号)。
以上、この本からの受売りである。
川本三郎にとって町歩きと映画は切っても切り離せない。まさに真骨頂の一冊といえそうだ。
先週末は東京でもたいそうな雨が降り続いた。競馬予想もはずれ、大雨の降りしきる東京競馬場をテレビで視ながら、ひと月に35日降るという屋久島の雨を思った。

2011年5月28日土曜日

藤井青銅『ラジオにもほどがある』


BCLという趣味があった。
ラジオや海外短波放送を聴くといういたってシンプルな趣味である。放送を聴いて、聴いた場所、受信状態、受信機の種類、放送内容などを受信報告として送るとベリカードと呼ばれるお礼の(?)カードが送られてくる。その収集がモチベーションを高める。ま、そんな趣味である。“あった”と過去形にしたのは今そんな趣味があるのかわからないからだ。
小学生から中学生にかけての時期、1970年代のはじめにそんな趣味が流行った。とはいっても高級な受信機など持っていないし、うちにあった古い真空管のラジオ(5球スーパーだったと思う)では国内の短波放送を聴くのがやっとだった。当時の雑誌、誠文堂新光社の『模型とラジオ』や電波新聞社の『ラジオの製作』などを紐解くと高一中二(高周波増幅一段中間周波増幅二段のスーパーヘテロダイン方式)受信機や再生検波式受信機の製作記事が載っていて垂涎のまなざしで眺めていたものである。メーカー製ではトリオの9R59(D、DS)が高嶺の花だった。
その後ソニーがスカイセンサーというスマートなラジオを発売した。これはかなりすぐれた製品だったが、真空管仕様の“受信機”に憧れていたぼくたちには“しょせんはラジオ”な感じが拭いきれなかった。
海外短波の受信にはアンテナが重要なファクターになる。ラジオとアンテナに恵まれていなかったぼくのコレクションは結局国内のAMラジオ局とモスクワ放送、北京放送のベリカードにとどまった。再生検波受信機のキットをつくり、ささやかながらもアンテナを建てた友人のHからVOA(Voice Of America)のカードを見せびらかされたときちょっとくやしい思いをした。
藤井青銅はたぶんこれが2冊目。今となっては斜陽メディアと思われがちなラジオがかろうじて輝いていた時代に裏方としての活躍していた著者の、少しなつかしく、少しほろ苦い自慢話である。

2011年5月24日火曜日

梨木果歩『僕と、そして僕たちはどう生きるか』


小学生のころはずいぶん本を読んだものだが、中学から高校にかけてはほとんど読まなくなった。理由は思い当たらない。結果的に読まなかったということだ。月並みな原因究明をするとすれば、勉強や部活が忙しくなったとか、深夜ラジオばかり聴いていたとか、たぶんそんなことだろう。
そんなわけでその頃読むべき本を読んでいないのが自分の読書的特徴である。いわゆる名作が欠落している。もちろんそれが原因で不幸、不利益を被ったことはない。『こころ』を読まなくても学校生活に支障はなかった。むしろ谷村新司の天才・秀才・ばかシリーズを聴かないと翌日つらい思いをした。
久しぶりに梨木果歩を読む。
主人公の名はコペル。その叔父さんが子どもの頃読んだ本の主人公の名が、彼の呼び名になっている。その本はもちろん、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』だ。
群れの中で自分自身と向き合いながら、どう生きていかなければならないのかという物語である。もちろん“どう生きるのか”の答はない。集団に順応し、流されていくこともある主人公をはじめ、さまざまなタイプの少年少女が登場する。童話のようにわかりやすいキャスティング。サイドメニュー的な役割を果たしながら彼らをフォローする大人たちとエピソード。舞台は森。読み手にストレスを与えない梨木ワールドだ。
初代コペル君は上級生にいじめられる親友に助けを貸さなかったことで自己嫌悪に陥り、苦悩する主人公だったが、今回はコペル君とその仲間みんなが主人公だ。
多様化する時代、多様化する個と集団をも視野に入れた平成の吉野源三郎である。

