tag:blogger.com,1999:blog-51370610331514434112024-03-16T10:12:42.436+09:00⊆∧ ∨∧?(livre)読書は五十を過ぎてから。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.comBlogger1007125tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-86271291482832612962024-03-11T18:51:00.002+09:002024-03-11T18:51:28.475+09:00北浦寛之『東京タワーとテレビ草創期の物語 ――映画黄金期に現れた伝説的ドラマ』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjPJYpR-xHFP0TCz-wp8Lg5VeWbpcdSVGcTWEe4Dip0YaX4oZTSr2XSWC_b8PXZSlzW_9NFiKO8XnzbqdofaIojHjnxQM4u7bgnvqYkTPMTVNuZijITnsfTqPxj2d6TudUw5kjVmtiapoweAf2Jh_NBt_K5IjpXlcWn4nsvhr_3eF4McUW-2ZS51bcNZj8/s3232/P1150262.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1824" data-original-width="3232" height="181" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjPJYpR-xHFP0TCz-wp8Lg5VeWbpcdSVGcTWEe4Dip0YaX4oZTSr2XSWC_b8PXZSlzW_9NFiKO8XnzbqdofaIojHjnxQM4u7bgnvqYkTPMTVNuZijITnsfTqPxj2d6TudUw5kjVmtiapoweAf2Jh_NBt_K5IjpXlcWn4nsvhr_3eF4McUW-2ZS51bcNZj8/s320/P1150262.JPG" width="320" /></a></div>1953(昭和28)年にテレビ放送がはじまったが、草創期の映像は残されていない。コンテンツのほとんどが生放送だったからだ。録画して保存するなんて誰ひとりとして思いつかなかったのだろう。<br />CMはフリップを映すだけであり、海外から提供されたドラマや映画も流された。日本最古のテレビコマーシャルは精工舎の時報CMと言われているが、これも諸説あり、現存する最古のCMということらしい。他にも一番最初のCMはこれだという見解もあるようだが、如何せん実物が残っていないのである。<br />当時、NHKも日本テレビも独自の電波塔を持っていた。開局申請が増え、東京のテレビ局が共同で使える電波塔が企画された。東京タワーだ。主導したのは産経新聞の前田久吉。かくして1958(昭和33)年、東京タワーは完成した。<br />この本は東京タワー完成時に放映されたドラマにフォーカスしている。現在のTBSが制作した「マンモスタワー」である。近い将来斜陽産業となるであろう映画と今は未知数だがいずれ大きなメディアになるであろうテレビの世界。来たるべき映像産業の対立を描いている。当時、映画の観客動員数はピークを迎えていた。旧態依然とした映画会社の経営者たちはテレビ恐るるに足らずと豪語していた。ひとりの映画製作者が主人公。映画製作はもっと合理的にしなければならないと主張する。その役が誰もが認める映画スター森雅之だ。ちょっと興味を唆られる。<br />このドラマは完全な生放送ではなく、当時希少だったVTRも駆使されている。風景などは事前に収録されていたらしい。そんなこともあってか実はこのドラマは保存されている。全てではないかもしれないが、今でも横浜関内の放送ライブラリーという施設で視聴可能だ。放送ライブラリーはずいぶん前に訪ね、昔のCMやニュース、ドラマなどを視た記憶がある。<br />行ってみようかな、横浜まで。帰りに野毛で餃子とサンマーメンを食べたいし。 yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-1690737397426711562024-03-03T20:27:00.000+09:002024-03-03T20:27:12.074+09:00今尾恵介『ふらり珍地名の旅』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgWHgQXo7Z_wy9cQKyoKertXo11sqJf1V4ZzWK36A0bz6BV6BXLSzZe5eMj5OC6y9y-HcBHMKU3fzwVZFFUc9vRXGOqW4Wz6Vq0ozDSZZl26y5VeN_3moCo968qD79qE5gA5PDz4lxRgeGMG2ZRiTeuDZEyw-cXf0i8nRnXtwXRnSHuL6e0usw4N_YjoYw/s3232/hebikubo.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1818" data-original-width="3232" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgWHgQXo7Z_wy9cQKyoKertXo11sqJf1V4ZzWK36A0bz6BV6BXLSzZe5eMj5OC6y9y-HcBHMKU3fzwVZFFUc9vRXGOqW4Wz6Vq0ozDSZZl26y5VeN_3moCo968qD79qE5gA5PDz4lxRgeGMG2ZRiTeuDZEyw-cXf0i8nRnXtwXRnSHuL6e0usw4N_YjoYw/s320/hebikubo.png" width="320" /></a></div>僕が生まれ育った町は品川区二葉である。若草の二葉が生い茂る地域であった。北隣にあるのは豊町。農業に適した肥沃な大地だった。というのは冗談で地名のいわれはない。<br />このあたりは荏原郡蛇窪村と呼ばれていた。蛇が多く生息する谷間の湿地帯だったのかもしれないし、近くを流れる立会川が護岸工事される以前は蛇行を繰り返し、蛇のようだったのかもしれない。<br />蛇窪村はその後、上蛇窪、下蛇窪となり、昭和7年、東京市荏原区に編入されるにあたり、上神明町、下神明町と改称される。商業地域や住宅地の開発を見据えて、蛇窪はないだろうと誰か言ったと思われる。さらに昭和16年、上下神明町を南北に分け、北側を豊町、南側を二葉町とした(二葉町は後に二葉となる)。こうして地名がいわれ(歴史や地形的な特徴、言い伝え)を持たない町が生まれた。自由が丘や光が丘のように。<br />蛇窪の南側にも小さな集落が多くあった。大井伊藤町、大井金子町、大井出石町、大井原町、大井山中町などなど。今は大井、西大井とひと括りにされているが、そのいくつかは小学校の名にとどめている。<br />今尾恵介の本はこれまで何冊か読んでいる。地名や駅名に関するものだ。いずれも興味深く読了した記憶がある。今尾恵介は地名会のさかなクンだ。勉強したいことを見つけられることはだいじだと思う。教科としての国語算数理科社会ではなく、学びたいものを自分で見つけること。ふりかえって自分の人生のなかで夢中になれるものはあまりなかった。あっても持続しないことばかりだった。いまさら嘆いても仕方ないのであるが。<br />珍地名といってもどこからが珍なのかは主観的なところだ。この本で知っていた珍地名は東京都江東区海辺と同じく目黒区油面。個人的には足立区の地名に興味がある。六月とか島根とか宮城とか。<br />実家の近くに東急大井町線の下神明、戸越公園という駅がある。昭和10年まで下神明駅は戸越駅、戸越公園駅は蛇窪駅だった。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-23713970385165705912024-02-25T19:36:00.003+09:002024-02-25T19:39:21.948+09:00風来堂編、宮台真司他著『ルポ 日本異界地図 行ってはいけない!? タブー地帯32選』<div data-en-clipboard="true" data-pm-slice="0 0 []"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjO-74nEyY0oKBCGO_m3AeBGZ8WIhyA1AuQL8ThYTOD2s_-NEf3s6whj2nfOkOn9ZoEMK1a5GUjX-LDMRX0Iib9sRyqEbYCFp1WYBL-ChgzMBVrPhVqcli70MYcG-I76OFn4fhxwQ-7HZ_wdv5R62E8hHvexPaJ88yzygy4Lir0eVpWQ4a_Lfb2sOv5_Oc/s4576/P1110894.JPG" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2576" data-original-width="4576" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjO-74nEyY0oKBCGO_m3AeBGZ8WIhyA1AuQL8ThYTOD2s_-NEf3s6whj2nfOkOn9ZoEMK1a5GUjX-LDMRX0Iib9sRyqEbYCFp1WYBL-ChgzMBVrPhVqcli70MYcG-I76OFn4fhxwQ-7HZ_wdv5R62E8hHvexPaJ88yzygy4Lir0eVpWQ4a_Lfb2sOv5_Oc/s320/P1110894.JPG" width="320" /></a></div>もう50年以上も昔のこと。小学生だった僕の住む町に知的障害のある少年がいた。年齢は少し上だったように思う。ごく普通に町を歩いており、時折公園などに姿をあらわし、いっしょに遊びたがっているように見えることがあった。少し年下の低学年の子たちに声をかけていることもあった。</div><div>中学生になり、学区域が大きくなったことで行動範囲が広がった。他の小学校の区域にもやはり知的障害のある子どもがいた。昔はどの町にもひとりやふたりはいたのかもしれない。彼らの本当の名前は知らなかったが、それぞれに呼び名を持っていて、町で見かけると声をかけてはいたずらする輩も少なからずいた。当時、特殊学級と呼ばれるクラスのある学校もあった。おそらく彼らはそんな特別な学校に通っていたのだろう。</div><div>大人になってからそういった子どもたちを見ることがなくなった。あるいは身近にいるものの気がつかなくなっただけかもしれない。特殊学級はその後特別支援学級と名前を変える。世の移り変わりとともに彼らは保護者や制度によって手厚く守られるようになり、そのために町なかから姿を消したのではないだろうか。