2015年11月4日水曜日

吉村昭『間宮林蔵』

日本史は嫌いじゃなかった。
そもそも歴史みたいに過去をひもといていく作業が好きだった。
幼少の頃、毎月母親に買ってもらっていた漫画雑誌は『少年』だった。その後『少年画報』に鞍替えした。『少年』時代はおそらく就学前で字もろくすっぽ読めなかった。「鉄人28号」と「鉄腕アトム」を眺めているうちに読めるようになった。たぶん、そうだ。
『少年画報』にしたのはチェリッシュの、白いギターに替えたのはなにかわけでもあるのでしょうかじゃないけれど、おそらく理由があったはずで、残念ながらまったく記憶がない。付録が豪華だったとかそんなことじゃないかと思っている。この鞍替え後、まずやったのは気に入った連載漫画のその前はどんな内容だったかをさぐることだった。
こうして古本屋めぐりがはじまった。9月号を見つけると次は8月号を見つけ、7月号を見つけ…と順番を逆にして読んでいったのだ。
ところが当時は本誌と小冊子の付録にわかれている連載がいくつかあり、本誌のバックナンバーを追いかけるだけでは過去をたどりきれない。それでも縁日やお祭りの夜店で付録冊子を見つけては、綿菓子や金魚なんぞはそっちのけで買い漁ったものだ。
それと歴史好きとはあまり関係はないのかもしれない。
間宮林蔵は間宮海峡を発見した人くらいの知識しかない。風雪流れ旅のような、南極物語のような過酷な冒険がそこにあったとは知る由もなかった。それとシーボルト事件とのかかわりも。
この本を読んでいたのは猛暑の続く8月中ごろ。一服の清涼剤どころか、汗をかきながら凍えるような心持だった。
読み終わって少したって、江東区塩浜に出かける用事があった。残暑の厳しい日、月島から相生橋を渡り、越中島を経て塩浜まで歩く。ふと、そういえば富岡八幡宮に間宮林蔵の銅像があったなと思い出し、その帰り途、門前仲町まで歩いた。
人間の記憶なんて、いい加減なものだなあ、間宮林蔵ではなく、伊能忠敬だった。

2015年10月15日木曜日

司馬遼太郎『燃えよ剣』

今年もあっという間に夏が終わり、野球の秋を迎えている。
高校野球の秋季大会、大学野球と毎週盛り上がりを見せている。母校の応援と称して都の秋季大会ブロック予選を3試合観る。昨秋、春、そして夏と惨敗した(全試合コールド負け)わが母校は奇跡的なくじ運に恵まれ、初戦、二回戦ともに弱小都立校に勝利し、ブロック決勝にコマを進めた。立ちふさがるのは都立の星小山台。
まあそう簡単には本大会には行かせてくれない。
その小山台も本大会の初戦でコールド負けしてしまった。
そういえば野球の日本代表をいつの頃からか侍ジャパンと呼んでいる。
さて、幕末シリーズ。
勝どきさんのおすすめ、『燃えよ剣』を読む。
新選組に関しては以前大河ドラマで「新選組!」を少し視た程度の知識しかない。新選組好きな人たちが集まる飲み会で「池田屋のときにね」みたいなことばが耳に入るが、なんのことやらさっぱりわからなかった。そういえば今放映中の大河ドラマ「花燃ゆ」にも新選組が登場していた。沖田総司が長州藩(かどうかわからないが)志士たちを切りまくっていたっけ。
今回本書を読むにあたっての大きな目的は新選組であるとか尊王攘夷派の志士たちの位置関係を掌握することにある。なんとも心もとない読者である。
この小説の主人公は土方歳三。新選組局長近藤勇を支えた副長である。鳥羽伏見の戦いの後、榎本武揚らと北海道に渡ったものの、攻めよせる官軍の前についに力尽きた男である。当時の剣豪といえば北辰一刀流、桶町千葉道場の坂本竜馬、神道無念流、斎藤弥九郎練兵館の桂小五郎らが有名だ(なんて知識はそれまで皆無だったけどね)。土方は近藤、沖田らとともに天然理心流という田舎道場の出身。格は数段劣るのだが、軍事的なセンスともって生まれた喧嘩の才能もあいまって、真剣勝負に強かったという。
日本の侍という種族は土方歳三をもって絶滅したのではないだろうか。そんなことを思わせる一冊だった。

2015年10月5日月曜日

司馬遼太郎『竜馬がゆく』

8月の終わりに、仕事でお世話になっている勝どきさん(もちろん仮の 名前だ)と久しぶりにお昼を食べた。
炭水化物を控えるダイエットに取り組んでいるという。ご飯は食べずに、刺身や鯵フライ、さらにはホヤなどつまみばかりを注文してビールを飲んだ。夏の終わりの昼ビール。勝どきさんは何年か前から剣道を習っている。肩を痛めていて、しばらくゴルフはやっていないそうだが、天然理心流の道場へは通っているという。新選組の大ファンなのだ。
江戸幕末〜明治維新を学びたいと思っていたので、その手の話なら相当くわしいであろう勝どきさんに何かおすすめの小説ありませんかと訊いてみた。火に油、駆け馬に鞭、帆掛船に魯。そこから俄然エンジンがかかった。
まずは『竜馬がゆく』、次に『燃えよ剣』を読めという。
前者は倒幕派から見た幕末、後者は佐幕派から見た幕末で、この2冊を読んで、両サイドから理解すれば、幕末〜維新の基礎はじゅうぶんらしい(2冊といっても文庫本にしたら10冊だが)。
というわけで9月から黙々と竜馬を読みはじめた。
それまで坂本竜馬に関する知識はほぼなし。それがかえってよかったのかもしれない。竜馬という人物は剣の達人だとか、薩長の調停役程度の認識しかなかったが、何よりもアイデアマンなのだということがわかった。今でいうクリエーティビティに富んだ人物なのである。
それにどこまでも強運の持ち主だ。あえて危険を冒す。敵陣に単身乗り込んでいく。こうしたことも既成概念にとらわれない発想の豊かさがあるからだろう。
司馬遼太郎はこれまでほとんど読んでいない。
吉村昭のように史実、資料を丹念に読み込んで再構築するというよりは物語を次から次へと動かしていくタイプの作家なのだろう。読んでいるうちにそのスピードに身体が慣れてくる。ページが自然にめくられていく。ファンが多いのもわかる気がした。
それにしても昼のビールは利く。

