2010年6月30日水曜日

柳田國男『日本の昔話』

日帰りで岡山に行ってきた。
滞在時間はものの3時間。のぞみ号に乗っていた時間が7時間。新幹線に乗るのが仕事、みたいな仕事だった。
山陽新幹線で広島まで行ったことがあるが、岡山で下車するのははじめて。おそらくこの辺が新幹線で行くか、飛行機で行くか悩む距離ではないだろうか。
まさにとんぼがえりだったけれど、せっかくだから駅できびだんごを買った。絵本作家の五味太郎のイラストレーションのパッケージだった。ちょっと土着感がないかなって感じ。
以前、ジョルジュ・サンドの『フランス田園伝説集』というのを民間伝承を収集した本を読んだが、この手のものはおそらく世界中どこにでもあり、才能に恵まれたなら、研究などしてみるとさぞや楽しかろうと思っている。当然、日本にもあって、これが柳田國男のライフワークとなっているわけであるが、新潮文庫でもさほど売れている本でもないようで、先日歯科治療に行った草加の本屋でやっと見つけた。
自分の幼少の頃を思い返しても、これほど多くの昔話を聞いたことはなく、日本全国から採集する作業も楽しかろうとも思うが、苦労も多かったろうとも思う。
ペローのサンドリヨンの話とよく似た「米嚢粟嚢」などは人間の普遍性の証なのか、それともどこかで西洋文明との交渉があったのだろうかと考えてしまう。そもそも奥州は欧州から来ているのではないか、と下衆な勘ぐりさえ起こしてしまう。「鶯姫」や「奥州の灰まき爺」など、かぐや姫や花咲じじいとそっくりな話もあって、そのオリジナルはいったいどこにあったのだろうか。また「鳩の立ち聴き」や「盗み心」など日本人は昔からユーモアあふれる国民性を持っていたのだなあと感心させられる。
まあ、おもしろい話というのは昔からあったのだろう。

2010年6月25日金曜日

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

高校時代は皇居のまわりを毎日のように走っていた。
厳密にいえば、走らされていた、だろうし、先輩がいる席では、妙な日本語ではあるが、走らさせていただいた、となる。
学校が皇居の北側に位置していたので、一般には桜田門あたりがスタート地点となって、ラストは風光明媚な半蔵門の坂を下ってゴールするといったコースどりであるが、ぼくたちの場合、北の丸公園を基点に、英国大使館前から半蔵門、三宅坂、桜田門と過ぎて、いちばん距離的にきついところで竹橋の上りが待つというけっこうタフなコースだった(しかも北の丸公園には歩道橋をわたらなければならない)。
今、仕事場は半蔵門に比較的近いところにあるが、昨今のランニングブームたるやすさまじく、ご近所の銭湯のロッカーを借りて走るランナーが急増したせいか、その手のショップが次々にオープンしている。たまには走ってみようかなとも思わないでもないが、どうやらあのスパッツというのかタイツというのか、ランニング専用のパンツは思いのほか高価と聞き、なにもそんなに出費してまで走ることはなかろうと思い、自重している。

村上春樹を文庫本で読むことはきわめて稀なことである。
たいていは出始めの、書店で平積みされている新刊を手に取ることが多いのだが、ことエッセーに関してはあまり熱心な読者ではなかった、と思う。
このあいだ日垣隆『知的ストレッチ入門』という本を読んでいて、そのなかで紹介されていたので近々読んでみようと思っていたのが、この本である。その読んでみようと思った翌朝の新聞で文藝春秋社の広告が掲載されており、なんとぼくが読みたいと思っていた『走ることについて語るときに僕の語ること』が文庫化されたというではないか。まあ、これまでのぼくと村上春樹のつきあいからして(どんなつきあいだ?)、文庫になろうがやはり単行本で読むのが正しい読み方であろうとは重々承知してはいるのだが、まあせっかく文庫化されたわけだし、ご祝儀としては微々たるものだが、一冊くらい購入しても悪くはなかろうという思いで、新刊文庫コーナーにあるその初々しい一冊を手にしたわけだ。
小説ばかり読んでいるとついつい忘れがちな村上春樹というの人の人となりをエッセーは如実に描き出してくれるので、たまには読んでみるべきだ。しかもこの本は著者のマラソンやトライアスロンにかける献身的な姿勢が恐ろしいほどで、共感というより、ある種のリスペクトを生む。ちょっと適切な対比ではないかもしれないけれども、武道やレンジャー訓練やボディビルに熱を上げた三島由紀夫のような迫真の姿勢を感じる。
表面上はずいぶんリラックスした雰囲気のエッセーではあるが、その精神性はまさに崇高である。

