2005年12月21日水曜日

鈴木隆祐『名門高校人脈』

名門高校っていうからてっきりぼくの出身校もあるかと思ったら、かすってもいなくてちょっとムッとした。まあそれはどうでもいいんだけど、けっこう人脈話に展開されているのか思ったら、そうでもなく、名門高校を全国からチョイスして、その出身者を羅列しているだけ。それぞれの学校の校風みたいなことも触れられてはいるけど、どちらかといえば通りいっぺんの学校案内程度。おまけに有名大学の進学状況なんか書いて紙面を埋めるお粗末さ。名門ってそういうことじゃあないんじゃないかなって思いました。

2005年12月1日木曜日

三浦展『下流社会』

有徴、無徴といった考え方がある。
記憶の中にあるのは言語学だか民俗学だか、ソシュールとかレヴィ=ストロースなんかに関する本を読んだとき知ったことだけど。つまり俳優は無徴だけど女優は有徴。お茶は無徴だけど紅茶は有徴といった具合に、そのものを表すのに余分な徴(しるし)があるかないかといういことかと思っている。
その点からすればおそらく「下流」は無徴だった。「上流階級(階層)」はあっても「下流階級(階層)」はなかった。その後、「中流」が有徴化され、中流意識なるものが生まれた。
いわゆる団塊世代に支えられて「中流」が肥大化するにつれ、その二世や次なる世代が消費社会の主役になっていく。そうして社会的格差は広がっていき、「下流社会」が有徴化されてきた。「下流」は単に所得が低いといことではなく、意欲が低いのだという視点も上流、中流の延長上に位置づけられた下流ではなく、新しい階層集団としての「下流」を際立たせている一因だろう。
社会科学は得意でないので、よく分析された本なのかどうかもよくわからないが、細かい表やグラフを添えてくれているとなんとなくよさげに思えて、妙に納得できてしまう。そう思ってしまうことが「下流」なのかもしれないが。


2005年10月20日木曜日

池内紀『森の紳士録』

先日、山梨にキャンプに行った。アウトドア好きの友人家族に誘われるままに、はじめてテントで眠った。オートキャンプ場を往復しただけだから、積極的に山歩き、森歩きをしたわけではないが、久しぶりに澄んだ空気にとっぷり触れた気分だ。少なくともテントででも寝ないと夜の森の雰囲気は味わえない。
ドイツ文学者である著者は引退後、山歩きをはじめたという。
もともと自然散策が好きだったのかもしれない。かなり精力的に歩きまわっている。また文学者であったせいだろう、イマジネーション豊かな視点で「森の紳士」たちを切りとっている。自らの見聞きしただけでなく、きちんと文献も散策して、その辺が単なる山歩き自慢の本を超えた仕上がりになっている。
もしかしたらこのまま一生出会うこともない動植物たちにしばし思いをめぐらせた。

2005年9月11日日曜日

佐野真『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』

はじめて父親とプロ野球を観たのが小学校2年のとき。当時の神宮球場は外野席が芝生で寝転んで観戦する人も多かった。産経アトムズ対読売ジャイアンツの試合でもうほとんど記憶にない。唯一憶えているのはジャイアンツの森捕手がぼくらの座っていたライト側に大きなファールを打ったことくらい。
子どもの頃の娯楽はプロ野球と大相撲だったんだけど、とりわけ野球は好きだった。それは今も変わっていない。
もともとものごとのしくみとかルーツをたどるのが好きだったせいもあって、プロ野球から大学野球、高校野球と観戦対象もひろげてきた。
和田毅は東京六大学時代、神宮球場でなんどかその登板を見ている。さほど身体も大きくなく、特徴的なフォームでないにもかかわらず、相手打者のバットが空を切る。それが不思議だった。織田、三沢、藤井秀悟、鎌田と早稲田からプロ入りする投手は多かったが、体格的に劣る和田がこれほど活躍するとも思えなかったし、そもそも江川卓の六大学奪三振記録を塗り替えることさえ、意外でしかたなかった。
というわけでこの本は積年の不思議、疑問の数々を解明してくれたまさにタイムリーな一冊だ。構成もテレビ番組のスポーツドキュメントを見ているようで、小難しさはないし、それでいて専門的につっこんでいるところも見受けられる。居酒屋の野球談義には欠かせない一冊だろう。


2005年7月21日木曜日

角田光代『キッドナップ・ツアー』

テレビに角田光代が出演していた。それまで読んだことはなかったのだが、仕事場が荻窪にあると聞いて、急に親近感がわいてきた。で、何冊かまとめて読んでみることにしたわけだ。
『キッドナップ・ツアー』は中学生の長女が持っていた夏休みおすすめ図書みたいなパンフレットに取り上げられていたので、読んでみて、おもしろかったら娘に貸そうという効率的な観点もあって買ってみた。
夏休み、だらしなくて、情けない実の父親に誘拐される小5の娘が主人公。各地を転々と旅をする。
娘ハルが言い出せなかった言葉、口まで出かかってのみこんでしまった言葉、そうしたもどかしさが短いけれどだらだら続く誘拐旅行のいい味付けになっている。
うちの次女はいま4年生。5年生になったら、ハルみたいにしっかりしてくれるのだろうか。


2005年6月11日土曜日

山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』

20年くらい前までは売れているから読むとか、そんなことはなかったんだけど読書に割ける時間が減ってきてるし小さい字は見にくいしでなるべく効率的に読書しようと思うようになっている。できるなら周りの人と共通した話題を持てる本も読まなくちゃってことで、これからは売れてるから読むでいいんじゃないかと。
著者の山田真哉は会計学が専門というが、けっして専門くさい本ではなく、むしろものごとの原理とかしくみとかわかりやすく解き明かしてくいれている。いわばラジオはどうして聞こえるの?飛行機はどうして飛ぶの?という疑問に明快に答えてくれるようですがすがしい気分になる。
「100人と薄っぺらい関係を築くのではなく、100人の人脈を持つひとりの人物と深くしっかりとした関係を築くべきなのだ」
というちょっとした余談も会計の枠を超えたいいアドバイスである。


2005年4月27日水曜日

川上弘美『古道具中野商店』

学生時代に通っていた喫茶店があった。最寄り駅から大学までは20分ほど歩くのだが、駅から少し遠くて、通学路から少しはずれたところにあったので、同じ大学に通う学生はほとんど来ていなかった。
遅めの午前の授業の前か、午後の授業の終わりに立ち寄っては、ひとしきり本を読んでは帰った。そう年配とはいえない夫婦で経営していた記憶があるが、常連だったとはいえ、会話を交わしたこともなく、ただコーヒーを飲んで、本を読んで帰る大人しい学生だったわけだ。特になにが楽しくてそこに佇んでいたのではない。ただその空間に身をおくと時間の流れが止まってしまうようで、そのことが心地よかったのだ。
外界から時間的にも空間的にも遮断された場が好きだ。別に世の中のことがきらいなわけじゃなくて、むしろ世の中の面倒なこと、こまごましたことに煩わされることは苦にならない。時間的空間的に遮断されていたって、身の回りのことや世の中のことはうごめいている。喫茶店でコーヒーを飲んでいたって、人の話は聞こえてくるし、レポートの提出日は迫ってくる。たぶん、そこは遮断されているんじゃなくて、遮断されたいと思うぼくのイマジネーションを刺激してくれる場所だっただけかもしれない。
中野商店で繰り広げられる日常は、あまりに日常すぎて、ぼくたちの生きている世界から遮断されているような錯覚に陥る。まさに不純物のないありきたりな日常だ。平凡な毎日もここまで徹底的だとその中に息づく人間関係の微妙な動きが鮮明に映し出されてくるように思う。
最近、ドラマや映画を観ていても過剰な演出や、突飛なシチュエーション、無意味な映像効果が氾濫している。久しぶりにデジタル合成のない実写だけの映画を観たような気がした。