2015年7月23日木曜日

吉村昭『天狗争乱』

山本周五郎の『新潮記』を読んで、俄然興味をおぼえたのが藤田東湖とその四男小四郎だ。
「提灯の光りにうつしだされた弟のほうは(藤田小四郎、つまり後に天狗党を興して筑波の義挙を決行した)眼の大きな、ひきむすんだ口許のいかにも意志の強そうな、きかぬ気の顔つきだった」
と書かれている。この一文が妙に気になったのだ。
吉村昭の小説は旅の小説である。
『長英逃亡』、『ふおん・しいほるとの娘』、『桜田門外ノ変』など読み終わると脚に筋肉痛が残るような作品が多い。『アメリカ彦蔵』をはじめとした漂流ものも壮大な旅の記録であるし、『蜜蜂乱舞』も現代に舞台が置かれているが、これもまた気の遠くなるような旅の物語である。
『天狗争乱』は水戸藩尊王攘夷派らが挙兵した天狗勢と呼ばれる武装集団が幕府軍の追討を受けながらも京都にいる一橋慶喜のもとをめざす。またしても艱難辛苦の旅である。山道を越え、吹雪を乗り越える。谷底に駄馬が落ちていく。
学生時代、歴史の勉強不足がたたって幕末のことはあまりよくわからない。尊王攘夷といっても当時流行りの考え方くらいの認識しかない(まったく情けない)。しかしながら吉村昭を通じて尊攘派のピュアな側面がよく見えてくる。これは『桜田門外ノ変』の関鉄之介にもいえることだが、水戸藩の尊攘派は純粋で一途なところがある。武田耕雲斎らに導かれた天狗勢はストイックなまでに統率がとれ、規律に忠実に行軍していく。身の引き締まる思いが伝わってくる。読者ばかりでなく、道々の小藩の者たちや行く先々で出会う平民たち、そして最後に対峙する加賀藩士までもがその筋の通った姿勢に共感する。できることなら彼らの望みを叶えさせてやりたいと誰しも思う。
逃亡でもなく、何か物質的な豊かさを求める旅でもなく、ひたすら志を遂げるためのみに前進していく旅。そういう旅って、ちょっとかっこいい。

2015年7月21日火曜日

山本周五郎『新潮記』

今月は父の三回忌、高校の同期会、バレーボール部のOB会と日曜ごとにイベントが組まれ、のんびりする間もなくはや下旬にさしかかっている。
父の実家は千葉県の南房総市にある。ついこのあいだまで安房郡といった。
非常に不便な場所である。一方的に不便と言い切ってしまうのもよくないと思うのだが、徒歩圏にコンビニエンスストアはない。かろうじて酒屋、魚屋、八百屋、雑貨店はあるものの、まとまって買い出しをするとなると1時間に1本なるかないかの路線バスに乗って、少し繁華な(その昔町役場があった)ところまで出かけなければならない。そこまで行けばスーパーがある。歩けば4~50分はかかるだろう。
こういう場所に住んでいる人は不便だと思わないのかといえば、たいていの家庭に軽自動車くらいはあるし、別段なんとも思わないのかもしれない。人は住む環境によって暮し方は変わるし、むしろいちいち歩いてコンビニに行くなんて方が不便だという考え方も成り立つ。
昨年までは近所に酒屋が一軒あって、そこでたいていのものは手に入った。店番をしていたおばあちゃんが父と同級生だったこともあり、よくおまけもしてくれた。この店ももう閉まっている(おばあちゃんは元気だと聞いているのであんしんしているが)。今年も8月のお盆には墓参りに行って、4~5日滞在する。今年はどんな不便に出会えるか、今から楽しみである。
山本周五郎『新潮記』、その舞台は幕末、尊王攘夷派が暗躍する時代。高松藩と水戸藩の親密な関係、高松藩尊攘派藩士の庶子が主人公というちょっと複雑なもつれ方。全体として緊張感の走る内容でありながら、物語がどことなくのどかに流れていく印象が強い。これも山本周五郎の持ち味と見るべきか。
その昔、南房総の防波堤に寝そべってフォークナーの『八月の光』を読んでいた。殺人事件の話だったとうっすら記憶していてるが、内容はまったくおぼえていない。ただ読んでいてのどかさを感じたという点で、この本は『八月の光』に似ている(かなり無理はあるが、勝手にそう思っている)。

