2013年5月20日月曜日

本田亮『僕が電通を辞める日に絶対伝えたかった79の仕事の話』


吉永小百合を見たことがある。
実物を間近で見たとき、俺はとんでもない仕事に就いてしまったものだと背筋の凍るような緊張感が走った。吉永小百合は輝きを放っていた。これがスターだと思った。
その撮影はC食品というクライアントの年にいちどのお中元のCMで、そのCMプランナーが本田亮だった。おそらくは30代前半からなかばにかけて、本田亮がかっこいいテレビCMを次々と世の中に生み出していたそんな時代だ。制作現場に出てひと月ふた月の下っ端があいさつ以外に本田亮とことばを交わすことなどできるわけがなく、ただただひたすらいつか本田さんみたいなCMをつくりたいという漠とした希望を抱いたことだけを憶えている。
数年後、僕はCM制作会社から広告会社に移籍していた。たまたま住んでいたのが西武新宿線の沿線で、高田馬場乗り換えで東西線、銀座線を乗り継いで銀座に通っていた。本田亮も同じ沿線に住んでいた。何度か電車のなかでノートだか手帳だかにメモをとる彼を見かけた。
ある日、遅めの午前に出社したときのこと。空いている各駅停車西武新宿行きに本田亮が乗っていた。もちろん何かメモをしている。きっとすごいアイデアが次から次へと浮かんでいるに違いない。僕はもうそのメモが見たくて見たくてたまらない。電車が空いているにもかかわらず、僕は本田亮の座っている席の前の吊革までたどり着き、それとなく自然に振る舞って(どっからどう見ても不自然だ)そうっとそのメモを覗き込んでみた。使っているのが2Hのシャープペンシルだったのか、字が薄くてよく見えない。「本田さん、昔はレイアウト用紙にラッションペンで絵コンテ描いてたじゃないですか、最近は2Hのシャープペンですか?」という僕の心の叫びはとうてい届くはずもなく、電車は高田馬場駅のホームにすべり込んでしまったのだった。
あのときのメモ書きはきっとこの本のなかに書かれているに違いない。

2013年5月19日日曜日

岡康道『アイデアの直前』


企画の仕事をしている。
企画といってもテレビコマーシャルのストーリーを考える仕事だ。僕たちの世界では映像の構成やナレーション、劇中の会話、バックに流れる音楽や画面上に乗っかるスーパーインポーズなどトータルで考え、絵コンテというカタチにする作業を企画と呼んでいる。ラジオであれば映像は考えなくていい。ただし映像がないぶんだけ気を遣うことも多い。「ごらんのように」なんていう言い回しが通用しない。「上腕二頭筋」みたいにいきなり耳に飛び込んできてもわかりにくい言葉は使いにくい。テレビとラジオとでは作業上似ているところも多いが、根本的に違う部分も多い。
企画をする上で役に立つのが、諸先輩をはじめとする他の人の仕事である。すぐれたクリエーティブの作品を視るのも役に立つ。講演会やセミナーで話を聞くことも有効だ。でもいちばんいいのはそのすぐれたクリエーターの日常をのぞき見することじゃないかと思う。
僕がまだ駆け出しだったころ、岡康道は憧れのCMプランナーだった。
営業としてキャリアをスタートし、その後クリエーティブへ転局。試行錯誤の末、ビッグキャンペーンを数多く手がけ、成功させた。ところが彼がいったいどんなコピーを書いたのか、どんな企画コンテを描いたのか。いわゆる広告クリエーターの手作業として彼が残してきたものはさほど多くないはずだ。それでいてその仕事の中心にたえずいた。岡康道なしでは成立しえなかったの仕事の真ん中に彼は立っていた。
この本を読むとわかるのだが、岡康道は天才でもなく、勤勉な努力家ということでもけっしてない。ごく普通の人間だ。当たり前に寝起きし、当たり前にスーツを着て会社に行く。もし彼に人より際立ってすぐれているところがあるとすれば、瞬時に物語をつくる想像力と人の能力や才能を見抜く眼力だろう。その力を力むことなく発揮するために岡康道はありふれた日常生活を楽しんでいる。
普通のなかに偉大さがあるのだ。

