2019年6月11日火曜日

吉村昭『プリズンの満月』

職業に貴賤なしという。
これは昔のある思想家の教えで、士農工商という階層は社会的な職務の違いであって、人間の価値とは関係がないという、そんな意味だ。落語などを聴いていると、なんとなくわかってくる。
価値的に貴賤はないだろうが、見た目のイメージとして硬軟はありそうな気がする。マスコミ関係はどこからどう見ても柔らかいし、公務員というとどこまでも硬そうだ。
ある講演で吉村昭が語っていた。
刑務官の方たちに取材していたとき(『破獄』の取材だったとか)、サインを求められた。私も人間だから何があるかわからない、もしお世話になるようなことがあったら、ときどき部屋に呼んでもらって煙草をわけてもらいたい、約束してくれたらサインをする、みたいなことを言った。刑務官はしばらく考え込んだあとで「じゃあ、諦めます」と言った。そして吉村昭はサインに応じた。もしそんな約束をしてくれたのなら、私はサインなどするつもりはなかった、と言いながら。
刑務官という職業の人がすべてそうとは言い切れないだろうが、この本に出てくる刑務官はとても真面目な人で、決してテレビのくだらないバラエティ番組なんぞ視ないに違いないし、相当かみ砕いて冗談を言わないと本気にされてしまいそうな気がする。もちろん実際にどうかはわからない。たまたま吉村昭に取材された刑務官が真面目一本やりだっただけかもしれない。なかにはビールを飲みながらお笑い番組を視て、品のないギャグに笑い転げている人もいるかもしれない。あるいは刑務官という職業の崇高さを際立たせるために筆者が過剰なまでに脚色したと考えられなくもない。
いずれにしても刑務官という人に僕は会ったことがない。吉村昭という小さな窓を通して眺めるしかない。それは刑務官に限らず、養蜂家だって、大間の漁師だって、奄美大島のハブ獲り名人だって同じことだ。ふりかえってみればこの作者にはたいへんお世話になっているのである。

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