</div><div>異界とは異人、ストレンジャーたちの界隈。花街や色街、被差別地域など、日常から解き放たれて発散する場所だった。そういった点ではお祭りも異界の一種といえる。異界のルールは「法」ではなく、「掟」であると語るのは宮台真司だ。たしかにジャニーズ事務所や宝塚歌劇団の問題は「法」という視点からとらえられたときにはじめて生じる問題だった。反社会的勢力が世の中で見えにくくなっていることもこうした背景がある。</div><div>今はそうした異界が次々と消え去り、異界を知らない世代が異界なき社会をつくろうとしている。この本はかつてこんな異界が日本中にありましたよと言い伝えるガイドブック。すでに跡形もなくなっている異界も多いが、貴重な記録である(記憶している世代がある限りではあるが)。</div>yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-7894297352273522262024-02-13T17:41:00.003+09:002024-02-13T17:44:23.829+09:00カート・ヴォネガット『ホーカス・ポーカス』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgfC09Gn_Wyaf3HnFNML4Wovownx8tZNkmuKF5KJD9OB_eNkY5hKQxwDRoooW4kpuvP6z7oxdzA-SYO589uRk6Y5DVwARW6LTQF5q-8B7FSLgEXgvjDvZhmYX91R9OunifsODoHtrXZObhyrkVkXzxbHq5R65FpeY9z618QWn5najBZiDmAFNzkwCBO3W0/s4576/P1110934.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2576" data-original-width="4576" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgfC09Gn_Wyaf3HnFNML4Wovownx8tZNkmuKF5KJD9OB_eNkY5hKQxwDRoooW4kpuvP6z7oxdzA-SYO589uRk6Y5DVwARW6LTQF5q-8B7FSLgEXgvjDvZhmYX91R9OunifsODoHtrXZObhyrkVkXzxbHq5R65FpeY9z618QWn5najBZiDmAFNzkwCBO3W0/s320/P1110934.JPG" width="320" /></a></div>テレビでデイブ・スペクターを視るたびに、なんでこの人は日本の文化や風土、日本人の感情を日本人以上に理解して日本語を話すのだろうと驚愕する。まるで脳内に人工知能を所有しているように思える。それでいてけっして賢ぶらない。面白くとも何ともない駄洒落やギャグを連発する。「笑点」の大喜利レベルである。それだけ見ているとおバカな外国人だが、彼はそれをねらっているのだ。どれくらいの笑いのレベルが平均的な日本人に受けるのかを知っている。そこがすごい。あの風貌で確実に日本人と同化している。<br />たぶん(そんなことは決してしないだろうが)本気で日本の政治や文化の劣化をぶった切るような論評をするとしたら、相当ハイレベルな発言をするのではないかと思っている。<br />もはや彼はアメリカ人ではない。藤田嗣治が日本人ではないように。<br />翻訳されているカート・ヴォネガットの小説はほとんど読んでいる。何年か前に『タイムクエイク』という大作を読んで、『ガラパゴスの箱舟』『青ひげ』『ジェイル・バード』を再読した。これでひと通り読んだなと思っていたところ、もう一冊未読の小説が見つかった。それがこの本。ホーカス・ポーカスとはどういう意味かよくわからないが、魔法使いが魔法をかけるときに唱える呪文のようなことらしい。だから意味がなくていいのだ。ギャツビーの「オールド・スポート」みたいなものだ。<br />カート・ヴォネガットの比喩は深い。ちょっとやそっとじゃ理解できない。立ち止まってばかりいる読書。それでもキンドルのおかげで、すべてではないけれど、知らない言葉や出来事は検索してくれる。大いに助かる。<br />原書でヴォネガットを読むという知人がいる。村上春樹も私的読書案内で推している。英語で読むとさらに面白さが見つかるのだろうか。僕は翻訳を読むので手いっぱいなのだが。<br />ところでカート・ヴォネガットを読むたびにデイブ・スペクターを思い出すのはどうしてなんだろう。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-71247233694081081142024-01-20T17:01:00.007+09:002024-01-20T17:01:46.715+09:00半村良『戦国自衛隊』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh10Za8HD3O0v0NPUb3ILNYohzaIWo1RaSiosV0o7IzL33DAyDl1NSgFTN-hqUbOMFhTSJymmAY5zcQwX7A2iC3qXJ4lHHTojHdzZfgm2G9KI1KY5BU4SaMPZC6ToFD_81gufTGiI7abPW8GJPcesAb6wT5BoCndb3_acOxBD05-Y5ax0FeKhHfwMaZiak/s3232/120.0.6099.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1818" data-original-width="3232" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh10Za8HD3O0v0NPUb3ILNYohzaIWo1RaSiosV0o7IzL33DAyDl1NSgFTN-hqUbOMFhTSJymmAY5zcQwX7A2iC3qXJ4lHHTojHdzZfgm2G9KI1KY5BU4SaMPZC6ToFD_81gufTGiI7abPW8GJPcesAb6wT5BoCndb3_acOxBD05-Y5ax0FeKhHfwMaZiak/s320/120.0.6099.png" width="320" /></a></div>斎藤光正監督「戦国自衛隊」が公開されたのが1979年12月。僕が20歳のときである。文庫本と映画がコラボレーションする、いわゆる角川映画のひとつだった。角川映画は角川書店(現KADOKAWA)が映画をベースにしたメディアミックス展開として知られていた。<div>第一作は市川崑監督「犬神家の一族」(原作横溝正史)だそうだが、第二作の「人間の証明」(佐藤純彌監督)が話題になった。森村誠一の原作もジョー山中が歌った主題歌もヒットした。1977年。僕は高校三年生だった。</div><div>五作目にあたる「戦国自衛隊」に興味はそそられたが、劇場でこの映画は観ていない。当時あまり映画を観る習慣がなかったのである(後にテレビで視たが鮮明な記憶は残っていない)。<br />年が明けて1980年。読書記録によれば、この年の1月にこの本を読んでいる。映画を観る前に原作を読んでおこうと思ったのか、映画を観るお金がなかったから文庫本だけで済ませようと思ったのか。季節的には学年末の試験やレポートなどに追われていた頃だと思う。あと三カ月で大学三年生になる。今となっては遥か彼方の遠い記憶であるが、学生時代ももうじき折り返しかと思うとちょっと憂鬱な心持になる、そんな時期だった。</div><div>半村良という作家は当時も今もくわしくは知らない。『戦国自衛隊』から30年経って、『葛飾物語』を読んだ。葛飾の長屋を舞台に昭和の庶民を描いた素敵な小説だった。その後『小説浅草案内』を読む。ここに登場する粋で素朴な浅草っ子がいい。僕にとって、半村良は決してSF作家ではないが、遠い昔に『戦国自衛隊』との出会いがなければ、半村良の描く東京の東側にはお目にかかれなかったかもしれない。つまり『戦国自衛隊』の半村良という記憶があったから、彼の描く下町に出会えた気がするのである。</div><div>そういえばパスティーシュの名手清水義範の師匠が半村良だったっけ。清水義範のSFのなかでは『イマジン』が好きだ。</div>yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-35126195540829802112023-12-31T17:32:00.004+09:002023-12-31T17:48:39.618+09:00青柳いづみこ『阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiui3MmfwZgue5QisooBtIB2U-syHCFlMI3vFGtXmdmg0HUQODp7Pq7cGe5V8hSRWV7_PyCRmP1xZwgiLB7mykYYyIeqlZvUrZOVUPTj6cBMkUUajBYyyDX_Qv_2H8snr3Vd7kHTl9R85eIaQEhwPlFT_rdSLBLxf0idrtamaKKKGewG38DULw7Jt0GgdI/s3840/01011004.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2160" data-original-width="3840" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiui3MmfwZgue5QisooBtIB2U-syHCFlMI3vFGtXmdmg0HUQODp7Pq7cGe5V8hSRWV7_PyCRmP1xZwgiLB7mykYYyIeqlZvUrZOVUPTj6cBMkUUajBYyyDX_Qv_2H8snr3Vd7kHTl9R85eIaQEhwPlFT_rdSLBLxf0idrtamaKKKGewG38DULw7Jt0GgdI/s320/01011004.JPG" width="320" /></a></div>この本の著者も言及しているが、アサガヤは地名で阿佐谷、駅名は阿佐ケ谷と表記される。ややこしいが、一般には阿佐ヶ谷が浸透している。<br />荻窪駅の北側に住むようになって十数年経つ。意外なくらい阿佐ヶ谷とは無縁の生活をしていた。それまでは映画を観に行くか、渋谷方面にバスで行くためくらいしか阿佐ヶ谷まで歩くことはなかった。ここ何年か、コロナ禍で在宅勤務となり、運動不足を補うために歩くようにした。阿佐ヶ谷駅周辺まで行って帰ると四キロほどのウォーキングになる。主に歩くのは松山通り商店街やスターロードである。歩くというのは退屈な行為であるから、道々にある店の看板を見るなどして過ごす。いろんな店があるものだなと思う。そのうち散歩がてら、気になった蕎麦屋やラーメンの店に行く。知らない町に小さな根が生えてくる。<br />阿佐ケ谷駅の南側にもときどき足を伸ばす。川端通りという商店街がある。ウォーキングをするようになって、日本大学相撲部の位置も知る。