2013年5月16日木曜日

横山秀雄『クライマーズ・ハイ』


ミラーレス一眼のことをあれやこれやと調べているうちに、シネレンズというムービーカメラ用のレンズにつき当たった。
ミラーレスのいいところはアダプターを介して、今まで持っていた古いレンズが使えるところだ。たとえば最近ほとんど使っていないニコンの24ミリや50ミリ、28~85ミリのズームレンズなどが使えるということだ。仕事場にはカールツァイスもある。ただし、センサーのサイズによってそのまんまの画角になるわけではなくて、APS-Cなら約1.5倍、マイクロフォーサーズなら約2倍。つまり24ミリは、本来ならワイドレンズであるが、APS-Cで36ミリ、マイクロフォーサーズで48ミリになる。オリンパスペンで28ミリの画角が欲しかったら14ミリというレンズが必要になる。35ミリの一眼レフで10ミリ台のワイドレンズはかえって高額で、かつレンズ自体も大きくなる。望遠系のレンズなら手持ちが使えるとしてワイド系はやはり純正のレンズを購入しなければいけない。だとすればつまらない。
と思っていた矢先にシネレンズがあらわれたのである。
35ミリのムービー用のレンズは仕事で何度もお目にかかっているが、ごつくて重い。ところが16ミリ用だとこれが小さくてなかなかおしゃれなのである。マウントはねじ込み式。35ミリだとPLマウントが主流だが、16ミリはCマウントという直径1インチのねじである。8ミリ用のDマウントだとさらに小さい。
佐々木俊尚の『「当事者」の時代』でとりあげられていた横山秀雄をはじめて読んでみた。新聞記者の話である。谷川岳の衝立岩を登る。事件は日航ジャンボ墜落事件である。
この人の本はよく売れているらしい。人気があるのもわかる気がした。
で、16ミリ用のシネレンズで相性がいいのがニコン1だという。センサーのサイズが16ミリフィルムに近いからだそうだ。8ミリ用のDマウントレンズは同様の理由でペンタックスQ10らしい。
ニコン1とシネレンズで映画のような写真を撮ろう。とりあえずそんな高い志を持つに至ったのである。

2013年5月15日水曜日

川本三郎『いまむかし東京町歩き』


一昨年だったか、毎日新聞夕刊土曜日に連載されていた「いまむかし東京町歩き」が単行本になった。
ひととおり読んではいるものの、本になったらなったでもういちど読んでみたいと思う。この手の本に関してはそうとういやしい読書家なのかもしれない。もちろん夕刊連載程度の分量が一単位になっているので読みやすい。むしろ単行本用に尾ひれをつけてもらいたいくらいだ。読み終わってみると物足りなく思ったりもする。
昔の東京を歩くというとだいたいが隅田川あたりから東側だったり、あるいはおおよそ今の山手線内にあたる東京十五区だったりするのだが、川本三郎は特にわけへだてなく、東京を歩く。あるいは下町エリアは歩き飽きたのかもしれない。大森の森ヶ崎や江戸川の妙見島あたりを歩くなんて相当マニアックな歩き人ではなかろうか(東京近郊を歩いた『我もまた渚を枕』もおもしろかった!)。
それから毎度驚かされるのは町歩きデータベースと映画データベース、書籍データベースのリンクである。たしかに昔日の東京をふりかえるのに映画も小説も貴重な資料だ。たとえば銀座は四方を川や掘割に囲まれた土地で橋はところどころにその跡をとどめているが、水路はまったくなくなっている。三十軒堀川や築地川などの風景を知る手だては今となっては映画だけかもしれない。川ばかりではない。古い建物もしかりである。板橋のガスタンクも千住のお化け煙突ももはや映画の一背景になってしまった。今こうしているあいだにも昔の町並みは刻々と消え去ろうとしている。
失われていくものはやはり残念なものである。それでいて映画や小説などでその姿が残されることは喜ばしいことでもある。ましてそれらが名作と呼ばれ、後世に受け継がれていくものであればなおさらだ。失われるものが一方的に惜しいものだとも思えなくなってくるから不思議だ。
先日、小津安二郎監督の「東京暮色」を観た。周囲の景色はずいぶん変わったけれども、雑司が谷のあの坂道は健在だった。

2013年5月14日火曜日

村上春樹『若い読者のための短編案内』


野球を観る。南房総に行って、父の実家の掃除をする。
今年のゴールデンウィークの目標はこのふたつだった。
野球は東京都春季大会の準決勝、帝京対日大鶴ヶ丘、二松学舎対日大三を観戦した。帝京対日鶴は土壇場で帝京が追いつき延長戦。最後は豪快なホームランで帝京が競り勝った。日大三は猛打で圧倒。コールド勝ちをおさめ、この両校が来週開幕する関東大会の切符を手にした。うまいこと勝ち進めば、準決勝で帝京対桐光学園なんてカードが実現するかもしれない。
決勝は観に行かなかったが、やはり延長となって帝京が接戦を制した。夏の東東京大会は帝京が第1シード、二松学舎が第2シード。以下関東一、安田学園など16強のチーム7校がシードがされる。西は日大三が第1、日鶴が第2、以下東海大菅生、創価、早実など9校。
村上春樹というとあまり日本の小説について言及するイメージはないのだが(本人も冒頭そう述べているとおり)、いわゆる「第三の新人」を中心に佳作をチョイスしている。太宰治や三島由紀夫は「サイズの合わない靴に足を突っ込んでいるような」気持ちになるんだそうだ。おもしろい。
40代になって日本文学を系統的に読むようになったと言う。その契機は外国で暮らすようになったこととも言っている。だからおそらく本書で指南している短編小説の読み方は大人の読み方なのだろうと思う。
さて連休後半は南房総安房白浜を訪れた。
東京駅から高速バスで行く予定が朝中央線の事故で乗りそびれ、計4回、各駅停車と路線バスを乗り継いでようやくたどり着いた。思いがけない列車の旅となった。ひと駅ごとに風の匂いが南房総に近づいていくのを感じることができた(いつもお盆時期に行くのだが、気候のいい時期に行って簡単に掃除をしておけば、少しは楽できるんじゃないかと思ったのだ)。
帰り途、林芙美子が訪ねた時計屋をさがしてみた。見つからなかった。こんど夏に来たときは久しぶりに野島崎の灯台に行ってみたいと思った。