2005年4月10日日曜日

清水義範『大人のための文章教室』

清水義範は好きな作家のひとりだ。パスティーシュの名手とよくいわれるが、それは多くの文章に接しただけでなく、よく観察している結果として彼独自の世界が生み出されたからだろうと思う。
一方で清水義範は教員養成系大学で国語教育を専攻していた。教員の経験はないものの、日本語を教えるということに関しては何がしかのものを持っているはずだ。
というわけでこの本を手に取ってみた。一見実用書のように見える。読んだその日から役に立ちそうな体裁をしている。ところが読んでみてわかるのは彼の文章に対する観察力、洞察力だ。それもすぐれた文章にとどまらない。このことはこの本だけでは読み取れないが、彼は街に貼られたポスターや注意書き、家電製品の取扱説明書までこと細かに読んでいる。読んでいるというより、観察している。この本では子どもの作文を取り上げて言及しているが、もともと文章が好きなんだろうなって思ってしまう。身近な文章の書き方を指南する実用書のふりをして、作者の文章に対する日ごろの思いや信念が綴られているといってもいいかもしれない。
さらに実用書らしい演出がさえているのは、品格のある名文は文章力だけでは生まれないときちんと線引きしているあたりだ。まずやらなければいけないことはわかりやすく伝わりやすい文章を書くことだと。
文章読本と名のつく書物は硬軟数多あったが、さすがは清水義範だなあと思わせる「ちょうどいい感じ」がこの一冊にはある。

2005年4月1日金曜日

細谷巖『細谷巖のデザインロード69』

青山のバーで何度か細谷巖を見かけたことがある。アートディレクターというより、昔ながらの職人さんという風貌だ。人は見かけで…というが、どこからあのような広告デザインが生まれてくるのか、ずっと不思議だった。
いわゆる団塊の世代以前の人たちはアメリカのデザインをダイレクトに受け止めた世代だと思う。それ以後は日本の何者かによって媒介されたアメリカ文化しか知らないのではないだろうか。団塊世代のひとまわり下のぼくもそうだと思う。和田誠もそうだと思うが、アメリカの豊かさを見事に体現できるデザイナーが育ったのは、“戦後”を経験した世代だけなのだろう。
さて、和田誠と細谷巖は同じライトパブリティというデザイン会社で育ったふたりだが、デザインの根幹の部分はかなり近いと思う。しかしながら、そのキャラクターはずいぶん違うようだ。言葉は悪いが、器用で、あらゆる面で才能を発揮する和田誠に対して、細谷巖は不器用で、朴訥で、そのデザインワークに似合わず地味な人である。その細谷巖が語ったこの本は、まるで細谷さんそのもののように質朴で、飾りのない仕上がりになっている。多くのエピソードをおもしろ、おかしく挿入していく和田誠とは好対照だ。
残念ながら、ぼくは細谷巖と面識はなく、会話をかわしたこともない。それだけにこの本を通して語りかけてくれる細谷巖がどうしようもないくらいうれしいのだ。この感覚はおそらく70年代後半から80年代を通じて、細谷デザインにあこがれていた人たちに共通のものではないだろうか。
(2004.12.15)

2005年3月29日火曜日

梁石日『血と骨』

在日文学というものをさほど意識することはなかった。
この本を手に取ったのは崔洋一監督の映画を観たからであり、なぜ映画を観たかというと仕事で韓国に行ったことで、こちらにわたってきた韓国の人たちに興味を持ったからである。映画ではビートたけしが好演している。原作では巨漢の金俊平役を決して大きくない身体で演じているのだ。身体の大きさなんてどうでもいいことなのかもしれないが、ことこの小説に関する限り、身体は重要なモチーフである。身体というより、肉体というべきか。金俊平にとって生命は精神にみなぎることなく、肉体からあふれ出し、ほとばしるものである。そして戦中、戦後の日本人はもちろん、在日の人たちにとって何よりも必要だったものが、心ではなく、身体だったのだろう。
一方で金俊平にまったく欠如している精神性はその妻李英姫と子どもたちに垣間見ることができ、凶暴な身体性と対をなしている。その身体性はやがてお金という暴力に形を変え、金俊平をさらに凶暴な人間にする。やさしさやぬくもり、思いやりといった本来人間社会を支える柱が圧倒的な力、暴力、肉欲によって封じ込められる時代、いうなれば人間の原初は動物的なものであったと思わざるを得ない時代を梁石日は生き抜いてきたかもしれない。
そういった意味で在日文学は実は奥深く、闇と混沌に覆われている。だからこそ、人間とは何かという問いかけに鋭い視点を投げかけることができるのだろう。
ちなみに映画と原作は微妙に異なっている。シナリオの元になったのは、この本よりも作者の半生であると思われる。登場人物の名前や映画で扱われているエピソードはむしろ作者の回顧録である『修羅を生きる』に基づいている。これは崔洋一が映画に原作以上のリアリティを求めたかったからだろうとぼくは思っている。
(2004.11.17)

2005年3月27日日曜日

山本一力『ワシントンハイツの旋風』

山本一力という人は時代小説の作家らしい。一度テレビに出演しているとき、その風貌が時代小説だなあと思ったのだが、一方でその声がやわらかい低音でダンディな印象を受けた。
この本は彼の初めての現代小説だという。昭和30年代、中学生の主人公は高知から東京に出てくる。代々木上原界隈の新聞配達を高校卒業まで続け、その間当時代々木にあったワシントンハイツで英語を身につけ、後に旅行代理店に転職する。
ワシントンハイツというのは今のNHKや代々木公園一帯にあった米軍の住宅施設である。ぼくが物心ついたころにはすでになかったと思うし、代々木界隈はぼくにとって疎遠な土地であったこともあって、この本を読むまでは全く知らなかった。代々木公園はずっとずっと昔から、だだっ広い公園だと思っていた。
さて山本一力は時代小説の人だというが、なんとなく文章からもわかる気がしないでもない。文章が武骨な感じがするのだ。骨太でごつごつしてて、不器用そうな文章。さらっとなめらかで、スマートな描写があまりない。ざらざらしてでこぼこしている。そういう作風の人なのか、あるいは主人公の人生と、その背後に広がる昭和という時代を描くためにわざとそうしているのかはわからない。上手に噛み切れないするめを齧るように読みすすむことで昭和の味をじっくり味わう、そんな本だと思った。
それにしても昭和の中ごろは実に貧しかったと思う。急激に生活や文化が新しくなったことがいっそう貧しさを際立たせていた。ただぼくはそんな貧しい毎日の中で生まれ育ったことをとてもよかったと思っている。
(2004.2.8)

2005年3月23日水曜日

よしもとばなな『デッドエンドの思い出』

ツイードやフラノのジャケットに袖を通すときのあたたかくつつまれた感触が好きだ。
昔、高校入試で「夏と冬とではどちらが好きですか」という英作文の問題に「わたしは冬のほうが好きです」と思わず書いてしまった。天真爛漫な夏よりも寒さに緊張する冬のほうがなんとなく好きだ。江國香織も「冬のいいところの一つは窓がくもることだ」(『流しのしたの骨』)とか「冬は知恵と文明が要求される季節」(『神様のボート』)と書いている。
たいていの人がそうであるように、よしもとばななの小説にスリルや衝撃的なものを求めてはいない。入り江の波や静かな湖の水面を眺めるような時間を求めて読むのではないか。ぼくはそう思っている。そして、よしもとばななはどんよりと重くかすんで、それでいて甘い冬空を描くのがうまい。
読みすすむにつれて、特に「あったかくなんかない」で描かれている少年と少女の交流はどことなくトルーマン・カポーティを読んでいるような錯覚にとらわれるが、これはやはり気のせいだろう。
本人がいちばん好きな作品とあとがきに書かれているが、このせつなくてつらい短編の数々は彼女の人生の波立った部分を抽出したエキスのように思える。もちろんそれはせいぜい「さざなみ」程度のものであって、大方の読者を裏切るものではないだろう。いずれもせつなさ、つらさ、悲しい出来事からのリハビリが描かれている。ひとことでいえばリハビリ小説といってもよいだろう。人は不幸からのリハビリの中に幸せを見出すのかもしれない。
(2003.11.19)