2010年6月22日火曜日

阿刀田高『新約聖書を知っていますか』

サッカーワールドカップ2010。
引き分けなしの決勝トーナメントも壮絶でおもしろいが、まずは予選グループ戦の大詰めがなんといっても目が離せない。
今日からいよいよグループ戦3まわり目。フランスはもう奇跡を待つしかなく、イングランド、ドイツ、スペイン、ポルトガル、イタリアとヨーロッパの強国の苦戦が続く。安定しているのは南米のチーム。やはり南半球の大会のせいだろうか。
ふだんあまりサッカーを観戦することはないが、力の差が歴然とあらわれる試合もあれば、格下と思われるチームが戦術的に上位チームを苦しめ、さらには勝利までするという番狂わせもあって、たまに観るとおもしろいものだ。
特にヨーロッパのチームは守りがしっかりしている。たぶんふだんからディフェンスの練習にじゅうぶんな時間を費やしているのだろう。ディフェンス練習にはオフェンス側が必要だから、当然半分は攻撃練習にもなるし、守りを通じて攻めを知る、要は野球のキャッチャーが配給を読む、みたいなこともあるだろう。守備に時間を割くことで攻撃の練習はおのずと少なくなる。それも攻撃時の集中力向上に役立っているのではなかろうか。

この本は先に読んだ『旧約聖書を知っていますか』と同様、かゆいところに手が届く一冊である。

>このエッセイは、〈旧約聖書を知っていますか〉の姉妹篇とも言うべき試みである。
>欧米の文化に触れるとき、聖書の知識は欠かせない。美術館一つをめぐるときで
>さえ、--この絵は聖書のことらしいけど、どういう背景なのかな--
>と、素朴な疑問を抱いてしまう。
>そんな不自由さを少しでも軽減してくれる読み物はないものだろうか……私が
>二つのエッセイを書いた動機はこれに尽きている。

とあるように、おそらくこの手の知識を最低限身につけていれば、ヨーロッパの絵画の鑑賞や古い教会めぐりが楽しくなること、請け合いである。ただ、せっかく有意義な読書体験も先立つものがなければ、実地に活かす場を与えられない。残念至極である。


2010年6月19日土曜日

小山鉄郎『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』

フランスのセーヌ、ローヌ、ロワールに相当する河川が品川でいえば目黒川と立会川だろう。とりわけ後者は京浜急行の駅名にもなっており、知名度は相当高い(はず)。
立会川はもうかなり昔に暗渠となり、その上は普通の道路となっているが、ぼくの子どもの頃は今のJR横須賀線の西大井駅のあたりにあった、たしか三菱重工だったと思うが、その工場の敷地内が暗渠化されているくらいで、あとは都内でよく見かけたどぶ川みたいなむき出しの小河川だった。三菱重工の隣は日本光学、今のNIKONで大井町界隈は品川の産業の中枢であったことがうかがえる。
その産業地帯に小さな公園がいくつかあり、そろそろ遊び場探しに苦心していた少年たちは猫の額ほどの公園でよく手打ち野球というゲームに興じた。軟式テニスに使うようなゴムボールをバットのかわりに自らの握りこぶしで打つ野球だ。ノーバウンドで公園の外に出ればホームラン。だいたいひと試合でホームランが十数本飛び出す空中戦野球でもあった。ただしさらなるローカルルールがあって、公園外にボールが飛んでも、当時むき出しの立会川にボールが落ちると一発チェンジ。ちょっとしたレッドカードだった。
で、ボールが川に落ちるとどうするかというと、急いで走り、走りながら靴とくつしたを脱ぐ。公園より下流に川に降りられる梯子段があって、そこから川に入ってボールをひろう。ルール上はこの時点でスリーアウトとなる。もちろん得点にはならない。
川の流れは美空ひばりの歌のようにゆるやかだったから、たいていボールは無事確保できたのだが、ごくたまに雨上がりの翌日など水かさが増して流れが急なときなどボールに追いつけず取り逃がすことがあった。そういうときはもちろんゲームセットだ。
漢字は象形文字だと子どもの頃から教わっていたが、こうして古代文字と今の漢字(旧字)と見比べると概念としての“象形文字”がより具体的な形で理解できる。それとこの手の話は本で読むより、話を聞いたほうがてっとりばやい。本になってしまったのは仕方ないが、白川先生のお話を伺っているというスタンスで書かれているこの文章は親切で、臨場感がある。


