2017年11月29日水曜日

吉村昭『海の史劇』

イングレスでついにレベル16に到達した。
このゲームをはじめたのが2015年1月だったから、2年と10ヶ月を費やしたことになる。実をいうと11月20日あたりからポイント2倍キャンペーンがはじまったのだ(どこかのスーパーマーケットみたいだけど)。イングレスというゲームはAPと呼ばれる経験値とさまざまなミッションをクリアすることで得られるメダルによってレベルアップする。目標とするレベル16まで逆算すると年内いっぱいかかるだろうと思っていた。そんな矢先の2倍キャンペーンだったのだ。
具体的にいうとレベル16までに必要なAPは40,000,000。レベル15だと24,000,000。次のレベルまであとひとつなのにもかかわらず、実際にはレベル15までが60%、あと半分弱のAPが必要なのである。実際のところレベル1から15まで1年7ヶ月弱、15から16まで1年3ヶ月かかっている。
キャンペーン期間は10日ほどだとSNSなどでアナウンスされていた。というわけで朝晩仕事の行き帰り、お昼どきにちょっと集中して取り組んでいたらあれよあれよと予定よりもひと月はやく達成することができた。
おかげですっかり読書量が減った。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読み終えたとき、友人から吉村昭のこの本もぜひ読んでみるといいとすすめられた。それから一年半、ようやく読み終えることができた。
司馬遼太郎のようなエンターテインメント性はない。史実に基づいた小説と思われる。主役はロジェストヴェンスキー率いるロシア第二太平洋艦隊だ。
そして吉村昭は(この作品に限ったことではないが)最後まで書く。戦闘終了後、つづきは『ポーツマスの旗で』で!なんてことはしない(もちろん講話交渉の襞までは描かれていない)。主要登場人物の消息まで追う。これがまたすばらしい。
ずいぶん時間をかけて読んだ。椅子の裏に牡蠣がこびり付いていなければいいが。

2017年11月22日水曜日

吉村昭『赤い人』

ふらりと立ち寄った秋葉原。
中学生の頃はトランジスタやら、抵抗、コンデンサー、コイルなど電子部品を買いに行ったものだ。JRのガード下や総武線ガード沿いのラジオデパートではまだ取り扱っている店もある。アニメーションの自主制作として電子部品を活用できないかと思って何軒か回ってみる。すでに製造中止となった東芝のトランジスタ2SC1815が20本入で200円で売られていた。
電子部品の店に組立キットがあった。デジタル時計や電光掲示板、それにモーターで動く車やロボットアームなど。聞いてみるとそれらは小さなコンピュータで制御できるという。コンピュータは名刺ほどのサイズである。オープンソースのOSをインストールすれば普通にパソコンとして使えるという。面白半分に買ってみた。
ネットで調べてみると数年前から流行っているRaspberry Pi(ラズベリーパイ)というシングルボードコンピュータとわかる。電源ソケット、USBソケット×4、LANポート、HDMIソケットにマイクロSDカードのスロットが付いている。
さっそくWindowsのノートPCでダウンロードしたOSをあり合わせのSDカードにコピーして、システムをインストールする。モニタとマウス、キーボードをつないで電源を入れる。あれよあれよと起ち上がる。ブラウザを開くとネットにつながっている。日本語入力のソフトをインストールする。これでブラウザからSNSもメールもできるようになった。
仕事場のデスクトップPCが古い機種のせいか起動に時間がかかっていたので代替機としては助かる。
不思議なめぐり合わせだった。
吉村昭『赤い人』を読む。
北海道に送られ、開拓に従事した囚人たちの話だ。北海道の町も、道も、広大な農地も彼ら開拓に従事した者たちが命がけでつくりあげてきた。
子どもたちが小さいころ、北海道を旅行した。こんな歴史の上にこの大地はあるのだと語り聞かせてやるべきだった。