この辺りには花籠部屋もあったという(花籠部屋が今の日大相撲部の場所だったか)。<br />著者青柳いづみこは青柳瑞穂の孫にあたるらしい。青柳瑞穂の名を知ったのは井伏鱒二の『荻窪風土記』だったか。ずいぶん昔にジャン=ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』という文庫本を読んだことがある。翻訳したのは青柳瑞穂だったのではないだろうか。いやいや記憶にないとすれば僕が読んだのは岩波文庫版で新潮文庫版ではなかったのではないか。<br />この本は長女が阿佐谷駅前の、まもなく閉店するという書店に立ち寄って何冊か買ってきたうちの一冊である。ソファの上にほったらかしにされていたので、お先に読ませてもらった。将来、もし仮にであるが、阿佐ヶ谷学なる分野が確立した折には貴重な資料となるに違いない。冗談ではなく、阿佐ヶ谷学はぜひとも確立してもらいたい。ついでに高円寺学、荻窪学、西荻学もできるといい。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-8449277885801135532023-12-21T16:21:00.002+09:002023-12-21T16:21:23.828+09:00ハーマン・メルヴィル『白鯨』サマセット・モームは1954年に『世界の十大小説』というエッセイを上梓している。<br />その内訳は、ヘンリー・フィールディング『トム・ジョーンズ』、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』、スタンダール『赤と黒』、オノレ・ドゥ・バルザック『ゴリオ爺さん』、チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』、ギュスターヴ・フロベール『ボヴァリー夫人』、ハーマン・メルヴィル『白鯨』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、レフ・トルストイ『戦争と平和』である。<br />モームのエッセイは、岩波文庫にあるそうだが、この十大小説のうち僕は半分しか読んでいない。<br />二十代に読んだのはスタンダールとメルヴィル。後は結構大人になってからだ。『カラマーゾフの兄弟』なんて光文社の古典新訳シリーズで刊行されなければおそらく読む機会はなかっただろう。<br />『デイヴィッド・コパフィールド』は二十代の頃、当時絶版になっていた新潮文庫(記憶違いかもしれないが)を仕事場近くの小さな書店で見つけて、買うだけ買っておいたものをずっと後になって読んだ。もっとはやく読めばよかったと思うが、こんな長編を読む暇はなかった。『赤と黒』は二十代の頃、岩波文庫で読み、五十を過ぎて光文社の古典新訳で読み直した。<br />小説を読むようになったのは大学2年の終わりごろから。大江健三郎を読んで、開高健を読んで、スタインベック、ノーマン・メイラーと海外の小説を読みはじめるようになった。そしてどういう経緯かは忘れたが、『白鯨』にたどり着く。おそらくこの本がアメリカ文学の最高峰であるとかなんとか吹き込まれたのではないかと思う。モビー・ディックに復讐心をたぎらせるエイハブ船長。一頭の鯨をめぐる心理戦。まるでミステリー小説を読んでいるようなハラハラドキドキ感を(それだけを)今でもおぼえている。もう一度読む機会は果たしてあるだろうか。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-39051073869486776862023-12-04T19:53:00.000+09:002023-12-04T19:53:10.753+09:00ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjc5dM8lnfzF4tfGqz8WQsaFsTjktD8smhFuqsFfpGT2dkB4DQZBweRz8VWrPmNmWOO8-ZNPgkbmtmFbOFvipmFxyUhWBGYSgPIJHJDwV_X3VeBX408qwOCDTftEi8avzt-7Wcz4qH5WTt5B3cxQ-yEbkZQg1zJ8hGsk38v2YkvSdCurCFrPUo6ou18SHI/s3264/20231130_123004.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1836" data-original-width="3264" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjc5dM8lnfzF4tfGqz8WQsaFsTjktD8smhFuqsFfpGT2dkB4DQZBweRz8VWrPmNmWOO8-ZNPgkbmtmFbOFvipmFxyUhWBGYSgPIJHJDwV_X3VeBX408qwOCDTftEi8avzt-7Wcz4qH5WTt5B3cxQ-yEbkZQg1zJ8hGsk38v2YkvSdCurCFrPUo6ou18SHI/s320/20231130_123004.jpg" width="320" /></a></div>ものみなことごとくはじまりがあって、終わりがある。終わってしまうのは寂しいし哀しい。いつまでも終わりが遠くにある長編小説を読む楽しみとはいつまでたっても終わりがやってこないことではないだろうか。<br />ときどき果てしなく長い小説を読みたくなる。<br />最近では浅田次郎の『蒼穹の昴』シリーズ。これはひとつのタイトルではなく、続編の形で進んでいく壮大なドラマであるが。古くはルソーの『新エロイーズ』、ディケンズの『デイヴィット・コパフィールド』、スタインベックの『エデンの東』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、司馬遼太郎の『坂の上の雲』などなど。<br />1980年11月から12月にかけて、『ジャン・クリストフ』という大河小説をはじめて読んだ。今も岩波文庫にラインナップされているこの名作は、当時8分冊だった。今では4分冊になっている。<br />まだ若かったのだろう、古くさくて、難解な(といっては名訳を世に遺した豊島与志雄には失礼もはなはだしいが)翻訳をすいすいとではないが、坂道を昇るように読みすすんだ。当時はあまり理解できなくてもずんずん読んでいった。<br />今回の再読は7月から読みはじめ、5カ月かけてようやく読み終える。<br />ロマン・ロランはクリストフのモデルはベートーベンではないと明言しているが、僕はいやいやベートーベンでしょうと思って読んでいたように思う。それくらいしか記憶に残っていない。あらためて読んでみると、クリストフの生きた時代背景など気になることが多い。あきらかに18世紀末から19世紀はじめが舞台となっているのだ。そんなことも理解しようともせず、学ぼうともせずに読んでいた自分が恥ずかしい。<br />1980年にはこのほか、モンテーニュの『エセー』、ルソーの『告白』を読んでいる。それなりに感銘を受けたつもりでいるが、果たしてきちんと理解していたのだろうか。再読してみたいとは思うものの、ちょっと怖い気もする。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-67182863071911162332023-11-19T19:18:00.000+09:002023-11-19T19:18:01.893+09:00フランツ・カフカ『変身』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiw-azdLOAwoKq8HEsdgiRl0qPfaON131h_DpHjjQle7y0YiLVADo31ongitmoLpk2sXzYX-nIpW7WP1vWdsjmHFXUhUVDdslrYbBKzfSsvrUa0-Mpcr0wA08SRcSE1Ue5Csgu5tvyT8RwbHBb9z1pfPfsl4ua3bylHqA7BCqJA3K0BOV7j9u1ziZ5FHXI/s3264/IMG_20231117_164511.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1836" data-original-width="3264" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiw-azdLOAwoKq8HEsdgiRl0qPfaON131h_DpHjjQle7y0YiLVADo31ongitmoLpk2sXzYX-nIpW7WP1vWdsjmHFXUhUVDdslrYbBKzfSsvrUa0-Mpcr0wA08SRcSE1Ue5Csgu5tvyT8RwbHBb9z1pfPfsl4ua3bylHqA7BCqJA3K0BOV7j9u1ziZ5FHXI/s320/IMG_20231117_164511.jpg" width="320" /></a></div>大学に入学したのは1978年のことである。<br />そこは教員養成系の大学だった。特段、教員になりたいという希望はなかった。それどころか、将来自分が何になりたいかということをあまり考えていなかった。とりあえず受かりそうな大学を選んで受験し、結果的に教員養成系の大学に合格したのである。<br />高校時代の成績不振により、理工系を断念。文系学部に志望を変えたのだが、法律や経済はどことなく近寄りがたく、かといって文学部をめざすほどでもない。文学部に憧れはあったものの、もう少しお手軽な学部はないかと模索していたのである。もちろん教育学部がお手軽とは今でも思っていないが。<br />近所に東京教育大学を卒業し、出版社に勤務している方がいた。学業優秀でたしか中学から国立に通っていたと聞く。文学部に憧れたのもこの人のせいかもしれない。そんなこんなで教育系の大学を受験したのかもしれない。<br />入学して一、二年は教育学の概論的な本や当時明治図書から出版されていた世界教育学選集(コメニュウス『大教授学』やコンドルセ『公教育の原理』など)を読んでいた。そのうち大江健三郎を読みはじめ、その後小説が多くなる。海外の小説も読みはじめたが、カフカの『変身』は比較的はやい時期だった。そのすぐ後にカミュの『異邦人』を読んでいる。たぶん実存主義とか不条理文学なるものに多少は関心を抱いた頃なのかもしれない。<br />それにしてもグレゴール・ザムザの、この物語は冒頭のインパクトが強すぎて、その後どうなったのか、最後はどうなったんだっけといった部分の記憶が飛んでいる。朝起きたら虫になっていたってどういうことなんだ、明日もし俺が朝起きて虫になっていたとしたら、俺はどうやって生きていけばいいんだと考えているうちに物語は後半を迎える。もういちど読んでみようかと思うけれど、再読したところでやはり冒頭のインパクトによって後半を忘れてしまいそうなのでよしておく。