2010年6月16日水曜日

レイモン・ラディゲ『肉体の悪魔』

先週、プライバシーマークの更新審査があった。
個人情報に限らず、情報セキュリティ全般に関して言えば、安全管理措置というのものを講じなければならず、また安全管理措置も組織的安全管理措置とか物理的安全管理措置とか技術的安全管理措置とか人的安全管理措置とか区分けされているが、実は結局ひとつのことだったりする。
一般的には“ついうっかり”といったヒューマンエラーというのが多いらしいが、その“ついうっかり”をルールでフォローできていれば、事故は未然に防げたりもする。つまり組織的安全管理措置で人的エラーを最小限に食いとめることは不可能ではないということだ。また、いくらしっかり施錠してもサーバのセキュリティが甘かったら、簡単に漏えいしてしまう。物理的に安全ならすべて安全というわけでもない。かといって技術的な対策もある種のいたちごっこの感は否めない。
たとえば携帯電話。会社で社員に支給している携帯電話の管理責任は当然会社にあるわけだから、紛失防止のためのルールをつくらなければならない。もちろん、完璧な手順などはありえないから、紛失した場合の漏えい防止策もルール化しなければならない。現時点では各利用者の手中にある携帯電話を前提に話ができるが、コンピュータネットワークのように、携帯電話も回線からのデータ流出、改ざん、漏えい、紛失がありえるとしたら…。
これは地下鉄をどこから地中に入れたか、なんてことよりももっと切実な、眠れない問題である。
このあいだ昔読んだ本のリストを見てたら、86年にこの本を読んでいる。
ほとんど記憶にない。その前後に三島由紀夫を多く読んでいたから、おそらくはその影響だろう。もちろん当時のことだから新庄嘉章訳の新潮文庫だったはず。
まあ、西欧の恋愛小説はなんともおどろおどろしいものである。

2010年6月11日金曜日

阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』

昭和46年の50円玉がレアだとずっと思っていた。
たしかに滅多とお目にかかれないので手に入れると別にしておいているのだが、最近他にレアな年はないかと調べてみたら、どうも昭和46年はさほどレアでもないらしい。たしかに前後の年に比べると発行枚数は少ないようだが、むしろ昭和60~62年、平成12~14年のほうが超レアであるらしい。昭和46年がレアだという風説を聞いたのはぼくが高校生か大学生の頃、昭和にして50年代前半。超レア硬貨でおなじみの昭和32年の5円の次にやってくるのは昭和46年の50円玉だと気がはやったのだろうか。
昭和32年の5円玉というのはぼくの知る限りもっともレアな現行硬貨といってよく、半生記以上生きてきて、流通している現物を目にしたことがない。コイン商のガラスケースの中でしか見たことがない。
中学生の頃、同級生のKが放課後、千円ほどの小遣いを手に銀行に行って全額5円玉に両替し、レアな年(当時は昭和32年と42年)があれば抜いて、なければ別の銀行でまた紙幣に戻し、さらに別の銀行で5円玉に両替と、暇な中学生ならでは5円玉探訪の旅をしていたが、そのKでさえ昭和32年には出会えなかった(その後大人になってからも両替の旅を続けていたのかはわからないが)。
以前、『図説地図とあらすじでわかる!聖書』という新書を読んだことがある。それなりに聖書の世界が網羅されていて記憶にはそうとどまらなかったものの、なんとなく聖書ってそういうことなんだ、くらいには思った。もっとお手軽に聖書の世界を紐解きたいと思っていて、その本はそれなりに応えてくれたが、できればもう少し噛み砕いて、子どもにもわかるような“読み物”としてあればいいのだが…などとうすらぼんやり考えていた。もちろんネットで検索するとか、それほどポジティブにではない。
実をいうと柳田國男の『日本の伝説』、『日本の昔話』を読みたいと思って、仕事の帰りに立ち寄った本屋でこの本を見つけた。
なあんだ、あるじゃないか。
阿刀田高の小説は一冊も読んでおらず、まったくの初対面であったが、こうした古典を普及させる意思に富んだ人であることがわかった。たいへんうれしい一冊である。
それにしても昭和46年の50円玉はちょっとがっかりだな。ずいぶん集めたのに。