2005年3月20日日曜日

柴田敏隆『カラスの早起き、スズメの寝坊』

体重が気になりはじめ、徒歩5分の西武線の駅で乗り降りするのをやめ、JRの荻窪駅まで歩くようにした。もちろん風雨の強い日は避けるし、早朝の仕事の際は近くの駅を利用している。
歩いてほぼ30分。これだけの時間があるとさすがに飽きる。でもって家並みを眺めたり、公園に寄ったり、それなりの暇つぶしをすることになる。野鳥観察はそんな日常のなかから生まれたぼくの数少ない趣味のひとつだ。野鳥といっても都内の公園や木立に見られる鳥だから、たかが知れている。スズメだのムクドリだのヒヨドリだの、いわゆる都市鳥の域を出ない。たまにハクセキレイやカワセミを見かけるとその珍しさに感嘆してしまう。時たま種類のわからない鳥を見かけると仕事場にある図鑑で確認する。こうして少しづつ野鳥の名前のレパートリーがひろがってくる。
趣味といってもその程度で、写真を撮ろうなどと考えたら、高額な超望遠レンズが必要になるだろうし、野山に出かけるとなるとそれはそれでめんどうだ。あくまで手近で簡便な娯楽にとどめている。とはいえ、眺めているだけでもなんなんで多少は知識や教養としてのバードウォッチングを身につけてもよかろうと思い、手にとったのがこの本だ。
著者は少年時代から鳥が好きだったらしい。筋金入りのバードウォッチャーというわけだ。野鳥の生態からなにからまったく無知な人間にとっては神様のような存在だ。しかもこの本、副題に「文化鳥類学のおもしろさ」とあり、いわゆる野鳥の専門書ではなく、野鳥の生態をおもしろおかしく(実際におもしろいかどうかは別として書き手の意図は伝わる)人間の文化や生活になぞらえて書かれているので気軽に読める。
ただね、著者が長年書き溜めたものが本になっていることと著者自身がご年配であるせいもあって、書かれている内容がずいぶん昔のことなんじゃないかなあって気がする。おそらくは20年近く前のことが書かれていると思うのだが、果たして文中の場所に行ったら、その鳥は本当に見られるんだろうか。まあ、そんなこと自分でたしかめればいいんだけどね。
(2003.11.13)

2005年3月18日金曜日

堀尾輝久『いま、教育基本法を読む』

堀尾輝久氏といえば、氏の博士論文でもある『現代教育の思想と構造』が知られている。教育学を志す人にはうってつけの一冊だろう。そのなかでは戦後教育の理念がどのように生まれてきたかを教育思想の歴史をたどりながら克明に描かれている。単なる反体制的読み物ではない。ややもすれば体制批判、権力批判に終わってしまう教育本とは土台が違うのである。
さて、この本はどうか。さすがにジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソーから解き明かされてはいない。どちらかといえば平易で説得力のある語り口である。官から民へ、構造改革が推し進められるなかで、教育にも市場原理、競争原理が取り入れられようとしている。人間の尊厳をないがしろにしたビジネスライクな教育産業の時代がやってきつつあるのではないかという危惧が本書の前提として書かれている。著者はそれに対し、戦後日本が(その思想の原点はそれ以前から見出されていたのだが)育んできた民主教育、権利としての教育という教育思想の原点に立ちかえって反論する。もちろん教育思想史に精通した著者であるから、それを知っている読者にとって、その説得力はかなりのものだ。
とはいえ、ぼくの感想は、まだこんなことを議論していたのかというのが正直いったところだ。教育を体制側から国民の側に、という当初の基本法の理念が時代とともにねじまげられていることはたしかなのだが、権利としての教育を論じる以前にもっと大切な議論があってもいいのではないかという気がするのだ。それがなんなのか、現時点ではさっぱりわからない。もしかすると壮大な人間論なのかもしれないし、政治家の語るような愛国心なのかもしれない。正直いって、足りないことはなんとなくわかるんだが、なにが足りないのかわからない。
(2003.11.5)

2005年3月15日火曜日

養老孟司『バカの壁』

巨人軍の長嶋茂雄前監督といえば、奇妙な采配でマスコミをにぎわせていた人だ。以前、あるスポーツ番組のゲストで批判的なインタビューを受けた長嶋は、われわれは現場、すなわちグランドで野球を見ている、それは放送席やスタンドで見るのとはわけがちがう、というように長嶋らしい反論をした。長嶋の独特なインスピレーションを疑問視し、いかにも正論的な野球理論を持って見るのもひとつの野球の見方だし、リアルな戦場に立って一球一球、ものすごい緊張感の中で戦う上での判断も野球の魅力のひとつだ。つまり世の中には絶対正しいものなんてない。
私は絶対正しい、と何の疑念もなく思うことにバカの壁があるというのが本書のおおまかな主旨だ。もちろんバカの壁があるということ自体、絶対的な真理ではない。人それぞれ立場立場で主義主張は異なる。それは当然のことだし、共通理解をどうすれば生み出せるかなんてことはこの本には書かれていない。私たちをとりまくさまざまな壁をとりはらう本ではなく、壁があることを意識しなさいという本である。
著者は解剖学を専門としているが、無意識、身体、共同体など現代思想のキーワードの分析、現代世界の宗教的対立、さらには日本の遅れた行政への批判まで実に広汎な視点から人間をとりあげている。その分内容的には浅く、物足りないところも多いが、それも新書を手にする人の立場をおもんばかってくれた著者の心意気なのかもしれない。
(2003.6.21)

2005年3月13日日曜日

江國香織『いつか記憶からこぼれおちるとしても』

娘が6年生になり、だれだれちゃんは受験するだの、なになにちゃんはどこそこを受けるんだの気の早い話がはじまっている。気の早いと思うのはぼくがのんびりしているせいかもしれないが、世の中って昔からそうだったんだろうか。普通の公立学校しか知らないぼくには私立の中学校、ましてや女子校なんてとてつもなく異国のはての概念だ。
女子校時代の友だち話はすでに『ホリーガーデン』という佳作があるが、この本は女子校のライブを複数の人物+αの視点から多面的に描いている。江国香織のストーリーは淡々としていて、リアルでいいんだけど、主人公の語り口にちょっと無理があるような気がしている。失礼な言い方をしちゃうとおばさんがセーラー服を着ているような感じ。『こうばしい日々』の男の子にも同じように感じた無理さだ。ライブ感を出そうとする演出だと思うんだけど少し残念。
ぼくが通った高校の近くにも女子校、それも名門と呼ばれる女子校がいくつかあった。そこでもこの本みたいな会話や人間関係が渦巻いているだろうか。
(2003.4.11)

2005年3月12日土曜日

よしもとばなな『ハゴロモ』

実を言うとぼくがいちばんうまいと思っているインスタントラーメンはサッポロ一番である。どれも同じように見え、同じような味のするなかでサッポロ一番だけがもっちりとした食感をもち、スープにからむ存在感のある麺なのだ。ちなみにそのなかでもみそ味が一番だと思っている。塩とみそのミックスというのはいまだ試したことがない。
こんなくだりがあった。

>>人の、意図しない優しさは、さりげない言葉の数々は、羽衣なのだと私は思った。いつのまにかふわっと包まれ、今まで自分をしばっていた重く苦しい重力からふいに解き放たれ、魂が宙に気持ちよく浮いている。<<

ここだけでもこの本を読んでよかったと思った。
本人があとがきで言っているようにこれといってストーリーのなかに大きなうねりはないけれども、淡々と流れる北国の川のようなすぐれた(というかぼく好みの)おとぎ話だ。
登場人物は相変わらずで、母親が若死にしていたり、父親が事故で亡くしてしまっていたりなのだが、おそらくよしもとばななのすぐれているところは人物の描き方より人間関係の描写が巧みなことなんじゃないかと思っている。だからちょっと複雑な家族だったとしても、それがまどろっこしくないのだろう。
とにかくすべてがさりげなく進んでいく。無理なく人と人が出会い、つながっていく。そして癒されていく。よしもと小説にはよく川が描かれるけどこれほどまで川の流れのようにやさしくさりげないストーリーはいままでなかったような気がする。
(2003.4.9)