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-28531767279261803752023-10-30T17:54:00.001+09:002023-10-30T17:54:42.205+09:00大江健三郎『個人的な体験』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiTRz5w0O20U2zVnhTdgdZQ-iQu8H_qYZk_ryEjlvtJp8hMx4_FPfTvweACMdEXxTF4WHFdDcEK4u_rzd3IZcgnFxl-u_B-YRKZ12MW5WxNACKTxh5fZPrEbBhU5K1_pTXKWG70XkdQ37yk64fV1He5CHTwhYhXyVTpfzN2gELbHz_4QMUED8QH97LUI-M/s3840/01000923.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2160" data-original-width="3840" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiTRz5w0O20U2zVnhTdgdZQ-iQu8H_qYZk_ryEjlvtJp8hMx4_FPfTvweACMdEXxTF4WHFdDcEK4u_rzd3IZcgnFxl-u_B-YRKZ12MW5WxNACKTxh5fZPrEbBhU5K1_pTXKWG70XkdQ37yk64fV1He5CHTwhYhXyVTpfzN2gELbHz_4QMUED8QH97LUI-M/s320/01000923.JPG" width="320" /></a></div>昨年夏は3回ほど軽井沢を訪ねたが、今年はコロナウイルス感染症が5類感染症に移行したこともあり、海外からも含め、観光客が一気に増え、宿泊の予約がなかなかとれない。結局今月になって訪れることになった。どうせなら紅葉の季節と思っていたが、10月20日過ぎ頃はまだまだ見頃とはいえない。それでも地元の人に言わせれば日一日と色づいてきているという。さすがに10月の軽井沢は寒い。日中はそうでもないが、日が落ちたとたん冬になる。セーターを持って行ってよかった。<div>軽井沢に行くとついでに観光する。今回は佐久市内にある旧中込学校を見た。明治8年築の木造校舎で長野県の県宝に指定されている。木の廊下、当時の机やオルガン、教科書などが展示されている。昔の校舎の匂いがする。</div><div>帰りに長野に立ち寄って、善光寺にお参りに行った。せっかく信州に来たのだからと、軽井沢で二軒、長野で三軒の蕎麦屋に寄った。食べくらべてみると軽井沢の蕎麦は東京の蕎麦で、長野の蕎麦は信州の蕎麦であることがなんとなくわかる。信州の蕎麦は繊細さより力強さ、質朴さがある。ざるやとろろが主で、つゆも薄く、蕎麦をどっぷり付けて食す田舎風の食べ方をする。信州では蕎麦は生活の一部だったのだと思う。</div><div>中学高校時代にほとんど読まなかった本を、大学生になって多少は読まなければと思って、教育学の概論や昭和史、太平洋戦争史などを読んでいた。小説はまったくといってくらい読まなかったが、10代の終わりに突然大江健三郎を読みはじめた。そのきっかけは思い出せない。先輩に読めと言われたのかもしれない。周囲に大江を読む友人はいなかった。</div><div>『個人的な体験』は著者自身の体験をベースに書かれている。1963年に大江健三郎の長男が知的障害をもって生まれたことはよく知られている。このブログを書くにあたって、単行本をひさしぶりに開いてみた。そうそう、主人公の名は鳥(バード)だった。</div>yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-74379875171341587452023-10-12T22:37:00.003+09:002023-10-13T19:10:26.282+09:00凪良ゆう『汝、星のごとく』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhwLlLFovvRrcrPwq1xDFUwh8lLKq2bAwlxuqgwMcvOLrNIzJVe0DeC97ipRu6ole08NH6NBLzzXWgp-LPS5faR-PDEb9BZ_k_zuT7ad_tM0QajKyTfmPQIqtU4-sDAzkeGwUDtafUxGmn7O9BVqm8S-wkM_fQ9KxzontiYfOVKrfa6tHqpMM9b5CDRpMo/s2048/10630566_734551659953680_5673666300448979377_o.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1368" data-original-width="2048" height="214" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhwLlLFovvRrcrPwq1xDFUwh8lLKq2bAwlxuqgwMcvOLrNIzJVe0DeC97ipRu6ole08NH6NBLzzXWgp-LPS5faR-PDEb9BZ_k_zuT7ad_tM0QajKyTfmPQIqtU4-sDAzkeGwUDtafUxGmn7O9BVqm8S-wkM_fQ9KxzontiYfOVKrfa6tHqpMM9b5CDRpMo/s320/10630566_734551659953680_5673666300448979377_o.jpg" width="320" /></a></div>10月になって、ようやく暑さがおさまった。<div>暑さ寒さも彼岸までとよく言われていたが、昨今のお彼岸はまだ暑い。とにかく7月から9月まで30℃を超え、さらに35℃を超える日々が続くのだ。来年もこんな暑い日が続くのかと思うと今から憂鬱になる。</div><div>が、急速に涼しく、さわやかな秋の日になった。これも不思議なことで、居座る夏の太平洋高気圧と大陸からやってくる秋の高気圧は秋雨前線をはさんで、勢力争いをする。その間梅雨時のように雨が続く。今年はそんなこともなく、一気に大陸の高気圧が張り出した(もちろん大気の状態が不安定になって雷雨が続く日もあったが)。それでも日中は25℃くらいにはなる。日なたは暑い。それでも湿度は低く、夏の蒸し暑さはない。朝晩はすっかり涼しくなり、寒いくらいの日もある。</div><div>新しい小説を最近読んでいなかった。<br />どうしたわけか家に本屋大賞を受賞したこの本があった。本屋大賞受賞作品は何冊か読んでいる。『舟を編む』以来かもしれない。いやいや『蜜蜂と遠雷』も読んでいるではないか。作者のことはまったく知らないが、今回の受賞は二度目だという。いつだったかラジオで紹介されていたのを思い出し、せっかくなので読んでみた。<div>最近の小説はすごいなと思った。両親の離婚でヤングケアラーのように母親と向き合う若者が主人公。ジェンダーについても、カルト教団への献金にも触れられている。ネットで炎上もしている。現代の諸課題が取り上げられている。</div><div>ちょっとした恋愛小説であるが、登場する人物のことごとくが不器用な生き方をしている。人間が如何に不完全な生き物であるかが前提になっている。矛盾に満ちたそれぞれの人生が率直に描かれている。</div></div><div>北原という化学の先生に興味を持った。北原先生を主人公にしたサイドストーリーがあってもいいんじゃないかと思った。そうしたら三度目の本屋大賞もありなのでは。いずれにしても読み応えじゅうぶんな作品だった。</div>yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-51104340630928061932023-09-30T14:13:00.001+09:002023-09-30T14:13:10.358+09:00ジョン・スタインベック『二十日鼠と人間』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhw9rJGjdaEwQIynJW9IRGcllMVyETD3MO5NQe3oyUS3Lr6ySts9Qa54SEv9z5Oi9-X2foQV2EWr4hK9cTzeEUKvBY-TVRuCsOKDu4neL-E35_TcOPaJaY-QOuJZ7L_zIrggxZ59Okmwj_4nSorSWmAjAHQgTSjeyGvAji5iMK6ow1Q6FQEk8RJuF__R9s/s4576/P1130716.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2576" data-original-width="4576" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhw9rJGjdaEwQIynJW9IRGcllMVyETD3MO5NQe3oyUS3Lr6ySts9Qa54SEv9z5Oi9-X2foQV2EWr4hK9cTzeEUKvBY-TVRuCsOKDu4neL-E35_TcOPaJaY-QOuJZ7L_zIrggxZ59Okmwj_4nSorSWmAjAHQgTSjeyGvAji5iMK6ow1Q6FQEk8RJuF__R9s/s320/P1130716.JPG" width="320" /></a></div>明石町の聖路加タワー最上階のお店で会社の新入社員歓迎会が行われた。新型コロナ感染拡大以降ほぼ全員の社員が集まる会食ははじめてである。コロナ以降入社して、いちどもこうした経験のないまま辞めていった社員もいる。<br />聖路加国際病院のことをたいていの人は「せいろか」と呼んでいる。僕もそのひとり。正しくは「せいるか」である。「せいろか」というと正露丸と語源が同じか近いのかとも思ってしまう。正露丸は昭和24年まで征露丸だった。勝鬨橋が近いからそんなふうに思ってしまうのかもしれない。というようなつまらないことを考えながら、明石町から西銀座まで歩いて地下鉄に乗って帰った。<br />大学に入っても一般教養で英語の授業を受けなければならず、億劫に思っていた。それでも小説や戯曲を読む授業をたまたま選んで、よかったと思うこともあった。テネシー・ウィリアムスの『ガラスの動物園』やアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を読む授業もあった。難解だった。<br />二年生のとき選んだ英語の授業ではスタインベックの「赤い仔馬」を読んだ。ジョディ少年の物語だ。おそらくはスタインベックの自伝的な小説であろう。今でも西部の果てしない農園と牧場が続く景色と赤い仔馬を引く少年の姿が目に浮かぶ。それまで知らなかった作家、スタイベックを俄然好きになってしまった。<br />それからスタインベックの作品を積極的に読むようになる。最初に読んだのが『真珠』で民話的な物語。