2017年11月17日金曜日

寺山修司『ポケットに名言を』

明治神宮野球大会が終わった。
秋は社会人、大学、高校の全国大会が行われ、野球の一年を締めくくる。とりわけ高校野球の全国大会は春と夏に甲子園球場で開催されるため、明治神宮大会は東京で行われる唯一の全国大会だ。
今年は一回戦の日本航空石川(北信越)対日大三(東京)、準決勝の創成館(九州)対大阪桐蔭(近畿)、明徳義塾(四国)対静岡(東海)の三試合を観る。出場10チームのうちただひとつの公立校である静岡を応援していたが、優勝した明徳義塾に惜敗。春センバツに期待したい。
大学の部が4年生にとって最後の大会であるのに対し、高校の部は夏の選手権大会後に始動した新チーム最初の全国大会。各地区を勝ち抜いてきた精鋭とは言うものの、まだまだ完成度は低く、荒削りなプレーも多い。試合経験を積みかさねていくことで課題や強化すべき弱点を見出していくのだろう。今はまだそんな段階だ。
その点大学生の野球は完成度が高い。高校生の試合を観たあとだと子どもと大人ほど違う印象を受ける。投手は慎重に球種を選ぶ。丁寧にコントロールされたボールがコーナーを突く。ピンチのときも動ずることなく目の前の打者に集中して打ちとる。優勝した日体大の試合を観てそう感じた。
大学野球というと東京六大学、東都大学にいい選手が集まって高いレベルを維持していそうに思われるが、春の大学野球選手権も含めトーナメント方式の全国大会を見ると思いのほかそんなこともなく、地方の名の知れていない大学やマスコミにあまり取りあげられないリーグにも好投手、好打者がいる。野球の裾野は広く、奥は深い。
寺山修司はアウトロー、アングラの印象が強い。根強い人気があるのも彼がそうした雰囲気を持っているからかもしれない。表現する人としての寺山修司を支えていたのは広くて深い読書体験だったのではないか。そう思い知らされる一冊だ。
それはともかく慶應や東洋が決勝に残らないと大学野球は少し寂しい。

2017年11月16日木曜日

野口悠紀雄『知の進化論』

ゴッドフリー・レッジョ監督「コヤニスカッティ」を観たのは20代だった。
82年公開のこの映画がテレビで放映され、βマックスのビデオテープに録画した。たたみかける衝撃的な映像にフィリップ・グラスの音楽が印象的だった。こうした撮影手法を微速度撮影というんだと教えてくれたのは当時働きはじめたテレビコマーシャル制作会社の先輩だった。
たとえば1秒刻みに撮影した画像をつなげて動画にする。昔のムービーは1秒24コマだから24秒ぶんの動きが1秒に凝縮される。人はちょこまか歩く。夜のハイウェイでは光が走り、飛行場の上空に光が飛ぶ。
1枚1枚の写真をつなげて動画にするという点で微速度撮影はアニメーションといえる。動いていないものを動かすか、動いているものをさらに動かすかが異なるだけだ。1秒間に24コマのフィルムをまわすムービーに比べるとフィルムにかける予算を大幅に省くことができる。そもそもアニメーションはそうした経済観念にも支えられていた。フィルムは高価なものだし、現像して、プリントして、編集して。まわせばまわすほどお金がかかるのだ。
とはいえこの手法もなかなか素人にできるものではなかった。カメラを固定する。露出をはかり、できあがる映像にイマジネーションをはたらかせてインターバル間隔を決める。撮影した一コマ一コマの画像現像してつないでいく。けっして一般的ではない。
ところがデジタルカメラが普及して誰にでも簡単にできるようになった。カメラの機能にインターバル撮影というモードが加えられた。また動画編集ソフトやインターバル撮影した画像を動画にするアプリケーションも増えてきた。こうした背景もあって、ネット上では微速度撮影した動画を頻繁に見るようになった。今では微速度撮影などとはいわない。タイムラプス動画と呼ばれている。デジタルはカタカナなのだ。
知識をオープンにすることで新たな可能性が切りひらかれる。要するにそんな内容の本だ。