2005年3月10日木曜日

森まゆみ『昭和ジュークボックス』

毎日新聞の書評欄に紹介されているのを読み、さらに書店で南伸坊さんの軽妙な装丁を見て読んでみることにした。著者の思い出を写真と懐かしい歌で綴った個人的な昭和史という本だ。ぼく自身同じような時代を見てきて、さらに昭和30~40年代には惹かれるものがあるのでとりわけ新鮮な印象もなく、むしろ身内話や個人的な感情やら感傷やらがかえってかったるく、これといって感想もない。
著者は雑誌編集の仕事に携わっているそうだが、それにしても誤記誤植が多く、それも肝心要の歌詞の写し間違えや事実に反する記述がいくつかあった。
たとえば加山雄三の「蒼い星くず」は「たった一人の日暮れに見上げる空の星くず僕と君のふたつの愛が星にふるえて光っているぜ」じゃなくて「風にふるえて光っているぜ」だし、荒井由実の「翳りゆく部屋」は「窓辺に置いた椅子にもたれあなたは夕陽見てた」であり「夕陽を見ていた」ではない。山口百恵のデビュー曲が「ひと夏の体験」だなどと言うのはまったくもって恥ずかしい限りだ。
まあ著者ひとりのせいでもないだろうが、この手のプロ意識の欠如した本はちょっと勘弁してもらいな。
(2003.4.7)

2005年3月9日水曜日

村上春樹『海辺のカフカ』

大学4年のとき、再履修のドイツ語の授業でカフカの短編を読んだ。「万里の長城が築かれたとき」という短編だ。それまでカフカは翻訳で何冊か読んでいた。それは鬱蒼とした森のような話だったとうっすら憶えている。
この本は「不思議の国のアリス」だと思った。ぼくの枯れた想像力を刺激し、それなりに覚醒させてくれた。読後の第一印象である。四国の森に展開する想像力的世界が大江健三郎の『万延元年のフットボール』を思い出させた作品でもある。大江健三郎を読んだのは二十歳のころだった。
過去と未来のはざまにいる人間、記憶と夢。ぼくが思いを馳せたのはこのようなことばたちだ。記憶にとどまり続ける人間と記憶を失った人間。一方は文字にすべてを託し、他方は文字を受け容れない。ぼくは主人公である15歳の少年より、このふたりに強く惹かれた。とりわけ記憶と文字を失ったナカタさんの動向から目が離せなかった。過去は哀しい。終わってしまったことは、どんなものであれ、哀しい。それらを記憶としてとどめて生きていくことはさらに哀しい。そして過去をいっさい捨てて生きていくこともやはり哀しい。
記憶の有無という両極のあいだに本に集中し、知識を記憶にとどめる田村カフカ、そして同じように生きてきた大島さんがいる。大島さんは想像力の欠如した人たちを痛烈に批判するが、書物からしか想像力を吸収し得なかったこの人物こそ最大の想像力欠如者であるし、田村カフカも同じ道を歩もうとしていたのかもしれない。彼がその道を断ったところでこの物語は終わる。ぼくなりの解釈ではあるが。
今日のお昼はナカタさんの大好きなウナギでも食おうかななどと思っている。
(2002.10.4)

内田東『ブランド広告』

ぼくがはじめてとあるクライアントのコマーシャルの企画をしたとき、この本の著者である内田東がクリエーティブディレクターだった。短いことばでずばずばっとブリーフィングする人でたいていの打ち合わせにスピード感があった。
コマーシャルは藤本義一がビルの屋上から街を見下ろしながら「わからんねえ、わからんねえ」とつぶやくシンプルなアイデアを出した。コンセプトは「自然でわからないかつら」だった。若干の変更をほどこされたものの企画コンテは採用され、フィルムとなって放映された。
内田東とはそれ以来のつきあいである。
電通時代に内田東は「いい商品がいい広告を生む」とシャープな語り口でマスコミの取材に対応していた。その切れ味がこの本にも活きていると思う。広告表現の表層の暴走をきっぱりと否定する。広告表現の組み立てを重視する。執拗なまでに。事例から事例へのテンポもよく、広告クリエーティブを志す若者たち(おそらくこのあたりがターゲットだと思うが)に飽きさせることがない。媚びてもいない。
産業型社会からポスト産業型社会へ世の中が変化することに応じて広告も発信者主体から生活者主体へ変化していることも明快に語られている。昨今、内田東のいうブランド広告はダイレクトマーケティングに基づく「売る広告」と一線を画そうとしている。とはいえ、広告表現をつくる者にとって生活者インサイトの重要性はどちらにも共通していえる。また、インターネット広告や環境問題、ユニバーサルデザインに関しても言及されているところに広告表現の方向性が示唆されていると思う。
とついつい知人の本ということでバイアスがかかった見方をしてしまうのだが、世の中一般の評判としてはどんなもんだろう。
(2002.9.30)

2005年3月8日火曜日

トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』

カポーティの少年時代を描いた中短編をもういちど読みたいと思っていた。 表題作と「感謝祭のお客」、「無頭の鷹」(これは少年時代の話じゃないけど)はかつて川本三郎訳で「クリスマスの思い出」は瀧口直太郎訳で読んだことがあったが、「あるクリスマス」と「おじいさんの思い出」ははじめて読んだ。 60過ぎのミス・スックとバディー。ふたりはいとこどうしであり、親友でもある。ふたりの話は何度読んでも心があたたまる。おばあちゃんと孫という構図は梨木香歩の『西の魔女が死んだ』でもそうだったし、よしもとばななの『王国その1アンドロメダハイツ』でもそうだった。カポーティにとってこの世界は想像力的な世界というよりも実体験だったと思う。そのせつなさは本物だ。 「あるクリスマス」は家庭にめぐまれなかったカポーティの父親に対する怒りで彼自身、あるインタビューの中で「クリスマスの思い出」の裏返しだということを言っていたらしい。たしかにたたずまいがまったくちがう。 「おじいさんの思い出」はバディーとスックの話ではないが、スック以外にもバドといういとこがいて彼が祖父役になっている話だという。ただこの短編はほんとうにカポーティの作なのか疑問ももたれているということだ。仮にそうでなかったとしてもぼくにとってはこの本のなかでいちばんカポーティらしい作品であるという気持ちに変わりはない。 (2002.9.26)

2005年3月7日月曜日

よしもとばなな『王国その1アンドロメダ・ハイツ』

吉本ばななを読むのは『体は全部知っている』以来かもしれない。 今回の吉本ばななは、よしもとばななである。なぜだか名前を違えている。 山に住むおばあさんと暮らしていた女の子雫石が都会に出て、奇妙な超能力者のもとで働きはじめるのだが、その環境が山で生活していたときのそれにとても近く居心地のよさを感じはじめた矢先のできごと…といったストーリーで相変わらず奇妙な主人公と奇妙な登場人物がもりだくさんだ。 おばあさんがこんなことを言う。 「神様が、何かしたくてもあっちには言葉がないから伝えられないでしょう?だから私みたいな人が代理で働いているだけで、私が何かをしているわけではないんだよ。そしてすべての仕事は本来そういうものなんだよ。」 ああ、こんなことを子どもたちに言える親でありたいなあ。 そういえば梨木香歩の『西の魔女が死んだ』もおばあさんと山で暮らす女の子の話だった。こういう想像力は女性ならではものなのだろうか。感服する。 雫石はおばあさんに分けてもらったサボテンたちをだいじに育てる。話もする。ぼくの10歳になる娘も小さいときから草花が好きでいろんな花の名前を知っているし、花屋に行くと長いこと花を見ている。この子が大きくなって、この本にめぐりあえるといいなあと思った。 (2002.9.11)