2015年5月25日月曜日

京井良彦『つなげる広告』

ソーシャルネットワークの時代、広告はどう変わっていくのか。
ずいぶん以前からこの議論はなされてきて、その成果がすぐれた書籍となって世に出ている。
佐藤尚之の『明日の広告』、『明日のコミュニケーション』、須田和博『使ってもらえる広告』、佐々木紀彦『5年後メディアは稼げるか』、ロブ・フュジェッタ『アンバサダー・マーケティング』など。いずれもたいへん勉強になる。
この本もそうしたソーシャル時代の広告のあり方をさぐった本で効果的な実例が紹介されていてわかりやすい。
SNSは人間が本来的に持つ社会性を可視化したしくみで企業と生活者のフラットな関係を構築する。ソーシャルメディアはコミュニケーションという社会性の拡張であるという。衣服が皮膚の拡張、テレビ、ラジオが視聴覚の拡張であるのと同様に。
広告の役割は企業と生活者、あるいはブランドのファンをつなげること。ベストエクスペリエンス(従来のマス主体の広告は都合のいい面だけを見せるベストショットだった)が生み出す共感をコンテンツとしてそのつながりの上を自走させることがたいせつになる。
そして関係を維持継続する内発的動機を働かせるゲーミフィケーション。
どうやらテレビコマーシャルや新聞広告、ポスターの絵柄を考えるだけではなくなったのだ、広告の仕事は。次々にデジタルが生み出すテクノロジーやプラットフォームを活用して人と人、人と企業をつなげていく。もちろんCMやポスターのビジュアルもだいじなのだが、それを考えるだけではだめだということだ。
この本にも書いてあったが、昔の商売は顧客の顔が見えた。だからその関係をたいせつにしていた。いつしか大量生産、大量消費の時代になり、顔の見えない見知らぬ顧客を相手に商売をするようになった。それが今、企業と生活者、生活者同士がコミュニティをつくってつながっている。奇しくもテクノロジーによって商売の本来の姿が戻ってきた。
広告コミュニケーションは間違った方向には進んでいないと思う。

2015年5月22日金曜日

アンナ・カヴァン『氷』

ツイッターでちくま文庫をフォローしている。
売れている本があると次から次へとリツイートされる。タイムラインはその本の話題一色になる。その展開に引きこまれていくだとかわくわくするだとか一気に読んでしまったなどといった個人の感想だ。これらのツイートを読んでいるだけでこれは読まないといけないかも、という気にさせられる。
その一冊がアンナ・カヴァンの『氷』だった。
SNSで流行っているから読むというのも動機が薄弱だが、本との出会いなんてそんなものだろうとも思う。もちろん著者に関する知識はまったくなく、まるっきり無防備の状態で読了した。
その後ネットなどで調べてみるとアンナ・カヴァンはイギリスの小説家で幻想文学またはSF小説と分類される作品を残しているらしい。生涯にわたって精神を病み、薬物などの依存もあったという。またフランツ・カフカの強い影響を指摘する記述も見られる。
生まれは1901年フランスのカンヌ。20世紀初頭のカンヌがどのような町だったか想像もできないが、映画祭がはじまったのが1946年。世界的なリゾートになる前の海辺の小さな集落だったのではないだろうか。カンヌには行ったことがあるのでカンヌ生まれという点に関しては妙に反応が鋭くなってしまうのだ。
さて本の中身なんだが、読んでみてもさっぱりわからない。どういう時間軸で展開されているのか場所はどこなのか(具体的な地名はまったく出てこない)。数少ない登場人物である少女も長官もどんなキャラクターなのか雲をつかむようである。氷というのは何もメタファーなのか。読みすすめているうちに何かわかってくるかと思うとそういうわけでもない。どきどきわくわくしながら読んだ読者も多いようだが、どこをどう解釈すればこの世界に引き込まれるのか、ちょっと理解に苦しむ。もちろん誰かに説明してもらおうとも思わない。わからないものはわからない。これでいい。
これもあくまで個人の感想である。

2015年5月21日木曜日

山本周五郎『樅の木は残った』

このブログのフォントがあるときから大きくなってしまってどうも気に入らない。なんとか元に戻せないかと暇を見てはあれこれ調べているんだけど。
今ごろになって山本周五郎を読みはじめた。
どの本を読んでもたいていの人がもう読んでいる。
読書メーターという読書記録のSNSをFacebookと連携させているのだが、上巻を読み終え、中巻を読んでいるときに高校時代の友人から原田甲斐が惨殺されるという結末をおしえてもらった。当人は「上巻を読み終えた」ではなく「樅の木は残ったを読み終えた」と勘違いしたらしく、子どもの頃視た大河ドラマの話などをまじえてコメントしてくれたんだが、なんとか書房で編集の仕事にたずさわっていながら(職業はあまり関係ないか)、ネタバレするかおまえって笑ってしまった。
歴史の方はまったく詳しくないが、史実に残る原田甲斐は悪役で兵部宗勝の太鼓持ちとされている。味方を欺くまで悪役に徹し、藩の危機を命をかけて救った男として壮大なフィクションに仕上げたのがこの物語で山本周五郎独自の視点がここにある。
NHK大河ドラマの「樅の木は残った」では原田甲斐を平幹二郎が演じている。まったく記憶にない。おそらく当時日曜の夜は青春とはなんだみたいなドラマを視ていたように思う。はじめて通しで視た大河ドラマは「新・平家物語」で後にも先にも視聴をコンプリートしたのはこれだけだ。ちなみに現在放映されている「花燃ゆ」もどうしたわけかずっと欠かさず視ている。視聴率は相当低迷しているらしいが、投票率の低い選挙に出かける気分だ。原作はなくオリジナルの脚本だそうだが、やはり骨太な原作があったほうがいいんじゃないかな。
『青べか物語』を皮切りに、『五辦の椿』、『赤ひげ診療譚』、『さぶ』、『ながい坂』と周五郎の長編を読んできた。どちらかというとにわか周五郎ファンなのでおすすめの一冊があればぜひおしえてもらいたいと思う。

