2015年7月21日火曜日

山本周五郎『新潮記』

今月は父の三回忌、高校の同期会、バレーボール部のOB会と日曜ごとにイベントが組まれ、のんびりする間もなくはや下旬にさしかかっている。
父の実家は千葉県の南房総市にある。ついこのあいだまで安房郡といった。
非常に不便な場所である。一方的に不便と言い切ってしまうのもよくないと思うのだが、徒歩圏にコンビニエンスストアはない。かろうじて酒屋、魚屋、八百屋、雑貨店はあるものの、まとまって買い出しをするとなると1時間に1本なるかないかの路線バスに乗って、少し繁華な(その昔町役場があった)ところまで出かけなければならない。そこまで行けばスーパーがある。歩けば4~50分はかかるだろう。
こういう場所に住んでいる人は不便だと思わないのかといえば、たいていの家庭に軽自動車くらいはあるし、別段なんとも思わないのかもしれない。人は住む環境によって暮し方は変わるし、むしろいちいち歩いてコンビニに行くなんて方が不便だという考え方も成り立つ。
昨年までは近所に酒屋が一軒あって、そこでたいていのものは手に入った。店番をしていたおばあちゃんが父と同級生だったこともあり、よくおまけもしてくれた。この店ももう閉まっている(おばあちゃんは元気だと聞いているのであんしんしているが)。今年も8月のお盆には墓参りに行って、4~5日滞在する。今年はどんな不便に出会えるか、今から楽しみである。
山本周五郎『新潮記』、その舞台は幕末、尊王攘夷派が暗躍する時代。高松藩と水戸藩の親密な関係、高松藩尊攘派藩士の庶子が主人公というちょっと複雑なもつれ方。全体として緊張感の走る内容でありながら、物語がどことなくのどかに流れていく印象が強い。これも山本周五郎の持ち味と見るべきか。
その昔、南房総の防波堤に寝そべってフォークナーの『八月の光』を読んでいた。殺人事件の話だったとうっすら記憶していてるが、内容はまったくおぼえていない。ただ読んでいてのどかさを感じたという点で、この本は『八月の光』に似ている(かなり無理はあるが、勝手にそう思っている)。

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