天野祐吉『広告論講義』

先日ある大学で講義を受け持った。「広告における絵コンテの役割」という内容のものである。知の大衆化などといわれて久しいが、単なる経験談ではなく、学問としての広告、その制作過程のツールとしての絵コンテという話がしたかったが、やはり終わってみれば、単なる経験談になってしまったと思う。
ぼくたちが実際にコマーシャル制作にたずさわりながら思うことは、テレビコマーシャルは忘れられる広告であるということだ。時間軸をもつ媒体の宿命なのかもしれない。後に戻ってもう一度視ることは原則としてできない。だからこそ忘れらない広告をつくろうと努力する。あるクリエーティブディレクターの言を借りれば「読後感」ということになるだろう。
天野祐吉のいう面白い広告=時代の空気や気分を記録しているジャーナリズム表現とは実に言い得て妙である。そしてすぐれた広告制作者はそんなことをまったく意識することなく表現している。むしろ彼らは今の時代にないもの、そのうちにやってくるかもしれないものを描いているだけなのだ。たぶん。
風俗や流行現象を追いながら時代との整合性を説き明かしていく著書は多い。この本も当然その部類に入ると思う。ただ天野祐吉の著作のすぐれたところは、こうした分析を客観的に語るように見せながら、実は自身の広告論、広告に対する夢や希望を主観的に語っていることではないか。彼のそうした揺るぎないスタンスがあるからこそ、あたかも20世紀の広告にずっと寄り添っていたかのような語り口で語れるのではないかと思う。
天野祐吉は広告評論家であると同時にストーリーテリングに長けた広告観察者であり、なによりも広告の好きな翁なのだというのがこの本から受けたいちばんの印象だ。
(2002.8.7)


富野由悠季『映像の原則』

この本は氏のアニメーション制作にたずさわってきた30年余の経験から導き出された映像作品制作の原則(もちろんそれ以前からあったものであるが)をテキスト化したもので、特徴的なのは必ずしもアニメーションだけに通じる話ではなく、実写やCGも含めた映像作品全般を対象にしていることだ。
たとえばカットの方向性(上手下手の意味合い)や速度の原則だったり、もちろんイマジナリラインのことも解説されています。シナリオからコンテをつくる上での留意点などためになる話が随所に見られる。
たとえばこんなことを書いている。

>>マンガのように読めてしまうコンテは、作品として完成品に近いのではないかと感じられるのですが、よく考えてみてください。マンガのように読めるコンテは、その段階ですでに読む人の想像力が入り込めるまでのものを描いてしまっているということで、コンテそのものが完成品に近いのです。そのようなものには、映像作品を設計していくプランニング(この場合は、動きを想定した展開ということになります)の要素などはふくんでいませんから、コンテではないのです。マンガのように読めてしまうコンテは、映像作品を設計していく機能はふくまれていないと考えるべきなのです。<<

文章そのものは経験を積んだおやじのがんこ話で、叱責あり、愚痴あり、反省ありではっきりいって読みやすい本ではない。それに誤植も多い。でもそれもまあ、富野由悠季のキャラクターなんだと思えば、映像世界でがんばろうと思っている若者たちへの愛情とも読めるかもしれない。
(2002.8.5)

佐野山寛太『現代広告の読み方』

広告の仕事をしていながら、広告の本はほとんど読んでいない。広告のつくりかた的な教科書はときどきめくってみるけれども。
本来、商業的なものは好きじゃないのかもしれない。広告の仕事をしているのもただ絵を描いたり、文章を綴ったりするのが好きで、その創造的な遊びの延長としているだけかもしれない。とはいえ、多少は勉強しなくちゃという気持ちもあるのでまったく読まないわけではない。ほとんど読まない、なのだ。
たいてい広告の本を読むときはさめた目で読む。文春新書の『現代広告の読み方』というこの本も例外ではない。
文春新書の紹介のところでは「広告を読むことは時代を読み、社会を読み、人間を読むことである。現代史の大きな流れのなかで捉えなおした画期的な現代広告論!」とある。たしかに広告表現の話だけではない、時代と社会と人間への広告のかかわり方が説かれている一冊である。単なる広告批評にとどまらない普遍的な物言いもあって、どっしり腰を落ち着けて読むことができた。
時代はこのように変化し、それは広告が変えてきたのであり、広告がメディアにのって時代を変えてきたのである、そこまではよくわかった。では果たして広告はこれからどう時代を変えてゆくのか、時代は広告をどう変化させてゆくのか。それが不明瞭なまま終わってしまったのがちょっと残念な気がした。
(2002.3.28)

川上弘美『センセイの鞄』

学校時代はさほど先生に恵まれていた記憶がない。それなりに勉強はこなしていたから先生から受けがよかったとは思うが、クラス会の幹事をやるようなこともしていないし、率先して先生と長いつきあいをしたこともない。唯一あるとすれば高校時代のクラブの先生で別段バレーボールに長けていたわけでもなく先輩の日本史の教師に無理矢理顧問にさせられた感じの先生だった。
卒業してから合宿や公式戦で先生とはよく会っていろんな話をした。先生は(たいていの先生がそうであるように)身のふりかたもわからない若造の話をよく聞いてくれた。いまの仕事に就いてから、学校にも行かなくなったし、先生も別の学校に赴任されて連絡を取り合うこともなくなった。いちど先生のお宅におじゃましたことがある。運動部のOBで後進の指導に当たっている3人で先生と酒を飲む約束をしていたのだが、いつまでたっても待ち合わせ場所にあらわれない。ひとりが先生の家に電話したらすっかり忘れていて、これから出かけるのもなんだし、みんなで呼ばれたわけだ。先生の書斎で終電の時間まで飲んで外に出たら一面雪景色になっていた。なんとか駅までたどりついたが電車は終わっていて、結局先生のお宅に泊めてもらうことにした。
ぼくの数少ない先生の思い出である。
その雪道、終電の終わった駅はいまぼくが住んでいる駅のとなりである。地元であまり飲まないせいもあるかもしれないが、いまだかつて先生にめぐりあったことはない。
最近居酒屋でひとり酒を啜っているようないい本に出会えてなんとなくうれしい。
(2002.2.13)


2005年3月6日日曜日

堀江敏幸『いつか王子駅で』

高校時代、親友と呼べる数少ない友人が王子に住んでいた。王子から都電でふた駅、停留所というんだろうか、梶原というところ。梶原銀座なる商店街あり、都電最中を売る和菓子屋があった。都電荒川線にはいくどとなく乗ったが、明治通りの飛鳥山から王子駅にかけての下り坂の風景は圧巻だった。
もんじゃ焼きといえば、いまでは月島が有名だが、王子や町屋に住む友人に聞くとどうやら本場はけっして月島ではないという。そもそも月島にはそれほど歴史はない。ともかくそういった本場議論を声を荒立てるわけでもなく、淡々と話してくれることに得も言われぬ正統感が漂っているのだ。
この本はゆっくりではあるが、人生を歩いていくための乗り物小説だと感じた。都電あり、モノレールあり、名馬あり、そしてぼくの生まれた街にほど近い自動車教習所あり。どの文章も長く、それも乗り物感を助長している。あるいは学者でもある著者のスタイルなのかもしれない。最後、さっそうと200メートルを自分の俊足で駆け抜ける少女がやけに印象的だった。
いくつかの小説がとりあげられているが、そのなかで安岡章太郎の「サアカスの馬」がある。王子に住んでいた友人とぼくはこの小説の舞台になっている高校で出会った。
(2002.1.7)

江國香織『東京タワー』

伯父が赤坂丹後町という町に住んでいた。赤坂見附から一ツ木商店街を通り、さらに山脇学園の脇の道を歩いていく途中で東京タワーを見た。東京タワーに関していえばそれがぼくにとっての原初的体験だ。赤坂の空は今よりももっと広く、銀座線は今よりももっと黄色く、丸の内線は今よりももっと赤かった。後に町田に移転した日大三高がひっそりとたたずんでいた時代だ。
江國香織の描く男子はいい。『流しのしたの骨』の律や『ホリーガーデン』の中野、『きらきらひかる』の睦月と紺。さらさらしてて好感が持てる。
この本にふたりの男子が登場したとき、これは果歩と静枝が男になったのかと思った。主人公がふたりという設定は江國香織ならではである。
たいてい江國香織の読み物は世の中のうっすらとグラデーションになった濃い部分が描かれているのだが、この本も年上の既婚女性と男子大学生の関係、うすっぺらなことばでいうと不倫ということなのだが、を骨組みにして展開している。逆のパターンはあった。『ホリーガーデン』の静枝、そして果歩も。
正直いって、『東京タワー』はどんよりとして鬱陶しかった。重苦しくて、汗ばんだストーリーだと思う。『ホリーガーデン』にはそんな印象をもたなかった。なぜだ。それは主人公が女友だちではなく、かつてぼくも経験したところの男子大学生だからだろうか。読み手として当然、主人公にある種の感情移入はするはずだが、やはり女性に対する感情移入は、客観的なものなのかもしれない。それに比べ、透と耕二に対しては感情移入ののめりこみ方が違うのだろうか。『ホリーガーデン』も芹沢や津久井が主人公だったらやはり同じような重さや苦さを感じたのだろうか。
(2001.12.25)