※2021年8月22日追記。フォント問題は書式をクリアすることで解決した。

2015年3月24日火曜日

芝山幹郎『映画一日一本―DVDで楽しむ見逃し映画365』

昨年の彼岸は甲子園で選抜高校野球を観て、南房総に墓参りに行く予定だった。
そんな矢先に叔父の訃報が届き、あわただしく通夜葬儀が執り行われ、連休は終わった。今年は春分の日が土曜。早起きして南房総に行ってきた。
墓参りが天気のいい日ののどかな休日であればそれに越したことはないのだが、墓参りは基本、墓そうじである。とりわけ千葉の墓は草刈りだったりするわけだ。腰が痛くなる。汗が流れる。墓参りの現実がそこにある。
翌日曜日は義父の墓参りに小平へ。こちらは東京の霊園なので多少は楽だ。急にあたたかくなったからといって、秋の彼岸にくらべると作業量は少ない。とはいえ二日続けての墓そうじはこたえる。
今月はここまで5本の映画を観ている。といってもレンタルしたDVDやBSで録画したものだ。映画が好きで好きでたまらないというタイプではないのでだいたい月4本くらい観られればいいと思っている。
この作者は筋金入りの映画ファンで一日一本、年間365本とそのタイトルで謳っているが、おそらくもっとたくさん観ているのではないか。ここで紹介されている映画を実際に何本観ているだろうかと数えたところわずか38本。かろうじて1割という成績だった。
映画といえば、昔のアートディレクターやイラストレーターで造詣の深い方が多い。また彼らは音楽に関してもくわしい。今よりはるかに情報が少なかった時代、海外の文化やデザインに接することができる場は映画とレコードジャケットくらいしかなかったからではないだろうか。きっとだいじにだいじに慈しむように見られていたにちがいない。
今、映画やCDジャケットはたいせつにされているだろうか。
春の彼岸を終えると次はお盆。その前に5月の連休がある。ここのところ毎年家(父の実家)のそうじに出かけているのだ。
5月の南房総はたぶんさわやかだ。

2015年3月20日金曜日

桐原健真『吉田松陰--「日本」を発見した思想家』

昨年の今ごろは都立小山台高校が21世紀枠でのセンバツ出場を果たし、東京は盛り上がっていた。
残念ながら大会初日の第三試合、大阪履正社高校と対戦し、完膚なきまでに打ちのめされたのは記憶に新しいところだ。
今年も野球の季節がやってきた。
昨秋明治神宮野球大会の結果をベースに考えれば、優勝した仙台育英と準優勝の浦和学院が中心となるだろうが、秋の地区大会を征した学校が必ずしも春強いとは限らない。それが野球だ。
昨年の地区大会優勝校10校のうち半数が初戦で姿を消し、残る5校、駒大苫小牧、沖縄尚学、白鴎大足利、関東一、龍谷大平安のうち2回戦を突破したのは沖縄尚学、龍谷大平安の2校のみ。結果的には龍谷大平安が優勝を果たし、明治神宮大会組の面目躍如とはなったが、注目すべきは昨秋苦杯をなめ、ひと冬かけて伸びてきたチームだろう。
近畿大会で優勝した天理に惜敗したものの夏春連覇の夢がかかる大阪桐蔭、浦和学院と打ち合いを演じた健大高崎、左右のエースを擁する木更津総合、九州大会を粘り強く戦った糸満あたりか。東京の二松学舎を含め、やはり昨夏のメンバーが残っているチームは有利なのだろうか。
地区ごとの力関係はどうだろうか。
明治神宮大会で東海大四にコールド負けした宇部鴻城の中国地区、4強のうち3校が公立校だった東海地区あたりのレベルはどうなのだろう。
NHKの大河ドラマがおもしろく、久しぶりに欠かさず視ている。佐藤純彌監督「桜田門外ノ変」で水戸藩主徳川斉昭役立った北大路欣也が毛利敬親だったり、関鉄之助の大沢たかおが小田村伊之助だったり、井伊直弼が伊武雅刀ではなく、高橋英樹だったり、なかなか混乱しながらではあるけれど。
歴史はきらいじゃないが、幕末から明治にかけてはあまり勉強もしていなかった。ドラマついでに吉田松陰について学ぼうと思った。この本はおそらく著者の博士論文あたりをベースにしているのだろう。けっこう本格的な論考だ。
もっとやさしい本から入ればよかったかも。

2015年3月18日水曜日

木村浩『情報デザイン入門』

美術系の大学には油絵や日本画など芸術性に富んだ学部とグラフィックデザインや建築、テキスタイルなど実用性を重視した学部とに二分できたのではないかと記憶している。最近では映像やwebなどのデザインを中心に学ぶ学部も増えているらしい。
「情報デザイン」という言葉の響きにつられてこの本を読んでみた。
著者はおそらくしっかりした研究者・学者なのではないだろうか。いわゆるデザインという柔軟なニュアンスが文章からは伝わってこない。だからといって学術論文的かといえばそうでもなく、繰りかえしが多く、誤字も目立つ。「本は表示から始まり目次がある」とある。このくらいなら読んでいてすぐにわかる。気づかず本にした出版社の良識を疑うだけだ。
「ホームページとはWWWブラウザを立ち上げたときに表示する最初のページを指す」なんて3回も書かれている。主語の抜けた文章もところどころにあって読みづらい。この人は書いた文章を読みなおしたりしないのか。
電子版が出たのは昨年のことであるが、新書の一冊として世に出たのは2002年。内容的にも古い。たとえば情報デザインといえばコミュニケーションデザインであるといっているが、今やコミュニケーションデザインといえば電波や紙媒体、ソーシャルネットワークをどう駆使して効果的なコミュニケーションを生むかという意味で使われることが多い。メディアやコミュニケーションの歴史にも触れているが、長い。せっかく電子版で出すのなら、もういちど編集者を含めて内容を吟味すべきではなかったのか。誤字脱字はもちろんのこと、当時と大幅に変わったであろうインターネットをめぐる情報デザインに関しても再考するべきではなかったのか。
とはいえ、実のところ楽しみながら読んでいたところも少なくない。ツッコミどころがこれほどあるとついつい先へ先へと読みすすめてしまうのである。
旅先で食べてしまったすごくまずい蕎麦の思い出、みたいな。
興味があれば読んでみてもいいかもしれないが、お金を払って読む本ではない。絶対におすすめしない。

