2013年6月16日日曜日

樋口裕一『「教える技術」の鍛え方』


養老乃瀧というと赤べたに筆書きっぽいスミ文字の書体のイメージがあるけれども、最近少ししゃれた書体の店舗も見かける。ちょっと角ばった新藝体に近いフォント。
労働者の居酒屋から若者たちの集まるおしゃれ居酒屋へと脱皮を図っているんだろうか。
クリエーティブの世界では若い力が古いものを次から次へと刷新している。古くさいから新しくしましょう、というエネルギーが今まで見たことのない、あるいはこれまでだったら考えられなかったようなデザインを生み出す。それはそれで素晴らしいことだ。
新しいデザインを見ていつも思うことだが、「新しい」には二種類ある。「古くさい」と対話した「新しい」と一方的に新しくされた「新しい」とが。僕は古くささとしっかりコミュニケーションできた新しさが好きだ。
樋口裕一という著者は小論文指導の世界では有名な方らしい。その著作も数多い。タイトルからの印象は「教える」ことに対する哲学的、理念的な話だった。「鍛え方」という文字面にそういったイメージを抱いた。ところが読んでみると徹底した実践の書だった。教えるものは「なめられ」ちゃいけないとか、ウケる話を用意しておけとか一歩間違えばギャグなんじゃないかと思われる内容がなんとも印象的だ。著者の教える人生の集大成の書といえる一方でとにかくおもしろい。
効果的な雑談を交えろという。《大変な目にあった人の話は誰もが興味を持つ。強盗に出遭ったことがある、死体を発見したことがある、UFOを見たことがある……といった体験談が望ましい》と書かれている。本人は読者を笑わせようとしているのかも知れないが、その一方で大真面目に語っているのかも知れないとも思う。《これならいつでもウケるという得意ネタを作っておくと、教える時に便利だ》と提言する。人に何かを教えることより、ネタづくりの方がよっぽどたいへんだ。
教育学や教育心理学、あるいはコミュニケーション論などの専門的なお話も結構だが、この著書のように実践から学んだ経験をダイレクトに受け止めるということも時には必要だ。教壇に立つものに限らず、人前で何かを伝える機会のある人たちはこの本から大いに学ぶべきだろう。そして大いに笑ってもらいたいものだ。

2013年6月7日金曜日

銀座百点編集部編『私の銀座』


東京六大学春季リーグ戦は明治と法政の一騎打ちだった。
船本、石田を中心に投手力で勝る法政は開幕から連勝で勝ち点を伸ばし、一方明治は東大戦以外は3戦、4戦ともつれる展開だったが、同じく勝ち点4で法政との決戦にのぞんだ。初戦を法政が取り、9連勝で優勝に王手。粘り強さの明治もここまでかと思われたが、翌日の第2戦を引き分ける。リードしながら追いつかれての引き分け、明治は流れをつかめない。ところが第3戦、中軸にタイムリーヒットが集中し、タイに。こうなると明治ペース。第4戦も接戦だったが、関谷、山崎の日大三リレーで法政を振りきった。
翌週の早慶戦はそれまで打てなかったのが嘘のように早稲田の打棒がさく裂。2連勝ですんなり4位が決まった。
早慶戦が終わったあとのお楽しみは新人戦だ。これは1、2年生によるチームでトーナメント戦を行う大会。昨年甲子園を沸かせた新入生たちのデビュー戦となることが多い。神宮球場に集まるファンもマニアックな野球好きである。この春も北海のエース玉熊(法政)や作新の石井(早稲田)らが先発出場した。
新人戦の楽しみはこうした1年後の高校球児に出会えることもあるが、野球本来の“音”に触れられることも忘れてはなるまい。リーグ戦と異なり、スタンドに応援団の姿はない。客席にいるのは出場する下級生の家族や上級生、アマチュア野球に心酔するファンが少々。だいたいそんなところだ。そのぶん、野球の音が球場じゅうに響きわたるのだ。
バットの芯でとらえられたボールの、長く余韻を引く音。ミットにおさまる直球の乾いた音。ベース前を削りとるスライディングの摩擦音。ベンチから飛びかう気合いのひと声。スタンドで耳を澄ましているだけで存分に野球に浸れるのだ。
銀座は大人の町だった。革靴を履かなくちゃ行けない町だった。
人それぞれに野球の楽しみ方があるように、人それぞれの銀座があるもんだ。