2015年1月16日金曜日

山本周五郎『町奉行日記』

伯父は建築設計士で飲食店などの内装が主な仕事だったように記憶している。赤坂や六本木の高級な料理店やナイトクラブなどの設計にたずさわったという。
以前伯父家族と母と僕とで六本木の交差点に程近い中華料理店を訪ねた。店舗設計を担当した伯父はその店の支配人のような男の人から「先生」と呼ばれていたと思う。何が原因かわからなかったが、注文した料理がなかなか出てこなかった。ふだんは温厚で紳士的な伯父が(もともとは非常に短気な人であるらしい)怒った。何をやってるんだ、まだできないのか、子どもたちがお腹を空かせているんだ、みたいなことばを支配人に浴びせかけ、別の店に行こうと僕たちを促して、店から出てしまった。そのあとどこで何を食べたか全く記憶がない。ただこの日のできごとはその後大人になってとり煮込みそばを食べるたびに思い出す。
伯父はその頃赤坂丹後町から六本木に引越していたと思う。六本木の家は六本木通りのすぐ裏手、高速道路の下にあり、赤坂の家のまわりのような子どもたちが路上で遊ぶような環境ではなかった。それにふたつ上とひとつ下の従兄弟たちとも中学生や小学校の高学年になるにつれていっしょに遊ぶようなことも少なくなっていた。従兄弟たちとタクシーに乗って麻布本村町の釣り堀に行った記憶だけがのこっている。
山本周五郎『町奉行日記』を読む。
市川崑監督「どら平太」の原作。ワル奉行である望月小平太が単身で悪いやつらをやっつける話なのだが、映画の小平太、役所広司がなんとなくいい人に見えてしまってちょっと物足りなかった印象がある。おそらく50年前につくられていたら三船敏郎だったにちがいない。
先日、西麻布で打合せがあり、はやく終わったので有栖川公園あたりを散策してみた。釣り堀はまだあるんじゃないかと人から聞いていたが、道がまったく思い出せない。まさかこんなところにはないだろうと思える本村小学校の脇の細い道をたどると昔遊んだ釣り堀がそのまま残されていた。

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