2015年3月16日月曜日

三谷宏治『戦略思考ワークブック【ビジネス篇】』

イングレス(Ingress)というゲームにはまっている。
はまっているというほどのことでもないのだが、よくできたゲームだと思う。要は歩きまわって、ポータルと呼ばれる地点をハックする。FoursquareやFacebookでいうチェックインだ。ユーザ、つまりゲーム参加者は位置情報を提供する。位置情報はいわゆるビッグデータとなって個人の行動パターン解析に役立つ。
たとえば参加者のIDがGoogleのメールアドレスにひもづけられていれば、その住所、勤務場所などはおおむね特定できる。その日いちばん最初にハック(チェックイン)した場所はそらく自宅近辺である可能性が高い。日中ハックした場所はおそらく勤務先に近いだろう。利用している最寄駅もほぼ特定できるだろうから、どの路線で通勤しているかもわかるはずだ。休日定期的に移動する人はその地域を特定することであるいは趣味などもわかるかもしれない。こうやってその人の行動パターンや行動範囲を活かして広告活動につなげていくわけだ。
なんとよくできたゲームだろう。
これまで位置情報を収集するSNSはあった。Foursquareはメイヤーとかバッジを付与することで参加者のモチベーションを支えてきた。けれどもここまでのめりこませて収集する仕組みはおそらくIngrerssがはじめてではないだろうか。頭のいい人ってやっぱりすごい。
この本では「なにがだいじか」をきちんと見極めようとする「重要思考」がビジネスに欠かせない「戦略思考」を鍛えていくと説かれている。事例も豊富だ。題名にあるとおりワークブックの形式をとっている。読者参加型の戦略思考演習本といっていい。しかしながらその課題はかなり難解だ。
この本を読みながら自分で考えていくには相当なスキルが必要だと思う。今回はとりあえず読みすすめて、なるほどなるほどと感心するにとどめた。
頭のいい人ってやっぱりすごいなと思いながら。

2015年2月22日日曜日

大岡昇平『少年--ある自伝の試み』


三軒目の床屋は案外すんなり決まった。
実家を出てひとり暮らしをはじめた20代の終わり、住んでいるところからほど近いところに「小泉」という床屋はあった。前を通りかかると休みの日などはたいてい客が待っている。その町には床屋や美容室が多かったにもかかわらずだ。メンズサロンとか近未来的なおしゃれさのかけらもない古びた店がまえも気に入った。腕のよさそうなにおいがする。店主は赤ら顔の職人風の男だった。
小泉は僕がはじめて行った直後に改装されて、今風の洗髪台などが完備されたが、最初に行ったときは店の片隅にある流しまで歩いてシャンプーを落とした。そういう風情の店だった。「お客さんみたいに髪にくせがある人は短くした方がいいんですよ」といっては丹念に時間をかけて刈り込んでくれた。娘さんが修業中だったのか、店の手伝いをしていた。赤ら顔をさらに赤くした父親に、聞こえないような飲みこんだ声で怒鳴られているのを鏡越しに見ていた。
「お嬢さんが跡継いでくれるなんてうらやましいね」などと客に言われようものなら、また顔を赤らめて「こんなもんにまかせるほどもうろくしちゃいませんよ」などという。少しうれしそうでもある。そしてすぐに「チッ!何度言ったらわかるんだ、そこはそうじゃないっていつも言ってるだろ…」と聞こえないような声で娘を怒鳴る。
この本は大岡昇平の自伝『幼年』の続編にあたる。その舞台がほぼ渋谷だったのに対し、『少年』では学校のあった青山や従兄の住んでいた麻布市兵衛町あたりが中心になる。中学生になって行動半径がひろがっている。渋谷青山間で乗る市電も楽しそうに描かれている。
中学生ともなると記憶も鮮明なのではないかと思うが、案外そうでもないようだ。憶え間違いを何度も友人たちに正されている。人の記憶も思い出もはかないものだ。
何年かたって、僕はこの町を去った。それでもしばらくは電車に乗って、「小泉」に通っていた。店主は元気でいるだろうか。

2015年2月21日土曜日

伊藤真訳『現代語訳日本国憲法』

高校生になって髪を短くすることにした。
島倉千代子のように髪を短くして強く小指を噛んだりはしなかったが、部活動を続けるうえで頭髪は短い方が都合がよかったのだ。ところが中学校の3年間、僕は床屋なしの生活をしていたので、さてどこの床屋に行けばいいだろうと考えてしまった。何となく気持ちの上では小学校時代に通った「富士」に行くのも「なんだよ、ずいぶん御無沙汰しやがったじゃねえか」的な冷たい視線を浴びそうでいやだった。かといって新しい床屋を開拓するのもそれなりのエネルギーが必要だ。
結果的にいうとよく行く銭湯の道すがらにある「やひこ」という床屋に通うようになった。きっかけは思い出せない。誰かしらからいい評判を聞いたせいかもしれないし、風呂の行き帰りにのぞいてみた店内に悪い印象を持たなかったせいかもしれない。細面の長身の理容師が感じのいい人だったことは否めない。
僕は癖っ毛でいわゆる天然パーマである。普通の人のスポーツ刈り(今もそう言うのかどうかわからないが、昔は慎太郎刈りとも呼ばれていた)程度の長さでも髪が寝てしまうのであまり短髪のイメージにはならなかった。でも頭髪に癖があるというのは床屋さんに申し訳ない気持ちをいつも持ってしまうものである。そういうわけでいちど決めた床屋には通いつづける。「冨士」から「やひこ」へ。標高は低くなったが、毎度のように肩身を狭くして敷居を跨いだのであった。
憲法論議がさかんである。
護憲派は日本国憲法は世界に誇れる宝物のように言うし、改憲派は日本を安全な国家にする必要性を説く。また日本の憲法がGHQ主導でつくられた傀儡憲法であるという言い方もされる。いずれにせよ、護憲派も改憲派も、あるいは憲法に興味がないという人も日本国憲法の「そもそも」を知る必要があるんじゃないだろうか。
大学を出て、就職し、ひとり暮らしをはじめた20代の終わり頃まで僕は「やひこ」に通いつづけた。

