2011年9月26日月曜日

安西水丸、和田誠『青豆とうふ』

安西水丸は大学受験の年の正月、半紙に毛筆で「東京芸術大學」と「日本大学芸術学部」と書き、どうみても後者の字面がいいので芸大ではなく日芸に進学したという。
また、本来広告制作を生業とするのであれば博報堂に行きたかったとも語っている(出展は定かではないので人から聞いた話程度に思ってほしい)。どうして電通を選んだかというとどのみち辞めてフリーランスになるのだから、元博報堂より元電通のほうが断然いいのだ、みたいなことも言っていた(これも出展は明らかではなく、知人に聞いた話程度に思ってほしい)。
電通退社後、ニューヨークに渡り、帰国時ヨーロッパをまわって、羽田に着いたときには財布にお金が全然なかったという話も聞いたことがある。ただその翌日の新聞求人欄に平凡社の募集があり、エディトリアルデザイナーとして採用され、嵐山光三郎と出会う。この辺の経緯も実に計算されていたかのように安西水丸ブランド育成に大いに寄与している。
村上春樹とのコンビもしかりだが、安西水丸はその人がらのせいか、行くところ行くところでいい出会いに恵まれ、こう言っちゃ何だけれども、もしかするとイラストレーターとしての才能以上のものを持っている。
「キネマ旬報」に和田誠が「お楽しみはこれからだ」、水丸が「シネマストリート」を連載していた頃から、ぼくはどうしてこのふたりはコラボレーションしないのだろうと思っていた。もちろん和田誠は日本のイラストレーターの中でも別格の人だから、水丸にとっては雲の上の人だったのかもしれない。
でもよかった。それからしばらくしてふたりのコラボがはじまったから。
昇さん、こんど和田さんのサインもらってきてくださいよ。

2011年9月21日水曜日

常盤新平『銀座旅日記』

最近読書量が落ちた。
目が疲れているせいではないかと思うのでむしろ少しずつ読めるものを読むようにしようと常盤新平のエッセーを神田の三省堂で見つけた。
翻訳者の常盤新平を知ったのは(おそらく)80年代、そのきっかけはアーウィン・ショーの『夏服を着た女たち』だった。その後しばらくショーの小説にはまった。『はじまりはセントラルパークから』、『若き獅子たち』、『夏の日の声』、『パリスケッチブック』、『ルーシー・クラウンという女』などなど。今では入手が難しいものが多い。ショーの翻訳といえば常盤新平というイメージをずっと持っていたけれど、よくよく調べてみると案外そうでもない。カート・ヴォネガット・ジュニアの翻訳イコール浅倉久志というほどではない。不思議なものだ。
ショーの作品の中で好きなのは『ビザンチウムの夜』と『真夜中の滑降』だ(いずれも常盤新平訳ではないが)。もう一度読んでみたい。今となっては記憶はおぼろげどころか遠くかすんでさらに厳重に梱包されている。旅行カバンがすり替えられて、フィルム缶をなくしてしまった話はどっちだったっけ、などとさっきネットで調べるまですっかり混乱していた。
とまあ、常盤新平はアーウィン・ショーを紹介してくれた人ということで僕にとっては偉大な方なのであるが、老後も読書に励み、おいしいものを食べ、旧交をあたためているのを見聞し、安心した。病気を患ったこと、外出が減ってきたことなど心配な面も多々あるけれど、いいあとがきを書かれていた。
4、5日かけて著者の何年かを追ってきたが、読み終わってちょっと寂しい。

2011年9月13日火曜日

夏目漱石『門』

グリコ、チヨコレイト、パイナツプル。
子どもが小さい頃、住んでいたマンションの外階段でよく遊んだものだ。
この遊びを正式に何と呼ぶのかは不明だが、これにはちょっとしたコツがある。とりわけ小さい子ども相手には有効な方法なのだが、とにかく負けてもいいからひたすらチョキを出し続ける。負けても3段だから、そう大差はつかない。向こうがパーでも出してくれれば2敗ぶんは一気に追いつく。そのうち相手も子どもながらにさっきからチョキしか出してないぞと気づくはずだ。その空気を読んだらすかさずパーを出す。このパーを出すタイミングさえ間違えなければ、仮に大きくリードされていてもすぐに追いつき、追い越せる。イメージとしてはチョキチョキチョキチョキパーチョキチョキって感じだ。
それはともかくたまには読みたい名作シリーズ夏目漱石。
今回は『門』を読む。再読ではない。50を過ぎてはじめて読む『門』である。
平穏な、なんてことない夫婦の暮らし。小津安二郎の映画を観ているような感覚に陥る。ときどきさざ波が立ち、夫婦のエピソードが挿入されて、少しだけその生い立ちが明かされる。
静かな静かな小説であるが、その後の日本文学や映画、ドラマに与えた影響は大きいんだろうな思える佳作である。
ちなみに子どもたちとしりとりをすると「る」攻めにする。うちの子どもたちが小さかった頃(幼稚園くらい)、ぼくはロクでもない親だったと最近ちょっと懐かしい。

2011年9月6日火曜日

梨木香歩『ピスタチオ』

高校に入学する前の春休みに教科書などを買いに行く日があった。
当時校舎の地下に購買部があっておそらくはそこで買ったのだろうが記憶が定かではない。憶えているのはすでに教科書が売り切れていて、自分で本屋に行って買ってこいという指示だけだ。今考えてみるとおかしな話だ。教科書を買いに来いと呼びつけておいて、売り切れたから(そもそも生徒数ぶん用意してあるんじゃないのか)本屋へ行けと。たしかに今考えるとおかしな話だが、そのころは不思議とこうした理屈に合わないことが素直に受け容れられた。適度に緊張していたせいかも知れないし、もともと物事を深く考える方ではなかったからかも知れない。
たまたま指定された本屋が神田神保町の三省堂書店で学校から歩いてもわけのない場所だった。とぼとぼ歩いていると同じように校舎を出てとぼとぼと前を歩く生徒がいた。当時の三省堂は今のようなビルではなく、木造の本屋だった。書店というより本屋。黒い木でできた床がみしみしいう店内に膨大な数の教科書が並んでいた。最初からここで買えと指示してくれればよかったのに。
昨年の秋に梨木香歩の新刊が出たから買ってくれと娘に言われ、三省堂で購入した。厳密に言うとどこで買ったか憶えていないのだが、三省堂のカバーがしてあったから、間違っちゃいないだろう。
梨木香歩は今まで知らなかった世界に導いてくれる作家のひとりだ。水辺だったり、織物の世界だったり、トルコだったり。今回はアフリカ。
水にまつわるエピソードや精神世界への展開はおなじみの梨木ワールドだ。