2011年5月21日土曜日

田家秀樹『70年代ノート』


関東学生卓球リーグ早稲田対明治戦を観る。
明治は世界選手権出場の主将水谷が欠場。早稲田も笠原、御内が残っているものの昨年の主将足立がいなくなり、ダブルスが弱くなっている。しかも先週、埼工大が早稲田を4-3で破る金星を上げ、恒例の全勝対決ではなくなった。
トップで笠原、続いて御内が無難に勝って、早稲田ペースかと思われたが、明治3番手の平野(野田学園)が流れを変えた。ダブルスは平野・神(青森山田)の1年生ペアが笠原・板倉組に逆転で勝利。その流れで岡田(愛工大名電)、神と1年生3人で4ポイント連取し、見事全勝優勝を飾った。
明治の1年生はそれぞれ他校の新人にない勢いをもっている。しばらく明治1強時代が続くのではないだろうか。
先日読んだ赤瀬川原平『東京随筆』同様、この本も毎日新聞に連載されていたものだ。
以前、田家秀樹の『いつも見ていた広島』という吉田拓郎を主人公にした小説を読んだ。70年代といえば個人的には吉田拓郎である。どうしても拓郎中心に音楽シーンの動きを見てしまうが、この本は特定のアーティストに偏ることなく“70年代”という時代そのものを浮き彫りにしようとしている。
著者も書いているように激動の10年を駆け足で通り過ぎていった印象は否めないものの、次々に押し寄せてくる70年代のアーティストたちの挫折と模索、そして成功が凝縮された一冊である。たしかに新聞連載時には次週掲載が待ち遠しかったが、こうして単行本として読むと実にはかない10年だったのだと思い知らされる。
はかなくも濃密な10年。かすかな記憶をたどって、当時の自分をふりかえるとちょっとせつない気持ちになる。

2011年5月18日水曜日

根岸智幸『facebookもっと使いこなし術』


先週、南青山のSPACE YUIで安西水丸+和田誠AD-LIB4を見た。
ふたりのイラストレーターがひとつのテーマでイラストレーションを描きわけるという楽しい試みですでに4回目となった。心和む愉快な絵がならぶ。
青山から外苑西通りを千駄ヶ谷方面に歩いた。お昼を食べていなかったのでホープ軒でラーメンを食べる。腹ごなしの散歩は外苑から権田原に出て、御所沿いに坂を下る。この坂は安鎮坂。南元町、昔の鮫河橋あたりから上りになって学習院初等科から四谷見附に抜ける。坂を下ったところで左に折れて中央線のガードをくぐる。なんとなく道なりに歩いて行くと若葉町公園に出、その先の細い坂道が暗闇坂。寺や神社の多い須賀町の谷底を越えると四谷三丁目である。
なんてことを地図を見ながら、想像してみた。実際はホープ軒の後、外苑前から地下鉄に乗って仕事場に戻っている。
FacebookはTwitterにくらべて、オフィシャルな感じがする。気軽につぶやくという雰囲気ではない。そんなわけでついつい敬遠しがちなのだが、いろいろ活用するには便利なアプリがあるという。そんなこんなで手にとってみたわけである。
まだまだ日本語環境の整っていないアプリもあるが、たとえばDocsなどはGoogleのアプリより使い勝手がよさそうな気がする。ノートを使えば、ブログ的な使い方も可能だし、なかなか奥が深いぞFacebookと思う。もちろん、あくまで一個人の感想に過ぎないけど。

2011年5月15日日曜日

赤瀬川原平『東京随筆』


世界卓球選手権がロッテルダムで行われている。
男子単期待の水谷隼は前回王者の王皓に準々決勝で敗れ、ベスト8止まりだった。男女とも8強のほとんどが中国選手。そのレベルははかりしれない。水谷も相当王皓の卓球を研究したであろうが、逆に水谷がそれ以上に研究されていたのではないか。あまりにも呆気ないゲームだった。
日本卓球はとかく、打倒中国を掲げてはいるが、実際のところは超級リーグにトップ選手を派遣するくらいのことで現時点では抜本的な打倒中国策に至っていないように思われる。東大野球部が元プロ野球選手の谷沢健一をコーチとして招へいしたように日本の卓球も中国のトップクラスの指導者を招いみてはどうだろう。
日頃、近所の体育館で卓球をしていると教えるのが大好きなおじさんが必ずいるものだ。頼まなくても無償でああだこうだと指導してくれる。莫大な卓球人口を誇る中国のことだ。超A級の教え魔がいるに違いない。
今、毎日新聞の土曜日夕刊に「川本三郎の東京すみずみ歩き」という連載があるが、以前連載されていた散歩コーナーが赤瀬川原平の「散歩の言い訳」だった。この本はその連載を単行本にしたもの。赤瀬川原平は難しいこと、面倒なものを好まないタイプの人なので散歩という、ある意味、意味のない行為にはうってつけの人物である。
この本でも行った先々の歴史や薀蓄なんぞに字数を多く使わない。読んでいて散歩している気分になる。その点が川本散歩と少し違う。そのくせときどきいいことをいう。「どの店も美味しそうだが、昼食というのは失敗すると明日までないから、選ぶ目にも力が入る」、「静かなのは音がしないというより、静かな人たちがいるからだと思った」などなど。抜書きしておく。