2015年2月18日水曜日

苅谷剛彦『知的複眼思考法』

最初の床屋は「富士」だったと思う。
実家から子どもの足でも2~3分の距離だった。もちろん子どもの頃の記憶だからまったく正確ではない。どのくらい子どもだったかというとおそらく母に連れられて、預けられて髪を刈られて、天花粉(ベビーパウダーとかおしゃれな呼び方ではなかったと思う)を塗りたくられて、帰りにお菓子をもらって帰った。そのくらいの子どもの頃だ。小学生の頃まではそこに通っていた。
中学生になって、床屋に行かなくなった。もちろん学校の規則はあったけれど、他の中学のように刈上げなければいけないとか細かいことは言われなかったせいもある。多少長めでも問題はなかった。ちょっと伸びると少しだけ剃刀で削ぐ程度にした。母の知合いで近所に元美容師がいて、母がその人の自宅でカットしてもらうついでに行って、切ってもらった。以後3年間、そういうわけで床屋には行かなかった。
姉の同級生で美容院の娘がいた。いちどその店でカットしてもらった。姉がカットしてもらうとき、やはりついでのように付いて行ったのだと思う。
短絡的な思考をする者がいる。若いものに多い。僕ももう若くはないが、ものの考え方は短絡的だなと思うことがしばしばある。
この本は「複眼的な思考」を促している。ものごとを一面的に見るのではなく、多面的にとらえる。空間的にも時間的にも。おそらく想定している読者は若い世代、とりわけ大学生あたりか。ああ、こうやって問題をとらえなおして、ひとつひとつ丁寧に解明していけばきちんとした意見になるのだなと読んでみてよくわかる。
ただ、自分が学生時代にこんなに懇切丁寧な本を熟読したかどうかはわからない。何を大人が偉そうに、と思ったかもしれない。何かするのに最適なタイミングというのが人生にはある。しかしながら自分自身でそれを見きわめるのは難しい。
そういえば冨士のお兄さんは三原綱木に似ていた。ジャッキー吉川とブルー・コメッツでギターを弾きながら踊っていた三原綱木に。もちろん当時の記憶だからまったくあてにならない。

2015年2月6日金曜日

吉村昭『事物はじまりの物語』

先日のつづき、塩浜のスタジオ三日めの話。
午後には仕事が片づいた。夕方までかかるかもしれないと思っていたので時間が空いた。その日は寄り道をしなかったので、帰りに道草を食うことにした。
木場から洲崎に向かう。
途中、成瀬巳喜男監督「稲妻」で高峰秀子がわたった新田橋を見る。当時は木橋だったが、今は赤く塗られた鉄の橋だ。空橋ではない。その下を大横川が流れている。
洲崎大門通りをまっすぐ進む。映画「洲崎パラダイス赤信号」で夢の島埋め立てのため砂利運搬トラックが何台も走っていく大きな通りだ。大門通りの突き当りには運河が残されている。橋をわたると住所はやはり塩浜で東京メトロ東西線の検車場があり、その向こうにJR東日本資材センターがある。かつての越中島貨物駅。小名木駅を経て、新小岩駅、金町駅方面に主にレールを供給しているそうだ。
塩浜から運河をひとつ越すと枝川(ここに架かるしおかぜ橋というのがなかなか気持ちいい)、もうひとつ越えると潮見、さらに越えると辰巳ともうどこまでが深川なのかわからない。このあたりは倉庫があって、できたばかりの公園や集合住宅、学校があって匂いとしては品川区の八潮とか大田区の平和島に近い(直線距離も近い)。辰巳は深川のさいはて(辰巳を深川と呼んでいいとすればの話だが)で、その先に今のところ地面はなく、東に新木場、西に東雲がひかえている。東雲といったらもうお台場だ。
吉村昭は作品も見事だけれど、そこにいたるまでの調査がすばらしいといつも思っている。丹念に資料と向き合い、多くの人に会い耳を傾けている。そして新たな発見に出会い、想像力という細い糸で紡いでいく。うらやましい仕事だと思う反面、自分にはとうていできまいというあきらめの気持ちにも包まれる。
ということで洲崎から東京メトロ有楽町線辰巳駅までずいぶんとたくさんの道草を食ってしまった。昼食がサンドイッチと軽かったのでちょうどよかった。