次に読んだのがこの『二十日鼠と人間』である。農場で雇用される男たちを見舞う悲劇とでもいおうか。大作『怒りの葡萄』に通じるテーマを感じる。大作といえば『エデンの東』もよかった。<br />スタインベックを起点として、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、フォークナーなども読むようになった。大学生の頃、スタインベックに出会わなければ、アメリカ文学の旅に出ることは、おそらくなかったのではないかと思う。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-16427876355003344802023-09-26T17:15:00.002+09:002023-09-26T17:17:58.637+09:00ジャン=ジャック・ルソー『エミール』以前、通勤していた頃は行き帰りの電車のなかで本を読む習慣があったから、それほど多くはないけれど月に何冊か本を読むことができた。在宅になってからもなるべく本を読む時間を確保しようと思い、午前中であるとか就寝前とか本を読むようにしている。それにしても読書量は減っている。一日仕事に追われて、まったく読めない日だってある(というほど忙しい日はかなり少ないのだが)。歳相応に小さな字が見づらくなってきたせいもある。<br />今、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を読んでいる。岩波文庫で4冊あるが、僕が読んだ1980年当時は8冊だった。翻訳も古いうえ、昔読んだことなんてこれっぽちもおぼえていないのでなかなか読みすすめない。<br />昔読んだ本をもういちど読みなおそうと思うようになってずいぶん経つ。夏目漱石や太宰治を読みかえしたりしてきた。そしてどういうわけか『ジャン・クリストフ』が読みたくなった。<br />というわけで最近新しい本を読んでいないので、このブログも開店休業状態である。まったく書かないというのもよくないと思い、「昔読んだ本」というラベルをつくって、思い出話を添えてみることにする。<br />ルソーの『エミール』は大学一年の終わり頃に読んでいる。<br />その昔、子どもは「小さな大人」だった。子どもは人間の発達過程で「子ども」という段階を経て、成長していく。そうした子ども時代を発見したのがルソーだといわれている。ルソーの少し前にイギリスのジョン・ロックという人も『教育論』を著している。ルソーにも多大な影響を与えた本だと思われるが、微妙に子ども観が異なる。<br />『エミール』はその後何度か読みなおしている。卒論のテーマにルソーを選んだからである。なぜルソーを選んだかというと、ルソーに関する著書や論文は多く、うまいこと継ぎ接ぎすれば卒論なんて簡単に書けてしまえそうに思えたからだ。<br />そんな姑息な学生時代を思い出させてくれる一冊である。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-47599787434302213852023-09-08T16:43:00.000+09:002023-09-08T16:43:09.548+09:00北尾トロ・えのきどいちろう『愛と情熱の山田うどん』3月のことである。<br />文化放送大竹まことゴールデンラジオを聴いていた。2時半頃ゲストとして登場したのがコラムニストのえのきどいちろう。この人の本は読んだことがないし、どういう人なのかもよく知らない。番組ではフリーライター北尾トロとの共著であるこの本が紹介された。<br />えのきども北尾も以前から山田うどんについて熱く語っており、著作もある。この文庫は以前出版された2冊の本を再編集したものだ。<br />山田うどんは豪族である。決して天下をめざしているわけではなく、地元周辺を中心に出店している。提供するメニューは工場で一括生産し、各店舗に配送される。しかしながら自由度は高く、店ごとで微妙に茹で具合など異なることもあるらしい。都心にも出店していたこともあるが、現在では大きな看板と広い駐車場を持ったロードサイド店に特化している。<br />残念ながら、僕は山田うどんに行ったことがない。いちばん近い店でも10キロ近く離れている。バス、電車、さらにバスを乗り継いで1時間くらいかかる。都心ではなく、郊外だからついでの用事もほとんどない。エックス(旧ツイッター)では路麺マニアの投稿をよく見る。頻繁に山田うどんに行く人がいて、写真だけはよく見ている。うどん、そば以外にもご飯もののメニューも多い。<br />一時期、路麺にはまったことがある。秋葉原や入谷、三ノ輪などの立ち食いそばを食べに行ったものである。それでも山田うどんに行きたいとは思わない。クルマのある生活をしていないせいもある。そんな僕が機会があったら行ってみたいなと思うようになった。ふたりの著者に軽く背中を押された感じ。要するにそんな本、山田うどん応援歌的な本だったのだ。<br />その日、大竹まことのレギュラーパートナー小島慶子はお休みでライターの武田砂鉄が代打パートナーとしてゲストえのきどを迎えた。えのきど、北尾の山田うどん本の編集を担当したのは当時河出書房新社の編集者武田砂鉄だった。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-40851720842695472132023-08-20T20:13:00.001+09:002023-08-20T20:14:50.025+09:00安西水丸『東京ハイキング』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjxV7GXuX4GaPdxawMn05iCdfu-onl4RXM_NQByDigiuqZDujNWcEgvFjrZbfGZw1OLY1ECzHk8Dbsp7diICFgCpY3u0tVdqsOszZ6UwT6fr3olN-9C8wvhg2so8zEefA89d-JvsXoAEjk6CSwqhHLBWNjdBXORC67Oe808hbGWFmEmFF7WsdcEYRT7hNI/s3840/P1000683.JPG" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2160" data-original-width="3840" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjxV7GXuX4GaPdxawMn05iCdfu-onl4RXM_NQByDigiuqZDujNWcEgvFjrZbfGZw1OLY1ECzHk8Dbsp7diICFgCpY3u0tVdqsOszZ6UwT6fr3olN-9C8wvhg2so8zEefA89d-JvsXoAEjk6CSwqhHLBWNjdBXORC67Oe808hbGWFmEmFF7WsdcEYRT7hNI/s320/P1000683.JPG" width="320" /></a></div>南青山のギャラリー、スペースユイで安西水丸展が開催されていた。以前はクリスマス前とか大型連休明けなど年に何度か行われていたけれど、このところ7月にいちどだけになった。7月は彼の誕生月でもあるしちょうどいいといえばちょうどいい。<br />今年のテーマは川。個展のタイトルは「The River」だった。安西は安西水丸になる前、電通を辞めてニューヨークに移り住んだ。最初に住んだリバーサイドドライブのアパートはハドソン川に近く、その後イーストリバーに近いアッパーイーストに引越した。1969年のことである。安西の描く川を見て思い出したのはこのふたつ。<br />安西水丸は何冊か東京散策の本を著している。『青インクの東京地図』『大衆食堂に行こう』『東京美女散歩』などである。東京のあちらこちらをこよなく愛し、歩いている姿が目に浮かぶ。<br />ふと気づいた。水丸は、兄と五人の姉がいたのにあまりきょうだいのことを語らない。短編集『バードの妹』に登場する男が彼の兄をモデルにしていると誰かに聞いたことがある。五人の姉たちは赤坂の家からどこかに嫁いだに違いない。それぞれの縁のある土地でも訪ねてみてくれたらいいのにと思う。もしかすると東京以外の場所で彼女らは暮らしたのかもしれない。姉たちは東京散策の著作に登場しないが、水丸の叔母(彼の父の一番下の妹)はしばしば登場する。四谷荒木町で三味線の師匠をしていたという。古い著作ではあるが、『青の時代』にも出てきたように記憶する。赤坂に生まれ育った人であれば三味線の嗜みくらいは当然あっただろう。<br />編集者はあとがきで安西水丸を「生粋の東京人」であると評している。僕は少し違うかなと思う。ものごころついたときから過ごした南房総千倉町こそが彼のふるさとであり、彼にとって東京は憧れの町だったはずだ。それはともかく、訪れた町のイラストレーションに気の利いた俳句が添えられている。なかなか洒落た一冊だ。<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br />yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-28747115855498554612023-07-29T19:55:00.002+09:002023-10-12T19:47:33.220+09:00藤井 淑禎 『「東京文学散歩」を歩く』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh-PhzgBDsO6Nx9WZm3di8wPoOOD6d_Y6s6XA0bLiYEU718bRpILaKmRm4EldyQIda8KNCdFc3BT54Vk14hVoT6harTdD4HX2t008Xry5Y_KlmtyxcI6d5sQ1_497g8wDqlNmQ6hy0oirqOPQhtWEd8IpBE-4QvAzJfDnLJ1oIcsy4Cg0AAJ4p5ppefl98/s4608/P1010028.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="3072" data-original-width="4608" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh-PhzgBDsO6Nx9WZm3di8wPoOOD6d_Y6s6XA0bLiYEU718bRpILaKmRm4EldyQIda8KNCdFc3BT54Vk14hVoT6harTdD4HX2t008Xry5Y_KlmtyxcI6d5sQ1_497g8wDqlNmQ6hy0oirqOPQhtWEd8IpBE-4QvAzJfDnLJ1oIcsy4Cg0AAJ4p5ppefl98/s320/P1010028.JPG" width="320" /></a></div>文学散歩ではなく、文学散歩を歩くというタイトルに違和感をおぼえたが、どうやらその昔『東京文学散歩』なる作品があり、その散歩道を辿るという趣旨の本であることがわかる。