2011年5月11日水曜日

林芙美子『浮雲』


先日、新宿区落合にある林芙美子記念館を訪ねた。もともと林芙美子が住んでいた家を新宿区の郷土資料として開放、展示している。
西武新宿線中井駅は妙正寺川が削ったであろう谷間に位置していて、その北側の目白大学や西落合の台地に向かって急坂がいくつかある。あまりに坂が多くて、ネーミングにも困ったのだろう。一の坂、二の坂と、戦後できた新制中学校や小学校が人口急増とともに番号を割り振られたような、そんな名前が付いている。
記念館は石段になっている四の坂の下にあり、『放浪記』『清貧の書』などからはイメージしにくい立派な木造家屋である。編集者を待たせる部屋や使用人の部屋まである。行商人の子として、貧しく育った著者もこの家に移り住む頃には、売れっ子の小説家だったのだ。なにしろシベリア鉄道で陸路パリまで行った人なのだ。
『浮雲』は成瀬巳喜男が映画化している。外地から戻り、たくましく、したたかに生きる女主人公ゆき子を高峰秀子が演じている。映画の主役はあくまでゆき子であるが、小説の中で林芙美子が浮雲になぞらえたのは実はゆき子ではない。
今、文庫本などで身近に読める林芙美子の長編は『放浪記』とこの『浮雲』だが、必死の思いで書きなぐった日記風の前者にくらべ、後者は荒削りで乱暴だった時代の文章から格段の進歩をとげている秀作だと思う。しかもドストエフスキーの引用があり、ゾラの空気感を宿すところもあり、小説家林芙美子の完成形に近づいている。その結果が落合の、立派な木造家屋なのかもしれない。
『悪霊』第2巻もはやく読まなくちゃとも思いつつ。

2011年5月7日土曜日

池田あきこ『パリと南仏に行こう』


ゴールデンウィークはどこに行くでもなく、なんとなく過ごした。
散策したのは西武線の中井から高田馬場、江戸川橋にかけての神田川沿い。西早稲田のえぞ菊で味噌ラーメンを食べて、水神社に出て、胸突坂を上り、目白坂を下りる。目白も高台ではあるけど、小石川に比べるとゆるやかな感じがする。江戸川橋から茗荷谷界隈まで歩こうと思ったが、坂道を考えてやめることにした。飯田橋までそのまま神田川沿いに歩いた。
また別の日に神宮球場に行ってみた。久しぶりに野球を観た。
昨年ドラフト1位指名された好投手を3人擁した早稲田が今季は大方の予想通り苦戦している。今年は市川、杉山、地引とキャッチャーを3人スタメンに揃えている。まあどのみち今年は竹内大・福谷が投げ、伊藤の打つ慶應が断然強そうだ。それに続くのがエース野村の明治ではないか。そういえば野村の後輩、広陵の有原が早稲田に進学し、もうマウンドに立っている。大石よりスケール感が大きく感じられ、速球も140キロ台後半と速い。まだまだ荒削りといおうか、走者を出すととたんに打たれ出すが、今後の成長に期待しよう。
十条の斎藤酒場にも行ってみた。連休の谷間で空いているかと思っていたが、あれよあれよのうちに満席になった。串かつやポテトサラダが店内を飛び交っていた。
近場もいいが、今頃の季節になると南仏あたりに行ってみたくなる。アビニョンとかアルルとか。アンティーブとかカーニュシュルメールとか。もちろん南仏にこだわるわけではない。リヨンでもボルドーでもナンシーでもストラスブールでもいい。要はどこでもいいのである。
この本にとくに感想はない。

2011年5月3日火曜日

池内紀編訳『カフカ寓話集』


小石川富坂を後楽園あたりから上るとほどなく伝通院前の交差点に出る。
左に折れて、安藤坂を下れば、神田川。川に沿って新目白通りを下流にすすめば飯田橋、反対に行けば江戸川橋から高戸橋に出る。富坂上はちょっとした高台なので、どこに出るにも都合がいい。その反面、どの坂を下りようか、迷ってしまう。
小石川と呼ばれるこのあたりは高校時代はよく練習試合をした竹早高校や大学時代に教育実習に通った学校もあり、当時と町並みはずいぶん変わってしまっているものの思い出深い一帯である。水道橋駅や都営地下鉄の白山から歩いたこともある。もちろん丸ノ内線茗荷谷駅から来たこともある。下り方を迷うように上り方もバリエーションがいくつかある。
茗台中学校脇に石段があった。方角的には西向きだろうか。高い建物ばかりだが、目白や牛込方面が見渡せる。足下に丸ノ内線が地上を走っている。そんな風景を見ながら、一段、また一段と下りてみた。石段を下りきったところにトンネルがあった。その上は地下鉄の車庫。
カフカの「巣穴」を思い浮かべながら、トンネルを抜けた。
このあいだ池内紀の本を読んで、しばらくぶりにカフカを読んでみたくなった。寓話集と名づけられている。池内紀の名訳とはいえ、心して読まないとたちまち睡魔に襲われる。
とりたててカフカを読み込んでいるわけではないが、長編・大作のヒントが随所に隠されている小品集なのかもしれない。「皇帝の使者」は「万里の長城」を思い出させるし、「巣穴」の閉塞感は「変身」のにおいがする。
そしてトンネルを抜けるとそこには切支丹坂があった。