2005年2月19日土曜日

カート・ヴォネガット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』

カート・ヴォネガット・ジュニアは好きな作家のひとりであり、SFをほとんど読まないぼくにとって極めて特異な存在といえる。
ヴォネガットの本はたいてい早川書房から刊行されていて、そのすべての装丁が和田誠さんによるものだ。和田さんのイラストやレタリングがぼくは好きで、そうでなかったらぼくはヴォネガットを読むことはなかったんじゃないかとも思う。
ヴォネガットの作品でとりわけ好きなのは、『ガラパゴスの箱舟』と『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』の2冊。
一昨日読み終えたのは『ローズウォーターさん…』で7年ぶりに読み返したことになる。
エリオット・ローズウォーターの慈愛深く、あまりに人間臭い、奇怪な行動と思考が何といってもおもしろい。筒井康隆の『富豪刑事』を読んだとき、この『ローズウォーターさん…』の影響を受けてるような気がした。大金持ちと普通の庶民とを痛快に対比させながら、しかも心あたたかくする傑作SFであるという思いをあらためて感じた。
(1993.10.10)

和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』

和田誠さんとはつくづく多芸多彩な人である。
『銀座界隈ドキドキの日々』は和田さんの若かりし頃、多摩美を出てライト・パブリシティに入社したところを皮切りにライトを辞め、フリーになるまでの9年の日々が記されている。向秀男、細谷巌、田中一光など登場人物がいきなりすごい。篠山紀信、秋山晶が出てくるのがずっと後のほうなのである。
ぼくは10年来、ライトの広告のファンでもあった。友人のKさんがデザイナーとして働いていた。和田さんの記す細谷さんのしゃべり方はKさんにも影響を及ぼしていたようで、ぼくはKさんに「ユウってトラッドが好きなんだね」などといわれたことがある。細谷さんは一度青山のバーで見かけたことがある。
和田さんはグラフィックデザインの世界にとどまらず、イラストレーションやアニメーション、装丁さらには音楽の世界にまで活躍の場をひろげてゆく。彼は何でも自由にやりたいことができる時代だったというように回顧しているが、決して時代だけの問題ではなかったはずだ。
彼の仕事の基本は手づくりであることだと思う。フリーハンドであるいは定規を使って、丹念に仕事をする。それが結果として彼独自の味わいになっているような気がする。時代の最先端をゆく才能ある人たちに見い出され、さまざまなジャンルの仕事を20代の若さでこなしてきたのは(当時としては彼のようなマルチな才能の持ち主は珍しかっただろう)、彼のひく線の一本一本味わいがあったからだと思える。
60年代の終わりに彼がライトをやめたのもデザインという仕事がハンドクラフトである以上にビジネスになってしまったからだと懐想している。システマティックな世界に才能が圧し潰されてしまうのを感じとり、彼は住みなれた銀座を離れたのだ。
この本の終わりの方に秋山さんがコピーを書いて和田さんがレイアウトしたキヤノンの新聞広告が載っている。キャッチフレーズは「明日、銀座から都電が姿を消す」である。これは秋山さんの作品集にも載っていてそのなかでもぼくがいちばん好きな広告である。和田さんがライトを辞めた、つまり銀座を後にしたのが1968年。この広告は1967年の暮れにつくられている。和田さんも書いているようにこれは今でも印象深い広告だ。
(1993.8.3)

2005年2月18日金曜日

清水義範『国語入試問題必勝法』

どうも1冊読んで気に入ると同じ作家の本を読み続ける傾向が僕にはあるようだ。大江健三郎も大宰も三島もベルグソンもスタインベックも比較的短期間にまとめて読んだ記憶がある。最近では筒井康隆とアーウィン・ショーがそんな作家だ。もちろんもう学生ではないからそんなに集中的に読めるわけではない。ずいぶん時間をかけている。

ここのところ気に入っている(というよりとりつかれているというべきかもしれない)のは清水義範である。すいすい読めるタイプの短編集なので平均より速いペースで読んでいる。

『国語入試問題必勝法』では表題作もさることながら「いわゆるひとつのトータル的な長嶋節」がいい。長嶋は野球の天才であり、解説者としての彼は「本能的にわかっている非常に高度なことを、なんとか説明しようと最大の努力をする」のだそうだ。それがいわゆるひとつの長嶋節になってしまう。それは長嶋の「言語能力が低いのではなく、伝えたい内容が高すぎる」からであるという。原が打てないときに「四番打者としての自覚がないからですよ」という普通の解説者とはレベルが全然違うのである。

まあほんの一例であるが清水の洞察力と創造力、そして月並みな言葉だが人間的なやさしさに感服させられる一冊である。
(1993.7.10)

清水義範『蕎麦ときしめん』他

東京ドームで巨人-横浜戦を見る。

初回にジャイアンツがエラーがらみで得点。8回、ベイスターズようやくスクイズで同点。その間得点無し、エラー有り、拙攻ありのさえない試合。8回裏、ツーアウトからつかんだ二塁一塁のチャンスも原辰凡退で家路につく客も多かった。

9回拙い攻めもあったが緒方のサヨナラヒットでそこそこの盛り上がりを見せた。観ていて決しておもしろい試合ではなかった。ましてやここ数日アルコールをひかえている僕としては、子どものころ以来のビール抜き観戦なのだから、つまらなさもひとしおのものがあった。野球場でコカ・コーラを飲むのなんて20年ぶりのことかもしれない。

ところでここ最近、清水義範の文庫ばかり読んでいる。『秘湯中の秘湯』とか『ビビンパ』などとてもおもしろかったが、『蕎麦ときしめん』もまたおもしろかった。彼はありとあらゆる文章表現の可能性を切り開こうとしているといっても過言ではない。「序文」という短編はまさにそんな試みのひとつだ。また「三人の雀鬼」は老雀士たちの巧みな技の衰えをおもしろ哀しく描いた秀作だ。オチもいい。

ここ数日酒を飲んでないので夕食後もけっこう本が読める。で、もう一冊は『「青春小説」』。清水氏のおもしろさには僕は以前からものすごい真面目さともの哀しさを感じていた。学術論文のパロディは彼がそれなりの教育を受けてきた証であるし、細かな人間洞察は既成の作家にはないマイナーなものだったからだ。この「青春小説」におさめられている自伝的短編はまさに彼のキャラクター生成の過程を物語っている。

清水氏が国立の教員養成大学出身であることを知って(もちろん彼の虚構の中にあるその叙述が事実であるとすれば、であるが)、同じく国立の教員養成大学を就職も決めずに卒業した僕は、いたく共感せざるをえないのだ。
(1993.7.7)


2005年2月17日木曜日

村上春樹『TVピープル』

雨が降ると西武新宿線が遅れる。高田馬場駅で遅延証明書が出される。たいていは10分か15分の遅れであるが、本当はもっと遅れているはずだ。
昨日は電車がゆっくり走ってくれたおかげで村上春樹の『TVピープル』の最後の短編「眠り」を読み終えることができた。
この中におさめられている6つの短編はいずれも幻想的な奇妙な世界を映しだしている。どちらかといえば『世界の終わり…』や『羊をめぐる冒険』に近い世界だと思う。唯一「我らの時代のフォークロア」だけがリアルな描写といえる。この「我らの時代の…」は『国境の南…』のプロトタイプといった短編である。
作家というのはきっとだれでもそうなのだろうが、村上春樹という人は彼の世代と時代を描くのが非常にうまいという印象がある。
(1993.7.1)

ピーター・メイル『南仏プロヴァンスの12か月』

著者のピーター・メイルはBBDOのクリエーティブ・ディレクターだったという。この本は彼が有能な広告クリエーターの地位を捨て、南仏プロヴァンスに移り住んだ1年間のエッセイである。