<div>日本読書新聞に『新東京文学散歩』を連載していたのは主に文芸誌の編集に携わっていた野田宇太郎。この文学散歩は1951年から70年代まで続けられ、単行本や全集など形を変えながら、長い時間をかけて追加され、推敲されてきたようだ。<br />そもそも首都東京には各地からさまざまな文学者が集まっている。ゆかりの場所を訪ねればキリがない。それでも人は文学の(映画もそうかもしれない)痕迹を追う。どうでもいい人にはどうでもいい散歩には違いない。けれどどうでもよくない人にはどうでもよくない散歩なのであり、僕にとってもどうでもよくはないのである。<br />明治以降の東京の文学遺跡はほぼ定番化している。柳橋から浅草、向島、玉の井あたりも本郷界隈も麻布もその地名を聞けば、ああ誰それの旧居跡があるところだねと想像がつく。文士村が各地にあるのも東京の特色かもしれない。<br />以前、大森や蒲田を歩いたことがある。きっかけになったのは高村薫の『レディージョーカー』である。犯行に関わった薬屋の店主はどのあたりに住んでいたのかなどと頼まれもしないのにさがしたものである。奥田英明の『オリンピックの身代金』も多く歩かせてもらった。大田区六郷の火薬店、本郷界隈、江戸川橋、上野、そして千駄ヶ谷。金町にも行ったことがある。たしか『マークスの山』に金町の病院が登場していた。いつしか定番文学散歩には飽き飽きしていた。<br />読んだ場所を歩いてみたい、その風景を見てみたい。これは人間が生来的に持つ本能なのではないか。そう思うことがときどきある。<br />神宮外苑が再開発されるという。そもそも再開発されなければならない地域は負け組である。村上春樹の小説に登場した一角獣もやはり伐採されてしまうのだろうか。</div>yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-56834752692100223572023-07-18T17:48:00.002+09:002023-07-18T17:48:17.012+09:00小藥元『なまえデザイン 「価値」を一言で伝える』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWRLb-7-jYKse_oLp2-0swSSLUe120caKCP6BI9yQaVuolRW9KFNq-bLc-_L9ZIA5qqy2YTZ51jahh8JiR3cYYNCz-xmtr_sTIegdO87Ke1IdZ9eZOfptd5JmyUHYt9ofbRe-sCRCUhp7Pr69a5MOBliX_tJelSuxxXnUJ__z2PFdSwY8RgXpUYkmwAmg/s3232/P1140597.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1824" data-original-width="3232" height="181" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWRLb-7-jYKse_oLp2-0swSSLUe120caKCP6BI9yQaVuolRW9KFNq-bLc-_L9ZIA5qqy2YTZ51jahh8JiR3cYYNCz-xmtr_sTIegdO87Ke1IdZ9eZOfptd5JmyUHYt9ofbRe-sCRCUhp7Pr69a5MOBliX_tJelSuxxXnUJ__z2PFdSwY8RgXpUYkmwAmg/s320/P1140597.JPG" width="320" /></a></div>欧米ではどんな小さな道にも必ず名前が付いていて、その道の何番目かという数字が住所になると聞いたことがある。すべてがそうとは限らないだろうが、なんとかストリート、なんとかアベニューの何番という住所はよく見かける。日本の場合はある一定の区画に町名を付けて、さらに何丁目と区分していることが多い。道が境界線になっている。道一本隔てただけで○○町は、東○○町になったり、本○○町になったりする。<br />運動不足解消のために時間を見ては近隣を歩く。もっとも気温が40度近くになる猛暑日は避ける。ここ一週間くらいはほとんど歩いていない。道を歩きながら思うのは、その道の名前だ。幹線道路やバス通りでもない限り、普通の道に名前はない。都心に行けば、たとえば番町文人通りとか赤レンガ通りといった名前を持つ道を見かけるようになる。昭和通りと並行する道はいつしか平成通りと呼ばれている。<br />ウォーキング中はラジオを聴いていることもあるが特にすることもないので今歩いている道はどこにつながっているんだっけなどと地図を頭に描きながら歩く。この先には○○小学校があるから、○○通りと呼ぼうとか、小さな教会があるから教会通りと呼ぼうなどと勝手に命名している。不思議なことに道に名前が付くことで少しあんしんした気分になる。自分がどこを歩いているのかがわかるってだいじなことなんじゃないかと思うのである。<br />著者は大手広告会社でコピーライタとして経験を積んだ。とりわけネーミングといって名前を付ける仕事を得意としている方らしい。それまでなんでもなかったできごとなどに名前が付けられることで新たな発見が生まれ、人々のかかわり方が変わる。結果として新しい価値を生む。どうやらそういうことがたいせつらしい。<br />ただ名前を付けるだけじゃなくて、名前を付けることで世界を変えていく一連の仕事を著者は「なまえデザイン」と呼んでいる。なかなか楽しそうな仕事ではないか。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-62647890350753905982023-06-30T14:42:00.000+09:002023-06-30T14:42:07.979+09:00南伸坊『私のイラストレーション史』南伸坊って不思議な存在だなと思っていた。もちろん彼をくわしく知っているわけではない。著書を多く読んだわけでもない。以前『笑う写真』という本を読んだことがある。内容はほとんどおぼえていない。目立った作品を残しているわけでもない。大きな賞を獲って世間の耳目を集めたという話も聞かない。なんとなくおにぎりみたいな風貌で主張の強くないイラストレーションを描く、親しみやすそうな人といった印象があった。<br />この本を読んでよかったと思うのは、こうした僕のなかのぼんやりした南伸坊の輪郭が少しだけはっきり見えてきたことだ。<br />南は絵や図案が好きな少年だった。子どもの頃からデザイナーという職業に憧れていた(その経緯はともかくとして)。そして挫折をくり返した。高校も大学も受験は失敗。無試験で美学校に入り、赤瀬川源平らから教えを受ける。その後ひょんなことから青林堂の編集者になる。転機が訪れたのだ。伝説の月刊漫画誌ガロの編集にたずさわりながら、多くの才能に出会う。そこは彼の、おもしろいものを見つけるための修行の場でもあった。<br />南は昭和22年生まれ。いわゆる団塊の世代である。数多くの才能が過酷な競争を経て磨かれていった時代だ。僕が二十代なかばで広告制作の世界に飛び込んだとき、団塊の若者たちは勢いのある、ある意味ぎらぎらした若手だった。CMディレクターにせよ、コピーライター、グラフィックデザイナーにせよ。南伸坊はそんな熱さを感じさせない。その世代のなかではきわめて特異な存在だ。受験にこそ恵まれなかったが、実社会のなかで和田誠、安西水丸、湯村輝彦らすぐれた教師に出会ったのだろう。それは東京芸術大学のデザイン科に進むよりも価値があったんじゃないか。<br />この本には南が模写した絵が多く載っている。きっと子どもの頃からこんなふうに絵を描いて過ごしてきたのだろう。絵が大好きだったことはパラパラとページをめくるだけでわかる。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-60209071392076162822023-06-27T22:49:00.002+09:002023-06-27T22:49:30.664+09:00宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 <div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiIJ4TV6U4hCblRTCxjvTaKw089NY6rbZAH7PjRk15a1axIdtFASIggQVhWX1jH1XKKnNyfEvbGRHUp9OTd7Es6Fz6BZvF21MUB1vAVY_IiHLOab7nJbyQKE1H65FYSP3Djizn0JiS9iKOvGUkkHe2y8zKGOQJD1Uh07L0sAfCPQTegCHyAMzM78cLrnEE/s2048/335075102_161341316730785_6171217166378203860_n.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1152" data-original-width="2048" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiIJ4TV6U4hCblRTCxjvTaKw089NY6rbZAH7PjRk15a1axIdtFASIggQVhWX1jH1XKKnNyfEvbGRHUp9OTd7Es6Fz6BZvF21MUB1vAVY_IiHLOab7nJbyQKE1H65FYSP3Djizn0JiS9iKOvGUkkHe2y8zKGOQJD1Uh07L0sAfCPQTegCHyAMzM78cLrnEE/s320/335075102_161341316730785_6171217166378203860_n.jpg" width="320" /></a></div>午前中BS放送でMLBを見るのが日課のようになっている。それもエンゼルスのゲームがいい。去年も大谷翔平の出場する試合はときどき見ていたが、今年はワールド・ベースボール・クラシックの余韻もあって、ほぼ欠かさず見ている。もちろん向こうのデーゲームは試合開始が早朝過ぎるので勘弁してもらっている。おそらく僕のような、降ってわいたようなファンは多いのだろう。NHKもエンゼルスを中心に放送している。吉田正尚も鈴木誠也も千賀滉大も活躍はしているものの、「その他の日本メジャーリーガー」扱いされている。<div>大谷のすごいところは、そろそろ打ちそうだなと思っているとき、かなりの確率でホームランを打つところにある。前の打席は三振だったから、ここまでノーヒットだから、カウントが3ボール1ストライクだから、今度は打つだろうと思っていると打つ。打たないときもある。打たない方が多いとしても、打ったときの印象の方がはるかに強いから、やっぱり期待に応えてくれたと喜びもひとしおなのである。</div><div>打撃成績も抜群だが、投手としてもいい。最近の野球は一試合の投球数は百球程度に制限されている。序盤中盤に味方が点をとってくれないと勝利投手になるのは難しい。それでも現時点で6勝。