2017年11月14日火曜日

スコット・フィッツジェラルド『若者はみな悲しい』

築地市場場外に気に入った蕎麦屋がある。
細打ちの麺がうまい。かき揚げそば、カレーそば、納豆そばなどを好んで食す。
人気店である。
昼どきは店の外でお客さんが席が空くのを待っている。場所がら観光客も多い。もちろん築地の店だけあって、築地色豊かな日替りメニューをお目当てに来るのだろう。とりわけしらす丼や海鮮丼と蕎麦のセットメニューは人気が高い。
蕎麦屋だから昼から酒を飲んでいる人もいる。それなりのネタがあるんだから、つまみにだって事欠かないだろう。夜は夜で居酒屋としても人気店であると聞いた。
蕎麦屋で飲むのはきらいじゃない(というか大好きだ)。わさびかまぼこやたまご焼き、やきとり、とりわさ、海苔なんかをつまみにちびちび飲んで、もりそばとかけそばを食べて帰る。そんな酒が好きだ。
さて築地の人気店。気に入ってはいるものの、どうも気に入らない。ランチメニューも夜の天然まぐろの中トロも。蕎麦屋のつまみは蕎麦のたねになっている材料の流用であるべきだという固定観念があるせいだろうか。せっかくうまい蕎麦を供する店なのに、蕎麦を脇に追いやっている感じが好きになれないのか。うまい刺身を食べたければ寿司屋にでも行けばいい。蕎麦屋に行ったら蕎麦屋のものを食べる。
今はそういう時代じゃないのかもしれない。刺身のうまいピザ屋や餃子がおいし鰻屋などというものがあって、それはそれでいいじゃないかと人々は寛容に心を開いているのかもしれない。たとえそれが現実だとしても海鮮丼がおいしい蕎麦屋は気に入らない(もちろん誰かが誘ってくれたらほいほいと付いていって、中トロなんかをほおばるかもしれないが)。
フィッツジェラルドを読む。村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』以来だと思う。
光文社の古典新訳シリーズで08年に刊行されている。村上訳ギャツビーの2年後だ。すっかり見落としていた。
フィッツジェラルドは悲しい。短編はとくに悲しい。絶望的に悲しくなる。

2017年11月12日日曜日

加藤典洋『村上春樹は、むずかしい』

最近持ち歩いているペンタックスQであるが、電源を入れるたびに日付がリセットされる。
写真は撮れるし、時計として持ち歩いているわけではないので不便とは思わない。ただ最近は撮った写真がいつ撮影されたものであるか(さらに言えば使ったレンズ、ISO感度や絞り、シャッタースピードもわかる)が記録として残っていると便利は便利だ。しかもSDカード内に日付ごとのフォルダをつくってくれるので後々助かることが多い。
律儀な人なら電源をオンにするたびに117に電話をかけて秒数まで合わせるにちがいない。あいにくそう生まれついていないのでそのままにしている(そのままでも写真は撮れる)。
ネットで調べてみると日時を保持するバッテリーだかコンデンサーだかが弱くて同じ症状のユーザは多いようだ。そして律儀な方は12,000円ほどお支払して修理してもらっているらしい(中古でボディを買っておつりがくるお値段である)。ペンタックスは他の機種でも同様の症状があるようで、ある意味伝統芸なのかもしれない。
何か妙案はないものかと思っている。けっして律儀な人間ではないが、がめついところは否定できないのである。
村上春樹の作品がむずかしいかむずかしくないか。
そういう尺度で読んだことがないので何とも言えない。おもしろいから読む。一読者としてそんな姿勢を貫いてきた(ちょっとおおげさだけど)。
高度経済成長期まで支えてきた「否定性」という概念を覆した「否定性の否定」というキーワードが取り上げられている。たしかに肯定性の時代に村上春樹はあらわれた。その真っただ中にいたせいか、あまり意識したこともなかったが。
著者は村上作品群を初期・前期・中期・後期・2011年以降と分類している。思い返してみるとたしかにそうだなと思えはするものの、そういったこともあまり考えることなく読んできた。
おもしろいから読む。
この立ち位置はかわらないと思う。