著者はアングレであるが、イギリス(人)とフランス(人)、パリとプロヴァンスなどが対比的に語られていて、食生活や気候風土、人がらのちがいなどがたいへんおもしろい。とりわけ食の国フランスに移り住んだだけあって、料理とワインの話は食欲をそそられる。

冬の厳しさを考えると、こんな生活してみたい、とまでは思わないがただただ楽しく温暖なだけと紹介されがちな地中海の素顔がかいま見れて、プロヴァンスの魅力をリアルに伝えている本だと思った。
(1993.6.13)

2005年2月16日水曜日

ジェイ・マキナニー『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』

きみはそんな男ではない。
夜更けのこんな時間に、こんな本を読んでいるような男ではない。しかし、いまきみの読んでいるのは、間違いなくこんな本なのだ。この本には見覚えがない、ときみは言うことができない。きみは満員の西武新宿線に乗って、5年前に買った単行本を読んでいる。本の名前は『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』。

買ってからずっと読まなかった本が何冊かある。『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』はそんななかの一冊だ。以下感想。

 この手の本はニューヨークを散策するときに便利である。

 サリンジャーの『ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ』に似ている。

 永沢まことさんの装画と地図が素敵である。
(1993.5.16)

筒井康隆『最後の伝令』

四谷の小さなCMプロダクションいたころ、同僚のコグレくんにすすめられて筒井康隆を読むようになった。7年前のことである。

杉並に引っ越してから、朝夕の電車が混むのでなるべく文庫本を読もうと思うのだが、ここのところ単行本が多い。

『最後の伝令』には「死」をテーマにした短編がいくつかおさめられている。もちろんSF、ファンタジー、実験的試みなどバラエティに富んでいるLPのような本であるが、仮にこの本にレコードジャケットをつくるならば、やはりビジュアル・イメージは「死」なのだろうと思う。

久しぶりに楽しませてもらった。コグレくんはもう読んだだろうか。
(1993.5.16)

2005年2月15日火曜日

村上春樹/安西水丸『日出る国の工場』

できることなら、生涯床屋をかえたくないと思っている。

早稲田の理容Kは、僕にとっては三軒目の床屋であるが、その思い切りのよさを僕は気に入っている。ジャイアンツでいえば水野のフォークボール、広島東洋でいえば衣笠の空振り、日ハムでいえば大沢監督の采配のように気持ちがいい。

ふつう床屋は、僕が「短くしてね」というと、ほどよく遠慮がちに短くする。坊主にしてくれとか、剃ってくれとかいわないかぎり、客の注文より少し長めに仕上げるものだ。なぜなら切ってしまったら取り返しがつかないからだ。ところが早稲田の理容Kはそうではない。本当に短くするのだ。本人のイメージ以上に短くするのだ。客があきらめるくらい短くするのだ。これがすごく気持ちいい。

今日はその早稲田の床屋にいった。バスで阿佐ヶ谷に出て、東西線にのって早稲田にいった。去年まで住んでいた街である。ちょうど昼時だったので、えぞ菊で味噌ラーメンを食べることにした。最近、テレビ番組でとりあげられるようになった札幌ラーメンの店だ。ビールを飲みながら、味噌バターラーメンを食べる。ここは餃子もうまいが今日はラーメンだけにする。スープを少し残して、鶴巻町まで歩く。早大の西門から構内に入り、正門に抜ける。鶴巻町に出る近道だ。けやき通りを200メートル弱歩くと理容Kがある。

待ち時間に『日出る国の工場』を読む。単行本を昔買ったが度重なる引っ越しのごたごたで紛失し、先日文庫本を買った。内容は単なる工場見学記でときおり村上春樹の人間嫌い、動物好きなキャラクターがかいまみれる程度の本である。

学究肌の僕はこんなノンジャンル的な興味本意の本は好きじゃないんだけれど、先日のとある靴工場を仕事で見学させてもらって以来、工場にいっそう関心を持ちはじめたので、参考として読むことにしたのだ。まあ本のことはともかく、髪をどっさと切ってもらい、天気もよく素晴らしい5月の土曜日だった。
(1993.5.16)

ロバート・ジェームズ・ウォラー『マディソン郡の橋』

今日は昼過ぎから、神奈川美術展、通称神奈美展を見にゆくため横浜の神奈川県民ホールへでかけた。神奈美展に足を運ぶのは2年ぶりだ。僕の仕事上の直接的恩師にあたるMさんや絵コンテライターのHさんが出品している関係でかつては必ず足を運んだものだ。

雨が降っている。差し出した手のひらに滴が落ちる雨ではなく、全体がしっとり湿る、そんな雨だ。

京浜東北線で桜木町に向かう間に『マディソン郡の橋』を読み終えた。天才カメラマン、ロバート・“ハヤブサ”・キンケイドとアイオワの農夫の妻、フランチェスコ・ジョンソンの恋物語だ。その恋はあまりにも短い間で燃え上がり、その思いは20年以上持続する。これはふたりの4日間と20数年の物語だ。

キンケイドは自らをハヤブサ=放浪者にたとえた。僕はこの本を読みながら、クリフォード・ストールの『カッコウはコンピュータに卵を産む』を思い出した。情報が電子というメディアを通して、瞬時に伝達される時代と、手紙や電話のやりとりもなく支えられた人の思いというものを考えてみた。

僕は写真が好きで何台かのNikonをもっているが、彼の写真を創造するエネルギーに感服したし、もしまだ屋根付きの橋がアイオワに現存するのであれば、いつか彼と同じように105ミリのニッコールをつけてねらってみたいと思う。

Hさんの絵はいつもの透明感を保ちながら、油独特の深みが増してきたような絵だった。Mさんの雪の絵は、Mさんらしいソフトフォーカスのかかった風景画だった。どちらかというとMさんの絵は風景画というよりももっと集落に住む人の生活や生き方を描いたジャンルの絵ではないかと思っている。
(1993.4.30)

2005年2月14日月曜日

アーウィン・ショウ『はじまりはセントラル・パークから』

これまで読んだ長編は、『真夜中の滑降』、『ビザンチウムの夜』、『夏の日の声』だからアーウィン・ショウの長編はこれで4冊目ということになる。

ショウはすぐれた短編小説家という印象が強いが決してそれだけではない。長編においてもその都会的なペーソスや現代人の機微が持続されている。長編であるがゆえにそれはいっそうかなしいものになる。本当の幸福とは何なのかをショウは、この作品の中で追い求めたような気もするし、そんなものははじめからなかったのだといいたかったのかもしれない。

書棚には『ルーシィ・クラウンという女』という長編が眠っている。和田誠さんの装丁も気に入って5年ほど前に買った本だ。この次に読むショウの長編はおそらくこの本になるだろう。
(1993.4.24)

アーウィン・ショー『ニューヨーク恋模様』

これはショーの1930年代から60年代にかけての短編を集めたものだという。
この文庫におさめられているものには、ちょっとした心情の微妙な動きや、思想的な問題をテーマにしたものなど切り口鋭く迫った作品が多いと思う。短編小説に問題意識をもち、意欲的に取り組んだショーの姿勢がひしひしと伝わってくる。

それ以上に僕が評価するのは(僕なんかが評価したからといって、だからどうしたということはないんだが)やっぱり常盤新平さんの訳だと思っている。
僕はショーの原書を読んだわけでもないし、ショーという人を卒論の課題にしたわけでもないけれどショーと常盤さんはすごく相性がいいと思っている。
例えばラブレーと渡辺一夫、ルソーと桑原武夫、ヴォネガットと浅倉久志みたいに。
(1993.4.3)


2005年2月13日日曜日

安西水丸『青山の青空』

何年かぶりに茗荷谷界隈を歩いた。
文京区のこのあたりは、池袋へ歩くにも、飯田橋へ歩くにも中途半端で不便な場所だ。だからかえって歩くのにちょうど気持ちのよい場所なのかもしれない。