11勝しているピッチャーもいるが、チームではトップの成績だ。なによりも奪三振が多いのがいい。アメリカンリーグではトップクラスである。先発投手として出場した試合はトイレに行く暇もないくらい、テレビの前に釘付けになる。誰もが言うことかもしれないが、こんな選手、今までいたか。</div><div>大谷は岩手県水沢市出身。水沢市は合併して今は奥州市になっている。奥州市のすぐ北に北上市があり、さらにその北に花巻市がある。岩手県出身の著名人としては宮沢賢治と千昌夫がいる。千は奥州市の東、陸前高田出身。こぶしの花が咲く春がいいらしい。宮沢賢治は花巻出身。</div><div>宮沢賢治を読むのは、子どもの頃以来だ。</div>yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-57194198140517711802023-06-12T19:24:00.003+09:002023-07-10T21:05:16.449+09:00浅田次郎『おもかげ』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhtcfbKML29f9_jaRnyzI0nfs1DvM2EsfmaRkZEAyD2T8EW2VOuSkOD-3VIpmRnC_nxG79fjmv-tslSwLGDzMKsz7h-09tC7Ir7IIL75fzH4rgOrp3j46lzn9-d02vOHszM4MOiAqsDskWdoeSb8wocg4YOY-H67fClNtNu3oXHx4Sz_R9-5bPPmCjm280/s3840/P1000679.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2160" data-original-width="3840" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhtcfbKML29f9_jaRnyzI0nfs1DvM2EsfmaRkZEAyD2T8EW2VOuSkOD-3VIpmRnC_nxG79fjmv-tslSwLGDzMKsz7h-09tC7Ir7IIL75fzH4rgOrp3j46lzn9-d02vOHszM4MOiAqsDskWdoeSb8wocg4YOY-H67fClNtNu3oXHx4Sz_R9-5bPPmCjm280/s320/P1000679.JPG" width="320" /></a></div>親戚の通夜に行く11月の寒い日。友人吉岡以介の母親は、駅で電車を待っているとき脳疾患を起こして倒れた。もう4年くらい経つだろうか。以介がいっしょにいたのですぐに救急車を呼んでもらって大事に至らずに済んだという。電車に乗っていたらもっと大変だっただろうとも言っていた。以介の母親はその後区内の特養に移り、昨年は施設で米寿のお祝いをしてもらったそうだ。左半身に麻痺が残り、不自由な生活を余儀なくされているが、よくしゃべり、食欲もあるからあんしんだという。<br />先日、NHKのドラマを視た。なにかのついでに視ていたせいか、こまかいストーリーはわからなかったが、主人公は中村雅俊だった。番組ホームページを見て、原作は浅田次郎と知る。どうりで東京メトロの新中野駅が登場していたわけだ。著者の作品<a href="https://yoshixjp.blogspot.com/2008/06/blog-post_3450.html" target="_blank">『地下鉄(メトロ)に乗って』</a>も新中野は主要駅だった。原作が浅田次郎ならば読まないという選択肢はない。さっそく図書館から取り寄せる。<br />以介も僕も近い将来65歳になる。主人公竹脇正一みたいに地下鉄車内で倒れることもあながちないことではない。ごく普通に生まれて、ごく普通に生きてきた(何をもって普通というかはまた難しい問題であるが)僕には正一のような未知なる過去は(たぶん)ない。竹脇正一は、親の顔も知らなければ、名前さえ持っていなかったのである。世間並みに生きてきた僕は、彼と同様の事態に陥ったとき、どのような生死の境を生きるのだろう。この本を読んでそんなことを思った。<br />以前児童養護施設ではたらく若者たちを取材して動画にする仕事にたずさわったことがある。施設出身の子どもたちがどんな苦労を背負って生きていくのかは筆舌に尽くしがたい。<br />竹脇正一は孤独な人生から脱却し、家族を得る。だからといって彼がたどってきた過去を拭い去ることはあるまい。そんな孤独な魂を同じ境遇を生きた数少ない仲間たち救う。<br />浅田次郎にまたやられてしまった。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-42062257913838170702023-05-30T19:00:00.001+09:002023-05-30T19:00:37.370+09:00夏目漱石『草枕』卓球世界選手権が終わった。日本勢は女子シングルスとダブルスで銅メダル、混合ダブルスで銀メダルと健闘した。<br />テレビ観戦しながら、ふと混合(ミックス)ダブルスってヘンな呼び方だと思った。男女がいっしょにプレーする競技をあえて規定する時代でもあるまい。アイススケートフィギュアで混合ペアというか?混合アイスダンスというか?男子のダブルスがあって、女子のダブルスがあって、さらに混合があるという発想がどうなんだろう。<br />卓球王国中国では世界ランカー上位選手たちの厳しい予選によってシングルス、ダブルスの代表を選出する。これはどこの国も同じことだ。中国の場合、選に漏れた実力者が混合ダブルスにまわる。日本にとってはチャンスである。東京五輪で金メダルを獲った水谷隼・伊藤美誠ペアは見事だった。<br />僕が思うに、これからは団体戦も男女いっしょに国別にすればいい。ダブルスもしかり。混合ダブルスという呼び方はやめて、「ダブルス」と称すべきだ。そのなかで男子だけのダブルスがあり、女子だけのダブルスがある。そんな考え方でいいのではないかと考える。男女でペアを組むダブルス=ダブルスという認識が高まれば、中国だって一線級の選手を送り出してくるだろう。日本をはじめ他の国はこれまでのようにこの種目で金メダルと獲りにくくなるに違いない。しかしそれもレベルアップのためには必要なことだ。<br />智に働けば角が立つ情に掉させば流されるという書き出しだけを何度も何度も読んできた。その先を読んでみるのははじめてである。<div>この温泉地はどこだろうと気になった。調べてみると熊本であるという。漱石は熊本の第五高等学校の英語教授として、4年ほど暮らしていたのだそうだ。温泉以外にもかつて住んでいた家や散歩道、茶屋などが漱石ゆかりの場所として観光地になっている。熊本にはいちども行ったことはない。もし訪ねる機会があれば、この温泉は要チェックである。</div>yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-22448063660727411882023-05-28T19:08:00.002+09:002023-06-15T18:28:21.482+09:00村上春樹『街とその不確かな壁』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhApQqmGU7J6vywRMVm1BTLONfkHEUfXVuf0KTpsJVRRp22taUanJmhVTMwP46zMhHyA_BWqN1vtgx4G49PjGbcc6z8cK7EdhagJBSN62meeWps-8VXW5ZQE86UZ87rjbailQw3jWRcgY4Mu_ETLnh4cXAf4rN9LGPAiS7DvY5pHRgvzYubao6OFlsw/s3840/P1000678%20(2).JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2160" data-original-width="3840" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhApQqmGU7J6vywRMVm1BTLONfkHEUfXVuf0KTpsJVRRp22taUanJmhVTMwP46zMhHyA_BWqN1vtgx4G49PjGbcc6z8cK7EdhagJBSN62meeWps-8VXW5ZQE86UZ87rjbailQw3jWRcgY4Mu_ETLnh4cXAf4rN9LGPAiS7DvY5pHRgvzYubao6OFlsw/s320/P1000678%20(2).JPG" width="320" /></a></div>実家から歩いて10分ほどの小さな神社のなかに図書館があった。当時わが家からいちばん近い図書館だった思う。そこからさらに5分ほど歩くと大きな図書館があり、神社のなかの図書館はその分館だった。<br />こじんまりとした木造二階建ては、当時の小学校の校舎を連想させた。一階は大人向けの本が並び、黒光りした木の階段を昇ると絵本や児童書のコーナーがあったと記憶する。今はもうその場所に図書館はなく、記憶も薄れてきているが、そこは僕が生まれてはじめて訪ねた図書館だった。<br />図書館にはササキさんという中年の男性がいた。不思議なことにはじめて会ったときから僕と姉のことを知っていた。貸し出しカードの名前を見て、ふたりを知り合いの子だと気づいたのだろう。ササキさんは区役所に勤めていて、その頃この図書館に派遣されていたのだった。父と酒場で知り合ったことはずっと後になってから聞いた。<br />実家からバス通りを避け、裏道を行く。5分ほど歩くと橋が架かっていた。そう、川が流れていたのだ。西から東へ。昭和40年代に暗渠化されて、今ではバス通りになっている。ほぼ川沿いを歩いて、橋を渡ってたどり着く小さな社のなかにある小さな木造の図書館。今にして思えば、なんと神秘的な場所だったことか。<br />その後、区内に図書館が増えてきた。大きな図書館が近隣にいくつかできて、いつしか神社のなかの図書館に通うことは少なくなり、そしていつしか図書館もなくなっていた。<br />村上春樹の6年ぶりとなる新作長編を読む。40年以上前に雑誌に掲載され、その後単行本化されなかった中編の書き直しといわれている。きわめて動きの少ない静かな静かな物語だった。そして昔よく行った図書館を思い出させてくれた。<br />僕がはじめて通った図書館は本当にもうなくなってしまったのだろうか。どこか知らない街にひっそり佇んでいるのではないだろうか。高く不確かな壁に囲まれて、無数の夢を蔵書として。