2017年11月7日火曜日

吉村昭『海も暮れきる』

来年の甲子園をめざして各地で新チームが始動した。
11月上旬は全国10地区の地区大会が終わる。今週末から最初の全国大会である明治神宮野球大会が開催される。新しい勢力地図が描かれる。
昨年は近畿地区優勝の履正社が東京地区代表の早稲田実業に勝って優勝した。この大会で勝ったチームは来春のセンバツで優勝候補筆頭になる。もちろんその後、センバツ、夏の選手権と勝ち続けることは難しい。
明治神宮野球大会はセンバツや選手権にくらべると歴史は浅いが、過去に秋春夏と連覇した学校は1校しかない。97~98年の横浜高校がそれだ。エース松坂大輔を擁した横浜は春の関東大会も含め、新チームになってから1年間公式戦無敗を誇った(横浜は秋の国体でも優勝している)。
秋春を連覇した高校も横浜に加え、83~84年の岩倉(センバツ決勝で清原、桑田のPL学園に完封勝ち!)、01~02年の報徳学園(後に早大~トヨタ自動車~ロッテの大谷智久がエースだった)の3校しかない。トップレベルのチーム力を維持向上させながら冬を越すのがいかに難しいかがわかる。
今年の東京代表は日大三。決勝の対佼成学園戦では9回表連打で逆転し優勝した。関東地区代表は千葉の中央学院。準決勝で東海大相模を破って勢いに乗った。その他、大阪桐蔭、明徳義塾、聖光学院など名門校が出場する。東京で開催される唯一の全国大会。楽しみだ。
ここのところあまり本を読んでいない。
以前読んだ本を思い出しながら、こうしてブログを書いている。というかそもそも本の内容に関して書いているわけではないからどうでもいいことなんだけれど。
尾崎放哉についてはまったく知らなかったし、自由律俳句のことも同様。定型にとらわれない俳句というものが今でもよくわからない。たしかに「咳をしても一人」という句は詩情にあふれていると思う。心に残る。だけどこれが俳句だといわれてもどうもぴんと来ない。
尾崎放哉。ひどい生涯を送った人だ。

2017年11月6日月曜日

吉田凞生編『中原中也詩集』

出かけるときはカメラを持ち歩く。
町歩きのメインのカメラはパナソニックのLUMIX GX-1というちょっと古いマイクロフォーサーズ。このボディにニコンの20mmやフォクトレンダーの17.5mmか25mmを付けて出かける。野球を観るときはカール・ツァイスの85mm。マイクロフォーサーズだと160mm(35mm換算)の望遠になる。
荷物を多くしたくない旅行や外出用にペンタックスQという小さなミラーレスカメラも持っている。小さいだけのカメラで飛び抜けて素晴らしい写真が撮れるわけではない(もちろん撮影者の技術にも問題があろう)。ペンタックスQシリーズはQ7とかQ10など新しい機種が次々に登場したが、マグネシウム合金でその筐体を仕上げた初代Qは格別に持ち味がいい。
ペンタックスQには標準ズームレンズを付けて出かけることが多い。他の選択肢が少ないからだ。Dマウントレンズという昔の8mmカメラで使われていたレンズをマウントアダプターを介して使うこともある。中古カメラのショップで5.5mmというオールドレンズを手に入れた。35mm換算にして30mm。イメージサークルの関係で四隅はケラれるけれどまずますのワイドレンズである。
読んだけれどブログに残さなかった本が幾冊もある。
読み終わって何年も経つとなんでこれを読んだのか、そのとき何を考えていたのかなど思い出せない。この詩集もそのひとつ。少しだけ思い出せるのはその頃の通勤途中、耳さびしくなり、何か聴きたいと思って、図書館で借りたCDを(もちろん個人で楽しむために)録音し、仕事の行き帰りにゆわーんゆわーんと聴いていたことだ。
言葉を耳で聴くというのはいいものだ。言葉が「ことば」になる。そのうちもの足りなくなって詩集を読むことにした。
どの詩を読んでも切ない気持ちになるのはどうしてだろう。
まるでオールドレンズで撮ったみたいな風景が眼前にひろがるのだ。