2015年2月5日木曜日

芝木好子『春の散歩』


江東区の塩浜にスタジオがある。
撮影から編集、録音までひととおりの設備をそろえているので使い勝手がよく、ときどき利用する。とはいうものの塩浜という地は交通の便がよくない。そのスタジオは東京メトロ有楽町線豊洲駅、同東西線門前仲町駅、木場駅、JR京葉線越中島駅と4駅利用可なのだが、どこから行っても10分以上歩く。歩くことは今のところ苦にならない。むしろ駅から遠いのをいいことに寄り道したり、帰りに道草を食うことを楽しんでいる感がある。
先日も三日続けてスタジオに入った。昼までに来ればいいということだったので、最初の日は新富町駅で降りて、佃大橋をわたり、佃島から石川島を散策。相生橋をわたって越中島に出た。ここからがいわゆる深川である。かつての東京商船大学(今は東京水産大学と統合して東京海洋大学というらしい)の構内をぶらぶら歩きながら浜園橋をわたればそこは塩浜だ。
翌日も午前中時間が空いたのでこんどは木場駅で降りたあと洲崎をまわった。洲崎という地名はもう残っていない。かつての洲崎遊郭のあった島は四方をほぼ埋め立てられて、東陽一丁目となっている。
洲崎は何年か前にも訪れたことがあるが、その頃まだあった特飲街の名残のような建物はもうなかった。川島雄三監督「洲崎パラダイス赤信号」に出てくる千草という飲み屋のあとを見、洲崎神社(映画では弁天様と呼ばれていた)をまわってスタジオに向かった。
洲崎に行って、以前読んだ芝木好子のエッセーを思い出した。
貝紫の話、四季折々の風景、旅の思い出などが軽妙につづられていた。
おそらく絶版になっているであろうこの文庫本を荻窪の古書店で見つけた。ラッキーだった。この古書店ではときどき芝木好子の文庫が見つかる。
芝木好子は浅草生まれだが、戦後はずっと高円寺に住んでいたという。そんな地の利もあったのかもしれない。
スタジオ三日めは朝早かったので寄り道はしなかった。

2015年1月24日土曜日

高橋雅延『記憶力の正体--人はなぜ忘れるのか?』

以前、下町探検隊のK隊長と飲んだとき、たしか僕がKさんはどうやって煙草を止めたのですかと質問したときのことだと思う。
「忘れちゃえばいいんですよ」
という思いもかけない答が返ってきて驚いた憶えがある。
Kさんは何を言いたかったかというと、人間はついつい憶えていようとする、思い出そうとする。記憶しておくことが美徳で忘れてしまうことが罪悪のように思われがちである。果たしてそうだろうか。憶えておくことがたいせつなように忘れることもだいじなんじゃないだろうか。たとえば嫌なことがあったら積極的に忘れてしまえばいいじゃないかというわけである。
たしかにこの本を読むと記憶力がよすぎるというのも不幸だということがわかる。「記憶力」という言葉に憧れを持つのはたいてい受験生時代に苦労した人たちだ。
記憶力がよすぎると日々刻々を反芻しながら生きていかざるを得ず(超記憶症候群というのだそうだ)、過去の記憶に翻弄されてしまう。事例が紹介されているが、そのひとりは絶え間なくフラッシュバックされる記憶のせいで授業に集中できず、学校の暗記ものは苦手だったという。
記憶というとつい頭で憶えているものと思われがちだが、必ずしもそんなことはなく、記憶を喪失した女性の身元を割り出すためにそばに電話器を置いたらなんと自分の家に電話をかけたという。頭の記憶に対する身体の記憶というわけだ。
Kさんは煙草を吸っていたことを忘れてしまえばいいという。ただでさえもの忘れが激しくなったのだから何も要らない習慣を憶えておく必要なんてない。
「多くの忘却なくしては人生を暮していけない」という「フランスの作家オル・ド・バルザック」のことばが引用されている。忘却力がなければいつまでも過去の暗い記憶にとらわれ、人生を前に進められないという。「オル・ド」ではない。バルザックは「オノレ・ド」だ。
そんなことを憶えているからいつまでたっても煙草をやめられないのだ。

2015年1月19日月曜日

川本三郎『成瀬巳喜男映画の面影』

下町に限らず、知らない町を歩くのは楽しいものだ。 
町歩きを重ねていくうちに川本三郎の本にめぐり合った。そこで林芙美子に出会い、成瀬巳喜男の映画にたどり着いた。 
成瀬巳喜男の映画に映し出される昭和の町並みが好きになった。 
成瀬の映画は「貧乏くさい」という。登場人物は会社重役ではなく商店主だったり、山手の婦人でなく未亡人だったり、どこか哀しさとともに生きている。具体的で細かいお金のやりとりがある。これまで何本か観てきて気づかなかったことをこの本は気づかせてくれる。 
頼りない男が出てくるのも成瀬映画の特徴だという。「浮雲」「娘・妻・母」の森雅之や「めし」の上原謙。あるときは(というかたいていの場合)もてない男、またあるときは結婚詐欺師の加東大介。戦争中肩で風を切っていた男たちは萎縮しはじめ、エコノミックアニマルへの道を歩みはじめる。そんな戦後日本の男たちを等身大で描いている。 
とかく小津安二郎と成瀬巳喜男は対比的にとらえられる。同じように小市民を描いてきたからだと考えられるが、鎌倉が舞台だったり、会社重役だったり、品のいいつくりで芸術性の高い小津映画とつましい庶民の生活を念入りに演出した成瀬映画とは同一軸に置くことはできない気がする。そもそも同時代の映画ということ以外、共通点はほとんどないといってもいい。同じ素材を使ったまったく異国の料理を比べているみたいな。 
実をいえば、僕は若い頃映画とはほぼ無縁の生活をしてきた。映像関係の仕事に就くようになってからもさほど熱心な映画ファンではなかった(以前在籍していた会社の社長からもっと映画を観てこいとお小遣いをもらったこともある)。だがここ何年か成瀬巳喜男を通じて昭和の映画に惹かれるようになった。 
成瀬巳喜男が携わった映画は40数本。そのうち僕が観たのは数本に満たない。川本三郎のこの本はこのような成瀬初級者にとってやさしい道しるべなのである。 