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-12432739837870639032023-05-21T19:15:00.004+09:002023-06-05T01:08:00.030+09:00東京コピーライターズクラブ、鈴木隆祐『コピーライターほぼ全史』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEimvIl0l320bvwyjcgcU7p314n1EKNlqpoNs2n0QXuf-OIEHZ9-roTe9uMssgmHy2CivTrvM7hI6hrRWlRzcwozAS_dW0EtZ5W_8-7iRhJbIvQuxWQ6kbR2srnjVzZIkMDabgAw-OZyEIPLH4DMlhEZtQotOFuIYJxB80EZTsD-tzgDz10uh4CDMaQC/s3840/DSC_0127.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2160" data-original-width="3840" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEimvIl0l320bvwyjcgcU7p314n1EKNlqpoNs2n0QXuf-OIEHZ9-roTe9uMssgmHy2CivTrvM7hI6hrRWlRzcwozAS_dW0EtZ5W_8-7iRhJbIvQuxWQ6kbR2srnjVzZIkMDabgAw-OZyEIPLH4DMlhEZtQotOFuIYJxB80EZTsD-tzgDz10uh4CDMaQC/s320/DSC_0127.JPG" width="320" /></a></div>1980年代にコピーライターブームがあった。僕は当時、小さな出版社にでも潜りこんで編集者になろうと思っていた。<div>大手広告会社でグラフィックデザイナーを経て、やはり大手の出版社でエディトリアルデザイナーでもあった叔父からコピーライターをめざせとアドバイスをもらった。そこで通いはじめたコピーライター養成講座。思っていたほどコピーは書けなかった。出される課題は橋にも棒にもかからない。唯一、たまに佳作として選ばれるのはラジオCMの原稿だった。話しことばより書き言葉の方が得意だと思っていたのに。<div>電波媒体の広告制作を仕事とするようになったのにはそんな経緯がある。<br />かつて広告制作に携わる人はアートディレクターと呼ばれていた。アートもだいじだけど、メッセージもたいせつだよねってことで昭和30年代、それまでの広告文案家はアメリカから輸入されたコピーライターという単語で呼ばれるようになった。コピー十日会を前身とする東京コピーライターズクラブが誕生したのもこの頃である。<br />この本の最初の方に登場してくる方々は、僕が30歳くらいの頃の上司の上司である(僕の上司もTCCクラブ賞をかつて受賞している)。それから若い世代が台頭してきて、スターがあらわれ、名作コピーの数々が誕生した。商品の差別化が難しくなってきて、広告も少しずつ変わってきた。その変化をいちはやく捉えてヒットCMをつくりだす若きコピーライターまでこの本は網羅している。<br />磯島拓矢の項に「北海道国際空港(現AIR DO)」とあった。おそらく校正漏れだろう。著者はジャーナリストであるという。致し方ないところであるが、コピーライターなら広告主名はまず間違えることはない。タイトルにある「ほぼ」とは、こうした不完全なところがありますよ、ということか。<br />まあ、別に目くじら立てて非難するわけではもちろんない。完璧な文章は完璧な絶望と同じくらい存在しないのだから。</div></div>yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-62124440400739889072023-05-16T19:21:00.000+09:002023-05-16T19:21:03.058+09:00宮台真司『14歳からの社会学』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhDir-OUBy4iD0ZRMEf8bUTmrZQngayzelT-0zJtuLBtJNb6VNvBaumuNT9XVwkzQuFvZbTPY5QmjZ2HITkCdYib0Zrll2wlppGTVDncD-16rLnJ5bzc9xyYqcLdtmoHDRG6hMTdDSwD78xvuz4cTMjJDvfR4dufZw7Us0V8K5nck-lG305k_KVADWb/s3840/DSC_0102.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2160" data-original-width="3840" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhDir-OUBy4iD0ZRMEf8bUTmrZQngayzelT-0zJtuLBtJNb6VNvBaumuNT9XVwkzQuFvZbTPY5QmjZ2HITkCdYib0Zrll2wlppGTVDncD-16rLnJ5bzc9xyYqcLdtmoHDRG6hMTdDSwD78xvuz4cTMjJDvfR4dufZw7Us0V8K5nck-lG305k_KVADWb/s320/DSC_0102.JPG" width="320" /></a></div>大型連休は特に何をするわけでもなく過ごした。横浜で小津安二郎展でも観ようかとも思ったが、何も混雑する連休に行くこともあるまいと先送りする。<br />鳴らなかったインターホンを直したり、ベランダの詰まった排水溝をほじくったり、本を読んだり。最後の日曜日を除けば天気もよかったので連日犬たちと散歩もした。それなりに忙しく、充実した日々を過ごした(つもりである)。<br />この本は3月に区の図書館で予約した。大型連休直前の先月末にようやく用意ができましたとメールが届く。<br />宮台真司は昨年、八王子の都立大学構内で切りつけられた。衝撃的なニュースだった。社会学者で都立大学教授の宮台真司の名前をこのとき知った人も多いかもしれない。それほどの人なら一冊くらい読んでみよう、ついては難解な著作は避けたい、タイトルを見る限り中学生向けかもしれない、ならば読んでみよう。ということで予約が殺到したのではないかと踏んでいる。かく言う僕もできれば簡単に読める著者の本をさがしていたのである。<br />宮台真司が難しいとは思っていない。社会学という学問に触れる機会がなかったせいだと思っている。社会科学といわれる学問のなかで法学、経済学にくらべると社会学は(少なくとも僕にとって)歴史の浅い混沌とした分野である。学生時代、一般教養の科目としてあったが、僕は選択していない。いわば食べたことがいちどもない料理みたいなものである。うまいかうまくないかもわからないし、仮にうまかったとしてどこがどううまかったのか理解も説明もしようがない。<br />著者によれば社会学の巨人は、デュルケム、ウェーバー、ジンメルであるという。なんとなく知っている。本を読んだこともある(もちろん憶えていない)。それはともかく宮台真司の主張はすべて、ではないが、所々納得できる。とりあえず、そういうところだけメモを取ってみる。そのうち全体像が明らかになるかもしれない。ならないかもしれない。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5137061033151443411.post-20175109328978923122023-05-09T18:10:00.002+09:002023-05-09T21:07:29.063+09:00中山淳雄『エンタメビジネス全史 「IP先進国ニッポン」の誕生と構造』<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiF_5tOh13Rye5DXMi__9LXQrU0jwYasRH_tgQmVRxEyr_XY1S8H0Ni-6H3ZeghKfX2q-4x7NEhkITDZ1ZOkhdRgQ5KDXcVjQmxxCD4qS0iXjimGgm5zK282Ahv8n9TamEncnCd5cy-QCFRCuZWk-tmV4ehYa92XZvf0gQmN0aCPf-klvzFDOVsXg5B/s3840/DSC_0105.JPG" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2160" data-original-width="3840" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiF_5tOh13Rye5DXMi__9LXQrU0jwYasRH_tgQmVRxEyr_XY1S8H0Ni-6H3ZeghKfX2q-4x7NEhkITDZ1ZOkhdRgQ5KDXcVjQmxxCD4qS0iXjimGgm5zK282Ahv8n9TamEncnCd5cy-QCFRCuZWk-tmV4ehYa92XZvf0gQmN0aCPf-klvzFDOVsXg5B/s320/DSC_0105.JPG" width="320" /></a></div>先月、フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律案)が成立した。コロナ禍で菅義偉前首相がエンタメ業界はフリーターが多く関与していて、その処遇を改善したいと語っていたことを思い出す。もちろんこれはフリーランスの言い間違いだろう。<br />今いる会社はテレビCMをはじめとした映像を制作している。ここのところ訳あって、その歴史を調べている。過去を振りかえるといろんな業種で賞を受賞している。CMの世界にはすぐれたCMを評価するコンクールが昔からあったのだ。<br />入賞作品を見てみると、食品、電機や精密機械のメーカー、男性用かつら、保険・銀行など金融関係、エステティックサロンなど幅広い。小さい会社ながら、かつては自動車でも入賞作品がある。<br />賞とはあまり縁がないが、ここ20数年でゲームの仕事が増えている。ゲーム好きのプロデューサーがいるせいもあるだろう(どの制作会社にもいるのだろうが)。僕自身はゲームとは無縁の生活を送っているので仕事にかかわることはほとんどない。近年の制作台帳を見てみるとドラゴンクエスト、バイオハザード、モンスターハンターなどゲームのことをまったく知らない僕でも聞いたことのあるタイトルが並ぶ。<br />少しはエンタメビジネスを知ろうとこの本を手にとってみた。ここで対象となるエンタメは「興行」「映画」「音楽」「出版」「マンガ」「テレビ」「アニメ」「ゲーム」「スポーツ」の9つの分野。大別するとコンテンツ市場、スポーツ市場、ライブ市場に分けられる。とりわけ興味を持って読んだのは「ゲーム」であるが、一時衰退したと思われる「音楽」「映画」「テレビ」などが思いのほか健闘している、成長している。<br />エンタメ世界はこれからの日本を支えていく産業になるのだろうか。ちなみに世界のゲーム市場は2025年に30兆円規模になると予想されているそうである。ゲームを知らない僕にはまったく想像しがたい。yoshixhttp://www.blogger.com/profile/05240379095253556351noreply@blogger.com0