二十歳の頃、教育実習でこの近くの小学校に3週間ほど通ったことがあるし、富坂上、伝通院のちょっと先の都立高校とはよくバレーボールの練習試合をした。

白山の側からみて茗荷谷駅の手前の小さな本屋で安西水丸の『青山の青空』という文庫本を買った。退屈な街には退屈な本が似合うと思ったからだ。

この本は彼の日常を綴ったエッセイである。僕にとってもなつかしい千倉の話や僕の母方の伯父が住んでいた赤坂丹後町や佃や青山、そして都電の話などがさりげなく描かれている。

中でも銀座の話はすごくうれしい。銀座は僕自身勤め先のある土地であるし、かつて母が(父と結婚する前、僕が生まれるずっと昔に)勤めていたデパートがあるからだ。

安西水丸はかつて電通で働いていて、彼なりに銀座を体験し、銀座を身につけたのだろうと僕は思う。銀座は基本的には今昔のない、時間の止まった街だと僕は思っている。銀座に新しさやなつかしさをもとめてはいけない。
変わったのは人であり、その感じ方である。
彼はもしかするといちばんよかった銀座といちばんよかった東京を知っている人かもしれない。

ほとんど本の感想文にはなっていないな、これは。
(1993.4.3)

アーウィン・ショー『夏の日の声』

アーウィン・ショーを読んだのは久しぶりだ。

書棚にある『ニューヨークは闇につつまれて』に《861113》と記されていることからするとこの辺が、最後に読んだショーということだろう。

その後『真夜中の滑降』というハヤカワ文庫のショーの長編を読んだ覚えもある。『夏服を着た女たち』を読んだのは84年か85年か。いずれにしろ記憶は押し入れの段ボール箱に眠っている。

ショーの小説は水彩の映画みたいだ。

この『夏の日の声』もとびきり素敵な映画と考えてよい。1927年から1964年までの自分史が小気味のよく
つながれている。ショーはすぐれた映画監督というよりは、繊細な編集者だと思った。
(1993.4.3)

2005年2月12日土曜日

村上春樹『国境の南、太陽の西』

この作品は、村上春樹氏の作品の中で家庭や家族が描かれているきわめて珍しいものだ。また、一個人の孤独な感情世界を一人っ子という主人公の設定を通して展開している。

ストーリーとしては、いつもの、彼独特のしっとりでもなく、ねばねばでもない恋愛物語であり、随所に乾いたユーモアを織り混ぜている。

僕が感心したのは、10代や20代の描写だけでなく、彼が37歳の女性をみごとに美しく、なまめかしく描いたことだ。そして表情の無さも。

こんなことをいっては世の37歳の女性たちに失礼かもしれないが、僕の思い描ける範疇で、37歳の女性は想像し得ない。美しいのか、魅力的なのか、まったくわからない。でもこの本を読みながら、37歳も悪くないなと思った。
(1993.2.16)

荒俣宏『図像学入門』

荒俣さんは、以前講演を聴いたこともあり、本はあまり読んではいないけれども僕が強い関心を寄せる作家のひとりだ。

この『図像学入門』は、昨年の8月に「夜中の学校」というマスコミ文化人志向の若者をねらったミーハー深夜テレビ番組で放映されたものの講義録である。

たぶん荒俣フリークであれば、基礎知識のじゅうぶんなおさらいができるだろうし、荒俣さんのことをあまり知らない人(フクスケも帝都物語も)でもじゅうぶん理解できる内容になっている。

彼の説く図像とは、「美」という偏見に保護されてきた美術・芸術を開放することによって成り立つところのビジュアルを意味している。だからこそ森菓のエンゼルマークやひとつぶ300メートルのグリコマークをも研究の対象となるのだ。

この講義の端的なテーマは、「バカの見方」、「ボケの見方」、「パーの見方」という図像対人間の3つのスタンスである。詳しくは一読されたし。
(1993.1.29)

2005年2月11日金曜日

尾辻克彦『カメラが欲しい』

カメラを生涯の趣味とし、愛情を注ぎ込む筆者のむくな気持ちが随所に見られ、たいていの少年がたいていもっていた少年の気持ちがうれしい一冊だ。
別段、カメラや写真に趣味がなくても共感できる本だと思った。それは5球スーパーラジオでも2石レフレックスラジオでもHOゲージのC62でもUコンでもなんでもいい。少年がもつ機械、あるいは機械的なものへの純粋な憧れがそこには描かれている。
そういったものを欲しいと思う気持ちの、微妙に複雑な心理的論理構造が実に巧みに書かれている。アマチュアとしての立場に徹している筆者の態度にも好感がもてる。
そういえば大人になると欲しいものが見えなくなってくる。マニアックにものを集められる人というのは昨今の住宅事情では難しいものもあるし、時短とかゆとりとか叫ばれながらも男はたいてい会社人間となり、たいした趣味ももてないまま歳をとる。若い人たちに今何が欲しいかと聞くと、お金だのマンションだの、さらにはゆとりだのやすらぎだのと答えるらしい。クルマと答える者も多いようだが、これはまた莫大なお金がかかる。
どうも近い将来手にとれるものはあまり欲しがられないようだ。
(1992.8.14)

筒井康隆『朝のガスパール』

この小説は昨年10月から、今年の3月にかけて朝日新聞に連載された新聞小説である。

冒頭はSFタッチのパソコンゲームのシーン。そしてゲームに没頭する会社役員、そして株に手を出し、借金を積み重ねるその妻。パーティーに明け暮れるその仲間たち。そして虚構を描き続ける作者櫟沢。幾重にもまたがる虚構の世界は作者が『残像…』や『夢の木坂…』で試みてきたところだ。

今回の新しい試みは読者からの投書、提案(手紙とパソコン通信)をストーリーに反映させる点にある。読者もこの虚構に実名で参加し、虚構内存在になるというわけだ。そのためストーリーはめまぐるしく、変化、進展し、いろんな場面を読みたい読者には楽しめるだろうし、文学の理論的なことも勉強になる一冊だ。
(1992.8.10)

安西水丸『手のひらのトークン』

安西水丸の『手のひらのトークン』は、彼の小説の中でもかなり事実に即した小説である。

著者が電通を辞め、ニューヨークにゆくそのストーリーとはじめて体験する異国の生活などが非常になまなましく、かつセンシティブに描かれている唯一の小説だ。ビザの問題でおびえながら暮らした日々やアパートでの人々とのふれあいがまさしく僕は事実に基づいて書かれた小説だと感じた。

引っ越した先のアパートで知り合う絵画を趣味とする老夫婦、小説の中では、シェルダ夫妻となっているが、これは著者の書簡(なぜか持ってる)の中でも登場する実名である。

僕は、実は彼のニューヨーク時代の書簡をかつて読んだことがあるんだけど彼の事実を語る率直な語り口は好感が持てる。安西水丸は、虚構の人ではなく、現実の人である、そう思った。
(1992.7.14)

2005年2月10日木曜日

筒井康隆『残像に口紅を』

『残像に口紅を』は、虚構の中に構築された虚構ともいうべきストーリーで、時間とともに日本語の音が消えてゆく。消えてゆくとその音を含んだあらゆる存在が消えてゆく。はじめ「あ」が消える。すると「朝」がなくなる。
朝は「通常、太陽が昇りはじめ、中天ににかかるまでの時間」、「昼、夕方に続く一定の時間を表現することばで、四季を通じて爽やかさ、新鮮さを伴うたいへん好ましい時間」ということになる。
濁音、半濁音を含めた全部で66の音がなくなったところでこの物語は終わる。

タイトルの『残像に口紅を』は、主人公佐治勝夫の高校一年生の三女、絹子が「ぬ」の音の消失で消えてしまった次の一節からきている。

「高校一年だから化粧はしていなかった。ひと前で化粧したことは一度もなかった筈だ。少し色黒だったからか、化粧をして見違えるようになるのが照れ臭かったのか。そうだ。美しくなることを知っていたに違いないぞ。自分でこっそり化粧してみたことが一度もなかった筈はない。若い娘なんだものな。彼女の化粧した顔を一度見たかった。では意識野からまだ消えないうち、その残像に薄化粧を施し、唇に紅をさしてやろう。」

このときすでに世界からは「あ」と「ぱ」と「せ」と「ぬ」が消え去っている。
(1992.2.5)