2015年1月16日金曜日

山本周五郎『町奉行日記』

伯父は建築設計士で飲食店などの内装が主な仕事だったように記憶している。赤坂や六本木の高級な料理店やナイトクラブなどの設計にたずさわったという。
以前伯父家族と母と僕とで六本木の交差点に程近い中華料理店を訪ねた。店舗設計を担当した伯父はその店の支配人のような男の人から「先生」と呼ばれていたと思う。何が原因かわからなかったが、注文した料理がなかなか出てこなかった。ふだんは温厚で紳士的な伯父が(もともとは非常に短気な人であるらしい)怒った。何をやってるんだ、まだできないのか、子どもたちがお腹を空かせているんだ、みたいなことばを支配人に浴びせかけ、別の店に行こうと僕たちを促して、店から出てしまった。そのあとどこで何を食べたか全く記憶がない。ただこの日のできごとはその後大人になってとり煮込みそばを食べるたびに思い出す。
伯父はその頃赤坂丹後町から六本木に引越していたと思う。六本木の家は六本木通りのすぐ裏手、高速道路の下にあり、赤坂の家のまわりのような子どもたちが路上で遊ぶような環境ではなかった。それにふたつ上とひとつ下の従兄弟たちとも中学生や小学校の高学年になるにつれていっしょに遊ぶようなことも少なくなっていた。従兄弟たちとタクシーに乗って麻布本村町の釣り堀に行った記憶だけがのこっている。
山本周五郎『町奉行日記』を読む。
市川崑監督「どら平太」の原作。ワル奉行である望月小平太が単身で悪いやつらをやっつける話なのだが、映画の小平太、役所広司がなんとなくいい人に見えてしまってちょっと物足りなかった印象がある。おそらく50年前につくられていたら三船敏郎だったにちがいない。
先日、西麻布で打合せがあり、はやく終わったので有栖川公園あたりを散策してみた。釣り堀はまだあるんじゃないかと人から聞いていたが、道がまったく思い出せない。まさかこんなところにはないだろうと思える本村小学校の脇の細い道をたどると昔遊んだ釣り堀がそのまま残されていた。

2015年1月14日水曜日

山田敏弘『その一言が余計です--日本語の正しさを問う』

母は佃に住む叔父夫婦を頼って南房総千倉町から東京に出てきた。
中学校を卒業して高校に進みたかったそうだが、父親が病に臥し、あきらめざるを得なかったという。佃島の渡し船で対岸の明石町にある洋裁学校に通い、その後銀座のデパートの社員募集に応募して採用された。高卒といつわり、年齢もひとつ上にして書類を送ったという。そう助言したのは母の兄、僕の伯父である。戦後の一時期、洋裁がブームになったとどこかで読んだおぼえがある。
伯父は建築事務所に勤めながら、夜間の大学を卒業し、赤坂丹後町に家を買った。その後母も佃の叔父夫婦の家を出て、兄と暮らすようになる。銀座への通勤は赤坂表町という停留所から都電に乗ったという。たしかに地下鉄の赤坂見附駅より近い。
母が結婚すると伯父の家には母の妹が移り住んで、伯父の結婚後は中学校を卒業した母の弟が住むようになり、そこから高校大学へ通った。
伯父はずいぶん前に他界しているが、赤坂丹後町の後は六本木(麻布今井町)に引越した。
週末、実家の母親に会いに行くとこんな話に花が咲く。昭和20年代後半から30年くらいの東京にタイムスリップするのである。
日本語に(おそらく)限らないだろうが、ことばというのは難しいものだ。
ことばが乱れるなどという。本来の意味が失われ、誤解されたまま流通することも多い。文法的に正しい言い回しが省略されたりするなどして間違った語法のまま若者たちに定着していく。それが最近のことに限ったわけではなく、いつの時代も問題視される。
ことばは生きものだともいう。Aという言葉があらわす意味がBになったとしても、それが多数派であるならば、AはBを意味することになる。ことばはある意味、民主的なのである。
自分が使っている言葉(やことば)が間違っていないだろうか、おかしくないだろうか。そんなことがときどき気になってこういう本に目を通してしまうのである。
この本は言葉の変容を正しく知りつつも、上手に付き合っていきましょうという主旨で書かれている。

2015年1月3日土曜日

井上靖『猟銃・闘牛』

あけましておめでとうございます。
今でこそ月に何冊かの本を読むことを習慣にしているが、子どもの頃はほとんどといっていいくらい本を読まなかった。それでも小学校の頃はまだ偉人伝とか、アルセーヌ・ルパンとか宝島とか人並み程度に本は読んでいたと思う。中学高校と進むにつれ、活字離れははなはだしくなり、夏休みに宿題にされた課題図書すら読まずに感想文を書いていた(たぶん読んでも読まなくてもろくな感想は書けなかっただろうと今になって思う)。
その頃、例外的に読んだのが井上靖だった。
どういうきっかけだったが憶えていないが、たしか『天平の甍』、『額田王』、『楊貴妃伝』、『蒼き狼』あたり。古代の日本や中国の物語に関心を持ったのだろう。『しろばんば』も読んだ記憶がある。続編ともいえる『夏草冬涛』をいつか読もうと思ったまま今に至っている。
「電通報」という大手広告会社の発行する広告業界のニュースや情報を掲載する広報紙があって、最近ではオンライン化されているのだが、そのなかに「電通を創った男たち」というすぐれた連載がある。そこで取り上げられたプロデューサー小谷正一が井上靖の芥川賞受賞作「闘牛」の主人公であることを知った。こういうことがわかってしまうとどうしても読みたくなってしまうのだ。
歴史ものや自伝的作品しか知らなかったせいもあって、ずいぶん新鮮な印象を受けた。久しぶりに読んだせいもある。詩的な文章がスムースに飲み込めなくて、ちょっと難儀した。
井上靖はのちに『黒い蝶』、「貧血と花と爆弾」でも「闘牛」のモデルとなった小谷正一の仕事を小説化しているという。よほど小谷の仕事が気に入ったのだろう(小谷正一は伝説的な人物で多くの著作が残されているという)。
さて2015年はどんな物語に出会えるのか。あせらず、ゆっくりと読んでいきたいと思っている。
本年もよろしくお願いいたします。