2010年6月9日水曜日

日垣隆『知的ストレッチ入門』

先週末あたりから左の奥歯が痛み出した。なんとなく腫れているような気もする。感触としては過去に治療したところの根っこのあたりが化膿しているみたい。
で、昨日K先輩の歯科医院まで飛んでいく。場所は埼玉の草加。半蔵門線に乗って、押上を過ぎると東武線に乗り入れる。最初の駅は曳船。このあたりで見る東京スカイツリーはとてつもなく大きい。ちょっと途中下車して近隣を散歩してみたい衝動に、ふだんであれば駆られるのであるが、こうも奥歯が痛いとそんな気も起きない。
K先輩に奥歯を深く削って、とりあえず中にたまっているガスを出せばいくらか楽になると言われ、激痛をこらえた。
こんなとき先輩後輩の間柄は都合がいい。先輩にしてみれば、多少の痛みくらいで後輩が騒ぎ出すとは思わないし、後輩もよくできたもので先輩には絶対逆らわない。
治療が終わって、先輩の部屋でお茶をご馳走になりながら、「かなり痛かっただろ」と訊かれたが、「いいえ、合宿の筋肉痛にくらべれば…」などとわけのわからない会話が絶妙な呼吸でやりとりされる。
今日はいくぶん、痛みは引いたが、まだ腫れはある。

カテゴリーの分類がもともと大雑把なので“エッセー・紀行”にしてみた。たいていこの手の本は新書が多いのだが、最近は文庫にもこのような啓発的なテーマの本が増えている。
日垣隆という著者のことをほとんど知らずに読んだのが、ノンフィクションライターであるらしい。広告の仕事をしているととかく当たり障りのなく、誰も傷つけない表現を選ぶ。そしてそういう習慣が身についてしまうのだが、ジャーナリズムの一線で、しかもフリーランサーである筆者の文章はシャープで明快、読んでいるこちらがはらはらしてしまう。自分の書いた文章に対する幾多の攻撃と闘ってきた人なのだろう。
かつて『知的~』と題される書物は多かったが、この本の成功は自らの主張を貫く強い表現(冗談でさえ素直に笑えないほどの)と“ストレッチ”と名づけたそのタイトルにあるといえる。これから社会の荒波に飛び込んでいく若者はもちろん、仕事的には枯れてきた世代にも刺激になる一冊である。


2010年6月4日金曜日

桐野夏生『東京島』

卓球に限らずスポーツ全般にいえることだが、ユニフォームというものがいつしか派手な柄になっている。
とりわけ卓球はその昔、地味な濃い色のポロシャツみたいなユニフォームが義務づけられていたと記憶しているので体育館やショップで目にする、水彩絵の具をぶちまけたような彩りのシャツや黄や赤や緑の不規則なラインに縁どられたデザインを見ると隔世の感がある。
たしかに昔の卓球といえば黒板のような深緑色の卓球台にエンジや濃紺など淡色のウェアだった。ボールが白なので白のユニフォームは禁止されていたが、いつのころからオレンジボールという新色が登場し、台もきれいなブルーになっている。ときどき駒沢体育館などで行われている学生の試合などで深緑の台を見ると妙に懐かしく思うものだ。
そうした色味やデザインの地味な時代の卓球を知るものとしては、実のところ、昨今のカラーリングは醜悪としか思えない。試合用に購入してもいいかなとも思うのだが、これを着るのかと思うとつい尻込みするものが圧倒的に多い。できれば単色であまりデザインの主張のないものをと思うのだが、お店にはもちろん、メーカーのカタログにもそれほど多くない。
大学生の試合を観にいくと明治や早稲田などいわゆる伝統校のユニフォームは昔ながらの(それでも時代とともに洗練されているのだろうと思うが)、それぞれの学校のカラーを活かしたシンプルなデザインである。早稲田のエンジ、明治の茄子紺、専修の緑などなど。
最近はほとんど観にいかないが学生バレーボールもおそらくは昔と(ぼくが高校生の頃、駒沢までよく観にいっていたころの30数年前)大きな違いはないだろうと思う。中央は紺、筑波は緑、東海は十字のデザインなど。東京六大学野球の各チームが東大をのぞいて昔からデザインを変えていないのと同じように。
まあ、何が言いたいかというと卓球の最近のユニフォームはおじさんにはちょっと恥ずかしいなということだ。
無人島というとものすごく想像力をかきたてられる。文明を前提に日々生きていると息苦しくなる思いだ。そんな局面に堂々と挑んだいい作品ではないか。あ、この本のことね。